三浦小太郎に突っ込む(2019年12月2日分)

中曽根元総理がお亡くなりになりました | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 内容のほとんどが「中曽根*1靖国参拝を結局やめたこと」や「(政教分離問題での批判を避けるため)参拝時に手水を使わないなどの対応で靖国側を激怒させたこと」への三浦による悪口です。今安倍が「ホワイト国除外」をしてるので極右の三浦は「それに比べて全斗煥政権に屈して藤尾文相を更迭した中曽根はダメだ、藤尾発言に何の問題も無い」というかと思いましたが、特に藤尾更迭については触れていません。

 中曽根氏は確かに、レーガン*2政権との連携により、ソ連・東欧の共産主義体制崩壊のためのに一定の役割を果たしました。

 ソ連が崩壊したのは「経済がズタボロになったこと」による自滅であって、別にレーガンや中曽根の手柄ではないでしょう。なお、ベルリンの壁崩壊(1989年11月)、ルーマニアチャウシェスク*3政権崩壊(1989年12月)やソ連崩壊(1991年12月)などは「ブッシュ父*4政権(19891月~1993年1月)」「海部内閣(1989年1月~1991年11月)」「宮沢内閣(1991年11月~1993年8月)」の時期に起こったことで中曽根、レーガン政権期に起こったことではありません。

 国鉄解体にみられるような、当時はやはり一定程度必要だった新自由主義や民営化への道も開いたと思います。

 三浦って何でこういう「奥歯に物のはさまったようなすっきりしない文章を書くのか?」と思いますね。「格調が高い」とでも勘違いしてるのか。
 それとも「曖昧な文章でごまかさないといけないことでもある」のか。
 読んでるこっちは「当時としては、てどういう意味よ?」「現在、国鉄民営化にはJR北海道、四国、貨物の経営危機とかローカル線廃止とかの問題が表面化して現在の視点では手放しで評価できないってこと?」「それとも小泉政権道路公団民営化、郵政民営化など中曽根以外の民営化が評価できないってこと?」「何ではっきり書けないの?」ですね。

 小泉政権以後の流れは、ある意味、中曽根政治の大きな流れ*5の中にあるものです。しかし、その潮流は今限界を見せています。

 「おやおや」ですね。極右・三浦は安倍政権誕生を喜んでるとばかり思っていました。小生のような安倍批判派、野党共闘支持者なら「安倍が首相など日本の政治は限界に来ている」と思っても不思議ではないでしょうが。
 三浦の言う「限界」とは何なのか、さっぱりわかりません。まずは何を「安倍自民の限界」だと思うのかはっきり書いたらどうなのか。
 ポスト安倍が未だ明確な形で現れないことか。「総裁選でただ一人立候補したことで株を上げた」一番有力な「自民党内」ポスト安倍候補「石破*6」が三浦にとって魅力的でないことか。
 安倍が「モリカケ」「桜を見る会」など不祥事ばかりやらかすことか。いつまで経っても改憲のめどが立たないことか。安倍が「来年春の習主席訪日」を発表し、三浦らの希望する反中国政策をとらないことか。
 最近、安倍政権幹部(二階*7幹事長、甘利*8税制調査会長)が相次いで「女帝容認」としか理解できない発言をしたことか。
 「小池*9希望の党」が成功してれば、野党も「安倍自民並みの右翼政党」が最大野党になったろうに、失敗し、最大野党・立民の枝野*10が安倍ほどの極右ではなく、政権交代したら、確実に「三浦の望まない方向に行くこと*11」か。
 安倍政権が池田、佐藤*12、中曽根、小泉*13政権など過去の長期政権と違い「自民支持層にしかもっぱら支持がなく」、野党支持層は勿論無党派でも支持が弱いことか。

 中曽根氏が総理時代靖国神社参拝をやめたのは、彼の盟友*14だった中国共産党改革派の胡耀邦*15を、日中関係の悪化により追い詰めたくなかったからだ、という説が現在では有力ですね。私もそれは事実だろうと思います。

 イヤー事実ではないでしょうね。
 先ず第一に注目すべきことは「中曽根時代に対中国ODAが本格実施されてること」です。
 中曽根は明らかに中国ビジネスを重視していた。つまり靖国参拝中止とは「胡耀邦が失脚するかどうか」などという「ある意味小さな問題」ではない。「中国ビジネスを犠牲にしてまで靖国参拝にこだわるべきかどうか」と言う話です。中曽根は中国ビジネスの方を重視しました。
 つまりは

・海部*16内閣が「中国ビジネスを重視して対中国ODAを再開」した
・宮沢*17内閣が「中国ビジネスを重視して天皇訪中を実施」した
・安倍*18が「中国ビジネスを重視して一帯一路参加表明をし、昨年5月には李克強*19首相の北海道訪問に異例の同行をし、来年春には習*20主席を国賓として招く」

のと中曽根の行為は何ら変わらない。

 中曽根氏は、ソ連では成功した共産党改革が中国でも可能だと信じた。氏の最大の政治的判断ミスはここにあったのではないでしょうか。

などということで中曽根は日中友好に励んだのではない。三浦のような反共、反中国のウヨは認めたくないでしょうが、日本政府は戦後ずっと「ビジネスのための日中友好」を基本としてきました。
 これは国交正常化前ですらそうです。その一番わかりやすい例が「池田内閣の周鴻慶事件」です。池田内閣は即座に周を台湾に引き渡しはしませんでした。中国ビジネスを重要視し、周を引き渡すことで日中関係悪化を恐れたからです。
 しかし、「周鴻慶事件」に池田内閣外相として関わった大平が、「日中国交正常化」に田中内閣外相として関わるのも面白い話です。
 
参考

◆周鴻慶事件(ウィキペディア「LT貿易」参照)
 1963年9月に中国(中華人民共和国)油圧機器訪日代表団の通訳として来日した周鴻慶が、全日程を終える直前の10月7日早朝、ソ連大使館に亡命を求めたことから始まった事件である。周はソ連大使館に亡命を拒否されたことから、その後、亡命希望先を台湾(中華民国)に変更。亡命先に指名された台湾政府は、日本側に周鴻慶の引き渡しを強く求めたが、中国との関係悪化を恐れた日本政府はパスポート期限切れを理由に10月8日周を拘留、その後10月24日には「本人の意志」が中国への帰国に変わったとして、翌1964年1月10日中国大連に送還した。
 この一連の日本側の対応に台湾当局は激怒し、駐日大使を召還すると共に日本政府へ厳重な警告と抗議を行い、日華関係は断絶の危機に瀕した。この台湾側の反発を解くため、池田勇人*21首相、大平正芳*22外相は、吉田茂元首相に個人の資格で台湾訪問することを要請。吉田は池田首相の親書を持参して台北へ赴き、要人と会談した。しかし帰国後の1964年(昭和39年)5月、張群国民党秘書長へ宛てた吉田茂の書簡の中に対中プラント輸出に輸銀融資は使用しないと表明してあったため、先に契約が成立していた倉敷レーヨンに較べ、ニチボーの契約調印は大幅に遅れることになった(いわゆる「吉田書簡」問題)。

日中国交正常化ウィキペディア参照)
■吉田内閣と日華平和条約
 吉田茂*23首相は、1951年9月のサンフランシスコ講和会議の前は国会答弁でも中華民国を承認するとは明言しなかった。西側でもイギリスが中国と国交を結んでいることに注目して、中華民国を承認するにしても中華人民共和国の上海に「貿易事務所」を開設することに言及していた。
 むしろ「国連における中国代表権問題」が解決するまで中華民国の承認を先延ばしすることも考えていたが、アメリカのダレス*24国務省顧問に一蹴されて、結果として中華民国のみを承認することになった。
鳩山内閣政経分離
 吉田の首相辞任後に鳩山一郎*25が首相に就任して、対共産圏との関係改善を目指して、特に日ソの国交回復に尽力した。そして対中華人民共和国に関しても政経分離を原則に、外交関係はなくても経済関係の拡大を求め、特に石橋湛山*26通産相は日中貿易拡大を望んでいた。このような鳩山政権の動きに中華人民共和国は注目していた。
 1955年4月になると、バンドン会議において高碕達之助*27経済企画庁長官と対談した周恩来総理は、「平和共存五原則の基礎の上に中華人民共和国が日本との国交正常化推進を希望する」と表明した。同年5月には日本国際貿易促進協会、日中貿易促進議員連盟中華人民共和国日本訪問貿易代表団との間で第三次日中民間貿易協定を結んだ。
■岸内閣とアジア外交
 1957年2月に石橋首相の病気辞任の後、岸信介*28が首相に就任した。親米で親台湾派だった岸も「日中貿易促進に関する決議(なお、参院決議は中日貿易促進に関する決議(第7回国会):資料集:参議院)」の衆議院での提案者の一人でもあり、総理就任後も対中政策重視のために起用した「親中派」藤山愛一郎*29外相とともに国会答弁などで中華人民共和国との国交樹立は尚早としつつ「敵意を持っている、あるいは非友好的な考えを持っているということは毛頭ない」として日中貿易を促進したい旨を再三述べており、岸は中華人民共和国との関係は基本的に「政経分離」であると語ってる。岸は藤山とともに池田正之輔*30の訪中の際も池田と打ち合わせを行っていた。
 そして1958年3月に岸政権の承諾で第四次日中民間貿易協定が締結された。しかし、1958年5月2日に「長崎国旗事件」が起きた。これに中華人民共和国の陳毅*31外相が日本政府の対応を強く批判して、5月10日に全ての日中経済文化交流を中止すると宣言した。日中間の貿易が全面中断されて、ここまで積み上げてきた民間交流がここで頓挫していった。
■池田内閣と日中貿易
 1960年の日米安保条約改定の混乱の中で岸首相が辞任して、池田勇人が首相に就任した。
 1962年10月28日に高碕達之助(岸内閣で通産相)が岡崎嘉平太全日本空輸社長)などの企業トップとともに訪中し11月9日に「日中総合貿易に関する覚書」が交わされて、政府保証や連絡事務所の設置が認められて半官半民であるが日中間の経済交流が再開された。この貿易は中華人民共和国側代表廖承志と日本側代表高碕達之助の頭文字からLT貿易と呼ばれている。

中日貿易促進に関する決議(第7回国会):資料集:参議院
■中日貿易促進に関する決議(昭和25年4月28日、参議院本会議)
 戦前の正常期において、わが国貿易総額の六割五分を占めていたアジア貿易、特にその過半を占めた中国との貿易再開は、米国の援助が漸減されようとするわが国経済にとつて重大な問題である。
 依然として不振を続ける貿易と深刻化する国内不況の根本的打開策として、産業界も貿易界も一般国民も新中国との直接貿易の緊急な再開を強く要望している。
 英国、印度、スエーデン、ソ連等世界の十数ケ国が既に新中国政府を承認し、更に国連の承認を通じて米国の承認もそう遠い将来ではないと予想される。
 政府は、日本の生存に絶対に欠くことのできない貿易振興の一環として、政治問題やイデオロギーの問題を離れ、純経済的観点から、新中国と相互に経済使節を交換し、早急に直接貿易を再開するよう積極的方策の確立、実行に関し万全を期すべきである。
 右決議する。

ということで吉田以降、全ての自民党宰相は「国交正常化前」でも、「あの台湾ロビー・岸信介ですら」大なり小なり中国ビジネスに気を遣っていました。三浦ほどの反中国ウヨ首相などどこにもいない。
 それはともかく胡耀邦云々は「中国ビジネスは重要だ」といって「カネのために中国に媚びるのか」といわれたくなかった中曽根が「胡耀邦の失脚ガー」といいわけしてるだけです。
 第二に注目すべき事は「韓国併合正当化放言をした藤尾*32文相を、韓国全斗煥政権の抗議を受け入れた中曽根が更迭したこと」「靖国参拝は韓国も批判していたこと」です。
 中曽根は明らかに「韓国ビジネスも重視していた」。つまり「靖国参拝中止」は「韓国ビジネスを犠牲にしてまで靖国にこだわるべきかどうか」と言う話でもあった。藤尾更迭も話は同じです。
 
 いずれにせよ中曽根がどんな認識だろうと

 靖国参拝は、結局対中、対南北朝鮮の政治マターであるということ*33を認めたのと一緒です。

などという話には全くなりません。
 靖国参拝は「中国や韓国などの外国政府が批判しなくても」すべき行為ではありません。
 なぜなら第一にそれは「憲法政教分離原則に反する行為」であり、第二に「日本人であっても日中戦争、太平洋戦争を是とする立場で無い限り」、戦争を推進した「東条英機*34元首相(太平洋戦争開戦当時の首相、戦後、死刑判決)」「板垣征四郎*35・元陸軍大臣関東軍高級参謀として満州事変を実行、戦後、死刑判決)」らを「彼らを合祀する」靖国のように合祀して、英雄視することなど出来る話ではないからです。
 小生のような「あの戦争に否定的な人間」にとっては東条、板垣らは決して英雄などではありません。

坪内祐三*36の著書「靖国」(新潮文庫*37)は、(中略)本書あとがきにおいて、激しく中曽根首相を批判している部分は意外なほど情熱的で怒りに満ちた文章なので、この部分をぜひ読んでほしく一部引用します。 

 ということで以下「靖国シンパのウヨ」坪内の中曽根への悪口が長々引用されます。

 中曽根首相の昭和60年(1985年)の公式参拝を批判した中国政府が、その理由の一つとしてA級戦犯合祀を持ち出したことに対し、それは昭和53年(1978年)*38に合祀祭によって行われたことであり、翌54年*39には大々的に新聞が報じていたこと、その時は中国政府は全く騒がなかった

 ばかばかしい。靖国が戦犯合祀しただけなら中国が抗議しなくても何ら不思議ではありません。なぜなら戦後の靖国は「一民間宗教施設」に過ぎないからです。しかし「改憲右派」で首相の中曽根が参拝すれば話は違ってきます。
 「中曽根は満州事変の実行者・板垣征四郎A級戦犯靖国神社と同様、英雄視するのか?。あの戦争について当時の日本は非はなかったというのか?」「中曽根が私人ではなく、首相という公人である以上、それは日本政府の公式見解ではないのか?」「それは、日中共同声明、日中平和友好条約に反する行為であり、我が国に対する侮辱ではないのか?」「中曽根は改憲右派だからこういうことをするのか?」と反発するのは当たり前の話です。

・中国政府の批判に対して、時の自民党幹事長の金丸信*40や、副総裁の二階堂進*41や、外務大臣*42桜内義雄*43らが、皆口をそろえて、A級戦犯靖国神社へ合祀されている事実は全く知らなかったと語っていた
中曽根康弘毎日新聞の1999年6月7日朝刊に載った「靖国問題をどう考える」というインタビューで、「A級戦犯が合祀されていることを、その当時は知らなかったんです」と、まだ、ぬけぬけと語っている。もう老い先の長くない人間だというのに、彼はこの嘘を、墓場まで持っていくつもりなのだろうか*44

 ばかばかしい。あくまでそうした発言は「中国をなだめるための発言」「中曽根をかばうための発言」であることなど「言わずもがな」でしょう。
 「我々はそういうことをよく知らなかったし、多分中曽根君も知らなかったと思う。今回そういうことを中国政府の抗議で知ったので今後は参拝はしない。だから今回のことは大目に見てほしい、許してほしい(金丸、二階堂や桜内)」「その通りです、知らなかったんです。もう二度と参拝しないから許して下さい(中曽根)」つう話です(当然ながら過去にそうしたことで片を付けてるのに、小泉氏や安倍が参拝すれば中国が「挑発してるのか?」と猛反発するのは当たり前です)。
 ここで「文句があるなら合祀された直後に抗議すれば良かった」だの「戦犯が合祀されてることは知ってるが参拝して何が悪い」だの中曽根らが言ったらそれこそ日中関係が恐ろしいことになってしまいます。まあ、反中国右翼の三浦や坪内らはそれでもいいのでしょうが。
 なお俺個人が「許せないと思う中曽根のウソ」はそんなことよりも「慰安所を設置した」と回想録に書きながら都合が悪くなると「良く覚えていない」ととぼけたことですね。
 戦犯合祀について言えば確かにどう見ても「ウソ」でしょうが、「知っていた」と公言して、中国を挑発されても迷惑ですしね。
 中国の方も「よくもまあモロバレの嘘がつけるもんだ」と呆れながら「嘘つくな、ふざけるな」と中曽根をつるし上げるようなことはせずに「二度と参拝しないならいいですよ」と矛を収めてやったわけです。
 まあ「中国ビジネス靖国ごときで犠牲にしない程度の良識」は中曽根にはあったわけです。 

 靖国神社の「公式参拝」に臨んで、中曽根首相は「政教分離」の原則に反しないために、神社側に「手水は使わない」「祓いは受けない」「正式の二礼二拍手はやらない」と申し渡した。手水や二礼二拍手はともかく、「祓いは受けない」にいたっては「公式参拝」を自称する人物にはあるまじき無茶苦茶な注文だった。
 中曽根総理が「公式参拝」にやってきても、自分は挨拶に出ない、と松平宮司*45は、時の内閣官房長官藤波孝生*46に答えた。「いかになんでも人の家に泥靴で踏み込むような人の所に宮司が出て行って、よくぞいらっしゃいました、ということは口が裂けても言えない」から。

 ということで靖国参拝とは「外交問題」以前に政教分離原則上問題のある行為です。
 なお、「どんな形でアレ首相が靖国を参拝すれば違憲の疑い濃厚」が通説であり、中曽根の姑息な行為(「手水は使わない」「祓いは受けない」「正式の二礼二拍手はやらない」)は「違憲性の払拭にはならない」と考えられています。
 靖国の松平宮司とは別の意味で「靖国参拝批判派(社会党共産党など)」は「そんな姑息な行為は何ら参拝の憲法上の問題点を払拭しない」と中曽根を批判していました。

「しかも、後で夕刊を見て驚いたのは、(中略)4人のボディガー*47を連れて行動したんですね。私は前日、藤波氏に条件として、記帳したあと、拝殿から中の、いわゆる神社の聖域にはボディガードなんか連れて行かないでくれ、と申しておけばよかったと後で後悔しました。まさかそんなことをするはずがないと思っていました。」

 松平といい、松平発言を正論であるかのように紹介する坪内祐三や三浦といい気が違ってるとしか言い様がないですね。
 首相にSPがついて何が問題なのか(小泉や安倍の参拝とてSPはついたでしょうよ)。仮にSPがつかない状態で、靖国で中曽根襲撃事件がおこって最悪、中曽根が死んだら、靖国はどう責任をとる気なのか?
 本気というよりは「手水は使わない」などで松平の面子を潰したことへの因縁付け、逆ギレでしょうが、あまりにもレベルが低すぎる。

*1:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*2:カリフォルニア州知事を経て大統領

*3:ルーマニア大統領、ルーマニア共産党書記長

*4:レーガン政権副大統領を経て大統領

*5:こうした三浦の物言いには俺は異論がありますね。先ず第一に「民主党政権を無視するとしても」少なくとも「福田政権」は中曽根ほど右寄りではないでしょう。第二に「金大中氏との首脳会談(小渕政権)」などを考えれば、「小泉政権以降」と同一視は出来ないでしょうが、「周辺事態法」「国歌・国旗法(右派的方向)」「派遣法改正(新自由主義的方向)」は小渕内閣で成立していますし、「省庁再編の基本方向(新自由主義的方向)(再編実施自体は森内閣ですが)」は橋本内閣で決定されています。小泉政権以前が「中曽根的流れ(右派的、新自由主義的流れ)」と全く無関係かと言えばそんなことはありません。

*6:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相など歴任

*7:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長

*8:小渕内閣労働相、第一位安倍、福田内閣経産相麻生内閣行革等担当相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第二次、第三次安倍内閣経済財政担当相、自民党選対委員長などを経て自民党税制調査会

*9:小泉内閣環境相、第一次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)を経て都知事

*10:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表

*11:とはいえ「大平首相が私の理想」と語る枝野は少なくとも左派ではあり得ませんが。

*12:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*13:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*14:「盟友」ではないですよね。三浦の「盟友の定義」って何でしょうか?。

*15:党中央組織部長、党中央宣伝部長などを経て党総書記

*16:自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田、中曽根内閣文相を経て首相

*17:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*18:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*19:中国共産主義青年団中央書記処第一書記、河南省長・党委員会書記、遼寧省党委員会書記、第一副首相などを経て首相(党中央政治局常務委員兼務)

*20:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*21:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相を経て首相

*22:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*23:戦前、天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐伊大使、駐英大使を歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*24:アイゼンハワー政権で国務長官

*25:戦前、田中義一内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相を歴任。戦後、日本自由党総裁、日本民主党総裁などを経て首相

*26:吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相などを経て首相

*27:東洋製罐創業者。戦前、満州重工業総裁。戦後、電源開発総裁を経て政界入り。鳩山内閣経済企画庁長官、岸内閣通産相科学技術庁長官など歴任

*28:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*29:岸内閣外相、池田、佐藤内閣経済企画庁長官、自民党総務会長(池田総裁時代)など歴任。親中派の重鎮として日中国交回復促進議員連盟会長、国際貿易促進協会会長など歴任。

*30:池田内閣で科学技術庁長官

*31:上海市長・党委員会書記、外相など歴任。文革により失脚し、復権しないまま文革の最中に病死。

*32:鈴木内閣労働相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣文相を歴任

*33:そもそも米国も反対してるのによくもまあこんなことがいえたもんです。外交問題に限っても「中国、韓国、北朝鮮だけが反発してる」なんて話ではない。いやもちろん「中韓の日本にとっての重要性」を考えれば「中韓だけの反対」でも参拝などすべきではありませんが。

*34:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任

*35:関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任

*36:著書『「近代日本文学」の誕生』(2006年、PHP新書)、『極私的東京名所案内 増補版』(2010年、ワニブックスPLUS新書)、『大相撲新世紀 2005-2011』(2012年、PHP新書)など

*37:2001年刊行

*38:当時は福田赳夫内閣

*39:当時は大平内閣

*40:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、副総裁(宮沢総裁時代)を歴任

*41:佐藤内閣科学技術庁長官(北海道開発庁長官兼務)、田中内閣官房長官自民党総務会長(鈴木総裁時代)、幹事長(鈴木、中曽根総裁時代)、副総裁(中曽根総裁時代)を歴任

*42:中曽根参拝時代には桜内は外相ではないので「元外相」の誤記か?

*43:池田内閣通産相、田中内閣農林相、自民党政調会長(三木総裁時代)、福田内閣建設相(国土庁長官兼務)、自民党幹事長(大平、鈴木総裁時代)、鈴木内閣外相、衆院議長など歴任

*44:これは「中曽根の生前に発表された坪内の文章」の引用で、三浦が今回、中曽根死後に書いた文章ではないので「彼はこの嘘を、墓場まで持っていくつもりなのだろうか」と書かれてるわけです。まあ、嘘ついて墓場まで行った人間なんて山ほどいますけどね。「日米間に核密約などない(歴代の自民党総理)」「丸紅から5億のカネなどもらってない(田中角栄)」とか。

*45:松平宮司以前(たとえば1946~1978年まで宮司だった筑波藤麿)は靖国が(国内外の批判を恐れて?)戦犯合祀していなかったことに注目すべきでしょう。つまり歴代宮司の中でも松平は相当の極右です。

*46:大平内閣労働相、中曽根内閣官房長官自民党国対委員長(中曽根総裁時代)など歴任

*47:いわゆるSPのことでしょう。SPを「ボディガード」と「まるで中曽根の私的護衛」のように表現する辺り、松平は人格が完全に異常ですね。靖国関係者というのはこういうキチガイしかしないんでしょうか?