以前書いた積極支持ではない消極的支持(諦め)であれ、「デマ扇動やメディア統制による詐欺的支持獲得(いわゆるポピュリズム)」であれ、国民の支持無しでは独裁は成り立たない(追記あり) - bogus-simotukareのブログの続編です。
なお、紙屋記事の本論「玉野和志*1『町内会』(2024年、ちくま新書)の評価」には触れませんので念のため。
玉野和志『町内会——コミュニティからみる日本近代』 - 紙屋研究所2024/8.30
中国共産党のシステムは、末端の意見を汲み取る上で、ある種の「民主的」な性格を持っている。
以前も新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ、新刊紹介:「前衛」2021年9月号 - bogus-simotukareのブログ、『銃後』とは『自由』な『自己実現』ができる時代だった(副題:NHKスペシャル「銃後の女性たち―戦争にのめりこんだ‟普通の人々”」) - bogus-simotukareのブログ、積極支持ではない消極的支持(諦め)であれ、「デマ扇動やメディア統制による詐欺的支持獲得(いわゆるポピュリズム)」であれ、国民の支持無しでは独裁は成り立たない(追記あり) - bogus-simotukareのブログ等、拙記事で書きましたが、こうした民主性を過大評価はできないでしょうが、一方で「過小評価」すべきでもないでしょう。
こうした「一定の民主性」によって中国は今に至るまで共産党政権が存続している。
なお、
中国共産党というと、上意下達のイメージが強いでしょうが、このように基層党組織を見ると、上意下達のみではなく、下から上への意志や情報の流れも存在しています。実態としては、上意下達と下意上達が組み合わされています。(西村晋*2『中国共産党・世界最強の組織:1億党員の入党・教育から活動まで』2022年、星海社新書、pp.67-68)
重要決定事項には上級党組織の承認が必要になります。
言い換えれば、上級党組織は一種の拒否権を持っているわけです。上級党組織が下級党組織を統制する力の正体は承認の権限にほかなりません。
党員大会で最も時間を要するものが討論です。表決の前に支部の党員が意見を表明したり質問をしたりする時間をとります。もし、議論が長引くならば、会議を別の日に持ち越しても問題ありません。討論が終わったら表決ですが、一般的には過半数の賛成で可決、そうでなければ否決となり、少数意見は多数意見に服従することになります。
この辺りは「民主的」かつ「自由」な仕組みなので、中国と関わったことがない日本の読者の多くが意外に思われるかもしれません。中国人は自己主張が強烈な傾向があります。高い教育を受けた人でもそうでなくとも、意見や要求をバンバン言います。中国共産党について、単に上から言われたことをしているだけの組織というイメージを持っている方も多いかもしれませんし、確かに党是や理念などについては上に服従しているわけですが、実際の細々したことの決定については、そうでもありません。むしろ日本の様々な組織のほうが、上の決定にはとりあえず従うとか、会議などで強烈な主張や要求をしないという傾向は強いかもしれません。
とはいえ、党支部の意思決定は民主的な側面だけで構成されるわけではありません。少数は多数に服従し、末端は中央に服従するという仕組みと組み合わされています。(西村前掲p.65)
という記載を紹介した上で「反党分子」紙屋は
それ*3は日本でも実によく見かける光景ではないか。
(ボーガス注:町内会長など地域ボスが仕切る町内会だけでなく)進歩的だと自称している政党*4にもそれはあるし、政党に限らず、PTAや労働組合など、いろんな組織でそれは感じる。
として明らかに「西村本の記載」を「日本共産党」にあてこすっていますが、皮肉にも「日本共産党に一定の民主性があり、だからこそ紙屋や松竹がまるで党内から支持されてないこと」の「自白」にしかなってない気がします。
なお、松竹や神谷が支持されないのは「主張する安保施策が共産支持層(党員、サポーター、後援会員といったコア支持層だけでなくソフトな支持層も含む)にとって右寄りで受け入れがたい」だけでなく、「共産党執行部は俺たちに自由に言わせろ」ばかりで「他人に自由に言わせる気が感じられないこと」が大きいかと思います。
松竹らは「自由な言論」云々を「俺は言いたい放題言う」の正当化にしか使っておらず、『自分の主張は正しい』という思い入れが異常に強い松竹らが、仮に党幹部になればそれこそ「俺(松竹ら)のやりたいようにやる。俺は正しいんだ」と独裁体質を発揮しかねないのではないか。
なお、上記を神谷記事玉野和志『町内会——コミュニティからみる日本近代』 - 紙屋研究所に投稿したところ応答はないもののコメント掲載はされました。神谷は「俺の投稿コメントを毎回掲載拒否」の松竹とは違って「応答はしないが掲載は認めること」で「自由な言論」という自らの主張の建前を「維持する」程度には「誠実」なようです。