高世仁に突っ込む(2020年6/12日分)(追記あり)

横田滋さんの逝去によせて6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 高世仁に突っ込む(2020年6/10日分) - bogus-simotukareのブログで取り上げた高世記事横田滋さんの逝去によせて5 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

 横田滋さんが亡くなったことが報じられると、多くの人がその死を「申し訳ない」という言葉とともに悼んだ。私もそうだ。

 すでに何度も書いていますが俺は彼の死を悼む気は全くありません。
 申し訳ないとも思わない。
 拉致問題が解決しないのは別に俺のせいではないからです。
 むしろ「滋氏の本音はともかく建前では」
1)安倍晋三という無能、無責任政治家を称え続け
2)小泉元首相や田中仁氏、蓮池透氏など、安倍よりもよほど真面目に拉致問題を考えていた人間を悪口雑言し続けた、
拉致被害者家族会主流(滋の妻子を含む)を容認し続けた滋氏の自業自得です。

 拉致被害者5人が帰国した直後の2002年10月20日、当時の皇后美智子*1拉致問題をこう語っている。
 「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。」
 「自分たち共同社会の出来事」という言葉は、深い思いのこもった適切な表現だと思う。

 こうした美智子の発言には高世と違い、俺個人は不快感しかありません。これは非常に軽率で不用意な発言だ(皇后の、西岡力への発言は、とてもよろしくない) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が批判するようにこうした美智子の「配慮に欠けた発言」を救う会、家族会が「美智子皇后が我々を支持してくれた」として自己正当化に悪用しているからです(とはいえ、その程度ではもはや拉致の風化が防げないほど国民は拉致に興味関心を失っていますし、天皇批判が不敬罪で処罰され、天皇崇拝が徹底された戦前と違い、美智子の言葉には戦前ほどのパワーはありませんが)。
 大体何故拉致被害者だけそんなに特別扱いされるのか。さまざまな不条理や差別、人権侵害などに苦しむ日本人は拉致被害者とその家族だけではない。
 俺的には「美智子はふざけんな!」「救う会に利用されるような軽率な発言すんな!(ただし、救う会の右翼性を積極支持するほど美智子が非常識極右だとはさすがに俺も思っていません。まあ、「横田一家に同情の姿勢を示せば世間に受ける」という「薄汚い自己顕示欲」が美智子にはあると思いますが:これについては皇室記者が現場で感じた、新天皇夫妻と上皇夫妻の「大きな違い」(大木 賢一) | 現代ビジネス | 講談社(4/5)の美智子評価参照)」「拉致被害者とその家族以外は日本人は皆幸せだとでも言う気か!」つう怒りしかないですね。

 横田さん夫妻は、講演会などで、「ご自分のお子さんが拉致されたらと思ってみてください」と訴えていたが、拉致被害者の奪還は、国民が立場を問わず共有すべき課題ではないだろうか。

 問題は「どういう策で拉致被害者を取り戻すか」と言う方法論であって、そんな感情論を持ち出しても何の意味もありません。
 大体「自分の子どもが北朝鮮に拉致される」なんてことはありえない。
 むしろ自分の子どもが「飲酒運転の車にひき逃げされ死亡」「医療過誤で死亡」「過労死」などの方がよほどあり得る話でしょう。
 そして、だからといって「日本人皆が飲酒運転のひき逃げ被害者遺族や医療過誤被害者遺族、過労死被害者遺族と同じ気持ちになれる」かといったらそんなことはないし、「同じ気持ちになった」ところでそれだけでは「飲酒運転も医療過誤も過労死も亡くなりはしない」。「どうやってなくすか」と言う方法論が大事なわけです。
 拉致の解決について言えば、俺個人は「経済支援とのバーター取引以外に手はない」と思いますが、それはともかく。
 美智子発言から連想したことですが、「天皇家に興味がない」俺が「普段皇室番組をまるで見ない」つうのもありますし、「コロナの影響もある(下手にテレビ局が天皇取材すると天皇にコロナを移しかねない、国民に不要不急の外出自粛を呼びかけてる手前、天皇も皇居のある都内ならともかく都外へは外出しづらい)」でしょうが、何というか「新天皇・皇后」になってから
1)新天皇・皇后に遠慮してか明仁・美智子夫婦のメディア露出が減った
2)一方、『皇后のうつ病の問題』が大きいのか、あるいは

・民主主義の観点からは天皇があまりメディアにアピールすべきでない
・いや下手にメディアにアピールするとそれが国民の反感を買った場合、かえって天皇制維持が危うくなる。メディアアピールはメリットばかりではない
・メディアに騒がれることで自分と家族の生活を犠牲にしたくない
・コロナ問題で下手にメディア露出したら、「コロナは深刻と認識→天皇は安倍政権のコロナ対応に批判的」と安倍信者ウヨに認識されて攻撃される恐れがある

などの考えが現天皇にあるのか*2明仁天皇時代に比べて天皇・皇后のメディア露出も減った気がします。
 もしこの俺の感想が事実で「天皇のメディア露出が減ってる」のなら「民主主義の観点で大変いいこと」だと思いますね。
 新刊紹介:「歴史評論」11月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログで紹介しましたが、原武史・放送大教授など、各識者が「徳仁天皇明仁天皇に何か違いが出るのか、注目したい(例えば雅子皇后のうつ病に配慮して外遊を減らすなど)」と述べていましたが早速違いが出てきたんでしょうか。
 なお「天皇、メディア」でググってヒットした記事でも俺のような指摘はあるので後で紹介しておきます。

【参考:天皇のメディア露出】

なぜコロナ禍に天皇からの「語り掛け」がないのか、皇室記者の考え(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース大木賢一*3共同通信社編集委員
 日本国憲法で「国民統合の象徴」と規定された天皇が、どうして今、国民に語り掛けることによってその端的な役割を果たそうとされないのでしょうか。
 気になるのは、皇室行事が次々と中止になったため、天皇がメディアに露出する機会がめっきり減り、いわば「見えない天皇」になりつつあることです。「国民に関心を持たれ続けること」は、現代の皇室の生命線だと私は思っていますが、その関心が急激に薄れているように感じられてなりません。国民への語り掛けは、その関心を取り戻すチャンスになりうるのに、あえてそれを避ける背景を私は考えてしまいます。
 しかし、陛下は事実上、国民へのメッセージに当たる言葉を述べられている、と宮内庁側は説明します。4月10日、陛下は政府専門家会議の尾身茂*4副座長からコロナウイルスについて進講を受けました。その当日、宮内庁は「天皇陛下からの冒頭ご発言要旨」と題して、陛下の発言を紹介する文書と、進講を受けられる写真を公表しているのです。
 陛下のこの発言の背景について5月1日の新聞各紙は、「形式上は尾身氏に向けた言葉だが、側近は『事実上、国民に向けたメッセージ。国民と労苦を分かち合う姿勢を示したかったのだろう』と話す」(読売新聞)、「ビデオメッセージの形ではないものの、側近の一人は陛下の思いを『今は直接、国民に寄り添える状況ではない。だからこそ、国民への励ましや医療関係者への感謝の気持ちを何とかして伝えたいと考えられたのでは』とみる」(日本経済新聞)などと解説しました。
 陛下のビデオメッセージに関しては、宮内庁幹部に慎重論、反対論が強いと聞きます。識者の中にも「発言が政治性を帯びる危険性がある」と指摘する人がいます。ですが、私はそうは思いません。
 平成の天皇陛下であれば、とっくにビデオメッセージを流していただろう*5と考えるのは私だけではありません。
 コロナウイルスの影響で取り止めなどになった皇室の行事としては、(1)天皇、皇后両陛下の英国訪問(2)春の園遊会(3)全国植樹祭(4)秋篠宮さまの立皇嗣の礼、などがあります。いずれも実現していればメディアに大きく取り上げられ、テレビ画面に華々しく映し出されたでしょう。それ以外にも、日々の外国賓客との接見予定も取り止めが相次いでいます。
 国民世論に巨大な影響力を及ぼすとみられる「語り掛け」が現実になれば、比較として政府のコロナ対策、特に「アベノマスク」に象徴される「失政のイメージ」や「負の側面」を強調してしまうことになるのではないか。あるいは反対に、政府の対応を労う事で政権を利することになるかもしれない。時の政権の評価を天皇自身が左右してしまうのではないか。
 陛下はそんなことも考えたのだろうと思います。
 ですが、冒頭で書いたように、「政治的権能」と無関係な部分で言葉を発することは可能なはずです。
 平成との差異化の一つが「発信しないこと」「行動しないこと」になってしまうのは、決して望ましくないと思っています。

コロナ禍の今「皇室のメッセージ」めぐり静かな論争 | メディア万華鏡 | 山田道子 | 毎日新聞「経済プレミア」
 「上皇さまがまだ天皇だったら、緊急事態宣言の3日後ぐらいになさっていたかも」と想像した。新型コロナウイルス感染拡大に対するビデオメッセージ。実際、今の天皇陛下に求める声が起きた。
 天皇陛下が即位1年を迎えた5月1日の毎日新聞朝刊で、政治学者の御厨貴氏は「国難とも言える状況だ。ビデオメッセージのような、より強い方法で発信してもよかったのではないか」と語った。
 「なぜコロナ禍に天皇からの『語り掛け』がないのか」と現代ビジネスのウェブサイト(5月13日)で問うたのは、共同通信社編集委員の大木賢一氏だ。
 大木氏は、憲法で「国民統合の象徴」と規定されている天皇は今その役割を果たさないのか、と。そして、皇室行事の中止で「見えない天皇」になりつつあり、国民の関心を取り戻すチャンスになるとして、ビデオなどによる国民への直接のメッセージを求めた。
 何も発出していないわけではない。天皇、皇后両陛下は4月10日、政府専門家会議副座長の尾身茂氏の説明を受けた際、「私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」などと語った。宮内庁はこの発言を当日発表した。「非公式の場での『お言葉』が紙で出されるのは極めて異例のこと」(読売新聞5月1日朝刊)という。後に宮内庁のホームページにもアップした。
 大木氏はもちろん「政治色を帯びてしまう危険性」を十分承知のうえでメッセージの発出を求めている。しかし、第2次安倍政権になって「天皇の政治まみれ」は著しい。その最たるものが退位をめぐる経緯だった。
(この記事は有料記事です。)

「コロナ禍」に天皇制強化求める望月記者の倒錯 - アリの一言
 東京新聞の望月衣塑子記者が新潮社のPR誌「波」5月号で、作家の島田雅彦*6と対談しています。タイトルは「皇后陛下が立ち上がる時」。天皇・皇后へ賛美と期待が繰り返されています。望月氏は官邸記者会見での追及などで注目されている記者で、しかも「コロナ禍」の中での発言だけに、見過ごすことはできません。
 対談は島田氏の新著『スノードロップ』刊行を記念して行われたもの。私はこの本を読んでいないので、ここでは同書が批判の対象ではありません。あくまでも対談の中で、両氏が天皇制について語っていることについて述べます。
 望月氏は冒頭で同書をこう紹介しています。
 「皇室が時の権力の要請に左右されず、人類がどんな価値を求めるべきか、旗印を築くために立ち上がる物語です」。
 そしてこう続けます。
 「格差が広がり、感染症が蔓延し、不安や憎悪が広がる今こそ、皇室が世界に本来進むべき道を指し示すというのは、理想的なウィジョンだと痛感しました」
 さらに望月氏は、「小説の中では、皇室を意のままに動かそうと試みる腐敗した政権*7に対して、不二子*8という名の皇后とその娘の舞子さま*9が立ち上がる設定になっています」と紹介し、「母と娘が作中のように現実政治から距離をとりつつ、しなやかな自由を確保して活動する存在ならば世の中変わるのでは、と思いながら一気に読了しました」と述べています。
 問題個所は多々ありますが、もう1カ所だけ挙げます。島田氏が、「天皇は誰にも従属せず、より強力に国際協調のスタンスで世界と連帯する『象徴』となるほかないんですよ」と述べたのを受け、望月氏はこう応じます。
 「私たち庶民は、当然に時の政治に翻弄されるわけです。でも、皇室が『もっと自由であれ』といった風を吹かせてくれたら励まされますね」
 望月氏と島田氏が共感し合いながら主張していることは結局、天皇・皇后は、時の政府から「自由」になって、自らの主義主張を広く公にして、庶民を導く存在であってほしい、ということです。
 安倍晋三首相との対比で(ボーガス注:明治150年式典を欠席するなど、安倍よりはましな)明仁天皇(現上皇)を「護憲の人」とみる傾向が、いわゆる「民主勢力」の中に少なくありませんでしたが、望月氏らの主張は、それをさらに進め、徳仁天皇・雅子皇后に積極的な自律的言動を求めるものです。極めて危険な誤りと言わねばなりません。
 憲法は第4条で「天皇は…国政に関する権能を有しない」、第3条で天皇の国事行為はすべて「内閣の助言と承認を必要」とすると定めています。時の政権がいかに愚劣であろうと、天皇憲法に定められた国事行為を「内閣の助言と承認」の下に行うことしかできません。まして政治的問題について自らの主義主張を述べ、行動することは厳禁です。それが現行憲法の規定です。
 望月氏らが天皇・皇后に政治的問題を含め自律的言動を積極的に行うことを求めているのは、天皇・皇后に憲法違反を犯すことを要求していることに他なりません。望月氏らにその自覚はあるのでしょうか。
 望月氏は「コロナ禍」で「不安や憎悪が広がる今こそ、皇室が世界に本来進むべき道を指し示す」ことが「理想的」だと述べています。しかし、「不安や憎悪」がはびこる今だからこそ、すべての人の人権が平等に保障される差別のない社会、すなわち天皇制のない社会を目指すべきです。それが私たちが「本来進むべき道」ではないでしょうか。

 おっしゃるとおりで「ならば、島田氏や望月氏は、昭和天皇の沖縄メッセージや中国国連加盟反対発言も容認するのか?(中国国連加盟反対発言については例えば昭和天皇というのも、時代錯誤な人だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)や拙記事今日の産経ニュースほか(7/31分)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ参照)」と言う話です。
 あるいは現天皇が「安倍政権の改憲(あるいは検察庁法改定)を私は支持します」「私はモリカケ桜を見る会も布マスク疑惑も全てアンチ安倍の言いがかりで安倍首相は潔白だと信じています」などとと安倍支持発言*10をいったら、あるいは例の米長の無茶ぶりの時に現上皇明仁氏(当時、天皇)が「頑張ってください」と米長を応援*11をし、米長が「明仁天皇陛下も我々都教委の君が代・日の丸政策が正しいと認めてくれた」と宣伝したら「島田や望月氏はそれを支持するのか」と言う話です。
 「俺たちに都合のいい安倍批判発言、ウヨ批判発言を徳仁天皇明仁天皇にして欲しい。でも安倍や米長のようなウヨ連中の天皇制・政治利用は認めない」なんてそんなご都合主義ででたらめな話が許されるわけがないでしょう。大体「民主主義の観点、護憲の観点から皇室が政治的発言をすべきでない」のはもちろんですが「皇室が絶対にしないであろう事(皇室の政治的発言)」を期待してもばかばかしいだけです。
 せいぜい皇室に期待していい*12のは「退位したい(今回の明仁氏)」「皇籍離脱したい」「女帝で何が悪いのか」「結婚相手くらい自分で決めさせてくれ」程度の「皇室限定の極めて私的な話」だけでしょう。皇室とまるきり関係ない政治的発言なんか期待する方がおかしい。望月氏の安倍批判は大いに評価しますし、有能な記者だとは思いますが、さすがにこれは評価できません。

コロナ禍と徳仁天皇―“無為の知恵“ - アリの一言
 2カ月前に「徳仁天皇は『ビデオメッセージ』を発してはならない」と書きましたが(4月9日のブログ徳仁天皇は「ビデオメッセージ」を発してはならない - アリの一言参照)、その後も天皇は何も「メッセージ」を発していません。理由は分かりませんが、この状況はたいへん意味のあることです。
 4月以降、「コロナ禍」に関連して徳仁天皇が雅子皇后とともに行ったことは次の通りです。
 ・4月10日 専門家会議の尾身副座長から聴取(政府・宮内庁はこれを「ご進講」と称します)
 ・4月15日 厚労省医務技監から聴取
 ・5月20日 日本赤十字社長・副社長から聴取
 ・6月3日  東京都葛飾区保健所長らと面会(専門家からの聴取はこれが5回目とか)
 それぞれの場面で感想は述べていますが、「国民」に向けたメッセージは発していません。天皇主義者はこの状況に不満を募らせていると思われます。宮内庁はやむを得ず、専門家会議と日赤からの聴取で徳仁天皇が述べた感想をHPに掲載しています。
 明仁上皇天皇であればとっくに「ビデオメッセージ」を出していたでしょう*13。「天皇退位有識者会議」(2017年)で座長を務めた御厨貴*14(元東大教授)が、「東日本大震災の時に上皇さまはビデオメッセージを出した。陛下も国民に向けて何らかのパフォーマンスを見せてほしい」(4月14日付中国新聞=共同)と公言していましたが、徳仁天皇・雅子皇后にメッセージ(パフォーマンス)を求める声は少なくありません。
 東京新聞の望月衣塑子*15記者が、「皇室が世界に本来進むべき道を指し示すというのは、理想的なウィジョン」(「波」5月号)とコロナ禍のいま天皇・皇后に発言・行動を求めていることは先にみましたが(6月2日のブログ「コロナ禍」に天皇制強化求める望月記者の倒錯 - アリの一言参照)、同類の声はほかにもあります。
 作家の赤坂真理*16は、ドイツ・メルケル首相のスピーチ*17(3月18日)を評価したのに続き、「日本で機能していないと思うものがある」としてこう述べています。
 「それは『象徴』だ。この歴史的な時に、首相は統合を象徴する存在たり得ていない。残念なのは、憲法第1条に書かれた『象徴』もまたそうであることだ。『象徴』と書かれた存在が、もし本当にその役を引き受けるのなら、今、何かを言ってほしい。でなければいつ象徴的であられるのか?」(4月29日付地方各紙=共同配信) 
 こうした声にもかかわらず、徳仁天皇が何もメッセージを発していないのは、したいけれどできないのか、それとも何らかの判断であえてしないのか。それは分かりませんが、客観的にみれば、何もしないことこそ“無為の知恵”と言えるでしょう。
 天皇が政治・社会情勢に関連して自らの意見を述べることは、憲法が二重三重に禁じています。何もしないことが「憲法第1条」に沿うものです。しかも、「コロナ禍」ではそれが一層重要です。
 天皇(象徴天皇)はいうまでもなく国家機構・体制の一部です。天皇が自らの言動によってその存在を強めることは、上からの権威によって「国民」を束ねる国家主義全体主義)の強化にほかなりません。それは私たちが目指すべき「コロナ後」の社会に逆行するものです。
 天皇は「コロナ禍」でも、いいえ「コロナ禍」だからこそ、メッセージを発するべきではありません。このまま「無為」を貫くことこそが市民のためです。

 俺は大木氏の主張なぜコロナ禍に天皇からの「語り掛け」がないのか、皇室記者の考え(現代ビジネス) - Yahoo!ニュースには反対ですね。
 コロナ禍と徳仁天皇―“無為の知恵“ - アリの一言「コロナ禍」に天皇制強化求める望月記者の倒錯 - アリの一言にむしろ同意見です。
 それにしてもコロナ禍と徳仁天皇―“無為の知恵“ - アリの一言「コロナ禍」に天皇制強化求める望月記者の倒錯 - アリの一言を信じれば東京新聞の望月記者は「九条護憲派」「モリカケ桜を見る会、布マスク疑惑などの安倍自民の無法に憤る人間」「戦前型天皇制には反対する人間」ではあっても「天皇主義者(戦前とは違う、令和流のニューバージョンとは言え)であって左派ではなかった」「憲法天皇条項については護憲派ではなかった」わけですね。コロナ禍と徳仁天皇―“無為の知恵“ - アリの一言「コロナ禍」に天皇制強化求める望月記者の倒錯 - アリの一言の望月批判には全く同感です。
 つまりは、美智子のように無神経な言葉を吐いて、救う会に政治利用されるよりは、「政治に不当な影響を与えることを恐れ控えめに行動する」今の天皇の態度の方が正しいと俺は思います(天皇の思惑が何でアレ)。
 「こうしてコロナに対応していますので安心してください」などと語りかけるべきは「首相やコロナ担当大臣、各地の知事」など政治家でしょう。
 「頑張ってください」「お互い頑張りましょう」レベルの空疎な言葉しか言えない「政治的実権も何もない」天皇に一体何を期待するのか。
 まあ、政治家連中には「お前には語りかけて欲しくない」つう奴(安倍首相や大阪の吉村知事など)も多々いますが。
 まあ天皇崇拝者あるいは「天皇で飯を食う連中(宮内庁職員やマスコミの皇室担当記者)」の中にはこういう考え(もっとメディアに出ろ)の人間も少なくないのでしょうが。
 ちなみにコロナ禍と徳仁天皇―“無為の知恵“ - アリの一言の書き手は

横田滋氏死去を論評する日本メディアの致命的欠陥 - アリの一言
 「拉致被害者家族会」の横田滋氏の死去(5日)を日本のメディアは大々的に(異常なほど、とくにNHK)報じました。新聞各紙はその後いっせいに社説で論評しました。その論調は重要な事実にあえて触れない、きわめて一面的なものと言わねばなりません。

 産経、読売は論外として、朝日、毎日、東京にほぼ共通しているのは、「北朝鮮の非道さを非難するとともに、日本政府には問題の解決へ向けた有効な方策を急ぐよう強く求める」(7日付朝日新聞社説)など、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)を強く非難する一方、安倍政権には今後の取り組みを期待するというきわめて不公正な論調です。
 それが端的に表れているのが、2002年の日朝首脳会談(写真右)と日朝平壌宣言への言及です。
 各紙は02年の日朝会談で、「北朝鮮金正日総書記は拉致を認めて謝罪」(7日付毎日新聞社説)し、「拉致を含む包括的な解決をめざす」(同朝日社説)平壌宣言を行ったと、会談と宣言を「拉致問題」の視点からだけ取り上げ、「北朝鮮」がこれを守らなかったと朝鮮非難の材料にしています。
 これは(ボーガス注:国交正常化交渉を開始し、日朝間の緊張緩和を目指すという)平壌宣言の核心的部分を隠ぺいしたきわめて恣意的な論調です。
(中略)
 「拉致問題」が進展しないのも(安倍首相は「拉致問題」を政権浮揚に利用)、日朝関係の正常化がまったく進まないのも、安倍政権のこうした姿勢に根源があることは明白です。
 にもかかわらず、(ボーガス注:植民地支配問題を解決し日朝間に国交を樹立し、朝鮮半島の緊張を和らげるという)平壌宣言の核心部分にまったく触れないまま朝鮮非難を強めることは、安倍政権への追随であり、日本国民の反朝鮮感情を煽るものであり、日朝関係の正常化はおろか、「拉致問題」の解決にも逆行するものであることを、日本のメディアは肝に銘じるべきです。

と書いていますが全く同感です。
 拉致解決を挫折させている安倍の「こうした姿勢」とは

・ホワイト国除外、靖国への玉串料奉納などに見られる戦前日本についての無反省
・拉致を『首相に成り上がるため』や、『北朝鮮を口実とした軍拡』に利用するだけで解決する気が全くない無責任な態度
・小泉訪朝のような交渉以外に拉致解決の道はないのに朝鮮学校無償化除外や経済制裁によって事実上交渉を不可能にしている北朝鮮敵視

ですが、これには全く同感です。ただし俺とは違い、「家族会、救う会は勿論」恐らく高世も同感しないでしょうが。たぶん「北朝鮮に甘い」と悪口雑言でしょう。

【追記】
 さて、上で紹介した共同通信の大木氏の「俺的に」面白い記事を見つけたので紹介しておきます。

皇室記者が現場で感じた、新天皇夫妻と上皇夫妻の「大きな違い」(大木 賢一) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
・「退位の意向」が報じられた時は、驚き以上の激しい感情がありました。「政治的発言に当たらないのか」という憲法上の疑義とともに、メディアを利用して自ら世論の醸成を図っているとしか思えなかったからです。その気持ちは今も変わりません。
・私は何とも言えぬ反感をぬぐえなくなるのです。
・正直に言いますと、私は現役記者当時から、前天皇夫妻を好意的に見ることができませんでした。「他人の口を介した報道で世の共感を得る」のは、何度となく繰り返されたやり方だと思っています。
 たとえば2008年に当時の宮内庁長官が定例記者会見で「(皇太子一家の御所への訪問は)増えておらず、両陛下も心配されていると思う」と、皇太子に「苦言」を呈したことを、突如明らかにしたことがありました。
 皇太子誕生日の記者会見の数日前です。本人の回答を求めているのは明らかでした。質問項目はすでに決まっていたため、「苦言」については志願して私が追加質問することになりました。皇太子は「家族のプライベートな事柄なので立ち入って話すのは差し控えたい」と話しました。
 当然だと思います。私は、自分では言えないだろうから代わりに言ってやろうと思い、質問の中にある言葉を忍ばせていました。
 「皇族に仕える立場の長官が自分の一存であの発言をしたとは私には到底思えません」。
 この言葉は今も宮内庁のホームページに載っています。記者の質問も一言一句保存されるのです。
 長官は当時の天皇夫妻の意を受けてあの発言をしたのだろう。多くの記者もそう思っていたはずです。皇太子が言うように家庭内のことは家庭内で言えば済むのに、なぜわざわざ幹部の口や記者会見を通すのか。それが皇室というものなのかもしれませんが、私はこんな(ボーガス注:くだらない?)役目ばかり(ボーガス注:明仁、美智子夫婦の命令で?)させられる歴代の長官や幹部を心底気の毒に思っています。
 この会見の直後、前天皇夫妻の側近とされる人を訪ねたところ、私の質問が気に入らなかったらしく、激しく叱責されました。
・少なからぬ国民は、皇室記者というのはプロ野球の「番記者」のようなもので、皇族と顔を合わせれば雑談でもすると思っているのかもしれません。
 全然違います。そのような「対等」に近い関係ではないのです。数mほどの距離にいるわけですが、天皇や皇后が報道陣に会釈でもしようものなら、記者は反射的に頭を下げます。無言です。顔を上げることもできません。
・私は、前天皇が多用してきた「象徴の務め」なる言葉に反感を持ちます。象徴天皇の「義務」は、憲法に定められた国事行為のみ*18なのに、それ以外のことも含めて「務め」と言ってしまえば、後の天皇たちは、それぞれの思いで自由にふるまえなくなってしまうのではないかと心配です。
・前天皇夫妻、特に美智子さんは、プロデュース能力にたけた人だと思います。
 美智子さん自身が「天才女優」と言ってもいいと思います。自分がどう見られているか絶えず意識し、自分たちを報じるものにはほとんど自ら目を通していると聞きます。「自分が一番目立っていないと気が済まない人」と評する人も何人もいます。
 天才女優ですから「慈悲深い聖母」になることもできました。「平成の天皇皇后像」は、こうした美智子さんの演出能力で形作られたと考える識者は少なくありません。阪神大震災でのスイセンの花、東日本大震災でのハマギクの花。被災地との交流のストーリーも、へそ曲がりな私の目には「用意された通りに書かされた」と屈辱を感じることがありました。
・新しい天皇夫妻には自己演出にあくせくするような姿勢はなさそうです。いかにも自然体の夫婦のように思え、私は新時代の「新しい天皇像」に期待しています。
 即位後いくつかの地方訪問に同行し、気付いたことがあります。施設訪問でも何かのレセプションでも、前天皇夫妻は「それぞれが一人一人に相対する」姿勢だったのに対し、新天皇夫妻は「2人一緒に、気がつくとみんなに囲まれて笑っている*19」のです。欧州的なフレンドリーな王室に近づいている。そう言うと反発する勢力もあるでしょうが、私はそれでいいのではないかと思います。
 平成の天皇夫妻がああした姿を見せたのは「生き残り戦略」だったと思います。国民の関心を失うことは皇室にとって一番の脅威のはずです。必死に考えた結果が「寄り添う」ことであり、その姿を見せることが時代の要請だったのかもしれません。
 新しい天皇夫妻はもっとナチュラルな道を歩むでしょう。
 欧州の記者が王族の子どもたちに気軽に手を振るように、記者との距離も縮めてくれたらいいなと思います。
 この文章では、意図的に敬語を排し、普段の新聞の基準とは異なる表記をしてきました。過剰な敬語を使いながら批判を含む言説を展開するのはほとんど不可能です。天皇の在り方や皇位継承に関する議論は続くのですから、無用なタブーは極力排し、考え続けなければならないと思います。

*1:高世が「美智子」と呼び捨てにしているのが興味深い。

*2:まあ一時は「天皇制廃止」の危険性があった終戦直後を体験している父・明仁ほどの危機意識(メディアでアピールして国民との間に親近感を構築しないとないと天皇家の将来がやばい)は現天皇にはないでしょうね。むしろ「下手にアピールすると場合によっては宝島30や週刊文春などウヨ雑誌が母・美智子をバッシングして失語症に一時追い込んだように、『あんなのはあるべき天皇の姿ではない』『安倍政権への批判か?』などとウヨにバッシングされるかもしれない」と言う恐怖感の方が強いかもしれない

*3:著書『皇室番 黒革の手帖』(2018年、宝島社新書)

*4:厚労省技官出身。現在、独立行政法人地域医療機能推進機構厚生労働省所管)理事長。自治医科大学名誉教授(尾身茂 - Wikipedia参照)

*5:いやーそれはどうですかね。彼がビデオメッセージを流したのは例の「退位したい」など「極めて例外的」であり、ああなったのは「安倍が退位に反対したから」であってああした形で自らが前面に出て『違憲の疑いがある』『違憲ではないとしても政府の頭越しに物を言うのはいかがな物か』などという声が出たことは明仁にとって不本意だったでしょう。現在においても「コロナ禍の中でそこまでして自己アピールしたいのか」「むしろ静かに黙っているべきではないか」などと言われる恐れを考えればおそらく今の天皇明仁でもビデオメッセージはなかったと俺は見ます。

*6:著書『漱石を書く』(2002年、岩波新書)、『酒道入門』(2008年、角川oneテーマ21)、『オペラ・シンドローム』(2009年、NHKブックス)、『徒然草in USA』(2009年、新潮新書)、『小説作法ABC』(2009年、新潮選書)、『深読み日本文学』(2017年、集英社インターナショナル新書)など

*7:明らかに安倍政権がモデル。

*8:「名前の響きからして」美智子がモデルか?

*9:「名前の響きからして」雅子皇后及び『雅子皇后の娘・愛子』がモデルか?。それにしても小説において明仁徳仁秋篠宮といった男性の面子が主人公でないことは興味深い。

*10:言うことはあり得ませんが

*11:実際はそんなことを明仁氏はもちろんしませんでしたが

*12:これだって議論の余地はあるでしょうが

*13:果たしてそれはどうでしょうか?

*14:著書『オーラル・ヒストリー』(2002年、中公新書)、『ニヒリズムの宰相・小泉純一郎論』(2006年、PHP新書)、『オーラル・ヒストリー入門』(編著、2007年、岩波テキストブックス)、『近現代日本を史料で読む:「大久保利通日記」から「富田メモ」まで』(編著、2011年、中公新書)、『権力の館を歩く:建築空間の政治学』(2013年、ちくま文庫)、『馬場恒吾の面目:危機の時代のリベラリスト』(2013年、中公文庫)、『安倍政権は本当に強いのか』(2015年、PHP新書)、『政治家の見極め方』(2016年、NHK出版新書)、『後藤田正晴と矢口洪一:戦後を作った警察・司法官僚』、『宮澤喜一竹下登:戦後保守の栄光と挫折』(以上、2016年、ちくま文庫)、『戦前史のダイナミズム』(2016年、放送大学叢書)、『政党政治はなぜ自滅したのか?:さかのぼり日本史』(2017年、文春文庫)、『天皇退位、何が論じられたのか:おことばから大嘗祭まで』(編著、2020年、中公選書)など

*15:著書『武器輸出と日本企業』(2016年、角川新書)、『新聞記者』(2017年、角川新書)、『追及力:権力の暴走を食い止める』(森ゆうこ氏との共著、2018年、光文社新書)、『安倍政治100のファクトチェック』(朝日新聞記者・南彰氏との共著、2018年、集英社新書) 、『権力と新聞の大問題』(マーチン・ファクラー氏との共著、2018年、集英社新書)、『同調圧力』(前川喜平氏、マーチン・ファクラー氏との共著、2019年、角川新書)、『「安倍晋三」大研究』(2019年、ベストセラーズ)、『なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか』(佐高信氏との共著、2020年7月刊行予定、講談社+α新書)など

*16:著書『モテたい理由』(2007年、講談社現代新書)、『愛と暴力の戦後とその後』(2014年、講談社現代新書)など

*17:メルケルは首相なのだから、メルケルを持ち出して政府の「まともなスピーチ」を求めるのならそれは天皇ではなく「首相の安倍」でしょう。もちろん安倍にそんなことが出来るとは思いませんがだからといって天皇にそんなことを求めるのは民主主義上、不適切だと思います。

*18:過去にこう書いた人間が国事行為ではない「ビデオメッセージ」をなぜコロナ禍に天皇からの「語り掛け」がないのか、皇室記者の考え(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース徳仁天皇に求めるのは何かの冗談でしょうか?

*19:過去にこう書いた人間が、その種の自然さのかけらもない「ビデオメッセージ」をなぜコロナ禍に天皇からの「語り掛け」がないのか、皇室記者の考え(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース徳仁天皇に求めるのは何かの冗談でしょうか?。むしろ「ビデオメッセージなんてしないで自然体でいいね!」と徳仁夫婦を褒めるべきではないのか?。「今のままでは天皇への敬愛精神が国民から薄れる(果たして薄れるか疑問ですが)」程度の考えで前言「自然体の方がいい」を安易に撤回し『前天皇を見習い、ビデオメッセージをやれ、もっと自己アピールしろ』というのが大木氏なのか?。言葉を選ばず言えば大木氏は「滑稽で無様で不見識」だと俺は思います。というと多分、大木氏は怒り出すのでしょうが。