今日の中国ニュース(2021年7月2日分)(副題:楊海英のクズさに呆れる)

◆楊海英のツイッター

楊海英
 日本の生命線にして盟友である台湾国*1を粉砕*2すると宣言した中国に祝意を示す日本の政治家達。

 盟友は「まあ、いい」としても台湾のどこが「生命線」なのか。かつ戦前日本が「満蒙は日本の生命線」を叫び中国侵略を開始したことを知っていれば「こうした物言い」を普通の人間は躊躇しますが、そうした常識は楊にはないようです。

楊海英
 日本はいろんな意味で中国の近代化の父と言える。人民服*3は、日本の学生服がモデル。にもかからず、中国は日本を敵視してきた。

 吹き出しました。もちろん中国が「常に日本を敵視してきた」かのような楊の物言いは完全なデマです。
 「野田内閣の尖閣国有化」「第二次安倍内閣での首相靖国参拝」など「トラブルが発生」しない限り、楊のいう「日本敵視」などなかったわけです。


【宮家邦彦のWorld Watch】「親中」米海兵隊員の末路(1/2ページ) - 産経ニュース
 有料記事なので途中までしか読めませんが「昨今のバイデン政権の対中国、対台湾姿勢」から「米中の軍事衝突」を危惧し、「バイデン政権はいたずらに中国との対立はすべきではない」というレベルのどこが「親中国」なんでしょうか。いつもながら産経の「反中国」には呆れます。


【主張】中国共産党に祝電 二階氏は恥を知らぬのか - 産経ニュース
 記事タイトルで吹き出しました。二階氏の祝電は「自民党幹事長」としてのものであり「彼の私的な祝電」ではない。
 にもかかわらず「自民党は恥を知らぬのか」ではなく「二階ガー」。二階氏が「菅総裁」「下村政調会長(第二次安倍政権で文科相)」「茂木外相」など他の党、政府幹部を無視して「幹事長の肩書きを使って」好き勝手やってるとでも言うのか。
 もちろん「二階氏が好き勝手やってる」わけもない。いや「二階氏が好き勝手やってる」場合だって「党ナンバー2とはいえ、総裁(首相)でもない人間が、菅総裁を無視して総裁気取りで越権行為をやってる」という話であって「二階はだめだが自民党は悪くない」なんて話にはなりませんが。繰り返しますがこの祝電は「彼の私的なもの」ではなく「自民党幹事長としてのもの」ですから。
 それにしても

今日の中国ニュース(2021年6月30日分)(副題:楊海英の屑さに心底呆れる)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
 「派閥ボス」「運輸相(森、小渕内閣)、経産相(小泉、福田、麻生内閣)、総務会長(第二次安倍総裁時代)、幹事長(第二次安倍、菅総裁時代)と言った要職経験者」「麻生副総理・財務相とともに菅首相誕生の最大の功労者」といった問題は勿論ありますが、それとは別に「二階氏を切ったら中国相手にこうしたことをしてくれる人がいないが、いないと困る」ということで菅も二階氏を切るに切れないのではないか。

と以前書きましたが、産経ら反中国ウヨにとっては「すべて二階が悪い(安倍氏、菅氏など総裁は悪くない)」と言い訳できるから、本心では「今後もできる限り、二階幹事長でお願いします」「幹事長を辞める場合も副総裁(過去にも山崎拓*4幹事長の副総裁就任などがある)などで処遇し、無役にしないで」ではないか。祝電が、菅総裁名義でないのもそういうことでしょう。
 実際には中国ビジネスを重視する「日本の財界」こそがこうした「親中国の最大の理由」であり、財界が「反中国」にならない限り、二階氏が幹事長を辞めようとも自民党が「産経が期待するレベル」で「反中国」になることはないでしょうが。
 そもそも二階氏が党幹部になる以前から「対中国ODAの再開(海部*5内閣)」「天皇訪中(宮沢*6内閣)」など自民党は国交正常化以降は基本的に「親中国路線」でずっとやってきたわけです。
 というか実は国交正常化前ですら、自民党政治は「単純な反中国」ではありませんでした。

岸信介 - Wikipedia参照
 岸首相は内閣改造外務大臣に「親中国派として知られる財界人」藤山愛一郎*7を抜擢し、「アジア外交のなかでも中共の問題をやってもらう」と岸は述べた。9月28日に藤山外相は当時、西側諸国の中で珍しく中華人民共和国と国交を持っていたイギリスのロイド外相と会談し、中国問題で密接に連絡を取り合うことを約束した。

吉田書簡 - Wikipedia参照
 1962年9月19日、「中国貿易の拡大」を掲げる池田勇人政権から派遣された自民党の長老・松村謙三*8周恩来首相と会談し、北京政府との関係正常化の合意が成立した。続く11月9日、高碕達之助*9と廖承志が「日中長期総合貿易に関する覚書(LT覚書)」を締結。これにより正式な国交がないままに両国間の半官半民的な貿易が始まり、覚書を結んだ両名のイニシャルに因んでLT貿易と呼ばれた。
 翌1963年8月26日、池田首相は倉敷レーヨン(現・クラレ)が申請していた中国大陸向けプラント輸出第1号となるビニロン・プラントを承認し、このプロジェクトへの日本輸出入銀行(輸銀、現・国際協力銀行)融資も閣議決定された。これを北京政府に対する経済援助とみなす台湾政府は強行に抗議したが、自民党の親台派議員らも台湾への別途経済援助を提案するのみで、プラント建設の阻止に失敗した。これに対する抗議として、台湾政府は張厲生駐日大使を離日させた。

吉田書簡 - WikipediaLT貿易 - Wikipedia参照
 周鴻慶事件とは、1963年9月に中国油圧機器訪日代表団の通訳として来日した周鴻慶が、全日程を終える直前の10月7日早朝、ソ連大使館に亡命を求めたことから始まった事件である。周はその後、亡命希望先を台湾に変更。亡命先に指名された台湾は、日本側に周鴻慶の引き渡しを強く求めたが、中国との関係悪化を恐れた池田政権(当時は大平正芳外相)はパスポート期限切れを理由に10月8日周を拘留、その後10月24日には「本人の意志」が中国への帰国に変わったとして、翌1964年1月10日中国大連に送還した。
 この一連の日本側の対応に台湾側は激怒し、駐日大使を召還すると共に日本政府へ厳重な警告と抗議を行い、日台関係は断絶の危機に瀕した。この台湾側の反発を解くため、池田首相、大平外相は、吉田茂元首相に台湾訪問を要請。吉田は池田首相の親書を持参して台北へ赴き、要人と会談した。しかし帰国後の1964年(昭和39年)5月、張群国民党秘書長へ宛てた吉田の書簡の中に対中プラント輸出に輸銀融資は使用しないと表明してあったため(いわゆる「吉田書簡問題」)、先に契約が成立していた倉敷レーヨン(現・クラレ)に較べ、ニチボー(現・ユニチカ)の契約調印は大幅に遅れることになった。1972年9月の日中国交回復とともに吉田書簡の効力は消滅したとされる。

からそれが理解できます。
 それにしても最大野党「立憲民主党」の枝野代表も祝電を送ったので「都議選前」ということで「立憲民主に悪口」かと思いきや、記事タイトルでわかるように「枝野批判も一応はありますが、メインは二階非難」です。よほど二階氏が嫌いなんでしょうか。

*1:わざわざ「国」と書くあたりが楊らしい。

*2:蔡英文が独立を画策するなら粉砕する」という話をこのように表現する楊の行為は完全なデマです。

*3:人民服は中国語で「中山装」と言うが、これは孫文孫中山)が人民服の設計者である(ただし決定的な根拠はない)からとも、孫文がこの服を国民党の礼服として制定したからとも、孫文が率先してこの服を着たからとも言われている。いずれにせよ人民服は中華民国で男子正装として用いられたが、1950年代末頃には蔣介石ら一部の首脳を除いて背広にとってかわられた。一方、大陸中国中華人民共和国)では、1978年の改革・開放政策が始まるまで、女性も男性と同じ人民服を着ていた。現在では大陸中国でも「人民服」は廃れており、一部の共産党幹部のみが着用するものとみなされている(人民服 - Wikipedia参照)。

*4:宇野内閣防衛庁長官、宮沢内閣建設相、自民党国対委員長(河野総裁時代)、政調会長(橋本総裁時代)、自民党幹事長、副総裁(小泉総裁時代)など歴任

*5:自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田、中曽根内閣文相などを経て首相

*6:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*7:岸内閣外相、池田、佐藤内閣経済企画庁長官、自民党総務会長(池田総裁時代)など歴任

*8:東久邇宮内閣厚生相、幣原内閣農林相、鳩山内閣文相など歴任

*9:鳩山内閣経済企画庁長官、岸内閣通産相科学技術庁長官など歴任