今日の産経ニュース(2019年8月3日分)

【昭和天皇の87年】日中戦争を扇動 ソ連のスパイとなった朝日新聞記者 - 産経ニュース
 今回の記事はインチキ引用などにより尾崎秀実を「戦争を扇動した」とデマ中傷し、「戦争継続の責任」を尾崎に転嫁する産経らしいデマ記事です。

 新聞記者の肩書を生かし、中国問題の専門家として政界有力者に接近した尾崎は、西園寺家嫡男の公一*1や朝日出身*2の風見章*3、そして近衛文麿の懐に潜り込んだ。

 尾崎は「近衛のブレーン集団」昭和研究会メンバーとは言え、研究会の中心人物とは言えず、また近衛の側近とも言えません。
 友人だった西園寺公一はともかく、風見や近衛とは特に親しい関係にあったわけでは全くなく、「懐に潜り込んだ」というほどの関係にはありません。
 そして昭和研究会メンバーになる前から、尾崎は「新進気鋭の政治評論家」として活動しており、政財官界に「近衛とは関係ない」パイプもいろいろあったし、そうしたパイプでスパイ活動していたわけです。近衛ブレーンということを強調することは明らかに適切ではないでしょう。
 なぜなら「近衛ブレーンというパイプ以外ではスパイ活動してなかった」「近衛ブレーンになる前はスパイ活動してなかった」という不適切な認識を生みかねないからです。
 なお、西園寺公一は元老・西園寺公望*4の孫とは言え、政治的役職には特についておらず、正直、重要情報を尾崎が西園寺公一から得たなどと言うことはないでしょう。

 日本の内部機密は、ソ連に筒抜けになったといえるだろう。

 繰り返しますが尾崎は昭和研究会の中心人物ではありません。「近衛ブレーンのワンオブゼム」に過ぎず近衛の側近というわけではない。
 そして昭和研究会も「法律に根拠を持つ公的機関」ではなく、「近衛の私的諮問機関」に過ぎず絶大な権力があったわけでもない。
 昭和研究会については「近衛が私的に勝手にやってること」として役所の対応は冷淡だったなんて説もあります。
 「ソ連に筒抜け」というほど尾崎が何でもかんでも情報入手できたわけではないでしょう。このように「尾崎」を「何でも出来る」怪物化することは事実認識を明らかにゆがめますが、産経の場合「日中戦争も対米開戦もすべて尾崎のせい」と強弁したいだけで尾崎やゾルゲ事件について真実を知りたいわけでも何でもないのでこうなるわけです。

 尾崎は、中国共産党の秘密政治顧問でもあった。

 「???」ですね。そのように産経が判断する理由は何なのか?。尾崎の取り調べ調書に「尾崎がそう自白した」と書いてあるのか?。あるいは中国共産党の公文書にそう書いてあるのか?。なぜ産経はそう判断した根拠を何一つ明示しないのか?。
 そして「秘密政治顧問」とは一体何をやるのか?。
 この「秘密政治顧問」とは正式な役職なのか、それとも単に「中国共産党と秘密の関係があり、時に政治アドバイス中国共産党が受ける顧問の扱いをされてた」程度の話(つまり正式の役職ではない)か。

盧溝橋事件後、尾崎は次々と雑誌論文を寄稿した。
 「今はたゞ当面の敵を完全に打倒することにのみ死力が尽されてゐるのである。『局地的解決』も『不拡大方針』も全く意味をなさないことになつてしまつた。(中略)日支戦争が起り、かつ大規模に発展して行くべき素地は充分存在してゐたのである」(雑誌「改造」昭和12年10月号「時局と対支認識」*5
 「戦に感傷は禁物である。目前日本国民が与へられてゐる唯一の道は戦に勝つといふことだけである。その他に絶対に行く道はないといふことは間違ひの無いことである。『前進! 前進!。』その声は絶えず叫び続けられねばなるまい」(同13年5月号「長期抗戦の行方」)

 早速デマが出てきました。
 まるで尾崎が「中国国民党の攻撃から中国共産党を守るため」に蒋介石と日本との戦争をあおったかのように描く産経ですが、雑誌「改造」昭和13年5月号の尾崎論文「長期抗戦の行方」はともかく、少なくとも雑誌「改造」昭和12年10月号の尾崎論文「時局と対支認識」についていえば産経の主張が全くのデマであることは中川八洋『近衛文麿の戦争責任』(2)を読めば分かります。詳しくは中川八洋『近衛文麿の戦争責任』(2)を読んで下さい(ただし中川八洋『近衛文麿の戦争責任』(2)で批判されてるのは中川八洋ですが。おそらく今回の産経のデマ記事の元ネタの一つは中川でしょう)。簡単に説明するとこの尾崎論文は

(ボーガス注:現地日本軍にとっては)今はたゞ当面の敵を完全に打倒することにのみ死力が尽されてゐるのである。(ボーガス注:現地日本軍のそうした戦争を拡大しようとする態度を近衛政権がきちんと規制せずに口先だけで『局地的解決』『不拡大方針』を口にしても中国側の『日本は嘘つきだ』と言う反発を生むだけで)『局地的解決』も『不拡大方針』も全く意味をなさないことになつてしまつた。(中略)日支戦争が起り、かつ大規模に発展して行くべき素地は充分存在してゐたのである

とでも読むべき文章です。
 つまり尾崎は「現地日本軍の戦争拡大路線を、近衛政権が明確な形で制限しようとせず、口先だけ『局地的解決』『不拡大方針』といっても、『日本は嘘つきだ』という中国側の反発が高まるだけで戦争は止まらない(本気で近衛政権が戦争を止めたいなら、現地日本軍に対してもっと政治力を発揮する必要がある)」という情勢認識を述べているに過ぎません。尾崎が『拡大路線でいい』と主張してるわけではない。
 こうした尾崎の情勢認識はむしろ「現地日本軍をまともにコントロールできない近衛政権の無気力、無責任」への批判と読むことすら可能でしょう。
 なお、産経が(中略)とした部分は中川八洋『近衛文麿の戦争責任』(2)によれば

・国民の大多数は(ボーガス注:政府に言われるがままに)ただ敵に向つて突進する、そして少数の気弱な者が事態の成行に対して見透しを持たないまま呆然として眺めてゐるといつた状態である。

と言う文です。産経がこの文を省略したのはこれを省略することで「この文が『日本が戦争拡大に突き進んでる』という尾崎の現状認識に過ぎない(『戦争拡大に突き進むべき』という尾崎の意見ではない)」ということを気づきにくくするためでしょう。それ以外に省略する理由があるとは思えません。全く詐欺的な引用です。
 そしてこの(中略)というインチキ引用によって、産経が本気で尾崎が戦争扇動していたと誤解してるのではなく「故意にデマを飛ばして尾崎を誹謗し、彼に責任転嫁してること」がモロバレになるわけです。
・ 尾崎秀実論文集でその一部(残念ながら全部ではない)が紹介されている尾崎論文「長期抗戦の行方」には産経が言う

「戦に感傷は禁物である。目前日本国民が与へられてゐる唯一の道は戦に勝つといふことだけである。その他に絶対に行く道はないといふことは間違ひの無いことである。『前進! 前進!。』その声は絶えず叫び続けられねばなるまい」

と言う文章は確かに出てきます。
 しかし

尾崎秀実論文集
 日支事変が始つて以来既に八ヶ月の月日が流れてしまつた。
 戦争はなほ引つづいて居るし今のところいつになつたら終るかといふことは誰にも見当がついてはゐない。戦の今日までの跡を振りかへつて見て深い感慨を覚えるのである。
 自分等の村には新らしい幾本かの墓標が立ち、幾人かの若き友人たちは大陸から永久に帰つては来ない。ふりかえつて見ればいつの間にか自分の日常生活の様式にもはつきりと目に見える変化が生じてゐる。
 だが戦に感傷は禁物である。目前日本国民が与へられてゐる唯一の道は戦に勝つといふことだけである。その他に絶対に行く道はないといふことは間違ひの無いことである。
 「前進! 前進!。」その声は絶えず呼び続けられねばなるまい。
 それにしてもいろいろな感慨や反省が生れてくることはどうしてもやむを得ない。
 日本は元来支那民族を粉砕して支那揚子江黄河との流れてゐるだけの自然に帰してしまふ気でこの戦を始めたのでは無かつた筈である。日本に対して都合の悪い政策を信奉、遂行しつつある国民政府に一撃を与へてこれに反省させる気でかかつたことであつた。
 しかしながら事件の自然生長的な発展はこのことが容易に実現し難いことを明らかにしたのである。
(中略)
 日本人は支那といふ得体の知れない怪物に、正体を見極めずして取組んでゐるといふ事情にあるのである。元来この正体をはつきりさせる努力といふものは従来少くなかつたと思ふのである。我々はこの正体を正確に認識する努力をあくまで続けなくてはならないと思ふがそれと同時に或る程度まで、この怪物と取組んでゐることの困難を明らかにした方がいいと思ふのである。
(中略)
 確かに国民にいらぬ心配事をきかせて士気を沮喪させたりしてはならないのであるが、我々の考へでは支那との戦争の場合の如きにあつてはさうした心配は少ないと思ふのである。だから或る程度まで困難の正体を明らかにして国民に真剣な心構へをさせることが正しいと考へられるのである。

という文章は産経が言うほど戦争扇動ではないでしょう。
 「戦争が長期化してむなしい思いを感じる→しかしそんな感傷は捨てて戦争に勝たねばならない、前進あるのみだ→しかし我々は戦争が予想以上にここまで長期化したことについてその原因をつかみ反省する必要があるのではないか。反省しなければ前進できない」というのが尾崎論文の流れです(尾崎の「反省内容が客観的に見て正しいかどうか」「そもそも反省内容が彼の本心かどうか」は論じるだけの能力が俺にないので特に論じません)。
 この流れにおいて「前進あるのみだ」というのは「しかし前進するには、反省する必要がある」と言う形で「反省の必要がある」という主張を読者に受け入れさせるための「前振り」にすぎず産経の言うような「戦争扇動ではない」と見るべきでしょう。
 自分の主張(尾崎の場合「過去の反省が必要」)を受け入れてもらうために「相手の主張(尾崎の場合「とにかく戦争に勝たないといけない」)への理解をまず示す」というのは人間社会で普通に使われるテクニックです。
 つまりはこういう「私も戦争には勝たないといけないともちろん思ってる」という「前振りがなければ」『反省とは何だ!』『蒋介石を支持するのか!』『戦争長期化で弱気になってるのか!。そんなことで戦争に勝てるのか!。それでもお前は日本人か!』などと言う反発がでかねないほど、当時の日本が右傾化していたという話でしょう。
 また尾崎秀実論文集でその一部(残念ながら全部ではない)が紹介されている尾崎論文「長期抗戦の行方」は別の意味でも好戦論を扇動しているようには見えません。

尾崎秀実論文集
■「長期抗戦の行方」(一部引用)
 南京陥落当時、筆者は一夜上海で支那の事情に極めて通暁する一先輩と日支抗戦の前途について語つた。
 この憂国の老先輩は、結局に於て日本が支那と始めたこの民族戦の結末を附けるためには、軍事的能力をあく迄発揮して敵の指導部の中枢を殲滅する以外にはない。
 この先輩の指示するところに従つて支那を征服した二つの民族戦の場合、元、清の場合について調べて見ると、元が南宋と敵対関係に入つたのは一二三四年であつて、広東の新会県崖山に追ひつめられた陸秀夫等が元将張仏範等に攻められて帝を奉じて海に投じ、南宋が亡んだのが一二七九年でその間四五年かかつてゐる。
 また清の場合を見るに、努兒哈赤がホトアラに即位し国号を金としたのが一六一六年で、清将呉三桂が桂王を雲南に殺し明の全く滅んだのは一六六二年である。その間やはり四六年かかつてゐる。
 もとより今日に於ては、蒋介石を以て王朝の主に比較することも出来ないし、種々の事情が変つてゐるからこの例は必ずしも妥当ではないが民族抗争が長期にわたる性質のものとして全然意味のない示唆ではないのである。

という尾崎の文章はどう見ても好戦的ではありません。
 何せ「中国が簡単に降伏すると考えない方がいい」「時代背景が違うので単純な比較は出来ないが、元が南宋を滅ぼすには45年かかり、清が明を滅ぼすのには46年かかった。民族の抵抗とはそれほど強固なものだ」という尾崎の文章を読んで「よし40年かかっても蒋介石を叩き潰そう」と考える人はまずいないでしょう。
 ここでの尾崎の文章は明らかに「中国を軍事的に完全に屈服させるには最悪の場合、これから10年以上かかることを覚悟する必要がある、すぐに降伏すると楽観的に考えない方がいい」といっていますが、こんな気が重くなる文章はどう見ても戦争扇動にはなりません。むしろ尾崎は暗に「中国と長期戦争をする覚悟がないなら和平すべきだ」と言ってるとも理解できるでしょう(たとえそう思ったとしても当時において公然と和平論を唱えることは難しいでしょうが)。もし好戦論者が読んだら、ほとんどの好戦論者はほぼ確実に「尾崎は心配性だ、蒋介石中国を相手に勝利するのにそんなに時間がかかるわけがない」と鼻で笑ったでしょう。
 ただし正直、仮に尾崎が戦争扇動文章を産経の言うような思惑(蒋介石と日本軍の和平を妨害し中国共産党を利する)から書いたとしてもある意味「それがどうかしたのか?」ですね。
 なぜなら「中国など簡単に打倒できる」と言う認識から中国打倒を叫ぶ右翼的(?)論文は当時の日本には当然ながら大量に流通していたからです(むしろ10年以上の長期戦を覚悟せよという尾崎論文はずっとまともです)。尾崎が戦争を扇動しようが逆に和平を唱えようがそんなことは大勢には全く関係なかったでしょう。そもそも尾崎が論文を発表した「改造」はいわゆるオピニオン誌です。
 今で言えば「岩波世界」「月刊文春」「月刊中央公論」に当たるような代物で新聞や週刊誌に比べれば読む人間も当然限られています。好戦論の扇動という意味ではオピニオン誌などより新聞や週刊誌の影響の方が大きかったでしょう。
 まあ産経が「日中戦争ソ連スパイ尾崎の戦争扇動のせいで起こった。悪いのはソ連と尾崎だ」と居直りたいのはよく分かります。ただし、そんな事実は勿論ない。かつそれが事実だとしても「当時の日本はソ連に踊らされたバカだった」と言う話にしかなりません。
 しかも「だまされた」というのは「尾崎は中国に簡単に勝てると言うから、信じてだまされた」というのだから「それ勝てれば侵略していいって事かよ?」「つうか勝ち目があるか、ないかぐらい政府で判断すべきことだろ。産経は当時の日本が在野の評論家・尾崎にだまされたとか公言して恥ずかしくないの?」て話です。
 まあ産経が「日本は悪くない!」と居直りたいがために無茶苦茶な方向に行ってることはよく分かります。
 どうも産経的には「自分から中国と戦争を始めた*6」というより「ソ連スパイの尾崎にだまされた。ソ連が悪い」と言う方が精神的ダメージが小さいようです。とはいえ「だまされた」と言ってもそれは「中国に対して日本は勝ち目があるとだまされた*7」という「何だかなあ」な話ですが。

 この間、尾崎が警戒したのは和平の動きだ。

 そんなことを尾崎は何ら警戒しなかったでしょうね。なぜなら表に出てる情報を見る限り和平など到底ありそうにないからです(勿論警戒したところで一評論家に過ぎない彼に出来ることは特にないでしょうが。彼は近衛の側近と言える立場ではないし、一評論家が雑誌に仮に戦争扇動文章を書いたところでたいした影響力はないでしょう)。
 トラウトマン和平工作とはあくまでも「秘密外交」にすぎません。いかに有能なスパイでも尾崎に知るすべはなかったでしょう。こんな重要情報が外部に漏れるとはとても思えません。
 しかもそのトラウトマン和平工作は「参謀本部の多田*8参謀次長」は乗り気なのに「南京陥落で気が大きくなった」がために「こんな程度の条件なら無理して講和しなくていい」と近衛首相、広田*9外相、米内*10海軍大臣、杉山*11陸軍大臣といった政府首脳が軒並み消極的で、その影響で昭和天皇も講和に否定的になったと言う代物です。尾崎が工作するまでもない。まさか産経も「近衛だけでなく、広田や杉山、米内も尾崎の工作を受けていた」とは言わないでしょう。まあ仮に産経がそう言っても説得力皆無ですが。

 このため尾崎は、蒋介石政権を数ある軍閥の一つと見下し、いくら蒋政権が「国民政府」を名乗ろうとも、孫文が創設した国民政府とは「本質的に異なるものを多く持つてゐる」と酷評*12する(雑誌「中央公論」昭和12年9月号『南京政府論』)。

 産経が要約で片付け、引用すらしない点があまりにも怪しいですね。中川八洋『近衛文麿の戦争責任』(2)で暴露された産経デマを考えれば、この産経要約が信用できるかどうかには疑問符がつくと思います。
 尾崎秀実論文集によれば、尾崎は論文『南京政府論』において

 南京政府の統一と強化を促進したものもまた日本であったといい得るであろう。その意味は一部にいわれる如くに、日本の急激なる進出*13の結果、支那中央政府たる南京政府に対する全民族的支持となって南京政府の統一を促進したという事実を指すのである。

と述べているとのことです。これは明らかに蒋介石に対する高評価であり、産経の要約が正しいかどうかには疑問を感じざるを得ません。
 まあ一方で尾崎秀実論文集によれば、

・党は全然個人主義的基礎に置かれて居り、かつ一方自己の力でない、軍閥的武力の上に依存していた
・国民党は党を以て国を治めるの建前をとっている。しかしながら国民党は事実かくの如き寡頭的、血縁的・地縁的・ギルド的な支配の性質を呈しているのである。而してこの支配を維持強化するためには、青幇を始め、陳立夫陳果夫兄弟の指揮するC・C団或いは監衣社の如き秘密結社が重要なる役割をつとめることとなるのである。

という国民党への否定的記述もありますが、少なくともそれは「だから蒋介石と和平しなくていい」という話ではなさそうです。
 つうか蒋介石を「たかが軍閥」と見下してたのは尾崎と言うより当時の日本政府でしょう。尾崎の主張に関係なく、当時の日本政府はそのように蒋介石を見下し戦争を継続したわけです。

 近衛側近の政策研究団体「昭和研究会」にも中心メンバーとして参画。同会には共産主義志向の知識層が多数集まり、戦時色の強い政策を生み出していく(※2)。

 昭和研究会に「共産主義志向の知識層が多数集まり」というのがデマであることはウィキペディア「昭和研究会」を見るだけでも分かります(なおしつこく繰り返しますが、尾崎は昭和研究会メンバーであっても中心人物ではありません。中心人物という産経記述は明らかにデマです)。
 「青木一男*14」「有田八郎*15」「石黒忠篤*16」「賀屋興宣*17」「後藤文夫*18」「津島壽一*19」「前田多門*20」「湯沢三千男*21」「吉田茂*22」「吉野信次*23」と言った保守派が集う昭和研究会を産経のように「左派的組織」と描き出すことは明らかにデマでしょう。
 いわゆる転向左翼も昭和研究会メンバーの一部にいますが、あくまでも一部だし、ましてや「尾崎のようながちの共産主義者」など彼しかいません。

 日中戦争の初期、ドイツ外務省はモスクワ発の情報から、ソ連が日本の軍事的圧力を弱めるため「あらゆる方法で紛争をかきたてている」と綿密に分析し、日中戦争ソ連を利するだけだと日本に警告していた。

 「ソ連の謀略ガー」に何か根拠があれば日本もさすがに従ったでしょうから何の根拠もなかったんでしょう。おそらく「日中戦争ソ連を利する(これはソ連の謀略の有無に関係なく客観的に見てその通りでしょう)&日独同盟を結ぶドイツが中国ビジネスしづらくなるじゃん!」と言う考えからドイツ外務省は日中戦争をやめさせたかった*24ので、その手っ取り早い作戦として「ソ連の謀略ガー」といったんでしょうが、多分何の根拠もない放言だったので根拠が出せず日本から「いくら日中戦争をやめてほしいからってデタラメ言うなよ」と相手にされなかったと言うことでしょう。
 大体オットー駐日ドイツ大使に接近してるゾルゲがソ連スパイだと見抜けなかったのがドイツですしねえ。
 なおゾルゲ事件について言えば「情報スパイはあったがそれ以上の行為(政策誘導など)はなかった」とするのが通説です。根拠もないのに政策誘導があったかのようにいう産経はただのデマ屋です。つうか過去のスパイ事件で「政策誘導」なんてもんが認定された事件はほとんどないでしょうよ。そんなもん簡単にできる話じゃない。情報収集はジャーナリストや学者もやる行為で「ジャーナリストの尾崎」にとって偽装は容易です。
 官僚や政治家ならまだしも、近衛ブレーンとは言え、一ジャーナリストに過ぎない尾崎が政策誘導なんぞに下手に力を入れたらスパイという正体がばれかねません。

 余談だが、いつの時代も国を滅ぼすのは、自分だけが正しいと思い込んでいる革新主義者たちだ。伝統や慣習を軽んじ、先人たちの歩みをいとも簡単に否定*25する彼ら革新主義者が政治を牛耳れば、国は破滅の道へと突き進む。

 「革新主義」とか付ける必要どこにもないんですけどねえ。「いつの時代も国を滅ぼすのは、自分だけが正しいと思い込んでいる者たちだ」で何か問題があるのか。
 大体事情はともかく戦争を最終決定したのは国家元首昭和天皇ですし。産経が「自分だけが正しいと思い込んでいる革新主義者=昭和天皇」と言うなら話は別ですけど多分そうじゃないし。
 なお、この場合の「革新」とは「左翼」と言う意味ではありません。
 「岸信介*26(商工省)」「白鳥敏夫*27(外務省)」「東条英機陸軍省)」などのいわゆる革新官僚です。
 つうかそこまでいわゆる革新官僚を悪口しながら「革新官僚である白鳥(裁判中病死)や東条(死刑)が靖国に合祀されてること」を容認してるのは何の冗談でしょうか?
 それとも産経にとっての革新主義者とは「尾崎」または「昭和研究会」とイコールなのか。まあ、「昭和研究会」が誕生する以前に既に日本は日中戦争に深く入り込んでるので尾崎と昭和研究会だけに戦争の責任があるなんて言えません*28し、一般的に言って「戦前昭和における革新主義者=革新官僚」のわけですが。

 尾崎が治安維持法違反容疑で特別高等警察に逮捕され、ゾルゲ諜報団の暗躍が明らかになるのは16年10月以降である(※4)。
 それまでに日本は、日中戦争から足を抜け出せないばかりか、破滅の日米開戦へと導かれていくのだ。

 やれやれですね。対米開戦まで「尾崎の謀略」と言い出す気でしょうか。
 どうも産経的には「自分から米国と戦争を始めた」というより「ソ連スパイの尾崎にだまされた。ソ連が悪い」と言う方が精神的ダメージが小さいようです。とはいえ「だまされた」と言ってもそれは「米国に対して日本は勝ち目があるとだまされた」という「何だかなあ」な話ですが。
 なお、尾崎が死刑になった判決も「情報スパイ活動」は認めていますが産経の言うような謀略の事実など認めていません。
 まあ、産経がこういうことを言い始めたのは「敗戦のショックを和らげるため」で、一方尾崎の判決は敗戦前に出たわけです。

(※1) 中国で蒋介石政権(国民政府)にかわる新政権*29の樹立を助長し、それと交渉して和平を実現すると表明した近衛声明(第1次)は、尾崎秀実の影響を受けたとされる

 「とされる」て「誰が何を根拠にそう主張してるんだ、名前出せよ」て話です。まあはっきり言って、尾崎の影響なんかないでしょう。尾崎がソ連スパイであるがために「ソ連スパイ尾崎の謀略で日中戦争が続行された」と、尾崎に事実無根の言いがかりをし、汚い言い逃れをしているだけです。勿論そんな事実はないし、それが事実だとしても「当時の日本政府がバカだった」という恥ずかしい話にしかならないのですが。
 そしてまさかとは思いますが、産経は汪兆銘工作まで「蒋介石政権を弱体化し、毛沢東をアシストするために尾崎が画策した謀略」とか言い出す気なのか。

 近衛は昭和天皇に、満州事変以降の戦争はすべて共産分子が仕組んだものとする意見書(近衛上奏文)を提出し、こう謝罪した(※3)。
(※3) 近衛上奏文は昭和20年2月、終戦を模索する昭和天皇が歴代首相ら重臣7人*30を呼んで意見を聴いた際、ただ一人、即時終戦を唱えた近衛が奉呈したもので、軍部も共産分子が動かしていると指摘し、共産革命の危険性を訴えた

 まあ近衛上奏文は完全な与太ですね。何せ統制経済共産主義が同類扱いされ「陸軍統制派」、つまり東条英機*31武藤章*32が隠れ共産党扱いされています。さすがに昭和天皇も「東条が共産党などと言うことはあるわけがない」と簡単に片付けた代物です。
 しかも「ならば陸軍の幹部を誰にすればいいと思ってるのか」と天皇に聞かれた近衛が「荒木*33、真崎*34といった皇道派幹部」の名前をあげたため、皇道派嫌いの天皇に呆れられたという代物です。
 まあ近衛が敗戦が確実視される状況になって「戦後共産革命の可能性」におびえていたことは事実なのでしょう。その結果、彼としては「対米戦争を助長した東条(近衛内閣陸軍大臣、首相など歴任)や武藤(陸軍省軍務局長)」へ「あいつらのせいでこうなったんだ!。米国相手に戦争なんかするからこうなった!」と恨み辛みが爆発し、あげく「あいつらは統制経済支持だし共産党かもしれない。戦後共産革命を予想して戦争を発動したのかもしれない」と妄想が爆発したのでしょう。そしてその反動で「統制派のライバル・皇道派」が高評価*35されると。
 少なくとも対米戦争開戦当時は近衛も別に戦争に反対しなかったことを考えれば随分と自分勝手な話です。東条や武藤がこの話を聞いたらあきれ顔になるか、笑い出すか、はたまた「近衛だって俺たちに賛成しただろうが!」と怒り出すかはともかく唖然としたでしょう。
 本気で言ってるにせよ、故意のデマ中傷にせよ近衛上奏文はおよそ正気ではない。
 今安倍がやってる「韓国への無法な行為」について「都合が悪くなってから*36」後になって「あんなことしたのは北朝鮮を利する行為だった。産経など賛成した奴らは北朝鮮の手先に違いない。いや安倍首相自身が北朝鮮の手先なのかもしれない」と言うくらい近衛の行為は無茶苦茶です。
 つうかその理屈なら近衛自身も「戦後共産革命を企んだ隠れ共産党」と見なされても文句言えませんし、実際、大森勝久氏など「近衛はスターリンの手先だった」と言い出す輩もいるわけです。


【昭和天皇の87年】動き出したソ連軍 天皇は陸相の“ペテン”に激怒した - 産経ニュース

 日中戦争の泥沼にはまりながら、対ソ戦をはじめる余裕はない*37。7月20日に関係閣僚が協議し、新陸相板垣征四郎*38は現地軍の増強を主張したが、新外相の宇垣一成*39が首を横にふった。
 「防備の強化は必要だろうが、現地に集結した部隊が越境して攻勢に出る場合は、事前に閣議の承認を得てもらわねば困る。今は支那事変の最中だ。張鼓峰は外交的に片付けた方がよくはないか」
 陸士(陸軍士官学校)1期の宇垣と16期の板垣とでは、貫禄が山ほども違う。板垣は渋々うなずいた。
 「そういうことにしましょう」
 事前承認の同意を得た宇垣は参内し、事態を憂慮する昭和天皇に協議内容を奏上した。昭和天皇は、「外交交渉に努力するように」と述べたという。
 ところが、その後に参謀総長*40が参内して提出した書類には、「備考」として、現地軍の運用は「参謀総長に御委任相成度(あいなりたく)…」などと書かれていた。陸軍は、閣僚協議と異なる内容を、そっと書類の片隅に付け足していたのだ。
 昭和天皇は見逃さなかった。昭和天皇実録によると、書類を手元にとどめて裁可せず、侍従武官長*41を通じて陸相の板垣に、「この件に関する拝謁は無益である」と伝えた(※1)。
 《しかるに、陸軍大臣板垣征四郎より強いての拝謁願い*42により、(中略)御学問所において陸軍大臣に謁を賜う。関係閣僚との相談につき御下問になり、委細協議した旨の奉答、及び速やかなる実力行使の必要な所以(ゆえん)につき奏上を受けられる。これに対し、語気を強められ、満州事変・支那事変勃発時の陸軍の態度につき御言及の上、命令に依らずして一兵たりとも動かさないよう訓諭される》(昭和天皇実録25巻97頁)
昭和天皇がこれほど激怒したのは、武力行使について板垣が「外相も海相も賛成いたしました」と、事実と異なることを言ったからだ。外相の宇垣は日記に「見様によりては一種のペテン」と書いている。その“ペテン”を昭和天皇に見破られ、板垣は真っ青になった。

 既に板垣のウソについてウィキペディア板垣征四郎」を元に今日の産経ニュース(2019年7月28日分) - bogus-simotukareのブログで簡単に説明しました。

 ほうほうの体で退出した板垣が、うなだれて言う。
 「とても再び陛下のお顔を見上げることはできない。ぜひ辞めたい」
 板垣の失態に、仰天したのは首相の近衛文麿*43だ。(中略)ここで辞められたら内閣が瓦解(がかい)する(※2)。近衛は7月21日に参内し、板垣の続投を求めて昭和天皇にすがった。昭和天皇も、強く言い過ぎたと思ったのだろう。かつて田中義一内閣を問責して総辞職につながった、苦い経験もある。
 昭和天皇は翌22日、《侍従長百武三郎*44に対し、陸軍大臣への訓諭は陸軍全体あるいは陸軍大臣個人に対する不信任の意図ではなく、信任すればこその訓諭である旨の御言葉を述べられ、その旨を侍従武官長を通じて陸軍大臣に伝達するよう命じられる》(昭和天皇実録25巻97~98頁)
 昭和天皇の意向により、板垣は辞意を撤回した。

 板垣の場合はともかく、田中*45の場合は「昭和天皇は選挙干渉問題による鈴木*46内務大臣の引責辞任、水野*47文相優諚問題(田中との政治的対立から辞意を表明した水野文相に対する天皇の優諚(慰留の発言)が「田中首相による悪しき天皇の政治利用」と野党に非難されたあげく、結局、事態を収めるためにいったんは辞意を撤回した水野が文相を辞任した)や張作霖暗殺事件での食言(当初関東軍を処分すると言ったのに撤回)から、明らかに田中の政治能力に疑念を抱き、評価しておらず、首相をやめてもらいたがっており、やめてもらいたいからこそ叱責した(当然やめたことは歓迎すべき事であった)」「しかしそれでは『天皇には首相を辞めさせる力があった』ということになり、戦後、戦犯追及を受けかねないので『叱責したけどやめてほしいなんて思ってない』と嘘をつくことにした」というのが通説的見解です。
 なお、田中や板垣の辞意でわかるように当然昭和天皇は戦前においては「国家元首」として絶大な権力と権威を保有していたわけで「例の独白録での言い訳」は以前、紹介した山田朗*48昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)なども指摘するように保身のためのデマでしかありません。
 しかしこんな板垣のような人間を留任させて良かったのか。

 ソ連のスパイ網は、すでに近衛政権の中枢にも及んでいた

 ゾルゲ事件の尾崎秀実のことでしょうが、彼は近衛ブレーンの一人ではあっても「政権中枢」というほどの側近ではありません。そもそも彼は近衛ブレーンになる前から「新進気鋭の政治評論家」として活動しており、政財官界に「近衛と関係ない」パイプもいろいろあったし、そうしたパイプでスパイ活動していたわけです。近衛ブレーンということを強調することは明らかに適切ではないでしょう。
 なお、尾崎らのスパイ活動はあくまでも情報収集活動に過ぎず「政策誘導」など確認されてないことを指摘しておきます。
 尾崎の建前が「評論家」であるため、情報収集は「評論家」としての正当な行為と偽装することが容易だが、政策誘導はあまりにリスキーすぎてやらなかったと言う話です。もちろん情報収集限定でも「極秘情報」が入手できればその意義は大きいわけです。


二階幹事長、連続最長1096日 通算在職でも3位 - 産経ニュース
 個人的には二階氏が別に長期でもいいのですが、問題は「非常識極右」「モリカケの腐敗政治家」安倍が長期だって事ですね。最近は日韓関係のぶち壊しをはじめるし、本当に安倍には害悪しかない。
 まあ、二階氏が有能なわけでも何でもないですけどね。通算で最長だという田中角栄*49なんぞとは全然違います。
 総裁候補と見なされていた田中と違って二階氏*50を総裁候補とは誰も見てませんしね。田中には「首相時代の日中国交正常化」と言う業績があるが二階氏には今のところそんなもんないし。


改憲派の離党に危機感 国民・玉木代表 - 産経ニュース
 やれやれですね。そんなことが野党共闘において市民団体とした「安倍政権と改憲論議などしない」という約束を反故にする理由に出来ると本気で思ってるのか。
 かつその理屈なら「護憲派の党内議員」が「こんな党にはいられない」として立民やれいわ(まあ共産や社民の可能性は低いでしょう)に移ろうとする可能性もあるわけですがそれはどうでもいいのか。
 結局、玉木が「本当は改憲右派」だというだけの話でしょう。選挙で議席が増えればいいところ、そうはならず、立民に負けたのでためらいがなくなってきただけの話でしょう。まあ、もはや国民民主に上がり目はないですね。こんなに言うことがデタラメでは。


慰安婦像展示者へ謝罪要求 名古屋市長「やめれば済む問題でない」 - 産経ニュース
 意味がわからないですね。何をわびろというのか。
 もちろん河村の放言する河野談話否定論なんて論外です。
 つうかこんな馬鹿なことをいってるようでは「文化芸術に理解のない首長がいる名古屋市で国際イベントが開催されない」ことになりかねないがそんな理解もないのか。こんなバカが名古屋市長だというのだから絶望的になりますね。


中国人好みの赤を踏襲 「クロスホテル大阪」初の全面改装 - 産経ニュース
 まあ日本だって「紅白まんじゅう」など「赤はおめでたい色」ですが、それはさておき。
 産経がどんなに中国を敵視しても結局こうなるわけです。

*1:無罪判決が出たとは言え、西園寺公一とともに起訴された犬養健犬養毅元首相の息子。戦後、吉田内閣法相)について名前を産経が書かない理由は何でしょうか?

*2:いちいち朝日出身と書く意味が分かりません(朝日への下らぬ嫌がらせでしょうか?)。朝日OBということで風見と尾崎が特別仲が良かったわけでもない。戦前において朝日から政界入りした人間は他にも河野一郎(戦後、鳩山内閣農林相、岸内閣経済企画庁長官、池田内閣建設相など歴任)、中野正剛などがおり珍しいわけでもありません。

*3:戦前、第一次近衛内閣書記官長、第二次近衛内閣司法相など歴任。戦後、社会党衆院議員。

*4:第2次伊藤、第2次松方内閣文相(外相兼務)、第3次伊藤内閣文相、首相など歴任

*5:産経が比較的入手容易な「尾崎秀実著作集」(1977年、勁草書房)のページ数ではなく入手困難な「改造」から引用していることは「読者の確認を困難にすることによって詐欺的な引用をしていることがばれないようにしている疑い」を感じざるを得ません。

*6:とはいえさすがの産経も「尾崎が戦争を扇動した」とはいえても「満州事変や盧溝橋事件は尾崎のせいだ」とはいえないし、そう言えないのなら、尾崎に責任転嫁するなどふざけた話ですが。

*7:ただし尾崎秀実論文集を見る限り尾崎はそのような楽観論を唱えていませんが。

*8:支那駐屯軍司令官、参謀次長、北支那方面軍司令官など歴任

*9:斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*10:戦前、林、第一次近衛、平沼内閣海軍大臣、首相、小磯、鈴木内閣海軍大臣を、戦後、東久邇宮、幣原内閣海軍大臣を歴任

*11:陸軍教育総監参謀総長、林、第一次近衛、小磯内閣陸軍大臣を歴任。戦後、自決

*12:仮に尾崎が産経の言うようにそうした評価を蒋介石に対してしたとしても、産経のように「和平妨害」と理解する必要はないでしょう。単に「共産党員である尾崎」の「中国共産党への好意」と「蒋介石国民党への敵意」が自然に表明されたと見ればいいのではないか。

*13:要するに侵略ですが、当時においてそんなことは書けません。

*14:阿部内閣蔵相、東条内閣大東亜相を歴任

*15:第一次近衛、平沼、米内内閣外相を歴任

*16:第二次近衛内閣農林相、鈴木内閣農商相を歴任

*17:戦前、第1次近衛、東条内閣蔵相。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放。公職追放も解除され政界に復帰。自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣法相など歴任。

*18:斎藤内閣農林相、岡田内閣内務相など歴任

*19:戦前、小磯内閣で蔵相。戦後、東久邇宮内閣蔵相、岸内閣防衛庁長官を歴任

*20:東久邇宮、幣原内閣文相を歴任

*21:東条内閣で内務相

*22:米内内閣厚生相、小磯内閣軍需相を歴任。戦後首相になった人物とは同姓同名の別人。

*23:第一次近衛内閣で商工相

*24:そもそもトラウトマン和平工作をしかけたのがドイツ外務省ですし。

*25:産経の言ってる意味がさっぱり分かりません。日中戦争、日米戦争が無謀だったのは確かですが、それは「伝統や慣習を軽んじ、先人たちの歩みをいとも簡単に否定」と言う話ではないでしょう。「勝ち目のない戦争をすれば負ける」と言うだけの話にすぎません。まあ当時の日本は愚かにも勝ち目があると思ったわけですが。

*26:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相。戦後、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*27:駐イタリア大使

*28:例えば責任者としては満州事変の板垣征四郎石原莞爾とか。

*29:後の汪兆銘政権のこと。

*30:近衛の他は岡田啓介(元首相、元海軍大臣)、東条英機(元首相、元陸軍大臣)、平沼騏一郎(元首相、元大審院長、元検事総長)、広田弘毅(元首相、元外相)、牧野伸顕(元内大臣)、若槻礼次郎(元首相、元蔵相)

*31:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*32:支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*33:犬養内閣陸軍大臣、第一次近衛、平沼内閣文相など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*34:台湾軍司令官、参謀次長、陸軍教育総監など歴任

*35:とはいえ統制経済支持ではない陸軍皇道派だって226事件以降は陸軍中枢からはずされはしますが戦争推進派でした。

*36:WTO敗訴などで絶対に都合が悪くなると思いますが

*37:この理屈なら対米戦を始める余裕もないんですが、実際には対米戦をやってしまったのが戦前日本です。

*38:1885~1948年。関東軍高級参謀として満州事変を実行。関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。

*39:1868~1956年。清浦、加藤高明、第1次若槻、浜口内閣陸軍大臣朝鮮総督、第1次近衛内閣外相(拓務相兼務)など歴任

*40:当時の参謀総長は皇族の閑院宮ウィキペディア参謀本部」参照)

*41:当時の侍従武官長は宇佐美興屋(ウィキペディア「侍従武官長」参照)

*42:参謀総長には一任する気はないので上奏しなくてもいい」と言われたのに無理に上奏したあげく、嘘をつき、しかもその嘘がばれて非難されるとは「アホか?」と言いたくなる板垣のひどさです。

*43:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自殺

*44:佐世保鎮守府参謀長、舞鶴要港部司令官、佐世保鎮守府長官などを経て侍従長

*45:原、第二次山本内閣陸軍大臣を経て首相

*46:検事総長、清浦内閣司法相、田中内閣内務相、立憲政友会総裁を歴任

*47:寺内、加藤友三郎、清浦内閣内務相、田中内閣文相など歴任

*48:著書『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社)、『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)、『兵士たちの戦場』(2015年、岩波書店)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)、『日本の戦争:歴史認識と戦争責任』(2017年、新日本出版社)、『日本の戦争Ⅱ:暴走の本質』(2018年、新日本出版社)、『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社)など

*49:岸内閣郵政相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相などを経て首相

*50:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長