日本社会の「加害者バッシング」に改めて呆れる

【池袋暴走事故】“上級国民バッシング”再び、加害者家族の支援をしてわかったこと | 週刊女性PRIME阿部恭子
 以前も加害者支援に取り組む阿部恭子氏*1については今日の産経ニュース(2019年5月24日分)(松本清張「女囚」のネタバレがあります)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ今日の産経ニュースほか(2020年6月30日分) - bogus-simotukareのブログで紹介しましたが、良記事だと思います。こうした記事を掲載した週刊女性主婦と生活社)も高く評価したい。そういえば島田洋一批判記事を掲載したのも、「女性自身」(光文社)という女性誌でしたし、「一部の女性誌」は「テレビ局」なんかよりよほど「社会問題に敏感」ではないか(いいかげん家族会も、島田洋一に対して苦言くらいは呈したらどうか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。
 それはともかく、確かに「ブレーキとアクセルの踏み間違えなどしていない*2」という被告の主張には疑念を感じます。
 ただし、仮に「事実に反する言明」だとしても、それが「罪を逃れるための虚言」と決めつけるのはいかがな物か。
 「主観的には真実」という可能性は充分ある。そしてその場合においてマスコミなどがつるし上げても、「俺に嘘をつけというのか!」という反発しか被告からは出てこないでしょう。
 というか、真に被告が「計算高い人間」ならむしろこういうことはしないでしょう。検察の主張を全否定した場合、「それが事実でない」なら裁判所に「事実でない→無反省」となって実刑になる可能性すらあるのではないか。
 真に被告が「計算高い人間」ならむしろ「申し訳ないことをした」「賠償金支払いにはきちんと応じたい」などと平謝りに謝り、家族や知人が「もう二度と運転させない」と情状酌量を求めるでしょう。
 やはり「主観的には真実」だろうと思います。こういうことを根拠レスで決めつけるのは「よくはありません」がもしかしたら、認知症が入っているのかもしれない。
 そして、阿部氏も書くように、マスコミのつるし上げ報道は往々にして「報道に煽られたバカの嫌がらせ行為(嫌がらせの手紙や電話)」を招く危険性がある(実際、今回の件でもあったようです)。
 加害者家族が大いに迷惑すると言うことです。しかも今回は「冤罪の可能性はない」でしょうが、冤罪ケースは勿論あり得る。
 冤罪ケースでマスコミが無罪主張を「無反省」と叩き、バカが煽られて、嫌がらせなんて最悪です。
 例えば脚注で触れましたが映画化もされた池井戸潤小説『空飛ぶタイヤ』(講談社文庫)のモデルとなった三菱自動車工業事件なんかがそうですよね。小説内においても「過失運転なんかした覚えはない」と主張した運転者はマスコミから「居直りだ」とバッシングを受けて「自動車会社のリコール隠しが発覚して無実が証明されるまでは」酷い目に遭います。
 やはり「日本マスコミの犯罪報道」は未だに「犯罪報道の犯罪」(浅野健一講談社文庫)だろうと思います。日本マスコミの愚劣さには心底呆れます。この件においても被告バッシングを煽るような報道ばかりだった気がします。
 なお、いい加減「ブレーキ(あるいはアクセル)は足で踏むが、アクセル(あるいはブレーキ)は手で行う」のような「踏み間違えが起こらないシステム」の開発を自動車会社がすべきではないかとも思います。これほど踏み間違え事故が多い以上、その程度の事をするのはむしろ自動車会社の責任では無いのか。
 なお、阿部氏も批判しますが「上級国民」云々なんてのは被告が起訴された以上、言いがかりも甚だしいですね。
 これが「モリカケ、桜で起訴されない安倍晋三・元首相」「安倍の政治的圧力でレイプ犯罪での逮捕から逃れた安倍友の山口某」などについてそういうなら間違いでは無いでしょうが。
 そしてこういう場合に「上級国民と放言するバカ」の多くは「安倍批判などしない」のだから弱い者いじめにも程があります。

*1:特定非営利活動法人WorldOpenHeart理事長。著書『加害者家族支援の理論と実践:家族の回復と加害者の更生に向けて』(共著、2015年、現代人文社)、『交通事故加害者家族の現状と支援:過失犯の家族へのアプローチ』(共著、2016年、現代人文社)、『性犯罪加害者家族のケアと人権:尊厳の回復と個人の幸福を目指して』(共著、2017年、現代人文社)、『息子が人を殺しました:加害者家族の真実』(2017年、幻冬舎新書)、『加害者家族の子どもたちの現状と支援:犯罪に巻き込まれた子どもたちへのアプローチ』(共著、2019年、現代人文社)、『家族という呪い:加害者と暮らし続けるということ』(2019年、幻冬舎新書)、『加害者家族を支援する:支援の網の目からこぼれる人々』(2020年、岩波ブックレット)、『少年事件加害者家族支援の理論と実践:家族の回復と少年の更生に向けて』(共著、2020年、現代人文社)

*2:そうなると「整備不良」や「自動車の欠陥(ただし、映画化もされた池井戸潤小説『空飛ぶタイヤ』(講談社文庫)のモデルとなった三菱自動車工業事件は当初、事故が『運転者の過失扱い』されていたので『今回の件はともかく』一般論として言うならあり得ないことではありません)」ということになるのでしょうが。