「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(12/11分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり)

 高世以外にも北朝鮮、韓国中心にいろいろ書いています。
梅原猛*1アイヌ民族
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190120
 梅原アイヌ論について言えば
1)梅原が中曽根に直訴して日文研をつくらせたことで中曽根ブレーン扱いされたこと
2)中曽根の「日本人は単一民族」発言
で「梅原アイヌ論が中曽根に影響してるのではないか」と見なされて、世間の扱いはかなり否定的な扱いだったように思います。

参考

知的水準発言(ウィキペディア参照)
 問題の始まりは1986年(昭和61年)9月22日、静岡県田方郡函南町のホテルで行われた自民党全国研修会で行われた当時首相であった中曽根康弘*2の講演である。
『日本はこれだけ高学歴社会になって、相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。アメリカなんかよりはるかにそうだ。平均点から見たら、アメリカには黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い。』
 この発言は日本国内では当初は特に取り上げられなかったが、アメリカでは違った。早速アメリカの各テレビネットワークが取り上げた。ちょうど貿易摩擦の問題で日本への反感が高まっていた時期でもある。
 メキシコ系議員連盟の会長は発言撤回を求める声明をだし、黒人議員連盟は発言の真意を確認するために日本大使館に電報を送った。その他にも日本大使館には多数の抗議電話が殺到した。
 これを受けて9月24日に中曽根は釈明会見を開き、以下のように述べた。
『米国はアポロ計画や戦略防衛構想で大きな成果を上げているが、複合民族なので、教育などで手の届かないところもある。日本は単一民族だから手が届きやすいということだ。演説全体を読んでもらえばわかる。他国を誹謗したり、人種差別をしたわけではない』
 しかし米国側の反発は収まらず、9月25日には米下院に中曽根批判決議が提出され、公民権運動団体である「虹の連合」が松永*3駐米大使に対して、首相が公式謝罪と発言の撤回を行うよう正式に申し入れるなど激しい動きがあった。
 これらの反応に対して、中曽根は改めて謝罪表明を発表した。
『私は、最近の私の発言が多くのアメリカ国民を傷つけたことを承知しており、心からおわびします。
唯一つはっきりさせておきたいことがあります。それは、私は、従来からアメリカの偉大さは、その多様な民族の活力と業績に由来するものであると確信しているということであり、私は、人種差別や、米国社会のいずれかの面を批判することを毛頭意図していなかったということです。』
 市民レベルでの抗議運動はすぐには収まらず、カリフォルニア州では全米黒人地位向上委員会が中心となって日本製品不買運動が始まった。しかし米国政府が謝罪受け入れを表明すると、非難決議案も採択を見合わされ、黒人議員連盟、ヒスパニック議員連盟も謝罪受け入れを表明、次第に事態は沈静化した。
単一民族発言
 この経過の中で、中曽根は日本が単一民族であると発言し、日本国内で批判をあびた。
 この発言に対して北海道ウタリ協会が反発した。当時の日本政府は、国連に対して「日本には少数民族はいない」と報告しているという問題もあり、協会は10月17日に理事会を開き、中曽根に抗議することを決定した。このことは、それまで国内でアイヌ民族が無視されていたこともあり、その存在をアピールする好機会でもあった。実際、これにからんで旧土人保護法の存在が広く知られるようになった。
 10月30日には後藤田正晴*4官房長官が記者会見を行い、中曽根発言の釈明を行った。
『首相はアイヌ民族がいることを否定しているわけではない。国際人権条約で規定されている少数民族はいないということを述べている』
 政府はこの方針で切り抜けた積もりだったらしいが、これが新たな問題発言を引き起こした。
 10月21日の参議院本会議での共産党・児玉健次議員の質問に対する答弁で中曽根はこう言った。
日本国籍を持つ方々で差別を受けている少数民族はいない。梅原猛さんの本を読むと、アイヌとか大陸から渡ってきた人々はそうとう融合しあっている。私も眉なんかも濃いし、ひげも濃い。アイヌの血はそうとう入っていると思う』
 体毛が濃いことは、日本におけるアイヌ差別で常に和人による揶揄とされていたところであり、これをこのような表現で口にするのは中曽根に主観的には差別意思がないとしても、極めて無神経なものと言わねばならない。当然ながらウタリ協会はこの発言に強い不快感を表明した。もっとも、政府側もこの発言は問題として、翌22日の参議院本会議で遠藤要法務大臣アイヌへの人権侵害の存在を認め、「首相に対しても、差別的言動は十分遠慮して頂きたいと要請しておきたい」と述べた。

 アカデミズムでの活動以外にも、スーパー歌舞伎の台本を書いたり、臓器移植に反対したりと広く活躍した。

 自称護憲派の高世が梅原が「九条の会」呼びかけ人であったことに触れないのはなぜなんですかね?
 それはともかく「梅原が臓器移植に反対」というのは事実誤認です。梅原が反対したのは「脳死を人の死とすること」「脳死者の生前の臓器提供意思が確認されない場合に、遺族の意思で臓器提供すること」です。
 彼は「脳死は人の死ではない」「心臓死が人の死だ」としながらも「脳死者が自分の意思により臓器提供を生前申し出てる場合」には「場合によっては自己防衛のために他人を殺すこと(正当防衛や緊急避難のこと)すら法律で正当化されてる」のだから「他者防衛のために自分を殺すこと(臓器提供)」はその臓器提供意思表明が「同調圧力などない自主的な意思であること」がきちんと確認できる場合は人道的行為として認められていいのではないかとして臓器提供には反対していませんでした。
 梅原が問題にしていたことは
1)人の死はあくまでも心臓死であるべき(人工呼吸器をつけないと生きられないとはいえ、人工呼吸器さえあれば生きられる人間・脳死者を『心臓死するまで生かしておきたい』とする家族の意思を無視して死者扱いして、人工呼吸器を外して死なせていいのか。それは単に「医療費を減らしたい」「脳死者なんかに医師や看護師と言ったマンパワーをさきたくない」というリソースの問題ではないのか。それでいいのか)
2)脳死者からの臓器提供はあくまでも当人の意思によるべき(遺族の意思では不可)
という話だったわけです(なお、ウィキペディア梅原猛』は残念ながら『臓器提供に反対』という間違った記述がされています)。
 それについては以下を紹介しておきます。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00000002-mai-soci
毎日新聞『哲学者の梅原猛さんが死去 93歳 文化勲章受章』
 脳死・臓器移植を巡る論議では、脳死臨調の委員として「脳死は人の死ではない」との意見を貫き、総理大臣の諮問機関としては異例の「少数意見」が答申に盛り込まれたが、臓器移植は容認した。

https://special.sankei.com/f/naniwa/article/20190115/0001.html
■産経『脳死に反対、移植は認める。少数意見貫いた梅原猛さん』
・平成2年に設置された脳死臨調は白熱の議論が戦わされた。
「西欧諸国では脳死を死と認め、臓器移植を行っている。どうして日本ではできないのか」。
 こうした多数派に抗して、梅原猛さんは反対を貫いた。
 「臓器移植をやりやすくするために、死の観念を変えようとしているにすぎない」
・といっても、臓器移植に反対ではなかった。
脳死になったら自分の臓器をさし上げたい人がいる。それをもらえば生命をつなぐ人がいる。それに反対する非情さを私はもっていません」。
 梅原さんの少数意見があってこそ、脳死臨調は実りあるものになった。

 しかし高世も「ジャーナリストの看板しょってる」のならこういう事実誤認ははっきり言って恥ずかしいですね。これは高世が「梅原の臓器移植論」についてまともに理解してないことを露呈しています。
 さて高世がこの間違った記述をいつまで放置しておくのが気になるところです。
 もしかしたら「俺のトラバを拒否設定してる高世」ですが、意外と俺のブログは読んでいて「やべえ、そうだったのか!」で記事を訂正し、しかし「俺に対する感謝の言葉は何一つ言わない」なんてことになるかもしれません(苦笑)(追記:1/24現在、未だに「臓器移植に反対」です。高世のブログって読者がほとんどいないんですかねえ?。誰からも指摘がないのか?)。


村木厚子さん*5「プロセスをオープンに」
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190118
【最初に追記】
 書き切れなくなった部分についてhttp://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20181223で書いています。
【追記終わり】

 村木氏が事務次官になるまでの経緯はウィキペディアによると以下の通りです。

村木厚子ウィキペディア参照)
 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長時代に、「凛(りん)の会」に偽の障害者団体証明書を発行し、不正に郵便料金を安くダイレクトメールを発送させたとして、2009年6月、大阪地検特捜部に、虚偽公文書作成*6・同行使容疑で、逮捕された(逮捕当時は、雇用均等・児童家庭局長)。
 逮捕時に舛添要一*7厚生労働大臣は「大変有能な局長で省内の期待を集めていた。同じように働く女性にとって希望の星だった」と、容疑者となった村木に、擁護ともとれる異例のコメントを発表した。しかし同年7月、大阪地検は虚偽公文書作成・同行使罪で、村木を大阪地裁に起訴した。
 2009年11月に保釈請求が認められ、逮捕から約5か月ぶりに身柄が解放された。弘中惇一郎弁護士及び夫も同席した保釈後の記者会見では、改めて無罪を主張した。
 2010年9月10日、大阪地裁は無罪の判決を言い渡した。長妻昭*8厚生労働大臣は「それなりのポストにお戻り頂く」と、無罪が確定した場合は局長級で復職させる旨を言及した。
 その後、2010年9月21日に大阪地検が上訴を断念したため、地裁での無罪判決が確定した。
 その同じ日に朝日新聞は、事件を担当した前田恒彦検事が証拠改竄を行っていたことを朝刊でスクープし、同日夜、前田は証拠隠滅容疑で逮捕された(後に証拠隠滅罪で懲役1年6ヶ月の実刑判決が下り法曹資格を喪失した。また懲戒免職処分が下された)。その後、同年10月1日には、大坪弘道*9大阪地検特捜部長(逮捕時は大阪高検総務部付)や佐賀元明*10大阪地検特捜部副部長(逮捕時は大阪高検総務部付)が、前田による故意の証拠改竄を知りながら、これを隠したとして犯人蔵匿容疑で逮捕された。
 後に大坪と佐賀に懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決*11が下された(また懲戒免職処分を受けた)。
 2010年9月21日、村木の起訴休職処分*12が解かれ、村木は厚生労働省に大臣官房付として復職した。その後内閣府に出向し、9月27日付で局長級の内閣府政策統括官(共生社会政策担当)に就任した。
 2012年2月、国側から得た刑事補償金を、社会福祉法人南高愛隣会に寄付することを表明し、同年3月「共生社会を創る愛の基金」が創設された。
 2012年9月10日付で、厚生労働省社会・援護局長に就任し、3年3か月ぶりに厚生労働省に局長として復帰した。
 2013年7月2日付で、厚生労働事務次官に就任した。女性が事務次官の地位につくのは、1997年に女性初の事務次官となった松原亘子*13労働事務次官以来、16年ぶり2人目であった。
 2015年10月1日付で事務次官を退任。

 今朝NHKの「あさイチ」には驚いた。スタジオのゲストが、冤罪で164日勾留された村木厚子さんだったからだ。
 5ヶ月を超える妻の勾留を支えた夫の太郎さん。
 「5ヶ月が長いのではなく、長いのは終わりが見えないこと。いつ保釈されるのかわからない」と言う。
 長いのは終わりが見えないこと・・・。思わず牛久入管「東日本入国管理センター」に2年、3年と長期に収容されている外国人たちの顔が浮かんだ。
「何よりつらいのが、いつ出られるか分からないこと」と言ったクルド人入所者もいた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180801

 裏返せば例えば「いかにマンデラ*14(1964〜1990年まで26年間投獄)やプンツォク・ワンギャル*15文革以前から18年間投獄)が強靱な精神力を持っていたか」ということでしょうね。
 まあ例はマンデラやプンワンでなくてもいいですが。
 なお、村木氏の出演については

http://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/190118/1.html
NHK あさイチ「プレミアムトーク 村木厚子
 今から10年前、全く身に覚えのない「郵便の割引制度をめぐりうその証明書が発行された事件」で逮捕・起訴され、その後、無罪が確定した元厚生労働省事務次官村木厚子さん。(※事件当時は、局長)
 その勾留期間は、164日にも及びました。極限状態の村木さんを支えたのは、家族と友人からの支援。そして何よりも、娘への思いです。いつか2人が困難に直面したとき、「あのときにお母さんもがんばれなかった」とならないために・・・この思いが心のつっかい棒になったと言います。そんな中、拘置所で見かけた罪を犯した若い女性たちが気になりました。
「ここにくるまでになんとかならなかったのか」。
 そこで、退任後に取り組んだのが「若草プロジェクト」。貧困やDVなどで苦しむ若い女性のSOSに確実に支援が届く新たな仕組みで、瀬戸内寂聴さんと一緒に呼びかけ人となって設立。「あきらめたら何も変わらない」と官から民に移った今も精力的に活動しています。
 「結婚・出産しても働き続けたい」
 男女雇用機会均等法が施行される8年前に労働省に入省。37年半の公務員生活では、子連れで地方への赴任も経験した村木さん。家事・育児と仕事はどのように両立してきたのか。村木さんのさまざまな工夫や経験は、すべての女性に役立つヒントとなりました。

https://togetter.com/li/1309957
NHK あさイチ「プレミアムトーク 村木厚子」のゲスト出演に反響あつまる
朝日新聞東京編集局(コブク郎)
 釈放後に得た賠償金は、知的障がいがあって犯罪をくり返す人を支援する社会福祉法人に寄付されたそうです。
■桜 @sakura_aube
 厚労省の労働統計の不正問題の質問に対しての村木厚子さんの発言に心から同意。
 「不正をやりたくてやっている公務員はいないはず*16。そこには何らかの圧力*17やひずみが起きている。その原因を調べ、不正をしなくてもいい環境を作れるよう外からの目が入ることが必要」
■ボタQ @bota9
 NHKあさイチ」に元厚労省事務次官村木厚子さんが出演中で、「名探偵コナン」は漫画はもちろんアニメは毎週録画、劇場版も必ず観てるそうです。
■てづくり村の部長さん @tezukuri_buchou
・元厚生労働事務次官村木厚子さん。NHKあさイチに出演で話題になっていますが、元事務次官として、政府統計「毎月勤労統計」(ボーガス注:捏造問題)はどうしたのだろうか。検察から無罪を勝ち取った英雄としてだけでなく、(別にあさイチでなくてもいいので)「やらなかった(?)仕事」についても彼女は答えるべきでは。
・最近ではあまり話題にならなくなったが、彼女が事務次官等で活躍してた時、生活保護申請を役所で断る「水際作戦(だっけ?)」の最盛期だったように思うのだが*18
■Guiniol@1/20関ティアD49 @Guiniol1
 (ボーガス注:異例のゴーン長期拘留がフランスメディアに批判されるなど、)ゴーン騒動続く中、今日のNHKあさイチ!」のゲストが村木厚子なのは、なにかの皮肉だろうか
■Wada Hiroshi @Owlwise_Hiroshi
 昔は月200時間越えの残業をこなしていた*19って;外資時代の自身と同じだ
■新津きよみ*20 @niikiyo5
 村木厚子さんは、警察小説がお好きとか。本棚に今野敏さん*21藤原伊織さん*22佐々木譲さん*23の本があるのが見えました。
浦川 @riverura
 働く女性の代表として(ボーガス注:エリートの)村木厚子を出してくるの反則っていうか、キツすぎる。「吉田沙保里*24はこんなことやってたんだから君も頑張れ!」みたいな。(ボーガス注:エリートすぎて)みんながみんな参考になるような人じゃねえ。

を紹介しておきます。

 勾留中、149冊の本を読んだというのもすごい。

 これについては

https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK0401H_U1A100C1000000?channel=DF130120166018
・勾留中は、一日1〜2冊のペースで本を読んだ。年間50冊*25ほどだった読書量は、半年で150冊*26に上った。
・大のミステリー好き。M.コナリーの“刑事ハリー・ボッシュ”シリーズ、P.コーンウェルの“検屍官ケイ・スカーペッタ”シリーズ、大沢在昌*27横山秀夫*28など、その読書歴は推理小説が中心だった。
・多くの友人や支援者が拘置所に差し入れてくれる本には、歴史小説*29やエッセイ*30、児童文学*31など、これまで読んだことのない作家や久々に再会した本も多かった。が、意外にもそれが心の支えになった。絵本『花さき山』もその一つだ。
・『花さき山』
 斎藤隆介*32作、滝平二郎*33絵、岩崎書店、1260円
 あやが山奥で出会ったやまんばは「やさしいことを一つすると、一つ花が咲く」と言う。「優しさと自己犠牲」をテーマにした名作絵本。
●村木さんコメント
「些細なことでも自分のため、誰かのためにできることはあると改めて教えてくれました」

https://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/blog/smith/2013/07/post151209.html
■TV東京・ワールドビジネスサテライト「スミスの本棚」(2013年7月24日放送)
村木厚子:お薦めの本『花さき山』
 色鮮やかな切り絵と、短く力強い言葉が強く心に残る絵本「花さき山」。1969年に出版されて以来、今なお読み継がれる児童書のロングセラーです。
 村木厚子さんがこの絵本と出合ったのは4年前。無実の罪に問われ、長期にわたる勾留を余儀なくされていたときでした。
「すごく自分が惨めな気持ちになってしまいそうなときがあって...。励ましの手紙をもらっても、返事も書けずにうつむいていた。そんなときにこの本を贈ってもらって」
 村木さんの心を打ったのは、「花さき山」の、この言葉。
『この花は、ふもとの 村の にんげんが、やさしいことを ひとつすると ひとつ さく。』
 誰かのために何かをすると、遠くの花さき山に花が咲く。小さなことでも、人のためにしたことで、花が咲く。そのイメージが、村木さんの救いとなります。
「小さい花を咲かせること、自分に何かできることがないかと考えて、『あっそうだ、やっぱり返事を書こう』と。『手紙をもらってうれしかった』と書けば、相手の人がちょっとほっとしてくれる」
 拘置所にいる自分でも、誰かのために、できることがある。そう思ったことで、「心が柔らかくときほぐれて」「すごく救われた」といいます。
 村木さんは、この絵本を、落ち込んでいる人はもちろん、何か大きな仕事をしようと焦っている人にも薦めたいそうです。
「自分は今、十分な仕事ができていない、誰か別の人の方がよほど仕事ができて自分はできていない、そんな悩みってけっこうありますよね。でも、無理に背伸びせずに本当にできることだけをやればいい」
 今できることという小さな花が集まれば、花畑になる。
「想像すると、ちょっとほっとしますよね」
 村木さんは、そんな風に、笑顔で語るのでした。

■『花さき山』のアマゾンレビュー
・TV東京の「ワールドビジネスサテライト」に「スミスの本棚」というコーナーがあります。ある日、厚労省村木厚子さんが出てきてこの本を紹介してくれました*34
「半年近く拘留され、特捜検事の熾烈な取り調べが続いた。心が折れそうになった時に知人がこの本を贈ってくれた。」

を紹介しておきます。

 私は、村木さんが冤罪が晴れた直後に会ったことがある。場所は私が当時(ボーガス注:TBSの番組)「情熱大陸」で取材していた「無罪請負人*35」、弘中惇一郎*36弁護士の事務所だった。時の人だったので、インタビューを申し込んだが断られた。
 以前からメディアに出ないことで知られる村木さんが、生でテレビに出るのを初めて見た。若い女性を支援する「若草プロジェクト」(http://wakakusa.jp.net/)の共同呼びかけ人、瀬戸内寂聴さん*37から、活動を広げるために、どんどんテレビに出てちょうだいと言われたので出ることにしたそうだ。
 これから、どんどん出ていただきたい。

 要するにNHKには出演したかったが、高世のインタビューは受けたくなかった、そういうことじゃないんですかね(苦笑)。これからも高世のオファーなんざ無視して下さると嬉しいです(皮肉のつもり)。
 ちなみにこの若草プロジェクト、http://wakakusa.jp.net/yobikake/index.htmlによれば他には呼びかけ人として、

浅倉むつ子*38
  早稲田大学教授(労働法学)
上野千鶴子*39
  東京大学名誉教授
・菊地裕太郎
  日弁連会長
・熊坂義裕
  医師。元宮古市長。一般社団法人社会的包摂サポートセンター代表理事
小室等*40
  歌手
千葉景子
  日本更生保護女性連盟会長、元参院議員、元法相(菅内閣
山田洋次*41
  映画監督

などが名を連ねていますね。


■日本のIWC脱退によせて
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190112
 「脱退は非常識」ですね。
 捕鯨反対ならもちろんですが、賛成でもまともな人間は「捕鯨のために他のことまで犠牲にするのか。こんなことして他のことに悪影響が出ないと思ってるのか?」「加入し続けても捕鯨再開の見込はゼロではないし、一方脱退したら、領海やEEZ排他的経済水域)以外での捕鯨が不可能になる(もちろん南氷洋なんて領海やEEZじゃありませんので脱退すればかえって南氷洋捕鯨が出来なくなります。脱退前は「将来的に不可能になる可能性がある」とはいえ南氷洋で「調査捕鯨」をしていました)。今まで水産庁南氷洋捕鯨にこだわってたのは何だったの?。それなら最初から南氷洋捕鯨なんかやめれば良かった」という批判的考えしか出てこないでしょう。産経ですら社説で「脱退すべきでない」といってましたから。今からでも脱退表明を撤回すべきでしょう。

 各方面から賛否の意見が出ているが、捕鯨に関する問題作、映画「おクジラさま」の監督、佐々木芽生さんが、日本政府のIWC(国際捕鯨委員会)脱退についてコメントしているので紹介したい。
鈴木:
 IWCから脱退する日本の決断について、佐々木監督はイエス(賛成)、ノー(反対)でいうとどちらですか?
佐々木:
 間違いなくイエスですね。
(中略)
 私もIWCの動向をフォローしてきたので、佐々木さんの意見に賛成だ。

 高世も佐々木氏も非常識極まりない。呆れて二の句が継げません。結局「おクジラ様」なる映画も「水産庁様のためのプロパガンダ映画」でしかなかったんでしょう。見る価値なんかたぶんない。たぶん題名も「お犬様」にかけていて「捕鯨禁止は生類憐れみの令みたい」とでも罵倒したいんでしょう【追記:コメ欄でのid:Bill_McCreary氏の指摘によれば『映画自体は面白かった』そうです】。
 つうか「そういう人に話を聞いて、ナショナリズムをあおったり、水産庁を正当化したりしたいのか(呆)」て話です。
 ただ佐々木氏はともかく高世は本心かどうかは疑問です。救う会にこびて特定失踪者なんて明らかなデマを容認する男が高世ですから。これも「佐々木氏にこびてるだけ」かもしれません。俺は高世を「最低最悪のくず野郎」「人間の風上にも置けない外道で犬畜生」としか思ってません。
 なお、話が脱線しますが「お犬様」「クジラ様」で連想しましたが、横田の奥さんなんか明らかに扱いが「横田早紀江様」ですよねえ。ただし「お犬様」と同じで内心からあの奥さんに共感してる人間は少ない(むしろ内心では反発している)と思いますが。

 ただ、脱退にあたって国会をまったく無視していることについては大きな問題があると思う。友人の水島朝穂*42早大法学学術院)教授が指摘しているとおりだ。

 いやもちろん国会無視は問題ですが「国会の賛同が得られればOK」つう話じゃないでしょう。
 しかし水島氏も「くず野郎」「ウスラバカ」高世なんぞに「友人」と呼ばれて恥ずかしくないのかとは思います。俺なら「お前みたいなくず野郎のカスなんか友人じゃねえよ、ふざけんな!」と言ってるところですが、水島氏も高世との間にしがらみでもあるんですかね。

 議論無用の安倍政権のもとで、この問題にかぎらず、まともに国際的な態度表明ができるのか心配になる。

 いやだから慰安婦とか靖国とか典型的ですがまともに説明なんか出来てないでしょう。
 つうかそこまで言うなら横田奥さんに「安倍に拉致に限らずまともな外交なんか出来ないから期待しない方がいいですよ」ときっちり引導を渡したらどうなのか。


■番組制作はチームワーク
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190111

 きょうはNNNドキュメントのナレーション録り。
 終ってから、ナレーターの小山茉美さん、松本光生さんと一緒にディレクターの大小田直貴と記念撮影。
 小山茉美さんは今は報道ステーションなど報道系の番組のナレーションを担当しているが、もとはDr.スランプのアラレちゃんの声優として知られる存在だった。

 「団塊ジュニア」の小生的には「小山茉美」といえばやはり高世が言うように「Dr.スランプアラレちゃん(1981〜1986年*43、フジテレビ)のアラレちゃんの声」ですね。そして「内海賢二氏(故人)」といえば、小生的には「アラレちゃんを発明した科学者・則巻千兵衛」ですね。
 なお、ウィキペディア小山茉美」によれば「報道番組のナレーションの仕事が増えただけ」であって「アニメや洋画吹き替えの声優」をやめたわけではないようです。 
 しかし「Dr.スランプアラレちゃん(1981〜1986年、フジテレビ)」が放送されていた1980年代と言えば、「アニメがゴールデンタイムに普通に放送されていた」のですが、今や「サザエさん(1969年〜、フジテレビ)」、「ドラえもん(1979年〜、テレビ朝日)」、「ちびまる子ちゃん(1990年〜、フジテレビ)」、「クレヨンしんちゃん(1992年〜、テレビ朝日)」など一部を除いてほとんどテレビのゴールデンタイムではアニメが放送されなくなりましたね。かつこうした「ゴールデンタイムに放送されるアニメ」のほとんどは放送開始が2000年より前です。1990年代が「ゴールデンタイムでアニメが放送できた最後の時期」なのでしょう。フジテレビで日曜に長く放送された「世界名作劇場(1969〜1997年)」も1990年代に放送が打ち切られています。
 たとえば「ルパン三世」も「第1シリーズ(1971〜1972年)から第3シリーズ(1984〜1985年)」はゴールデンタイムに放送だったのに、「第4シリーズ*44(2015〜2016年)」「第5シリーズ(2018年)」では「深夜1時」なんて放送時間になるわけです。

 松本光生さんは演劇ユニット「ハツビロコウ」を率いる俳優だ。
 去年ハツビロコウの演劇を2回観に行った。戦後日本の混迷を描いた「廃墟」、そして安重根伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動の英雄)が登場する「寒花」。

 まさか「安重根に悪口するようなウヨ演劇」ではないでしょう。
 高世も「伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動の英雄」として「英雄」と表現していますしね。
 正直「救う会とズブズブの高世」なら

伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動

とは書いても「英雄」とは絶対に書かないと思っていたので意外です。
 ちなみにこの「英雄」「義士」を「時代背景」を無視してテロリスト呼ばわりし韓国側の反発を買った馬鹿右翼が菅義偉官房長官)という馬鹿者です。

【参考】

https://www.sankei.com/politics/news/140120/plt1401200033-n1.html
■産経【安重根記念館】政府、中韓に抗議「テロリストだ」「平和構築に資さない」 菅長官
 菅義偉官房長官は20日午前の記者会見で、初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺した安重根の記念館が暗殺事件の現場となった中国北東部のハルビン*45駅に19日に開設されたことについて「極めて残念であり、遺憾だ」と述べた上で、外交ルートを通じて中国と韓国に抗議したことを明らかにした。
 菅氏は「安重根は初代首相を殺害し、死刑判決を受けたテロリストだ」と強調。

https://www.sankei.com/world/news/180814/wor1808140025-n1.html
■産経【歴史戦】南北で安重根遺骨発掘へ 韓国の文在寅大統領が表明 埋葬されたとされる中国に協力要請も
 韓国の文在寅*46大統領は14日、初代韓国統監の伊藤博文*47を暗殺し死刑になった安重根の遺骨発掘作業を、北朝鮮と協力して進める考えを明らかにした。日本の植民地支配からの解放を祝う15日の光復節を前に、朝鮮の独立運動家の遺族らを招いた昼食会で述べた。
 1909年10月に事件を起こした安重根は翌年、中国大連市旅順口で処刑され同地で埋葬されたとされるが、遺骨は見つかっていない。発掘作業実現に向け、今後は中国側に協力を要請することも考えられる。
 文氏は「今まで遺骨が発見できず、『解放後、故国で弔ってほしい』という遺言を守れないでいる」と説明した。

【参考終わり】

伊藤博文だって、高杉晋作と一緒に英国公使館焼き討ちしたテロリストだ」
「人斬り半次郎の異名を持った桐野利秋(旧名・中村半次郎西郷隆盛の部下。新政府で陸軍少将)がわかりやすいけど明治新政府の高官になった連中のかなりの部分が志士時代に殺人などに手を染めてる元テロリストだ」
「そもそも『成功したからオーケー』になったけど薩長のやった武力倒幕(政府転覆)なんかテロ以外の何物でもない」
西南戦争を起こした西郷隆盛や彼の部下(桐野など)なんか、もろテロリストだ。西郷は自決したけど捕まってれば佐賀の乱江藤新平萩の乱前原一誠みたいに確実に死刑だし」
「まあ日本政府自体が、閔妃暗殺つう犯罪行為をやらかしたテロ国家だし、確か、安の伊藤暗殺動機の一つは閔妃暗殺への報復*48だし」
「どの面下げて安重根をテロリスト呼ばわりよ?」
「テロリストである井伊直弼を暗殺した水戸浪士が靖国に合祀されてることは菅的にはどう理解されてるの?」
「それいったらダライ・ラマも元テロリストよね?。CIAの支援で中国相手にゲリラ戦やってたし。イヤー、そのうち安倍政権はダライを元テロリスト呼ばわりして入国も拒否してくれるのか。楽しみだ(もちろん皮肉)」
「菅はPLOアラファトなんかも時代背景とか全く無視してテロリスト呼ばわりすんの?」

つう話でもあります。
 しかし「安重根に悪口するようなウヨの荒木和博先生とおつきあいして恥じない、ウヨの高世先生」がそんな演劇を見に行くとは驚きです。
 高世的に「この演劇にどういう感想を持ったのか」聞きたいところですが、具体的な感想を書かないのは
1)今の極右・安倍政権下では下手なことを書くとテレビ局に干される恐れがある
2)「嫌韓国ウヨ集団」救う会や家族会と癒着する現在、下手なことを書くと彼らに攻撃される恐れがある
3)とはいえ「救う会にこびて安重根に悪口したら」松本氏との関係がまずくなるし、「左派、リベラル派の知人」が「あいつ、あんな酷い嫌韓国だったのかよ(呆)」と高世から離れていく危険性がある、だからだんまり
つうことでしょうか?
 「だったら最初から安重根とか高世は書くなよ、何なの、お前?」ですが。
 なお、俺は「民族独立活動家」安重根を尊敬していますよ。日本のような右翼国家ではなかなか言いづらいことではありますが。そして今の日本において「安重根を主人公とする演劇を制作する松本氏」も評価に値するでしょう。

【参考】

安重根ウィキペディア参照)
 元看守の千葉十七とその妻の墓がある宮城県栗原市(旧若柳町)の大林寺には、1981年に安重根の顕彰碑が建立された。これは千葉が安から贈られた「為国献身軍人本分」と書かれた墨書を、千葉の遺族が安の生誕100周年(1979年)に際して韓国に贈ったことへの返礼として、遺墨を刻んだ碑が立てられたものである。碑の裏には山本壮一郎*49宮城県知事(当時)の「日韓両国永遠の友好を祈念」の文字が刻まれ、1992年9月6日からは日韓合同で毎年、安重根・千葉十七夫妻の合同供養が執り行われている。

【参考終わり】

 『風の旅人』編集長の佐伯剛さんが、ブログ『風の旅人〜放浪のすすめ〜』に「人権派ジャーナリスト広河隆一*50の性的暴行について」を書いている。
https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2018/12/30/002225
 佐伯さんは、20歳の時、大学を辞めて海外放浪をする前、広河氏の「パレスチナ」という新書本を読んで、放浪中にアラビア語を学んで、アラブ諸国をまわろうと決め、チュニジアに通ったという。佐伯さんにとって広河隆一氏は尊敬と敬愛の対象だった。広河氏の『Days Japan』立ち上げには佐伯さんが主に尽力し、運営に便宜を図った。だがその後、「権力」を手にした広河氏から恩を仇で返すような仕打ちを受け、世の権力者と同じ振る舞いをするようになった氏から離れていった。今回の事件を起こした広河氏に対しては「詐欺師」と呼びきわめて厳しい。

 で『「権力(?)」を手にした家族会連中から恩を仇で返すような仕打ちを受け』、外務省退職に追い込まれたのが「小泉訪朝の立役者」田中均氏であり、そんな家族会におべっかしか言わないクズが高世仁という男です。
 高世が、広河氏を批判した佐伯氏のように救う会や家族会を「詐欺師」などと手厳しく批判するのはいつの日のことか?
 つうか、セクハラを擁護する気は全くないですが、広河氏には「戦場ジャーナリストとしての実績」があります。罪は重いが「功績も一方ではある」。
 もちろん「功績は罪を免罪しない」が、「罪は功績を全否定しない」。功績は功績としてある。
 家族会や救う会に何の功績があるのか。蓮池夫妻らの帰国は小泉訪朝の成果であって、家族会や救う会の成果じゃありません。
 正直「広河氏に悪口する高世」には「家族会や救う会にこびる手前が何様だ、ふざけんな」「黙れ、かす野郎」つう怒りを禁じ得ません(もちろん広河氏をかばってるわけではありません)。
 しかし「話が脱線しますが」、常岡浩介がツイートで広河氏に悪口してましたが、あれは「正義心の表れ」というよりは「醜い嫉妬」なんでしょう。
 常岡は戦場ジャーナリストを自称しながら知名度も業績もろくにありませんからね。
 奴の最大の業績、それは(奴一人の業績ではないかもしれませんが)未だに「長崎放送在籍時代の警察裏金報道」でしょう。

佐伯さんはこう語る。
 「やっていることが正義かどうかで判断するよりも、物事や人に対する向き合い方や取り組み方が、どれだけ丁寧に行われているかを判断することの方が、大事かもしれない。」 

 佐伯さんのような判断基準で、俺は「田中均氏に無礼極まりない家族会、救う会連中」と「そんな家族会、救う会におべっかしか言わないクズ野郎・高世仁」など人としてかけらも評価しません。高世や横田奥さんはどんなにきれい事を言おうとも「田中氏への態度」だけでも「人間として評価に値しないクズ」「忘恩の輩」と断言して何ら問題ないでしょう。


■沖縄だけでなく本土でも住民投票
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190110

 ウェブロンザに載った石川智也記者(朝日新聞)の素晴らしい記事。ぜひ読んでください。
■『普天間基地を引き取ることにあなたは賛成ですか?:沖縄だけではなく全国で一斉に住民投票したらどうか。「我がこと」として考えるために』石川智也 朝日新聞記者
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019010500002.html?page=1

 何度も書いてて飽きつつあるのですが、馬鹿馬鹿しい。「高世はともかく」天下の朝日新聞記者がここまでバカだとは。
 そんな住民投票をやったところで「引き取ります」なんて住民が多数を占める自治体なんて本土にありはしない、という意味でも、そもそも「そんな住民投票をやろう」という動きが本土にほとんど存在しない(そうした動きは超少数派としてのみ存在する)という意味でも馬鹿馬鹿しい。かつこうした物言いは「横田基地」「岩国基地」など、本土にも米軍基地問題があることを無視してる点でも間違ってる。
 大事なことはそんなことじゃない。
 「根本から考える」つうことです。
 『死後はどうでもいいとブッダは言った』(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190104)をまねれば(?)「本土で引き取るかどうか」なんてことはある意味どうでもいい。
 根本問題の一つ目は「沖縄が何を望んでるのか」。それは「基地がない沖縄」ではないのか。
 であるならその解決法は必ずしも「本土移転」じゃない。「国外移設」でも「駐留なき安保」でも「日米安保廃止」でも何でもいい。
 そもそも澤藤統一郎氏が自ブログ『米軍基地を本土に「引き取る運動」について』(http://article9.jp/wordpress/?p=11414)で言うように「米軍基地は火葬場やゴミ処理場、刑務所などのような『迷惑施設扱いされる傾向がある』が、絶対に必要な施設では必ずしもない」わけです。
 ということで根本問題の二つ目は「なぜ沖縄に米軍基地が必要なのか、いやそもそも日本に米軍基地は必要なのか。安保条約は必要なのか」ですね。
 そうした根本問題を考えることによってしか問題は解決しない。
 小生はそんなことはないと思いますが「どうしても日米安保に基づく基地が必要でその場合は、沖縄に置く必要がある」なら「負担軽減」は当然として沖縄に置かざるを得ないでしょう。
 一方で「日本のどこにおいたって一定の負担は生じる。そもそも米軍基地なんて、日米安保なんて必要なのか。戦前は外国軍は日本に駐留してなかったし、世界には外国軍が駐留してない国はいくらでもあるじゃないか。米軍基地が、日米安保がなければこんな問題は生じない」「仮に日米安保を認めるにしても戦前の日英同盟、日独伊三国同盟は外国軍(英国軍、ドイツ軍)の駐留なんかなかった。そういう形に日米安保を出来ないのか(旧民社党が一時主張していた『駐留なき安保』)」という議論もする必要があるのではないか。
 朝日記者もすべきことは「引き取り」なんて馬鹿げたことじゃなくて「根本から考えよう」でしょう。
 「そんなことは無理だ」といったら問題は解決なんかしないでしょう。で、最後に朝日記事に突っ込んでみます。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190110
 自民党の重鎮議員は私にこううそぶいた。
朝日新聞は『民意黙殺』『民意を海に埋めた』とかさんざん書いてるけどさ、玉城さんは知事選で『だれ一人取り残さない政治』を訴えたんでしょ。沖縄の人は辺野古問題だけで投票したわけじゃないんだよ」

 自民が選挙で勝ってれば「普天間移設が認められた」と居直ったであろうに、無茶苦茶です。自民党もそこまで劣化したのかと思うと二の句が継げません。つうかこの石川記者はこの議員の名前を「菅官房長官」「二階幹事長」などとはっきり書いたらどうなのか。

・(ボーガス注:選挙の争点は普天間移設だけではないと自民が居直るの)であるならば、政策遂行の正統性を得るために、玉城知事が住民投票という手段であらためて辺野古反対の民意を示したいと考えるのは当然だ。
・しかし、今年2月24日に投開票と決まった県民投票に対しては、早くも難題が持ち上がっている。
 投開票事務に必要な予算案が市町の議会で相次いで否決され、普天間飛行場を抱える宜野湾市宮古島市は「投票事務を実施しない」と宣明した。
憲法が保障する参政権を奪われた市民から怒りの声と提訴の動きがあるのは当然だろう。松川市長らは、県の広報活動の中立性に疑問があるというなら、適正で公正な運用をまず県に求めるべきだし、辺野古への移設を推進したいのなら、そのように有権者に訴えて(ボーガス注:住民投票において)多数派を握る努力をすればよいだけだ。(ボーガス注:地元住民多数派がデニー支持の可能性があるからであろうが)投票不参加は筋違いも甚だしい。

 ここまではその通りです。

 社会調査の専門家の間では、日本人へのアンケートは選択肢を奇数にしてはならない、という冗談のような本当の話があるらしい。

 「選択肢を無理に偶数にする必要はどこにもない」「そういう意味では奇数にしていい(絶対に偶数にしないといけないわけではない)」のですがたとえば「非常に良い」「良い」「普通」「悪い」「非常に悪い」という選択肢だと、一般的に真ん中の「普通」に回答が集まる傾向があると言われてるのは事実です。
 つうかそれ「日本人だから」ではなく外国でも「程度の差こそあれ」そうだったと思います。
 いずれにせよ「基地住民投票」において「どちらともいえない」を入れろという自民の主張は詭弁でしかありません。

「基地はどこにも要らない」と言いながら、沖縄への加重負担を放置し続ける。
「引き取り運動に批判的な人は保守よりリベラルに多い」とメンバーの一人は話す。

 馬鹿馬鹿しい。
 「引き取り運動」をリベラルが批判するのは「基地は日本のどこにもいらない」という価値観ももちろんあります。そしてそれが間違ってるとは俺は思わない。
 しかしそれだけが理由ではない。他の批判理由は「そもそも日米安保が必要なのか、安保が必要だとしても沖縄に基地が必要なのかという根本の問題から逃げてる」「本土にもすでに横田、岩国など米軍基地が存在するという問題から目を背けてる」ということ、そして「そもそも引き取りの可能性が低い」ということです。
 「引き取りの可能性が、国外移設や、『駐留なき安保』、日米安保の廃止論より可能性が高いのなら」まだ引き取り運動に展望はあるかもしれない。
 可能性がそれらと比べて高くない(むしろ低いかもしれない)のだから話になりません。
 保守派(というか安倍政権支持層)が必ずしも批判しないのは簡単です。そのような運動に展望などない以上、批判する必要に乏しいからです。
 むしろ「引き取り運動」などやるということはどう言い訳しようと「事実上日米安保の必要性を認めてる」わけです。あげく「安倍政権は悪くない、引き取らない本土の連中(リベラル派含む)が悪い」と言い訳できるからむしろ「感謝したいくらいじゃないか」。
 大体この「引き取り運動」の理屈なら米軍基地以外のたとえば「原発」も引き取るべきなのか。
 「原発はいらない」と主張してる脱原発派は「原発推進派と共犯関係にある」「まず東京や大阪で佐賀の玄海原発や北海道の泊原発などを引き取るべき」なのか。さすがに「米軍基地・本土引き取り派」もそんなことは言わないでしょうが、ならばなぜ米軍基地だけは「引き取り」なのか。

 NHKの2017年の世論調査によると、沖縄では辺野古移設に「反対」が63%を占めたが、全国では「賛成」が47%と、「反対」の37%を上回っている(「どちらかといえば」も含む)。沖縄以外の人に対する「仮にあなたの住む都道府県に米軍基地が移設されるとしたらどう思うか」との問いに対しては、58%が「反対」で、「賛成」は33%だった。

 だったら引き取り運動などやるだけ無駄でしょう。NHK世論調査で「沖縄以外の日本人を調査したところ、過半数が沖縄の米軍基地引き取り(移設)に反対」なのに何の展望があるのか。
 「現実を変えてみせる」というならなぜその変える方向が「国外移設や、『駐留なき安保』、日米安保の廃止論」ではなく、「引き取り」なのか。
 それは理屈の上では
1)引き取りの実現可能性が一番高い、か
2)実現可能性が仮に低くても引き取りが一番適切な考えか
どっちかしかありません。そして俺のような引き取り反対派は1)、2)どちらも成立しないと思うから引き取りなんか支持しない、それだけの話です。それを勝手に「共犯関係」などと悪口されても「ふざけるな!」「まずは1)か2)を証明しろ。話はそれからだ」と怒りを覚えるだけです。

 さらに紹介したい。沖縄の米軍基地を(「全面撤去」ではなく)「本土並みに少なくすべきだ」と答えた沖縄以外の人に、自分が住む都道府県への移設についてどう思うか聞くと、70%が「反対」で、「賛成」は27%だった。

 そりゃある意味当然でしょう。
 「沖縄の米軍基地」を「基地被害があるから基地を減らすべきだ」と思う人間が「ウチの自治体で引き取ろう」と思ったらその方がおかしい。
 そのまま引き取ったら、単に「基地被害を別の人間が受けるだけ」にすぎないからです。
 「沖縄県民は被害を受けたらかわいそうだが、本土の人間なら受けていい」なんてそんな変な話はない。
 しかもその別の人間が、他人ではなく「自分のわけ」ですから、なおさらそんな変な話はない。
 「俺は君の友人だから借金を肩代わりしてやる」というのとは訳が違う。
 「お隣の奥さんが夫にDVされててかわいそう」「お隣の子どもが親に虐待されててかわいそう」「私が代わりに殴られてあげます。そうすれば奥さんや子どもが殴られる回数が減る」位おかしい。
 つうか「引き取り」と抜かしてる人間(高世や朝日の石川記者)ってマジで自分が米軍被害を受けても「沖縄が被害を受けなくて良かった。私が受けて」と思うような変人なんでしょうか?
 それこそ「高世や朝日の石川記者は、だったら朝日やジンネットの社有地で引き取れ」と「『基地は日本のどこにもいらない』という引き取り反対派であれ、『基地は沖縄に置くしかない』という安倍政権であれ」、引き取り運動に否定的な人間から皮肉言われても文句言えないでしょう。

 辺野古への移設強行は本土の民意ではない、基地問題だけで政治家や政党を選んだのではない、とあくまで言うのなら、沖縄と同様に、いまこそ本土でも住民投票を実施し、明確な「民意」を量るべきだ。
 普天間飛行場の代替基地を自らが住む都道府県に引き取ることに賛成か反対か。
 質問はそれ一つでよい。

 「そんなことには反対する国民が過半数」というNHK世論調査がある以上やっても意味がない。
 「やっぱNHKの調査結果通りだ。引き取ってもいいなんて住民が過半数を占める自治体なんてどこにもありませんでした」つう結果しか出ないでしょう。
 仮にやるべき「全国住民投票」があるなら「普天間に基地を移設していいのか」だけでしょう。
 何でこうこの石川記者はバカなのか。こういうあほ記事を書いてどや顔する。呆れて二の句が継げません。「高世の個人ブログ」ならまだしもこんな駄文を掲載するウェブ論座も頭がおかしい。
 それとも「悪意(?)に理解すれば」そういう住民投票を実施することで「引き取り運動の現実性のなさ」を引き取り運動派に思い知らせ、運動をやめさせる、つう事でしょうか?
 NHK世論調査がある以上、まともな人間ならそんな住民投票をしなくても引き取り運動に展望がないことは分かるし、引き取り運動を主張するような「まともでない人間」は「全国住民投票結果」が「彼らの敗北」でも、それに全く納得はしないでしょう。 
 「我々の運動がまだ足りないから頑張る」つうだけでしょう(頑張っても展望などないでしょうが)。「引き取り運動に展望が見えないからやめます。他の方向性を目指します」とはおそらくならない。
 彼ら「引き取り運動派」はいつまでたっても「実現可能性が高いとは思えないのに、なぜ引き取りでないと駄目なのか」「なぜ国外移設や、『駐留なき安保』、日米安保の廃止論など他のやり方では駄目なのか」説明できないし、おそらく説明する気すらないわけです。


■『死後はどうでもいいとブッダは言った』をまたネタにしてみます
 拙記事(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20181124/5064208022)で、高世記事『死後はどうでもいいとブッダは言った』(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190104
を取り上げましたが「仏教について無知な小生が知らなかっただけ」で高世のような指摘は以前からネット上にあるようですので、この機会にいくつか紹介しておきます。
 なお、「話が仏教から脱線しますが」高世の指摘が事実なら「仏教も後世の人間によって相当ゆがんだ」わけです。
 ここからは「スターリン主義を理由にマルクス主義を批判的に語る」「十字軍などを理由にキリスト教を批判的に語る」「イスラムテロを理由にイスラム教を批判的に語る」といった行為が「いかに危うい」か示してると思います。
 「後世の人間がゆがめた可能性」を考えれば、そうした批判的な物言いは安易に行うべきではない。つうかまあ、多くの共産主義者キリスト者イスラム者は、そうした問題点を「後世のゆがみ」「本質からの逸脱」と見なしてるわけですが。

ウィキペディア「輪廻」
ブッダの教説は輪廻の存在を認めるものなのか、否定するものなのかという議論は、現在も日本の仏教学会では続いている。
・現代の日本の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には、「ブッダは輪廻を否定した」という主張が少なくない。
・輪廻転生を理論的基盤として取り込んだインド社会のカースト差別に反発して、インドにおける仏教復興を主導した宗教家ビームラーオ・アンベードカル(1891〜1956年:初代インド法務大臣、インド憲法の起草者)は、独自のパーリ仏典研究の結果、「ブッダは輪廻転生を否定した」という見解を主張した。このようにブッダによる輪廻否定を積極的に主張するインドの仏教徒グループを、断見派と呼ぶ。

ウィキペディアブッダとそのダンマ』
 インド仏教復興運動の指導者アンベードカルの著書。彼の仏教理解を交えつつ釈迦の生涯を描く。原書は英語で書かれ1957年にボンベイで刊行された。日本語訳は山際素男*51(2004年、光文社新書)。
 輪廻や業を否定し、無神論に近い立場をとる。

http://j-furusawa.hatenablog.com/entry/2017/09/14/210000
 一般に、仏教は輪廻転生を説く宗教として理解されているが、本著では輪廻転生はきっぱりと否定されている。
 神もない。霊魂もない。輪廻転生もない。仏教は、極めて合理的な宗教である。
 そう説くアンベードカルの筆致もまた、実に理知的である。
 本著は、しかしながらそのラディカルな内容ゆえに、東南アジアはじめ既存の仏教国からは批判されたようだ。「これは『ブッダとそのダンマ』ではない。『アンベードカルとそのダンマ』だ」といった具合である。
 だが、それを言うなら、日本の仏教の開祖たちだって同じではないのか。親鸞しかり。道元しかり。日蓮しかり。
 彼らもまた、仏典を自分なりに読み込み、「これこそ本物の仏教だ!」との確信に至って、自らの教えを広め、宗派をおこしていったのである。
 アンベードカルもそれと同じ、と考えればよいではないか。彼によって「仏教アンベードカル宗」が打ち立てられたのである。

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/541f58fcafa1818899daef799a40b1dc
 『ブッダとそのダンマ』はアンベードカルが書いた仏教入門書。
 とは言っても、そんなに読みやすくはない。
 この本によると、釈尊の出家の動機はコーリヤ国との戦争を避けるためである。
 シャカ族の国とコーリヤ国とは国境を流れる川の水利権を争っていたが、とうとう怪我人が出る衝突があり、宣戦布告をするかどうかが話し合われた。
 釈尊は「戦争はいかなる問題をも解決しない。戦争を起こすことは我々の目的にそわない。別の戦いの種を蒔くだけだ。殺人者は殺人者を生み、征服者は己の征服者を作り、略奪者は己を略奪する者を生む」と言い、話し合いで解決するよう提案した。
 釈尊の案は否決され、主戦論が可決された。
 あくまでも戦争に反対する釈尊は、一族が社会的にボイコットされ、一族の土地を没収されないよう、出家して国を去ることにした。
 こういう話は聞いたことがなかったので驚いたが、解説を読むと、アンベードカルの創作だそうだ。
 釈尊の出家は四門出遊というたとえ話で示されるような苦しみからの脱却ではなく、政治的に強制されたものだと、アンベードカルは主張するのである。
 釈尊が出家したあと、コーリヤ国との戦いに反対する示威運動が起こり、和睦をすることになり、争いは平和裡に解決した。
 和解したのにどうして出家を続けるのか、戦争が終わったのだから、自分の問題も消滅したのだろうか、と釈尊は自問する。
「戦争は元々対立なのだ。それはより大きな問題の一部に過ぎない。この対立は王や国同士との間だけではなく、貴族とバラモン、家族間、母と子、子と母、父と子、姉弟間、仲間同士の間で起こっていることだ。国家間の対立は時折のものだが、階層間の対立は恒常で絶え間がない。これこそこの世の悲しみ苦難の根元なのだ」
「私の問題は一層深まったのだ。この社会的対立という問題の解決を見出さなくてはならない」
 このようにアンベードカルは説明する。
 不可触民の地位向上を第一に考えるアンベードカルとしては、個人的苦悩よりもまずは社会の問題に目を向けるのも当然だろう。
 だからといって、個人の心を問題にしないわけではない。
ブッダの教えで最初の際立った特色は、あらゆるものの中心に〝心〟をおいたことである。〝心〟は物事に先んじ、支配し造り出す。もし〝心〟を完全に把握すれば全ての事も把握できる」
「第二の特色は、我々の内外に起こるすべての善悪は心が生み出す」
 アンベードカルの一生は不可触民への差別をなくす社会作りに捧げられたと言える。
 そのためには制度を変えるだけではなく、人の心をも変えていかなければならないとアンベードカルは考えたのだと思う。
 アンベードカルは、釈尊の教えは超自然主義、創造神、梵我一如、霊魂信仰、魂の輪廻転生、カルマ信仰、供犠信仰、死後の世界信仰などを否定していると言うが、しごくもっともである。
 カルマ信仰とは前世の行為によって現在の生活が決められているという考えである。
「前世カルマ説は全くもってバラモン教義そのものである。現世に影響をおよぼす前世のカルマはバラモンの霊魂説と全く合致するがブッダの非霊魂説とは全然一致しない。これは仏教をヒンズー教と同じものにしようと考えた何者かか、仏教とはいかなるものかを丸で知らない者によって持ちこまれたものである」
「前世カルマが来世を支配するというヒンズー教義は正に邪悪なものである。このような教義を作り上げた目的は何であったのか。考えられる唯一の目的は、国あるいは社会が貧しく身分の低い人びとの悲惨な状態に対し責任逃れするためである」
 貧しい人々の状態に対して前世カルマ説で「責任逃れ」をしたのではなく、その状態を維持するために積極的に前世カルマ説を説いていたのが日本仏教である。

http://www.dia.janis.or.jp/~soga/
■輪廻転生あるいは死後生
 輪廻転生・死後生と無常=無我=縁起とは、両立不能だと思う。どちらか一方を取れば、他方を否定せざるを得ない。古来、両者の辻褄を会わせようとする試みが続けられてきたが、納得のできる説明にはまだ出会ったことがない。
 輪廻転生は、インドに広く見られる考えだ。一方、無常=無我=縁起は、釈尊の教え独特のものだと思う。それ故、私は無常=無我=縁起をとる。輪廻転生は、仏教外から「仏教」に忍び込んだ非仏教思想だと思う。
 勿論、経典に輪廻転生が説かれていることは知っている(例えば、パーリ中部4恐怖経(怖駭経))。しかし、初期経典とて、釈尊の教えそのままではない。上の理由で、輪廻転生は、釈尊の教えではないと思う。
 死後生を考える時、問題になるのは「無記」だ。釈尊は、死後についての問いに答えられなかった。それ故、現代の我々も、死後に関しては、判断を保留するのが正しい態度である、そう考える人は多い。
 しかし、釈尊の時代は、人々が輪廻転生を信じていた。無常=無我=縁起を納得する前に「死後生はない」と聞けば、人々はかえって間違った判断をして苦を増やす。釈尊はそこまで考えて、無記とされたと思う。
 無記は、判断保留ではなく、相手にさえしないこと、通常の否定以上の否定だと思う。
 現代日本では、死後生は常識ではない。その中で、ことさらに輪廻転生・死後生を説く「仏教」には、執着心につけ込もうとするものも少なくない。さらに、輪廻転生と整合させようとすれば、無常=無我=縁起の切っ先の鋭さは、丸め込まれてしまう。悪しき「仏教」を撲滅し、無常=無我=縁起を正しく保つため、輪廻転生とか死後生などはないと明言したい。

https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1785924.html
■釈迦は霊魂不滅論は説かなかった
 世界的な仏教学の常識によれば、釈迦はアートマンの永遠性(霊魂の不滅論)を説かなかったと言われている。(そのことは意外にも一般的には知られていない。)しかし、釈迦は、アートマンの不滅性を信ずる者に対しては、アートマンの不滅性を否定することもしなかったとも言われている。すなわち、アートマンの不滅性を信ずる者に対しては、それはそれでよい、その道を行きなさい、ということであったのだろう。
 一体、何ゆえに、釈迦はアートマンの不滅性について肯定も否定もしなかったのだろうか?
 これらのことに関して、抽象的な解説をしたのが、(このブログで別のところで論点にもなった)実は、ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』の根幹でもあり、その重要な部分であったのだろうと、私は考えているのである。
 要は、人間にとって決して知ることのできないアートマンの有無とは、釈迦の悟りには関係のないものであると言えそうである。
 それでは、釈迦はアートマンの有無を離れた(捨て去った)にもかかわらず、釈迦以降の多くの仏教は、何ゆえに、アートマンの「有」(存在、実在)を、再び、取り込まなければならなかったのだろうか?
 そのことは、釈迦が生きていた時代も含めて、特に釈迦以降の仏教者の多くが、釈迦の根本を理解していなかったのだという一言で一掃されるべきものでは決してなく、アートマンの「有」に関しては、人間の彼岸願望の欲求を満たすべき教理を取り込まなければ、仏教のその後の存続を難しいものにしたのだろうと、私は推測するものである。

https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1812466.html
■釈迦が神を立てない理由とは?、から一部引用
 要約すれば、釈迦は、「霊魂不滅説」も「梵我一如説」も説かなかった、そして「輪廻の生存」(輪廻転生説)に対する妄想を捨て去ることが説かれていたわけである。

https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/65380541.html
■次第説法について、から一部引用
 このブログにおいて、これは、私が、過去に何度も言っていることであるが、初期経典には、どう考えても、数多くの矛盾する多くの異なった教えが説かれている、ということは明白である、と私は思っている。
 具体的に言えば、初期経典には、一方では、無我や無常が説かれており、また、その一方においては、来世や天生の思想や輪廻などが説かれている、ということである。
 そもそも、初期経典は、矛盾だらけのものであり、それは、一見すると、「混乱のるつぼ」のようにも捉えられるのであるが、しかしながら、そういった、初期経典で語られている、「多くの異なった教え」というものは、言い換えれば、これらの疑問(難点)を説く鍵は、釈迦が行っていたといわれる「次第説法」という法の説き方によって、それらが矛盾するものではない、ということが明らかとなってくるのだと、私は思っている。
 このことの詳細に関して、仏教学者の水野弘元*52博士は、経典に記されている「ヤサへの説法」をもとに、『釈尊の生涯』(春秋社)の中で、次のように言っている。
 『釈尊は、まだ佛教を知らない初歩の者には、まず施、戒、生天の三輪を説き、相手が業報思想を理解し、因果の道理を正しく信ずるようになると、次にいよいよ佛教的な苦集滅道の四諦を説かれるのが普通であった。これを次第説法という。もし相手の心が因果の道理を信じないならば、四諦の教えを説いても、彼はこれを理解しないであろうし、また理解することもできないであろう。因果の道理を信ずることによって、始めて佛教の学説を受け入れるだけの心の準備ができるのである。』P.140
 釈迦の時代にはもちろんのこと、それは、現代においても、いきなり、経典を全く読んだことがない、仏教の予備知識もない人に、釈迦の核心的な教えを説いても、おそらく、多くの人たちは、共感するどころか、見向きもしないのだろうと思う。
 釈迦は、あるいは、阿羅漢になった釈迦弟子たちは、実は、経典に書かれているように、次第説法をもって、在家信者や入門したての修行者たちに、それらを説いていたと観るなら、つまり、経典を、近視眼的ではなく、異なったレヴェルにおいて、それを見るのなら、初期経典の矛盾は、すべて解消するのではないのだろうかと、私は思っている。

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■馬場紀寿『初期仏教 ブッダの思想をたどる』岩波新書を読んで、から一部引用
 生天(天界に生まれ変わること)については、わたしは釈尊の教えの本意ではないと考えるが、律蔵においても「次第説法」(順序だった話)と位置づけられている。当時の常識に染まった人をだんだんと導くための途中の方便的な教えということだ。生天はバラモン教の目指すところだったのである。例えば、梵天界に再生するにはどうすればいいか問う人にサーリプッタが慈悲喜捨を教えたのに対して、釈尊は、もっと優れた教えである解脱をなぜ説かなかったのかと尋ねている。つまり、生天は途中の方便的な教えであり、釈尊の教えのゴールではないのだ。
 バラモン教は、不浄を避け祭式を決められたとおりに行うことで天界に生まれ変わることができると考えた。ジャイナ教は、霊魂にあたるジーヴァが、所有や殺生による業物質の流入によって汚染され輪廻を繰り返していると説き、なにも持たず裸で暮らし、殺生をせず、苦行によって業物質を滅することで、輪廻から解脱できると説いた。
 仏教は、このような他教の教えの枠組みを前提にしつつ、それをずらすやり方で教えを説いている。例えば、天界に生まれ変わるには、祭式で供物を火に投じることよりも、慈悲喜捨、利他心が大切だと説く。輪廻から解脱するには、苦行ではなく、布施をしてよき生活習慣を身につけよ(戒)と教える。
 次第説法*53がなされた理由の一つは、馬場先生も言及している社会秩序への配慮があったと思う。バラモン教の生天思想にせよ、ジャイナ教の解脱論にせよ、付随的結果的にであれ世の中の秩序維持に貢献していた。不浄を避け悪をなさないという倫理的な効力があったのである。それなのに、初心のものにいきなり核心の無常=無我=縁起を説いて、未消化な理解のまま、伝統的な倫理基盤を軽視するようになれば、世の中を乱すことになりかねない。かえって苦をつくることになってしまう。
 (ボーガス注:嘘も方便である次第説法の)その中から釈尊の真意を抽出しなければならない。

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 そもそも「輪廻説*54」というのは最初期の仏教にはなかった考えである(1)。「日本の原始仏教研究の第一人者は?」と問われれば、多くの人が今でも「中村元*55博士」と答えるであろう。その中村博士は「釈尊の神格化」の問題を扱われている文章の中で次のように言われている。

 釈尊が超人的なものであると考えられるとともに、インド人一般の輪廻の観念と結合して、過去世に釈尊は善根を積んだからこの世に仏として現われ出たのだと考えた。そこでゴータマの前世についていろいろな想像がなされる。釈尊は過去世にカッパ(Kappa)といい、バカ(Baka)梵天の弟子であったとか、過去世にカッサパ仏の世にジョーティパーラ(Jotipa_la)というものとして陶工の友であったともいう。カッサパ仏と釈尊との関係はジャイナ教からとり入れたものらしい。ジャイナ教でもカーシャパ(Ka_sノyapa)はマハーヴィーラジャイナ教の真理を授けたということになっている。
中村元『ゴータマ・ブッダ釈尊の生涯─原始仏教I』(中村元選集第11巻)、春秋社、1969年、pp. 514)

 すなわち、「輪廻の観念」は“最初期の仏教にはなかった”のに、「釈尊が超人的なものであると考えられるとともに」、仏教の中に取り入れられたということである。
 増谷文雄氏*56もまた原始仏教の研究者としては有名な人であるが、その増谷氏も「ブッダの説いたことのなかには、そのような考えはまったくなかった」と言い切られている。

 今日においても、わが国では、仏教とは来世のことを説くものであると考えている人々がすくなくないように思われる。それには、いろいろの理由があることであるが、なかでも、仏教僧侶が死者の祭葬と供養のことをつかさどる司祭者の役割をはたしたこと、ならびに、仏教のなかに生天もしくは往生を説く思想がとりいれられて、それが後代の仏教のなかに大きな流れを形成したことが、その直接にして最大の理由と考えられる。それらの功罪については、いまは簡単にいうべきではない(D、仏教の歴史、参照)が、ブッダの説いたことのなかには、そのような考えはまったくなかった。
(増谷文雄『仏教概論』(現代人の仏教12)、筑摩書房、1965年、p. 17)

 しかし、原始仏教研究者の論を待つまでもなく、「輪廻説」という考えが、仏教の根本教説であるところの「無我説」とは真っ向から対立する考えであるということは火を見るよりも明らかである。「輪廻説」というからには「何らかのものが輪廻する」のであろう。しかも、その輪廻するところのものは「(肉体が消滅しようが世界がどう変化しようが)永遠に不滅」というものとされる。しかし、そのようなもの(我)の存在を否定する考えこそが仏教の「無我説」だったのである。

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 確かに一部の仏教学者を除けば、「輪廻転生*57」が仏教だと思われています。
 しかし、古典的なところでは和辻哲郎*58先生の『原始仏教の実践哲学』(岩波書店、1970年〔改版第一刷〕、pp. 273-293)、最近では、真宗小川一乗先生*59曹洞宗の角田康隆先生*60等が輪廻転生説を批判されていますね。
 例えば、ある人間が死ぬとします。そうしたら、(ボーガス注:この文章の筆者が『本当の仏教』と考える『仏教』では輪廻転生などはないので)その人の自意識とか精神活動とかいうものは完全に無くなります。しかし、残された人々とその人の“関係性”というものはその時点で全く無かったことになるわけではありません。「関係性」というと難しいかもしれませんが、“お互いに影響を与え合う”その関係性のことです。極端なことを言えば、その人が死んだという事実を知らされていない人にとっては、その事実を知らされる瞬間までは、現にその人は生きているのです。つまり、一人の人間の人格というものは、実はそういう関係の網目の中のひとつの結び目のような現象のことであって、そういう関係性から切り離して独立自存するような我(自己同一性)などはもともとないということです。仏教の縁起の考えに立つ限りそうなります。人間・釈尊は確かに死にましたが、釈尊の人格(精神・思想)は、“釈尊の言葉(経典)”という形で、現在も他者に語り掛けています(2)。だから、仏弟子の心の中に釈尊は生き続けている(3)。

*1:京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。著書『人類哲学序説』(岩波新書)、『古事記(増補新版)』、『縄文の神秘』(学研M文庫)、『仏教の思想(上)(下)』(角川文庫)、『空海の思想について』、『哲学する心』、『日本文化論』(講談社学術文庫)、『飛鳥とは何か』、『神々の流竄』、『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』、『文明への問い』(集英社文庫)、『最澄空海』、『法然の哀しみ(上)(下)』、『親鸞の告白』、『親鸞のこころ』(小学館文庫)、『森の思想が人類を救う』(小学館ライブラリー)、『隠された十字架:法隆寺論』、『水底の歌:柿本人麿論 (上)(下)』、『黄泉の王:私見・高松塚』(新潮文庫)、『美と宗教の発見』(ちくま学芸文庫)、『地獄の思想:日本精神の一系譜』、『日本人の「あの世」観』(中公文庫)、『怨霊と縄文』(徳間文庫)、『梅原猛の「歎異抄」入門』(PHP新書)、『戦争と仏教』(文春文庫)など

*2:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官を経て首相

*3:駐メキシコ大使、外務事務次官、駐米大使を歴任

*4:警察庁長官。大平内閣自治相・国家公安委員長、中曽根内閣官房長官、宮沢内閣法相など歴任

*5:厚労省雇用均等・児童家庭局長(逮捕当時)、社会・援護局長(無罪判決後)などを経て厚労事務次官。退官後は伊藤忠商事社外取締役住友化学社外取締役SOMPOホールディングス社外監査役津田塾大学客員教授など歴任。高知大学卒(高知県出身)であり、東大卒が事務次官になることが多い霞が関では、珍しい地方国立大学出身の次官。著書『あきらめない:働く女性に贈る愛と勇気のメッセージ』(2014年、日経ビジネス人文庫)、『日本型組織の病を考える』(2018年、角川新書)など

*6:ちなみに法律上は「権限のない人間が嘘の公文書を作成すること」が「公文書偽造」で「権限のある人間が中身が嘘の公文書を作成すること」が「虚偽公文書作成」です。まあ刑罰の重さに違いはないですが。

*7:第一次安倍、福田、麻生内閣厚労相都知事を歴任

*8:鳩山、菅内閣厚労相民主党代表代行(岡田代表時代)、民進党選対委員長(前原代表時代)などを経て、立憲民主党代表代行(政調会長、選対委員長兼務)

*9:大阪地検特捜部副部長、神戸地検特別刑事部長、京都地検刑事部長、大阪地検特捜部長、京都地検次席検事など歴任

*10:大阪地検岸和田支部長、大阪地検特捜部副部長、神戸地検特別刑事部長など歴任

*11:執行猶予なので法曹資格は失われなかったが弁護士会入会が認められなかった。

*12:民間企業と違い国家公務員の場合、有罪判決が確定しない限り免職ではなく、休職処分になります。

*13:労働省婦人局長、労働基準局長、労政局長を経て労働事務次官。次官退官後も駐イタリア大使、電通社外取締役など歴任。

*14:1918〜2013年。アフリカ民族会議議長。1993年ノーベル平和賞受賞者。南アフリカ大統領

*15:1922〜2014年。全国人民代表大会常務委員、中央民族委員会副主任など歴任

*16:まあそれはモリカケにせよ、朝鮮学校無償化除外にせよ同じ訳です。

*17:はっきり言えば安倍の圧力ですが。

*18:まあ、「毎月勤労統計捏造」も「水際作戦」も彼女一人の責任ではないですがそういう村木批判ももちろん大事ですね。別に我々「村木ファンクラブ」じゃないわけですから。そういう是々非々(評価すべきは評価するが、批判すべきは批判する)が出来ない人間だと「村木さんが検察と戦ったことを評価しないのか!」「退官後の市民運動を(以下略)」とかバカ言い出すわけです。まあ、id:Mukkeとか言うダライ盲従、I濱盲従のバカがダライラマ関係、I濱関係で言ってた「ダライ擁護、I濱擁護(ダライ猊下は偉大な宗教家だ、I濱先生は偉大な学者だ、だから彼らを批判するな、批判するボーガスは中国のチベット支配を擁護するのかなど)」ってほとんどそのレベルですけど(呆)。そういう意味で言えば「朝鮮学校無償化除外に加担したことを恥じている(俺の要約)」と明言した前川氏は俺的に「前川>絶対に越えられない壁>村木」ですね。村木氏って失礼ながらそういう「後悔の弁」て多分ないですよねえ。

*19:「時短が任務」の「厚労省でそれ」てのははっきり言って駄目でしょうよ。いや他の役所ならいいってもんでもないですが。

*20:ミステリ作家。2018年に、『二年半待て』で徳間文庫大賞を受賞。

*21:2006年に 『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞を、2008年に『果断:隠蔽捜査2』で山本周五郎賞日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)受賞。

*22:1948〜2007年。『テロリストのパラソル』で江戸川乱歩賞(1995年)、直木賞(1996年)を受賞

*23:1989年、『エトロフ発緊急電』で日本推理作家協会賞長篇部門、日本冒険小説協会大賞山本周五郎賞を、2010年、『廃墟に乞う』で直木賞を受賞。

*24:アテネ、北京、ロンドン五輪女子レスリング55kg級金メダル、リオ五輪女子レスリング53キログラム級銀メダル、レスリング世界選手権女子55キログラム級金メダル(2002〜2012年)、女子53キログラム級金メダル(2013〜2015年)

*25:これも相当な量だと思いますね。月平均4冊なんて俺は読んでませんから。

*26:つまり月平均25冊ですね。

*27:1991年に『新宿鮫』で日本推理作家協会賞(長編部門)、吉川英治文学新人賞を、1993年に『新宿鮫 無間人形』で直木賞を受賞。2006年から2009年まで日本推理作家協会理事長を務めた。

*28:1979年上毛新聞社に入社し記者として勤務。1991年『ルパンの消息』がサントリーミステリー大賞佳作を受賞したことを契機に退社。1998年に『陰の季節』で松本清張賞を、2000年に『動機』で日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞

*29:読書リストによれば司馬遼太郎項羽と劉邦』、塩野七生ローマ人の物語』など

*30:読書リストによれば米原万里『魔女の1ダース』など

*31:読書リストによればC・S・ルイス『ライオンと魔女』、上橋菜穂子天と地の守り人』、佐野洋子100万回生きたねこ』など

*32:1917〜1985年。秋田魁新報記者としての業務のかたわら著作活動に入る。秋田地方の方言をふんだんにちりばめた民話の体裁をとりながら、ほとんどは斎藤の創作童話である。1968年に『ベロ出しチョンマ』で小学館文学賞を、1978年に『天の赤馬』で日本児童文学者協会賞を、1987年に『ソメコとオニ』で絵本にっぽん賞を受賞。

*33:1921〜2009年。切り絵作家。斎藤隆介と関わりのない業績もあるが斎藤作品『かみなりむすめ』、『ソメコとオニ』、『天の赤馬』、『花さき山』、『ベロ出しチョンマ』、『モチモチの木』などの挿絵で知られる。また、1970年から1978年にかけ朝日新聞日曜版に独自の切り絵を連載した。

*34:小生が無知なだけで以前から「村木氏の宣伝」で割と有名だったようです。

*35:ロス疑惑事件、エイズ薬害事件(安部英元帝京大副学長の弁護を行い一審で無罪、検察が控訴中に安部が死去し、判決は未確定)、小沢一郎陸山会事件、村木事件を担当し無罪判決を勝ち取ったことからこうした異名があるようですね。

*36:著書『無罪請負人:刑事弁護とは何か?』(2014年、角川oneテーマ21)など

*37:著書『かの子撩乱その後』(1994年、講談社文庫)、『源氏物語の女性たち』(1997年、NHKライブラリー)、『つれなかりせばなかなかに:文豪谷崎の「妻譲渡事件」の真相』(1999年、中公文庫)、『わたしの蜻蛉日記』(2012年、集英社文庫)、『炎凍る:樋口一葉の恋』(2013年、岩波現代文庫)、『美は乱調にあり:伊藤野枝大杉栄』、『諧調は偽りなり:伊藤野枝大杉栄(上)(下)』(2017年、岩波現代文庫)、『ここ過ぎて 白秋と三人の妻』(2018年、小学館文庫) など

*38:著書『労働とジェンダー法律学』(2000年、有斐閣)、『労働法とジェンダー』(2004年、勁草書房)、『雇用差別禁止法制の展望』(2016年、有斐閣)など

*39:著書『ドイツの見えない壁:女が問い直す統一』(共著、1993年、岩波新書)、『サヨナラ、学校化社会』(2008年、ちくま文庫)、『老いる準備:介護することされること』(2008年、朝日文庫)、『家父長制と資本制:マルクス主義フェミニズムの地平』(2009年、岩波現代文庫)、『セクシィ・ギャルの大研究:女の読み方・読まれ方・読ませ方』(2009年、岩波現代文庫)、『不惑フェミニズム』(2011年、岩波現代文庫)、『おひとりさまの老後』(2011年、文春文庫)、『男おひとりさま道』(2012年、文春文庫)、『女たちのサバイバル作戦』(2013年、文春新書)、『〈おんな〉の思想』(2016年、集英社文庫)など

*40:著書『人生を肯定するもの、それが音楽』(2004年、岩波新書)など

*41:著書『寅さんの教育論』(1982年、岩波ブックレット)、『寅さんの人間論』(共著、1990年、岩波ブックレット)など

*42:著書『はじめての憲法教室』(2013年、集英社新書)、『戦争とたたかう:憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(2013年、岩波現代文庫)、『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(2015年、岩波書店)、『平和の憲法政策論』(2017年、日本評論社)など

*43:マンガは1980〜1984年まで週刊少年ジャンプに連載。

*44:第3シリーズから第4シリーズの間には「2時間番組としてのルパン」はほぼ毎年1作作られていますが「1時間のシリーズもの」としては作られていません。

*45:黒竜江省省都

*46:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

*47:工部卿宮内卿、首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任。元老の一人。

*48:もちろん伊藤が韓国統監だったという理由もありますが

*49:自治官僚出身。宮城県総務部長、副知事を経て知事(1969〜1989年の5期20年)。

*50:著書『パレスチナ(新版)』(1991年、岩波新書)、『中東共存への道:パレスチナイスラエル』(1994年、岩波新書)、『チェルノブイリから広島へ』(1995年、岩波ジュニア新書)、『裁かれる薬害エイズ』(1996年、岩波ブックレット)、『薬害エイズの真相』(1996年、徳間文庫)、『チェルノブイリ報告』(2002年、岩波新書)、『福島 原発と人びと』(2011年、岩波新書)など

*51:1929〜2009年。著書『マハーバーラタ:インド千夜一夜物語』(2002年、光文社新書)、『不可触民と現代インド』(2003年、光文社新書)、『チベット問題:ダライ・ラマ十四世と亡命者の証言』、『破天:インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(以上、2008年、光文社新書)など

*52:1901〜2006年。駒澤大学名誉教授。著書『原始仏教入門』(2009年、佼成出版社)など

*53:平たく言えば「嘘も方便」ということのようです。

*54:「あの世」「生まれ変わり」があるとする考え。

*55:1912〜1999年。東京大学名誉教授(仏教学者)。著書『原始仏典を読む』、『大乗の教え(上)(下)』、『仏典のことば:現代に呼びかける知慧』、『ブッダの生涯』(以上、岩波現代文庫)、『ブッダ物語』(共著、岩波ジュニア新書)、『ブッダのことば:スッタニパータ』、『ブッダの真理のことば・感興のことば』、『ブッダ最後の旅:大パリニッバーナ経』(以上、岩波文庫)、『原始仏教 その思想と生活』(NHKブックス)、『ブッダの人と思想』(共著、NHKブックス)、『ブッダ伝 生涯と思想』、『仏教経典散策』、『仏教語源散策』(以上、角川ソフィア文庫)、『古代インド』(講談社学術文庫)、『原始仏典』(ちくま学芸文庫)、『釈尊の生涯』(平凡社ライブラリー)など

*56:1902〜1987年。仏教学者。著書『仏陀 その生涯と思想』、『選書・仏陀のことば』(以上、角川選書)、『釈尊のさとり』、『無量寿経講話』(以上、講談社学術文庫)、『新しい仏教のこころ わたしの仏教概論』(講談社現代新書)、『歎異抄』(ちくま学芸文庫)など

*57:「あの世」「生まれ変わり」があるとする考え。

*58:1889〜1960年。著書『日本精神史研究』、『人間の学としての倫理学』(以上、岩波文庫)など

*59:1936年生まれ。大谷大学名誉教授。『親鸞大乗仏教』(2004年、法蔵館)、『親鸞の成仏道』(2018年、法蔵館)など

*60:1957年生まれ。駒澤大学教授。著書『道元入門』(2012年、角川ソフィア文庫)、『坐禅ひとすじ 永平寺の礎をつくった禅僧たち』(2013年、角川ソフィア文庫)など