特集『オーラル・ヒストリーがひらく世界』
【追記】
オーラル・ヒストリーの重要性と「やっぱり時間が経たないと証言がでてこないな」ということを痛感する - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でご紹介頂きました。
いつもありがとうございます。
なお、歴史評論は過去にもオーラルヒストリーを取り上げており、俺も以下の通り記事を書いています。
新刊紹介:「歴史評論」2023年2月号(副題:真珠湾攻撃勝利に歓喜した当時の日本人多数派、ほか) - bogus-simotukareのブログ*1
さて、「「やっぱり時間が経たないと証言がでてこないな」ということを痛感する」ですが新刊紹介:「歴史評論」2023年2月号(副題:真珠湾攻撃勝利に歓喜した当時の日本人多数派、ほか) - bogus-simotukareのブログもその一例でしょう。
「日本の勝利を大喜び」なんてのは現在においては黒歴史でしかない。時間が経って「私の黒歴史だが、このままこの記録を表に出さずに死んでいいのか」と当事者が思わないとなかなか表には出ないでしょう。
あるいは「田中絹代の映画監督」などもそうでしょう。
拙記事でも
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2020年12月11日版:2021年12月20日に追記あり) - bogus-simotukareのブログ2020.12.11
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/20版) - bogus-simotukareのブログ2021.12.20
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/24版)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ2021.12.24
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実ほか(2021年12/25版) - bogus-simotukareのブログ2021.12.25
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/28版)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ2021.12.28
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2022年3/2版) - bogus-simotukareのブログ2023.3.2
映画監督「田中絹代」について記事紹介(2023年4月12日)(副題:映画産業の斜陽化(1960年代)と田中の映画監督断念) - bogus-simotukareのブログ2023.4.12
映画「サンセット大通り」から田中絹代を連想した(2023年6月12日記載)(副題:脱線して「死語」についていろいろ)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ2023.6.12
等、以前何度か取り上げましたが。
情報(来年1月1日から7日まで、都内の早稲田松竹で、田中絹代の監督作品5本が上映される)(ほかにも、女優監督の話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)も同様の指摘をしていますが、
◆第1作『恋文』(1953年)
木下恵介脚本、森雅之、久我美子*2主演(森と久我のラブストーリー)
◆第2作『月は上りぬ』(1955年)
小津安二郎脚本、今村昌平、斎藤武市*3助監督
◆第4作『流転の王妃』(1960年)
和田夏十*4脚本、船越英二、京マチ子主演(船越が愛新覚羅溥傑、京が溥傑の妻・浩)
◆第6作(最終作)『お吟さま』 (1962年)
有馬稲子、仲代達矢主演(有馬と仲代のラブストーリー)。撮影監督・宮島義勇*5
等とそうそうたる面子(日本映画を代表する監督(第1作脚本の木下、第2作脚本の小津、第2作助監督の今村、斎藤)、脚本家、俳優等)が映画製作に関わったにもかかわらず、「田中が映画監督をやった」と言う事実は長い間「興行的に成功せず、芸術的評価もあまり高くなく、田中も途中で映画監督を辞めた」ために「黒歴史」として無視されてきました。当然、第1作『恋文』等、一部を除き、DVDも発売されておらず日本映画史に映画監督として絹代さんの名を刻むきっかけになれば。 「映画監督 田中絹代」著者、津田なおみさんインタビュー - 映画ニュースによれば津田氏*6は「東京国立美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)」所蔵の田中映画を視聴したとのこと。
日本映画史に映画監督として絹代さんの名を刻むきっかけになれば。 「映画監督 田中絹代」著者、津田なおみさんインタビュー - 映画ニュースによれば『恋文』(1953年)に出演した香川京子(1931年生まれ)は津田氏のインタビューを受けたそうですが、『お吟さま』(1962年)主演の有馬稲子は「映画撮影でいい思い出が無かった」「田中の黒歴史と思ってる」のかインタビューを受けなかったそうです。
「田中の映画監督業」については最近スポットが当たってきたとはいえ、これもまた「田中や関係者が死去し、過去の歴史化した」からでしょう。
現代に「発見」された監督・田中絹代、内外で上映 女性映画人に脚光:朝日新聞デジタル2021.12.26
映画ジャーナリストの林瑞絵さん
「堂に入った演出ぶり、根底に流れる人間味、ジャンルの多様さに、専門家からは、ジャン・ルノワール*7やジョン・フォード*8ら巨匠監督と重ね合わせる声もあがっていました」
なんて放言は明らかに過大評価でしょうが、これも「田中や関係者が死去し、過去の歴史化した」からでしょう。
【追記終わり】
◆オーラルヒストリーの実践と歴史の豊かな地殻変動(大門正克*9)
(内容紹介)
色々指摘がありますが、俺でも触れることが可能な指摘のみ紹介しておきます。
【1】オーラルヒストリー(聞き取り、インタビュー調査)は最近の歴史学のように思われがちだし、それは「一面では正しい」のだが、「一面では間違い」である旨、指摘がされます。
何かと言えば、昔においても新井白石『西洋紀聞』『采覧異言』(キリスト教布教のために日本に密航し捉えられた宣教師シドッチを尋問した記録)、子母澤寛『新選組始末記』(池田七三郎 - Wikipediaら新選組関係者からの聞き書き)のような「オーラルヒストリー的なモノ」は存在するし、「折たく柴の記(新井白石の回顧録)、原敬日記等の回顧録や日記(当人が記録)」と「オーラルヒストリー(第三者が当人に聞き取りを行い記録)」とどれほど違いがあるかということですね。
あるいは、
・元製糸工女に聞き取り調査した『あゝ野麦峠』(山本茂実のノンフィクション(1968年刊行)で、1979年に山本薩夫が映画化)
・元からゆきさんに聞き取り調査した『サンダカン八番娼館』(山崎朋子のノンフィクション(1972年刊行)で、1974年に熊井啓が映画化、田中絹代がベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)を受賞)
は明らかに「オーラルヒストリー」の範疇に入るでしょうが、『野麦峠』は1960年代、『サンダカン』は1970年代の著作で最近では無いわけです(山本や山崎は「いわゆる歴史学者」からは外れるかもしれませんが)。
【2】何故オーラルヒストリーが必要なのかと言えば、色々理由はありますが、一つは「文字資料とは多くの場合マジョリティが作成してる(マイノリティの声は取り上げられないし、マジョリティにとって都合の悪いことは隠されることもある)」ということですね。
女性史を取り上げた柳原論文、「釜ヶ崎の日雇い労働者」を取り上げた能川論文がわかりやすいですが、日雇い労働者や女性(女性の社会進出が進んだ最近はともかく昔は、また、現在でもシングルマザーなど弱い立場の女性)という「マイノリティの声」は文字記録では捉えきれないところがあるわけです。
吉見義明氏らの慰安婦研究、以前、小生が今日の産経抄(2023年7/18日分)(副題:戦災孤児を見捨てた戦後日本)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで触れた金田茉莉氏*10らの「戦争孤児」の記録、アレクシエービッチ*11『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)なんかもそうですよね。
「慰安婦という戦争犯罪」について国側は記録なんか残したがらない。残してもそれは「慰安婦管理のための記録」であって必ずしも「慰安婦の考え」がわかるものではない。
戦争孤児についても「戦争孤児がどんな生き様をしてきたのか」は当人に聞かないと分からないところがある。
アレクシエービッチ『戦争は女の顔をしていない』(未読ですが)だって、オーラルヒストリー(女性兵士への聞き取り調査)によって「女性兵士の戦争トラウマ」を取り上げてるようですが、そんなもんをソ連政府が進んで記録する動機は無いわけです。
あるいは大門論文で取り上げられた、保苅実*12『ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(2004年、御茶の水書房→2018年、岩波現代文庫)もそうでしょう。アボリジニのような先住民族の歴史は「オーラルヒストリー」でなければ捉えきれないところがあるでしょう。
オーラル・ヒストリーの重要性と「やっぱり時間が経たないと証言がでてこないな」ということを痛感する - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で
id:Bill_McCrearyさん
本多勝一氏も、『オーラル・ヒストリーと体験史:本多勝一の仕事をめぐって (歴研アカデミー 3) *13』という本を出しています。
と言うコメントを頂きましたが、本多氏の「オーラルヒストリー(聞き取り調査)に基づく初期著作」も『カナダ=エスキモー』『ニューギニア高地人』という先住民族を扱ったモノでした(本多『中国の旅』(日中戦争での中国人の戦争被害)など先住民族以外のオーラルヒストリー(聞き取り調査)に基づく著書もありますが)。
こうした「マイノリティの声を取り上げる」というのは清水論文の「政治とオーラルヒストリー」でも同じ話ですが、清水論文に限れば「国政や地方政治の与党政治家(岸、中曽根、竹下、宮沢、安倍元首相など)」「行政官僚(吉国、大森元内閣法制局長官、幸田元厚生事務次官)」といった「与党政治家や行政官僚として直接、法や制度の策定や運用に関わる人間(特に大物政治家、高級官僚)」ばかりに話が偏っています。
二つ目に「政治のオーラルヒストリー」について言えば
「日中国交正常化での尖閣棚上げの経緯(尖閣棚上げについては例えば尖閣問題で日中間で棚上げ合意があったなんてことは、国会でも答弁されている - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)」
「日米核密約(例えばasahi.com(朝日新聞社):元外務次官の村田良平氏が死去 核密約の引き継ぎを証言 - 特集 核密約文書が報じる村田*14元外務次官の暴露証言)」
「小泉訪朝の経緯(例えば田中均元外務省アジア大洋州局長が、日朝首脳会談直前に米国高官に会談についての事前通告をしたことを認めた(高世仁とか家族会ほかの面々は、どんだけ馬鹿なのかと思う) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)」
「統一協会と自民党の癒着関係(山上による安倍暗殺後、数々の内部告発をマスコミが報道)」等「都合の悪いことは表に出づらい」わけです。
「昭和天皇拝謁記(田島道治初代宮内庁長官)」なんかもそうですよね。「憲法に抵触する昭和天皇の政治的発言」が頻出するが故に「公式な記録には残るような代物」ではない。
「安田純平の身柄解放の経緯*15」なんかも「関係者の暴露証言」でも無い限り(どう見ても日本政府の外交交渉でしょうが)明らかにはならないでしょうね。
何も「政治のオーラルヒストリー」のテーマが「公式発表など表に出づらい話を聞く」に限定されるわけではないですが、それも重要な話ではあります。
話が脱線しますが「都合の悪いこと」と言えば高世仁も恐らく死ぬまで高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)というデマ話を続けるんでしょうね。これだって公式には「救う会の政治工作」なんか出てこないわけです。そういう事実を公式には「テレビ朝日やAERA編集部」は認めることはできないでしょう(以前、荒木和博は堂々と政治工作の事実を「詳細は語らない」としたものの、自慢してましたが)。
参考
【学長通信】語ること、聞くこと、書くこと―オーラル・ヒストリーの読み方 | 大妻女子大学伊藤正直*16
今日では、オーラル・ヒストリーは多くの領域で行われるようになり、定義することはなかなか難しいのですが、さしあたりは、「現存する人々から過去の経験や体験を直接聞き取り、それを記録として取りまとめること」、あるいは「その記録・証言をもとにした研究および調査の手法」ということができます。
世界的には、オーラル・ヒストリーが社会的に位置づけられるようになったのは、第二次大戦後のこととされています。1948年にコロンビア大学にオーラル・ヒストリー・リサーチ・オフィスが設立され、大統領をはじめとする為政者層へのインタビューが精力的に実施されたこと、イギリスでも、ロンドン大学現代英国政治研究所により政治家へのインタビューが重ねられたこと、あるいはエセックス大学やナショナル・ライフ・ストーリー・コレクションによって、女性や技術者やマイノリティへのインタビューがはじめられたことが画期とされています。
じつは日本では、オーラル・ヒストリーそのものは「聞き書き」の歴史として、古くから行われていました。明治維新後には、政治学・歴史学の観点から旧幕時代の「書外の事実」を古老に聞く『旧事諮問録』が作成されました。また、篠田鉱造『幕末百話*17』のような庶民の聞き書きもありますし、柳田國男は普通の人々の歴史を記録する民俗学を打ち立て、その弟子である瀬川清子*18(元大妻女子大学教授)は、海女への聞き取りなど、女性視点による民俗世界の開拓に大きな足跡を残しました。
ただし、冒頭で定義したような意味でのオーラル・ヒストリーが日本で広がっていったのは、1970~80年代のことでした。大門は、その指標として、以下の4冊の出版をあげています(大門正克『語る歴史、聞く歴史―オーラル・ヒストリーの現場から』岩波新書、2017年)。
・歴史学(中村政則*19『労働者と農民』1976年*20)
・社会学(中野卓*21『口述の生活史』1977年*22)
・文化人類学(川田順造*23『無文字社会の歴史』1976年*24)
・政治学(岸信介・矢次一夫*25・伊藤隆*26『岸信介の回想』1981年*27)。
◆聞き書きが拓く地域女性史(柳原恵*28)
(内容紹介)
オーラルヒストリーによる地域女性史の成果として以下の物が紹介されていますが、詳細な紹介は小生の無能のため省略します。
・高橋三枝子『小作争議のなかの女たち:北海道・蜂須賀農場の記録』(1978年、ドメス出版)
・旭川歴史を学ぶ母の会編『沈黙の扉が開かれたとき:昭和一桁世代女性たちの証言』(2021年、ドメス出版)
◆ある日雇い労働者の自分史を聞く(能川泰治*29)
(内容紹介)
日雇い労働者のオーラルヒストリー研究として以下の物が紹介されていますが、詳細な紹介は小生の無能のため省略します。
・青木秀男『寄せ場労働者の生と死』(1989年、明石書店)
・能川泰治「聞き取り記録・ある日雇労働者の戦中・戦後(上)」(『史敏』8号、2011年)、「聞き取り記録・ある日雇労働者の戦中・戦後(下)」(『史敏』9号、2011年)
・能川泰治『釜ヶ崎の日雇い労働者はどのように働いているのか』(原口剛*30編『釜ヶ崎のススメ』(2011年、洛北出版)収録)
◆オーラルヒストリー問答:アーカイブ編(安岡健一*31)
(内容紹介)
「オーラルヒストリー資料(文字資料、音声資料等)のアーカイブ化」の現状と課題について色々と論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆聞き書きの現場への接近:声と振る舞いを手がかりに(須田佳実)
(内容紹介)
副題の「声と振る舞い」がポイントですね。
昔のオーラルヒストリーは「文字記録」だったところ、今は「音声や画像」を残すことができ、「声のトーンや振る舞い」がわかる。
声や振る舞いが重要なのは
海部八郎 - Wikipedia
1979年2月14日に行われたダグラス・グラマン事件の証人喚問で宣誓書に署名する際、手が震えてなかなか書けなかった。後に海部は「血管の収縮が不十分なことによる病気」だと釈明している。
という有名な逸話でも分かるかと思います。「海部氏は何か後ろ暗いことを抱えてる」ということが「振る舞いで明白」であり、以降、自民党は「証人喚問のテレビ中継に反対し続ける→あげくは証人喚問とは別に、政治倫理審査会を発明(?)する」ことになります。
参考
海部八郎 - Wikipedia
1963年:航空機部長に就任。
1974年:副社長に昇進。
1979年:ダグラス・グラマン事件で外為法違反・偽証罪の容疑で逮捕され、副社長を辞任。しかし、取締役の地位には役員任期満了まで留まり続けた。
1980年5月:日商岩井を退任、同社子会社である国際汽船社長となる。
1980年7月:ダグラス・グラマン事件の裁判で東京地裁より懲役2年、執行猶予3年の判決。控訴せず判決が確定。
1982年: 国際汽船社長を退任。
1985年:極東海運実業社長となる。
1987年:ロイヤル建設社長就任。
1992年:ロイヤル建設が和議を申請、社長辞任。
1994年:70歳で死去。
◆政治学におけるオーラルヒストリー(清水唯一朗*32)
(内容紹介)
・「政治学におけるオーラルヒストリー」と言った場合、「外国政治研究」の場合、あるいは「日本政治研究」の場合でも「外交史の場合」、例えば
◆沖縄返還、日米貿易交渉(牛肉、オレンジなど)、米軍基地問題等(米国)
◆日ソ国交正常化(ソ連)、北方領土問題での外交交渉等(ソ連及びロシア)
◆日中国交正常化、天皇(現・上皇)訪中等(中国)
◆日韓国交正常化、天皇(現・上皇)訪韓等(韓国)
◆いわゆる帰国事業、金丸訪朝、小泉訪朝等(北朝鮮)
等の場合、
等、「外国人(外国の政治家、官僚等)に対するオーラルヒストリー」も一応は入るわけですが、清水氏の関心、専門から「日本人(政治家、官僚等)へのオーラルヒストリー(専ら国内政治)」が論じられています。
なお、ググったところ、以下のようなオーラルヒストリーが日本外交関係ではありますね(他にも色々あるでしょうが)。
◆日米関係
大河原良雄*33『オーラルヒストリー日米外交』(2005年、ジャパンタイムズ)
◆日中関係
中江要介*34『日中外交の証言』(2008年、蒼天社)
『アジア外交・動と静:元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(2010年、蒼天社)
・「日本の政治家のオーラルヒストリー」が近年、増えた背景として
1)「1990年代の政治、行政改革で『官僚主導から政治家主導の政治』が小沢一郎(当時、新生党代表幹事、新進党党首など歴任)らによって主張されたこと」
2)近年「EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。 証拠に基づく政策立案)が主張されてること」が上げられます。
「政治家主導の政治」が唱えられたことにより、学者による「政治家への注目」が高まるし、政治家の方もそれを利用して「政治アピールしよう」とするわけです。また「EBPM」の前提である「エビデンス」の一つとして「政治家のオーラルヒストリー」が注目されるわけです。
・野党に興味が無いのか、自民党シンパ(あるいは野党嫌い、左派嫌い)なのか、理由が何かはともかく、筆者の取り上げる「政治家のオーラルヒストリー」が
・安倍晋三*35(『安倍晋三回顧録』(中央公論新社))
→果たして学問的価値があるのかどうか?(苦笑)
・岸信介*36(『岸信介証言録』 (中公文庫))
・後藤田正晴*37(『情と理:後藤田正晴回顧録』(講談社))
・竹下登*38(『政治とは何か:竹下登回顧録』(講談社))
・中曽根康弘*39(『政治と人生:中曽根康弘回顧録』(講談社)、『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社)、『自省録:歴史法廷の被告として』(新潮文庫)、『天地有情:五十年の戦後政治を語る』(文藝春秋))
・宮沢喜一*40(『宮沢喜一回顧録』(岩波書店))
など「保守政治家(自民党政治家)に偏ってること」については「何だかなあ」感がありますね。
・土井たか子*41(土井『せいいっぱい:土井たか子半自伝』(朝日新聞社)、吉武輝子『やるっきゃない!:吉武輝子が聞く土井たか子の人生』(パド・ウィメンズ・オフィス))
・村山富市*42(村山『村山富市が語る天命の五六一日』(ベストセラーズ)、辻元清美*43『そうじゃのう』(第三書館))
など野党政治家にもオーラルヒストリーはあるわけですから。それとも「吉武氏や辻元氏が学者で無いこと」から外してるのか。それもどうかと思いますけどね。
【参考:清水唯一朗氏のオーラルヒストリー】
以下のウチ、吉國一郎、大森政輔(いずれも元内閣法制局長官)、幸田正孝(元厚生事務次官)については「政治のオーラルヒストリー」といえるでしょう。
清水唯一朗ブログ『穂積重行オーラルヒストリー』2010.12.7
『穂積重行*44オーラルヒストリー』(渋沢栄一記念財団、2010年)
2007年度に取り組んでいたオーラルヒストリーが、刊行のはこびとなりました。
近代日本の法学を牽引した穂積陳重*45、八束*46兄弟、陳重の子・重遠*47という流れに連なる穂積先生をお迎えして、5回にわたって穂積家のこと、渋沢家のことを伺いました。
今回のオーラルのおもしろさは、男性のことだけでなく、両家をめぐる女性についてもお伺いしたこと。『穂積歌子日記』を翻刻された重行先生ならではのお話を伺うことができました。
このため、聞き手も政治史(清水)、法制史(出口雄一さん*48)、女性史(西沢直子さん*49)、経営史(島田昌和さん*50)、渋沢家(渋沢雅英理事長)と分野横断で臨みました。
清水唯一朗ブログ『吉國一郎オーラル・ヒストリー』Ⅰ・Ⅱ(2011年)2011.9.8
『吉國一郎*51オーラル・ヒストリー』Ⅰ・Ⅱが刊行されました。
吉國さんへのオーラルがはじまったのは2005年1月。以後、2007年11月まで、内閣法制局次長・長官時代に話を絞りながらも、実に26回に亘ってお話を伺いました。
清水唯一朗ブログ『国民皆保険オーラル・ヒストリーⅠ 幸田正孝』2011.12.5
『国民皆保険オーラル・ヒストリーⅠ 幸田正孝』(医療経済研究機構、2011年)
同僚の印南一路*52先生、日本大学の中静未知*53先生と取り組んだオーラル・ヒストリーが刊行されました。(財)医療経済研究機構で始まった「国民皆保険オーラル・ヒストリープロジェクト」の成果第一号になります。
幸田氏は1954年に厚生省に入省、年金局、社保庁、医務局などに勤務したのち、官房長、保険局長を経て、1986年から2年間、厚生事務次官を務めました。国民皆保険制度とともに官僚としての人生を歩んできた方です。その豊富な経験の一端を残すことができました。
清水唯一朗ブログ『渋沢雅英オーラルヒストリー』刊行2012.8.6
『渋沢雅英オーラルヒストリー』(渋沢栄一記念財団・渋沢史料館、2012年)
2009年に5回にわたって行ったオーラルヒストリーが刊行されました。話し手の渋沢雅英さんは渋沢栄一の嫡孫で、渋沢栄一記念財団の理事長を務められています。雅英さんご自身の経歴についてはすでに政策研究大学院によるオーラルヒストリーがライフストーリーのスタイルで行われていますが、今回はそれとは全く異なる視角からお話を伺いました。
それは焦点を「家」に当てたこと。対象はもちろん渋沢家です。渋沢史料館の全面的なバックアップのもと、渋沢同族会の会議録を材料に、「渋沢家」の像を紡いでいきました。家法、家訓、家政などがキーワードになるでしょうか。
会場がかつての渋沢家にほど近い慶應義塾旧図書館であったのも、語りに深みを与えたように思います。聴き手も、経営史・渋沢研究(島田昌和先生)、法制史(出口雄一先生)、女性史(西澤直子先生)、史料学(都倉武之先生*54)、政治史(清水)と、『穂積重行オーラルヒストリー』を発展させた多様なメンバーで臨むことができました。会場をご提供いただいた西澤先生、都倉先生をはじめ、関係されたみなさんに御礼申し上げます。
2007年に実施、冊子された『穂積重行オーラルヒストリー』を軸に、「穂積歌子日記」の未公刊部分の解読も進んでいるようです。こちらも進捗が楽しみです。
清水唯一朗ブログ『上原尚作オーラルヒストリー』刊行2012.12.7
『上原尚作オーラルヒストリー』(慶應義塾大学オーラルヒストリー研究会、2012年)、ようやく刊行まで辿りつくことができました。
陸軍大臣・元帥を務めた上原勇作*55の嫡孫、尚作さんとお目にかかったのは10年前。「上原勇作日記」の翻刻、刊行を仰せつかったときのことでした。当初、『勇作日記』の解題として、尚作さんの記憶のなかにある勇作像を伺えればと思い、お目にかかるたびにぽつぽつとお話を伺っていました。
そうしているうちに、尚作さんご自身のことを残したいと思うようになり、発足まもないオーラル・ヒストリーゼミのメンバーに話したところ、3人の聞き手が集まってくれました。
あれから2年半。ようやくかたちにまとめることができました。
清水唯一朗ブログ大森政輔・元内閣法制局長官のオーラルヒストリーが刊行されました(2月21日)2018.2.21
10年前に取り組んでいた内閣法制局オーラル・ヒストリーのトリを飾る一冊が刊行されました。
牧原出*56編『法の番人*57として生きる:大森政輔*58元内閣法制局長官回顧録』(岩波書店、2018年)。靖国懇、即位礼、大嘗祭、PKO協力法、政権交代、阪神・淡路大震災。法令審査に留まらない、政治史としての魅力も詰まっています。聴き手を務めた御厨貴*59先生、赤坂幸一先生と私のコラムもあります。お目に止まれば幸いです。ここまで漕ぎ着けてくださった牧原先生に感謝です。
【参考:政治とオーラルヒストリー】
6月25日(日)御厨貴さん講演会「オーラル・ヒストリーから見えて来る政治」(報告)
2023年6月25日(日)に、政治学者で東京大学名誉教授の御厨貴さんの講演会を開催しました。
◆元内閣官房副長官 石原信雄氏*60
※『首相官邸の決断-内閣官房副長官・石原信雄の2600日』(中央公論社、2002年)
日本の政治家や役人には、内輪のことは外部の人間に喋ることなく墓場まで持って行く「伝統」がある。その中で初めてちゃんと記録を残した人物ですとおっしゃいました。
石原氏が内閣官房副長官をつとめた8年間は、自民党が初めて政権をおり、「2大政党制による政権交代が起こる政治を目指す」という政治改革の波が訪れた時代でした。政権交代を内閣官房副長官として経験したのは石原氏しかおらず、この経験をキチンと整理し引き継がねばならないという使命感から、自らやると言いだされ始まりました。政界に大きなインパクトを与えたそうです。
◆中曽根内閣時代の官房長官・後藤田正晴氏
※『情と理』(講談社、1998年)
後藤田氏からは「オレがみてきた戦後だぞ。(ボーガス注:俺の主観があるから)正しい歴史ではないぞ」と言われ「それこそが聞きたい!」と言ったそうです。
政治家、特に総理大臣経験者のオーラルは難しいとのことです。
安倍晋三氏のオーラルは直接携わっていないが、読んでみると回顧録の中身はほとんどが安倍氏の自慢話になっており、まだ生煮えとの感想を持たれたそうです。オーラルは話し手と聞き手が対等でなくてはならないが、これは安倍氏のしゃべり倒しになっているとも。中曽根康弘氏は4冊の回顧録*61をだしているが、どんどん謙虚さがなくなってきている
極めつけは小泉純一郎氏です。「(ボーガス注:首相時代、小泉訪朝や道路公団、郵政民営化等の政治的業績のある)小泉氏のオーラルは出版されますか?」の質問にキッパリと自信を持って(ボーガス注:御厨氏に対し小泉氏は)「出ません」と答えているそうです。何故なら「彼は過去のことを全部忘れていますから*62」
これには会場がどよめきました。
現在、進めているオーラルは、
◆古川貞二郎氏*63
→(ボーガス注:元厚生事務次官で)村山内閣から小泉内閣にかけての内閣官房副長官。請われるままに何十回と重ねており、参事官室の机はどんなふうに並べられていて情報はどんなふうに流れていくのかなど3,000ページに及んでいる。なにかの形で世に出したいとおっしゃいました。
◆谷垣禎一氏*64
→自民党で3年間も野党総裁を経験したのは彼だけ。長らく自民党は(ボーガス注:野党時代の総裁である河野氏、谷垣氏を除いて)「自由民主党総裁=内閣総理大臣」の構図でやってきたために、野党になってしまうと組織が動かず自民党は崩壊してしまうと感じたとのことです。
参加者からの質問で、一番印象に残っている人には「後藤田正晴氏」、これから可能であればオーラルをしてみたい方として「美智子様」と答えられていました。
なお、「政治家や官僚等、政治関係者」のオーラルヒストリーとしては御厨氏には
御厨貴 - Wikipedia
・『表舞台・裏舞台:福本邦雄回顧録』(2007年、講談社)
福本は椎名悦三郎*65に請われて、椎名の秘書(岸内閣官房長官、1959年6月~1960年7月、自民党政調会長(池田総裁時代、1960年7月~12月)、池田内閣通産相(1960年12月~1961年7月))を務め政界に人脈を築き「最後のフィクサー」と呼ばれた。
1986年に平和相互銀行事件に絡み金屏風の売買で、竹下登に巨額の資金が流れたとされる疑惑が持ち上がった際には、「竹下の政治資金管理団体の会計責任者を務めるなど、竹下と親しい」福本の名も取りざたされた。この件を福本はオーラル・ヒストリー『表舞台・裏舞台:福本邦雄回顧録』で「金屏風事件に私が関わっていると言う。冗談じゃない。」と否定している。「福本イズム」で知られる「戦前の日本共産党指導者」福本和夫は父(福本邦雄 - Wikipedia参照)。
・『地方自治に生きる:宮澤弘回顧録』(2007年、第一法規)
宮沢は消防庁長官、自治事務次官、広島県知事、村山内閣法相等を歴任。宮沢喜一元首相は兄。第三次安倍内閣経産相を務めた宮澤洋一は息子。加藤高明内閣司法相、田中内閣鉄道相を務めた小川平吉*66は母方の祖父
・『武村正義回顧録』 (2011年、岩波書店)
武村は滋賀県八日市市長、滋賀県知事を経て中央政界入り。新党さきがけ代表、細川内閣官房長官、村山内閣蔵相を歴任。著書『小さくともキラリと光る国・日本』(1994年、光文社)、『私はニッポンを洗濯したかった』(2006年、毎日新聞社)
・『野中広務回顧録』(2012年、岩波書店→2018年、岩波現代文庫)
→野中は京都府園部町長、京都府副知事を経て中央政界入り。村山内閣自治相・国家公安委員長、小渕内閣官房長官、自民党幹事長(森総裁時代)等を歴任。著書『老兵は死なず:野中広務全回顧録』(2005年、文春文庫)
・『園部逸夫オーラル・ヒストリー:タテ社会をヨコに生きて』(2013年、法律文化社)
園部は前橋地裁判事、最高裁調査官、東京地裁総括判事、筑波大学教授、成蹊大学教授等を経て、最高裁判事(判事としての経歴の方が長いが、最高裁判事任命時は大学教員であり、学者枠での任命)。著書に『最高裁判所十年』(2001年、有斐閣)、『皇室制度を考える』(2007年、中央公論新社)、『皇室法入門』(2020年、ちくま新書)等
があります。
また、政治家や官僚のオーラルヒストリーではなく「実業家のオーラルヒストリー」ですが、御厨氏は
6月25日(日)御厨貴さん講演会「オーラル・ヒストリーから見えて来る政治」(報告) | 信州しおじり本の寺子屋 | 塩尻市立図書館
ダイエー創業者 中内功氏*67(功の「力」は「刀」が正しい)
※『中内功 生涯を流通改革に献げた男』(千倉書房、2009年)
オーラルの途中で亡くなってしまい、息子の中内潤氏*68や流通関係者にもオーラルを行ってまとめたが、心残りの一冊になってしまった。ただ幼少期から、主婦の店ダイエーを興し高度成長期に入る寸前までは直にオーラルができ、たいへんユニークなオーラルができたとおっしゃっていました。
堤清二
※『わが記憶、わが記録 堤清二✕辻井喬*69オーラルヒストリー』(中央公論新社、2015年)
も手がけたとのこと(中内と堤には「一代で巨大流通グループ(ダイエーと西武セゾングループ)を作り上げたが、バブル崩壊の影響もあり、一代で潰した」と言う共通点があります)。
但し、実業家のオーラルヒストリーとは言え
中内㓛 - Wikipedia
ホテルニューオータニにて「お別れ会」が開かれ、安倍晋三、二階俊博*70、小池百合子*71、小沢一郎*72、冬柴鐵三*73、神崎武法*74などの政治家も参列した。
堤清二 - Wikipedia
政治家にはならなかったが、父・康次郎(西武鉄道グループ創業者)が衆院議員時代に宏池会(池田勇人の派閥)に所属するなど、池田と仲が良かったことから、池田や佐藤栄作*75、田中角栄*76、大平正芳*77ら政治家と交流を続けた。特に白洲次郎*78から生前「宮澤喜一を総理にするのを手伝え」と言われていたため、宮澤内閣の誕生にも関わったという。
2014年2月に帝国ホテルで行われたお別れの会では、麻生太郎*79や森喜朗*80などが参列した。同年4月には日本中国文化交流協会が偲ぶ会(辻井喬名義)を開き、加藤紘一*81や河野洋平らが出席した。
なので政治に触れた部分もあるかもしれない。
田村委員長の基本的質疑/参院予算委員会2024.3.8
田村*82委員長
河野洋平氏は今日、当時の合意について、1994年の合意ですね、どのように述べているのか。衆議院の「オーラルヒストリー」、これを紹介していただきたいと思います。
片岡義隆衆院議事部副部長
若干長くなりますけれども、該当部分を読み上げさせていただきます。
「それは、企業献金を廃止するから、一方で公費助成をするというトレードオフの関係なのに、終わってみたら、こっちは取ってあっちはそのままという、今は当時の考えとは全然違う状況になっていますよね」
「あの頃の細かいことを思い出してみると、政党助成をするにあたり幾らぐらいが適当か、結果、三百億ぐらいということになったけれど、あの根拠は、国民にコーヒー一杯だけ我慢してもらおうというのが事の起こりで、あの一番初めは、田川誠一さん*83がやったコーヒー一杯運動なんです。田川さんは個人の政治資金を、支持者にコーヒー一杯我慢して私に下さいという運動をやって、それが下地にあって、新自由クラブは一人二百五十円、コーヒー一杯の政治献金と言っていたんです」
「それが耳に残っていて出てきたんです。それは、田川さんが言った後に武村さん*84も言い、それで何となく国民にコーヒー一杯、三百億と言われたんですよ。だから、あの三百億円というのは、本当は一億国民みんなから取るという話ではなくて、個人献金だったんです」
「一方、企業献金の廃止は、個人献金に振り替えろという話はなかなか難しいだろうから、企業献金を止めて公費助成にしようということでした。だから、公費助成が実現したら企業献金は本当は廃止しなきゃ絶対におかしいんですよ」
「しかも、激変緩和のため五年後に見直すと法律の附則に書いたのにスルーした。見向きもしないでスルーしてもう二十五年たったんだからね」
「政治改革の議論が起こったときは、経団連も、傘下の会員に企業献金は慎もうと言っていたのに、最近の経団連は、自民党に献金させてくださいと進んで言うようになっているからね」
「この頃は、企業献金が多いから税制を始めとしていろいろな政策がゆがんでいる、庶民から企業の方へ政策のウェートがかかって、企業献金が政策のゆがみを引き起こしているから、それを止めろということだったのに、それが今またああいうふうになっているというのは、本当におかしいと思いますね」
以上でございます。
田村委員長
政治改革国会と言われたその当時の自民党の総裁が企業献金についてこういう見解示しているんですよ、廃止されていなければおかしいじゃないかと。それ、どうですか。30年前は企業献金廃止のものすごい世論が起きたのに、これがねじ曲げられていった。同じ轍を踏むわけにはいかないんですよ。
もう全面的に、この裏金事件本当に反省するなら、抜け道をふさいだ企業・団体献金の禁止、これ自民党が決断すべきではないんですか。
(中略)
ここに私は自民党という政党の本質が表れていると思いますよ。
衆議院 河野洋平元議長の証言を公開 「オーラル・ヒストリー」事業の第1弾 | NHK | 衆議院2023.12.27
衆議院は、議長経験者などから証言を聴き取って記録する「オーラル・ヒストリー」事業の第1弾として、河野洋平*85元議長の証言を公開しました。
河野氏は、自民党総裁として関わった衆議院選挙の小選挙区比例代表並立制を導入した政治改革について、「生煮えというか、完全に議論しきった結論ではなかった。比例代表は小選挙区で落選した人を救うような機能を果たし、失敗だと思っている」と振り返っています。
一方、官房長官だった1993年に慰安婦問題の謝罪と反省を示した談話を発表した際の記者会見で「強制連行はあったということでいいのか」と問われ「結構です」と答えたことについて、「記憶があいまいな部分はあっても心証として明らかに強制させられていたと宮沢総理大臣も思われて、そういう意味で『結構です』となった」と明かしています。
さらに衆議院議長だった2005年に小泉*86元総理大臣が行った、いわゆる「郵政解散」については、「全然筋が通らないと思った。新たな政策があれば国会で議論することが最優先で、国民が選んだ議員を総理大臣が切るのは悪手だ」と指摘しています。
衆議院は今後、ことし2月に亡くなった横路孝弘*87元議長から生前に聴き取った証言なども公開する予定です。
元北海道知事の横路孝弘さん 3期12年の道政の内実、赤裸々に語る [北海道]:朝日新聞デジタル2024.3.30
元北海道知事で衆議院議長を務め、昨年2月に亡くなった横路孝弘さんが48年間の政治人生を語った「オーラルヒストリー」が29日、公開された。衆院事務局が進めている正副議長経験者の口述記録事業。民主党結成に尽力した国会議員時代のほか、3期12年にわたる知事時代についても赤裸々に語っており、道内関係者の注目を集めそうだ。
赤坂幸一*88九州大教授らによるインタビューは2020~22年に対面とオンラインで計28回行われた。道内各地の「勝手連」が原動力となって初当選した1983年の知事選を「あんなに充実した選挙は後にも先にもこのときだけ」と振り返った。
オーラルヒストリー、発案者に聞く 「歴史の裏側」後世に【政界Web】:時事ドットコム2024.4.12
衆院が進める「オーラルヒストリー」事業が注目を集めている。正副議長経験者から衆院事務局が「歴史の裏側」を聞き取り、衆院の公式ホームページで公開する初めての試みで、第1弾の河野洋平元議長からは1994年の衆院選挙制度改革は「失敗」だったとの発言が飛び出し、永田町をざわつかせた。発案者の一人である立憲民主党の大西健介*89前選対委員長に話を聞いた。
オーラルヒストリーは歴史的な出来事について関係者から証言を聞き取り、記録に残す学術的手法だ。事業スタートのきっかけの一つが2019年2月の衆院予算委員会分科会での大西氏の質問だった。大西氏が導入を提案すると、向大野(むこおおの)新治*90事務総長(当時)が「大いに賛同する」と即答。同年10月から河野氏へのインタビューがスタートした。
河野氏へのインタビューは2019年10月にスタート。2022年6月までに計31回を数え、ようやく証言が公開されたのは昨年12月だ。第2弾の横路孝弘元議長のインタビューは2020年2月~22年11月に計28回重ねられ、今年3月に公開された。横路氏が亡くなったのは最後のインタビューの3カ月後だった。
河野氏はインタビューで、自民党総裁として関わった「平成の政治改革」を振り返り、「比例代表は小選挙区で落選した人を救う機能を果たし、少数意見をくみ上げることにはほとんどなっていない」として失敗だったと総括。政党支部などへの企業献金が今も認められていることにも「廃止しなきゃ絶対におかしい」と訴えた。
横路氏は元毎日新聞記者の西山太吉氏*91が国家公務員法違反容疑で逮捕された西山事件のキーマンだった。1971年の沖縄返還協定に絡む日米密約を巡り、外務省の機密公電を基に国会で追及した経緯を回想。公電の入手先について密約の存在を報じた西山氏ではなかったと示唆した。
大西氏はこうした経緯も踏まえ、多くの役職を歴任した議長経験者にしか残せない証言があると力説する。
大西氏
『オーラルヒストリーに記されるのは、正副議長時代の話だけではない。出身政党で幹部を務めてきた期間の話にも価値がある。河野氏の記録では、企業・団体献金を制限して政党交付金を作る時の細川護煕*92首相とのやりとりの裏話が一定程度書かれてた。』
事業は2人で終わりではない。衆院はさらに大島理森*93元議長、伊吹文明*94元議長、中野寛成*95元副議長*96のオーラルヒストリー作成を計画。それぞれ来年以降の公開を予定している。
2022年7月に凶弾に倒れた故安倍晋三元首相のインタビューを収録した「安倍晋三回顧録」が昨年2月、中央公論新社から出版された。大西氏はどう受け止めたのだろうか。
大西氏
『安倍氏は憲政史上最長の首相を務めた*97わけで、その間のさまざまな意思決定の裏側について、全部ではないにしろ、その一端をちゃんと記録したということで重要な資料だ。
ただ、回顧録の場合にはどうしても自慢話や脚色が入ってしまう。安倍氏の回顧録も自身の都合のいいこと*98だけ書いてるようにも感じた。やはり第三者として中立的な立場の人が聞き取るオーラストーリーが重要だ。国として予算を計上して、学術的な手法に沿って行うべきだ。』
赤坂氏のツイートを見ていたら
Koichi AKASAKA
三木武夫*99関係資料中、坂本吉勝・最高裁判事の後任に環昌一を推薦する文書には、末尾に「弁護士久米愛(ボーガス注:中田正子、三淵嘉子と共に日本初の女性弁護士)は、推さない。」と書かれています。このとき実現していたら、1994年の高橋久子の遥か前、1976年に女性最高裁判事が誕生していたことになります。推さない人物に敢えて言及する点が興味を惹きます。
というのがありました。俺的に興味深いのでメモしておきます。
◆私の歴史研究「中国古代国家史研究にこだわり続けて(上)」(太田幸男*100)
(内容紹介)
Q&A形式で書いてみます。
Q
何故、東洋史(中国史)を目指したのですか?
A
最初は当時東大教授だった松田智雄*101にあこがれてドイツ史をやる気でした。第二外国語もドイツ語を取った。ところが当時のドイツ語教官が大変厳しい人で「ドイツ史を専攻したらまたあの人と付き合うのか(うんざり)」と思ってドイツ史をやる気を失った(苦笑)。
第三外国語は中国語を取ったので「東洋史をやってみようかな」と。
Q
中国古代史を専攻した理由は?
A
当時の指導教官が中国古代史の西嶋定生さん*102で完全に彼の影響です。一時は当時、非常勤講師で東大に来ていた市古宙三さん*103の「太平天国についての講義」を聞いて「太平天国研究もいいかな?」と思ったんですが、当時、東大には太平天国研究を指導できるような教官がいなかった。市古さんも本籍はお茶の水女子大なので「指導まではできない」と言われた。
◆歴史の眼「検証される伝統仏教教団の戦争協力」(大谷栄一*104)
(内容紹介)
まず、NHKで放送された
「戦禍のなかの僧侶たち〜浄土真宗本願寺派と戦争〜」 - BSスペシャル - NHK2022年8月20日
仏教は戦争にどう関わったのか。浄土真宗本願寺派(西本願寺派)は1万寺に調査を行った。戦場に派遣された従軍僧の日誌や戦時動員の住職の記録など新資料から僧侶たちの戦争体験を描く。中国の戦場に派遣された従軍僧の日誌や門信徒を戦場に送った住職の記録などアジアに進出した教団の姿が浮かび上がった。太平洋戦争では85%の寺が金属回収に応じ学童疎開や戦時動員に協力していた。新たな調査をもとに戦禍の中の僧侶たちの姿を描く。
僧侶たちの戦争 - こころの時代〜宗教・人生〜 - NHK2022年12月4日放送
不殺生を説く仏教僧たちはなぜ戦争に関わったのか。この問いに向き合う浄土宗の有志の僧侶たち。全国の寺から戦時中の遺物を収集し、その歴史から学ぼうと活動している。
浄土宗平和協会の廣瀬卓爾理事長は全国7000を超える寺院に呼びかけ、戦時中の資料を集めてきた。それらの資料から僧侶たちが戦争に積極的に協力した歴史的事実が浮かび上がる。当時の教団は本来の教えを曲解してまで戦争加担の論理をうち立てた。廣瀬さんの、僧侶と戦争の問題を考える原点の一つは、先代住職の父が開教使として中国大陸に渡っていたこと。遺品から僧侶たちの人生に触れ、僧侶であることの意味を問い直す。
が紹介され、その後「廣瀬卓爾」氏以外の仏教界の「戦争協力についての反省、研究の流れ、経緯」が紹介されます。
例えば「戦争協力、仏教」でググるとヒットする以下の書物はその一例でしょう。
【刊行年順】
◆菱木政晴『浄土真宗の戦争責任』(1993年、岩波ブックレット)
◆大東仁『お寺の鐘は鳴らなかった:仏教の戦争責任を問う』(1994年、教育史料出版会)
◆大東仁『戦争は罪悪である:反戦僧侶・竹中彰元の叛骨』(2008年、風媒社)
◆大東仁『元来宗教家ハ戦争ニ反対スベキモノデアル:反戦僧侶・植木徹誠の不退不転』(2018年、風媒社)
→植木徹誠については例えば植木徹誠 - Wikipedia、植木等の父、反戦僧侶、植木徹誠とは?、ドラマ『植木等とのぼせもん』今夜スタート…差別と戦争に反対し、治安維持法で逮捕された父・植木徹誠のことは描かれるのか?|LITERA/リテラ参照
◆鵜飼秀徳*105 『仏教の大東亜戦争』(2022年、文春新書)
【参考:竹中彰元】
竹中彰元 - Wikipedia
竹中は満州事変勃発後、1937年10月10日に近隣の仏教寺院で僧侶6人に対して「戦争は最大の罪悪だ」と述べた。この反戦言動を聞いた僧侶が翌10月11日に岩手村役場に通報し、10月26日に逮捕され、10月31日に発言が陸軍刑法第99条(造言飛語罪)に抵触するとして岐阜地裁に送致された。
翌1938年(昭和13年)3月12日に岐阜地裁は竹中に対し、禁固4ヵ月の実刑判決を下し、この判決に彰元が控訴したため、4月27日に名古屋控訴院は禁固4ヵ月、執行猶予3年に刑を軽減する判決を下した。なお、この判決には1940年(昭和15年)2月11日に皇紀2600年を記念して恩赦が認められ、禁固2ヵ月20日、執行猶予3年に刑を減免されている。
竹中が属していた真宗大谷派(東本願寺派)は1938年(昭和13年)4月27日の名古屋控訴院による判決後、「軽停班3年」の処分を下して僧侶の位を最低に落とし、また、竹中の布教使資格を剥奪した。なお、大谷派は1940年(昭和15年)5月18日に軽停班処分を満期とする処分減免を実施し、1941年(昭和16年)4月17日に竹中の布教使資格を復活している。
戦後長く竹中の存在は忘れ去られたが、愛知県一宮市の円光寺住職・大東仁が記した論文「仏教者の戦時下抵抗」により竹中の名誉回復運動が始まった。1990年(平成2年)4月に真宗大谷派名古屋別院で開催された『平和展』で彰元の反戦発言が展示され、以後2002年(平成14年)から真宗大谷派岐阜別院の『平和展』でも彰元の事績が展示され、名古屋別院、岐阜別院の影響を受けて2004年(平成16年)より京都の東本願寺本山でも『非戦・平和展』でも彰元の事績が展示されるようになった。
2007年(平成19年)10月19日に、真宗大谷派主催の「復権顕彰大会」が明泉寺にて開催され、熊谷宗恵宗務総長が謝罪、竹中への処分を取り消す「宗派声明」が出され、処分から70年目に名誉回復を果たした。
【参考:廣瀬卓爾氏】
仏教界の戦争協力 責任を問う 浄土宗有志の「平和協会」が宗報など調査 理事長の廣瀬卓爾さんに聞く | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター2023.12.4
天皇と阿弥陀仏を同一視、なぜ 過去の浄土宗の戦争協力、今も問う [京都府]:朝日新聞デジタル2023.8.30
今年7月、日中戦争やアジア・太平洋戦争での浄土宗(総本山・知恩院、京都市東山区)の戦争協力についてまとめた報告書が公表された。僧侶有志らでつくる浄土宗平和協会が、学者と共に専門委員会を立ち上げ、3年かけて作成した。終戦から70年以上が過ぎた今、報告書を出す意義とは何か。大津市御幸町にある願海寺の住職で、同協会の理事長を務める廣瀬卓爾さん(78)に聞いた。
Q
まず、浄土宗平和協会が戦争協力についての報告書をまとめることになった経緯について教えてください。
A
浄土宗の総括が非常に中途半端だと感じていたからです。浄土宗総合研究所(東京都港区)では、個々の僧侶が学術的には評価の高い成果を出していましたが、論文で発表してもなかなか読んでもらえません。5年前に平和協会の理事長を引き受けたことを機会に、専門委員会を作って、戦争協力の全体像が分かるものをまとめることにしました。
語る:宗派の戦争協力検証 浄土宗平和協会理事長・廣瀬卓爾さん 「慚愧の念」行動で示さねば | 毎日新聞2023.9.10
浄土宗の僧侶らで作る「浄土宗平和協会」が7月、戦争に協力した歴史的事実を検証した結果をまとめた「浄土宗『戦時資料』に関する報告書」を公表した。報告書は169ページにわたり、経典の解釈によって戦争を宗教的に意味付けた▽宗派として戦闘機を献納した▽天皇と、浄土宗の本尊である阿弥陀(あみだ)仏を同一化する教説が大きな影響を与えた、など、驚くような内容も含まれる。戦時中の「宗報」や「時局伝道教化資料」、世相を表す文物を集め、読み解いた成果だ。その中心となったのは、自身も僧侶である平和協会の廣瀬卓爾理事長(78)。作業から何が見えてきたのか、そして宗教者たちは何を学ぶべきなのか尋ねた。
「読売や産経」ではなく「朝日や毎日」と言う辺りは「やはり朝日や毎日は、産経や読売よりはまとも」と言う思いを改めて感じますね。
僧侶たちの戦争: 浄土宗 栃木 法善寺 ブログ
◆浄土宗平和協会理事長 滋賀県 願海寺 廣瀬卓爾上人
「あの時代だから仕方がなかった。今更そのことを掘り返してどうなるという人もいる。仕方がなかったではすまない。仏道を歩もうとして僧侶になった人が武器をとる。檀信徒の人々に頑張ってこいと送り出す。それは私たちの勤めではない。反省と教訓、上っ面のものではない。本気でそのことを考えたい。」
◆栃木県 清泉寺 故山田隆元上人
南方戦線のオランダ領インドネシア、ジャワ島にて現地のオランダ兵を抑留した収容所の所長。
部下による(ボーガス注:捕虜)虐待の刑を問われ20年長期刑。BC級戦犯。戦後持ち帰った名簿には処刑されたり、自ら命を絶った自分の部下たち兵士の名前が綴られている。
山田上人はインドネシアの刑務所の中で砲弾を加工してお鈴をつくっていて、名簿とともにお寺に持ち帰り兵士たちの供養を続けた。お鈴をつくっているときの心境を察すると言葉がない。しかし、つくることも打ち鳴らして回向することも、もしかして僧侶としての存在意義を探した証かもしれない。
廣瀬上人がおっしゃるように、山田上人がおつくりになったお鈴は浄土宗の宝物だと思います。今度拝見させて頂こうと思います。
2022/12/4 僧侶たちの戦争 - eraoftheheart
ナレーター
国策を担わされた教団の中で、葛藤を抱えながら戦地に赴いた僧侶たちはどんな戦後を生きたのか、それを物語る遺品が栃木県の寺で見つかりました。南方戦線に出征した清泉寺の住職、山田隆元さんが戦後持ち帰った名簿です。山田さんは、オランダ領インドネシアのジャワ島で、現地のオランダ人を収容した抑留所の所長でした。
戦後、バタヴィアでのBC級戦犯裁判で部下による(ボーガス注:捕虜)虐待の罪を問われ、 20年の長期刑となります。6年後、山田さんは巣鴨プリズンに身柄を移され、帰国。身に携えて持ち帰った名簿には処刑されたり、自ら命を絶ったりした兵士たちの最後が刻まれています。
山田さんが、インドネシアの刑務所の中で、砲弾のかけらで作った仏具、お鈴。廣瀬さんは、この遺品によって最後は僧侶として生きようとした山田さんの思いに触れました。
廣瀬卓爾氏
刑務所にいて自分の部下たちが(ボーガス注:戦犯として)処刑をされる、あるいは自死をする、逃亡してそこで命を落とすと、そういう人たちを、「私はやっぱり僧侶なんだ」っていうね、ひょっとしたら、そこで自分は一生を終えるかもしれない、しかし自分は僧侶として生きたんだ。弔うためには回向をきちっとしようと。だから、これを作っておられた時の心境を察するとね、ちょっと言葉出ないですね。
これ本当にね、浄土宗の宝物だと思いますね。 後世に伝えるべきこれはそういうものだと。
*1:この記事にもid:Bill_McCrearyさんのコメントを頂いています。
*2:1931~2024年(先日、訃報が報じられました)
*3:今村、斎藤ともに当時は小津の助監督(後に監督として独立。斎藤は小林旭『渡り鳥シリーズ』(1959~1962年)や『愛と死をみつめて』(1964年公開、吉永小百合、浜田光夫主演)で知られる。今村は『楢山節考』(1983年)、『うなぎ』(1997年)でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したことなどで知られる)。斎藤は後に「田中監督映画の研究者」のインタビューを受けて当時のことを語っており、拙記事でも以前紹介した記憶があります。
*4:市川崑監督の妻(本名・市川(旧姓:茂木)由美子)。市川作品の多くで脚本を務めた。流転の王妃 - Wikipediaによれば「和田は夫の映画脚本以外はしない主義」だったが、『田中の粘り強い説得に負けて、本作の依頼を、渋々引き受けた』とのこと
*5:卓越した技術に加え、監督にも遠慮なく意見をいう性格で、「天皇」「ミヤテン(宮天)」と呼ばれた。一方、大映京都撮影所のカメラマン・宮川一夫とともに双璧をなす存在から、「西の宮川、東の宮島」とも言われた(宮島義勇 - Wikipedia参照)
*6:著書『映画監督・田中絹代』(2018年、神戸新聞総合出版センター)
*7:1975年にアカデミー賞名誉賞、レジオンドヌール勲章コマンドゥールを受章(ジャン・ルノワール - Wikipedia参照)
*8:1894~1973年。1935年の『男の敵』、1940年の『怒りの葡萄』、1941年の『わが谷は緑なりき』、1952年の『静かなる男』でアカデミー監督賞受賞(監督賞4度受賞は史上最多)
*9:横浜国立大学名誉教授。著書『明治・大正の農村』(1992年、岩波ブックレット)、『近代日本と農村社会』(1994年、日本経済評論社)、『民衆の教育経験』(2000年、青木書店→増補版、2019年、岩波現代文庫)、『歴史への問い/現在への問い』(2008年、校倉書房)、『語る歴史、聞く歴史:オーラル・ヒストリーの現場から』(2017年、岩波新書)、『日常世界に足場をおく歴史学』(2019年、本の泉社)、『世界の片隅で日本国憲法をたぐりよせる』(2023年、岩波ブックレット)
*11:2015年ノーベル文学賞受賞。著書『チェルノブイリの祈り:未来の物語』『ボタン穴から見た戦争:白ロシアの子供たちの証言』(以上、岩波現代文庫)等
*12:1971~2004年。1996年、一橋大学大学院で経済学修士を取得し、オーストラリアへ留学。2001年にオーストラリア国立大学より歴史学博士の学位を取得。1999年から2003年にかけて、オーストラリア国立大学太平洋・アジア研究所および人文学研究所の客員研究員となる。2004年、悪性リンパ腫で32歳の若さでメルボルンで死去(保苅実 - Wikipedia参照)。穂苅氏の「悪性リンパ腫」に限らず、ガンは「手塚治虫の胃がん(1989年死去、享年60歳)」など早死にをもたらす恐ろしい病気ではあります。
*13:1988年、青木書店
*14:外務省中近東アフリカ局長、アラブ首長国連邦大使、オーストリア大使、外務省経済局長、事務次官、米国大使、ドイツ大使等を歴任。著書『OECD(経済協力開発機構):世界最大のシンクタンク』(2000年、中公新書)、『村田良平回想録』(2008年、ミネルヴァ書房)
*15:よほど「日本政府の交渉」で解放されたに違いないという事実を認めたくない(日本政府に借りを作りたくない)のか、安田は「日本政府に関係なく解放された」説を主張します(例えば安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか? - 高世仁のジャーナルな日々参照)が、まあ常識で考えて「日本政府の交渉」でしょう(直接の交渉者がカタールやトルコといった外国政府だとしても)。
*16:著書『高度成長から経済大国へ』(1988年、岩波ブックレット)、『日本の対外金融と金融政策:1914~1936』(1989年、名古屋大学出版会)、『戦後日本の対外金融』(2009年、名古屋大学出版会)、『なぜ金融危機はくり返すのか』(2010年、旬報社)、『金融危機は再びやってくる』(2012年、岩波ブックレット)、『戦後文学のみた〈高度成長〉』(2020年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)等
*19:1935~2015年。一橋大学名誉教授。著書『象徴天皇制への道』(1989年、岩波新書)、『戦後史と象徴天皇』(1992年、岩波書店)、『現代史を学ぶ:戦後改革と現代日本』(1997年、吉川弘文館)、『近現代史をどう見るか:司馬史観を問う』(1997年、岩波ブックレット)、『明治維新と戦後改革』(1999年、校倉書房)、『戦後史』(2005年、岩波新書)、『昭和の記憶を掘り起こす:沖縄、満州、ヒロシマ、ナガサキの極限状況』(2008年、小学館)、『『坂の上の雲』と司馬史観』(2009年、岩波書店年)等
*21:1920~2014年。東京教育大学名誉教授。著書『商家同族団の研究』(1964年、未来社)、『家と同族団の理論』(1968年、未来社)、『下請工業の同族と親方子方』(1977年、御茶の水書房)、『「学徒出陣」前後』(1992年、新曜社)、『鰤網の村の四〇〇年:能登灘浦の社会学的研究』(1996年、刀水書房)等
*23:東京外国語大学名誉教授。文化勲章受章者。著書『マグレブ紀行』(1971年、中公新書)、『サバンナの博物誌』(1979年、新潮選書→1991年、ちくま文庫)、『サバンナの手帖』(1981年、新潮選書→1995年、講談社学術文庫)、『口頭伝承論』(1992年、河出書房新社→2001年、平凡社ライブラリー)、『〈運ぶヒト〉の人類学』(2014年、岩波新書)等
*25:1899~1983年。大物右翼フィクサー。「1958年(昭和33年)に岸の個人特使として訪韓し、李承晩韓国大統領と会談」「金大中事件で日韓関係がこじれた際には1973年(昭和48年)に岸と共に訪韓し、朴正煕韓国大統領と会談」など、岸とは親しい関係にあった。その一方で1972年(昭和47年)に金炳植朝鮮総連副議長(当時、後に北朝鮮に帰国し、『朝鮮労働党の衛星政党・朝鮮社会民主党の委員長』や国家副主席を歴任)と会談するなど朝鮮総連、北朝鮮ともパイプがあった。大宅壮一は彼を「昭和最大の怪物」と評した(矢次一夫 - Wikipedia参照)
*26:著書『近衛新体制』(1983年、中公新書→2015年、講談社学術文庫)、『評伝・笹川良一』(2011年、中央公論新社)等
*28:立命館大学准教授。著書『〈化外〉のフェミニズム:岩手・麗ら舎読書会の〈おなご〉たち』(2018年、ドメス出版)
*29:金沢大学教授
*30:神戸大学准教授。著書『叫びの都市:寄せ場、釜ケ崎、流動的下層労働者』(2016年、洛北出版)等
*31:大阪大学准教授。著書『「他者」たちの農業史:在日朝鮮人・疎開者・開拓農民・海外移民』(2014年、京都大学学術出版会)
*32:慶応義塾大学教授。著書『政党と官僚の近代』(2007年、藤原書店)、『近代日本の官僚』(2013年、中公新書)、『原敬』(2021年、中公新書)
*33:1919~2018年。外務省アメリカ局長、官房長、オーストラリア大使、米国大使等を歴任(大河原良雄 - Wikipedia参照)
*34:1922~2014年。外務省アジア局長、ユーゴスラビア大使、エジプト大使、中国大使等を歴任
*35:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官等を経て首相
*36:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相
*37:元警察庁長官。大平内閣自治相・国家公安委員長、中曽根内閣官房長官、総務庁長官、宮沢内閣副総理・法相等を歴任
*38:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣外相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)等を経て首相
*39:岸内閣科技庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相、自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行管庁長官等を経て首相
*40:池田内閣経企庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経企庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相等を経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相
*43:社民党政審会長、国対委員長、鳩山内閣国交副大臣、民主党政調副会長、民進党幹事長代行、立民党政調会長、国対委員長等を経て現在、立民党代表代行。著書『いま、「政治の質」を変える』(2012年、岩波書店)、『デマとデモクラシー』(2016年、イースト新書)、『国対委員長』(2020年、集英社新書)等
*44:1921~2014年。大東文化大学名誉教授(近代イギリス史)。穂積重遠の長男。穂積陳重と穂積歌子夫妻の孫で渋沢栄一(歌子の実父、陳重の義父)の曾孫。
*46:東大教授。美濃部達吉らが主張した天皇機関説に対し、天皇主権説を唱えた。
*47:東大法学部長、最高裁判事等を歴任。最高裁判事時代に刑法200条の違憲説(当時は少数意見)を主張した事で知られる。
*48:慶應義塾大学教授。著書『戦後法制改革と占領管理体制』(2017年、慶應義塾大学出版会)
*49:慶應義塾大学教授。著書『福澤諭吉と女性』(2011年、慶應義塾大学出版会)、『福澤諭吉とフリーラヴ』(2014年、慶應義塾大学出版会)
*50:文京学院大学教授。著書『渋沢栄一』(2011年、岩波新書)、『原典でよむ渋沢栄一のメッセージ』(編著、2014年、岩波現代全書)等
*51:1916~2011年。内閣法制局第三部長、第一部長、内閣法制次長等を経て、1972年、第1次田中内閣で内閣法制局長官に就任。1976年、三木内閣改造に伴い内閣法制局長官を辞任。1977年に総理府総務長官の私的諮問機関である公営競技問題懇談会の座長に就任し、1979年に公営競技の場外発売所の新設を容認する吉国答申をまとめた。その他、プロ野球コミッショナー(1989~1998年)、放送文化基金理事長(1993~2005年)など歴任
*53:日本大学准教授。著書『医療保険の行政と政治:一八九五~一九五四』(1998年、吉川弘文館)
*55:第二次西園寺内閣陸軍大臣。陸軍提出の二個師団増設案が緊縮財政を理由に西園寺に拒否されるや、帷幄上奏権を行使して辞任。陸軍は上原の後任者を出さず、軍部大臣現役武官制を利用して内閣を総辞職させた。
*56:東大教授。著書『内閣政治と「大蔵省支配」』(2003年、中公叢書)、『「安倍一強」の謎』(2016年、朝日新書)、『崩れる政治を立て直す:21世紀の日本行政改革論』(2018年、講談社現代新書)、『田中耕太郎』(2022年、中公新書)等
*57:内閣法制局については「自民党の解釈改憲」について、一定の歯止めになってきたとして「法の番人」と表現されることがある。大森回顧録以外でも阪田雅裕(小泉内閣で内閣法制局長官)『「法の番人」内閣法制局の矜持』(2014年、大月書店)がそうした表現の例としてあげられる。なお、内閣法制局長官出身の最高裁判事(憲法の番人)としては「入江俊郎(吉田内閣法制局長官)」「高辻正己(佐藤内閣法制局長官)」「角田礼次郎(大平~中曽根内閣法制局長官)」「味村治(中曽根~宇野内閣法制局長官)」「大出峻郎(宮沢~村山内閣)」「津野修(小渕~小泉内閣)」「山本庸幸(野田、第二次安倍内閣)」がいる(内閣法制局長官 - Wikipedia参照)
*58:岡山地裁、大阪地裁、東京地裁で判事を歴任。その後、法務省に出向して検事となり、1978年に法務省民事局第二課長に、1982年に民事局参事官に就任。さらに、内閣法制局に再出向し、1983年に内閣法制局総務主幹に、1985年に第二部長に、1989年に第一部長に、1992年に内閣法制次長に就任。1996年、第1次橋本内閣で内閣法制局長官に就任し、小渕第1次改造内閣に至るまで務めた
*59:東大名誉教授。著書『オーラル・ヒストリー』(2002年、中公新書)、『近現代日本を史料で読む:「大久保利通日記」から「富田メモ」まで』(2011年、中公新書)、『馬場恒吾の面目:危機の時代のリベラリスト(ボーガス注:馬場は読売新聞社長、日本新聞協会会長など歴任)』(2013年、中公文庫)、『政治家の見極め方』(2016年、NHK出版新書)、『後藤田正晴と矢口洪一:戦後を作った警察・司法官僚(ボーガス注:後藤田は元警察庁長官、矢口は東京高裁長官、最高裁長官等を歴任)』、『宮澤喜一と竹下登(ボーガス注:宮沢、竹下は元蔵相、元首相)』(以上、2016年、ちくま文庫)、『戦前史のダイナミズム』(2016年、放送大学叢書)、『オーラル・ヒストリーに何ができるか』(編著、2019年、岩波書店)等
*60:1926~2023年。自治事務次官を経て内閣官房副長官(竹下~村山内閣)。著書『石原信雄回顧談』(2018年、ぎょうせい)
*61:『政治と人生:中曽根康弘回顧録』(1992年、講談社)、 『天地有情:五十年の戦後政治を語る』(1996年、文藝春秋)、『自省録:歴史法廷の被告として』(2004年、新潮社→2007年、新潮文庫)、『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(2012年、新潮社)のことか?
*62:実際そうなのか、そのように言って「回想録を出す気が無いことを小泉氏が正当化してるのか?」はこれだけでは分かりません。また、こんなことを小泉氏が言っても今後「小泉氏の日記」等の形で何か出る可能性はあるでしょう。
*63:1934~2022年
*64:小泉内閣国家公安委員長、財務相、福田内閣国交相、第二次安倍内閣法相、自民党政調会長(福田総裁時代)、総裁、幹事長(第二次安倍総裁時代)等を歴任。著書『一片冰心:谷垣禎一回顧録』(2024年、扶桑社:産経記者の聞き書き)
*65:戦前、岸信介商工相の元で商工次官を務めた岸の側近。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相、通産相、自民党政調会長(池田総裁時代)、総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中、三木総裁時代)等を歴任
*66:佐藤内閣労働相、福田内閣自治相・国家公安委員長、鈴木内閣文相を務めた小川平二の父
*67:1922~2005年。著書『流通革命は終わらない:私の履歴書』 (2000年、日本経済新聞出版社)
*69:堤には辻井のペンネームで『虹の岬』(谷崎潤一郎賞受賞。歌人で住友財閥重役の川田順の恋愛事件を描いた:中公文庫)、『命あまさず:小説石田波郷』(俳人・石田波郷の評伝小説:角川春樹事務所)、『風の生涯』(産経新聞社長・水野成夫(小説内の名前は矢野重也)が主人公のモデル小説:新潮文庫)、『茜色の空:哲人政治家・大平正芳の生涯』(大平元首相の評伝小説:文春文庫)等の著書がある。
*70:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相、自民党総務会長、幹事長(第二次安倍総裁時代)等を歴任
*71:小泉内閣環境相、第一次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)等を経て都知事
*72:中曽根内閣自治相・国家公安委員長、自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党幹事長(鳩山代表時代)等を歴任
*73:1936~2011年。公明党幹事長、第一次安倍、福田内閣国交相等を歴任
*74:細川内閣郵政相、公明党政審会長、国対委員長、代表等を歴任
*75:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相等を経て首相
*76:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)等を経て首相
*77:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)等を経て首相
*78:1902~1985年。吉田茂首相の側近として終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官を歴任。吉田政権終了後は、東北電力会長を務めるなど多くの企業役員を歴任
*79:橋本内閣経企庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)、首相、第二~四次安倍、菅内閣副総理・財務相等を経て現在、自民党副総裁
*80:中曽根内閣文相、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)等を経て首相
*81:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官、自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)等を歴任
*82:共産党政策委員長等を経て委員長。田村氏については例えば2つの大きな組織のトップが女性に交代したのも、時代の変化なのだろう(日本航空と日本共産党) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照
*84:新党さきがけ代表、細川内閣官房長官、村山内閣蔵相等を歴任
*85:新自由クラブ代表、中曽根内閣科技庁長官、宮沢内閣官房長官、自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長等を歴任。鳩山内閣農林相、池田内閣建設相等を歴任した河野一郎の子。河野太郎デジタル相の父
*86:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相等を経て首相
*87:北海道知事、衆院副議長、議長等を歴任。社会党政審会長、国対委員長を歴任した横路節雄は父
*88:著書『統治機構論の基層』(2023年、日本評論社)、『日本国憲法のアイデンティティ』(共著、2023年、有斐閣)ということで、赤坂氏は歴史学者と言うよりは憲法学者(憲法史学者?)のようです。
*89:希望の党選対委員長、国民民主党幹事長代理、立憲民主党選対委員長を歴任。現在、立民党「ネクスト内閣」官房副長官
*90:衆議院事務局人事課長、庶務部長、議事部長、管理部長、警務部長、憲政記念館長、事務次長等を経て事務総長。2019年(令和元年)6月26日、事務総長を退任。現在は学習院大学客員教授
*91:1931~2023年。著書『沖縄密約』(2007年、岩波新書)、『機密を開示せよ:裁かれる沖縄密約』(2010年、岩波書店)、『記者と国家: 西山太吉の遺言』(2019年、岩波書店)『西山太吉・最後の告白』(2022年、集英社新書)等
*93:村山内閣環境庁長官、森内閣文相(科技庁長官兼務)、小泉内閣農水相、自民党国対委員長(森、小泉、安倍、福田、麻生総裁時代)、幹事長、副総裁(谷垣総裁時代)、衆院議長等を歴任
*94:橋本内閣労働相、森内閣国家公安委員長、第一次安倍内閣文科相、福田内閣財務相、自民党幹事長(福田総裁時代)、衆院議長等を歴任
*95:民社党書記長、新進党政審会長、新党友愛代表、民主党幹事長(鳩山代表時代)、衆議院副議長、菅内閣国家公安委員長等を歴任
*96:勿論「記事に名前が出ている人間」の他にも存命の衆院議長(綿貫民輔)、副議長(衛藤征士郎、赤松広隆、川端達夫)はいる(衆議院議長 - Wikipedia参照)ので彼らにもインタビューするのかが気になります(勿論彼らがインタビューに応じるかという問題もあります)。
*97:「モリカケ桜の疑惑政治家」が「それ」とは改めて屈辱を感じます。
*98:未読です(読む気も無いです)が、特に「モリカケ桜疑惑」など「安倍の都合の悪いこと」はそうでしょう。
*99:国民協同党委員長、片山内閣逓信相、国民民主党幹事長、改進党幹事長、鳩山内閣運輸相、岸内閣科技庁長官(経企庁長官兼務)、池田内閣科技庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官等を経て首相
*100:1939年生まれ。東京学芸大学名誉教授。著書『中国古代史と歴史認識』(2006年、名著刊行会)、『中国古代国家形成史論』(2007年、汲古書院)
*101:1911~1995年。著書『ドイツ資本主義の基礎研究』(1967年、岩波書店)等(松田智雄 - Wikipedia参照)
*102:1919~1998年。著書『秦漢帝国』(1997年、講談社学術文庫)、『古代東アジアと日本』(2000年、岩波現代文庫)等(西嶋定生 - Wikipedia)参照)
*103:1913~2014年。お茶の水女子大教授。著書『洪秀全の幻想』(1999年、汲古書院)等(市古宙三 - Wikipedia参照)
*104:仏教大学教授。著書『近代日本の日蓮主義運動』(2001年、法蔵館)、『近代仏教という視座:戦争・アジア・社会主義』(2012年、ぺりかん社)、『日蓮主義とはなんだったのか』(2019年、講談社)、『近代仏教というメディア』(2020年、ぺりかん社)、『戦後日本の宗教者平和運動』(編著、2021年、ナカニシヤ出版)等
*105:著書『仏教抹殺:なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(2018年、文春新書)、『絶滅する「墓」』(2023年、NHK出版新書)等