新刊紹介:「歴史評論」2023年8月号(副題:朝鮮戦争停戦から70年)

特集『朝鮮戦争「停戦」70年』
【最初に追記】

日本が、朝鮮戦争における大規模な軍事基地だったことを改めて認識した - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2023.11.21
 ところで私も最近までこんなことには無知だったのですが、実は朝鮮半島における国連軍の本部というのは、横田基地にあるのです。
国連軍 (朝鮮半島) - Wikipediaより。注釈の番号は削除。
>結成当時アメリカやイギリスなどの連合国軍の占領下にあった日本はこの国連軍に参加してはいないが、設置時の司令部は、当時日本の占領を指揮していた連合国軍最高司令官総司令部の本拠地があった東京にあり、1951年に吉田*1・アチソン*2交換公文が交わされ、占領を脱した後の1954年に「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」(国連軍地位協定)が締結されたことに基づき、国内に国連軍施設が設置されている。1957年に司令部が韓国に移転した後も、後方司令部がキャンプ座間に置かれ、これは2007年に横田基地に移転している。2018年1月16日に北朝鮮情勢を受けてアメリカが朝鮮戦争当時の国連軍派遣国に呼びかけてカナダで開催された外相会合でも日本は関係国として招待されて出席している。
だそうです。これまたおいおいですね。これでは、そのような戦争は今日まで起きていないし(だから北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国は、今日まで国家として存続しているのです)、現在そのような戦争が起きる可能性は高くありませんが、「第二次朝鮮戦争」が起きた際、日本も「無関係」ではすまなくなる。bogus-simotukareさんは、
新刊紹介:「歴史評論」2023年8月号(副題:朝鮮戦争停戦から70年) - bogus-simotukareのブログ
という記事の中で、
>なお、「今思いついたこと」ですがそもそも日本政府がそんな意見を言える立場なのか疑問だし、日本がその件でどのような努力をしているのかきわめて疑わしい(朝鮮戦争の終戦宣言) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)については「岸田政権」としては「横田基地が国連軍後方司令部であること(在日米軍=国連軍は完全なフィクションですが)」で「口をはさむ余地がある」と考えているのかもしれません。
と拙記事をご紹介の上指摘されています。私も、それはおそらく、日本政府の態度のバックボーンになっているのだろうなと思います。そして現在「国連軍」が、日本の米軍基地を利用している実態がある。これでは日本は、米国と韓国の次のレベルの、国連軍当事国ではないか。しかし日本は国連軍に参加していないという建前があるわけであり、この点でもbogus-simotukareさんは、上でご紹介した記事の中で
>朝鮮有事(第二次朝鮮戦争)の際はこうしたフィクションが「戦争協力」として具体化する危険性には注意する必要があるだろう。日本を朝鮮有事に巻き込まないためにも「国連軍地位協定の廃棄」「朝鮮戦争の正式終戦」「日米安保の廃棄」が求められると小生は思います。
>こうした状況下において日本が「NATO・東京事務所設置(国連軍地位協定加盟国の内、米英仏伊カナダがNATO加盟国)」に動くことはリスキーすぎると小生は考えますね。

とさらにご指摘になっています。幸い(ボーガス注:関係国である南北朝鮮、中露、日米には一定の常識があり)現状「第二次朝鮮戦争」が勃発する可能性は高いとは思えませんが、もし起きたら日本も相当えらいことになるのは避けられないでしょう。そしてそれは、隣国で戦争が起きたから大変だというだけでなく、日本の戦争協力という側面でもこれまたとんでもないことになりかねない。ことによったらものすごく積極的に加担する可能性がある。いかに日本を朝鮮有事に巻き込まないかということもいろいろ考えないといけません。それを考えるヒントとして、林氏の本は必読文献だと思います。ぜひ読者の皆さまもどうぞ。
 なお本日の記事は、「北朝鮮・拉致問題」のカテゴリーにしようと最初思ったのですが、北朝鮮というより朝鮮戦争の関係の本ということをかんがみ、「書評ほか書籍関係」にしました。またこの記事を執筆するにいたって、bogus-simotuakreさんの上でご紹介した記事を参考にしました。いつものことながら感謝を申し上げます。

としてご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】


◆停戦協定から70年(松田春香*3
(内容紹介)
 筆者の関心分野から以下の著書が紹介されています。
【1】朝鮮戦争と中国

【刊行年順】
◆平松茂雄*4『中国と朝鮮戦争』(1988年、勁草書房
◆朱建栄*5毛沢東朝鮮戦争:中国が鴨緑江を渡るまで』(1991年、岩波書店→2004年、岩波現代文庫
◆服部隆行『朝鮮戦争と中国:建国初期中国の軍事戦略と安全保障問題の研究』(2007年、溪水社)
◆沈志華『最後の「天朝」:毛沢東金日成時代の中国と北朝鮮』(2016年、岩波書店
◆陳肇斌*6『中国市民の朝鮮戦争:海外派兵をめぐる諸問題』(2020年、岩波書店

 その性格上、中国史研究者の著作が多いようです。
【2】朝鮮戦争と日本

【刊行年順:刊行年が同じ場合は著者名順】
◆西村秀樹*7『大阪で闘った朝鮮戦争:吹田・枚方事件の青春群像』(2004年、岩波書店
◆脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』(2004年、明石書店
金賛汀*8『在日義勇兵帰還せず:朝鮮戦争秘史』(2007年、岩波書店
◆西村秀樹 『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(2019年、三一書房
 「朝鮮戦争に日本は「参戦」した」ジャーナリスト・西村 秀樹 | 論壇も紹介しておきます。
◆藤原和樹*9朝鮮戦争を戦った日本人』(2020年、NHK出版)
【アマゾンの紹介】
 NHKBS1スペシャル『隠された「戦争協力」:朝鮮戦争と日本人』(2019年8月18日放送)を書籍化。
【本書で明らかにされる、「朝鮮戦争と日本」の真実】
・米陸軍の大型曳船LT636号が北朝鮮沖で沈没し、犠牲となった日本人船員22名は極秘裏に葬られ、遺族には箝口令が敷かれた事実
・日米合同委員会での協議を経て、ついに公には決して認められることがなかった日本人の戦死
・「私は北朝鮮の人を殺しました」。
 米軍最高機密文書をもとに、歴史に埋もれた「最初の戦争協力」に迫る!。いま開封される戦後史の「不都合な真実」。平和国家の「擬制」を突く証言はあまりにも衝撃的だ(姜尚中*10東京大学名誉教授)
◆五郎丸聖子『朝鮮戦争と日本人:武蔵野と朝鮮人』(2021年、クレイン)
林博史*11朝鮮戦争無差別爆撃の出撃基地・日本』(2023年、高文研)

 なお、下記の「吉岡吉典氏*12の論文(1966年)や国会質問(1987年)」等でわかるように「朝鮮戦争での日本の戦争協力」の存在自体は以前から知られていましたが、研究が進んだのは最近と言えるでしょう。小生も一共産支持者として吉岡氏の功績について「簡単ではありますが」触れることができて感無量です。

吉岡吉典「朝鮮戦争と日本――日本の朝鮮戦争にたいする人的協力を中心に」紹介 - Togetter
若林宣*13
 本の山を崩したら発見。これだ。藤島宇内*14・畑田重夫*15編『現代朝鮮論』(勁草書房AA叢書、1966年)。ここに収められている吉岡吉典「朝鮮戦争と日本――日本の朝鮮戦争にたいする人的協力を中心に」が、日本人捕虜や日本人戦死者について触れている。ちなみにAA叢書の「AA」はアジア、アフリカね。
 「戦後70年の平和」どころか、あの朝鮮戦争では人的にも技術的にも協力し、ベトナム戦争では兵站としての役割を担った我が祖国……って、右とか左とか関係なく認めるべきでしょ。1945年の敗戦から10年も経たないうちに捕虜や戦死者を出しているんですよ。

朝鮮戦争への日本人のかかわりに関する質問主意書から一部引用
 右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。
 昭和六十二年(1987年)二月二十一日(吉岡吉典)
一 掃海部隊の参戦について
 朝鮮戦争にさいして、戦後米占領軍によつて温存された、海上保安庁所属の旧日本海軍掃海部隊千二百名が機雷掃海のため参戦した。
 これに関し以下の質問に答えられたい。
1)
 元在日米海軍司令部政治顧問であり、現在米国防総省日本課長の職にある、ジェームス・アワー氏*16の博士論文の邦訳である『よみがえる日本海軍(上)*17』によると「一九五〇年一〇月二日から一二月一二日までの間に、四六隻の日本掃海艇、大型試航船(水圧機雷掃海用)および一二〇〇名の旧海軍軍人は元山*18、群山、仁川、海城、鎮南浦の各掃海に従事して、三二七キロメートルの水道と六〇七平方マイル以上の泊地を掃海した。」とある。
 一方、『海上保安庁三十年史』は、「掃海艇二十隻、巡視船四隻及び試航船一隻」によつて「四個の掃海隊を編成し」「第七艦隊司令官の命令に従つて行動」させたと記している。
 正確には何隻、何人がどういう形で参戦したのか明らかにされたい。

朝鮮戦争で「戦死」した日本人がいる事実 | Web Voice|新しい日本を創るオピニオンサイト(2019.8.19)江崎道朗*19
 日本共産党政策委員長だった吉岡吉典参議院議員が昭和六十二年(1987年)2月21日付で「朝鮮戦争への日本人のかかわりに関する質問主意書」を提出し、政府に対して次のような質問をしている。
《戦後、日本がアジアでの戦争にどのような形でかかわりあつてきたかを正確にしておくことは、日本とアジアの平和と安全を考えるうえで必要なことである。
 日本は、直接戦場にはならなかつたものの朝鮮戦争ベトナム戦争という戦後最大の2つの戦争で、日本なしにはこの戦争は遂行できなかつたといわれるほどの役割を果たした。
 とくに朝鮮戦争では、日本は、朝鮮出撃の基地となつたほか、多数の日本人が直接戦場に派遣させられ朝鮮戦争に協力させられて、すくなからぬ犠牲者も出ている。
 しかるにその実態はいままであきらかになつていない。そこで、朝鮮戦争のさい、「国連軍」協力のため、日本から朝鮮戦争に派遣された日本人の実態について以下質問する》
 こう前置きしたうえで吉岡議員は、朝鮮戦争当時の事実関係の有無を含めて、日本政府の見解を問いただしている。
 この質問に対して当時の中曽根康弘政権が答弁書を「閣議決定」のうえで昭和62年4月10日に提示している。実に興味深いやり取りなので、ここでその一部を紹介したい。
(中略)
 中曽根*20政権の素っ気ない答弁からもわかるように、日本政府は、憲法九条違反だと非難されたくないためか、朝鮮戦争と日本との軍事的関わりを「なかったこと」にしようとしている*21のだ。

【正論】朝鮮半島有事に日本は無関係か 評論家・江崎道朗 - 産経ニュース2020.7.9
 日本共産党の吉岡吉典参議院議員が昭和62年2月21日付で「朝鮮戦争への日本人のかかわりに関する質問主意書」を提出し、政府にこう質問をしている。
 《朝鮮戦争では、日本は、朝鮮出撃の基地となつたほか、多数の日本人が直接戦場に派遣させられ朝鮮戦争に協力させられて、すくなからぬ犠牲者も出ている。
 しかるにその実態はいままであきらかになつていない。そこで、朝鮮戦争のさい、「国連軍」協力のため、日本から朝鮮戦争に派遣された日本人の実態について以下質問する》
 こう前置きしたうえで吉岡議員は、朝鮮戦争に日本がどのように関与したのか、政府の見解を問いただした。当時の中曽根康弘政権は昭和62年4月10日にその答弁書閣議決定している。
(中略)
 素っ気ない答弁からも分かるように政府は、朝鮮戦争において日本が一定の役割を担い、死傷者まで出したことを「無かったこと」にしておきたいようだ。

 なお、吉岡質問に対する中曽根内閣の答弁書は「昔のことなので確認ができない(俺の要約)」という完全な逃げの答弁です。

参考
埋もれた記憶・朝鮮戦争70年:朝鮮戦争 日本の民間人・少年も戦闘参加 勃発70年、米軍極秘文書で明らかに | 毎日新聞2020.6.21
クローズアップ:朝鮮戦争 米軍に日本の民間人従軍 通訳のはずが、銃渡され 「何人殺したか分からない」 | 毎日新聞2020.6.22

「隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人」 - BS1スペシャル - NHK
「私は北朝鮮兵を殺しました」。
 その極秘の尋問記録には、これまで隠されてきた日本人の「戦争協力」について告白が記されていた。1950年に勃発した朝鮮戦争。今回、米軍の支援に当たっていた日本人70人の尋問記録をアメリカで発見。朝鮮半島の最前線で、日本人が戦争に関わっていたという記録が初めて明らかになったのだ。尋問後、米軍は一切の口外を禁じ事実を封印していた。歴史の闇に迫るドキュメンタリー。

BS1スペシャル 隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人 前後編 | NHKティーチャーズ・ライブラリー
 1950~53年の朝鮮戦争中、平和憲法下の日本人が戦闘に参加していた!。当時米軍が行った、日本人70人への尋問の記録が発掘され、長年埋もれていた事実が明らかになった。米軍は、基地で働いていた日本人を通訳などの支援業務のため朝鮮半島に送り、戦闘が激化すると武器を与えて戦わせたのである。番組は、彼らの戦場体験を尋問調書から探ると共に、初めてこの事実を知った遺族の思いを描く。


◆「多国籍軍」としての朝鮮「国連軍」(高林敏之
(内容紹介)
 朝鮮戦争の国連軍は「主力は米国」だが他にも「英国」「フランス」「イタリア」「オランダ」「ベルギー」「ルクセンブルグ」「タイ」「カナダ」「トルコ」「オーストラリア」「フィリピン」「ニュージーランド」「エチオピア帝国*22(当時。1974年に軍部クーデターで帝国が消滅、1975年に皇帝だったハイレ・セラシエが死去するが軍部による暗殺とされる)」「ギリシャ王国(当時。1967年に軍部クーデターで国王が亡命し王国が消滅)」「コロンビア」「南アフリカ」が参戦していたことが指摘されている。
 参戦国に「アパルトヘイト時代・南ア」が入っていることが興味深い(勿論アパルトヘイトへの批判を避けるための米国、英国等へのすり寄り)。こうした「アパルトヘイト南アに対する米国、英国等の西側諸国の甘い態度」と「それに対する失望」がマンデラ率いるANC(アフリカ民族会議)が当時、中国やソ連に接近した一因と思われる。
 なお、高林論文も指摘しているが、未だに以下のような「フィクション」が日本において成立していることは興味深い。
 朝鮮有事(第二次朝鮮戦争)の際はこうしたフィクションが「戦争協力」として具体化する危険性には注意する必要があるだろう。日本を朝鮮有事に巻き込まないためにも「国連軍地位協定の廃棄」「朝鮮戦争の正式終戦」「日米安保の廃棄」が求められると小生は思います。

国連軍 (朝鮮半島) - Wikipedia
 1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定の発効を受けて、日本は1954年2月19日に米国、カナダ、ニュージーランド、英国、南アフリカ、オーストラリア、フィリピンの7カ国と署名を交わし、「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定(国連軍地位協定)」を結んでいる。1954年4月12日にフランスと、5月19日にイタリアと追加署名を交わし、協定は6月11日に発効している。のちにタイ王国とトルコ*23が協定に加わり11ヶ国となる。
 1957年7月、国連軍地位協定に基づきキャンプ座間に「国連軍後方司令部」を設置。2007年11月1日、キャンプ座間から、横田飛行場に移転した。協定第24条によれば、国連軍後方司令部は朝鮮半島から国連軍が撤退するまで有効で、国連軍撤退が完了したのち90日以内に日本から撤退しなければならない。
 2014年1月現在、国連軍後方司令部の構成国は、米国、英国、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、イタリア、カナダ、トルコ*24の10か国である。
 在日米軍基地のうち、次の7カ所が国連軍地位協定に基づく国連軍施設に指定されている。
・キャンプ座間(神奈川県座間市相模原市南区
・横須賀海軍施設(神奈川県横須賀市
佐世保海軍施設(長崎県佐世保市
・横田飛行場(東京都福生市・瑞穂町・武蔵村山市羽村市立川市昭島市
嘉手納飛行場沖縄県中頭郡嘉手納町中頭郡北谷町沖縄市
普天間飛行場沖縄県宜野湾市
・ホワイト・ビーチ地区(沖縄県うるま市
 現在も、必要に応じて国連軍参加各国が、国連軍地位協定を根拠に国連軍基地(在日米軍基地)を使用している。国会答弁等から分かる使用実績は次の通り。
(2006年、2009年)北朝鮮の核実験に際して、英軍機VC10が嘉手納空港を補給等のために使用
(2007年)嘉手納で米豪共同訓練を実施
(2014年)フランス海軍のフリゲートプレリアル」が、沖縄のアメリカ海軍基地をはじめ日本の各地に寄港

 こうした状況下において日本が「NATO・東京事務所設置(国連軍地位協定加盟国の内、米英仏伊カナダがNATO加盟国)」に動くことはリスキーすぎると小生は考えますね。
 なお、「今思いついたこと」ですがそもそも日本政府がそんな意見を言える立場なのか疑問だし、日本がその件でどのような努力をしているのかきわめて疑わしい(朝鮮戦争の終戦宣言) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)については「岸田政権」としては「横田基地が国連軍後方司令部であること(在日米軍=国連軍は完全なフィクションですが)」で「口をはさむ余地がある」と考えているのかもしれません。

参考

「利用件数さえも非公表」11カ国が無料で使える"国連軍基地"という場所が日本にはある 朝鮮戦争はまだ終わっていない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
 日本には「朝鮮戦争」のための基地がある。1954年に締結された国連軍地位協定による「朝鮮国連軍基地」で、現在7カ所の在日米軍基地が兼ねている。この基地は地位協定を締結する11カ国が無料で利用することができ、8月から9月には英国空母打撃群が入港した。しかし外務省は年間の利用件数などを公表しておらず、詳しい実態は不明だ。防衛ジャーナリストの半田滋さん*25が解説する。
 日本とも密接な関わりがあり、在日米軍司令部のある横田基地に「朝鮮国連軍後方司令部」が置かれている。オーストラリア軍の空軍大佐が司令官を務め、米軍出身の下士官ら計4人が専従として勤務する。
 これらの施設を利用できるのは国連軍地位協定締結国の日本、オーストラリア、カナダ、フランス、イタリア、ニュージーランド、フィリピン、南アフリカ、タイ、トルコ、英国、米国の12カ国。


朝鮮戦争と女性(藤目ゆき*26
(内容紹介)
 著書『占領軍被害の研究』(2021年、六花出版)で「朝鮮戦争での米軍の性犯罪」を論じた著者が改めてその問題を論じています。
参考

国家暴力を問う米軍「慰安婦」とその闘い ——『韓国・基地村の米軍「慰安婦」』訳者解説より|じんぶん堂
 朝鮮戦争中は、韓国政府の主導のもと韓国軍「慰安所」とUN軍「慰安所」が運営され、朝鮮戦争以降はUN軍「慰安所」だけが制度化された。


朝鮮戦争と在日・在米朝鮮人追放問題(崔徳孝)
(内容紹介)
 朝鮮戦争期に米国、日本政府によって行われた「在日朝鮮人の国外追放措置」について論じられていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


北朝鮮の復興(谷川竜*27
(内容紹介)
 朝鮮戦争後の「北朝鮮の戦後復興」を首都・平壌を中心に論じられていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考

北朝鮮ハフムンの歴史都市空間 朝鮮史×建築・都市史ワークショップ
 平壌に次ぐ北朝鮮第二の都市、それがハムフン(咸興)である。同都市は、1945年以前の日本植民地時代は、二つの都市・咸興と興南として知られていた。咸興は、朝鮮王朝時代より北東部の中心都市であり、興南は戦前の新興財閥・日窒によって1920年代に開発が始まった一大化学工業都市である。
 両都市は、第二次大戦を経て、日本人の収容・引き揚げ拠点都市となった後、朝鮮戦争において米軍に破壊された。
 しかし、東ドイツの援助のもとで復興し、現在は合体して北朝鮮を代表する都市の一つとなっている。
 本ワークショップではこの都市地域を対象に、歴史・文化運動・建築・都市景観などを、朝鮮史・建築史専門の各研究者が、具体的な素材を持ち寄って議論する。
10:30-11:15 「咸興・興南に関する歴史研究」水野直樹*28京都大学
11:15-12:00 「北朝鮮の近代建築と咸興・興南―2013 年9 月の訪朝報告を中心に―」谷川竜一(京都大学地域研)
13:00-13:45 「東独の建築家K. ピュシェルによる咸興戦災復興計画のための朝鮮の伝統的集落の調査」冨田英夫九州産業大学
13:45-14:30 「朝鮮窒素肥料による興南の都市建設」辻原万規彦(熊本県立大学
14:45-15:30 「咸興地域社会史の一端:ミッション関連史料を中心に」板垣竜太*29同志社大学
15:30-16:15 「工場=要塞、あるいは生産と死の場所:李北鳴*30と朝鮮窒素」チャ・スンギ(韓国・聖公会大学)

第51回大会 パネルの詳細
パネル1 朝鮮戦争からの復興と都市建築―平壌・咸興の事例から
 朝鮮戦争によって北朝鮮の多くの都市は甚大な被害を受けた。そしてその復興には旧東側諸国の強い関与があったことが知られている。しかしその具体的な再建プロセスは、これまでほとんど明らかにされていない。
 都市復興のための建設事業は、いわば北朝鮮という新しい国家の建設事業でもあった。そしてグローバルな国際関係の展開のなかに位置づけるならば、この建設事業は、冷戦の熱戦化にともなって進んだ第二次世界大戦の戦後処理構想の見直し、東側陣営内の秩序再編の一局面ととらえることもできる。
 本パネルでは、谷川竜一が趣旨説明を行った上で、平壌・咸興の概要とそこに建った建築の具体的な姿やデザイン、都市景観を考察し、続いて冨田英夫旧東ドイツの建築家らによる咸興復興計画の建築・都市的分析を行う。最後に、川喜田敦子がドイツに残る公文書や報告書から、建設の背景となる国際関係にも目配りしつつ、パネル全体として北朝鮮都市・建築史の理解を深めることを目指したい。
報告者・タイトル
谷川竜一(京都大学助教*31)「平壌復興と創造された景観」
・冨田英夫九州産業大学講師*32)「咸興*33復興における東ドイツ建築家K.ピュシェルの活動」
・川喜田敦子(中央大学准教授*34)「北朝鮮復興支援と国際関係:東ドイツ北朝鮮支援を中心に」

 谷川氏が「朝鮮史研究者」として「北朝鮮の戦後復興」を研究しているのに対し、冨田氏、川喜多氏は「ドイツ史研究者」として「東ドイツ北朝鮮戦後復興への協力」という視点で「北朝鮮の戦後復興」を研究していることが窺えます。


平和憲法下の戦死(大内照雄*35
(内容紹介)
 西村秀樹 『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(2019年、三一書房)、藤原和樹『朝鮮戦争を戦った日本人』(2020年、NHK出版)などで暴かれた「朝鮮戦争での日本人戦死者」について論じられています。


◆文化の窓『曽我物の復曲能』(竹内光浩)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

よみがえる「虎女」の能 ゆかりの平塚で11月に公演 | カルチャー | カナロコ by 神奈川新聞2016.10.11
 日本三大敵討ち*36の一つとして有名な曽我物語から、虎女(とらじょ、虎御前)が恋人の曽我十郎祐成(すけなり)の墓参りで夢をみる場面を描いた能「伏木(ふしぎ)曽我」が、虎女ゆかりの平塚で復曲公演されることになった。平塚市出身で重要無形文化財保持者の観世流能楽師・加藤眞悟さん=横浜市在住=が能楽研究者やワキ方や囃子(はやし)方の能楽師の協力を得て、600年の時を超えて現代によみがえらせる。
 曽我物語は鎌倉初期、源頼朝が行った富士の巻き狩りの陣屋で曽我十郎・五郎兄弟が親*37の敵*38を討った事件から題材を取ったとみられる。敵討ちの場で討たれた十郎祐成と恋仲だった虎女は平塚市山下の長者屋敷に生まれ、大磯で生涯にわたり兄弟を供養したともされる。
 「曽我物語」は能のほか人形浄瑠璃や歌舞伎、浮世絵などさまざまな形で取り上げられ江戸期には人気を集めたが、能の「伏木曽我」は室町時代を最後に、近世以降は上演されなかったという。
 復曲には、加藤さんのほか、謡研究者の昭和音楽大学講師・丹羽幸江さん*39能楽研究者で法政大学准教授*40の伊海孝充さん*41ワキ方の安田登さん*42能楽師らの協力も得て1年がかりで、複数の謡本を基に実際の節をはじめ、所作の型付けや囃子、能面や装束を練り上げたという。

時を超えて甦る能『伏木曽我』平塚出身の加藤眞悟さんが600年ぶり復曲公演 | 地域情報紙・湘南ジャーナルのウェブサイト2016.10.28
 仇討ちの物語として広く知られる曽我物語の中で、平塚に縁のある虎女と曽我十郎祐成の悲恋を描いた能『伏木曽我』が11月26日に行われる「第六回湘南ひらつか能狂言」で600年ぶりに復曲公演される。復曲を手がけるのは平塚市出身の能楽師重要無形文化財保持者の加藤眞悟さん(58)。準備に1年以上を費やし地元平塚で復曲公演に臨む加藤さんに能の魅力について聞いた。
 そもそも復曲とは何なのか。現在、能の演目は200番程度とされるが過去には何千という演目があったと言われている。『伏木曽我』は何らかの理由で演じられなくなり廃れていったものの1つ。このように廃曲になった演目は当時の謡本(能の台本)が残っていても、現代人には読めない、謡えないものも数多い。それを様々な方向から検証、解読し現代に再現するのが復曲だ。加藤さんは謡の音律の研究をする昭和音大講師、丹羽幸江さんや、中世文学を研究する法政大准教授、伊海孝充さんら様々な人々の協力を得て、復曲能の準備を進めてきた。
 『伏木曽我』とは親の仇討ちを果たすも富士の裾野で果てた曽我祐成の墓所を恋人の虎女が訪ねると、夢の中に祐成が現れ本懐を遂げたことを告げていくという、祐成と虎女の繋がりを描いた作品。
 加藤さんは2006年に行われた湘南ひらつか能狂言の初回公演から中心人物の1人として関わってきた。そして一昨年行われた第5回公演で平塚ゆかりの能『眞田』を復曲する。

能:「虎送」が600年ぶり復曲上演 加藤眞悟さんらが現代的に演出 平塚で来月10日 /神奈川 | 毎日新聞2019.1.18
 曽我兄弟の敵討ちを題材にした曽我物語の中で、平塚とゆかりがある虎御前(とらごぜん)をテーマにした能「虎送(とらおくり)」が2月10日、平塚市追分の市中央公民館で600年ぶりに復曲上演される。
 虎御前は平塚で生まれたとされ、大磯で曽我兄弟の兄の祐成(すけなり)と知り合う。復曲能「虎送」は、祐成と虎御前の別れの名場面を描く。
 「虎送」は、世阿弥が活躍していた室町時代の1427年に同じテーマのものが催された記録があるというが、その後は演じられた資料などは残っていない。同市では、2年前にも虎御前を扱った能「伏木曽我(ふしきそが)」が600年ぶりに、4年前には平塚の武将(ボーガス注:真田義忠*43)の能「眞田(さなだ)」も復曲上演されている。

復曲能「和田酒盛」名古屋で初演 11日・名古屋能楽堂:中日新聞Web2021.12.9
 室町時代に作られ、長く上演が途絶えていた能「和田酒盛」が十一日、名古屋・三の丸の名古屋能楽堂で上演される。関東の能楽師の団体「復曲能を観る会」が今年復活させ、中部地方での上演は初めて。名古屋公演を皮切りに、廃曲となっている尾張ゆかりの能も復曲に向けて動きだす。
 和田酒盛は曽我物の一つ。曽我十郎祐成と遊女の虎御前が和田義盛*44の酒宴に呼ばれ、余興で好きな相手に杯を向ける「思い差し」をすることになる。虎御前が義盛ではなく慕っている十郎に杯を向けたため、場は一触即発状態になるが、相舞を舞って心を静める。最後の上演記録は十七世紀末~十八世紀ごろ。

数百年ぶりによみがえる絵巻能〈和田酒盛〉東京初演 復曲能を観る会が千駄ヶ谷の国立能楽堂で10月9日に上演|一般社団法人復曲能を観る会のプレスリリース2022.8.22
 復曲能〈和田酒盛〉は、古来多くの人々に愛された『曽我物語』に題材を得た能です。昨年、復曲能を観る会のメンバーが中心となって、室町時代以来数百年間ぶりに復活させ、この度東京初演となります。仇討ち直前の曽我兄弟を描く〈和田酒盛〉は個性的な鎌倉武将が大勢登場し、場面展開も早い絵巻物のように華やかな能。一方、曽我十郎の恋人・虎御前が十郎を慕い、時の権力者に媚びることなく自分の気持ちに正直に生きる姿も描きます。

能の花 狂言の花 曽我物のあれこれについて…能の曲あれこれ2023.4.9
 能には「○○曽我」という名の曲が何曲かあります。現在演じられる曽我物は、小袖曽我、夜討曽我、禅師曽我、調伏曽我の四曲ですが、他に現在は廃曲となっている切兼曽我、元服曽我、伏木曽我などが知られていますし、曽我の名は入っていませんが十番斬(または十番切)も曽我物といってよい曲です。
 伏木曽我は六百年ほど前に絶えてしまった曲ですが、最近、観世流の加藤眞悟さんが復曲されたようです。

*1:東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*2:トルーマン政権国務長官

*3:大妻女子大学准教授

*4:1936~2023年。杏林大学名誉教授。国家基本問題研究所評議員。著書『中国の国防と現代化』(1984年、勁草書房)、『中国の国防とソ連・米国』(1985年、勁草書房)、『中国核大国への道』(1986年、勁草書房)、『中国人民解放軍』(1987年、岩波新書)、『甦る中国海軍』(1991年、勁草書房)、『中国の海洋戦略』(1993年、勁草書房)、『軍事大国化する中国の脅威』(1995年、時事通信社)、『中国の核戦力』(1996年、勁草書房)、『中国の軍事力』(1999年、文春新書)、『江沢民と中国軍』(1999年、勁草書房)、『中国軍現代化と国防経済』(2000年、勁草書房)、『中国の戦略的海洋進出』、『現代中国の軍事指導者』(以上、2002年、勁草書房)、『江沢民時代の軍事改革』(2004年、勁草書房)、『中国の安全保障戦略』(2005年、勁草書房)、『中国は日本を併合する』(2006年、講談社インターナショナル)、『中国、核ミサイルの標的』(2006年、角川oneテーマ21)、『中国は日本を奪い尽くす』(2007年、PHP研究所)、『「中国の戦争」に日本は絶対巻き込まれる』(2008年、徳間書店)、『日本は中国の属国になる』(2009年、海竜社)、『中国はいかに国境を書き換えてきたか:地図が語る領土拡張の真実』(2018年、草思社文庫)等。平松の極右性については例えば中国軍事研究の第一人者・平松茂雄先生を追悼する 黒澤聖二(国基研事務局長) « 国基研ろんだん 国基研ろんだん « 公益財団法人 国家基本問題研究所参照

*5:東洋学園大学教授。著書『香港回収』(1997年、岩波ブックレット)、『中国2020年への道』(1998年、NHKブックス)、『朱鎔基の中国改革』(1998年、PHP新書)、『毛沢東ベトナム戦争』(2001年、東京大学出版会)、『中国・第三の革命:ポスト江沢民時代の読み方』(2002年、中公新書)、『中国外交:苦難と超克の100年』(2012年、PHP研究所)等

*6:東京都立大学教授。著書『戦後日本の中国政策:1950年代東アジア国際政治の文脈』(2000年、東京大学出版会

*7:毎日放送に入社し、JNN報道特集『妻たちの7年・第十八富士山丸事件』『北朝鮮の軍と豆満江』等の番組を制作。著書『北朝鮮抑留:第十八富士山丸事件の真相』(2004年、岩波現代文庫

*8:1937~2018年。著書『朝鮮人女工のうた:1930年岸和田紡績争議』(1982年、岩波新書)、『異邦人は君ケ代丸に乗って:朝鮮人猪飼野の形成史』(1985年、岩波新書)、『甲子園の異邦人:「在日」朝鮮人高校野球選手の青春』(1988年、講談社文庫)、『朝鮮総連』(2004年、新潮新書)、『拉致』(2005年、ちくま新書)、『将軍様錬金術朝銀破綻と総連ダークマネー』(2009年、新潮新書)、『韓国併合百年と「在日」』(2010年、新潮選書)、『北朝鮮建国神話の崩壊』(2012年、筑摩選書)等

*9:NHKディレクターとして『クローズアップ現代』、『NHKスペシャル』を担当

*10:著書『アジアから日本を問う』(1994年、岩波ブックレット)、『暮らしから考える政治』(2002年、岩波ブックレット)、『マックス・ウェーバーと近代』(2003年、岩波現代文庫)、『オリエンタリズムの彼方へ』(2004年、岩波現代文庫)、『反ナショナリズム』(2005年、講談社+α文庫)、『姜尚中政治学入門』(2006年、集英社新書)、『増補版・日朝関係の克服:最後の冷戦地帯と六者協議』(2007年、集英社新書)、『漱石のことば』(2016年、集英社新書)、『姜尚中と読む 夏目漱石』(2017年、岩波ジュニア新書)、『ナショナリズム』(2018年、講談社学術文庫)、『朝鮮半島と日本の未来』(2020年、集英社新書)、『アジアを生きる』(2023年、集英社新書)等

*11:関東学院大学教授。著書『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『戦犯裁判の研究』(2009年、勉誠出版)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『帝国主義国の軍隊と性:売春規制と軍用性的施設』(2021年、吉川弘文館)等。個人サイトWelcome to Hayashi Hirofumi'

*12:1928~2009年。日本共産党松江地区委員長、島根県常任委員、赤旗政治部長、編集局長、日本共産党政策委員長、参院議員団長等を歴任。著書『米騒動五十年』(1968年、労働旬報社)、『日米安保体制論』(1978年、新日本出版社)、『有事立法とガイドライン』(1979年、新日本出版社)、『日本共産党アメリカを行く』、『韓国をみる視点』(以上、1980年、白石書店)、『安保再改定論と日本の安全』(1981年、大月書店)、『日米関係の実像』(1981年、学習の友社)、『危機に立つ社会党』(1982年、新日本出版社)、『レーガン政権下の日米軍事同盟』、『軍縮・平和・安全への道』(以上、1983年、新日本出版社)、『転機に立つ日本の政治』(1984年、新日本出版社)、『戦後軍縮交渉と核問題』、『いまなぜ国家機密法か』(以上、1985年、新日本出版社)、『日本型ファシズムと革新の展望』(1987年、新日本出版社)、『歴史に学ぶもの逆らうもの』(1988年、新日本出版社)、『戦後半世紀の日本の政治』(1991年、新日本出版社)、『侵略の歴史と日本政治の戦後』(1993年、新日本出版社)、『日本の侵略と膨張』(1996年、新日本出版社)、『日清戦争から盧溝橋事件』(1998年、新日本出版社)、『史実が示す日本の侵略と「歴史教科書」』(2002年、新日本出版社)、『総点検・日本の戦争はなんだったか』(2007年、新日本出版社)、『「韓国併合」100年と日本』(2009年、新日本出版社)、『ILOの創設と日本の労働行政』(2009年、大月書店)(吉岡吉典 - Wikipedia参照)

*13:著書『戦う広告:雑誌広告に見るアジア太平洋戦争』(2008年、小学館)、『帝国日本の交通網』(2016年、青弓社)、『日本を動かした50の乗り物:幕末から昭和まで』(2018年、原書房)、『B-29の昭和史:爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代』(2023年、ちくま新書

*14:1924~1997年。著書『民族教育:日韓条約在日朝鮮人の教育問題』(共著、1966年、青木新書)、『第三次日米安保体制の開幕』(1970年、太平出版社)、『告発・金大中事件』(編著、1977年、晩聲社)、『軍事化する日米技術協力』(1992年、未来社)等(藤島宇内 - Wikipedia参照)

*15:1923~2022年。労働者教育協会会長、勤労者通信大学学長、全国革新懇代表世話人などを歴任。著書『新安保体制論』(1966年、青木書店)、『民族と民族問題』(1967年、新日本出版社)、『学生運動と統一戦線の思想』(1969年、汐文社)、『安保のすべて』(1981年、学習の友社)、『日米韓「運命共同体」と教科書問題』(1983年、あゆみ出版)、『PKO法と安保』(1992年、学習の友社)、『戦後50年の原点:歴史の転換点にたって』(1995年、学習の友社)、『安保問題のすべて:安保大改悪と日米共同宣言』(1996年、学習の友社)、『自動参戦・列島総動員の新「ガイドライン」』(1997年、学習の友社)、『どうみる新しい内外情勢:畑田重夫大いに語る』(2010年、学習の友社)、『畑田重夫の卒寿の健康力!』(2013年、本の泉社)、『わが憲法人生七十年』(2016年、新日本出版社)等(畑田重夫 - Wikipedia参照)。畑田氏については 2月22日(水) 追悼 畑田重夫さん:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2023.2.22)も紹介しておきます。

*16:1941年、米ミネソタ州セントポール生まれ。1979年からレーガン政権下などで国防総省安全保障局日本部長を務め、1989年からヴァンダービルト大学教授。1989年3月から産経新聞「正論」執筆メンバー。2008年に「旭日中綬章」を受章。2015年に、産経『正論大賞』を外国人として初めて受賞(アマゾンの著者紹介)。著書『わたしなら日本をこう守る:半世紀日米同盟を支えた「侍」の大戦略』(2017年、ワニブックスPLUS新書)

*17:1972年、時事通信社

*18:北朝鮮・江原道の道都

*19:日本青年協議会月刊誌『祖国と青年』編集長、日本会議国会議員懇談会日本会議議連)専任研究員などを歴任。著書『コミンテルンルーズヴェルトの時限爆弾:迫り来る反日包囲網の正体を暴く』(2012年、展転社)、『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』 (2016年、祥伝社新書)、『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(2017年、PHP新書)、『日本占領と「敗戦革命」の危機』(2018年、PHP新書)、『日本は誰と戦ったのか:コミンテルンの秘密工作を追求するアメリカ』(2019年、ワニブックスPLUS新書)、『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』(2019年、PHP新書)、『日本外務省はソ連の対米工作を知っていた』(2020年、育鵬社)、『緒方竹虎と日本のインテリジェンス』(2021年、PHP新書)、『米中と経済安保』(2022年、扶桑社)、『ルーズヴェルト政権の米国を蝕んだソ連のスパイ工作:「米国共産党調書」を読み解く』(2023年、扶桑社新書)等(参照)

*20:1918~2019年。岸内閣科学技術長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官等を経て首相

*21:中曽根を批判しても、ウヨの江崎なので「違憲行為であり不適切だ」「二度とこのような事態(日本人戦死者)が起きないよう朝鮮有事を絶対に起こしてはならない(吉岡氏など左派、護憲派)」という主張とは違い「日米軍事協力の栄光の歴史として顕彰せよ」「過去の事例を参考に今後、朝鮮有事(第二次朝鮮戦争)に対応せよ」と言う逆の話です。

*22:ムソリーニイタリアに侵略され皇帝ハイレ・セラシエが英国に亡命。その後、英国政府によって皇帝はエチオピアに凱旋帰国。朝鮮戦争参戦は英国とのしがらみによるとみられる。

*23:当時、これら協定参加国から構成される軍事同盟「SEATO(東南アジア条約機構:米国・英国・フランス・オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン・タイなど)」が存在したことを指摘しておきます。

*24:その意味では米軍だけでなくこれらの国々も「米国を通じた形」で日本の軍事同盟国と言える。

*25:著書『闘えない軍隊:肥大化する自衛隊の苦悶』(2005年、講談社+α新書)、『「戦地」派遣:変わる自衛隊』(2009年、岩波新書)、『3・11後の自衛隊』(2012年、岩波ブックレット)、『日本は戦争をするのか:集団的自衛権自衛隊』(2014年、岩波新書)、『検証自衛隊南スーダンPKO』(2018年、岩波書店)、『「北朝鮮の脅威」のカラクリ:変質する日本の安保政策』(2018年、岩波ブックレット)等

*26:大阪大学教授。著書『性の歴史学』(1997年、不二出版)、『「慰安婦」問題の本質』(2015年、白澤社)

*27:金沢大学准教授。著書『灯台から考える海の近代』(2016年、京都大学学術出版会)

*28:著書『創氏改名』(2008年、岩波新書)等

*29:著書『朝鮮近代の歴史民族誌』(2008年、明石書店)、『北に渡った言語学者・金壽卿:1918-2000』(2021年、人文書院

*30:植民地期には朝鮮プロレタリア芸術同盟(カップ)メンバーとして活躍。青年期の朝鮮窒素肥料工場における生活体験から,その作品には工場労働者の闘いを描いたものが多く,《窒素肥料工場》(1931)や《労働一家》(1947)などが代表作として知られている。解放後は,朝鮮労働党中央委員や朝鮮作家同盟副委員長などを歴任(李北鳴(りほくめい)とは? 意味や使い方 - コトバンク参照)

*31:肩書きは当時(現在は金沢大学准教授)

*32:肩書きは当時(現在は九州産業大学教授)

*33:北朝鮮咸鏡南道の道都

*34:肩書きは当時(現在は東京大学教授)。著書『ドイツの歴史教育』(2005年、白水社)、『東欧からのドイツ人の「追放」:二〇世紀の住民移動の歴史のなかで』(2019年、白水社

*35:著書『米軍基地下の京都:1945年~1958年』(2017年、文理閣)、『海兵隊在日米軍基地』(2020年、文理閣

*36:他の二つは赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ち(渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎伊賀国上野の鍵屋の辻(現三重県伊賀市小田町)で討った事件、鍵屋の辻の決闘とも言う)

*37:河津祐泰のこと

*38:工藤祐経のこと

*39:著書『日本音楽うた理論』(2021年、カワイ出版)

*40:肩書きは当時(現在は法政大教授(野上記念法政大学能楽研究所所員兼務))

*41:著書『切合能の研究』(2011年、檜書店)

*42:著書『ワキから見る能世界』(2006年、NHK生活人新書)、『身体能力を高める「和の所作」』(2010年、ちくま文庫)、『異界を旅する能』(2011年、ちくま文庫)、『日本人の身体』(2014年、ちくま新書)、『能』(2017年、新潮新書)、『「おくのほそ道」謎解きの旅』(2023年、ちくま文庫)等

*43:岡崎義実の嫡男。なお、姓を佐奈田や佐那田と記載する文献もある。石橋山の戦いで戦死(享年25歳)。江戸時代に入ると義忠は美男の人気者とされ、多くの錦絵が描かれている。石橋山古戦場近く(神奈川県小田原市石橋)には義忠を祀る佐奈田霊社がある(佐奈田義忠 - Wikipedia参照)。

*44:十三人の合議制のメンバーの一人。侍所別当。和田合戦によって北条氏に滅ぼされる。