「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2024年8/22日分:荒木和博の巻)

映画「シルミド」の題材になった韓国大統領官邸襲撃未遂事件(R6.8.21)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro

 令和6年8月21日水曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1580号。ソル・ギョング*1主演で日本でもヒットした韓国映画シルミド」の題材になった1968年の「1.21大統領官邸襲撃未遂事件」。あれはいったい何だったのかというお話しです。

 「拉致問題解決」を建前上の目的とする「特定失踪者問題調査会」の代表ならそんなことより拉致解決につながる話をしろと思いますがそれはさておき。

青瓦台襲撃未遂事件 - Wikipedia参照
 朴大統領は事件直後、「(報復として)北を攻撃しなければならない」と、憤りをあらわにし、事件を北朝鮮が謝罪しない場合は、報復攻撃を行うべきとの書簡をジョンソン大統領に送った。
 ところが、直後の1月23日にプエブロ号事件が発生する。すでにベトナム戦争を戦っている中で、新たに朝鮮半島で軍事行動を起こす余力が無く、また北朝鮮と同盟関係にあったソ連と直接戦争に至る危険性を考慮して、ジョンソンは外交交渉を選んだ。米国の援助を受けられないと知った朴は、軍の北進を断念した。
 しかし朴は北朝鮮への対抗策を求め、政権内部での発言力を強めたかったKCIA(韓国中央情報部)の金炯旭*2部長が、金日成暗殺部隊の創設を提案した。
 これによって「青瓦台を襲撃しようとした北朝鮮工作員の人数と同じ31人」の隊員から部隊が創設された。部隊は仁川沖合の実尾島で訓練を受けたが、1970年以降南北融和の流れが加速したため、金日成暗殺は現実的でなくなり、1971年に計画は撤回された。
 完全に宙に浮いた存在となった部隊の待遇は悪化し、不満が増大した隊員は1971年8月23日に反乱を起こし、軍・警察との銃撃戦の末に自決した。

実尾島事件 - Wikipedia参照
 1968年1月21日に発生した青瓦台襲撃未遂事件で、捕虜となった金新朝少尉は、朴正煕の暗殺が目的だったと供述。
 朴は激怒して事件への報復として、北朝鮮への軍事侵攻を検討した。しかし、直後の1月23日に起こったプエブロ号事件によって、米国のジョンソン大統領は朝鮮半島有事を回避することにした。当時ベトナム戦争を遂行していたジョンソン政権には朝鮮で新たな戦端を開く余力はなかったためである。米国の援助が得られなくなり、朴も北進を断念せざるを得なかった。
 それでも朴は、ゲリラを使って金日成を暗殺する計画を秘密裏に進め、1968年4月に特殊部隊を創設した。(計画が失敗した場合にトカゲの尻尾切りをするために)隊員は民間人から募集した。北朝鮮と同じ31名の隊員からなる部隊は、実尾島で訓練を重ねた。
 民主党のジョンソンに代わって、1969年に米国大統領になった共和党ニクソンは、デタント(緊張緩和)の一環として1970年7月に在韓米軍の削減を発表した。すると、1971年4月に北朝鮮が統一会談を提案し、9月に大韓赤十字社と朝鮮赤十字会が予備会談を開始、1972年7月には南北共同声明*3が発表され、8月に赤十字本会談開始と、立て続けに南北融和政策が行われる中で、1971年に計画は撤回、部隊は存在しない事にされた。
 しかし、機密保持のため隊員が島を出ることは認められず、目的を見失った訓練が中止されることもなかったため、事実上幽閉状態に置かれた隊員の不満は増大した。
 1971年8月23日、部隊の24名(7名は既に訓練によって死亡)は反乱を起こした。実尾島を脱出して仁川に上陸した隊員は、バスを乗っ取って大統領への直訴(劣悪な待遇の改善など)のために青瓦台へ向かった。
 彼らは途上で軍・警察と交戦、最期は手榴弾で自決した。これにより反乱隊員のうち20名が死亡し、生き残った4名も軍法会議で死刑判決を受け、1972年に銃殺刑が執行された。

 以上の記述だけでも「朴正熙金日成暗殺という最後の一線は結局越えなかったこと(それなりに常識があること)」や「朴も金日成も対立一辺倒で無いこと」はわかります。但し「機密保持」を理由に「隊員を幽閉し続けたこと」で反乱を招いたことは失敗でしたが。 

*1:1967年生まれ。「シルミド(2003年韓国、2004年日本)」以外にも日韓合作映画「力道山 (映画) - Wikipedia(2003年韓国、2004年日本公開:力道山役で主演)」「キングメーカー 大統領を作った男 - Wikipedia(2022年公開、金大中をモデルとする人物役で主演)」等に出演

*2:1925~1979年。朴の側近としてKCIA部長を長く務めた。部長解任後の1973年、米国に亡命。コリアゲートなど朴政権の不正を暴露するも、1979年10月にパリで失踪。KCIAによって暗殺されたと見られている(金炯旭 - Wikipedia参照)

*3:1972年5月に韓国の李厚洛KCIA(中央情報部)部長(1924~2009年)が平壌を極秘訪問(5月2~5日)し、金日成首相(1912~1994年、役職は当時、後に国家主席)や金日成実弟である金英柱朝鮮労働党織部長(1920~2021年、役職は当時、後に副首相や国家副主席を歴任)と会談。続いて金英柱の代理として朴成哲副首相(1913~2008年、役職は当時、後に首相や国家副主席を歴任)がソウルを極秘訪問(5月29日~6月1日)し、李厚洛や朴正煕大統領(1917~1979年)と会談を行い、その結果、合意文章として南北共同声明が発表された(南北共同声明 - Wikipedia参照)