新刊紹介:「経済」2023年9月号(副題:改めてMukkeの『ノルウェーに霞を食えとは言えない』を批判する、ほか)(追記あり)

「経済」9月号を俺の説明できる範囲で簡単に紹介します。
世界と日本
◆米国務長官5年ぶり訪中(平井潤一)
(内容紹介)
 近年、「ペロシ下院議長(当時)訪台」など、中国との対立を深める米国ですら「米国企業にとっての中国市場の重要性」から「中国と全面対立する気」はさすがになく落とし所を探ってることが

◆ブリンケン*1国務長官訪中
ブリンケン米国務長官 中国訪問し高官と会談へ 訪中は就任後初 | NHK | 米中対立2023.6.14など
◆イエレン*2財務長官訪中
訪中の米財務長官「関係を確かにする一歩になった」成果を強調 | NHK | 米中対立2023.7.9など

など「米国の最近の対中国外交」をネタに論じられている。米国と比べても日本は「中国とのパイプがなさ過ぎるのではないか(この平井論文時点では表面化してないが、例えば麻生訪台と『戦争の覚悟』発言)」と岸田政権が批判される。
参考
赤旗麻生氏「たたかう」発言は挑発的/戦争させない覚悟こそ/小池書記局長が会見2023.8.9
【追記】

米国と中国間の旅客便を倍増へ 「協力示す珍しい兆し」と報道:東京新聞 TOKYO Web2023.8.12
 バイデン米政権は11日、米国と中国を結ぶ旅客便の本数を10月下旬までに倍増させることで中国側と合意したと明らかにした。
 ブリンケン国務長官が6月に訪中した際、米中間の航空便増便に向けた協議の実施や、人的往来の拡大で中国側と一致していた。
 米運輸省によると、現在、週12往復の中国からの直行便を、9月1日に週18往復、10月下旬から週24往復に増やす。

 ということで中国と全面対決はできない米国です。
 これも、また「経済のほうが政治よりよっぽど現実(実状)に正直だ」の実例(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)ですね。「中国の人権問題」等で「米国経済にとっての中国経済の重要性」をチャラにすることなどできる話ではない。人権問題等で中国を批判する場合でも「当然押さえておくべき常識」です。以前そう指摘したら逆ギレしたのがMukkeという馬鹿者ですが。
 「ノルウェーに霞を食えとは言えない」と強弁したMukkeには「バイデン政権(あるいは米国航空業界)には霞を食えとは言えないのか」と嫌みを言いたいところです。


◆仏警官の少年射殺事件(宮前忠夫*3
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

乱暴で高圧的、異民族に厳しいことで有名...なぜフランスの警官は「荒くれ者」ぞろいなのか?【注目ニュースを動画で解説】(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース
 フランスの警察が高圧的なのは昔からで、特に異民族には厳しいことで有名だった。
 1961年にはパリの警視総監モーリス・パポンの指揮下にある警官隊が、アルジェリアの独立を求めるデモ隊に襲いかかり、何十人(何百人という説もある)もの市民を虐殺している。
 今回の暴動後にも警官の組合が声明を出し、暴動に参加した人たちを「野蛮人の群れ」「害虫」と呼び、警察は彼らと「戦争状態にある」と宣言した。
 2020年以降、フランスでは平均すると年に44人が警官に殺されており、この数はドイツやイギリスよりもずっと多い。
 警察を律する法律にも問題がある。
 2017年には、自分や同僚の命に差し迫った危険がない場合でも警官は銃器を使用できるとした法律ができた。ロイター通信の集計によると、警官による銃器使用の権限が拡大されて以降、交通検問中に殺害された人の大半は黒人かアラブ系だという。

 「そうなのか?」と残念な思いです。モーリス・パポンについては以下の記事も紹介しておきます。

仏マクロン大統領、慰霊祭初参加 60年前のアルジェリア人弾圧、謝罪発言はなし:東京新聞 TOKYO Web2021.10.17
 フランスと北アフリカの旧植民地アルジェリア独立戦争中だった1961年10月17日、パリで起きたアルジェリア系移民の弾圧から60年となるのを前に、マクロン大統領が16日、現職大統領で初めて慰霊祭に参加した。大統領府は「許されない犯罪」との声明を出したが、マクロン氏自身からは謝罪の発言はなかった。
 禁止令を出した当時のパリ警視総監は、第2次世界大戦中の親独ビシー政権で多くのユダヤ人を強制収容所へ送ったとして戦後に裁かれ、実刑判決を受けたモーリス・パポン氏(故人)。大統領府の声明は「パポン体制下で行われた許されない犯罪」とする一方、弾圧の実行者が警察官であるとは言及しなかった。

フランスに新たな内政危機 ~警官による少年射殺事件を受け、各地で暴動が続く~ | 田中 理 | 第一生命経済研究所
 極右政党・国民連合のルペン氏が、政府が暴徒や犯罪に甘いと批判し、移民対策の強化や司法制度改革を求めている。議会の最大野党勢力を率いる極左*4政党「不服従のフランス」のメランション氏*5は、警察による暴力行為を非難し、低所得者への支援強化を求めている。

 ということで射殺事件を巡っては右派と左派の主張は対立しています。宮前氏もそうですが小生的には「左派支持」ですが、フランス世論が必ずしもそうではないことが辛い。


◆韓国「98年生まれA氏」の悲劇:過労を超えた「暴労」社会(洪相絃)
(内容紹介)
 韓国の過労死問題が取り上げられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


特集「経済大国・中国の実像」
習近平政権と中国(井手啓治*6、及川淳子*7、梶谷懐*8、山本恒人*9
(内容紹介)
 議論が多岐にわたっていてまとめづらいのですが「俺の興味関心と能力の面から」適当に紹介しておきます。
 習近平*10を「毛沢東」と同一視するかのような「反中国右翼」に多い「一部の主張」に対し、出席者からは「習氏に限らず、現在の中国政治家に毛沢東共産党主席、周恩来首相ら革命第一世代ほどのカリスマ性はない」「例えば、ゼロコロナ政策は世論の批判もあって緩和された」「習近平の共同富裕(格差是正)も反腐敗運動も、国民世論の支持を得なければ政権運営が難しい*11という習なりの危機意識の表れであり、文革的に理解すべきではない」「『習近平思想(習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想)*12』という表現も(習氏ほど名前が露骨に出てないとは言え)『3つの代表江沢民*13国家主席)』『科学的発展感胡錦濤*14国家主席)』など過去の最高指導者の自己アピールと同一のものにすぎないのではないか。名前を前面に出してることだけで、毛沢東思想、鄧小平理論と同一視すべきではない(習が毛や鄧と言った革命第一世代と自己を並べているわけではない)」との認識が示された(小生も概ね同感です)。


◆米中経済関係の行方(中川涼司*15
(内容紹介)
 バイデン政権においても「トランプ政権同様の反中国的外交」が継続されたことについて「バイデン政権の反中国的認識」は「米国の政財官界に広がっている認識」であり、トランプやバイデン個人の個性による物ではないから、そしてそのような米国政府の「反中国認識」を助長した物は「一帯一路*16」「AIIB*17」といった「中国の対外経済進出(米国が中国に脅威を感じた)」との認識が示される。
 しかし、それでも「米中貿易額」は毎年増加傾向にあり、米中双方が落とし所を探っているとされる。


◆中国のIC産業・半導体産業の現状と課題(近藤信一*18
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

中国 アメリカ半導体大手の製品調達禁止発表 輸出規制に対抗か | NHK | 米中対立2023.5.22
 中国政府は、アメリカの半導体大手「マイクロンテクノロジー」の製品について、セキュリティー上の問題があり国家の安全に影響を及ぼすとして中国国内での情報インフラ用としての調達を禁止すると発表しました。
 アメリカ政府が中国向けの半導体の輸出規制を強化する中、対抗するねらいがあるとみられます。
 マイクロンテクノロジーの製品の中国国内での売上は去年、およそ33億ドル、日本円で4500億円余りと会社の売上全体の10%を占めています。

中国 半導体の材料などの希少金属 きょうから輸出規制を実施 | NHK | 中国2023.8.1
 中国政府は、半導体の材料などに使われる希少金属ガリウムゲルマニウムの関連品目について、きょうから輸出規制を実施します。(ボーガス注:中国を脅威視し、中国に対し)先端半導体などの輸出規制を行うアメリカや、(ボーガス注:『宗主国』米国に同調し、中国に対し)製造装置の輸出管理を厳しくする日本に対してけん制するねらいがあるとみられます。


習近平政権の統治手法と世論の反応(阿古智子*19
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

中国ゼロコロナ抗議 「自分たちも抑圧」気づく 東京大・阿古智子教授 - 産経ニュース2022.11.28
 東京大学の阿古智子教授は28日、産経新聞との取材に応じ、中国各地で起きている政府への(ボーガス注:ゼロコロナ)抗議デモについて、「自分たちも抑圧されていることに気づいている」などと指摘した。主な見解は以下の通り。
◆阿古
 今は若者の失業率も高く、就職先も見つからないなど希望が見いだしづらい状況だ。
 新疆や香港の問題で目をつぶっていた人々が、(ボーガス注:ゼロコロナで)「自分たちも抑圧されている」と気づき始めたのかもしれない。
 これだけ表立った批判*20は習指導部発足後で初めてではないか。「天安門事件の再来」となるかは分からないが、今後、大きなうねりにつながる可能性もある。しばらく混乱状態が続きそうだ*21。(聞き手・桑村朋)

 上記のコメントからは阿古氏がかなり習近平政権に否定的な認識であること(実際、『経済』誌でのコメントもかなりそうしたテイストが強い)が窺えますが個人的には「一面的すぎないか(習政権に過剰に否定的で、白紙革命 - Wikipediaなどの批判運動に対して過剰に肯定的でないか)」とは思います。そもそも「明らかに日本の反政府運動(野党、市民団体など)を敵視する産経相手に阿古氏がこうした発言をすること」にも俺的には「何だかなあ」感が否定できませんね。

参考

白紙革命 - Wikipedia
 中国で2022年11月26日から12月頃まで続いた各地で白い紙などを持って集まり、中国政府のいわゆるゼロコロナ政策を批判する一連の抗議運動のこと。
 白紙革命では掲げられたのは白い紙だけではなく、フリードマン方程式が書かれたものも散見された。フリードマン方程式は宇宙膨張を表す方程式であり、この理論に基づく宇宙の未来を中国語では「開放宇宙」といい、ロックダウンからやがて開放するという意味ではないかとされる。またイギリスで亡命生活を送っている香港の活動家・羅冠聡はフリードマンの発音が「free man」に似て、「自由」への訴求を表していると解釈している。
 なお、イェール大学のダン・マッティングリー助教授(政治学)は「1989年の天安門事件のような騒乱にはほど遠い」と指摘している。

習近平政権への抗議活動、中国でネット上の呼びかけ広がる「独裁者失脚まで」「白紙掲げて抗議」 : 読売新聞2023.7.22
 中国四川省成都*22で28日に開幕する大学生年代の国際総合大会「世界ユニバーシティー大会」を前に、成都などで大会期間に合わせた習近平政権に対する抗議活動実施の呼びかけが、インターネット上で広がっている。
 ツイッターの投稿は、昨年に新疆ウイグル自治区ウルムチで起きた火災を機に広がったゼロコロナ政策への抗議活動「白紙運動」と同様に白紙を掲げて抗議の意を示すとしている。「独裁者が失脚するまで抗議は続く」とも呼びかける。
 白紙運動では習政権に多数の若者らが拘束された。今回、事前に呼びかけが公開されたことで「当局の取り締まりを受ける」と心配する人もいる。


◆大軍拡とSC(セキュリティ・クリアランス)制度法制化の危険性(井原聰*23
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
経済安全保障法案に対する井原東北大学名誉教授の陳述(要旨)/衆院内閣委 参考人質疑2022.4.1


◆「資本論」の周辺⑤『マルクスエンゲルスアメリカ(上)』(友寄英隆*24
(内容紹介)
 マルクスと米国との関係について「南北戦争」等をネタに論じられています。
【参考:マルクス南北戦争

定年後の読書ノート44『南北戦争・リンカーン・ジャーナリスト「マルクス」』大阪市大・本多健吉著、有斐閣
 1850年マルクスは、アメリカの金鉱発見を大きく評価している。世界貿易におけるアメリカの地位向上とアジアへの資本投下を資本主義の全世界への普及と捉えている。
 (ボーガス注:米墨戦争(米国・メキシコ戦争)で)メキシコから割譲されたカリフォルニアに関し、これを奴隷州にするか、自由州にするか、奴隷制反対論者と奴隷所有者の対立が激しさを増していた。1860年共和党大統領候補リンカーンの当選に対し、南部奴隷州はアメリカ連合結成で答え、4年間に及ぶ内戦が始る。
 マルクスの基本的な考え方は、これは奴隷制と自由労働制という相容れない2つの社会制度の間の闘争であり、いずれか一方が勝利するまでは終らない、何故ならば、これはこの戦争を北部の保護貿易制度と南部の自由貿易制度の間の闘争であるとみて、イギリスが自由貿易制度の側に立つべきことを主張したり、北部の頑迷さを主張したりする、当時のイギリスの論調に対し、マルクスは対立するものであった。
 2つの社会制度の一方は「いままでに実現された人民自治の最高の形態」であるのに対し、他方は「歴史の年代記に記録された人間の奴隷化の最もいやらしく恥しらずな形態」だとみるマルクスは、遅れた社会制度に対する進んだ社会制度の経済的・政治的優位性からして、その最終的な勝利は疑うべくもないと断言していた。
 マルクスは終始労働者階級の立場から事態の本質的な側面に注意を払い続けてきた。後にマルクスが執筆した国際労働者協会総評議会からリンカーンにあてた手紙の中で、白人労働者が自分の主人を選ぶ権利を持つことを黒人に比べて特権であると得意になっているあいだは、真の労働の自由を獲得し得ないと指摘している。
 南北戦争は1865年南部軍の降伏をもって終結したが、マルクスは手紙の中でリンカーンを「労働者階級の誠実な息子」と呼んでその功績を称えている。

参考/アメリカ南北戦争の背景
 マルクスは、南北戦争の勃発直後からこの戦争に注目し、アメリカの奴隷制度について詳しく調べ、奴隷制と民主主義とは両立しないことを強調しました。
 マルエン*25全集15巻には、この戦争開始直後の評論が収録されています。
 「北アメリカの内戦」では、イギリスの新聞、週刊誌の、「北部と南部との戦争は、関税戦である。そのうえ、この戦争は無原則的な戦争であり、奴隷問題には関係なく、事実上は北部の主権欲が問題なのである」という論調に対し、マルクスは、「関税問題は口実にすぎない」、「武力による奴隷制の対外的拡大が、〔南部の〕国家政策の公然たる目標」となっている、「全運動は、みられるとおり奴隷問題を基礎としていたし、いまも基礎としている。それは、現存の奴隷諸州内部の奴隷がただちに解放されるべきかいなかという意味でではなく、北部の二〇〇〇万の自由人が今後も三〇万の奴隷所有者の寡頭制に屈従すべきかどうか、また共和国の広大な諸准州が自由諸州の育成地となるべきか、それとも奴隷制のそれとなるべきか、最後に連邦の国家政策がメキシコ、中央および南アメリカへの奴隷制の武力的普及をそのスローガンとすべきかどうかという意味においてである」と論評しています。
 また、「合衆国の内戦」では、アメリカの自由な国家(ブルジョア国家)としての発展にとって奴隷制が障害になっていること、民主主義と相容れないこうした奴隷制を南部(南軍)は拡大しようとしており、これを容認すれば「白人の労働者階級は、しだいにヘイロテス(スパルタ国家の奴隷)の水準へとおとしげられてゆく」、「(北部の差別されていた)ドイツ人およびアイルランド人、あるいはその直接の子孫」は、南部の黒人と同じ運命にあると説きました。「現在の闘争は、二つの社会制度、奴隷制と自由労働制とのあいだの闘争にほかならない。両制度が、もはや、北アメリカ大陸上に平和的に共存することができえないがゆえに、この闘争が勃発したのである」としています。

マルクスに自身を重ねる?=リンカーン大統領への書簡紹介-志位共産委員長 | ずるずるべったん、剛毅果断に生きる - 楽天ブログ2009.6.10
 6月10日付時事通信によれば、
マルクスに自身を重ねる?=リンカーン大統領への書簡紹介-志位共産委員長
 「マルクス奴隷制を打ち破ったリンカーンに心からの祝辞を述べ、リンカーンは返書を送った。大先輩の間でやりとりがあったことは興味深い」。
 共産党志位和夫委員長は10日の日本記者クラブでの講演で、南北戦争(1861~65年)末期のエピソードを紹介、共産党の立場は(ボーガス注:米国帝国主義批判ではあっても)必ずしも「反米」ではないとアピールした。
 志位氏は4月、「核兵器のない世界」を目指すと宣言したオバマ米大統領にあてて、賛同する書簡を送達。
 米国政府からは返書が届いた。
 講演でも、米国について「革命と独立の歴史に深い尊敬の念を抱いている」と称賛。
 リンカーン大統領に手紙を送った「共産主義の父」に、自らの行動を重ね合わせているようだった。

リンカーンとマルクスは友だち? - 針谷みきおの一言 集まり処「はんの木」情報2010.5.14
 私が注目したのは「リンカーンマルクスの交流について」です。志位和夫委員長は7日、連邦議会共和党のトーマス・ピートライ下院議員(ウィスコンシン州)と懇談しました際のエピソードに触れ、その中で、マルクスリンカーンの交流について語ったそうです。

「綱領教室」志位委員長の第9回講義/●第4章 民主主義革命と民主連合政府(1)/先駆的な民主主義革命論2011.12.22
 志位さんは、マルクスリンカーンが歴史的に重なる時代に生きたこと*26を、ホワイトボードに書いた略年表で示しながら講義を進めました。
 リンカーンは、1861年~65年のアメリカ大統領で、南北戦争をたたかい、その最中に奴隷解放宣言を出しました。
 そのリンカーンが、64年の大統領選で再選された際、マルクスは国際労働者協会(インタナショナル)の委託を受けて祝辞を送り、「一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地」としてアメリカを民主主義の発祥の地と特徴づけました。リンカーンマルクスに返書を書き、「新たな励ましとして、努力を続ける」と伝えました。
 うなずきながらメモを取っていた受講生が、いっせいに顔をあげたのは、志位さんが「最近になって、この交流は偶然のものでなく、興味深い背景があったことを知りました」とのべて、一冊の本を取り出したときです。今年、アメリカで出版された『“S”で始まる言葉:アメリカの伝統としての社会主義小史』です。
 志位さんは、この本のページをめくりながら、リンカーンは、マルクス・エンゲルスが1851年から62年にかけて多数の政治論評を寄稿していた新聞「ニューヨーク・トリビューン」の熱心な読者だったことを紹介すると、「ほーっ」と驚きの声があがりました。
 同書では、リンカーンが、大統領に就任する前のイリノイ州での「トリビューン」の最も熱心な読者だったこと、「未来の大統領は、『トリビューン』とその最も有名な欧州通信(マルクスの論説のこと)を熟読することで、遠隔地の分裂(ヨーロッパの階級対立)と国内の出来事を関連づけて考察していたことは疑いない」と書いています。
 志位さんは続けます。
◆1848年のヨーロッパ革命ののちにアメリカに逃れてきた、マルクスの友人も含むドイツの多くの革命家が南北戦争に参加し、重要な役割を担った。
マルクスは、南北戦争が「(ボーガス注:南部の独立を阻止する)連邦存続の戦争」から「奴隷制廃止戦争」に発展せざるを得ないと予見したが、事実はその通りにすすんだ。
リンカーンは、就任後初の一般教書演説で「労働は資本に優越し、より高位に位置づけられるにふさわしい」とのべ、南北戦争奴隷解放だけでなく「労働者の権利のための戦争」であると語った。
 「20世紀に入ってアメリカは帝国主義の道を歩むことになりましたが、科学的社会主義の創設者の一人と、アメリカ共和党の創設者が、大西洋をはさんでこうした絆で結ばれていたことは、興味深いことではないでしょうか」

きょうの潮流 2011年12月25日(日)
 リンカーンは、マルクスの筆名入り記事を盛んに載せていた米紙「トリビューン」の、もっとも熱心な読者だった。彼は、マルクスに連なる社会主義者に、戦争省や南北戦争の現場の大仕事を任せた。彼の一般教書は、マルクスの思想の影響もうかがわせる…▼講義をきき、思い当たりました。マルクスにもリンカーンの影響かと思わせる文章があった、と。1871年のパリ・コミューンを論じた、「フランスにおける内乱」の草稿です。
「(コミューンは)人民自身の社会生活を人民の手で人民のために回復したものであった」(村田陽一訳)
▼ふつう「人民の、人民による、人民のための政治」と訳されている、リンカーンの言葉に重なります。1863年の、ゲティスバーグ演説です。マルクスは、「フランスにおける内乱」の本文でも、「人民による人民の政府」という言葉をつかっています。

内田樹×石川康宏『若者よマルクスを読もうⅢーアメリカとマルクスー生誕200年に』2019.8.27
 内田樹が京都・妙心寺でおこなった講演「アメリカとマルクスマルクス主義ー受容と凋落」によれば、マルクスアメリカへの移住を真剣に望み、計画していたという。
 まだ日本では出版されていない『未完の革命ーマルクスリンカーン』という本によれば、マルクスアメリカへの、とくにテキサスへの移住を真剣に考えていた。彼は生地トリーア市長に手紙を書いて移民のための申請書類を要求することまでしていた。
 生前のマルクスアメリカには、密接な関係があった。
 1864年リンカーンの大統領再選の時に、マルクスは第1インターナショナルを代表して祝電を送り、その1か月後駐英アメリカ大使がリンカーンからの謝辞を第1インター事務局に伝えた。
 『ルイ・ボナパルトのブリューメル一八日』は、アメリカに移住したドイツ人活動家たちの機関誌『革命』に、フランスで起きていることの時事解説としてロンドンから寄稿したものだった。
 そのころから、発行部数20万部という、当時ニューヨーク最大の日刊紙『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』と特派員の契約を結び、1952~61年の10年間、400を越す記事を書いた。うち84本はマルクスの署名無しで『トリビューン』の社説として発表された。この時期、マルクスの生計は特派員としての報酬でまかなわれた。
 マルクスエンゲルスとともにドイツ三月革命(1848年)を闘ったヨーゼフ・ヴァイデマイヤーは、アメリカに逃れ、アメリカ労働者同盟を組織、南北戦争が始まると30万人のドイツ系移民とともに北軍に加わって勝利に貢献する(スゴイ!)。
 マルクスの10歳年下のフリードリヒ・ゾルは、同じくアメリカに逃れ、会員2万人の第1インターニューヨーク支部を組織する。1974年には、第1インターの本部がロンドンからニューヨークに移され、ゾルゲは中央評議会書記長に選出された(この人はゾルゲ事件リヒャルト・ゾルゲの祖父の兄弟)。

 「フリードリヒ・ゾルゲ」、「リヒャルト・ゾルゲ」については以下も紹介しておきます。

リヒャルト・ゾルゲ - Wikipedia
 父方の大叔父フリードリヒ・アドルフ・ゾルゲはカール・マルクスの秘書であり、第一インターナショナル・ハーグ大会後の第一インターナショナル・ニューヨーク本部の書記長であった。

リヒャルト・ゾルゲ - Wikipedia
 ゾルゲ事件の首謀者として死刑判決を受け、処刑された。
【死後の評価】
 ゾルゲ逮捕当時、陸軍次官であった富永恭次*27(1892~1960年)によれば、日本側はゾルゲと日本人捕虜の交換を何度もソ連大使館に要求しているが、ソ連側はその都度「リヒャルト・ゾルゲという人物は知らない」と回答しゾルゲを見捨てたという。富永は、戦後に満州で捕虜(当時、第139師団長)となると6年もの長きに渡って尋問を受けていたが、同じ監獄にいた、二重スパイ容疑で尋問を受けていたソ連のスパイ組織「赤いオーケストラ」のレオポルド・トレッペル(1904~1982年)にゾルゲの話をしている。トレッペルは富永の話を聞くと、足手まといとなるゾルゲを助けるよりは、そのまま処刑された方がいいという判断をソ連中央が下し、その判断は自分たち「赤いオーケストラ」や「ゾルゲの上司」ヤン・ベルジン*28(1889~1938年)と同じように、ゾルゲが二重スパイだという嫌疑をかけられていたからであったと推測している。このように戦後もソ連の諜報史からゾルゲの存在は消し去られていた。
 1961年、映画『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』が日仏合作で作成され、スターリン批判を行ったフルシチョフ*29(1894~1971年)の判断でモスクワで封切りされたのをきっかけに再評価される。1964年11月5日にゾルゲに「ソ連邦英雄」の称号が贈られた。
 以後、ゾルゲは「ソ連と日独の戦争を防ぐために尽くした英雄」として尊敬され、ソ連の駐日大使が日本へ赴任した際には多磨霊園にあるゾルゲの墓に参るのが慣行となった。ソ連崩壊後もロシアの駐日大使がこれを踏襲している。

「日本の友人、ナチスと戦った」 ゾルゲ追悼上映会で―退任目前のロ大使:時事ドットコム2022.11.8
 近く退任するロシアのガルージン駐日大使が7日夜、旧ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲについて「日本の友人、ドイツの友人、いろいろな国の友人のとても強い支援をいただいて(ナチス・ドイツとの)戦争を最終的な勝利へ、大きな貢献をした」と主張した。東京都港区の在日ロシア大使館での映画「スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ」(来年2月日本公開)特別上映会の舞台あいさつで語った。

池上彰氏「ロシアで神格化するスパイ・ゾルゲの存在」 (2ページ目):日経ビジネス電子版2023.3.23
 ゾルゲが近年、ロシアでブームになっています。2016年に開通したモスクワ市内を走る地下鉄の新駅が「ゾルゲ駅」と名付けられました。カリーニングラードなどの都市には「ゾルゲ通り」も出現。2019年にロシアの国営テレビが「ゾルゲ」という連続ドラマを制作したのに続き、映画が公開され、銅像や胸像の設置も増えているそうです。
 ゾルゲは日本で処刑され、東京の多磨霊園に墓地があります。11月7日の命日には、在日ロシア大使館員や駐在武官が墓参りに訪れています。

キーウ市「ゾルゲ通り」廃止=日本ゆかりの詩人に変更 | 時事通信ニュース2023.5.19
 ロシアの侵攻を受けるウクライナの首都キーウ(キエフ)市議会は18日、地下鉄駅や通りに残る旧ソ連・ロシア風の名称を改めた。決定によると、太平洋戦争前に東京で活動したスパイの名を冠した「リヒャルト・ゾルゲ通り」は廃止。代わりに大正時代に訪日したウクライナ系の詩人から「ワシリ・エロシェンコ通り」とした。
 エロシェンコは日本で文化人と交流。身を寄せた新宿中村屋のメニューにウクライナ発祥のボルシチが残ったほか、洋画家の中村彝が描いた「エロシェンコ氏の像」(東京国立近代美術館蔵)が知られている。
 決定ではこのほか、ロシア文豪にゆかりがある地下鉄の駅名「レフ・トルストイ広場」を「ウクライナ英雄広場」に改称するなどした。 

【特別対談】内田樹×鹿島茂 カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を読む (その1)|ALL REVIEWS 友の会 公式2019.10.28
 『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』は『共産党宣言』を発表したカール・マルクスが、アメリカに亡命したドイツ人のためにドイツ語で、フランスで起こっているクーデターを説明、論考した本。ブリュメール18日とは、ナポレオン・ボナパルトが第一統領となったクーデターの名前で、一般的にはフランス革命の終焉を意味する言葉。『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』とは皇帝ナポレオン一世の甥であるルイ・ボナパルト大統領がクーデターを起こし、皇帝ナポレオン三世となったことを、ブリュメール18日になぞらえたもの。ルイ・ボナパルトがクーデターを起こしたのは1851年12月2日、皇帝に即位したのが1852年12月2日。マルクスが本著初版を書いたのは1852年と、まさに同時代レポートです。
 内田さんがあげるこの本の特徴は、ターゲットとなる読者がはっきりしていること。この本はそもそも、ロンドン在住のマルクスが、アメリカに渡ったドイツ移民向けに新聞記事として連載したものです。序文に書いてあるとおり、在ニューヨークのドイツ人ヴァイデマイヤーの依頼により、在米ドイツ人に対し、フランスで起こっている保守反動の動きを説明してほしいという依頼があり書かれたもの。
 当時、ドイツは1848年の革命が失敗し、多くの自由主義者アメリカに亡命していました。アメリカは、後にホームステッド法(1862年制定。アメリカの未開発の土地160エーカーを無償で払い下げる制度)の前身となる21才以上で5年間定住すれば160エーカーの土地がもらえるという制度が始まろうとしており、ドイツ人には理想の国という認識も広まっていました。マルクス自身テキサスへの移住を考えていたそうです。
 1848年の革命失敗を機にアメリカに移住したドイツ人はフォーティーエイターと呼ばれ、多くは高学歴者でした。彼らは、欧州の情勢にも大変興味があったのですが、フランスで起こっていることは奇々怪々でした。フランスは、折角、普通選挙を実施し、議会制民主主義への道を歩みだしたのに、なぜ(ボーガス注:ルイ・ボナパルト(後に皇帝に即位しナポレオン3世)の)独裁政権を支持するのか?。亡命ドイツ人には理解しがたいことでした。
 マルクスの文章はこの時代のアメリカにも大きな影響を与えました。南北戦争北軍の主力部隊は特にマルクスの影響を色濃く受けています。本を出版したヴァイデマイヤーは北軍の大佐でした。

弁護士会の読書:南北戦争の時代2019.12.11
 アメリカのリンカーン大統領とカール・マルクスは同時代に生きていました。マルクスリンカーンに大統領就任を祝う手紙を送っていたことは知っていましたが、マルクス自身がアメリカへの移住を真剣に考えていたというのは本書を読んで初めて知りました。
 マルクスは、1845年に「北米移住のため」、具体的にはテキサスへの移住を真剣に考え、そのためプロイセン国籍を離脱し、無国籍者になった。マルクスは、結局はイギリス・ロンドンに移住したわけですが、ヨーロッパ系移民を積極的に受け入れるというアメリカの法律にひかれたようです。そして、リンカーン大統領が再選を果たしたあと、それを祝うメッセージを送ったのでした。

トランプとミリシア - 内田樹の研究室2020.7.5
 南北戦争の頃、ドイツからの移民にヨーゼフ・ヴァイデマイヤーという人がいた。彼は『新ライン新聞』以来のマルクスエンゲルスの同志で、米国最初のマルクス主義組織・アメリカ労働者同盟の創立者だった。彼はリンカーン奴隷解放大義に賛同し、ドイツ移民たちを糾合して義勇軍を組織し、北軍大佐としてセントルイス攻防戦を指揮した。戦争が終わると再び政治活動に戻り、ロンドンの第一インターナショナルと連携して、米国における労働運動の組織化に努めた。

アメリカ大統領選を総括する - 内田樹の研究室2020.12.30
 これまであちこちで書いていることですけれど、カール・マルクスがニューヨークのドイツ語誌「革命」のために『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』を書いたのは、1852年のことです。それを読んだ「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」のオーナーのホレース・グリーリーがロンドンのマルクスに「ロンドン特派員」のポストをオファーしました。生活に困っていたマルクスはこのオファーに飛びついて、以後10年間にわたって400本以上の記事を書き送りました。うちいくつかは無署名で「トリビューン」の社説として掲載されました。「トリビューン」はニューヨークの人口が50万人だった当時に発行部数20万部を誇る超メジャーなメディアでした。「トリビューン」を通じて、ニューヨークの知的読者たちは南北戦争前の10年間、ほぼ10日に1本ペースでマルクスの書く政治経済の分析記事を読み続けたのです。マルクスはイギリスのインド支配、アヘン戦争アメリカの奴隷制などについて、同時代の政治的問題について健筆を揮いました。南北戦争前の北部の政治的意見の形成にマルクスはダイレクトにかかわっていたのです。
 アメリカで最初のマルクス主義政治組織「ニューヨーク・コミュニスト・クラブ」が創建されたのは1857年です。73年には第一インターナショナルの本部がロンドンからニューヨークに移転してきます。
 つまり、南北戦争をはさんだ30年間くらいというのは、アメリカは言論の面でも、組織や運動の面でも、世界の社会主義のセンターだったのです。このままゆくと、1880~90年代にアメリカでは世界で最も早く社会的平等が実現するかに思えました。ところがそうならならなかった。アメリカでは1870年代にぴたりと労働運動・市民運動の思想的・組織的進化が止まってしまう。「アメリカン・ドリーム」のせいです。
 1862年に、リンカーンによってホームステッド法が制定されました。国有地に5年間定住して、農業を営んだ者には160エーカーの土地が無償で与えられるという法律です。この法律のおかげで、ヨーロッパで小作農や賃金労働者だった人たちが自営農になるチャンスをめざしてアメリカに殺到しました。これによってアメリカの西部開拓は可能になったのです。
 1848年のカリフォルニア・ゴールドラッシュ以来多くの貧者が「一山当てる」ことをめざして西へ向かいました。1901年にはスピンドルトップで石油が噴き出した。アメリカの大地には無尽蔵の自然資源が埋蔵されているように見えました。チャンスに恵まれれば、極貧の労働者が一夜にして富豪になるということが実際に起きたのです。この時代を「金ぴか時代」(the Gilded Age)と呼びます。「鉄道王*30」とか「石油王*31」とか「鉄鋼王*32」とか「新聞王」とかが相次いで登場したのはこの頃です。昨日まで自分の隣で一緒に働いていた貧しい労働者が、おのれの才覚と幸運だけで「王」のような御殿に暮らして、贅沢の限りを尽くしている。そういう実例を見せつけられていると、「鉄鎖の他に失うべきものを持たないプロレタリア」を(ボーガス注:労組に)組織して、雇い主と戦って雇用条件を引き上げようというような「たらたらしたやり方」に耐えられないという労働者が出てきても不思議はありません。そうやって人々を夢見心地にさせた「アメリカン・ドリーム」のせいでアメリカの社会主義労働運動は、支え手を失って短期間のうちに空洞化したのでした。

アメリカとマルクス - 内田樹の研究室2022.11.13
 マルクスアメリカの間には浅からぬ因縁がある。
 19世紀のアメリカには「ホームステッド法」というものがあった。一定期間公有地で耕作に従事すると土地を無償で与えるという法律である。自営農になることを夢見て多くの人がアメリカに渡り、西部開拓の推進力になった。マルクスはこれを「コミュニズムの先駆的実践」と高く評価していた。マルクス自身も(果たせなかったが)テキサスに移民するという計画を立てていた。
 アメリカにはマルクスの知人、友人が多くいた。1848年の(ボーガス注:ドイツ)市民革命失敗の後に、官憲の追跡を逃れて多くの社会主義者自由主義者たちがアメリカに渡ったからである。彼らは「48年世代(フォーティ・エイターズ)」と呼ばれた。
 その中にヨーゼフ・ヴァイデマイヤーというプロシャの元軍人がいた。『新ライン新聞』以来のマルクスエンゲルスの友人で、ニューヨークで雑誌を創刊した。その少し前にフランスではナポレオン三世のクーデタが起きた。それについて「いったいどういう歴史的条件下で起きた事件なのか解説して欲しい」と旧友マルクスに寄稿を求めた。マルクスが書き送ったのが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』である。
 「ロンドンに切れ味のよい政治記事を書く男がいる」ということが評判になり、当時ニューヨーク最大の発行部数を誇った『ニューヨーク・トリビューン*33』の編集長ホレス・グリーリー*34がロンドンのマルクスに特派員のポストをオファーした。経済的に窮迫していたマルクスはこの申し出を受け入れ、1852年から61年までの10年間に400本を超える記事を書き送った。いくつかは社説として掲載された。扱ったテーマは英国のインド支配、アヘン戦争アメリカの奴隷制度などなど。ニューヨークの知識人たちは南北戦争直前の10年間、ほぼ10日に1本ペースでマルクスの状況分析を読んでいたのである。あまり言う人はいないが、実はマルクス南北戦争前の北部の世論形成に深く関与していたのである。
 戦争が始まると、奴隷解放を社会的公正の実現と評価する「48年世代」は当然北軍に身を投じた。64年のリンカーン再選の時、第一インターナショナルは祝電を送り、リンカーンはこれに「アメリカ合衆国はヨーロッパの労働者たちの支援の言葉から闘い続けるための新たな勇気を得ました」という謝辞を返している。これだけの縁がありながら、今アメリカ政治を論じる人たちのうちでマルクスの関与に言及する人はほとんどいない。二度にわたる「赤狩り」(一度目はミチェル・パーマーによる、二度目はジョセフ・マッカーシーによる)によって、アメリカ史からマルクスの痕跡はあとかたもなく拭い去られてしまったからである。
 先日、西部劇映画の政治性を検証するというテーマで授業をした。その時ジョン・フォード*35監督の『リバティ・バランスを射った男』を観た。東部のロースクールを出たばかりの青年弁護士ランス(ジェームズ・スチュアート*36)が西部でタフな野生の男(ジョン・ウェイン*37)と出会って、成長を遂げるという物語である。映画の中に「どうしてあんたみたいなインテリが西部に来たんだ」と問われて、ランスが「ホレス・グリーリーの『青年よ、西部をめざせ』というスローガンに感化されて」と答える場面があった。マルクスアメリカに呼び込んだグリーリーは「リバティ・バランスを射った男」を西部に送り出してもいたのである。「アメリカは深い」と思わず嘆息を洩らした。

*1:オバマ政権副大統領補佐官(国家安全保障担当)、国務副長官等を経てバイデン政権国務長官

*2:連邦準備制度理事会副議長、議長等を経てバイデン政権財務長官

*3:著書『あなたは何時間働きますか?:ドイツの働き方改革と選択労働時間』(2018年、本の泉社)、『新版・企業別組合マルクス・エンゲルスの労働者組合論』(2019年、共同企画ヴォーロ)、『増補改訂版・企業別組合は日本の「トロイの木馬」』(2019年、本の泉社)、『「労働組合」の過去・現在・未来』(2022年、共同企画ヴォーロ)など

*4:原文のまま。なお、小生はメランションが極左だとは思っていません。

*5:ジョスパン内閣で職業教育相

*6:長崎大学名誉教授、立命館大学名誉教授。著書『中国社会主義と経済改革』(1988年、法律文化社

*7:中央大学教授。著書『現代中国の言論空間と政治文化』(2012年、御茶の水書房

*8:神戸大学教授。著書『「壁と卵」の現代中国論』(2011年、人文書院)、『現代中国の財政金融システム』(2011年、名古屋大学出版会)、『日本と中国経済』(2016年、ちくま新書)、『中国経済講義』(2018年、中公新書)等。どう見ても左派とは思えない梶谷が登場するのが意外です。

*9:大阪経済大学名誉教授

*10:廈門市副市長、福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席等を経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*11:これについては以前、積極支持ではない消極的支持(諦め)であれ、「デマ扇動やメディア統制による詐欺的支持獲得(いわゆるポピュリズム)」であれ、国民の支持無しでは独裁は成り立たない(追記あり) - bogus-simotukareのブログ(2022.11.23)で論じました。

*12:これについては習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想(習近平思想)|コラム|21世紀の日本と国際社会 浅井基文のページを紹介しておきます。

*13:1926~2022年。電子工業大臣、上海市長、党委員会書記等を経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*14:中国共産主義青年団第一書記、貴州省党委員会書記、チベット自治区党委員会書記等を経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*15:立命館大学教授。著書『国際経営戦略:日中電子企業のグローバルベース化』(2000年、ミネルヴァ書房)、『中国のIT産業』(2007年、ミネルヴァ書房

*16:「一帯」構想は習総書記の2013年9月7日のカザフスタンのナザルバエフ大学での演説、「一路」構想は2013年10月3日のインドネシア国会での演説でアジアインフラ投資銀行(AIIB)とともに初めて提唱された。2017年10月の中国共産党第十九回全国代表大会で、党規約に「一帯一路」が盛り込まれた。(一帯一路 - Wikipedia参照)

*17:中国が2013年秋に提唱。2015年12月25日に発足し、2016年1月16日に開業式典を行った。G7諸国の内、英仏独伊カナダが参加する一方、日米は未だに参加していない。(アジアインフラ投資銀行 - Wikipedia参照)

*18:岩手県立大学准教授

*19:東京大学教授。著書『増補新版・貧者を喰らう国』(2014年、新潮選書)、『香港・あなたはどこへ向かうのか』(2020年、出版舎ジグ)

*20:いわゆる白紙革命 - Wikipediaのこと

*21:『ゼロコロナの緩和(アメ)と厳しい取り締まり(ムチ)』で抗議運動(いわゆる白紙革命 - Wikipedia)が下火になった現状を考えるに「運動に対する過大評価も甚だしかった」のではないか。

*22:四川省省都

*23:東北大学名誉教授

*24:著書『「新自由主義」とは何か』(2006年、新日本出版社)、『変革の時代、その経済的基礎』(2010年、光陽出版社)、『「国際競争力」とは何か』(2011年、かもがわ出版)、『大震災後の日本経済、何をなすべきか』(2011年、学習の友社)、『「アベノミクス」の陥穽』(2013年、かもがわ出版)、『アベノミクスと日本資本主義』(2014年、新日本出版社)、『アベノミクスの終焉、ピケティの反乱、マルクスの逆襲』(2015年、かもがわ出版)、『「一億総活躍社会」とはなにか』(2016年、かもがわ出版)、『「人口減少社会」とは何か:人口問題を考える12章』(2017年、学習の友社)、『AIと資本主義:マルクス経済学ではこう考える』(2019年、本の泉社)、『コロナ・パンデミックと日本資本主義』(2020年、学習の友社)、『「デジタル社会」とは何か』(2022年、学習の友社)、『「人新世」と唯物史観』(2022年、本の泉社)など

*25:マルクス・エンゲルスの略

*26:マルクスは1818~1883年、リンカーンは1809~1865年

*27:参謀本部第2課長、関東軍第2課長(当時、東条英機関東軍参謀長)、近衛歩兵第2連隊長、参謀本部第4部長、参謀本部第1部長、陸軍省人事局長、陸軍次官(陸軍省人事局長就任は東条陸軍大臣時代、陸軍次官就任は東条首相時代だが東条の首相辞任により、東条の側近とみられていた富永は失脚)、第4航空軍司令官、第139師団長など歴任

*28:1924年3月から1935年4月まで、労農赤軍参謀本部第4局長として軍諜報機関の基礎を作った。しかし、スターリン大粛清によってベルジンは1937年11月27日に逮捕され、1938年7月29日に死刑を言い渡され銃殺された。1956年、名誉回復がなされた。(ヤン・ベルジン - Wikipedia参照)

*29:ウクライナ共産党第一書記、ソ連共産党第一書記、首相を歴任

*30:例としては南満州鉄道の日米共同経営を提案したエドワード・ヘンリー・ハリマン。日露戦争後の1905年10月、桂太郎首相とハリマンとの間に「桂・ハリマン協定(南満州鉄道の日米共同経営)」が締結されたが、小村寿太郎外相の強い反対により破棄された(エドワード・ヘンリー・ハリマン - Wikipedia参照)

*31:例としてはジョン・ロックフェラー(スタンダード石油創業者)

*32:例としてはアンドリュー・カーネギー

*33:1841~1924年まで発行された日刊新聞。1924年赤字経営に陥っていた『ニューヨーク・ヘラルド』を併合、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』に改題され1966年まで発行された(ニューヨーク・トリビューン - Wikipedia参照)

*34:1811~1872年。1872年米国大統領選挙で自由共和党から出馬(ホレス・グリーリー - Wikipedia参照)

*35:1894~1973年。1935年に 『男の敵』、1940年に『怒りの葡萄』、1941年に『わが谷は緑なりき』、1952年に『静かなる男』でアカデミー監督賞受賞(監督賞4回受賞は史上最多受賞)(ジョン・フォード - Wikipedia参照)

*36:1908~1997年。1940年、『フィラデルフィア物語』でアカデミー主演男優賞受賞(ジェームズ・ステュアート (俳優) - Wikipedia参照)

*37:1907~1979年。1969年、『勇気ある追跡』でアカデミー主演男優賞受賞(ジョン・ウェイン - Wikipedia参照)