今日の朝鮮・韓国ニュース(2019年10月19日分)

親北学生団体が米大使公邸に侵入し奇襲デモ「この地を去れ!」 - 産経ニュース
 今時そんな北朝鮮シンパがいるのか疑問で「太陽政策支持者にレッテル貼ってるだけじゃねえの?」と思いますがそれはさておき。
 ジーソミアの件でも「とにかく延長しろ」「ホワイト国除外の件?。米国は関係ねえよ(日韓の仲介をする気はない)」なんてふざけた態度とる米国政府には正直、俺も腹立たしく思っていますので、「こうした突撃作戦」を支持するかどうかはともかく米国への反発は俺も同感ですね。


【萬物相】21世紀の「白馬ショー」-Chosun online 朝鮮日報

・かつて、小中学校周辺の書店に広く置かれていた参考書の表紙には、白馬に乗ったナポレオンの絵が描かれていた。前足を振り上げた白馬の上でマントを翻し、皆が「不可能だ」として引き留めたアルプスを越えていくナポレオンの姿は英雄そのものだ。宮廷画家が手掛けたこの絵画は、進取的な指導者のイメージを浮き彫りにし、ナポレオンの人気を高める上で役立った。だが実際には、ナポレオンがアルプスを越える際に乗ったのは大きくて躍動的な白馬ではなく、小さなラバだったという。
・純白のたてがみをひらめかせる白馬は、古今東西を問わず神聖な存在として扱われてきた。(ボーガス注:伝説に寄れば)新羅の始祖、朴赫居世は、白馬が空に昇っていく際、その場に残した卵から生まれた。
・太平洋戦争を起こした昭和天皇は「吹雪」「白雪」「初雪」という名の白馬に乗った。イタリアの独裁者ムッソリーニ、「砂漠のキツネ」と呼ばれたドイツのロンメル*1将軍が白馬に乗った写真も残っている。1945年6月にモスクワの「赤の広場」で開かれたソ連軍の戦勝記念式では、スターリンに代わって大戦の英雄ジューコフ*2将軍が白馬に乗って軍の査閲を行った。

 だから金正恩が白馬パフォーマンスしていいというもんでもないですが俺的には「白馬パフォーマンスて長い歴史があるんやなあ」と「感心(?)」しました。

*1:1891~1944年。1944年7月20日シュタウフェンベルク参謀大佐(後に銃殺刑)主導のヒトラー暗殺未遂事件が発生。ロンメルの部下も計画に参加していたことからロンメル本人の関与も疑われた。10月14日、ヒトラーの使者として自宅を訪れたヴィルヘルム・ブルクドルフ中将(1895~1945年。陸軍人事局長。敗戦直前に自決)とエルンスト・マイゼル少将(1896~1978年。陸軍人事局長代理)は、ロンメルに「反逆罪で裁判を受けるか名誉を守って自殺するか」の選択を迫った。裁判を受けても死刑は免れず粛清によって家族の身も危うくなることを恐れたロンメルは家族の安全を保証させた上で1人自宅の森の中へ入り、2人から与えられた毒をあおり死亡した。その際自宅周囲には抵抗に備えて、親衛隊の部隊が配置されていたという(手持ちの兵での強行突破を進言する副官に、ロンメルは「自分ひとりではないから(家族がいるから)」と拒否している)。英首相チャーチルをして「ナポレオン以来の戦術家」とまで評せしめた、圧倒的な戦功で知られたロンメルの死は「戦傷によるもの」として発表され、祖国の英雄として盛大な国葬が営まれた。しかし、ヒトラーは会葬していない。生前のロンメルヒトラー暗殺計画への関与の有無について一切明言しなかったため、関与の有無は不明である。戦後、夫人は「夫は(事前に計画を知りながら部下をかばって密告はしなかったものの)ヒトラー暗殺計画には反対していた」と主張した。しかしその反面、ロンメルは自分の反ナチ的態度を特に隠そうとしてはおらず、長男マンフレートがアーリア民族の人種的優越の話をしていると「私の前でそういう馬鹿げたことを喋るな」と叱責したといわれる。また、マンフレートはSS(武装親衛隊)への入隊を希望していたものの、それを禁じたという(ウィキペディアロンメル」参照)。

*2:1896~1974年。ソ連参謀総長、国防次官、国防相など歴任。独ソ戦では西部戦線軍司令官、軍最高司令官代理、第1白ロシア戦線軍司令官を務め祖国を守った英雄として知られる(ウィキペディアジューコフ」参照)。