『ライプツィヒの夏』記事について色々感想

【最初に追記】
 世の中自殺をふくむ極端な行動をとる人は、発達障害や精神障害の場合が多そうだ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で拙記事をご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】

 愛読しているライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の比較的最近の記事について色々感想を書いてみます。
あまりに無残で言葉もない(逃げることは、いろいろ重要だと思う) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020-12-15
 「学校のいじめ」「企業のパワハラ」などでも「自殺するくらいなら転校、退社した方がまだ良い。この世から逃げるよりはマシだ」とはよく言われることです。
 まあ、この記事で取り上げられてる事例とはまた性格が違いますが「横田滋氏は蓮池透氏のように家族会と救う会から逃げれば良かったのに」とは思います。
 まあ、「家族(実弟蓮池薫氏など)が必ずしも家族会、救う会に好意的ではない蓮池氏」と「家族(妻子)が家族会や救う会とズブズブの横田氏」では立場が違いましたが、まあ、性格的な面も明らかにありますよね。どう見ても横田氏は優柔不断でした。
 失礼ながら、正直「日銀マンでなく、一般の銀行員ではアレでは務まらないのではないか?」とすら思いました。
 「半沢直樹」でも分かるように、借り手の中には酷い連中というのは当然いますから。


世の中自殺をふくむ極端な行動をとる人は、発達障害や精神障害の場合が多そうだ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020-12-04
 まあ実際どうなのかは今となってはわかりません。滅多なことは故人の名誉を考えれば言うべきでもないとは思います。
 ただこの記事を読んでいた小生が連想したのは「暴力事件など度重なる不祥事の結果、吉本を解雇された横山やすし」ですね。

世の中自殺をふくむ極端な行動をとる人は、発達障害や精神障害の場合が多そうだ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
①すぐカッとなる
④欲しいものがあるとすぐに買ってしまう
⑤お金をすぐに使ってしまい、貯金が出来ない
⑦計画を立てて行動ができない(思い付きで行動する)

なんてのは

横山やすし - Wikipedia参照
◆逸話
◆短気な性格
・短気で怒りっぽい性格であり、自分が納得行かないことがあれば番組中に激怒*1したり、番組途中で帰ったりする行動がしばしば見受けられた。
・1982年の秋から、日本テレビ久米宏TVスクランブル』のコメンテーターとしてレギュラー出演していたが、コメントの最中にコマーシャルを挟まれたことに立腹し、「今日は黙秘権」と一言発し、まったくしゃべらなかったこともある。
・ノックら横山会(横山エンタツ以来の横山姓芸人の一門会)が中田ダイマル・ラケットのテレビ出演を見ていた時、ノックが「さすがにダイラケ先生も衰えたなあ」と語っていたところ、やすしが激怒し、「誰や!、今ダイラケ先生が衰えたなあと言うたんは?」と怒鳴りだし、なだめようとしたノックに対して「お前か!、このハゲ!。ダイラケ先生の悪口言う奴は許さんぞ!、ボケ!」と暴言を吐いた。やすしが中田ダイマル・ラケットを尊敬していたからであるが、中田ダイマル・ラケットはノックの先輩芸人であり、ノックの失言であったこともあり、ノックはやすしの師匠ではあるが、破門は免れた。
◆桁外れの金遣いの荒さ
・全盛期の年収は5億円以上あったというが、初代桂春団治藤山寛美のように金遣いが荒かった。ボート、セスナ機購入などで借金が膨らみ、差し押さえを受けたこともあった。金使いが荒かったのは、春團治と寛美に憧れていたからだとされる。
◆電話魔
 弟子である横山たかし・ひろし横山ひろしは、弟子を卒業し、一本立ちしてからも電話魔ぶりに悩まされたといい、「どこにおるんじゃ!、ボケ」の一言で呼び出されたり、電話口で「はい、そうですね」と応じていると「ほんでな、コラお前ちゃんと聞いてるんか!?」と突如逆上されたりしたという。

に見事に該当します(電話魔なんてのは⑦に該当するんじゃないか)。
 正直、やすしの不祥事は一回や二回ではない。不祥事が起こるたびに「謹慎処分」などの一定の罰を科したとはいえ明らかに「売れっ子芸人やすし」を吉本は必死にかばっていました。やすしほどの売れっ子でなければとっくの昔に解雇でしょう。
 しかし、それでも不祥事を重ね、我慢の限界に来た吉本が彼を解雇するというのは尋常ではない。
 小林信彦『天才伝説 横山やすし*2』(文春文庫) において「小林小説『唐獅子株式会社』がやすし主演で1983年に映画化されたこと」でやすしと一定の付き合いが生じた作家の小林も「二度とやすしとは付き合いたくないと思った」と言うのだから相当酷いのでしょう。1980年代はともかく、現在の視点ではもはや「発達障害精神障害が疑われるレベル」でしょう。
 小林本によれば、どうもやすしも自分の問題点をさすがに自覚はしていたようで、後で冷静になると小林に「この間は済みませんでした」と詫びたそうですが、詫びた後で似たり寄ったりのこと(ウィキペディア横山やすし』に書かれている粗暴な言動や電話魔など)を繰り返すのだからどうしようもない。
 まあ、やすしが仮に、発達障害精神障害だからといって彼の無茶苦茶が許されるわけでもありませんが、とはいえ、
1)当時、「今のレベル」にそうした問題への理解があって
2)周囲がそうした医療ケアをやすしにしていれば
やすしの晩年も「吉本解雇(1989年)」「アルコール依存症による肝不全での死去(1996年、享年56歳)」というあんなにも悲劇的にはならなかったのではないかという気はします。吉本解雇当時(1989年)の扱いは「思い上がったわがままな芸能人」という扱いでしかないですからね。
 何せやすしは「結婚して子どもも居る」「相方・西川きよしとともに漫才をやり人気芸人となる」「(やすしにあきれ果て逃げ出した人間が多いとはいえ)弟子もいる」(つまり幻聴、幻覚などで日常生活それ自体が不可能なわけではない)ので「精神病に対する認識が今ほど進んでない1980年代当時」ではやすしの異常性は「病気」とは認識されがたいわけです。

*1:まあ本当に激怒し、その感情を表に出しても大抵の人間は「番組をぶち壊さない程度の配慮」はしますが、それがやすしにはできないわけです。

*2:手元に本がないのでうろ覚えで書いていますが