関東大震災の虐殺100年によせて9 - 高世仁のジャーナルな日々
杉良太郎*1、見なおした。
(ボーガス注:9月20日の朝日新聞夕刊一面記事によれば)44歳のときから35年間、ベトナムの孤児たちを支援しつづけ、なんと200人もの里子を迎えてきたという。
売名かなと思っていたが、それだけで35年も持続できない。いや、ここまでくれば、たとえ売名でもいいよ。立派。
「たとえ売名でも立派」はまあいいとしましょう。
問題はいかに「善行」「美談」とはいえ、社会面や家庭面ならともかく「朝日新聞夕刊1面」で大々的に報じるべき話なのかと言うことです。
杉が大物芸能人であることを考えれば「ジャニー喜多川への忖度(性加害を見て見ぬふり)」のような「杉への朝日の媚態(テレビ朝日で放送予定の時代劇に出演して欲しい等)」と疑われても仕方ないのではないか?。
これほど「ジャニーズ問題」でマスコミが批判されてるとき(そしてそのマスコミには朝日新聞やテレビ朝日も入ってる)に「特定芸能人を持ち上げる記事を書く」というのは根本的に「センスがおかしい」気がします。
NHKの朝ドラ「らんまん」が関東大震災にさしかかった。
植物の標本をとりに家に戻るという万太郎に、息子が、「慶応大学では武器庫が破られて武器が持ち出されている。人間がおかしくなっている。植物どころじゃない」と止めようとするシーンがあった。
吉村昭*2『関東大震災*3』を読んでいたら、朝鮮人に関する流言がひろまるや、自警団が一斉に武装し、「凶器を手にするため慶応大学の銃器庫に押し寄せさえした」との記述があった。
《9月2日夕刻、東京市芝区*4三田方面では、朝鮮人来襲の流言におびえた住民多数が慶応大学構内に避難した。その際前田某という青年団の幹部が、朝鮮人に対抗する武器を入手しようとして他の青年団員を指揮して同大学倉庫に入り、銃及び剣を持ち出した。銃は三八式*5、三〇式、二二式各歩兵銃とレカンツ銃で、その他指揮刀、短剣、計数百挺に及んだ。》(P179)
大学に武器庫があったとは知らなかった。
高世は「何故あったのか」書いていませんが、「軍事教練」のためにあったようです。勿論、武器庫があった大学は「慶応大学だけではない」し、関東大震災においては「慶応大以外でも大学の武器庫から武器が持ち出された」のでしょう。その辺りドラマできちんと説明があったのか気になります。説明がなければ、軍事教練を知らないと「何で大学に武器庫が?」でしょう。
牧野由美子「家族から見た牧野富太郎」 NHK解説委員室
練馬区立牧野記念庭園は練馬区東大泉にあります。関東大震災を経験したことを機に貴重な標本や蔵書を火事などから守るため渋谷から郊外への転居を検討しました。妻・壽衛(すえ)が尽力し、元・書生の方などの協力により大正15年に64歳で移り住み、94歳で亡くなるまでの約30年を過ごした自宅と庭の跡地にあります。
*1:1944年生まれ。1965年に『野郎笠』で歌手デビュー。NHK『文五捕物絵図』(1967~1968年、御用聞き・文五役)、日本テレビ『右門捕物帖』(1974年、1982年、町奉行所同心・近藤右門役)、『新五捕物帳』(1977~1982年、御用聞き・駒形の新五役)、フジテレビ『一心太助』(1971~1972年)、『同心暁蘭之介』(1981~1982年)、テレビ朝日『遠山の金さん』(1975~1977年、1979年、北町奉行・遠山金四郎役)、東京12チャンネル(今のテレビ東京)『旅人異三郎』(1973年)、テレビ東京『喧嘩屋右近』(1992~1994年、茨右近役)、『次郎長三国志』(2000年、12時間超ワイドドラマ)で主演(現代劇出演がないわけではないのですがやはり杉と言えばテレビ時代劇俳優ですね)(杉良太郎 - Wikipedia参照)
*2:著書『間宮林蔵』、『落日の宴:勘定奉行川路聖謨』(以上、講談社文庫)、『アメリカ彦蔵』、『桜田門外ノ変』、『彰義隊』、『戦艦武蔵』、『大黒屋光太夫』、『生麦事件』、『ニコライ遭難』、『陸奥爆沈』(以上、新潮文庫)、『海軍乙事件』、『三陸海岸大津波』、『幕府軍艦「回天」始末』(以上、文春文庫)等
*3:文春文庫
*4:現在の東京都港区
*5:1905年(明治38年)に日本陸軍で採用された小銃。三十年式歩兵銃を改良して開発された(三八式歩兵銃 - Wikipedia参照)