新潟県で全国二番目の拉致問題条例制定【調査会NEWS3914】(R7.3.31)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
啓発教育しても拉致被害者が帰国するわけではない(解決方法は外交交渉のみ)し、「啓発教育」すべき「多数ある社会問題」の内で「拉致だけ特別扱いする」のもおかしな話でしょう。
というか「外国人差別(障害者差別)は辞めよう」と言うような話ならともかく拉致は「啓発で解決する問題ではない」ので最も「啓発に不向きな話」ではないか。
「陰謀論」の話(R7 3 27)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
「山本美保さんDNA鑑定捏造」という明らかな陰謀論(デマ)を放言し、山梨県警を誹謗する陰謀論者「荒木」が「陰謀論」云々とは良くも言ったモンです(呆)。
北朝鮮は拉致被害者をストックしているのではないか(R7 3 31)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
勿論「生存拉致被害者」はもはや一人もいない可能性もあるので、こんなことを無根拠に言っても馬鹿馬鹿しいだけです。
今日3月31日付の信濃毎日新聞新聞。高野清文さんら特定失踪者のことについて書いてくれました。|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
「国内で40人以上発見されて、ほとんどが自発的失踪。北朝鮮拉致どころか犯罪ですらない」なんて特定失踪者を新聞記事(南の島で合宿中に息子は消えた 49年前の失踪は拉致なのか 長野県の家族、揺れる思い|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト参照)にするのはいい加減に辞めろと心底呆れます。
「奇遇だねえ」から始まる拉致(R7 3 28)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
エイプリルフールとは関係ありませんがよど号犯が警視庁を訴えた話(R7.4.1)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
どちらも、そんなことが拉致被害者の帰国(荒木らの建前上の活動目的)と何の関係があるのかと心底呆れます。
なお、提訴についてはよど号ハイジャック実行犯ら3人、名誉棄損で都を提訴…拉致容疑者としてHP掲載「社会的評価が低下」 : 読売新聞*1を紹介しておきます。
原告3人(政府認定拉致被害者・石岡亨、松木薫の拉致容疑者として国際指名手配)とも北朝鮮に在住しています。
但し
魚本公博 - Wikipedia*2
2002年9月に長男(当時23歳)が、2004年1月に長女(当時21歳)と次男(当時19歳)が帰国した。
森順子 (拉致実行犯) - Wikipedia*3
2001年5月に長女(当時22歳)が、2004年1月に長男(当時20歳)が、2004年9月に次男(当時16歳)が日本に帰国した。
若林佐喜子 - Wikipedia*4
2002年9月に長男(当時24歳)、2009年1月に次男(当時14歳)が日本に帰国した
ということで子どもは帰国しているようです。
なぜ北朝鮮は崩壊しないのか(R7.3.24)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
拉致被害者救出を建前としてる団体「特定失踪者問題調査会」の代表「荒木」がこんなことを言ってるのだから呆れます。
「プーチン政権が崩壊すれば戦争が終わる可能性があるウクライナ」ならともかく、北方領土返還を建前とする団体の幹部が「何故プーチン政権は崩壊しないのか」と言うくらい馬鹿馬鹿しい。
プーチン政権が崩壊しても北方領土返還には恐らく関係が無いように、北朝鮮が崩壊しても拉致解決には関係ない。
北朝鮮が崩壊しなかろうと拉致被害者救出が可能なことは小泉訪朝で明白でもある。
というか東ドイツのような「平和的崩壊」ならともかく「しばらく前のシリア」「現在のミャンマー」のような内戦状態になったら拉致被害者救出どころの話ではない。
荒木の目的が「拉致被害者救出」ではなくそれを建前とした「北朝鮮打倒」であることがわかります。
なお、「エジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権(2011年崩壊)」「シリアのアサド政権(2024年12月崩壊)」など過去に独裁的政権が崩壊した一方で
◆中国、ベトナム、ラオス、キューバといった共産党一党独裁政権
◆ミャンマーやエジプトの軍事独裁政権
◆ロシアのプーチン政権
◆カンボジアのフン・マネット政権
フン・マネットは1977年生まれ(フン・セン前首相の長男)。父親のフン・セン*5首相から政権を禅譲され、2023年から首相
など「独裁的政権」は未だ世界中にあるので「北朝鮮が崩壊しないこと」は不思議ではないでしょう。
北朝鮮について言えば「北朝鮮に緩衝国としての価値を認める中露(北朝鮮が崩壊した場合、韓国が隣国となるが、在韓米軍が駐留し続けるならば、中露にとって不利益)」が経済支援しているという要素が大きいでしょう。
*1:ググった限りではこの記事しかヒットせず、拉致の風化を改めて実感します
*2:1948年生まれ。旧姓は安部。1970年によど号ハイジャック事件に参加し、北朝鮮に亡命。1976年に魚本民子と結婚し、魚本姓となる。なお、妻の民子は2004年に日本に帰国。旅券法違反で逮捕され、2005年に懲役1年6ヶ月、執行猶予4年が確定した。
*3:1953年生まれ。よど号グループリーダーだった田宮高麿(1943~1995年)の妻(1978年に結婚)。
*4:1954年生まれ。旧姓は黒田。パリでよど号ハイジャック事件(1970年3月31日)の犯人の一人・若林盛亮(1947年生まれ)と出会い、1977年4月に結婚
*5:1951年生まれ。1985年から2023年まで約38年にわたり、首相。2023年の首相辞任後も与党「カンボジア人民党」党首(フン・マネットが副党首)に留任すると共に、上院議長、枢密院議長に新たに就任し、未だ政治力を保有(フン・セン - Wikipedia参照)