今日の産経ニュースほか(2021年6月27日分)(副題:改めて枝野幸男にうんざりする)

自民・武井氏の公認申請見送りを正式決定 宮崎県連 - 産経ニュース
 どんなひどい不祥事でも平気でかばってきた自民党ですのでこれを「自浄能力が働いた」と思うほど俺もお人好しではありません。
1)宮崎県連内でのアンチ武井派による武井*1潰し
2)「安倍による溝手潰し」のような党中央による武井潰し
か、そんなところでしょう。 


皇位継承策、首相在任中の結論望ましい 大島議長 - 産経ニュース
 こんなことは党籍離脱慣行がある「中立性が求められる衆院議長」が言うべきことではないでしょうが、そんな常識はないようです。
 「皇室については国民皆が菅政権下での問題解決を望んでる、だから中立性に反しない」と勘違いしてるのか、はたまた「中立性」に対する認識自体がないのか。


【新聞に喝!】最低限の倫理も失っている イスラム思想研究者・飯山陽 - 産経ニュース
 キリスト教や仏教などにも暴力の歴史があることを無視して「イスラム=暴力」であるかのような誹謗を垂れ流す飯山*2の方が余程「最低限の倫理も失っている」と言うべきでしょう(もちろんデマ記事で名誉毀損裁判に二度も敗訴してる阿比留を懲戒処分どころか論説委員に出世させる産経が『最低限の倫理も失っている』ことは言うまでもありません)。
 学者として能力があるかどうかはともかく、飯山が現在「在野の研究者」というのもその辺りが理由ではないか。イスラム誹謗を垂れ流す人間などトラブルメーカー以外の何物でもありません。危なくて雇えたものではない。
 なお、「重信*3のメッセージ」を報じると言うことは単に「ニュースバリューを認めた」ということにすぎません(そうした評価の是非はともかく)。
 「重信のメッセージに賛同していること*4」を必ずしも意味しないし、ましてや「重信がテルアビブ空港乱射事件を評価する立場」だからといってそうした「立場まで支持すること」を意味しません。飯山は毎日新聞に対するレベルの低い言いがかりも大概にしたらどうなのか。


リベラル21 枝野幸男著『枝野ビジョン--支えあう日本』を読む(阿部治平)

 枝野氏*5は自分で「保守だ」と言っている。3年半前の立憲民主党結党の際も、「自分は保守であり、リベラルである」といい、本書でも「(氏が代表である)立憲民主党こそ保守本流の政党だ」と繰り返している。
 枝野氏の「保守性」は戦後日本の保守党支配に対する見方で明らかになる。
 彼は、「戦後の日本で、『保守』を称する勢力が、圧倒的な長期にわたって多数派を占める中で、国際協調路線と必要最小限の軽武装路線が継続したのは、憲法九条の有無にかかわらず*6、それが日本の歴史と伝統を踏まえたもの*7だったからだ……」とらえる。
 そして、吉田茂*8から歴代首相の名前を挙げ、「彼らの手で、日本は高度成長*9を成し遂げ、『一億総中流』社会を実現することになる」「戦後『保守』政治のこうした側面を、私は高く評価している」というのである。
 これだと吉田茂以来の支配者の多くは、みな民衆のための政治をやってきたことになりそうだが、日本の保守政治がそんなに褒められたものだったか。こう双手をあげて持ち上げられては、彼らも照れ臭いのではなかろうか。
 教職員の勤務評定*10警察官職務執行法、60年安保と三井三池(ボーガス注:闘争)などの戦後史を経験したものとしては、実に理解に苦しむ。ここには、高度成長を実現するために、「ウサギ小屋」に住み、残業と長時間労働に従ったもの、合理化・民営化によって首を切られたものの姿はない。農業だけでは食えなくなり、出稼ぎと兼業で休む間もなく働くはめになったものの姿もない。環境破壊によって生まれた障害や病気に苦しむものもない。
 彼は現今の自民党は「保守」ではないという。とくに第2次安倍政権発足以降の自民党的「保守」のありようは、右翼だという。自民党は、枝野氏のいう「保守本流路線*11」から外れて「右派」ないし「保守反動」になりつつあるという。つまり吉田茂以来の自民党政治の延長上には、現在の自民党ではなく、立憲民主党が存在するということになるが、そういう理解でいいのだろうか。
 枝野氏は、マスメディアなどによって立憲民主党は「『リベラル=左派=反権力』的な、意味不明のレッテルを貼られ続けている」と不満を書いている。

 野党共闘支持者の中にはこうした枝野の言動を故意に無視する輩もいるのでげんなりですね。
 仮に野党共闘を支持するにしても*12、阿部氏(スタンス的にはアンチ自民、社民リベラル。俺同様に枝野の言動に疑念を感じてるらしい)も指摘するように枝野がうんざりするほど「私は保守だ」「私は左派ではない(そもそもまともな人間は誰も枝野を左派とは思っておらず、せいぜい左派(共産党社民党)と共闘する保守リベラル派扱いでしょうが)」「私は反権力ではない」を連呼してることには大いに注意と警戒が必要でしょう。

*1:第3次安倍内閣外務大臣政務官

*2:著書『イスラム教の論理』(2018年、新潮新書)、『イスラム2.0』(2019年、河出新書)、『イスラム教再考』(2021年、扶桑社新書

*3:著書『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』(2001年、幻冬舎)、『日本赤軍私史』(2009年、河出書房新社)、『革命の季節』(2012年、幻冬舎

*4:ただし「イスラエルハマス攻撃は無法」というメッセージに話を限れば全くその通りだと俺も思いますが。

*5:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長、民進党代表代行などを経て立憲民主党代表

*6:勿論「枝野のデマ」とは違い「憲法九条の存在」が軽武装路線に大きく影響したわけです。右派の岸信介首相など明らかに「やりたいこと」は軽武装路線ではないでしょう。

*7:枝野は大嘘も大概にして欲しいですね。ならば「明治維新から1945年の敗戦」までの日清、日露戦争日中戦争、太平洋戦争などを行った「軍事大国日本」は枝野にとって「日本の歴史と伝統」に反していたのか。「枝野の大嘘」とは違い、戦後の路線は「1945年の敗戦への反省」として新たに生まれた物でしょうよ。もし「1945年の敗戦」がなければ、つまり1)あり得ないことだが日本が米国に勝利していれば、2)あるいは対米開戦が回避されていれば、戦後の路線はなかったでしょう。枝野の理解では、「鳩山一郎(戦前は犬養、斎藤内閣文相。戦後は首相)」「岸信介(戦前は東条内閣商工相。戦後は石橋内閣外相などを経て首相)」「重光葵(戦前は東条、小磯内閣外相。戦後は鳩山内閣外相)」「賀屋興宣(戦前は第一次近衛、東条内閣蔵相。戦後は自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣法相)」など、「戦前政治家」の一部が戦後も活動したこと(そしてその多くが改憲右派であること)はどう評価されるのか。あるいは戦後一貫して自民党が九条改憲を党是としてきたことは枝野にとってどう理解されるのか。何も安倍政権が初めて九条改憲を主張したわけではないでしょうに。

*8:戦前、天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐伊大使、駐英大使などを歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*9:高度成長と言えるのはやはり池田内閣以降でしょうが。

*10:なお、阿部氏は元高校教諭

*11:一般に保守本流とは「池田勇人首相の流れをくむ宏池会(大平首相、鈴木首相、宮沢首相)(場合によっては池田を重用し、ライバル鳩山一郎ほど九条改憲に積極的ではなかった吉田茂も指す)」をいい、政治的には「経済重視と軽武装(ただし日米安保は否定しない)」とされる(ただし現在の宏池会は岸田氏(第二、第三次安倍内閣で外相)が安倍べったりであることでおよそ「保守本流」とは言いがたいですが)。一方、鳩山一郎岸信介中曽根康弘のような改憲右派が「保守傍流」とされた。

*12:俺個人は「安倍退陣」もあって「こうした枝野の言動」から「野党共闘をこのまま続けて良いのか」疑問を感じ始めていますが(「安倍は退陣しても、菅は安倍側近(第二~四次安倍内閣官房長官)であり、安倍には未だ一定の政治力がある。そうした言動は自民を利してる」などの批判を受けたくないのでひとまず「疑問表明」にとどめておきます。)