松竹伸幸に悪口する(2024年6/2日分)(追記あり)

長谷部誠—自分を変えて周りを変える | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 今朝のNHKニュースで長谷部誠のインタビューが放映されていた。言わずと知れたドイツのサッカーチームで活躍し、日本代表の主将を長く務め、最近、引退を発表した選手である。
 印象に残った言葉があった。ドイツのチームで監督が替わると、あまり特徴のない(足が速いわけでもないし、得点がたくさんとれるわけでもない)自分は、しばらく使われなくなる。そんなとき、どういう努力をして再び先発出場するようにできたのかと問われ、それに対する答えである。
 他人の考え方を変えることは難しい。でも、(ボーガス注:トレーニングで自分の長所を伸ばすなど?)自分を変えることはできる。自分を変えることによって周りに影響を与えることは可能で、そうやって認められてきた。そんな答えであった。

 この後、「自分を変えて周りを変えようという考え*1に乏しい(松竹)」云々という「共産党執行部への悪口」が始まります(後で紹介します)。「党を憎悪する松竹」らしいですが「党と全く関係ない物言い」を無理矢理「党非難にこじつけるな」と言いたいですね。
 そもそも長谷部氏の発言は共産党どころか、政治とは全く関係ない。また、「自分はそういう考えで選手生活を続けてきた」というだけであり、後輩選手に「そうすべきだ」と説教してるわけでもないでしょう。
 大体、今回の松竹のように「長谷部氏の考えに関係なく」、こじつければ

「他人(監督やコーチなどチーム幹部)の考え方を変えることは難しい。でも、自分(選手である長谷部氏)を変えることはできる。自分を変えることによって(ボーガス注:長谷部を試合で使おうと監督やコーチなどチーム幹部に思わせて)周りに影響を与えることは可能で、そうやって認められてきた。」

と言う長谷部発言は

「他人(志位委員長など党執行部)の考え方を変えることは難しい。でも、自分(党本部職員である松竹)を変えることはできる。自分を変えることによって(ボーガス注:松竹を要職に使おうと執行部に思わせて)周りに影響を与えることは可能」

として「党本部職員」松竹が志位氏ら党執行部に認められなかったのは「党執行部に自分の能力や魅力をアピールできなかった松竹の側に問題がある」とも解釈できるでしょう。
 選手・長谷部氏の言う「他人(監督などチーム幹部)」とは、「党本部職員」松竹に置き換えれば「志位氏ら党執行部」にあたるからです(勿論、選手と党本部職員、監督などチーム幹部と党執行部では色々違いはあるでしょうが)。
 但し、松竹はそう言われたら「俺を要職に使わない執行部の方が悪い」とマジギレするでしょう(なお、そうした松竹のマジギレは長谷部氏に置き換えれば「俺を試合に使わない監督がバカだ(長谷部)」ということになるでしょう)。
 私見では、長谷部発言をこじつけた「松竹の党非難」と「俺の松竹非難」は「長谷部氏の考えを無視したこじつけ(ある意味全く無意味)」と言う意味では大して変わらないでしょう。
 俺も本気で長谷部発言をネタに「長谷部氏は自分を変えることで監督に認められた、松竹にはそういう努力が足りないから志位議長(松竹除名当時は委員長)ら、党執行部に認められなかった」と松竹批判したいわけでは無く「松竹のこじつけ(党非難)の馬鹿らしさ」を皮肉っているにすぎません。

 すぐに思い出したのは、共産党の田村智子新委員長のことだった。どこだったかの演説で、委員長になってメディアから「共産党は変われますか」と聞かれるのだが、それに対して「共産党が変えるのは自民党政治です」と答えているのだと述べていたことだ。
 長谷部誠の哲学では、自分が変わることと他人が変わることは一体不可分である。他人を変えるためにも自分が変わらなければならない。
 しかし田村流の哲学では、両者は明確に区別されている。自民党政治を変えるために共産党にも改革が必要ではないかというのは、問いそのものが田村氏には存在してはならないことだ。あるいは共産党が変わらなくても自民党政治を変えられるということか。
 さて、どちらの哲学が世の人々を惹きつけることになるのだろうか。

 前後の文脈が分からないと何とも言えませんがさすがに田村氏も「共産に変えるべき点は何もない」とは思ってないでしょう。
 そういう意味合いでのインタビュー回答ではない。
 そして演説での話はどう見ても「自民党政治を変えよう!」という話をするための「受け狙いのネタ」でしょうに(そうしたネタをどう評価するにせよ)。
 そしてそんなことは松竹も分かった上での因縁でしょう。
 松竹の物言いは、たとえるなら「人生幸朗のネタ」である「責任者出てこい!」に「責任者が出てきたらどうするのか!」とマジで突っ込むくらい馬鹿馬鹿しい。
 こういうバカなことをやるからこそ松竹は「一部のマツシン(松竹信者、松竹シンパ)」を除いて、党内外から支持されないのだろうと思います。
 というか、松竹の方こそ「俺は正しいのに何故世間が支持してくれないのか?」「何故共産の方が俺よりマスコミで報道されるなど注目されるのか?」「世間は俺に冷たい、俺を評価しない世間は間違ってる」と勘違いしてる「長谷部哲学からかけ離れた人間」でしょうに。松竹は一度でも「自分が間違ってるかもしれない」と思ったことが果たしてあるのか?
 なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない松竹」には心底呆れます。

【追記】

共産党初の女性委員長 難局にどう臨む “タムトモ” 田村智子新委員長 | NHK政治マガジン
 重責ほど1人だけでは担えず、支えるスタッフや相談できる相手をつくっていかなければならない。そういう組織でなければ発展できない。若い人や女性の力をもっと生かしていけるような党に改革していかなければならない。

NHK「政治の現場」 共産党は変わるか? 新委員長に聞く|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる
Q
 田村さんはどういう党を目指しているのですか?
A(森田記者)
 党の内外で進めたいとしているのが「ジェンダー平等」です。
 田村さん自身、2人の子どもを育てながら政治活動を行ってきた経験があります。田村さんが委員長に就任したとき、思い浮かんだのは「女性のエンパワーメント」という言葉だったそうです。「女性や若い人の力をもっと生かしていけるような党に改革していかなければならない」と話していました。

 以上で分かるように田村氏も「共産党に変えるべき点はある」とマスコミに答えてるわけです(他にも探せばあるかもしれませんが、松竹の言いがかりに対する反論としては十分でしょう)。
 なお、上記も松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない松竹」には心底呆れます。

*1:実際には「LGBT問題での志位氏の謝罪」「初の女性党首(田村氏)」「1984年11月生まれでまだ30代(今年で誕生日が来れば40歳ですが)の山添氏の政策委員長への抜擢」など、共産にも一定の変化はあります。変化無しで今まで党が続くわけもない。変化が無ければとっくの昔に「民社党」「社民連」「日本新党」「新党さきがけ」など既に消滅した党(多くは立民党など後継政党がありますが)のようにとっくに消えていたでしょう。