今日の産経ニュースほか(2020年6月21日分)

つくる会のツイート

新しい歴史教科書をつくる会【公式】がリツイート
・日野◆求道者
 「新しい歴史教科書」不合格は朝日や毎日ですら問題視しているのに、唯一、産経系の『正論』が「つくる会」を批判。
 政権擁護のためには「朝日以上の、左*1」になっちゃうとは、失望だよ。

 つくる会のせこさが露呈されている「みっともないツイート」ですね。
 朝日や毎日は「異例の不合格」とは書いても「不当な不合格」とは書いてないので問題視してないと思いますがそれはさておき。

 朝日や毎日より、フジサンケイ『正論』の方が許せない!

と「自分でツイートするのでは無く」、「他人がしたツイートにリツイート」という辺りがまずせこい。
 第二にこうしたリツイートをしてもフジサンケイや安倍政権をがっつり批判して、縁切りなどしない辺りもせこい。


<お詫び>7月4日の公開討論会 延期のお知らせ―調査官出席拒否により―

・『新しい歴史教科書』の代表執筆者藤岡信勝氏らは、5月25日に文部科学省の検定調査官4名に対し、令和元年度の教科書検定での検定意見に関して公開討論会の申込を行っておりました。その回答が6月11日に文部科学大臣より届き、6月末より再申請による検定がスタートするため、その場に調査官が出席するのは適切でないとの理由から出席を拒否されました。
・よって私どもは今回の再申請による検定が終了次第、改めて公開討論を求めることといたします。
 7月4日を楽しみにご予約されていた皆様には大変申し訳ございません。秋以降となりますが、討論会が決まりましたら再度ご案内申し上げます。

 もちろん
1)秋に公開討論会とやらを本当につくる会がセットするのかどうか(結局安倍政権との対立を恐れて、事実上中止にしてうやむやにするのでは無いか)
2)セットして調査官が出席するのかどうか(出席を断らない保証はない:そもそも公開討論とやらに応じなければいけない義務はどこにもありません)
はわかりませんがとりあえず7月4日の公開討論会とやらは辞めたそうです。


【花田紀凱の週刊誌ウオッチング】〈776〉河井夫妻、逮捕の朝に電話で… - 産経ニュース

 新聞各紙1面トップで河井克行、案里夫妻逮捕を報じている。
 夫妻には仕事*2で世話になり、二人の明るい人柄もよく知っているので、残念でならない。
 『文春』には常井健一さん*3(ノンフィクションライター)のインタビュー「『もらい事故*4って感じですよ』河井案里独占告白3時間」も併載。素直に何でもしゃべってしまう案里さん。人柄がよく出ており、読んでいてつらかった。
 逮捕の朝、電話で二人と話をした*5が、気丈に振る舞っていた。
 二人の再起*6を願っている。

 現時点でこういうことを平気で書ける花田と言い、掲載する産経と言い正気では無いですね。
 そもそも産経や花田は河井夫妻を無実だと思ってるのか、どうなのか?。もし「無実だと思う」というなら「河井夫妻の裁判闘争を応援したい」と言うべきだし「無実とは思えない」というなら「無実などと言う嘘の主張は辞めて、議員を即刻辞任し、罪に服すべき」というべきでしょう。その辺りを曖昧にごまかしてるのも酷い話です。


【昭和天皇の87年】ゆがめられた沖縄の祖国愛 皇太子の誠意が県民の心に響いた - 産経ニュース
 産経ですら「皇太子(現・上皇)の誠意が県民の心に響いた」と書いても「昭和天皇の誠意が」とは書けないわけです。
 まあ昭和天皇には誠意などかけらも見えませんからね。そしてそんな皇太子(現・上皇)ですら立場上「うちの親父(昭和天皇)が県民を酷い目にあわせてすまなかった」「親父が太平洋戦争など開戦しなければ、あるいはせめて米軍沖縄上陸で沖縄戦が開戦される前に降伏してれば沖縄戦の悲劇は無かった」などとストレートな謝罪(昭和天皇批判)は出来ないわけです。

 沖縄の本土復帰から3年後、昭和50年の春頃、昭和天皇は、宮内庁長官の宇佐美毅*7に言った。
 「アメリカに行く前に、沖縄に行けないか」

 率直に言って「嘘じゃ無いのか?」ですね。昭和天皇には戦後「沖縄、中国、韓国」に行く意思は全く無かったと思いますが。

 当時の沖縄は、昭和天皇が訪問できる状況ではなかった。首相の佐藤栄作*8が「核抜き・本土並み」の返還を実現したものの(※1)、米軍基地が残されたため左派が反発。本土の極左活動家らも次々と沖縄入りし、テロの恐れが高かったからである。

 おいおいですね。昭和天皇に沖縄が反発した理由はそんなことでは無い。
 沖縄戦が明らかに「本土決戦のための捨て石であることが明白」であり、その結果「集団自決強要(軍による住民虐殺)」という悲劇まで起きたからです。沖縄において昭和天皇に批判的だったのは別に左派限定では無い。

参考

社説 [ 昭和天皇「拝謁記」] 今に続く「捨て石」発想 | 社説 | 沖縄タイムス+プラス
 戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治*9昭和天皇の言葉や、やりとりの様子を克明に記した「拝謁(はいえつ)記」が見つかり、内容の一部が公開された。
 昭和天皇との対話を詳細に記録した貴重な資料の中で目を引くのが、基地問題に触れた記述だ。
 「全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話」(53年11月)とある。
 53年といえば、米軍統治下にあった沖縄では、米国民政府の「土地収用令」が公布され、「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収が始まったころだ。
 本土でも米軍基地反対闘争が起こっていた。反基地感情が高まり、本土の米海兵隊の多くが沖縄に移転した。
 「一部の犠牲」が沖縄に負わされる形で、今も、国土面積の0・6%にすぎない沖縄県に米軍専用施設の約70%が固定化されている。
 国の安全保障を沖縄が過重に担う現在につながる源流ともいえる言葉だ。
 戦時中、沖縄は本土防衛のための「捨て石」にされた。
 47年9月、昭和天皇が米側に伝えた「天皇メッセージ」では、「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の-25年から50年ないしそれ以上の-貸与(リース)をする」と、昭和天皇自らが、沖縄を米国に差し出した。
 今回明らかになった「一部の犠牲はやむなし」の思考はこれらに通底するものだ。
 米軍の駐留について「私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ」(53年6月)と語ったとの記録もあり、今につながる米国とのいびつな関係性を想起させる。

昭和天皇「拝謁記」公開/戦争責任 国民的議論を
 戦局が絶望的になりながら無謀な戦争を継続したことについて「私ハ実ハ無条件降伏は矢張(やは)りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸(ちょっと)こちらが勝つたやうな時ニ其(その)時を見付けたいといふ念もあつた」(52年3月14日)と告白していますが、その結果、東京大空襲沖縄戦、広島・長崎への原爆投下など筆舌に尽くしがたい惨禍を招いたことへの反省はうかがえません。
 それどころか、終戦をもっと早くできなかったのかという疑問に対し、「事の実際としてハ下剋上(げこくじょう)でとても出来るものではなかつた」(51年12月17日)と述べて、自己の責任をあくまで否定しています。

 もちろん「下克上」というのは詭弁です。そんなことはあるはずもなかった。例えば226事件において昭和天皇が、「寛大な対応」を求める「陸軍皇道派幹部の真崎甚三郎*10荒木貞夫*11」「陸軍皇道派に近い立場の本庄繁*12・侍従武官長」の意向を無視して「厳罰方針」を主張したのも真崎や荒木、本庄に下克上をやる意思も能力も無かったからです。
 「どこかで一回大きく反撃しないと降伏の立場が悪くなる」「一回くらいなら大きく反撃することは可能だ」と考えた昭和天皇が自分の意思で降伏を遅らせたにすぎません。
 そうした昭和天皇には近衛元首相が「そんな反撃が可能なら良いが果たして可能でしょうか?(無理なことを計画するより早く降伏すべきだ)」と苦言を呈したのは有名な話です。

*1:別に「産経の態度は左でも何でもない」のですがそれはさておき。『政権擁護のためには』であって『文科省官僚擁護のためには』ではない点に注意しましょう。「教科書調査官ガー」で安倍批判を躊躇するつくる会の連中だって不合格決定は「安倍政権の決定であること」はもちろんわかってるわけです。なお、つくる会が『産経=左』なのは検定合格教科書での『従軍慰安婦という用語の復活』『「沖縄は捨て石にされた」記述』辺りが理由なんでしょうねえ。安倍信者として安倍政権を批判するわけにも行かず、産経もその点には触れずに逃げることがつくる会には許せないようです。

*2:どんな「仕事」か聞きたいところですが、「安倍に近いウヨ政治家」として花田の「WILL」や「月刊Hanada」の常連執筆者だったということか?。

*3:著書『誰も書かなかった自民党:総理の登竜門「青年局」の研究』(2011年、新潮新書)、『小泉進次郎の闘う言葉』(2013年、文春新書)など。なお、自由民主党青年局 - Wikipediaによれば歴代青年局長の中には竹下首相、宇野首相、海部首相、麻生首相(現在、第四次安倍内閣副総理・財務相)、安倍首相などの首相経験者もいますが、「歴代青年局長が軒並みそうではない」「青年局長経験者で無い首相もいる」ので『総理の登竜門「青年局」』などとはとてもいえないでしょう。そもそも青年局長時代においては竹下氏、宇野氏らも到底「大物政治家」などとはいえません。常井氏が1)『小泉進次郎の闘う言葉』(2013年、文春新書)という本を書いていること、2)『誰も書かなかった自民党:総理の登竜門「青年局」の研究』(2011年、新潮新書)の出版時点の青年局長は小泉進次郎であることを考えればどう見てもこの本、小泉進次郎を持ち上げるためのいわゆる提灯本でしょう。率直にいって「常井=恥知らず」といって何ら問題ないでしょう。

*4:「自分は何もやってない、子分が勝手にやった」つう気でしょうか?

*5:「どんだけ河井夫婦と親密関係なんだよ!」つう話です。

*6:「再起って具体的に何?」ですね。まさか「政治家としての再起」というのか。

*7:元内務官僚。鳥取県警察部長、内務省国土局総務課長、東京都教育長、宮内庁次長などを経て宮内庁長官宇佐美毅 (宮内庁長官) - Wikipedia参照)

*8:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相(佐藤栄作 - Wikipedia参照)

*9:愛知銀行常務、昭和銀行頭取、日本産金振興会社社長、大日本育英会会長、東京通信工業(後のソニー)会長、相談役など歴任(田島道治 - Wikipedia参照)

*10:台湾軍司令官、参謀次長、陸軍教育総監など歴任

*11:犬養内閣陸軍大臣、第1次近衛、平沼内閣文部大臣など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放。

*12:満州事変当時の関東軍司令官。戦後、戦犯指定を苦にして自決。