今日の産経ニュース(2019年11月30日分)

【昭和天皇の87年】山本五十六は名将か愚将か 機密を愛人に漏らした油断と慢心 - 産経ニュース

「それは是非やれと言われれば、初めの半歳や一年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる。しかしながら二年三年となれば全く確信はもてぬ…」
 日米開戦のおよそ1年前、連合艦隊司令長官山本五十六が時の首相、近衛文麿*1に語った言葉である。

 太平洋戦争は大筋でこの山本の予想「緒戦は互角の勝負が出来るかもしれないが国力に差があるので長期戦になったら自信が無い」の通りに移行したと言えるでしょう。
 しかし近衛らは山本の「長期戦は自信が無い」を無視して「緒戦は互角の勝負」を重視して開戦したわけです。

・確かに開戦初頭の半年間、日本海軍は暴れに暴れた。ハワイの米太平洋艦隊を壊滅状態に追い込んだ昭和16年12月8日の真珠湾攻撃にはじまり、蘭印でABDA艦隊(※1)の主力巡洋艦駆逐艦をことごとく沈めた17年2~3月のスラバヤ沖・バタビア沖海戦、主力空母による決戦で英東洋艦隊に大打撃を与え、遠くアフリカ東岸まで追い払った同年4月のセイロン沖海戦など、ほぼ無敵である(※2)。
・山本は、かつて東郷平八郎*2日本海海戦後に訓示した「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」を忘れた。慢心したのだ。

 ばかばかしいですね。基本的に太平洋戦争の敗戦は「慢心」と言う話ではありません。そういう精神論でどうにかなる話ではない。
 国力が違いすぎるから負けただけの話です。あえて言えば「国力の違いを軽視して、勝算があると判断して、開戦したことそれ自体」が「慢心」でしょう。そしてその慢心は山本など現場司令官「だけ」の責任ではない。むしろ昭和天皇以下、政府中枢の責任です。

 この頃の山本が恐れたのは、米軍よりも国内世論だった。いまは連戦連勝に歓喜熱狂しているが、もしも日本本土が空襲されるような事態になれば、たちまち厭戦(えんせん)気分がみなぎるだろう。
 そう考えた山本は、無謀な作戦に取りつかれる。北太平洋のど真ん中に浮かぶ島、ミッドウェーを攻略しようというのだ。ここを拠点に米空母機動部隊を攻撃し、本土空襲を防ぐというのが、作戦の狙いである。

 ばかばかしいですね。ミッドウェー海戦はもちろん昭和天皇以下、政府中枢の承認を得ています。発案者が山本とは言え、昭和天皇以下上層部の承認を得た作戦を「実際の作戦においての個別具体的な戦闘行為」ではなく、「作戦自体が無謀」と非難したあげく、その責任を山本の個人的責任にしようなどとは非常識の極みです。
 会社の失敗を「社長、副社長ら会社上層部が決裁した」のに「発案した支店長、支社長が悪い」というくらいの酷さでしょう。
 なお、ウィキペディアミッドウェー海戦」によればドーリットル空襲以前からミッドウェー攻略は決定していました。
 もちろん目的は「本土空襲防止オンリー」ではありません。ウィキペディアミッドウェー海戦」によればFS作戦(フィジーサモア攻略作戦)の前段階の作戦(FS作戦を実行するために先ずミッドウェーを軍事拠点とする)がミッドウェー攻略です。
 なお、「フィジーサモアを攻略し、米国とオーストラリアとの軍事連携を断つ」というのがFS作戦です。しかしミッドウェー戦敗北によりFS作戦は当然放棄されます。
 まるで「空襲で、突如ミッドウェー攻略が決まったかのように書く産経」ですが空襲は「既に決定していたミッドウェー攻略」について「更に重要性が増した」という日本軍の判断を強めたに過ぎません。

 第一課長の富岡定俊*3らが攻略作戦に反対し、翻意を求めると、渡辺は「長官に電話する」といって中座し、戻ってきて言った。
 「長官のご決意は固く、もしこの計画がいれられなければ、長官の職にとどまれないといっておられます」(※3)
 脅しである。真珠湾攻撃の英雄、山本を辞めさせるわけにはいかない。軍令部は作戦を了承した。

 まるで「無謀極まりないミッドウェー攻略」を山本がごり押ししたかのように描き出す産経ですが、ウィキペディアミッドウェー海戦」を見るだけでもデマだと言うことは分かります。ミッドウェー攻略戦はそこまで無謀な作戦とは誰も認識していません(そもそも仮にそんなに無謀な作戦だとしても山本を更迭しない軍上層部は免罪されませんが)。
 そもそも「リスキーだと反対派がいたが、『作戦が認められなければ、司令長官を辞任する覚悟だ』と山本が言った」のは既に真珠湾作戦の前例があります。産経は真珠湾作戦が結果的に成功したからか、そうした山本の「脅し(?)の存在」に触れませんが、真珠湾作戦も「米軍が真珠湾攻撃を事前に察知して、あるいは察知しなくてもその可能性に気づいて十分な準備をしていた場合、返り討ちでかえって日本が苦境に立たされる」かなりリスキーな作戦でした。

 米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ*4は慎重かつ緻密だった。日本海軍の行動パターンを徹底的に分析し、4月下旬までには断片的ながら戦略暗号(D暗号)の解読にも成功、「ヤマモトがAFへの攻略作戦を進めている」と察知する。
 問題は、暗号に出てくる「AF」がどこであるかだ。米統合参謀本部はハワイと予想した。米陸軍航空隊はサンフランシスコだと考えた。ニミッツは各種情報からミッドウェーと推測したが、確信が持てない。
 そこで一計が案じられる。日本側にわざと傍受させるよう、ミッドウェーからハワイに向けて「海水濾過(ろか)装置の故障で真水が不足している」と打電したのだ。果たしてその後、米軍側は日本軍が発した次の暗号を傍受する。
 「AFは真水不足…」
 ニミッツがほくそ笑んだのは言うまでもない。
(※4)水不足の偽情報で「AF」がミッドウェーだと見破ったとするエピソードは、実際の解読の手口を隠すための創作だとする説もある。

 「創作説」を紹介するだけ「マシ」ですが創作の可能性もある話を持ち出して何か意味があるのか。どっちにしろこれは「米国の総合的国力はやはり日本より上(今回は暗号解読)」と言う話であって「山本の慢心」なんて話ではありません。日本の敗戦は「山本が軍人として有能か無能か」なんて個人的問題で決まった話ではない。

 日本海軍に、冷や水を浴びせる事態が起きる。5月4~8日、ソロモン諸島沖の珊瑚海で、第四艦隊の機動部隊と米豪軍の機動部隊が激突し、空母部隊同士による史上初の海戦が繰り広げられたのだ。
 D暗号を解読して日本側の動きをつかんでいた米軍側は4日、ソロモン諸島ツラギに上陸中の日本軍部隊を奇襲攻撃し、7日には小型空母「祥鳳」を撃沈する。対する第四艦隊も反撃に転じ、8日に米空母「レキシントン」を自沈させて“引き分け”に持ち込んだ。とはいえ、これまで圧勝を続けてきた連合艦隊にとって珊瑚海海戦は、初の挫折といえるものだった。
 もしも山本が真の名将であれば、この海戦を徹底的に分析し、その後の作戦に生かしただろう。
 敵将のニミッツはそうした。
 だが、連合艦隊司令部は第四艦隊を無能と決めつけ、第四艦隊司令部がまとめた報告書に「バカめ」と殴り書きしただけだった。

 何をやろうと「日本が米国に勝つ可能性」などないのですが、ウィキペディア「珊瑚海海戦」「井上成美」を見る限りは
1)「日本、米国の空母が共に1席撃沈」など、引き分け的結果だったこと
2)(日本の敗戦と見なす人間でも)、第四艦隊司令長官・井上成美の個人的能力の問題(井上は「海軍省軍務局長」「海軍航空本部長」「海軍次官」など、軍事官僚としての能力はあるが「艦隊司令長官」という戦争のプロとしての能力は無い)と見なす人間がほとんど
で産経が言うようにろくな反省もされなかったようです。

参考

◆珊瑚海海戦(ウィキペディア参照)
 第四艦隊司令長官井上成美中将は、本海戦によるポートモレスビー作戦の延期を理由に、攻撃精神の欠如などと宇垣纏連合艦隊参謀長、山本五十六連合艦隊司令長官永野修身軍令部総長らから批判を受けた。また、昭和天皇からも「井上は学者だから、戦は余りうまくない」と評された。嶋田繁太郎*5海軍大臣に至っては井上の将官人物評で「戦機見る明なし」と酷評した。

◆井上成美(ウィキペディア参照)
・1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦の第1日に、米機動部隊の攻撃で空母「祥鳳」が沈んだ時の心境を、井上は海戦の後に書いたと推定される手記に「実に無念であった。このような時に、東郷平八郎元帥であればどうなさるだろうかと考えた。心中、 『お前は偉そうに4F(第四艦隊)長官などと威張っているが、お前は戦が下手だなあ』 と言われているような無念を感じた」という趣旨の記述をしている。井上の下で、第四艦隊航海参謀であった土肥一夫少佐によれば、7月に連合艦隊参謀として連合艦隊司令部に着任した際に、第四艦隊司令部から提出された珊瑚海海戦に関する報告書類、当時の電報綴りに赤字で「弱虫!」「バカヤロー」などと多くの罵詈雑言が書き込まれているのを見たという。
 海軍省、軍令部や連合艦隊司令部は、第四艦隊司令部の珊瑚海海戦での指揮を批判した。連合艦隊参謀長の宇垣纏*6は、日誌「戦藻録」の1942年(昭和17年)5月8日の項に『4F(第四艦隊)の作戦指導は全般的に不適切であった。小型空母「祥鳳」を失っただけで、敗戦思想に陥っていたのは遺憾である』旨を書いている。軍令部第一部第一課作戦班長であった佐薙毅*7中佐は、日誌に「4Fの作戦指導は消極的であり、軍令部総長永野修身*8大将は不満の意を表明していた」旨を書いている。

 出撃直前、山本は愛人に手紙を書いた。
 「三週間ばかり洋上に全軍を指揮します。多分あまり面白いことはないと思いますが」(※5)
 この山本の、機密を平然と漏らす油断と慢心が、日本海軍史上空前の大敗北をもたらすことになる。

 ウィキペディアミッドウェー海戦」も指摘していますが「機密保持の甘さ」はほめられたことではないでしょうが、敗因はそう言う話ではない。基本的に「国力が違いすぎる」のが敗因であり「初めの半歳や一年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる。しかしながら二年三年となれば全く確信はもてぬ」という山本の「開戦前の予想」が不幸な形で現実化したに過ぎません。


【昭和天皇の87年】帝都爆撃!ドーリットル空襲の衝撃 それでも天皇は動じなかった - 産経ニュース
 まあドーリットル空襲は死者が出たとはいえ、「日本が制空権を奪われ毎日のように米軍の空襲。敗戦は確実」なんて話ではなく、この時点(1942年4月)ではまだ「日本が優勢」ですからね(日本の戦局が明らかに「敗勢に向かう」のは1942年6月のミッドウェー海戦だと言われる)。
 そりゃ「動じない」でしょう。別に「さすが」といって昭和天皇を褒めるような話ではない。

 一方、必要以上に動揺した者もいる。連合艦隊司令長官山本五十六*9その人だ。空襲で国内が混乱することを恐れた山本は、無謀な作戦を強行してしまう

 「無謀な作戦」とやらが何かは明日の産経記事で分かります。まあ基本的に国力が違いすぎるので「対米開戦することそれ自体」が無謀ですが。
 また、基本的に「全ての作戦」は(細部はともかく、少なくとも作戦の大枠は)山本など現場司令官の独断ではなく、昭和天皇や首相、陸軍大臣海軍大臣など、政府中枢の決裁を得ていますので、その「無謀な作戦」とやらが何でアレ、山本一人が非難される話ではありません。


アイヌ新法問う討論会 第2弾は騒動起きず - 産経ニュース
 日本会議北海道本部主催で「アイヌ新法反対」「アイヌ特権ガー」という「アイヌ差別のトンデモウヨ」しかいないのだから、そもそもまともな討論会になっていません(掲載写真に篠原常一郎(筆坂元参院議員の元秘書、元共産党員)の名前があることには「筆坂共々、そこまで落ちぶれたか」という憤激を禁じ得ませんね)。
 しかし産経もこんなウヨ討論会を好意的に報じるとはどれほど恥知らずでクズなのか。しかもこんな少数民族差別行為を堂々と働きながら「チベットウイグルの人権ガー」といえるのだからそのデタラメぶりには呆れて二の句が継げませんね。そして札幌市はこんなウヨ討論会に市立施設の利用を認めるとはどういうことなのか?。
 安倍政権が「アイヌ新法(「日本会議的なアイヌ差別」から反対した右翼政党・維新の会を除き、法案提出した与党だけでなく、立民、国民民主、共産、社民も『ないよりはまし』として賛成しほぼ全会一致)を制定したこと」は「法にいろいろと問題点があろう」とも「法を制定した安倍の思惑が何であろう」とも「数少ない安倍政権の善行」でしょうが、ウヨのこうした暴挙を考えれば、アイヌ問題の改善も「まだまだ前途多難」といわざるを得ないでしょう。


危うい自民幹部の「女系」容認論 先人たちの知恵に学べ(1/4ページ) - 産経ニュース

・「男女平等、民主主義の社会なので、それを念頭に入れて問題を考えていけば、おのずから結論は出るだろうと思っている」
 皇位継承をめぐる議論について、二階氏が語った言葉だ。
自民党の甘利氏がテレビで「男系を中心に(皇位継承の)順位を付け、最終的選択としては女系も容認すべきだ」と述べた

 二階発言に「男女平等を理由に女帝容認か!」「民主主義を理由に『世論調査では国民大多数が女帝支持だ』として女帝容認か!」と、甘利発言にも「女帝容認なんて許せない」と憤激する産経です(まあ確かに二階発言は素直に解釈すればそれ以外に理解しようがありませんが)。
 安倍に、自民党総務会長、幹事長に引き上げられた二階氏、自民党政調会長、選対委員長、税制調査会長などに引き上げられた甘利がこの件で安倍に反逆するとも思えません。
 一帯一路参加表明において安倍が自ら表明する前に二階氏が「一帯一路に参加すべきだと思う」といったのと全く同じパターンでしょう。つまり今は安倍は「女帝容認」にシフトチェンジしようとしている。そこでまず「二階氏など子分に言わせる」。
 しかし、現時点では「安倍自身は女帝容認を表明していない」。
 そこで産経などウヨはそこに望みを託して「二階幹事長や甘利税制調査会長が勝手に言ってるだけなんだ!。彼らが党幹部でも安倍総理はあんな考えじゃない!」と主張して安倍を牽制し「安倍の裏切り」を阻止する気なのでしょう。ただし安倍がそれを無視して「女帝容認の皇室典範改正」に動く可能性は充分あるでしょうし、そうなったら「改憲のためには安倍政権を倒すわけにはいかない」「徳仁天皇もお元気だし、当面、女帝が即位する可能性はないんだ」「いずれ皇室典範を女帝否定に再改正すればいい。今すぐ反対しなくても充分時間的余裕はある」として「安倍批判せず黙り」が産経らウヨでしょうが。

 万世一系とは、世界に比類のない、連綿と続く皇位の正統性の証(あかし)なのだ。

 「万世一系なんてそもそもウソやないか」「百歩譲って仮に万世一系が事実だとしても*10万世一系がどういう意味で尊いんや?。女帝否定してまで万世一系を維持しないといけない理由は何や?」で終わる話です。

 江戸幕府を築いた徳川家康も、天皇外戚になろうとした一人だ。その意思は二代将軍秀忠に引き継がれ、1620年、秀忠の娘の和子が後水尾天皇の妻(女御、のちに中宮)となった。
 幕府のやり方に不信を極めた後水尾天皇は突然譲位し、1629年、皇女の興子(おきこ)内親王が即位する。実に859年ぶりの女帝、明正天皇である。
 ここに、天皇外戚になろうとした家康や秀忠の願いは実現する。だが、徳川家は喜ばなかった。(ボーガス注:仮に明正天皇が子どもを産んでも)明正天皇の子供は母系なので天皇になれず*11天皇家に徳川家の血を残せないからだ。
 もしも、幕府の強大な権力により徳川家の有力者を明正天皇と結ばせ、その子を天皇にしたらどうなったか。父系をたどれば神武天皇につながる1本の線が切れ、家康直系の“徳川天皇”と認識されるだろう。
 むろん、そんな事態にはならなかった*12。昔の為政者たちはみんな、皇位継承のあり方について「よく理解して」いたからだ。
 明正天皇は生涯独身で、後水尾上皇の側室が産んだ紹仁親王(後光明天皇)に譲位する。歴代天皇には10代8人の女帝がいるが、父系の皇族が配偶者でない限り生涯独身を貫き、一系は守られている。

 吹き出しました。今時「天皇外戚になって権力振るいたい」なんて人間がいるとも思えない。例えば現皇后の父は元外務次官ですが、彼が「娘が皇后であること」で何か権力を振るってるかと言えばそんなことはないでしょう。
 江戸時代の話なんか今の天皇制と何の関係があるのか。

 令和元年は皇紀2679年だ。その間、居住面積が狭小な島国で暮らしてきたわれわれ日本人は、先祖をたどれば必ず、どこかで天皇家の血と混ざり合っている-と考えるのが自然だろう。いわば天皇家は、本家中の本家

 全然自然じゃないですね。
 まあ産経が「我々は天皇家の分家*13だから、本家である天皇を敬って当然」といいたいことは分かりますが、
1)今時「本家、分家」なんて考え方として古くさい(横溝正史『獄門島』の世界かよ?)
2)「天照大神の子孫」ではなく「たかが日本人の本家に過ぎない」のではかえって「天皇家の権威」に響かないのか
と思いますね。かつその理屈なら「別に分家の男性(非皇族の男性)と本家の女性(皇族女性)が結婚して子どもが本家(皇室)の跡継ぎになってもいいじゃん。なんか問題なの?。」ということにならないのか。「分家の本家乗っ取り」とでも言うのか?。

 過去に日本人は、国が崩壊するほどの危機を、天皇を中心に結束して乗り越えてきた。端的な例が、先の大戦における終戦の聖断だろう。徹底抗戦をとなえる陸軍も、8月15日の玉音放送により一夜にして銃を置いた。そうでなければ、いまの日本はなかった。

 それは単に当時の「天皇崇拝(勿論自然崇拝ではなく、御真影教育勅語などによる洗脳)」がすさまじかったつうだけの話で、全然誇るべき話じゃない。かつそれは「女帝云々」とは全く関係ない話です。
 「昭和天皇が女帝じゃないからそういう天皇崇拝があった」つう話ではない。


【産経の本】『天皇は「元首」である』竹田恒泰著 - 産経ニュース
 まあ元首の定義によりますね。いずれにせよ、国内法において「元首という法律用語」はありませんので、国内法解釈において「元首かどうか」を論じても意味がありません。国際法解釈については俺は無知なので特にコメントしませんが。
 いずれにせよ「天皇の政治的中立性」が憲法に定められてる以上、「天皇は元首だ」といったところで天皇の地位に変化はないのであってばかばかしい話です。

 皇位継承をめぐり、母方が天皇の血筋を引く「女系天皇」を認めるべきとの由々しき意見は、いまや野党だけでなく自民党の一部幹部でさえ口にするようになった。

 厳密には「一つの考えとしてあり得る(女帝反対派のように頭ごなしに否定すべきではない)」といっただけで、「認めるべき」とまではいっていません。それにしても二階幹事長、甘利税制調査会長と名前が出せない点が滑稽です。

 本書は、こうした「女系天皇容認論」をばっさりと斬り捨てている。

 まあ「女帝反対」なんてのは価値観の問題でしかありませんからね。「温暖化CO2否定論は間違ってる」のような事実の問題ではないので「俺がバッサリ切り捨てた」と自慢したところで「ああ、そうですか、良かったですね(あなたの意見に私は賛成しませんけど)」で終わる話です。
 正直「女帝反対派の主張」は「伝統に反する」の一点張りですからねえ。
 「その伝統って、女帝を原則として認めない儒教思想の影響に過ぎないじゃん」「ヨーロッパには女帝(例:英国のエリザベス女王)いるんだから問題ねえだろ」ですよねえ。なお、ご存じの方もいるでしょうが、女帝否定の理由として過去に散々持ち出されたのが例の「称徳天皇道鏡即位論」ですね。「女帝なんか認めるからああなったんだ」つうネガキャンです。
 冷静に考えれば「称徳天皇がおかしいだけであって女帝の是非と関係ねえじゃん」つう話ですが。


【主張】中曽根元首相死去 指導力発揮の政治貫いた - 産経ニュース
 中曽根大好き産経らしいですが「中曽根の訃報」が社説にするほどの話なのか。

 戦後日本の首相が世界の有力リーダーに名を連ねたのは、中曽根氏*14が最初である。

 呆れて物が言えませんね。
 サミット(先進国首脳会議)なら1975年の第1回から三木武夫*15首相(1976年の第2回にも出席)が招待されて、その後も中曽根が首相になるまでに「福田赳夫*16首相(1977年の第3回、1978年の第4回)」「大平正芳*17首相(1979年の第5回)」「鈴木善幸*18首相(1981年の第7回、1982年の第8回)」が招待されていますが、それは「世界の有力リーダーに名を連ねたこと」にならないのか。
 あるいは佐藤栄作*19首相がノーベル平和賞を1974年に受賞したこと*20は国際社会に「世界の有力リーダー」として認められたことにならないのか。いやそもそも「経済大国日本の首相」が「中曽根が首相になる1980年代」まで「世界の有力リーダー扱いされない」なんてことはあるわけもないでしょう。
 産経は何を根拠に「中曽根が最初」と主張するのか、この社説を読んでもさっぱり分かりません。中曽根を称えるために野党をおとしめることは予想の範囲内でしたが、まさか自民党歴代首相をおとしめるとは思ってもみませんでした。


【浪速風】お花見国会、いい加減にせよ - 産経ニュース
 いつもの「そんなことより国政の重要課題を」という詭弁による産経の安倍擁護です。
 そもそも安倍が「清廉潔白であること(お手盛りで招待してないこと、きちんとした招待基準があることなど)」を証明すればすぐに終わる話です。そして清廉潔白を証明できないなら首相を引責辞任してもすぐに終わる話です。
 「名簿を廃棄したので清廉潔白は証明できないが信用してほしい」「桜を見る会は中止するから許してほしい」「私は首相をやめないし、誰も責任をとらないがそれを認めてほしい」で通用する話ではない。
 「安倍のモリカケ桜を見る会疑惑」に限らず、「ニクソンウォーターゲート」「田中角栄*21ロッキード疑惑」「竹下*22首相らのリクルート疑惑」「朴クネの崔順実ゲート」「トランプのロシアゲートウクライナゲート」など「法律に抵触する疑いすらある不正疑惑」が追及されるのは当たり前の話です。
 大体「細川首相の佐川急便疑惑」「鳩山首相故人献金疑惑」などでは散々「真相究明」を叫んでいた産経が相手が安倍なら「そんなことより国政の重要課題を」とデタラメにもほどがあります。まあこういうあほな安倍擁護に賛同するのが産経記者であり、読者なのでしょうが。

*1:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自殺

*2:連合艦隊司令長官、海軍軍令部長東宮御学問所総裁など歴任

*3:軍令部第一部第一課長、南東方面艦隊参謀長(第11航空艦隊参謀長兼務)、軍令部第一部長など歴任

*4:海軍省航海局長、太平洋艦隊司令長官、海軍作戦部長など歴任

*5:東条内閣海軍大臣軍令部総長など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放。

*6:軍令部第1部長、連合艦隊参謀長、第1戦隊司令官、第5航空艦隊司令長官など歴任

*7:戦前、連合艦隊航空参謀、軍令部第1部第1課作戦班長、南東方面艦隊首席参謀など歴任。戦後、航空幕僚長

*8:広田内閣海軍大臣軍令部総長など歴任。戦後、戦犯として裁判中に病死。後に靖国に合祀。

*9:海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官など歴任

*10:勿論事実じゃありませんが。

*11:これは単に「当時はそう言う価値観だった」ということにすぎません。

*12:これは単に「当時はそう言う価値観だった(そういうことをしても徳川家の権威上昇にならない)」ということにすぎません。

*13:勿論実際の分家は「秋篠宮家」などの「宮家」ですね。

*14:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*15:片山内閣逓信相、鳩山内閣運輸相、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣科学技術庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官などを経て首相

*16:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*17:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*18:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(大平総裁時代)などを経て首相

*19:元運輸次官。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*20:受賞の是非はひとまず無視します

*21:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*22:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)などを経て首相