新刊紹介:「歴史評論」2024年8月号(追記あり)(副題:田中絹代は映画監督だった)

特集『オーラル・ヒストリーがひらく世界』
【追記】
 オーラル・ヒストリーの重要性と「やっぱり時間が経たないと証言がでてこないな」ということを痛感する - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でご紹介頂きました。
 いつもありがとうございます。
 なお、歴史評論は過去にもオーラルヒストリーを取り上げており、俺も以下の通り記事を書いています。
新刊紹介:「歴史評論」2023年2月号(副題:真珠湾攻撃勝利に歓喜した当時の日本人多数派、ほか) - bogus-simotukareのブログ*1
 さて、「「やっぱり時間が経たないと証言がでてこないな」ということを痛感する」ですが新刊紹介:「歴史評論」2023年2月号(副題:真珠湾攻撃勝利に歓喜した当時の日本人多数派、ほか) - bogus-simotukareのブログもその一例でしょう。
 「日本の勝利を大喜び」なんてのは現在においては黒歴史でしかない。時間が経って「私の黒歴史だが、このままこの記録を表に出さずに死んでいいのか」と当事者が思わないとなかなか表には出ないでしょう。
 あるいは「田中絹代の映画監督」などもそうでしょう。
 拙記事でも
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2020年12月11日版:2021年12月20日に追記あり) - bogus-simotukareのブログ2020.12.11
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/20版) - bogus-simotukareのブログ2021.12.20
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/24版)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ2021.12.24
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実ほか(2021年12/25版) - bogus-simotukareのブログ2021.12.25
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/28版)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ2021.12.28
世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2022年3/2版) - bogus-simotukareのブログ2023.3.2
映画監督「田中絹代」について記事紹介(2023年4月12日)(副題:映画産業の斜陽化(1960年代)と田中の映画監督断念) - bogus-simotukareのブログ2023.4.12
映画「サンセット大通り」から田中絹代を連想した(2023年6月12日記載)(副題:脱線して「死語」についていろいろ)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ2023.6.12
等、以前何度か取り上げましたが。
 情報(来年1月1日から7日まで、都内の早稲田松竹で、田中絹代の監督作品5本が上映される)(ほかにも、女優監督の話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)も同様の指摘をしていますが、

◆第1作『恋文』(1953年)
 木下恵介脚本、森雅之久我美子*2主演(森と久我のラブストーリー)
◆第2作『月は上りぬ』(1955年)
 小津安二郎脚本、今村昌平斎藤武市*3助監督
◆第4作『流転の王妃』(1960年)
 和田夏十*4脚本、船越英二京マチ子主演(船越が愛新覚羅溥傑、京が溥傑の妻・浩)
◆第6作(最終作)『お吟さま』 (1962年)
 有馬稲子仲代達矢主演(有馬と仲代のラブストーリー)。撮影監督・宮島義勇*5

等とそうそうたる面子(日本映画を代表する監督(第1作脚本の木下、第2作脚本の小津、第2作助監督の今村、斎藤)、脚本家、俳優等)が映画製作に関わったにもかかわらず、「田中が映画監督をやった」と言う事実は長い間「興行的に成功せず、芸術的評価もあまり高くなく、田中も途中で映画監督を辞めた」ために「黒歴史」として無視されてきました。当然、第1作『恋文』等、一部を除き、DVDも発売されておらず日本映画史に映画監督として絹代さんの名を刻むきっかけになれば。 「映画監督 田中絹代」著者、津田なおみさんインタビュー - 映画ニュースによれば津田氏*6は「東京国立美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)」所蔵の田中映画を視聴したとのこと。
 日本映画史に映画監督として絹代さんの名を刻むきっかけになれば。 「映画監督 田中絹代」著者、津田なおみさんインタビュー - 映画ニュースによれば『恋文』(1953年)に出演した香川京子(1931年生まれ)は津田氏のインタビューを受けたそうですが、『お吟さま』(1962年)主演の有馬稲子は「映画撮影でいい思い出が無かった」「田中の黒歴史と思ってる」のかインタビューを受けなかったそうです。
 「田中の映画監督業」については最近スポットが当たってきたとはいえ、これもまた「田中や関係者が死去し、過去の歴史化した」からでしょう。

現代に「発見」された監督・田中絹代、内外で上映 女性映画人に脚光:朝日新聞デジタル2021.12.26
映画ジャーナリストの林瑞絵さん
「堂に入った演出ぶり、根底に流れる人間味、ジャンルの多様さに、専門家からは、ジャン・ルノワール*7ジョン・フォード*8ら巨匠監督と重ね合わせる声もあがっていました」

なんて放言は明らかに過大評価でしょうが、これも「田中や関係者が死去し、過去の歴史化した」からでしょう。
【追記終わり】


◆大門正克*9
◆柳原恵*10
◆能川泰治*11
◆安岡健一*12
◆須田佳実
◆清水唯一朗*13
◆高田雅士*14

*1:この記事にもid:Bill_McCrearyさんのコメントを頂いています。

*2:1931~2024年(先日、訃報が報じられました)

*3:今村、斎藤ともに当時は小津の助監督(後に監督として独立。斎藤は小林旭『渡り鳥シリーズ』(1959~1962年)や『愛と死をみつめて』(1964年公開、吉永小百合浜田光夫主演)で知られる。今村は『楢山節考』(1983年)、『うなぎ』(1997年)でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したことなどで知られる)。斎藤は後に「田中監督映画の研究者」のインタビューを受けて当時のことを語っており、拙記事でも以前紹介した記憶があります。

*4:市川崑監督の妻(本名・市川(旧姓:茂木)由美子)。市川作品の多くで脚本を務めた。流転の王妃 - Wikipediaによれば「和田は夫の映画脚本以外はしない主義」だったが、『田中の粘り強い説得に負けて、本作の依頼を、渋々引き受けた』とのこと

*5:卓越した技術に加え、監督にも遠慮なく意見をいう性格で、「天皇」「ミヤテン(宮天)」と呼ばれた。一方、大映京都撮影所のカメラマン・宮川一夫とともに双璧をなす存在から、「西の宮川、東の宮島」とも言われた(宮島義勇 - Wikipedia参照)

*6:著書『映画監督・田中絹代』(2018年、神戸新聞総合出版センター)

*7:1975年にアカデミー賞名誉賞、レジオンドヌール勲章コマンドゥールを受章(ジャン・ルノワール - Wikipedia参照)

*8:1894~1973年。1935年の『男の敵』、1940年の『怒りの葡萄』、1941年の『わが谷は緑なりき』、1952年の『静かなる男』でアカデミー監督賞受賞(監督賞4度受賞は史上最多)

*9:横浜国立大学名誉教授。著書『明治・大正の農村』(1992年、岩波ブックレット)、『近代日本と農村社会』(1994年、日本経済評論社)、『民衆の教育経験』(2000年、青木書店→増補版、2019年、岩波現代文庫)、『歴史への問い/現在への問い』(2008年、校倉書房)、『語る歴史、聞く歴史:オーラル・ヒストリーの現場から』(2017年、岩波新書)、『日常世界に足場をおく歴史学』(2019年、本の泉社)、『世界の片隅で日本国憲法をたぐりよせる』(2023年、岩波ブックレット

*10:立命館大学准教授。著書『〈化外〉のフェミニズム:岩手・麗ら舎読書会の〈おなご〉たち』(2018年、ドメス出版)

*11:金沢大学教授

*12:大阪大学准教授。著書『「他者」たちの農業史:在日朝鮮人疎開者・開拓農民・海外移民』(2014年、京都大学学術出版会)

*13:慶応義塾大学教授。著書『政党と官僚の近代』(2007年、藤原書店)、『近代日本の官僚』(2013年、中公新書)、『原敬』(2021年、中公新書

*14:駒澤大学講師。著書『戦後日本の文化運動と歴史叙述:地域のなかの国民的歴史学運動』(2022年、小さ子社)