黒坂真に突っ込む(2019年9月12日分)

■黒坂ツイートにコメント

黒坂真
 中野顕さん。日本共産党は明治日本の選択肢として、富国強兵、海外進出策の他に代替案、他の政策がありますか

 「強兵」「海外進出」て要するに侵略ですからねえ。それを「当時それ以外に選択肢がなかった」で居直れると思える神経はあきれますね。
 それですませていいならほとんどの出来事は「それ以外に選択肢がなかった」で正当化できるでしょう。
 たとえば「中国が今のような近代国家になるためには天安門事件は仕方がなかった。当時の学生に中国政治を動かす能力などあったのか」「中国がチベットを解放しなければ今もチベットは貧乏で遅れたままだった」とか。まあそういったら、「アンチ中国」黒坂は「中国に甘い」と悪口雑言するのでしょうが。

黒坂真
‏ 私の若い頃、日本共産党社会主義生成期論*1を普及していました。三十数年前ですが、浅薄な私はこれを信じました。

 よくもまあこんな「もろばれなウソ」がつけるもんだ、なんでこんなうそをつくの?と心底呆れます。「信じる(支持する)」以前にウヨの黒坂が「悪口雑言する目的以外」で共産党文献を読むとはとても思えません。つうか過去に「日本共産党の支持者だった男」が「中道左派や穏健保守ならまだしも」ここまで「デマ極右」「嫌韓国の排外主義右翼」と化したらそれこそ「人間の神秘」です。まあ、筆坂秀世とか一部例外はいますが。
 しかし今時「社会主義生成期論が―」ねえ(苦笑)。産経ですらそんな批判しないでしょうよ。

黒坂真
‏ 中野顕さん。(ボーガス注:日露戦争は)日本とロシアのどっちが正しいという戦争ではないという呟きにお尋ねしたい。日本共産党としては、日露戦争で日本が負けるべきだったと考えているのではないですか。

 「どっちが正しいという戦争ではない」とはつまりは「どちらも韓国を支配下に入れよう*2として起こした戦争でありどちらも間違っていた」「戦争すべきでなかった」という意味であることは明白でしょうに、全くひどい言いがかりです。

黒坂真
 中野顕さん。繰り返しですが、19世紀後半から日本は南下するロシアの脅威に直面していました。南下を阻止できなければ、膨張する帝政ロシアに攻撃、蹂躙されてしまいます。明治日本は富国強兵策を実施し、海外に進出して南下を阻止した。日本共産党は他にどんな選択肢があったと考えていますか

 完全に嘘八百ですね。日露戦争で日本と戦ったロシアが「日本の韓国への影響力を排除しようとしていたことは確か」ですが、いわゆる韓国保護国化ならともかく、日本のような韓国植民地支配までする気があったかははなはだ疑問ですし、ましてや日本侵攻などするわけもない。
 日本の韓国支配は「韓国から利益を得ることが目的」であり、黒坂の物言いは当時の明治新政府の居直り「ロシアの日本侵攻を防ぐには韓国を支配下に入れる必要がある」の焼き直しでしかありません。

黒坂真
 日本共産党本部の皆さんは、日本は韓国に永遠に謝罪せよ*3と言いたいのですね。

 そんなことは「共産党に限らず」「安倍批判派」のだれも言っていません。安倍らウヨ連中の「無法な嫌韓国(河野談話否定、ホワイト国除外など)」への批判のどこが「永遠に謝罪せよ」なのか。そもそも安倍らがまともに謝罪しないから批判されるわけです。正確に言えば「河野談話」などで過去の日本政府が不十分な点があるとしても「それなりに謝罪した」のを安倍らウヨが後から「あんな談話は気に食わない」「日本は何も悪くない」「当時植民地支配は違法じゃなかった」「日本のおかげでむしろ韓国は近代化できた」などと居直って謝罪の成果をぶち壊してるわけですが。

黒坂真
 今の韓国政府は対馬侵攻を考えているかもしれない。

 「非常識ウヨ・黒坂」だと「これでも予想の範囲内」ですが正気じゃないですね。冗談でもこういうことを常識人は言わない。

*1:社会主義生成期論(「ソ連は欠陥が非常に多いが一応社会主義としてそれなりに評価する」というような議論)というのは「30数年前」ではなくもっと昔だと思いますが。ウィキペディア社会主義生成期論」は「1977年の党大会決定」としていますし、30数年前(1980年代後半?)なら日本共産党の「ソ連社会主義認識」はもっと手厳しいでしょう。なお、「社会主義生成期論」は「ソ連チェコ侵略(1968年)」などを理由にソ連を批判したという意味では一定の意義がありますが、「社会主義とはおよそ評価できない」という現在の日本共産党ソ連評価と違い、「一応社会主義」と評価したという点では時代の限界があったわけです。

*2:とは言え植民地化を当初から狙っていた日本と違いロシアはせいぜい保護国化が狙いだったと思われますが。

*3:まあ少なくとも「1回謝罪すれば後で『もう終わったことだ』として居直っていいかといったらよくない」という意味では「永遠に謝罪すべき」でしょう。韓国植民地支配への謝罪に限らず、なんでも当たり前の話です。たとえば過労死訴訟で企業が遺族と「うちの会社に非があった」と認め、和解した後に「本当は和解などしたくなかった、うちの会社は何も悪くない」などといって過去の謝罪を事実上否定したら、遺族に批判されるでしょう。水俣病問題で国やチッソが「我々に落ち度はない」などと居直って過去の謝罪を事実上否定したら水俣病患者から非難されるでしょう。韓国の件もそれと全く同じです。