今日の産経ニュースほか(2020年1月11日分)

台湾総統選は、「民主主義を守ろう」対「みんな金持ちになれる」の抗争。 | ちきゅう座

良識ある理念派

 やれやれですね。「アンチ中国」の澤藤氏にとって「蔡英文」は「良識ある理念派」なのでしょうが、「澤藤氏のようなアンチ中国*1ではない」俺にとって彼女は「良識無き反中国ポピュリズム政治家(台湾のマリーヌ・ルペン)」です。


「所詮中国の政治的・経済的影響を排除することなど無理なこと。現実的に考えれば、対中融和こそが、望ましい安全保障政策であり、台湾経済を豊かにすることができる」

という韓国瑜の主張こそが「良識ある理念派」でしょう。韓のような主張に対し「カネが、緊張緩和が全てか、中国と仲良くすればそれでいいのか(蔡英文や澤藤氏)」と言い出すのは暴論でしかありません。なぜなら韓は「カネや緊張緩和を無視できない、中国との友好関係を無視できない」といっても「カネが、緊張緩和が全てだ。中国との友好関係が全てだ」などとは言ってないからです。むしろ「中国との友好関係やカネの問題」を「そんなことより大事な問題(民主主義の問題)がある」といって完全無視してる無責任なバカが蔡英文と支持者であり、彼らは無邪気に称える澤藤氏ではないのか。
 本気で言ってるならバカだし、「悪政、失政をごまかすために言ってるなら詐欺師」です。まあ、澤藤氏はともかく蔡英文は詐欺師でしょうが。
 「民主主義の問題」とやらのために中台関係を犠牲にする必要はどこにも無い。中国は「現状維持にとどまるなら台湾に対して統一を急ぐことはしない」と言っている。それで何か問題なのか。「即時独立を目指す」と言うのでなければ何の問題も無いわけです。
 蔡のやってることは「小泉郵政選挙」と同じ「ワンイシュー選挙でっち上げ」によるポピュリズムでしかない。
 そもそも、中国が台湾を軍事侵攻する脅威などどこにもないのに

時事によれば、蔡候補の訴えは、
「台湾の主権と民主主義を守ろう」
もう少し敷衍すれば、
蔡「なによりも、主権の確保・民主主義の貫徹・自治の防衛が重要ではないか。けっして、大国である中国に呑み込まれてはならない。目先の経済的利益のために、あるいは政治的摩擦を恐れての安易な妥協は将来に取り返しのつかない禍根を残す」

なんて反中国デマでしかない。香港問題をどう評価するにせよ、アレは「台湾の主権と民主主義が危ない」と言う話ではない。
 むしろそんな反中国デマで蔡が勝利したことの方が「台湾の民主主義が危ない」でしょう。どんなに酷い政治をやっても「反中国を扇動すれば勝てる」と言う話だからです。
 そもそも中台間の関係を改善し景気を良くしようとすることの何が「目先の経済的利益のために、あるいは政治的摩擦を恐れての安易な妥協は将来に取り返しのつかない禍根を残す」なのかさっぱりわかりません。何故か澤藤氏には理解できるようですが(マジレスすれば彼は本当には理解してないでしょう。何故蔡でなければ『民主主義が守れない』のか、まともな説明を彼は何一つしてないからです。反中国分子が情緒的に蔡を万歳してるに過ぎない。これが仮にも『論理を商売とする弁護士か』『まともな弁護活動が果たして出来ているのか?』と心底呆れます。)。
 なんで日本では「左派だのリベラルだの自称する輩(今回は澤藤氏)」がこんなに反中国なのかと心底呆れます(浅井基文氏のような例外的な良識派、親中国派もいますが)。
 人権面で問題のある国は中国以外にもあるのに「中国以外の国」にはまずこんなこと言いませんからねえ。「ロヒンギャ問題をネタにしたミャンマー批判」「カシミール問題をネタにしたインド批判」とかまず見ない(まあネタは何でもいいのですが)。
 と言うと澤藤氏のような人間は小生や浅井氏を「中国の飼い犬扱い」するのでしょうがまあ、「勝手にしやがれ、反中国の老害野郎・澤藤」「手前みたいなバカがリベラル名乗ってるんじゃねえよ!」ですね。
 

【台湾・総統選】蔡英文氏が再選決める 韓国瑜氏は敗北認める - 産経ニュース
【台湾・総統選】蔡英文氏「民主の台湾は脅しに屈しない」 記者会見の冒頭発言全文 - 産経ニュース
 「投票前のマスコミ報道」から、予想の範囲内ですが実に残念です。今回は残念な結果でしたが国民党と韓国瑜の巻き返しを願ってやみません。
 まあ、俺に言わせれば「最悪の選挙結果」ですね。何せ蔡英文はいたずらに反中国を扇動していますから。「中国にこびへつらえ」とはいいません。「中国が全て正しい」とも言わない。
 しかし蔡英文がまともな政治家ならあのようにいたずらに反中国を扇動したりはしないでしょう。経済関係を考えたら明らかに適切な行為ではない。
 「悪しき反中国ポピュリズム政治家」「台湾のドナルド・トランプ」というのが俺の蔡英文評価です。いや蔡が女性であることを考慮すれば「台湾のマリーヌ・ルペン」と言うべきか。
 蔡英文がそういう反中国扇動に走ったのは彼女に「反中国以外に語るべきものがなかったから(要するに無能)」であり、また「勝てれば政治的妥当性などどうでもいい」という無責任だからでしょう。
 そしてそんな「無能で無責任な蔡」を再選させた台湾選挙民には「冷静な政治行動が出来ない重大な問題がある」と俺は否定的、批判的です。「民主主義の欠陥(政治家、選挙民ともに合理的判断が出来ないと間違った方向に進む)」が露呈した選挙結果だと思います。
 これでわかるように民主主義とは「自分たちのことは他人ではなく、自分たちで決めるべきだ」という自決主義の立場によるもの*2であって、決して「民主主義ならば、正しい結果が常に得られるから」そうしてるわけではありません。
 もちろん独裁だって「常に正しい結果が得られるわけではない」ですが「独裁者がまとも」なら結果的に「民主主義よりも正しい結果になる」ことがあり得る。
 ただし論理的にも経験的にも「独裁と民主主義では、独裁(あるいは民主主義)の方がより正しい結果が得られる」といえないので「正しい結論が得られる可能性に明確な違いがあると認められないのなら自決主義を重視しよう→民主主義のほうがより適切な政治決定方法」と言う話にすぎないわけです。


【昭和天皇の87年】天皇が放った「和平の第一着手」 重臣たちは空論をかざした - 産経ニュース
 とにかく和平したいのなら「無条件で降伏します」で終わる話です。
 ところが昭和天皇は「国体(天皇制)は護持したい」「戦犯として訴追されたくない」「退位もしたくない」「戦後も国家元首大元帥(軍最高司令官)のままでいたい」「その条件で和平しろ」というわけです。
 一方、英米は条件付き降伏は認めないという。ウヨ連中が言う「終戦の聖断」が嘘であることが分かります。
 聖断どころかあの時点では「条件付き降伏は無理」だから泣く泣く無条件降伏しただけです。 
 まさに「遅すぎた聖断*3」であり「『聖断』虚構と昭和天皇*4」です。

 大戦最後の年、昭和20年の新春を、昭和天皇は、ある決意を秘めて迎えたようだ。
 1月6日《内大臣木戸幸一*5をお召しになる。その際、比島戦況(フィリピンの戦い)の結果如何により重臣等から意向を聴取することの要否につき御下問になる》(昭和天皇実録33巻4頁)
 当時、フィリピンでは一撃講和を狙った捷一号作戦の失敗により、山下奉文*6指揮の第14方面軍がマッカーサー率いる米上陸軍に苦戦を強いられていた。政府も軍部も依然として「戦争完遂あるのみ」だが、昭和天皇は、終戦に向けた地ならしが必要だと考えたのだろう。

 「フィリピンの戦いで米軍に一定の打撃を与え『日本に無条件降伏要求をするのは得策でない』と思わせ国体(天皇制)護持条件で和平交渉しろ」という一撃和平論(一撃講和論、一撃降伏論)ですね。実際にはそんな一撃はなく、日本は昭和20年8月に無条件降伏に追い込まれますが。

 歴代首相ら重臣7人に極秘で意見聴取が行われたのは、2月7日から26日にかけてである。軍部を刺激しないよう、天機奉伺(天皇に対するご機嫌伺い)として一人ずつ参内した際に、昭和天皇が内々に話を聞く形がとられた。

 ということで「若槻礼次郎*7元首相」「岡田啓介*8元首相」「広田弘毅*9元首相」「近衛文麿*10元首相」「平沼騏一郎*11元首相」「東条英機*12元首相」(以上、就任順)の6人の元首相と、「牧野伸顕*13内大臣」の計7人の重臣に意見聴取がなされました。
 元首相は他にも「阿部信行*14元首相」「米内光政*15元首相」がいますが彼らには意見聴取はされませんでした。

 平沼騏一郎(第35代首相、元枢密院議長)は7日、戦争施策を重点的に行うことと、官吏が国民に慈愛をもって接することの必要性を説いたものの、肝心の和平問題には触れなかった。

 これだけでは「平沼が和平に消極的だった」のか、「昭和天皇の真意が分からず、下手に和平賛成、和平反対といって、反感を買って遠ざけられるのを恐れて当たり障りのないことで逃げた」のかはわかりません。
 「自由な意見を言っていい」と言われて本気にしていったら「お前らは反動分子だ」などと「百花斉放百家争鳴運動を反右派闘争に変えてしまった(結果的にだました)」毛沢東のようなことを昭和天皇にされても平沼も困るわけです。
 いずれにせよ昭和天皇からすれば不満だったでしょう。

 広田弘毅(第32代首相、元外相)は9日、日本と中立条約を結ぶ対ソ交渉の重要性を指摘し、「ソ連とさらに戦争を起すことは、絶対にいけません。腹背に敵をうければ、今日のドイツの如くになって、憂うべき戦局に陥ると思います」と強調。

 一般論としてはその通りです。この時期の「負け戦の日本」にはとてもソ連まで敵に回せる余裕はありません。とはいえ「それだけでは和平交渉の話にはならない」わけです。もしかしたら広田は「この後、浮上するソ連を仲介役とした和平構想」をこの時期から考えていた(ただし昭和天皇の真意が読めないのでそこまではまだ語らなかった)のかもしれませんが。

 若槻礼次郎(第25、28代首相、元蔵相)は19日、「勝敗なしという状態で戦争を終結させることを目途にし、平和の機会があれば直ちにとらえ」るべきだと力説した。
 昭和天皇が聞く。
 「成案はあるか」
 若槻が答える。
 「今日の情勢におきましては、戦い抜いて、敵が戦争継続の不利を悟る時のくるを待つほかはございませぬ」
 まるで成案になっていない。

 まあ、若槻が本当に言いたかったことは「敵が悟る」のではなく「昭和天皇や陸軍が悟る」じゃないですかね。
 ただ、そう公言したら昭和天皇や陸軍の反発が予想されるので「敵が」といったんじゃないか。つまりは「天皇陛下は、私に向かって和平がどうのこう言うけど、あんた、本気で和平する気があるの?。私はもう負け戦だからなんとか和平すべきだと思ってるけど、『和平なんか出来るか!』つう陸軍の反発に日和ったあんたに、はしご外されたら嫌だからね。私だけ悪者にされたらたまったもんじゃない」「成案はあるか、て向こうは無条件降伏を要求して、陸軍は徹底抗戦を主張する中でそんなもんすぐ出せるわけねえだろ!」ということを暗に言ってるんじゃないか。
 まあ、この時期の陸軍主戦派つうのは「今の家族会」みたいなもんですからね。
 家族会が「即時一括全員帰国が無い限り制裁あるのみ」と無茶苦茶なことを言うのと同じように陸軍主戦派も「和平交渉など論外、戦争あるのみ」と無茶苦茶なことを言う。しかもどちらも「無駄に政治力がある」。
 家族会に攻撃された田中均氏が外務省退官に追い込まれたように下手なことを言えば若槻も「良くて政治的失脚」、悪くすれば「515事件や226事件のようなテロ」で殺されかねません。

 この日は元内大臣牧野伸顕も参内し、「まず戦局を有利に展開することが先決」と空論をかざした

 「空論」ねえ。「戦局を有利にしてからでないと降伏できない」と「産経の言う空論=一撃和平論」にこだわって降伏を遅らせたのは昭和天皇自身ですが。牧野発言が空論で批判に値するなら、昭和天皇の一撃和平論も空論で批判に値します。
 一方、昭和天皇の「終戦の聖断を評価する」なら牧野発言は何ら空論ではありません。「牧野発言は空論だが、終戦の聖断は正しい」なんてのは詭弁です。

 岡田啓介(第31代首相、海軍大将)も大同小異だ。23日、国力の減退に言及しつつ「残された全力をあげて戦争遂行に邁進(まいしん)することは勿論でございますが、一面には我に有利な時期を捉えて戦争をやめることも考うべきでございます」と奉答し、わずかに終戦を示唆したものの、「ただこれは容易に口外できぬこと」だと弱々しく付言した。
 侍従長の藤田によれば、昭和天皇重臣の誰かが、条件はともかく一日も早く終戦すべきと進言するのを待っていたようだ。それをきっかけに、調整に乗り出すつもりだったのだろう。

 要するに「降伏すべきだと思うが陸軍主戦派は絶対に反対するし、最高権力者である昭和天皇が腹を決めない限り、俺たちは動けない。和平方針で動いてから、昭和天皇に『あいつらが勝手にやってることで俺は知らない』とはしご外されたら俺たちの立場がない。そうなったら、俺たちは良くて政治的失脚、悪けりゃテロで殺されてしまう」「とにかく降伏方針でお前ら動け、陸軍が反対しようが俺は最高権力者として絶対に裏切らない、日和らないと言ってくれ。腹を決めてくれ。そうすればいくらでも動く(岡田)」つう話です。
 つまり昭和天皇は「明らかに実質的権限」を有しておりお飾りではありません。そして「昭和天皇が和平をはっきり決断しない限り」陸軍の反発が怖くて岡田も若槻も「内心では降伏するしかない」と思っていても、誰も和平工作に動けないわけです。
 正直、この下問だって「下手なこと言ったら、陸軍に筒抜けになって政治的に潰されるんじゃないか」「どこまで昭和天皇は和平に本気なのか」と若槻も、岡田も疑心暗鬼だったでしょう。
 ところが昭和天皇昭和天皇で「俺も陸軍の反発が怖いからお前らが言ってくれ」と言うのだから無責任です。これでは話が和平の方向に一向に進まない。
 「首相(小泉以下、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田、そしてまた、安倍)が家族会の反発をおそれて交渉方針をとらないのに俺たち外務官僚が交渉方針なんか打ち出せない。退官させられた田中均氏のような酷い目に遭うのは嫌だ」「そりゃ交渉以外に解決策はないと思うけど」となって拉致問題がまるで進展しないのと全く変わりません。

 一方、徹底抗戦を主張したのは東条英機(第40代首相、陸軍大将)である。26日、「我国は作戦的にも余裕あることを知るべし」とし、和平工作を「敗戦思想」として痛烈に批判した。加えて「生産力は日本も低下しあれど敵米においても低下しつつあり」「我を知ると共に、敵を能く知る上にこそ戦争における廟算(朝廷のはかりごと)は立つ」と述べるに及んでは、昭和天皇もさすがに表情を曇らせたという。

 未だに「小泉訪朝から17年経っても」

・我国は作戦的にも余裕あることを知るべし
・制裁解除による交渉論を「敗戦思想」として批判
拉致被害者家族は高齢下、死去しあれど、北朝鮮においても経済力が低下しつつあり
・我を知ると共に、敵を能く知る上にこそ拉致問題における計算は立つ

と「東条のようなこと」を言い続ける「家族会」並にトンチキな東条です。昭和天皇も「他の元首相(特に和平方針に明らかに傾いてる岡田や若槻)」との違いに唖然としたでしょう。「東条の皇室崇拝感情、皇室への忠義心はいささかも疑わないが、現状認識が非常識すぎる。東条首相更迭は仕方が無かった」と改めて思ったのではないか。
 ちなみに「降伏は不可避」との判断から「東条内閣打倒→小磯内閣誕生」に動いた人間の一人が若槻と岡田です。

 重臣らは「即時和平」を口にしなかった。ただ一人、14日に参内した近衛文麿を除いては

 有名な近衛上奏文ですね。詳しくは明日の産経記事になります。
 近衛が「下問を受けた重臣の中で唯一」、はっきりと「早く降伏すべきだ」と言ったことは評価できます。
 評価できないのは本気か「何らかの思惑に寄り、あえてデマ飛ばした」のかはともかく「敗戦後、共産革命が起こるかもしれない→降伏に反対する東条英機ら陸軍統制派は、敗戦革命をもくろむ隠れ共産党ではないか。統制派が支持する統制経済共産主義国の重要な特徴だ」と放言したことです。
 昭和天皇からすれば「東条は敗戦革命を狙う隠れ共産党ではないか。だから降伏に反対するのだ。奴は皇室のことなど尊敬してない*16」などという非常識な近衛の陰謀論は受け入れがたいもんでした。
 しかも近衛は東條ら陸軍統制派の影響力を陸軍から排除するために「荒木貞夫*17、真崎甚三郎*18ら陸軍皇道派の『陸軍大臣参謀総長など陸軍要職』への起用」を主張しました。これも「226事件での重臣暗殺」で皇道派に憎悪を抱く天皇には受け入れがたいもんでした。
 「そもそも東条を第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣として重用したのは、首相だったお前ではないか!。『東条の皇室への厚い忠誠心』を理由に東条の首相への起用もお前は容認したではないか?。今更『東条は敗戦革命を狙う隠れ共産党』とは何を言ってるのか?、気でも狂ったのか?」と言う思いも天皇にはあったでしょう。
 天皇がこの時点では一撃和平論に固執していたこともあり、近衛の進言「早期降伏」は取り上げられません。
 なお、早期和平論を主張する近衛*19に対し「一撃和平論」に固執する天皇に近衛が「そんな一撃があればいいですが、果たして可能でしょうか?」とやんわりと苦言を呈したことは有名ですね。
 実際そんな一撃はなかったわけですが。


【昭和天皇の87年】衝撃の近衛上奏文 「最悪の事態は共産革命なり」 - 産経ニュース
 近衛が本気で「共産革命に怯えていた」のか、「ためにするデマ(そのように脅した方が昭和天皇を早期講和の方向に持って行けると判断)」なのかは今となっては分かりません。ただし「早期講和しないと天皇制の存続が危ない」と考えていたことは確かでしょう。

 余談だが、先の大戦に至る主因を検証する際、この近衛上奏文が重視されることは、少なくとも学界の主流においてはあまりない。近衛個人の内面を探る研究材料にはなっても、共産革命の幻影におびえる華族政治家の、異端の陰謀史観として片付けられているのが実情だ*20
 しかし、ソ連のスパイだった朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)が近衛のブレーンにもぐりこみ、日中戦争の泥沼化を画策したことは既述の通りである。大戦末期の日本政府がコミンテルンに汚染されていると指摘した中国陸軍武官の機密電報も残されており*21(※1)、近衛上層文を異端と切り捨てるのは乱暴だろう。

 産経の主張「近衛上奏文は根拠がある(日本の戦争はソ連スパイによって助長された)」は完全なデマですね。
 尾崎が「日中戦争の泥沼化を画策した」と言う事実はそもそもありません。以前も今日の産経ニュース(2019年8月3日分) - bogus-simotukareのブログで指摘しましたが、むしろ彼は「日中戦争の泥沼化」については「中国との戦争がすぐに終わると考えてはいけない」と警告を発していました。確かに彼は「早期講和」は口にしていません。仮にそう言いたいとしても、言える社会情勢でもない。
 そんなことを言ったら「負け犬」として袋だたきです。ただし、繰り返しますが彼は「戦争の早期終結」については「楽観主義はいけない」として否定的見解でした。一方、政府と軍は楽観主義で戦争に突き進んだわけです。太平洋戦争においても彼が対米戦争を煽った事実はない。
 そもそも仮に彼がそうした扇動をしたとしても「尾崎のせいで戦争ガー」は詭弁です。当時の彼は有名評論家ではあっても、「小泉内閣における竹中平蔵慶應義塾大学教授(後に小泉内閣総務相)」のような強い政治的権威があるわけでもない。「尾崎が何か言えば皆がそれに影響される」つうほどの大物ではありません。
 彼が政治ブレーンを務めたのは「近衛の昭和研究会だけ」ですし、その昭和研究会にしても彼は中心人物ではない。また近衛ブレーンとは言え、近衛と直接の面識はなかった。そんな彼が「近衛ら政府高官を操って日本を戦争方向に持って行ける」わけもないでしょう。そもそも彼のスパイ活動はもっぱら「ジャーナリスト、評論家の取材活動*22に偽装しやすい情報収集活動」であって「スパイであることがばれかねない政策誘導」などはやっていません。
 せいぜい「親ソ連の立場からの北進論批判(ただし建前では北進論は利益が少ないと主張)」程度しか「政策誘導的行為」はやってないし、「大物フィクサーでもない彼の北進論反対」がどれほど政策決定に影響したかも疑問符がつきます。
 そもそも近衛上奏文においてもっぱら「日中戦争を泥沼化させた」「対米開戦をもたらした」などと批判されているのは「中国からの日本軍撤退」に反対した「東条英機武藤章ら陸軍統制派」であって「尾崎のような外部のジャーナリスト、評論家」ではありませんし。

 政府、軍部の中枢に共産主義が入り込んでいたことをうかがわせる事例は多く、同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝がまとめた終戦工作の原案「今後の対ソ施策に対する意見」でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結(2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連中共と同盟結ぶ-と書かれていた

 産経のデマには呆れて二の句が継げませんね。「是非はともかく」種村の主張は「米国の無条件降伏要求に抵抗する*23ためにソ連と手を組もう」「そのためにはご褒美としてソ連に領土(韓国、台湾、南樺太などの海外領土?)を少しくらい割譲するのもやむを得ない*24」「敵(米国)の敵(ソ連)は味方」、その程度のマキャベリズムに過ぎません。
 しかし、そのマキャベリズムは「8月のソ連対日参戦」で崩壊しました。ソ連と手を組もうとした日本を無視し、ソ連は米国と手を組み、「その見返りとして」米国から「北方領土ソ連領にするために侵攻していい」と言う内諾まで得ていたわけです。
 種村の主張は「種村ら日本政府幹部が反共の立場でありながら、ソ連にそこまで期待するほど追い詰められていた*25」「種村ら日本政府幹部が愚かにも米ソ共闘*26という国際情勢を見抜けず、ソ連に『敵(米国)の敵は味方』と過大な期待をした結果、自滅した*27」という証明ではあっても、「種村らがソ連の手先」だという証明ではない。
 まあ、種村の「国際情勢音痴」には「ニクソン訪中を予想できず慌てふためいた佐藤栄作*28首相」を連想する俺です。
 それはともかく、大体「陸軍参謀本部戦争指導班長(種村)」と言う要職にソ連の手先がいると考えること自体、常軌を逸しています。と言うか、この文は明らかに種村及び「彼を陸軍幹部としていた陸軍及び日本政府」への誹謗中傷も甚だしいもんです。
 そしてマジでそんな要職にソ連の手先がいるなら「日本政府・軍の無能さ」は尋常ではありません。そんな無能国家は、太平洋戦争開戦どころか日中戦争を早期和平すべきだったという結論しか出てこないでしょう。

 共産革命に行き着くかどうかはともかく、先の大戦が、革新派によって主導されたのはまぎれもない事実だ。右翼も左翼も国家社会主義*29を志向する革新派*30であり、ファシズムに反対する保守派*31を敵視した。

 産経の言う「革新派(革新官僚)」とは「外務省においては例えば親ドイツの松岡洋右*32、親イタリアの白鳥敏夫*33」、「陸軍においては日中戦争を拡大させた東条英機武藤章*34ら陸軍統制派」、「商工省においては例えば満州国高官として辣腕を振るった岸信介」、「大蔵省においては戦時経済構築に力を振るった賀屋興宣」です(他にもいますが)。なお、白鳥については近年、戸部良一『外務省革新派』(2010年、中公新書)という著書が出版されています。
 もちろん「松岡、白鳥や東條、武藤、岸、賀屋らの行為」を「事情はともかく」昭和天皇が容認した以上、「悪いのは松岡、白鳥や東條、武藤、岸、賀屋ら革新派(革新官僚)だ。昭和天皇は悪くない」で済む話では全くありませんが、それはさておき。
 「あの戦争での東条、武藤や松岡、白鳥ら革新官僚の罪は重い」という一方で、「靖国神社に東条、武藤や松岡、白鳥を昭和殉難者として合祀して何が悪い」という産経は全く矛盾しています(なお、富田メモを信用すれば、昭和天皇は明らかに松岡や白鳥の合祀に不快感を感じ、それを「合祀後に靖国参拝しない理由」にしていました)。
 「東条、武藤や松岡、白鳥の合祀は当然」なら「あの戦争は中国や米国の方が悪い。東条、武藤も、松岡、白鳥も何一つ悪くない」となるのが自然でしょう。
 一方「東条、武藤や松岡、白鳥の罪が重い」のなら「東條らの合祀に反対」となるのが自然でしょう。
 またそこまで革新派を批判するなら「革新派だった岸や賀屋」が戦後も自民党政治の中枢にいたことを何故批判しないのか。

 戦後に革新イコール平和主義、保守イコール戦争容認とする印象操作がなされるが、事実は真逆なのだ。

 「はあ?」ですね。なぜなら印象操作などどこにもないからです。
 一般に「保守」とは「右のこと」であり、「戦争を推進した革新官僚である松岡、白鳥や東條、岸、賀屋が全て右」である以上「保守派が戦争を推進した」と言って何の問題も無い。
 また革新官僚のウチ、「岸信介(東条内閣商工相。戦後、石橋内閣外相を経て首相)」「賀屋興宣(第一次近衛、東条内閣蔵相。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放、公職追放も解除され政界に復帰。自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣法相など歴任)」は「戦後自民党政治(戦後保守政治)の中核にいた」わけです。
 一方、革新という言葉は話が複雑です。革新という言葉にはそもそも「左」と言う意味はどこにも無い。「革新=新しくする」と言う意味しか無い。
 だからこそ「松岡洋右白鳥敏夫東条英機岸信介賀屋興宣」ら明らかな右派が戦前において革新派(あるいは革新派官僚、革新官僚)とよばれた。
 外務省を例にとれば「従来方針(英米との協調)」を「新方針(親独伊&英米打倒)」に革新せよと主張したから「松岡や白鳥」は革新派と呼ばれた。
 商工省を例にとれば、岸信介は「新方針(ソ連五カ年計画を参考にした統制経済)」を満州国で実行したから革新派と呼ばれた。
 陸軍を例にとれば「満州国建国」などの新方針を実行したから東條ら統制派は革新派と呼ばれた*35
 また戦前「帝国財政革新会*36」、「立憲革新党*37」(以上、明治時代)、「革新倶楽部*38犬養毅*39が代表)」(大正時代)、「革新党*40」(昭和時代)という「国会に議席を有した政党」がありますが、これらはもちろん全て保守政党です(ウィキペディア「日本の政党一覧」参照)。戦前において革新とは「新しくする」という意味に過ぎず、その新しくする方向が右か左かは全く問題になってない。
 あえて言えば「弾圧を受けるなどして左翼勢力など影響力が弱い」が故に戦前の革新はほとんど右です。
 ところが戦後になると、革新はうってかわって「社会革新党*41」、「美濃部革新都政」、「革新自治体(美濃部東京都制、蜷川京都府政、黒田大阪府政など)」、「革新自由連合(革自連)*42」、「全国革新懇」と左翼を意味するようになります。
 これは
1)革新派官僚であった東条、松岡、白鳥、賀屋が東京裁判で戦犯として裁かれたこと
2)革新派官僚であった岸信介賀屋興宣を左派が「極右政治家」として批判したこと、特に岸については「安保闘争」という大規模な岸非難運動が左派によって起こったこと
を考えれば非常に不可思議なことです。「俺たち左派は東条や岸とは違う。革新(革新派)なんて呼ばれてたまるか」という反発が起こっても不思議でないところ、何故「革新」と言う言葉を左派が愛用したのか、何故、岸や賀屋といった「元革新官僚自民党政治家」が戦後、自らを「革新」と自称しなかったのか、その理由を知りたいところです。

「もう一度、戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う」(※2)
(※2) この発言をもって昭和天皇終戦に否定的だったとし、戦争責任を追求する説も一部*43にあるが、昭和天皇は内閣更迭による粛軍が「なかなか難しい*44」と話したのであり、終戦への思いは強かった

 はっきり言って昭和天皇が本気で講和を考えていたならば、近衛の主張のうち「早期降伏」の部分を採用すべきだったでしょう。
 ところが近衛が「一撃なんて無理。そんなことは諦めてすぐに和平交渉を始めるべきだ」と考えていたのに対し、昭和天皇は「なんとしても一撃をしなければ降伏できない。そうでなければ有利な講和が出来ない」と一撃に固執していました。「一撃が可能かどうか」という判断の違いから近衛と昭和天皇の考えは大きく違うことになります。そして後世の目から見れば「一撃なんか無理」という近衛の方が正しかったわけです。
 なお、産経の言う「終戦への思いは強かった」というのはまるきりの嘘です(この点は山田朗氏の著作『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社)、『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)、『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社)が詳しいですが)。昭和天皇は「終戦したいが、国体(天皇制)は護持したい。自分は終戦後の戦犯訴追も退位も避けたい。だから一撃しないと講和できない」という立場をとり続けました。
 これを「終戦の思いは強かった」というのは常識的見方とは言えないでしょう。

 近衛は、国体を護持しての終戦、すなわち条件付き講和を前提にしていた。だが、米大統領ルーズベルトは無条件降伏に固執し、日本からの要求には、一切耳を貸すつもりはなかった(※3)。
(※3) 無条件降伏を受け入れたイタリアは戦後に王制が廃止された

 近衛自身は
1)ルーズベルトの無条件降伏主張は日本になめられないための、あるいは「条件付き降伏など論外」とする中国や「米国政府内部の対日強硬派」に配慮した「はったり、フカシ」の可能性がある。
 まあ「はったり、フカシ」と言う意味では北朝鮮が良く言う「無慈悲な鉄槌」、拉致被害者家族会が良く言う「我々は小泉訪朝から17年経とうが何ら疲弊などしていない」のようなもんです。
2)仮に本気だとしても「だから一撃しないと交渉が出来ない」というのは話がおかしい。すぐさま交渉を始め、交渉によって無条件降伏主張の不合理を米国に訴え、米国の意見を「条件付き降伏論(天皇制維持容認論)」に変えることに努めるべきだ
3)そもそも一撃など可能とは思えない
としていました。条件付き降伏論支持の立場にたっても近衛の主張の方が合理的だったと思います。特に3)が決定的ですね。
 「現実的に不可能なこと」を「交渉の条件」にするのは馬鹿げています。この点は家族会の「即時一括全員帰国」も同じです。
 なお、「イタリアは廃止された」と無条件降伏をこの時点で受け入れれば日本でも天皇制が廃止されたかのように印象操作し、昭和天皇の判断を正当化しようとする産経主張は二つの意味で間違ってます。
 まず第一にイタリアで王制は廃止されましたが、それは連合国が押しつけたわけではなく「国民投票によって廃止賛成派が過半数を超えたが故の廃止」です。「国王がムソリーニの対英米開戦を容認したことへの国民の反発」「イタリアで共産党など左派勢力の政治力が強かったこと」が影響したものであり、イタリアと日本の政治状況が違う以上、単純にイタリアの話を日本にスライドは出来ません。
 第二に、日本は無条件降伏しましたが、もちろん「天皇制を存続させた方が有利だ」という米国の判断により、天皇制は戦後も維持されました。
 近衛上奏文当時の近衛の認識「すぐさま交渉を始め、交渉によって無条件降伏主張の不合理を米国に訴え、米国の意見を「条件付き降伏論(天皇制維持容認論)」に変えることに努めるべきだ」がむしろ正しかったと言えるのではないか。


【産経抄】1月11日 - 産経ニュース

 論理が見事に逆立ちしている。立憲民主、国民民主、共産など*45主要野党*46は、情報収集強化を目的とする海上自衛隊護衛艦と哨戒機の中東派遣に反対しているが、その理由を聞いてあぜんとした。米国とイランの軍事的な衝突で、現地の緊張が高まっているからダメだというのである。

 何が「逆立ち」なのかさっぱりわかりません。
 日本の行為は明らかに「米国の派兵要請」に応じたもので「米国への肩入れ」です。産経の言う「そう言う状況だから情報収集の必要がある」などというのは詭弁でしかない。
 当然ながら、一方に肩入れすることは、緊張を激化させる恐れがありますし、日本人や日本企業がシーア派のテロにあう危険性も出てくる。反対するのは当然でしょう。

 そういえば立憲民主党枝野幸男*47代表は平成27年3月の衆院予算委員会で、中東からの石油が止まった場合について、こんな発言をしていた。
「いろいろな混乱が生じるけれども、国民の生命がたくさん失われるという事態とは違う」。

 まるで枝野が「中東の石油が来なくなること」に無関心であるかのように印象操作する産経ですが前後の文脈無視による誹謗中傷にもほどがあります。枝野は「中東の石油が止まることを理由に、いわゆる戦争法の武力攻撃事態、存立危機事態を認定し自衛隊派兵の理由にするのは無理があるのではないか」と言ったのであってそれ以上でもそれ以下でもありません。
 そもそも今回の派兵が現時点では戦争法を根拠としていないことはむしろ枝野の指摘を裏付けるものではないのか。


歴史問題は話題にならず 北京で日中韓教育相会合開催 - 産経ニュース
 もちろん「話題にならなかった=問題が無い」と言う話では全くありません。
 1)非常識ウヨ・萩生田相手にそんな話をしても全く成果が期待できない上に
 2)文化学術やスポーツ分野での「日本との交流」はする必要があるので
 あえて話題にしなかったと言うことでしょう。
 ここからまずわかることは産経の「中韓反日」などというのは全くのデマだと言うことです。慰安婦支援団体など「歴史認識問題に特化した団体ならともかく」、政府としては産経が悪口雑言するほど中韓歴史認識問題において厳しく安倍批判してるわけでもありません(もちろん全く批判しないわけでもありませんが)。
 

*1:ここでは「アンチ中国=常軌を逸した中国非難」と言う意味で使用しています(「常軌を逸した」は俺の主観的評価ですが)。

*2:とはいえ「政治の影響を当然受けるが投票権のない未成年者や外国人は自決主義の対象外」「自決主義と言ったところで結局多数決(選挙)なので、政治的少数派にとっては『自分たちで決めた決定』と言われても納得がいかない」「政治的少数派への差別は多数決で正当化できないので別途人権主義、立憲主義違憲立法審査権)で制約(ただ最高裁自民党にへいこらしてる日本ではそれが機能しない問題はあるが)」という話ではありますが。

*3:山田朗、纐纈厚『遅すぎた聖断:昭和天皇の戦争指導と戦争責任』(1991年、昭和出版)や沖縄映像祭 » 遅すぎた聖断 〜検証・沖縄戦への道〜参照

*4:纐纈厚『『聖断』虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社)参照

*5:第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣など歴任。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*6:226事件当時、陸軍省軍事調査部長。青年将校と同じ皇道派だったため、東条英機武藤章ら統制派が陸軍の実権を握った事件後は、歩兵第40旅団長に左遷される。その後、支那駐屯混成旅団長、北支那方面軍参謀長、第4師団長(満州)、第25軍司令官(マレーシア)、第1方面軍司令官(満州)、第14方面軍司令官(フィリピン)など歴任。戦後、死刑判決

*7:第三次桂、第二次大隈内閣蔵相、加藤高明内閣内務相を経て首相

*8:田中、斎藤内閣海軍大臣を経て首相

*9:斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*10:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自殺

*11:検事総長大審院長、第二次山本内閣司法相、枢密院議長、首相を歴任。戦後、終身刑判決で服役中に病死。後に靖国に合祀

*12:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*13:第一次西園寺内閣文相、第二次西園寺内閣農商務相、第一次山本内閣外相、宮内大臣内大臣などを歴任

*14:台湾軍司令官、首相、朝鮮総督などを歴任

*15:戦前、林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相を歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣海軍大臣(最後の海軍大臣

*16:まあこれで俺が連想したのは救う会ですね。「救う会北朝鮮打倒を狙う右翼団体だ。だから日朝交渉に反対するのだ。奴らは拉致被害者家族のことなど何一つ同情してない」といっていいでしょう。

*17:犬養内閣陸軍大臣、第一次近衛、平沼内閣文相など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*18:台湾軍司令官、参謀次長、陸軍教育総監など歴任

*19:ただし近衛はさすがに「昭和天皇が受け入れるとは思えない無条件降伏」は主張していません。「向こうはブラフとして無条件と言ってるだけではないか。交渉すれば条件付き降伏も可能ではないか」「とにかく交渉しないと真意がわからないから交渉すべきだ」「もはや早期降伏以外に道がないから交渉するしかない」というのが近衛の立場です。

*20:実際「東条英機ら陸軍統制派は隠れ共産党」なんて近衛上奏文の主張を「本当に東条や武藤章など陸軍統制派は隠れ共産党なのか」と真面目に検討する必要はどこにもありません。そんなことはありえないからです。ただし、1)近衛は本気でそう言ったのか、デマをあえて天皇相手に述べたのか、2)本気ならば「東条を第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣にし、東条の首相任命にも同意した近衛」はいつ、何故そのように認識したのか、3)デマならば何故そんなデマを述べたのかという分析にはそれなりの意味はあるでしょう。まあ正直、今となっては分析自体が困難ですが。

*21:相手がデマ屋の産経では本当にそんな電報があるのか怪しい(デマの疑い)ですが、仮にあったとしてもその中国陸軍武官の認識が「異常な陰謀論でおかしい」だけです。

*22:実際、スパイになる前から朝日新聞記者だった彼の本業は「ジャーナリスト」でありジャーナリストとして有能だったからスパイにスカウトされたわけですが

*23:ソ連と手を組む理由はあくまでも「無条件降伏要求への対抗」でしかありません。「条件降伏でもOK(米国)」ならこんな話はそもそも出てきません。

*24:ここで種村が言ってることは「拉致被害者を救出するためには、国交正常化での北朝鮮への経済支援もやむを得ない(小泉訪朝での日朝平壌宣言)」程度の話に過ぎません。それが「政府、軍の中枢に親ソ連派が入り込んでいたことの証明」ならば「日朝平壌宣言は政府中枢に親北朝鮮派が入り込んでいたことの証明」「小泉首相らは北朝鮮の手先」になるでしょう。というか、「それに限りなく近いこと」を主張し、小泉首相福田官房長官田中均・外務省アジア大洋州局長(役職は当時)を誹謗し、日朝交渉を妨害してきたのが産経、救う会拉致被害者家族会らウヨですが。

*25:「考え方の細かい違い」こそあれ「ソ連を使った和平工作」という考え自体は種村一人の考えではなく昭和天皇保有していた考えです。だからこそソ連対日参戦で日本は無条件降伏に追い込まれたわけです。

*26:まあ確かに裏で隠れて手を結んでいたのではありますが。

*27:種村はまるで『トランプや安倍晋三に対し「彼らは反中国だ、そして台湾の味方だ」と過大な期待をして習近平政権との対立をいたずらに深める蔡英文』のようです。蔡英文は支持者共々、いずれ「トランプと安倍に裏切られ&習主席の厳しい締め付けを食らって」『こんなはずじゃなかった』と泣きを見るだろうと俺は今から予想しています。もちろん俺は『反中国ポピュリズム政治家蔡』と支持者の馬鹿さには何一つ同情しません。自業自得です。

*28:運輸次官から政界入り。自由党幹事長(吉田総裁時代)、吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官を経て首相

*29:普通、共産主義のことを国家社会主義とは言いません。

*30:産経の言う革新派(例:東条英機武藤章ら陸軍統制派や白鳥敏夫ら外務省革新派)と保守派(元老・西園寺公望内大臣牧野伸顕など)の対立は「ファシズムに賛成か反対か」ではなく、「英米と対立するか、しないか」です。そもそも「天皇制を否定しないファシズム」であるなら「産経の言う保守派」にしても反対する理由はないし、実際「国家総動員法」については反対してないわけです。

*31:いわゆる元老(西園寺公望)や重臣内大臣牧野伸顕など)のことでしょう。

*32:満鉄総裁、第二次近衛内閣外相など歴任。戦後、戦犯裁判中に病死。後に靖国に合祀

*33:戦前、駐イタリア大使。戦後、戦犯裁判中に病死。後に靖国に合祀

*34:参謀本部作戦課長、中支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*35:一方で226事件青年将校ら、「東條ら統制派と対立する皇道派」の方も自らの政治目的を「国家革新(「昭和維新」や「国家改造」と同義語)」と主張しました。もちろん青年将校の主張した「革新(維新や改造と同義語)」も左翼的意味ではあり得ません。

*36:後に大隈重信を党首とする進歩党に合流し解散した。

*37:後に大隈重信を党首とする進歩党に合流し解散した。

*38:第二次護憲運動では、立憲政友会、憲政会と護憲三派を組んで、清浦奎吾内閣を打倒。その後、成立した加藤高明護憲三派内閣では与党の一角となり、党代表・犬養毅逓信大臣として入閣した。その後、党を解散し、犬養ら議員の大部分が立憲政友会に入党。

*39:中国進歩党代表、立憲国民党総理、革新倶楽部代表、立憲政友会総裁、第一次大隈内閣文相、第二次山本、加藤高明内閣逓信相、首相など歴任

*40:革新倶楽部の解散と、立憲政友会への加入に反対した「革新倶楽部反主流派(反犬養派)」が結党。後に国民同盟に発展的解消

*41:社会党の平野力三(片山内閣で農林相)が離党して結党した政党。最終的にはその大部分が社会党に復党した(ただし首相になった鈴木善幸のように、自民党に移籍した者もいた)(ウィキペディア社会革新党」参照)。

*42:1977年の参院選を前に、永六輔中山千夏など、非自民・護憲の「革新」的な知識人、文化人、タレントが結成した政党。代表は中山千夏。1977年の参院選横山ノック(ただし後に革自連を離脱)を、1980年の参院選で中山を当選させたが、それ以上は党勢がのびず、1986年参院選の中山落選後は事実上解散状態となった(ウィキペディア革新自由連合」参照)

*43:まともな歴史学者について言えば「昭和天皇の戦争責任」を主張してるのは一部ではなく「全部」です。

*44:そんなことはありませんね。この場合の「なかなか難しい」とは「戦果を上げないと(日本は弱いと米国になめられて)国体護持という条件での講和は難しい」と言う意味であり、昭和天皇の保身を示す言葉でしかありません。どっちにしろこの昭和天皇の発言には「そんな戦果が果たして今後上げられるでしょうか?(勿論近衛の危惧したように上げられませんでした)」という近衛の当然すぎるほど当然の突っ込みが入っています。

*45:社民を「など」扱いとは随分失礼な話です。

*46:まあ「なんちゃって野党=維新」は反対してないので「主要野党」と産経は書くわけです。

*47:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表