今日の産経ニュース(2020年7月12日分)(追記あり)

【追記】
 鹿児島県知事選挙に関するちょっとした雑感 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの記事がご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】

◆そういえばテレ朝で家政夫のミタゾノ - Wikipediaてコメディがあったことを思いだした
 家政夫のミタゾノ - Wikipediaにも書いてありますが、この家政夫のミタゾノ - Wikipedia家政婦は見た! - Wikipediaや『家政婦は見た! - Wikipediaを元ネタとしたコメディ
家政婦のミタ - Wikipedia』を受けてのコメディです。
 で今回落選した三反園鹿児島県知事は

三反園訓 - Wikipedia
 1980年、テレビ朝日に入社し、政治部に配属される。自民党番記者時代は金丸信*1安倍晋太郎*2番記者を務めていた。その後は首相官邸自民党、大蔵省や外務省、防衛庁担当のキャップを歴任した後、テレビ朝日コメンテーター(解説委員)に就任。1990年代はニュースステーションの政治担当キャスターを務め、連日、国会記者会館からリポートしていた。一時期はスポーツ部に所属し、テレビ朝日で放送されていた大相撲ダイジェストを担当した。

と言うことで元テレ朝社員です。
 ドラマでの「ミタゾノ」は「三田園」だそうですが、実際は「三反園」から発想したのかもしれません。


自公推薦の現職敗れた鹿児島県知事選 政党全体への不信感 - 産経ニュース
 単に「三反園が不人気だった」だけでその不人気は「自公の三反園支持」では払拭できなかっただけの話でしょう。政党不信とかそう言う話では無い。そもそも敗戦したとは言え三反園も19万5千票ほど得票してるし、当選した塩田も地元の自民関係者が擁立したわけですから。


鹿児島知事に塩田氏初当選 自公推薦の現職ら6氏破る - 産経ニュース

 任期満了に伴う鹿児島県知事選は12日投開票の結果、新人で元九州経済産業局長・塩田康一氏(54)が、再選を目指した自民、公明推薦の現職・三反園訓氏(62)、元知事*3伊藤祐一郎氏(72)ら計6氏を破り初当選した。
 投票率は49・84%で、参院選との同日選となった前回2016年の投票率56・77%を下回った。

 過去に「明治維新大久保利通*4西郷隆盛*5」「元老の黒田清隆*6松方正義*7」「自民党副総裁の二階堂進*8」などといった大物保守政治家を生み出した「自民党王国・鹿児島」とはいえ、共産候補が「ら」扱いされてることが共産支持者として悲しいですがそれはさておき。
 この記事「だけ」でも色々なことが読み取れるかと思います。
 まず第一に「元九州経済産業局長」「前知事(知事在任中は自公が支持)」と言う塩田氏、伊藤氏の肩書きからは、この選挙がいわゆる「保守分裂選挙」であり、自民が現職の三反園氏を支持したとは言え、
1)そもそも三反園氏の初当選では彼は自民が支持する伊藤前知事を破っている
2)当選後は再稼働を事実上容認し批判を浴びたが、初当選した選挙では「川内原発再稼働反対」を訴え、野党各党や市民団体の支持も受けてる
ということで、
「三反園なんか非自民をアピールし、野党各党や市民団体の支援を受けて、自民が支持した伊藤前知事を落選させた人間で、そもそもよそ者じゃ無いか」と「三反園支持に不満を感じる鹿児島自民党関係者」がそれぞれ伊藤、塩田を擁立し、今回、塩田が当選したという話のわけです。
 ただし、この種の「保守分裂選挙」では

◆現職の鈴木俊一*9(自民東京都連が支持)が元NHKニュースキャスター磯村尚徳自民党中央が支持)を破り、当時の小沢*10自民党幹事長が引責辞任した1991年都知事
◆現職の小川洋*11(自民福岡県連や福岡選出だった古賀*12元幹事長、山崎*13元副総裁が支持)が元厚労省キャリア官僚・武内和久(自民党中央と福岡選出の麻生*14副総理・財務相が支持)を破った2019年福岡県知事選(分裂選挙 - Wikipedia参照)

など、普通は「自民が正式に支持した方」or「現職」が有利です。今回は「自民が正式に支持&現職=三反園」なので三反園が有利なように俺のような「県外の人間」からは見えます(鹿児島県民だと見え方は違うのかもしれませんが)。
 しかも投票率が前回を下回ればなおさら「自民が正式に支持した方」or「現職」が普通は有利なので正直びっくりです。「建前では塩田は自民支持候補では無い(それは勿論三反園です、とはいえ塩田を擁立したのは明らかに自民関係者ですが))」「再稼働公約を反故にした三反園が許せない」「知事在任中、自民の支持を公式に受けていた伊藤に比べれば自民カラーが薄そうに見える(とはいえ「繰り返しますが」塩田を擁立したのは明らかに自民関係者ですが)」ということで一部の野党支持者が塩田に投票し、それが結構大きかったんでしょうか。
 なお、選挙結果は

鹿児島県知事選 新人の塩田康一氏が現職らを破り初当選 | NHKニュース
・塩田康一、22万2676票。
三反園訓、19万5941票。
伊藤祐一郎、13万2732票。

であり、僅差での勝利でした。伊藤が立候補しなかった場合、どうなったかはわかりませんが、やはり塩田勝利という状況は変わらなかったでしょうね。
 「伊藤支持の多くは反三反園」でしょうから。単純に「伊藤票が全て塩田に向かった」と考えれば塩田圧勝ですし、そこまで行かなくても、伊藤票の多くが三反園へ向かい、三反園が巻き返したとは考えがたいでしょう。
 それにしても、「安倍の四選がまずあり得ない」「コロナ対応のまずさなどで安倍支持率が下降傾向」ということもこうした「分裂選挙&塩田当選」に関係するのか気になるところです(都知事選の分裂は明らかにリクルート疑惑で自民中央ががたついてると言う要素があったでしょうし)。
 第二に、候補者乱立で、あげく現職も敗れてるのに、前回投票率を大幅に下回ってるというのが興味深い。前回は「川内原発再稼働反対を訴える三反園(野党各党が支持)VS当時の現職・伊藤(自公が支持)」ということでそれなりに盛り上がった。
 しかし当選後、危惧されていたことですが三反園氏が再稼働を事実上容認し、今回は自民の支持まで公式に取り付けた。 
 ここで、野党各党が共闘候補として誰か立てられれば良かったのですが、それが出来なかったのは残念なところです。「俺の願望込み」ですが「三反園、伊藤、塩田」の分裂選挙なのだから、それなりの候補を共闘候補にすれば勝てずとも善戦できたのでは無いか。この点では「共産、社民が支持表明した宇都宮候補に後から乗ることしかできなかった」都知事選もそうですが最大野党・立民の無能さ、怠慢が腹立たしい。今回、立民は「自民系の伊藤」に相乗りしました(結局、野党としては共産だけが公式に党の候補を擁立した)。
 安倍長期政権は明らかに「旧民主党関係者の無能、怠慢が助長している」と言う面があります。もちろん社民、共産に責任がないとは言いませんが最も責任を問われるべきは「最大野党の旧民主」「対立候補を立てずにすぐに相乗りしたがる旧民主(この点、共産は対立候補を旧民主よりはずっと立てたがります)」でしょう。
 その結果、
1)自民、非自民の野党支持層にとって「当選しそうな非自民、反自民候補がいない(残念ながら共産候補を当選可能性があると言うことは出来ないでしょう)」「自民が正式に支持した三反園はもちろん支持しない。伊藤や塩田は勝利の可能性があるが、自民系候補で投票する気にならない」
2)自民支持層の側も「三反園、塩田、伊藤の誰でも、自民系で大して変わらないんだからわざわざ投票する気にならない」「分裂選挙といったところで政策的な対立なんか全然無いだろ」
ということで投票率が大幅ダウンなのでしょう。


公明代表が解散時期で注文 選挙協力「効果最大に」 - 産経ニュース

 公明党山口那津男代表は12日放送のBSテレ東番組で、衆院解散・総選挙の時期に関し「自民、公明両党の選挙協力で最大の効果が表れ、政権を維持できるようにしないといけない」と注文を付けた。今秋の解散には重ねて否定的な見解を示し、来年の通常国会会期末についても、党が重視する来夏の東京都議選と近いため「簡単ではない」と解散を困難視した。
 公明党は前回2017年の衆院選議席を大きく減らした。山口氏は「にわかに解散となり大変慌てた」と振り返った。

 確かにそれが本音ではあるでしょうが、「コロナが完全に収束するまでは解散すべきでは無い、東京で毎日感染者100人超過なんて今の状況では当面解散なんか考えるべきでは無い」ならまだしも、あるいは、自公幹部しかいない席ならまだしも、「とにかく自公にとって選挙に有利な時期に解散すればいい」と躊躇無く社会に公言できる辺り「公明党も劣化したもんだ」ですね。それとも「化けの皮が剥がれただけで昔からこのレベル」なのか。
 「コロナの影響」も公明にとっては「今解散するなんてコロナ予防をまともに考えてない」と国民に批判されたらかえって選挙に不利だとか、公明党員、創価学会員がコロナ感染を恐れて外出自粛したら選挙にならないとかその程度の理解しかしてないのでしょう。
 おそらく「解散がコロナ予防に悪影響を与えないかどうか」なんてことは公明にとってはどうでもいい。「医師など現場の人間がなんとかするから解散しても大丈夫だろ」位にしか多分思ってない。


【花田紀凱の週刊誌ウオッチング】〈779〉「生きてさえいれば希望がある」 - 産経ニュース

 「生きてさえいれば希望がある」という、香港デモのリーダーの一人、周庭(アグネス・チョウ)さんの言葉に涙しなかった人はいないだろう。

 いやいや「例の条例案が撤回されたとき」など、羽振りのいいときは「中国と安易な妥協はしない」「デモは今後も続ける」など「イケイケどんどん」な過激な発言していたくせに香港国家安全維持法が可決された途端に「生きてさえいれば希望がある」と言い出して政治活動からの撤退を言い出すなんて無責任&「先見の明が無い」にもほどがあるでしょう。
 「どんだけ手前、無能で無責任だよ!」という怒りの涙ならまだしも、周庭(アグネス・チョウ)みたいな「無能で無責任なバカ」に対しては同情だの共感だのかけらも出来ませんね。「死刑えん罪で獄中にいる人間」などがこう言うなら共感や同情も出来ますが。 


【昭和天皇の87年】国防めぐる天皇発言の波紋 「もう張りぼてにでも…」 - 産経ニュース
 この「張りぼて発言(野党やマスコミは俺に張りぼてになれ、何も話すなと言うのか)」、増原内奏問題 - Wikipediaで増原が野党やマスコミの批判で長官引責辞任に追い込まれたときの昭和天皇の逆切れ発言として有名です。入江相政日記 - Wikipediaに出てくる発言です。
 もちろん「憲法違反の疑いが濃厚な政治的発言はするな」と言ってるだけで誰も「話すな」「黙れ」「はりぼてになれ」などとは一言も言ってないので完全な逆切れですが。ただし「国家元首気取り」の昭和天皇にとっては「政治的発言するな」は「話すな」「黙れ」「はりぼてになれ」とイコールだったのでしょう。
 他にも昭和天皇の「内奏での政治的発言」としては例えば昭和天皇というのも、時代錯誤な人だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で紹介されている「昭和天皇蒋介石支持を」=国連代表権問題、佐藤*15首相に促す-日米文書で判明」などがあります。
 昭和天皇は最後まで「国家元首気取り」が抜けなかったわけです。

 昭和55年1月14日、昭和天皇は《侍従職御用掛天羽民雄(外務省情報文化局長)より国際情勢についての定例進講をお聴きになる。以後、この年の定例進講は、皇居あるいは那須御用邸において、月に一、二回の割合で計二十回行われる。進講内容は、アフガニスタン内戦へのソビエト連邦介入問題、オリンピックモスクワ大会への日本不参加、イラン・イラク戦争などに及ぶ》(昭和天皇実録56巻5~6頁)
 記憶力に優れた昭和天皇の、分析力や直感力は鋭い。アフガン内戦を進講した天羽に「ソ連は結局(アフガンを)とってしまうハラなんだろう」と話し、その意図を見抜いている。1982(昭和57)年のフォークランド紛争でも、当時の外務省情報文化局長に「(英首相の)サッチャーは軍艦をだすか」と尋ね、早くから軍事衝突を予見していた。

 産経が言うほど昭和天皇の発言が鋭いとは思いませんがそれはさておき。
 「天皇の政治的中立性」を考えれば「政治情勢の内奏&それに対する天皇発言」が極めて問題があることは言うまでも無いでしょう。
 例えば天羽が内奏したという「モスクワ大会への日本不参加」について適当に相づちを打つレベルならともかく、「日米関係を考えれば不参加は当然だ」なんて天皇が言っていたならば完全に違憲行為です。

参考

増原内奏問題 - Wikipedia
 1973年(昭和48年)5月26日、田中角栄*16内閣の増原惠吉*17防衛庁長官昭和天皇に「当面の防衛問題」について内奏した時、天皇は、「(ボーガス注:ソ連、中国と言った)近隣諸国に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。国会でなぜ問題になっているのか」と質問した。増原は「仰せの通りです。我が国は専守防衛で、野党に批判されるようなものではありません」と応答すると、昭和天皇は「防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことは真似せず、良いところは取り入れてしっかりやってほしい」と発言した。
 増原はこの内奏の後に記者会見でこの会話を公表し、「防衛二法(防衛庁設置法、自衛隊法)の審議を前に、勇気づけられた」と発言した。
 野党側は「憲法に反する天皇の政治利用である」との批判を行い、政治問題化した。5月29日に増原は引責辞任した(後任には、山中貞則*18が就任)。

昭和天皇を引き継いで繰り返される憲法違反の「内奏」 - アリの一言
 「内奏」とは、「上奏の前に、内閣などから人事・外交・議会関係などの重要案件を申し上げること」(後藤致人*19愛知学院大教授『内奏ー天皇と政治の近現代*20』(中公新書))です。そして「上奏」(「近衛上奏」など)とは、「天皇大権に対応する形で国家法の枠組みのなかに正式に位置づけられたもの」(同)です。
 つまり「内奏」と「上奏」はセットで明治憲法天皇大権を支える制度でした。したがって国民主権の新憲法のもとでは当然両方廃止されるべきでした。ところがー。
 「戦後、象徴天皇制になって上奏は消滅するが内奏は残る。昭和天皇が在位し続けたため、天皇がこの内奏という政治的慣習にこだわったことが大きかった。内奏は戦前以来、天皇の政治行為の重要な要素を構成しており、戦後象徴天皇制においても内奏が残ったことは、長期にわたる保守政権下、昭和天皇の政治力を残存させることになる」(後藤氏、前掲書)
 「内奏」は政府から天皇に報告するだけではありません。その際、天皇からの発言(宮内庁は御下問といいます)があるのがふつうです。そのやりとりは当然秘密にされますが、かつてそれが明るみに出て大問題になったことがあります。防衛庁長官(当時)の内奏にあたり昭和天皇が「(ボーガス注:ソ連、中国と言った)近隣諸国に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない」などと露骨な政治発言を行ったのです(いわゆる「増原防衛庁長官の内奏漏えい事件」1973年5月26日)。
 問題は、昭和天皇がこだわったこの悪しき「政治的慣習」が、明仁天皇にも引き継がれていることです。
 なぜ明仁天皇昭和天皇の「内奏」を引き継いだのでしょうか。昭和天皇が皇太子・明仁に直接「帝王教育」を施し、明仁氏は父・昭和天皇をモデルに「天皇像」をつくりあげてきたからです。
 「天皇のあり方については、(昭和天皇にー引用者)お接しした時に感じたことが大きな指針になっていると思います」(1989年8月4日、即位後の記者会見)
 「内奏」については、「昭和天皇は、内奏の一部を皇太子明仁に見せることにより、戦後政治における天皇と内閣・行政機関の有り様を教えようとしていた」(後藤氏、前掲書)のです。
 「知事の奏上(昭和天皇に対する内奏ー引用者)に毎年陪席しているわけですが…(昭和天皇が)よく知事にお聞きになっていらっしゃるのを、非常に印象深く感じたことがあります」(1978年12月21日、皇太子時代、45歳の誕生日の会見)
 明仁天皇が「内奏」の際に政府(首相)とどういうやりとりをしているかは不明です。しかし、「『内奏』の慣行は、過去の上奏等を彷彿させ、天皇がいまなお統治の中枢にあるかのような印象を生み出している」(横田耕一*21九州大名誉教授『憲法天皇*22』(岩波新書))ことは明らかです。

天皇陛下への「内奏」 野党が写真公表批判 「天皇の政治利用だ」 - 毎日新聞
 天皇陛下に対する安倍晋三首相の国政報告「内奏」の写真を宮内庁が14日に公表したことを野党が批判している。立憲民主党など主要野党の国対委員長は15日、国会内で会談し、「天皇の政治利用だ」との認識で一致した。

首相の内奏映像公開「説明なければ政治利用の批判免れない」国民 玉木氏 | 注目の発言集 | NHK政治マガジン
 安倍総理大臣が天皇陛下に行った内奏の様子の映像が公開されたことについて、国民民主党の玉木代表は「説明責任を果たさないのであれば、政治利用という批判を免れない」と指摘し、公開の理由などの説明が必要だという認識を示しました。

【風を読む】君臣水魚の交わりを 論説副委員長・榊原智 - 産経ニュース
天皇陛下に対する安倍晋三首相の内奏の様子が公開されたことに、野党の一部から「天皇の政治利用」ではないかと批判の声が出ている。
憲法立憲君主制をとる。君主がいれば臣がいるのは当たり前で、憲法に書いてある通り、首相は「内閣総理大臣」で閣僚は「大臣」だ。国民主権や民主主義となんら矛盾しない。
・首相や閣僚が内奏によって国内外の情勢や国政の重要課題を、陛下に報告申し上げるのは、日本の国柄、政体からいっても極めて大切なことだ。「知ろしめす」ことが、君主としての天皇のありようだからである。
 平成25年12月に、内奏の写真が初めて公開されたが問題化していない。ところが今回、国民民主党玉木雄一郎代表は記者会見で、公開が首相官邸の指示だったのか質(ただ)す考えを示し、「取り方によっては政治利用になる。大きな政治的意義を含んでくるので、本来慎重に扱うべきだ」と述べた。共産党穀田恵二国対委員長は会見で、政治利用に当たるとして批判した。
・党派的立場を持たない、国民統合の象徴である陛下が内奏の場で、首相らに、命令でなく質問などの形で考えや助言を示されることも当然だ。権力を振るわれない立憲君主の役割だからである。皇位の安定継承の確保という重要事が控えている。陛下と首相は内奏などの機会をなるべく多く重ね、「君臣水魚の交わり」をしてほしい。

 予想の範囲内ですがいつもながら産経は無茶苦茶です。

天皇陛下に対する総理内奏に関する記事について - 宮内庁
 令和元年5月16日付けの毎日新聞朝刊は,同14日の天皇陛下への総理の「内奏」を報じる記事の中で,「関係者によると,首相は『前の天皇陛下はいつも座ったままだったが,今の陛下は部屋のドアまで送って下さって大変恐縮した』と話した。」と伝えています。
 総理の内奏は,天皇陛下と総理二人だけの行事であり,他に同席する者はなく,その内容も室内の様子も外からは分かりませんが,「前の天皇陛下」すなわち上皇陛下が,座ったまま総理をお見送りになることはあり得ません。上皇陛下は,行事に際し,宮内庁職員に対しても必ず席を立って挨拶をお受けになっており,外から来られた方を座ったまま出迎え,見送られた例は,相手が誰であれ一度もなかったと思います。
 閣僚の内奏については,皇室と国政との関係から,昭和時代には閣僚の内奏後に問題が起こり,閣僚が辞任した例*23もありましたが,上皇陛下はこのようなことがないよう毎回細心の注意を払われ,いわば儀式に準ずるものとして臨まれてきました。そうした背景から,宮内庁としても総理内奏を慎重に取り扱い,その様子を初めて映像公開したのも上皇陛下が80歳をお迎えになってからのことでした。なお,この映像でも,勿論,上皇陛下は席をお立ちになって総理をお迎えになっています。
 この度の記事は,上皇陛下が座ったままお見送りになったとの総理発言を内容とするもので,上皇陛下のこれまでの人々へのご対応とは大きく異なるものであるため,宮内庁は,官邸に記事内容の事実確認を求めましたが,総理は記事にあるような発言はしていないという回答でした。
 毎日新聞社は取材に基づいて報じたものと思いますが,結果として,総理発言に基づかない上皇陛下への非礼となる内容となっていることから,去る5月20日宮内庁次長会見において,以上の経過を宮内記者会に説明するとともに,ホームページに掲載することにしました。

【皇室ウイークリー】(638)陛下、首相から「内奏」お受けに 秋篠宮ご夫妻、感染症対策ご提案 - 産経ニュース
 陛下は22日、皇居・宮殿「鳳凰の間」で、安倍晋三首相から、国内外の情勢について説明を聞く「内奏」を受けられた。内奏には陛下の側近である侍従らも同席せず、内容は原則、公表されない。陛下のお考えなどが明らかにされることで「天皇の政治利用」につながるのを避けるためで、昭和48年には田中角栄内閣の防衛庁(当時)の増原恵吉長官(同)が昭和天皇への内奏の内容を記者団に漏らし、辞任に追い込まれたこともある。

 さすがに前天皇も現天皇も内奏に対し昭和天皇ほど無神経な政治的発言はしてないでしょうが、憲法上問題があることは確かです。

*1:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣副総理、副総裁(宮沢総裁時代)など歴任

*2:三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党総務会長(中曽根総裁時代)、幹事長(竹下総裁時代)など歴任

*3:元知事と書くより「前知事」と書く方が適切かと思います。

*4:参議、大蔵卿、内務卿を歴任。紀尾井坂の変で暗殺される

*5:参議、陸軍大将、近衛都督を歴任。征韓論論争で大久保らに敗れて下野。その後西南戦争を起こし敗北し自決

*6:第1次伊藤内閣農商務相、首相、第2次伊藤内閣逓信相、枢密院議長など歴任

*7:大蔵卿、首相、第1次伊藤、黒田、第1次山県、第2次伊藤、第2次山県内閣蔵相、内大臣など歴任

*8:佐藤内閣科学技術庁長官(北海道開発庁長官兼務)、田中内閣官房長官自民党幹事長(田中総裁時代)、総務会長(鈴木総裁時代)、幹事長、副総裁(中曽根総裁時代)など歴任

*9:自治事務次官、岸内閣官房副長官東京都副知事東龍太郎知事時代)、日本万国博覧会事務総長、首都高速道路公団理事長などを経て都知事鈴木俊一 (東京都知事) - Wikipedia参照)

*10:中曽根内閣自治相・国家公安委員長自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党幹事長、「生活の党」代表など歴任

*11:通産省近畿通商産業局長、特許庁長官などを経て福岡県知事

*12:橋本内閣運輸相、自民党国対委員長(小渕総裁時代)、幹事長(森総裁時代)、選対委員長(福田、麻生総裁時代)など歴任

*13:宇野内閣防衛庁長官、宮沢内閣建設相、自民党国対委員長(河野総裁時代)、政調会長(橋本総裁時代)、幹事長、副総裁(小泉総裁時代)など歴任

*14:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*15:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*16:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*17:池田、佐藤内閣行政管理庁長官、佐藤、田中内閣防衛庁長官など歴任

*18:佐藤内閣環境庁長官沖縄開発庁長官、田中内閣防衛庁長官自民党政調会長(田中総裁時代)、中曽根内閣通産相など歴任

*19:著書『昭和天皇と近現代日本』(2003年、吉川弘文館)など

*20:2010年刊行

*21:著書『自民党改憲草案を読む』(2014年、新教出版社)など

*22:1990年刊行

*23:田中内閣での増原防衛庁長官辞任のこと