松竹伸幸に悪口する(2024年8/19日分)(副題:紙屋の除名について)(追記あり)

神谷貴行氏の除籍と解雇について | 日本共産党福岡県委員会

神谷貴行様
 (1)あなたは、2023年3月5日付のブログ記事で、2月24日の県委員会総会の議論の内容を県常任委員会の了解を得ることもなく独断で公開し、そのなかで、県委員会総会で否定された「松竹伸幸さんの除名処分決定の根拠となった4つの理由はどれも成り立っていない」とする自分の意見を発表しました。
 県常任委員会は、6月21日、あなたのこの行為が、党規約第五条(五)「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」および、第五条(八)「党の内部問題は、党内で解決する」に反することを確認しました。そして、あなたにブログ記事の削除と自己批判を求めました。
 ところが、あなたは、「そのような制約は規約に明記されていない」などと言って受け入れず、自己批判もしませんでした。
(2)あなたは、さらに2024年3月7日にも、問題のブログ記事を再掲示し、規約に反する行為をくり返しました。そして、「(県常任委員会が)『ブログ記事を削除せよ』という決定を行えば、それに従う」と述べながら、削除を求めた県常任委員会の決定を受け入れず、ブログ記事をいまだに削除していません。
 あなたは、2024年5月7日付のブログ記事(※注)を「創作」であると述べていますが、一連のブログ記事と照合すれば、党と党員を誹謗中傷したものであることは、誰の目にも明らかです*1
(3)以上から、あなたは、規約を自分勝手に都合よく解釈しているのであって、実際には規約を守って活動する意思がないものと判断します。
 県常任委員会は、党規約第十一条「党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員、あるいはいちじるしく反社会的な行為によって、党への信頼をそこなった党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる」にもとづき、あなたが自ら党員の資格を喪失したものと判断し、除籍とすることを決定しました。
2024年8月6日
日本共産党福岡県常任委員会
(※注)党の調査を「戦前の天皇制の法廷やスターリン時代のソ連法廷と同じだ」と攻撃し、「(ボーガス注:戦前共産党の大森銀行ギャング事件のように)幹部の顔をした人が『銀行を襲え』って言ったら、何の迷いもなく銀行を襲うんだろうね」と、まじめに活動する党員を侮辱した。

 一応紹介だけしておきます。
【追記】
 文章の引用紹介はしませんが公平のために「紙屋の反論」を上記の通り紹介しておきます。
ありもしない「規約違反」に問われ、不正な手続きとパワハラで追放された事件 - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を


〈旧ブログより〉福岡市長選挙で神谷貴行氏を応援する | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 神谷さんに最初に書いてもらった本は、『理論劇画・マルクス資本論」』です。関西在住のある経済学者から、『資本論』第一巻の神髄である剰余価値について、「他のどの本よりも深い」という評価を頂きました。

 ここでその学者の名前を書かないのが松竹らしい(京都、大阪等と書かないで「関西」とまで曖昧に書くのも「おいおい」ですが)。
 これでは
1)そんな学者はそもそもいないのでは?
2)いることはいるが、

マルクス・『資本論』で書店を攻める | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba2023.7.25
 昨日は予告していた通り、内田樹さん、石川康さんに慰労会を開いていただきました。内田さんより、今後、毎年7月24日は、「『若マル』完成記念日」として、3人で集まろうというご提案がありました。

という「石川康*2神戸女学院第名誉教授」など松竹と親しい人間なので客観的評価と言えるか疑問
と疑われても文句は言えないでしょう。
 まあ「他のどの本よりも深い」という評価も「具体的にどの本と比較したの?(そもそもマルクス関係の著作は当然山ほどあるので、こんなことはそう簡単には言えないと思いますが)」「何がどう深いの?」と聞きたくなる意味不明な発言ですが。

 私が神谷さんに最初にお会いしたのは、『理論劇画・マルクス資本論」』を出したあと、京都に講演会のためにお呼びしたときでした。その頃、私はまだ東京事務所で仕事をしていて、そこに出入りしていた神谷さんのお友だちに対して、「神谷さんにはじめて会うんだよ」と言ったら、こういうんです。
 「松竹さん、待ち合わせ場所が混雑していても、絶対に間違いませんよ」。
 「なぜ?」と聞くと、「だって、昭和天皇の顔をした人が歩いていたら、それが神谷さんですから」。
 神谷さんは、考え方が市民の代表というだけではなく、風貌まで国民統合の象徴のような方なのですね。頑張ってください。

 「岡田眞澄スターリンに似てる」等ならともかく「紙屋が昭和天皇に似てる」とは全く思いませんがそれはがさておき。
 どう見ても風貌まで国民統合の象徴のような方という「この文章」は昭和天皇に好意的ですが、「明仁天皇(現在は上皇)」「徳仁天皇」ならまだしも「共産のレジェンド」小林多喜二を虐殺し、「共産のレジェンド」宮本顕治を不当にも投獄するなど「共産を弾圧」した「戦前日本」の「国家元首(最高指導者)・昭和天皇裕仁)」をここまで美化するとはこの男は、反党行為で除籍されたとはいえ、本当に共産党員だったのか。まさに「共産の汚点、面汚し」「党員の資格などかけらもない男」と言うべきでしょう。
 それにしても松竹だけで無く、紙屋もこうした「昭和天皇美化」について「本心か」「松竹への迎合か」はともかく松竹に同調するんでしょうね。繰り返しますが「除籍されたとはいえそれでも党員か(呆)」と絶句しますね。
 なお、以下のような批判的評価が共産の昭和天皇評価です。

侵略戦争 昭和天皇 自己弁護と「反省」/初代宮内庁長官の手記 公開/首相の反対で「封印」2019.8.21
 戦後約5年半にわたり初代宮内庁長官などを務めた田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを記録した手記が公開されました。
 戦争の開始については「平和を念じながら止められなかった」「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早どうすることも出来ぬといふ事になつてた」(1951年12月14日)などと繰り返し自己弁護を展開。陸海軍の統帥者として侵略戦争に直接の責任を負っていたことへの自覚はまったくみられません。

昭和天皇「拝謁記」公開/戦争責任 国民的議論を2019.8.22
 NHKがこのほど一部公表した田島道治初代宮内庁長官昭和天皇とのやりとりを記録した手記は、戦争への「反省」を述べながらも、自己弁護を繰り返し、陸海軍の統帥者として侵略戦争に直接の責任を負っていたことへの自覚がまったく見られない昭和天皇の姿を示すものとなっています。
 日米開戦(1941年)をめぐっても、自らが出席した「御前会議」で開戦が決定されたにもかかわらず、「平和を念じながら止められなかった」「東條内閣の時ハ既に病が進んで最早どうすることも出来ぬといふ事になつてた」(1951年12月14日)と述べているばかりか、「太平洋戦争ハ近衛が始めたといつてよいよ*3」(1952年4月5日)と近衛文麿元首相に責任を全面転嫁しています。
 終戦をもっと早くできなかったのかという疑問に対し、「事の実際としてハ下剋上でとても出来るものではなかつた*4」(1951年12月17日)と述べて、自己の責任をあくまで否定しています。
 手記にはさらに、昭和天皇がたびたび改憲再軍備に言及し、「吉田(ボーガス注:首相)ニハ再軍備の事ハ憲法を改正するべきだといふ事を質問するやうにでもいはん方がいゝだらうネー」(1952年2月18日)などと述べ、田島氏から「憲法の手前そんな事ハいへませぬ」などといさめられたことも記録されています。
 天皇の地位が戦前の「統治権の総攬者」から新憲法の下で「象徴」へと変わり、「国政に関する権能を有しない」ことになったことを昭和天皇が理解せず、戦前の元首意識を多分に残していたことをうかがわせる内容です。

 なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「自由な言論」という松竹の嘘には心底呆れます。

*1:少なくともこの点については福岡県党の言う通りでしょう。この文章を「福岡県党への当てこすりだ」と理解しない人間は「まともな人間」なら「紙屋の除名に否定的な人間(福岡県党に批判的な人間)ですら」どこにもいないでしょう。紙屋は何とありもしない「規約違反」に問われ、不正な手続きとパワハラで追放された事件 - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政をにおいて本当に「現実の事件とは直接には関係ない創作話だ(俺の要約)」と書いていて脱力しますが。

*2:著書『現代を探究する経済学』(2004年、新日本出版社)、『マルクスのかじり方』(2011年、新日本出版社)等

*3:近衛が首相時代の「仏印進駐(第3次近衛内閣)」等で「石油禁輸」を招くなど、対米関係を悪化させたとはいえ、開戦当時の首相は東条英機

*4:実際には早期降伏を求める「近衛上奏文(1945年2月)」を否定するなど、保身のために「無条件降伏などできない」と天皇自身が降伏を遅らせていました。