今日の産経ニュースほか(2019年8月26日分)

安倍政権、歴代最長の意義 屋山太郎(政治評論家) « 国基研ろんだん 国基研ろんだん « 公益財団法人 国家基本問題研究所
 この屋山の文章で俺的に一番滑稽なのは「安倍政権下での功績(?)」でも屋山が興味がない*1、あるいはそれどころか「安倍の方向性」に反対していることについては何一つ触れずにスルーしてるところです。
 具体的には「働き方改革法」「入管法改定(移民受け入れにシフト)」「歴代政権よりも一層ロシア支援に傾斜した対露外交」「一帯一路参加表明」などといったところですが。


大河ドラマ「いだてん」を見て思ったこと
 登場人物(役所広司演じる嘉納治五郎*2阿部サダヲ演じる田畑政治*3など)ら曰く「国際連盟脱退のデメリットを1940年東京五輪で挽回する!」だそうです(本当か、ドラマの脚色か知りませんが)。
 実際「誘致できたこと(結局、日中戦争を理由に辞退しましたが)」を考えれば「日中戦争や連盟脱退での日本批判」は五輪招致の大きな障害にはならなかったわけです。「戦争してる国が開催国とか、どこが平和の祭典なんや?」と改めて思います。
 「誘致できてしまったこと」は「アメリカなど一部の国が因縁つけてるだけなんだ」「日本は国際社会から孤立していない」という日本政府、日本社会の勘違いを助長し、太平洋戦争を結果的に準備したのかもしれません。
 そして「制作サイドにそうした問題意識があるかどうかはともかく」あのドラマ見てると「中国と戦争してるのに脳天気に五輪招致か?、あいつらバカなのか?(阿部はいつものコメディー演技なので余計そう感じる)」「太平洋戦争初期は一応勝利してたし、当時の日本人って米軍の本土空襲が始まるまでは本当に戦争を甘く考えてたんだろうな。戦争で酷い目に遭ったのもある意味『自業自得』なんだろうな」感が半端ないですね。
【追記】
 今日の朝鮮・韓国ニュース(2019年7/29分) - bogus-simotukareのブログで触れたことがある田畑の日本オリンピック委員会JOC)総務主事辞任劇(東京五輪開催前)を今後「いだてん」はどう描くのかなという気はします。重要登場人物の田畑の辞任劇というのは「絵になる場面」ではあるのですが、
1)話が複雑で描きにくい
2)政治的にデリケートな問題(当時、親「共産中国*4」だったインドネシアスカルノ政権がアジア大会で台湾の出場を拒否したこと、それに対し、インドネシアとの関係に配慮した田畑が日本のアジア大会出場を決定したが、台湾との関係や東京五輪招致に与える影響も考慮して、その後、役職を辞任)
ですのでねえ。


「連合政権」へ協議入り要請 共産が野党各党へ - 産経ニュース
 まあ、これだけでは志位氏の思惑はなんとも言えません。全く政権参加を考えてないわけでもないでしょうが、「参院選京都選挙区、大阪選挙区」で露呈された枝野*5立民の反共体質はよく分かってるでしょうから「我々は共闘をする気があるのに枝野側にやる気がない(実際そうだと思いますが)」と批判するための「下準備」の気がしないでもありません。
 正直、枝野立民を盲従するような輩には共産支持者として心底怒りを禁じ得ません。


埼玉知事選「最後の2日でやられた」 与党総力戦も浸透しきれず - 産経ニュース

 埼玉は立憲民主党枝野幸男代表(衆院埼玉5区)のおひざ元。

 枝野は埼玉選出とは言え決して選挙に強くないし、立民が埼玉に強い地盤があるわけでもない。「枝野のお膝元」云々は全く関係ないでしょう。

 大野氏は自民党支持層の約3割を取り込んだ。

 別記事でも書きましたが大野は「大野元美・元川口市長(自民党)の孫」で自民党川口支部は確か自主投票を決めています。それが勝敗において無視できない影響を与えたという事なのでしょう。だからこそ、俺も「青島当選よりはマシ」と言っても大野を手放しで評価は出来ないわけですが。

補選出馬が取り沙汰される上田氏

 危惧はしてましたが「上田も見返りなしでは大野支持表明はせんよなあ」「ああ、やっぱ、その可能性あるか」ですね。勘弁してほしいですね。さすがにいくら何でも上田が「国民民主から補選出馬」だったら、共産の相乗りを俺も支持しません。いくら野党共闘が大事とは言え「極右の上田」はない。

 仮に自民党が3年後に関口氏と補選候補の2人を擁立すれば、改選4議席をめぐり公明党はこれまで以上に激戦を余儀なくされる。公明党幹部は早くもこう牽制した。
 「3年後に自民が候補を2人出さないことは自公の間の約束。補選の対応を決める上で、この原則は崩せない」

 まあ公明的にはそうなるんでしょうが「3年後は出馬しない」なんて条件で候補になってくれる人間がいるのかどうか。自民的には「なら公明党が今回の補選候補者を説得して下さい」「公明が何かお土産出せばそいつも納得するんじゃないですか?」でしょうね。「自民2、公明1で3議席とればいい」やそこまでいかなくても「将来のことは後で考えよう」で公明が自民に押し切られる可能性もあるのではないか。


【野党ウオッチ】抑止力を軽視する野党 古代ローマ帝国の失敗に学べ(1/4ページ) - 産経ニュース
 時代背景が違うので馬鹿馬鹿しい。
 時代背景を無視すれば「軍拡した旧ソ連は経済破綻で崩壊した」「軍拡したナチドイツや戦前日本は無謀な戦争で破滅した」として「だから今の日本も軍拡すべきではない」として軍拡批判もできるわけです。勿論産経はそうした主張には「時代背景が違う」というのでしょうが古代ローマ帝国なんぞ持ち出すよりはまだ説得力があるでしょう。


【主張】昭和天皇と戦争 反省と再軍備に矛盾ない - 産経ニュース
 いや矛盾はありますよね。反省してないからこんなことが言えるわけです。
 つうか、それ以前にまともな人間なら誰かから意見を聞かれても「私は日本を亡国の淵に追い込んだ無能な男だ。象徴でもあるし、いかなる場合でも政治的発言はしないと心に決めています」と言って黙りでしょうよ。それが誰からも意見を聞かれてないのに自分からこんなこと公言したあげく、田島宮内庁長官から「それは象徴天皇制度に反します」とダメ出しされたと言うんだから昭和天皇も呆れたバカです。
 そして昭和天皇の場合、「言葉の綾発言」「沖縄メッセージ」とかどう見ても戦争を反省してるとは思えない言動しかないですからね。
 つうか「昭和天皇が存命だった頃」ならともかく今更昭和天皇の評価が落ちようが、「今の天皇制には直接影響しない*6」でしょうに産経も無理して昭和天皇をかばうもんです。富田メモや今回の田島日記が表に出たのも、もはや昭和天皇が世間にどう評価されようとも「現上皇や現天皇昭和天皇並の非常識ウヨ」でない限り天皇制それ自体の存廃論にはあまり影響しないという判断があったからでしょう。

 27年5月の日本の主権回復を祝う式典でのお言葉をめぐって、昭和天皇先の大戦について「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(同年1月11日)など、悔恨の念を盛り込みたい意向を示された。だが、当時の吉田茂*7首相らの反対で草案から削られた経緯が分かった。

 勿論うかつなことを天皇が言うと「北の国から'92巣立ち」 - 日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog菅原文太「誠意って何かね」のように

「あんたはさっきから反省と言っている。あんたにとってこの『お言葉』が精一杯の反省かもしれんが、こっちの側からは反省にとれん。反省って何かね?」

と言う突っ込みが昭和天皇批判派から来かねないことを吉田は恐れたわけです。そこで天皇が悪名高い「言葉の綾発言」のような失言をして、批判派の怒りや反発に「火に油を注いだら」尻拭いするのは吉田です。
 吉田にしてみれば「手前、安易に反省とか抜かしてんじゃねえよ!」「反省するなら退位しろ(ドラマ『家なき子』の安達祐実『同情するなら金をくれ』風に)と言われたらどうする気なんだ!」などという反発があったでしょう。

 昭和天皇は、領土の一部を失ったことや、戦死傷者や日本への未帰還者など戦争の犠牲者のことを思われ、主権回復について「少シモ喜ブベキデナイ」(26年7月26日)と、複雑な心境も語られていた。

 まあ、主権回復時点(1952年)では小笠原(1968年返還)と沖縄(1972年返還)が米国領ですからね。そして北方領土は今もロシア領です。そりゃ手放しでは喜べないでしょう。
 ちなみに他にも失われた領土としては「植民地としての南樺太、台湾、朝鮮」があります。

 ご自身の戦争への反省、悔恨の念に加え、軍や政府、国民についても「下克上(げこくじょう)とか軍部の専横を見逃す」(27年2月20日)など「皆反省して繰返したくないものだ」(同)とも述べられていた。

 以前も別記事で書きましたが「下克上だから何も出来なかった」などと嘘をついて軍に責任転嫁してる時点で昭和天皇の反省はウソです。これについては以前も高世仁に突っ込む(2019年8/21分) - bogus-simotukareのブログで書きましたが、昭和天皇の「下克上だから何も出来なかった」がウソであることについては、「昭和天皇の戦争責任追及」をライフワークとする山田朗氏の著書

・『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版
・『遅すぎた聖断:昭和天皇の戦争指導と戦争責任』(纐纈厚氏との共著、1991年、昭和出版
・『徹底検証・昭和天皇「独白録」』(藤原彰・粟屋憲太郎・吉田裕氏との共著、1991年、大月書店)
・『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社
・『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房
・『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店) 
・『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社

をお読み頂ければ分かるかと思います。大体、下克上だったら「終戦の聖断」なんてあるわけないでしょう。

 昭和天皇は、この現実的な安全保障観を吉田首相に伝えようとされた。日本の平和と国民の安全に心を砕かれていたからだ。天皇は「国政に関する権能を有しない」(憲法第4条)が、現憲法でも日本の立憲君主である。命令ではないお考えを首相に内々に伝えることまで禁じられると解するのは行き過ぎだ。田島長官のいさめで実現しなかったのは残念だった。

 「産経はアホか」ですね。田島長官の苦言は当然の行為であり、昭和天皇の行為は違憲行為です。
 大体「象徴になることで戦犯としての訴追から逃れた」のにそれを無視して政治的発言とは「国家元首だった戦前と、象徴になった戦後の区別がついてないのか」つう話です。
 まあ田島からこういう苦言があってもその後も性懲りもなく「政治的発言」をするバカが昭和天皇であることについては例えば
今日の産経ニュースほか(7/31分)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
昭和天皇というのも、時代錯誤な人だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)をご覧下さい。まあ、佐藤*8に「国連代表権問題では台湾支持でお願いしたい」といってもおそらく無視されたように、吉田に何か言っても、適当にあしらわれてそれで終わりでしょうが。戦前と違い天皇には政治権力がないですからね。
 大体「命令ではないお考えを首相に内々に伝えることまで禁じられると解するのは行き過ぎだ」てこれが「日中友好のためにも是非訪中したい*9。国内に訪中反対意見もあると聞くが宮沢*10首相や渡辺*11外相には訪中実現に向けて頑張ってほしい(天皇時代に実際に訪中した今の上皇)」でも「憲法上、何の問題もない」「当時の天皇陛下(今の上皇陛下)が日本の平和と国民の安全に心を砕かれていたからだ、日中友好は現実的な安全保障観だ、天皇発言はむしろ当然のことだ」と産経は言えるのか。おそらく言えないでしょう。
 まあいずれにせよ上皇が「天皇時代に訪中したこと」に内心では上皇に対して「ふざけんな!」と怒り心頭でしょうが建前上それは産経らウヨには言えないわけです。結果、表向きは「宮沢首相や渡辺外相が悪い」程度のことしか言えない。

【参考:天皇訪中】

保守派の反対論、官邸が説得 天皇訪中(平成4年) :日本経済新聞
 「人々の温かい歓迎を懐かしく思い出します」。
 天皇陛下は今年5月、来日した李克強*12(リー・クォーチャン)首相との懇談でご自身の92年の訪中に触れられた。李氏も「日中関係において極めて重要な出来事で、中国人民は今でもよく覚えています」と応じた。
 もともと中国側は天皇訪中の実現に熱心だった。1978年に来日した当時のトウ小平*13副首相は戦後初めて中国指導者として昭和天皇と会見した。その後、日本側に重ねて天皇訪中を招請していた。
 昭和天皇の時代は難しかったが、1989年の代替わりが好機となった。1992年1月の北京での日中外相会談では天皇訪中を促す銭*14外相に、宮沢喜一内閣の外相だった渡辺美智雄氏が「政府内部で真剣に検討する」と踏み込んで応じた。
 8年後、オランダを訪問した天皇陛下は当時駐オランダ大使だった池田氏*15に「(1992年の)中国訪問は良かったと思いますか」とお尋ねになられたという。後年も気に懸けられていたようだ。

元外交官が明かす天皇陛下海外訪問の意味——池田維・霞山会理事長に聞く | nippon.com
■池田
 実は、2000年のオランダ訪問最終日の朝、天皇陛下が私に対して「池田さんは、中国訪問の時はいろいろ働いてくれましたね。(私の)中国訪問は、良かったと思いますか」と尋ねられました。天皇陛下から、そのような質問があることは大変珍しいことです。
 私は「行っていただいたことは良かったと思います。当時の宮沢内閣の決定でした」とお答えしました。この会話は、ずっと胸の中に秘めていましたが、平成の時代が間もなく終わるいま、訪中から20数年間を経過しており、公に知ってもらってもいいことではないかと思って語るようにしています。


リベラル21 「星々之火 可以燎原」香港が訴えるもの

 犯罪容疑者を中国へ引き渡すことを可能とする「逃亡犯条令」改正案に反対するデモが始まったのは6月9日だった。じつは恥ずかしながら、現行法では、香港は大陸へ容疑者を引き渡さないことを私は知らなかった。1997年のいわゆる香港返還で、香港は英国の植民地から中国の「特別行政区」となった以上、そのようなそれ以前の法的遺産はとっくにしかるべく修正されたものと思っていた。

 「自称チベット支援者」Mukkeの「俺、実はプンワン(プンツォク・ワンギャル)のこと知らないんだ」並のアホ発言と言っていいでしょう。あまりにも馬鹿馬鹿しいので吹き出しました。この俺の「プッ」(思わず吹き出す)、「ククク、ヒヒヒヒ、アハハハ」(こらえきれない笑い)、「ゲフンゲフン」(笑いすぎて咳き込み)という体験を皆様にも是非体験してほしい。でもそういうと田畑とリベラル21は「馬鹿にするな」「無知を認めることの何が悪い!」「そんなことより香港デモと対決する香港当局や中国指導部でも批判しろ!」と怒り出すんでしょうか。しかしいくら何でも「公言することが許される無知のレベル」ってもんがあるでしょうよ。
 よくもまあ、

■田畑光永ウィキペディア参照)
東京外国語大学国語学部中国語学科卒業後、1960年、TBSに記者として入社。中国政治を主たる専門領域とし、1972年の田中角栄*16首相の日中国交正常化の際にも同行取材を行った。
・TBS北京支局長、香港支局長などを歴任
・著書『中国を知る』(1990年、岩波ジュニア新書)、『トウ小平の遺産』(1995年、岩波新書
・妻の田畑佐和子(東京外国語大学国語学部中国語学科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科中国文学専攻修士課程修了)は、元岩波書店の編集者として岩波中国語辞典、岩波日中辞典編纂や孫玄齢『中国の音楽世界』(1990年、岩波新書)刊行に携わった。岩波退社後は中国文学の研究者。

ということで中国ウオッチャー面している男が「俺、実は香港デモが起こるまでは、中国へ犯罪者が当然に引き渡されると思っていたんだ。だからデモが起こってびっくりした」と、ここまで恥ずかしいことをためらいなくよくも言えたもんです。
 たとえるなら

・『俺、中国や韓国が何で首相靖国参拝に抗議するのか理由が分からなかった。靖国A級戦犯が合祀されてるって最近まで知らなかった』とマスコミ政治部記者が言う

レベルの恥ずかしさでしょう。
 そしてリベラル21もよくもまあこんな恥ずかしい文章を掲載できたもんです。
 「最近の田畑の中国知識てアップデートされてないで古い疑いがあるよね」「いやそもそも昔の田畑の中国評価だってどこまで信用できるの?。アップデート云々じゃなくてもともと中国ウオッチャーとしての能力に欠ける人なんじゃないの?」「こんなアホな田畑の文章を掲載してるリベラル21って評価できるの?」と思われる疑いが強いでしょうに。つうか、俺はそう思ってますが。

*1:ウヨの屋山は基本的に「教基法改定(第一次安倍政権)」「改憲」のようなウヨ的なことにしか興味がありません。

*2:講道館柔道創始者東京高等師範学校(東京教育大学を経て現在の筑波大学)校長、旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長、大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)会長、IOC委員など歴任

*3:朝日新聞政治経済部長、日本水泳連盟会長、JOC委員長など歴任

*4:この時点では国連代表権を持っていた「中国」は台湾中華民国です。

*5:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表

*6:例えば、山田朗昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、吉田裕『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書) など多くの昭和天皇批判書が彼の死後刊行されたのもそういうことです(井上清天皇の戦争責任』(1975年、現代評論社→後に2004年、岩波現代文庫 )のように昭和天皇生前から批判書自体はありますが)。

*7:東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*8:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相などを経て首相

*9:上皇が訪中が正式決定される前にそうした発言をしたか知りませんが。もちろん「仮にしていたのならば」それも立派な(?)違憲行為です。

*10:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*11:福田内閣厚生相、大平内閣農水相、鈴木内閣蔵相、中曽根内閣通産相自民党政調会長(中曽根、竹下総裁時代)、宮沢内閣副総理・外相など歴任

*12:共青団中央書記処第一書記、河南省長・党委員会書記、遼寧省党委員会書記、第一副首相などを経て首相(党中央政治局常務委員兼務)

*13:党副主席、副首相、人民解放軍総参謀長などを経て国家中央軍事委員会主席、党中央軍事委員会主席

*14:外相在任中に「中ソ国交正常化(1991年)」「中韓国交正常化、天皇訪中(1992年)」を実現。

*15:外務省アジア局長、官房長、駐オランダ大使、駐ブラジル大使、交流協会台北事務所代表など歴任

*16:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相