新刊紹介:「歴史評論」2021年11月号

 小生が何とか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集「いま『歴史評論』を読んで考える」
◆21世紀の大化改新論(磐下徹*1
(内容紹介)
 近年の『歴史評論』に掲載された「大化改新」関係論文を紹介した上で、筆者の「大化改新」研究についての見解が述べられています。
 大化改新研究においては「難波宮出土木簡」の研究が重要だと思うが、それはまだ十分なされていないというのが筆者の指摘です。


◆誰が歴史を学ぶのか、何のために学ぶのか:地方国立大学における歴史の学び(大日方克己*2
(内容紹介)
 地方国立大学(筆者の勤務校は島根大)においては「文学部歴史学科」などで歴史を学ぶ学生の多くは「院に進み専門研究者を目指す」どころか「小中高の社会科教員」「博物館の学芸員」「出版社の歴史書籍編集やテレビ局の歴史番組製作」など「何らかの形で歴史に関わる仕事に就く人間自体」が少なく、そのような中、目指される「歴史の学び」とは「歴史研究のプロの育成」というよりは「歴史学的な視点の習得(史料批判など)」といった物にならざるを得ないとの主張がされている。


◆教室で『歴史評論』を読む(高橋亮*3
(内容紹介)
 筆者が大学ゼミで行った「歴史評論掲載論文」を用いた演習について述べられていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆現代歴史学としてのクローチェ*4羽仁五郎*5三木清*6(平井雄一郎)
(内容紹介)
 クローチェはイタリアの歴史学者
 羽仁は

羽仁五郎 - Wikipedia参照
◆『クロォチェ:市民的哲学者』(1953年、河出書房)
◆『抵抗の哲学:クロォチェ』(1972年、現代評論社

等の著書があり、クローチェの影響を強く受けた歴史学者三木清は羽仁の友人の哲学者で、彼らについて論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


第56回大会準備号『変貌する国家と個人・地域Ⅲ』
【前振り】
 今後開催される、第56回大会『変貌する国家と個人・地域Ⅲ』での報告内容について報告予定者が「現時点での報告予定内容」を説明しています。当然、今後「微修正はあり得る」でしょう。
◆保健医療と「政府の役割」の歴史的変化:イギリスの場合(永島剛*7
(内容紹介)
 1848年の公衆衛生法成立から、1948年の「国民保険サービス(NHS)」成立までの英国における

保健医療と「政府の役割」の歴史的変化

について論じる。


◆コロナ禍の中の女性労働とケアの諸問題(箕輪明子*8
(内容紹介)
 箕輪氏については新刊紹介:「前衛」2021年11月号(井上ひさし『雨』の一部ネタばらしがあります) - bogus-simotukareのブログで◆インタビュー『コロナ禍のケアの現状は何を問いかけているのか:女性・非正規にも及ぶ対策は緊急』(蓑輪明子)を俺なりに紹介しましたので、その再紹介で内容紹介に代替します。


天保改革下の遊所統制の転換と堀江新地(吉元加奈美*9
(内容紹介)
 天保改革下において当初、遊所(売春)については大坂において『唯一の公認の遊所』である新町遊郭以外は「完全に撲滅する方向」が目指された。
 しかし、結局、大坂町奉行は、『非公認の遊所(建前はお茶屋に過ぎない)』である堀江新地から売春営業を完全に撲滅することは困難として、「お茶屋から飯盛女付きの旅籠に転業する』という形で容認することとした(飯盛女は建前では『旅籠の仲居、女中』にすぎない)。
 何故、容認されたのか(容認されるまでの経緯)、容認されることによって堀江新地を含む大阪の遊所はどうなったのかを論じる。


◆娼妓と近代公娼制度:一次資料から見る娼妓の住み替えと廃業(人見佐知子*10
(内容紹介)
 娼妓の住み替え(貸座敷を移動すること)、廃業について、娼妓、斡旋業者、貸座敷業者の三者の立場から論じる。


◆近代帝国主義諸国の軍用性的施設(林博史*11
(内容紹介)
 『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)など、日本軍「慰安婦」の研究で知られる筆者が、日本軍「慰安婦」にとどまらず「同時代の近代帝国主義諸国(英米仏独伊など、特に英国について論じる予定)」において「軍用性的施設」はいかなるものであったのか、それは「日本の慰安婦」とどのような点で「共通点と違いがあったのか」について論じる。


◆歴史の眼・リレー連載:21世紀の災害と歴史資料・文化遺産5『岡山史料ネットの取り組みと今後の課題』(東野将伸*12
(内容紹介)
 平成30年7月豪雨での「歴史資料の被災」を契機に設立された「岡山史料ネット」の活動が紹介されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆歴史の眼『ひめゆり資料館のリニューアル』(仲田晃子*13
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。
ひめゆり資料館が来年リニューアル 展示に込める思いとは:東京新聞 TOKYO Web2020.6.23
ひめゆり資料館リニューアル 中心になったのは戦後生まれの学芸員「学徒たち身近に」 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト2021.3.29
ひめゆり資料館 あすリニューアルオープン イラストや写真充実 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト2021.4.11
社説[ひめゆりリニューアル] 平和のバトン次世代へ | 社説 | 沖縄タイムス+プラス2021.4.11
「これならわかるかも」 ひめゆり資料館がリニューアル [沖縄はいま]:朝日新聞デジタル2021.4.12
沖縄・ひめゆり資料館がリニューアル 「戦争の実体を語り続ける」 | 毎日新聞2021.4.12
ひめゆりの塔を知っていますか? 戦争を知らない世代が歴史を学ぶ切実な意味 - 山本章子|論座 - 朝日新聞社の言論サイト2021.5.23
発言:若い世代へ継承のために=普天間朝佳・ひめゆり平和祈念資料館館長 | 毎日新聞2021.6.10
「普通の学生だったんだ」ひめゆり資料館リニューアル、展示内容に高い評価 コロナ禍で課題が見つからないという課題 | 沖縄タイムス+プラス プレミアム | 沖縄タイムス+プラス2021.6.11
MONGOL800のキヨサクさん、「音楽で」ひめゆり資料館支援へ | 毎日新聞2021.6.19
「ひめゆり」支えよう 沖縄のアーティストが有料ライブ:朝日新聞デジタル2021.6.26
沖縄テレビ(フジテレビ系列)「戦争を知らない世代がわかるように」ひめゆり平和祈念資料館がリニューアル【沖縄発】2021.6.30
<戦争体験を受け継ぐ>前編(2) 受け継ぐ側の思い:中日新聞Web2021.8.8


◆文化の窓・リレー連載:川から見る風景9『鮎と材木の高津川』(西田友広*14
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

高津川 - Wikipedia
 一級河川で唯一、支流を含めてダムが一切無い。日本有数の清流として中上流域では毎年鮎釣りが盛んである。高津川の焼き鮎(乾燥アユ)を出汁に用いた雑煮は石見風雑煮として知られる。
 戦国大名毛利元就も家臣の益田藤兼*15から「高津川の干鮎」を献上品として貰っている。江戸時代にはアユを争って向横田と横田の漁師が殴りあいの喧嘩をし危うく津和野藩が仲裁に入る逸話が残されている。

清流・高津川が誇る天然鮎は超美味!名店「美加登家」で鮎三昧を楽しむ!│観光・旅行ガイド - ぐるたび
◆創業80余年の老舗割烹。高津川の天然鮎を味わうなら「美加登家」へ!
 「子うるか」とは、前年に捕れた鮎の卵と白子を塩漬けしたもの。まずは一口…、卵のプチっとした食感に続いて、白子の濃厚な味わいが広がります。
 お酒のあてにぴったりな「子うるか」…となれば、同店自慢の「あゆ酒」も外せません。一日かけてじっくりと炙った鮎を地酒に浸すという、いわゆる「骨酒(こつざけ)」です。
 2品目は御造りの「背ごし」です。背ごしとは、鮎を背骨ごとスライスしたお刺身で、鮎料理の定番。身の旨みに加えて柔らかな背骨の歯ごたえが特長的です。
 3品目は碗物「白味噌仕立て」。白焼きされた鮎2匹(サイズによっては1匹)が白味噌汁に浸されています。
 4品目は焼物「鮎塩焼き」の登場。
 続いては、地元ならではの一品、煮物「うるか茄子」。鮎の生うるか(内臓部分)を茄子とともに炊き上げたもので、鮎の産地ではなじみの料理です。
 6品目はまたまた鮎が丸ごと一匹!同店の創作メニュー、強肴「味噌包み焼き」の登場。背開きの鮎に特製味噌を挟んで蒸し焼きにした逸品です。
 さらに酢物「鮎昆布〆」。濃厚な品が続いた後だけに、土佐酢とともにいただく鮎の切身の味わいがとても爽やか。
 そして、満を持して〆の「鮎めし」が登場です。鮎出汁の炊き込みごはんの上に、白焼きのほぐし身がこれでもかとのせられているではありませんか!


◆書評:帯谷俊輔*16国際連盟*17』(評者:樋口真魚*18
(内容紹介)
 評者曰く、本書は、「満州事変と国際連盟の関係についても触れている」ものの、日本では「満州国建国→リットン調査団報告→連盟脱退」といった視点から論じられることが多い国際連盟について、日本では余り知られていない

チャコ戦争 - Wikipedia
 パラグアイボリビアの国境紛争

を取り上げることによって「より多面的な見方」を促している、とのこと。
 チャコ戦争について当初は国際連盟での解決が目指されたが最終的には

 1938年7月21日、ボリビアパラグアイの間でブエノスアイレス講和条約が結ばれた。米州の有力諸国であるアルゼンチン・ブラジル・ウルグアイ・チリ・コロンビア・ペルー・アメリカ合衆国が中立の立場として講和を仲介した。

ということで連盟ではなく「地域大国である米国」を中心とした形で解決された。
 そのため、チャコ戦争は「国際連盟の無力さ」を示すものと一部で受け取られ、結果として「連盟脱退後の日本」の「米国との対立路線」を助長した疑いがあるとのこと。
 ただし、そのような「連盟限界論(連盟の政治的限界を指摘し、消極的に評価する論)」によって「日独伊の連盟脱退(日本は満州問題、ドイツは再軍備、イタリアはエチオピア問題)」を招き、第二次大戦後には「国際連合に改編」されたものの、とにもかくにも連盟が継続されたこと、連盟が「国際連合への発展的解消」と言う形で継続されたことは「それなりに評価」されてるようです。


◆平井一臣*19ベ平連とその時代:身ぶりとしての政治*20』(評者:市橋秀夫*21
(内容紹介)
 評者の指摘は多岐にわたっておりまとめづらいが、例えば、以下の指摘がされている。
1)当初は保守派も包含していたベ平連については、竹内洋*22『革新幻想の戦後史』(2015年、中公文庫)など、「代表は小田実*23だったが、実は石原慎太郎を代表に推す意見も強かった」という説が一部に存在する。これについて手堅い史料批判によって「根拠のない俗説に過ぎない」として否定している点が評価できる(これについては、平井著書のもととなった論文の一つである平井 一臣 (Kazuomi Hirai) - 再考・小田実とベ平連 : ベ平連への参加と「難死」の思想・「加害」の論理 (「1968年」社会運動の資料と展示に関する総合的研究) - MISC - researchmap参照)。
2)ベトナムに平和を!市民連合 - Wikipediaについては既成の左翼運動(社会党共産党など)から一線を画そうとした「個人主義重視」、あるいはフォークソングなどの運動形態の新しさを強調する議論が強いように思われる。
 それは一面では正しいが、下手をすると「日本」での「ベトナム戦争経験(ベトナム反戦運動を含むがそれに限られない)」全体を「捉え損なう恐れがあるのではないか」。
 ベトナム反戦運動自体は「ベ平連」以外にも「既成左翼の運動もあった」し、また「日本とベトナム戦争」の関わりについて言えば「ベ平連のような反戦運動」だけでなく、そうした批判を無視して行われた「佐藤政権のベトナム戦争支持」についても目配りしていく必要があるだろう。
3)ベ平連について、「代表」小田実が注目され、また、「既成左翼と一線を画そうとした個人主義」が指摘されることが多いベ平連だが

ベトナムに平和を!市民連合 - Wikipedia参照
◆事務局長を務めた吉川勇一*24の他、いいだもも*25栗原幸夫*26、武藤一羊*27、花崎皋平*28共産主義労働者党(共労党)メンバー
◆「声なき声の会」(1960年安保闘争での市民グループの一つ)メンバーの小林トミ*29鶴見俊輔*30や高畠通敏*31

が「有力活動家として存在していたこと」に注意する必要がある。
 勿論「ベ平連」は「共労党のダミー組織ではない」し「声なき声の会の後継組織でもない」。
 しかし、ベ平連活動とは別途「既に、政治活動家として活動していた人間」が参加していたが故に「組織的活動が順調に進んだ」という面(プラス面)も否定できないのではないか。その意味では「個人主義」「素人主義」の強調は一面的である。
 また、共労党メンバーの存在が既成左翼(特に日本共産党)とベ平連の関係にしこりを生み出したというマイナス面がありはしないか、分析の必要がある。
 というのも「共労党」は日本共産党を除名された内藤知周*32を党幹部としており、党員も内藤同様に、共産党を除名されたり離党した人間が当然多かったからである。
4)ベ平連が日本社会に与えた影響の一つとしては『在日米軍基地の沖縄集中(1960~70年代、なお、沖縄の本土復帰は1972年)』があげられると思う。
 この点については川名晋史*33『基地の消長1968~1973: 日本本土の米軍基地「撤退」政策』(2020年、勁草書房)が参考になるかと思う。
 ベ平連のような反戦運動に手を焼いた、日米両国政府は本土の米軍基地を「すべて廃止はしなかった(今も三沢基地横田基地など本土に米軍基地が存在する)」ものの、かなりの部分を沖縄に移すことで「問題解決を図った」。
 なお、以下は「ボーガスの私見」であり、市橋氏の評価ではないが、こうした経緯を考えれば
高世仁に突っ込む(2020年8/9日分) - bogus-simotukareのブログで批判した沖縄の基地を本土が引き取る―賛成?反対? - 高世仁の「諸悪莫作」日記(2020.8.8)
高世仁に突っ込む(2020年8/10日分) - bogus-simotukareのブログで批判した9条の会に「基地引き受け論」を吹っかけた - 高世仁の「諸悪莫作」日記(2020.8.9)
といった「本土引き受け論」はやはり「誤った議論」と評価せざるを得ない。高世らの「引き受け論」で「ベ平連などベトナム反戦運動のせいで沖縄の基地負担が重くなった」ということになりかねない。
【参考】
沖縄に基地があるのは地理的宿命か?/川名晋史 - SYNODOS
川名晋史さん「基地の消長 1968-1973」インタビュー 「日本不在で決定」を実証|好書好日


◆書評:塩川伸明*34『歴史の中のロシア革命ソ連*35』(評者:寺山恭輔*36
(内容紹介)

塩川伸明 - Wikipedia
◆『「社会主義国家」と労働者階級:ソヴェト企業における労働者統轄 1929~1933年』(1984年、岩波書店
◆『スターリン体制下の労働者階級:ソヴェト労働者の構成と状態 1929~1933年』(1985年、東京大学出版会
◆『ソヴェト社会政策史研究:ネップ・スターリン時代・ペレストロイカ』(1991年、東京大学出版会
◆『ペレストロイカの終焉と社会主義の運命』(1992年、岩波書店
◆『終焉の中のソ連史』(1993年、朝日新聞社
◆『社会主義とは何だったか』、『ソ連とは何だったか』(いずれも1994年、勁草書房
◆『現存した社会主義リヴァイアサンの素顔』(1999年、勁草書房
◆『多民族国家ソ連の興亡(1)民族と言語』(2004年、岩波書店
◆『多民族国家ソ連の興亡(2)国家の構築と解体』、『多民族国家ソ連の興亡(3)ロシアの連邦制と民族問題』(いずれも2007年、岩波書店
◆『冷戦終焉20年:何が、どのようにして終わったのか』(2010年、勁草書房
◆『国家の解体:ペレストロイカソ連の最期』(2021年、東京大学出版会

等の著書がある『ソ連、ロシア史研究者の長老・塩川氏』の『2020年の近刊』が論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。

歴史の中のロシア革命とソ連 / 塩川 伸明【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア
第1部 ロシア革命と現代―革命百周年に考える
 第1章 一九一七年と一九九一年―ロシア革命百周年に寄せて
 第2章 ポスト社会主義の時代にロシア革命ソ連を考える
第2部 後期社会主義ペレストロイカ・冷戦終焉*37
 第4章 ペレストロイカからソ連解体へ―過程と帰結
 第5章 ペレストロイカおよび冷戦終焉に関する最近の研究動向―トーブマン*38ゴルバチョフ伝とサーヴィス*39の冷戦終焉論*40を中心に
 第6章 冷戦の終焉過程―冷戦史再考の試み
第3部 ロシア・ソ連史研究と歴史学
 第7章 日本におけるロシア史研究の歴史―ロシア史研究会五〇周年に寄せて
 第8章 E・H・カー*41ソ連史研究
 第9章 ロシア革命はどう記念*42されてきたか―アニヴァーサリー・イヤーの歴史

などと言った目次からは「冷戦終了後、ロシア革命ソ連を振り返る」という色合いが強いことは認識できますが。


◆紹介:谷口栄*43『千ベロの聖地「立石」物語:もつ焼きと下町ハイボール*44』(2021年、新泉社)
(内容紹介)

古谷三敏BARレモン・ハート - Wikipedia』(1985年から連載開始。現在も『漫画アクション』に月1回で連載中)
ラズウェル細木酒のほそ道 - Wikipedia』(1994年から週刊漫画ゴラクに連載中)

などが大好きな俺としては「読んでみたい」とは思う反面、「歴史書か?」感がありますね。
 「千ベロ(センベロ)」つうのは「千円でベロベロに酔っ払える」の略ですね。
 立石は「小生は未だ行ったことがない」のですが、最近は「雑誌やテレビ」などで良く取り上げられるのでご存じの方も多いかと思います。
 一度行きたいとは思います。

【参考:せんべろ】

せんべろ - Wikipedia
 中島らも小堀純の共著『せんべろ探偵が行く』(2003年、文芸春秋→2011年、集英社文庫)で使い始めたのが最初と言われている。
 千円でべろべろに酔えるという価格帯の酒場の俗称ではあるが、実際には千円でちょっと気の利いたおつまみとお酒2杯~3杯飲めるという意味合いが強く、発祥と言われている『せんべろ探偵が行く』でも、そういった酒場が多く紹介されている。
 低価格で酒やおつまみ等を提供するという性質上、該当する店には居酒屋や立ち飲み、角打ちなどが該当する。

【参考:立石】
 歴史評論論文によれば「昭和30年代の立石」には「労務者をターゲットにした血液銀行*45」があったそうなので昔は「そういう町」だったのでしょう。それが「労務者相手のもつ焼きと焼酎ハイボール」にもつながるわけです。
 「立石、売血」でググったら、

【 わがまち原動力】 戦後栄えた血液銀行の証言者たち(下)=郡山利行|穂高健一ワールド~書斎の小説家が街に飛び出した、気鋭のジャーナリストとして
 日本製薬(株)は、1950年代から、本社ビルがあった立石8丁目で、国策による輸血用の血液採血を実行するため、国民からの売血を受ける施設、『ニチヤク血液銀行』 を開設した。
 売血に訪れる人が絶えなかった。 地元立石の人達は 『バンク』 と呼んでいた。
 右写真は、つげ忠男さん*46が、若い頃、地元立石の血液銀行で働いていた時のことを書いた雑誌に載せた、写真である(『散歩の達人 267号』より (P.25))。
 キャプションには『 製薬会社社員の着替え部屋から見えた風景で、社員も売血すると400円もらえ、半休ももらえたんです 』 と、書いてある。
 昭和30年代前半頃の、血液銀行の一角である。そして、つげ忠男さんは、当時の必死に生きる人々を間近に見られたことが、自分の漫画の肥やしになってなっていると思いますと、この雑誌につづっている。

 
つげ忠男 - Wikipedia
 1941年生まれ。漫画家。『ガロ』を中心に作品を発表。漫画家・つげ義春*47(1937年生まれ)は兄。
 東京都大島町生まれ。幼少期の大半(6歳~16歳)を葛飾立石町で過ごす。
 中学校を卒業した後、自宅から徒歩で10分ほどの葛飾の製薬工場に就職。血液を売買する血液銀行であった。同工場で製造される血液製剤用の採血の補助係となった。血液銀行には平均1日600-800人、多い日は1000人ほどの売血者があり、仕事にあぶれた日雇い労働者、身障者、与太、無頼漢など様々な人種にあふれていた。この経験は、後の作品でもたびたび描かれている。
 兄・つげ義春の影響で漫画を描き始め、貸本誌『街』で『自殺しに来た男』が入賞しデビューするが、1959年の『回転拳銃』で実質的なデビューを果たしている。

【マンガ探偵局がゆく】惜しまれ消えゆく昭和の駅通り つげ忠男さん作品の舞台になった街は今 (1/2ページ) - zakzak2017.12.8
 太平洋戦争の末期、まだ幼いつげ義春つげ忠男と長兄は、板前だった父親の死をきっかけに、母親、義祖父などとともに、千葉の港町・大原(現いすみ市)から東京都葛飾立石町に移り住んだ。つげ忠男が70年代に描いた作品の多くは、戦後混乱期の京成立石駅周辺が舞台になっている。
 戦後まもない立石駅は北側に赤線、青線、キャバレーなどが集まる夜の街が。南側には闇市がひしめき、その周辺に長屋が立ち並ぶ下町だった。
 中学を卒業した忠男は、製薬会社に就職し、血液を買い取る地元の「血液銀行」で働き始める。のちに売血は禁止されたが、忠夫が職場で目にした、生活のために血を売りに来る日雇い労働者やチンピラ、娼婦たちの姿は、のちの作品に色濃く反映されている。
 京成立石には長らく当時の面影が残り、21世紀になってからは「居酒屋の聖地」「昭和が残る街」として海外からの観光客にも親しまれるようになった。

なんて記事もヒットしました(売血については例えば売血 - Wikipedia参照)。

過去に「ブラタモリ」にも出演 学芸員の谷口榮さんが「千ベロ」講演会2021.7.30
 立石図書館(葛飾区立石1)が7月10日、開館10周年を記念して葛飾区の学芸員・谷口榮さんによる講演会「立石地域の飲食文化『千ベロ』」を開いた。
 谷口さんは生まれも育ちも立石。考古学者であり日本考古学協会理事。長年、葛飾区観光課の学芸員を務めており、葛飾の歴史と文化を研究している。過去にNHKの番組「ブラタモリ」で、タモリさんと柴又を散策したこともある。小学生のころからもつ焼きに親しんでいることから、酒場への造詣も深く、今年3月には「千ベロの聖地『立石』物語」(新泉社)を出版している。
 「千ベロ」とは1,000円で酔うほど手軽に飲める酒場の俗称。京成立石駅周辺には名店と言われるもつ焼き店があり、昭和の面影を残す路地裏には個性的な店が軒を連ねていることから、酒場愛好家の間では「千ベロの聖地」とも呼ばれている。
 立石の飲食文化について、谷口さんは「もつ料理とハイボールはセット関係で、この組み合わせが特徴の全て。立石など下町で『ボール』といえば焼酎ハイボールのこと」と話す。立石に千ベロ文化が根付いた背景には、大手製薬工場と職業安定所の中心に京成立石駅があり、労働者が集う立地だったことを挙げた。
 立石を代表するもつ焼き店「宇ち多゛(うちだ)」「江戸っ子」「みつわ」を紹介し、「私は飲みに行って調査し、記録し、分析している」と話す。考古学の観点から、焼台や店の造り、食器類まで細かく調査しており、食器類についてはデザインやサイズまで記録している。
 「考古学というと昔の遺跡などを発掘し年代を調べることを思い浮かべるが、現代のものを未来の人に伝えるという考えもある。例えば将来、このもつ焼き店が無くなり、何百年後に食器が発掘されたとき、食器のデータを記録しておけば、これは当時の『宇ち多゛』という店があったところ。といった情報を後世に残すことができる」と話す。
 コロナ禍の飲食について、「元々もつ焼き屋は長居するところではない。さっと飲んでさっと帰ることを心掛け、お客さん自身が気をつけることが大切」と思いを話す。

(ひと)谷口栄さん 「せんべろ」の聖地を研究する学芸員:朝日新聞デジタル2021.1.5
 千円で酔うほど手軽に飲める酒場の俗称「せんべろ」。その「聖地」だと酒場愛好家の間で言われるのが、東京東部の葛飾区にある立石(たていし)地区だ。昭和の面影を残す路地裏には個性的な店が軒を連ね、開店前から行列ができている。

<葛飾新聞>柴又駅の隠れ寅さん:東京新聞 TOKYO Web2021.1.5
 1000円も出せばべろべろに酔える「せんべろの聖地」として親しまれる立石。昼間から顔を赤らめて歩いても許される寛容さがありながら、相反するような「飲んでいる人は入店NG」という独特ルールがある。
 京成立石駅周辺では、店先に「酔った人はお断り」と書かれた張り紙がちらほら。記者も「2軒目だよね」と鋭く指摘され、きびすを返した経験がある。
 この立石ルールを、もつ焼きの行列店「宇ち多゛(うちだ)」は「酒が入っていると気が大きくなって隣に絡みがち。みんなに気持ち良く飲んで帰ってもらいたいからさ」と説明する。
 区観光課の学芸員谷口栄さん(59)によると、バブル崩壊後に訪れた立石ブームで酒の入った新規客が長居する傾向が強まった。薄利多売スタイルの店側が回転を妨げないよう注意喚起するうちにルールが定着した。
 安くてうまい名店ぞろいの立石では「ツアー」と称した飲み歩きが人気。「2軒目でもOK」の店もあるので、そこも踏まえて行程を組むのが立石を満喫する秘けつかもしれない。

もつ焼き 宇ち多゛ - 独身男性の酒飲み-なるべく安く!旨い酒!2010.5.19
 最近気に入ったのが、京成立石駅から徒歩一分もかからないところにある宇ち多゛です。
 こないだ、「酒のほそ道」という漫画をネットカフェで読んでた時、「京成立石はもつ焼きが有名だ」って話を読んで行ってみました。
 なにやら一番有名な店らしいです。
 2本で一皿で、その単位で注文するのですが、その1皿が180円と、安いのが人気なんでしょうかね。
 なお、焼酎は一杯180円。ビールは小瓶で360円と2皿分、大瓶だと3皿分の値段です。
 2000円もあれば、焼酎3杯飲んでも16本もつ焼きを食べれるわけですから、腹いっぱい食べてしっかり飲めます。

気に入ってる居酒屋 - 独身男性の酒飲み-なるべく安く!旨い酒!2011.9.12
1. 宇ち多” (京成立石駅近く) 食べログ
 駅近くにあるもつ焼屋。って、既に紹介してた。
 もつ焼きが2本で180円と安いお店。しかも旨い。
 飲み物はビールもあるけど、ここに来たら焼酎を頼みたい。
 甲種焼酎に、ちょっとだけ梅シロップが入った奴と葡萄シロップが入った奴があって、ほとんど焼酎原液だから、すぐ回る。3杯飲めばいい気分。一杯180円。
 それと煮込みとかもつ焼で5皿も食えばお腹いっぱい。
 以上、3杯+5皿で、180×8=1440円。
 ビールを頼んでもいいけど、瓶ビールは小が焼酎2杯分(360円)、大が3皿分(540円)なのでちょっと割高感がある。
(中略)
 立石は、一人で飲むのに敷居が高くない飲み屋が多く、しかも値段が安いケースが多かったので安く飲みたい・一人で飲むとか(別に複数人でも問題ないけど、多人数は向かないかも)地域的にオススメです。
 まあ、今住んでる場所に近いっていう個人的な理由もあるんですが。

もつ焼き、鶏半身揚げ…センベロの聖地・立石で昼飲み|NIKKEI STYLE2016.10.3
【東京・大衆酒場の名店】この緊張感は何だ? 行列しても入りたい立石「宇ち多゛」の強烈な魅力の噺 - 酒噺│もっとお酒が楽しくなる情報サイト2020.10.9
強面オヤジが守る立石の情緒 のんべえの酒都代表・もつ焼き「宇ち多゛」:東京新聞 TOKYO Web2020.11.4
旨いもつ焼きを求めて、立石で飲む!3軒を紹介|おとなの週末2021.4.19
 なお、「歴史評論の記事」も簡単に指摘していますが、立石のある葛飾区と言えば「荒川放水路の土木工事(戦前)」などで比較的、在日朝鮮・韓国人が多い地域であると言うことも「勿論それだけが理由ではない(かつ、へたにそれを強調すると在日差別を助長しかねない)」とはいえ、立石(と言うか葛飾)の「もつ焼きとハイボール」の一因もしれないですね。

【参考:焼酎ハイボール

チューハイ - Wikipedia
 1980年代、酒税が高かったウイスキーでつくるハイボールの代用品として、焼酎を用いた低アルコール飲料が広まり、チューハイブームと呼ばれた。もともとは昭和30年代の山谷地区などの東京下町を中心に広がったとされる。

第6回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈前編〉 1 - ききあるき・東京<酎ハイ>物語|WEB本の雑誌
神)
 戦前は、炭酸で割ることはあまりなくて、焼酎を割るのはウメ液、ブドウ液だったと、年寄りが言っていました。戦前、炭酸で割るのはウイスキーハイボールでした。
阿)
 (ボーガス注:焼酎の)炭酸割りがポピュラーになったのは戦後だと思います。

第6回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈前編〉 2 - ききあるき・東京<酎ハイ>物語|WEB本の雑誌
寺)
 いわゆる山谷地区、泪橋*48あたりで、仕事にアブレた人たちが、朝から飲んでいました。浅草あたりに、あのころは怖くて歩けないくらい、大勢いたものです。
Q)
 とすると、サントリーが洋酒ブームを起こしていた時代に、同じ東京でも、山谷や浅草を震源地として焼酎ハイボールブームが存在していたということになりますね。
寺)
 戦後から30年代にかけて、山谷には人が集まっていました。
神)
 戦後のどさくさで、労務者がドヤに集まっていて、安く酔うために質の悪い焼酎を飲む。焼酎の臭いをごまかすために、いろいろな割り材を入れて、炭酸で割るようになりました。私は学校出たてのころ、山谷で彼らが、昼間から酔っ払っている間を縫うように配達したものです。
阿)
 われわれ東京の炭酸メーカーにとって、山谷のようなところの酒屋さんはいいお得意さまでした。
寺)
 東京には、たとえば新宿のガード下など、たくさんあったんです。

第6回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈前編〉 3 - ききあるき・東京<酎ハイ>物語|WEB本の雑誌
Q)
 そのころから、「酎ハイ」という言葉があったんですか?
阿)
 「酎ハイ」じゃないですよ。
神)
 本来は「焼酎ハイボール」。ウイスキーは高価なので、代わりに焼酎を入れ「ハイボール」と称した。戦前はウメ割り、ブドウ割りのまま飲んでいて、炭酸を入れた酎ハイ文化になったのは戦後。私がかついで配達していた、昭和30年代の話です。

第6回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈前編〉 5 - ききあるき・東京<酎ハイ>物語|WEB本の雑誌
阿)
 だから、下町には、モツの煮込みと焼酎の「煮込み文化」があったんでしょう。
Q)
 もつ焼き(焼きとん)ではないのですか?
阿)
 焼きではなくて、煮込みと焼酎。さっき言った山谷のドヤ街なんか行くと、酒屋さんで、自作の独自酎ハイと煮込みだけ置いてあるようなお店が、けっこうありました。たとえば山谷の明治通りと吉野通りの交差点の、今ではコンビニエンスストアになっていますが、あそこはかなり最近までやっていました。そのなごりが、今、ホッピー通りとか煮込み通りなんて言われている、浅草の馬券場の裏に残っているんじゃないですか。
神)
 煮込み鍋がありますね。
Q)
 とすると、酎ハイと煮込みのとりあわせは、山谷から下町に広がっていった文化だと考えられますか?
寺)
 まず間違いではないでしょうね。
阿)
 歴史的な経緯もあって、浅草が、酎ハイや煮込みを出したはしりというか、発祥の地なんじゃないのかな。

第6回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈前編〉 7 - ききあるき・東京<酎ハイ>物語|WEB本の雑誌
神)
 もともと日本では酒税が高いでしょう。ウイスキーもビールも高嶺の花。焼酎だけが安かったんです。安い焼酎を使い、ウイスキーと似たようなハイボールや、(ボーガス注:ホッピーと焼酎で)ビールと同じような炭酸の飲み物をつくる。安物で何とかしようという発想です。

 焼酎が安いと言ってもそれはあくまでも「4リットルのペットボトル」で売ってる「大五郎(アサヒビール)」「大樹氷サントリー)」「ビッグマン(合同酒精)」などのような低価格焼酎の話ですが。味を無視すれば、この種の「安い焼酎」が手っ取り早く安く酔えることは否定できません。
 もちろん「百年の孤独 (焼酎) - Wikipedia」、「魔王 (焼酎) - Wikipedia」、「森伊蔵 - Wikipedia」などといった高級焼酎は話が別です。


◆近刊の広告『明治維新・勝者のなかの敗者:堀内誠之進と明治初年の尊攘派』(遠矢浩規著、2021年7月、山川出版社

明治維新 勝者のなかの敗者 | 山川出版社
 「堀内誠之進」という土佐藩出身の幕末維新の志士がいる。今日、その名はほとんど知られていないが(『日本人名大辞典』講談社には記載あり)、寺石正路『続土佐偉人伝』(1923)には、「誠之進三度謀反の企てにあづかり三度失敗して遂に獄中に憤死す其そ行、中道にあらずと雖も倔強の奇男子なりといふべし」と紹介されている。
 この3度というのは「奇兵隊の反乱」(1870年)、「二卿事件」(1871年)、「西南戦争」(1877年)であり、いずれも攘夷を捨てた有司専制の新政府に対する決起行動で、堀内は首謀者またはオーガナイザーとして深くかかわった。
 堀内の生涯には、徳川幕府を倒し新政府の樹立に功ありながらも維新後切り捨てられ、弾圧されていった幾多の「草莽の志士」「不平士族」たちの失望、憤激、悲劇が凝縮されており、そうした理想に敗れたものたちのなかにあって「征韓論」「西南戦争」「自由民権運動」と幅広くかかわった稀有な人物であるため、彼の生涯を追うことでそうした様々な敗者を具現化できるのではないかと考える。

明治政府転覆へ暗躍 堀内誠之進(四万十町出身)の軌跡たどる 30年超研究の早稲田大・遠矢教授が刊行|高知新聞
 明治維新直後の政府転覆計画で暗躍した高岡郡四万十町出身の志士、堀内誠之進の軌跡をたどる「明治維新・勝者のなかの敗者:堀内誠之進と明治初年の尊攘派」が、このほど刊行された。著者は早稲田大学政治経済学術院教授の遠矢浩規さん*49(58)。歴史上あまり知られていない堀内を「尊王攘夷派のもう一つの正義を貫いた人物」ととらえ、新たな光を当てている。
 堀内は1842年、旧柿木山村(現同町仁井田)生まれ。明治新政府に異をとなえた1870(明治3)年の奇兵隊反乱、翌年の二卿事件に加わり、西南戦争では土佐人としてただ一人、西郷隆盛の陣営で戦った。その後、政府転覆計画の首謀者として収監され、80年10月に大津市の獄中で病死した。
 遠矢さんは堀内を「関わった事件の幅広さで類を見ない」と重視。30年以上にわたって研究し、高知県にも度々訪れて家系や史料を調べた。
 著書では堀内の生い立ちや、度重なる政府転覆計画との関わりなどを、大久保利通木戸孝允らを登場させながら詳述。土佐での潜伏逃亡や、投獄先の大津市で病死するまでの足取りも丹念に追っている。
 堀内本人が書いた史料はほとんどなく「他の史料から判明した足跡をつぶさにつなげた」(遠矢さん)という労作。2019年に堀内の墓を大津市で発見するなど調査に協力した同町のガイド組織「四万十あちこちたんね隊」の池田十三生さん(78)は「堀内は旧窪川町史にも記述が少ない。町の歴史的人物を掘り起こせてうれしい」と話している。
 四六判387ページ、税込み2750円。山川出版社刊。

 まあ、この種の徳川幕府を倒し新政府の樹立に功ありながらも維新後切り捨てられ、弾圧されていった幾多の「草莽の志士」「不平士族」たちとして有名どころでは「幕末の四大人斬り - Wikipedia」である河上彦斎 - Wikipediaなんかがいますね。

*1:大阪市立大学准教授。著書『日本古代の郡司と天皇』(2016年、吉川弘文館

*2:島根大学教授。著書『古代国家と年中行事』(2008年、講談社学術文庫

*3:東京都立大学准教授

*4:1866~1952年。著書『歴史の理論と歴史』(1952年、岩波文庫)など(ベネデット・クローチェ - Wikipedia参照)

*5:1901~1983年。著書『ミケルアンヂェロ』(1968年、岩波新書)、『自伝的戦後史(上)(下)』(1978年、講談社文庫)、『明治維新史研究』(1979年、岩波文庫)、『教育の論理:文部省廃止論』(1981年、講談社文庫)、『都市の論理』(1982年、講談社文庫)など

*6:1897~1945年。法政大学教授。著書『哲学入門』(1976年、岩波新書)、『人生論ノート』(1978年、新潮文庫→2017年、角川ソフィア文庫)、『パスカルにおける人間の研究』(1980年、岩波文庫)、『三木清エッセンス』(2000年、こぶし文庫)、『三木清・東亜協同体論集』(2007年、こぶし文庫)、『哲学ノート』(2010年、中公文庫)、『読書と人生』(2013年、講談社文芸文庫)、『三木清・教養論集』、『三木清・大学論集』、『三木清・文芸批評集』(以上、2017年、講談社文芸文庫) など

*7:専修大学教授

*8:名城大学准教授

*9:京都精華大学専任講師

*10:近畿大学准教授。著書『近代公娼制度の社会史的研究』(2015年、日本経済評論社

*11:関東学院大学教授。著書『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『戦後平和主義を問い直す』(2008年、かもがわ出版)、『戦犯裁判の研究』(2009年、勉誠出版)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など。個人サイトWelcome to Hayashi Hirofumi'

*12:岡山大学講師

*13:ひめゆり平和祈念資料館説明員

*14:東京大学准教授。著書『鎌倉幕府の検断と国制』(2011年、吉川弘文館)、『悪党召し捕りの中世:鎌倉幕府の治安維持』(2017年、吉川弘文館

*15:もともとは陶晴賢の家臣。しかし、晴賢が「厳島の戦い」で毛利氏に滅ぼされると、毛利氏に降伏し、家臣となっている(益田藤兼 - Wikipedia参照)。

*16:東京大学助教

*17:2019年、東京大学出版会

*18:成蹊大学専任講師。著書『国際連盟と日本外交:集団安全保障の「再発見」』(2021年、東京大学出版会

*19:鹿児島大学教授。著書『「地域ファシズム」の歴史像』(2000年、法律文化社)、『首長の暴走:あくね問題の政治学』(2011年、法律文化社

*20:2020年、有志舎

*21:埼玉大学教授

*22:京都大学名誉教授、関西大学名誉教授。著書『立志・苦学・出世:受験生の社会史』(1991年、講談社現代新書→2015年、講談社学術文庫)、『丸山眞男の時代』(2005年、中公新書)、『清水幾太郎の覇権と忘却:メディアと知識人』(2018年、中公文庫)、『教養派知識人の運命:阿部次郎とその時代』(2018年、筑摩選書)など(竹内洋 - Wikipedia参照)

*23:1932~2007年。著書『世直しの倫理と論理』(1972年、岩波新書)、『何でも見てやろう』(1979年、講談社文庫)、『歴史の転換のなかで』(1980年、岩波新書)、『日本の知識人』(1980年、講談社文庫)、『世界が語りかける』(1980年、集英社文庫)、『天下大乱を行く』(1981年、集英社文庫)、『地図をつくる旅』(1981年、文春文庫)、『「ベトナム以後」を歩く』(1984年、岩波新書)、『「問題」としての人生』(1984年、講談社現代新書)、『われ=われの哲学』(1986年、岩波新書)、『私と天皇・人びとのなかの天皇』(1988年、ちくま文庫)、『「殺すな」と「共生」:大震災とともに考える』(1995年、岩波ジュニア新書)、『戦争か、平和か:「9月11日」以後の世界を考える』(2002年、大月書店)、『小田実のアジア紀行』(2003年、大月書店)、『9.11と9条:小田実・平和論集』(2006年、大月書店)、『生きる術としての哲学:小田実・最後の講義』(2007年、岩波書店)、『中流の復興』(2007年、NHK生活人新書)、『「難死」の思想』(2008年、岩波現代文庫)など(小田実 - Wikipedia参照)

*24:1931~2015年。著書『民衆を信ぜず、民衆を信じる:「ベ平連」から「市民の意見30」へ』(2008年、第三書館)など。個人サイト(2013年12月4日が最終更新)(吉川勇一 - Wikipedia参照)

*25:1926~2011年。著書『20世紀の〈社会主義〉とは何であったか』(1997年、論創社)、『日本共産党はどこへ行く?』(2004年、論創社)、『恐慌論』(2007年、論創社)、『東洋自然思想とマルクス主義』(2007年、御茶の水書房)など。(いいだもも - Wikipedia参照)。

*26:1927年生まれ。著書『歴史の道標から』(1989年、れんが書房新社)、『世紀を越える』(2001年、社会評論社)、『未来形の過去から』(2006年、インパクト出版会)、『わが先行者たち』(2010年、水声社)など(栗原幸夫 - Wikipedia参照)

*27:1931年生まれ。著書『〈戦後日本国家〉という問題』(1999年、れんが書房新社)、『帝国の支配/民衆の連合:グローバル化時代の戦争と平和』(2003年、社会評論社)、『アメリカ帝国主義と日本戦後国家の解体』(2006年、社会評論社)、『潜在的保有と戦後国家』(2011年、社会評論社)、『戦後レジーム憲法平和主義』(2016年、れんが書房新社)、『戦後レジーム憲法平和主義』(2019年、22世紀アート)、『「戦後日本国家」の変態:このまま戦争ができる国家へと向かうのか』(2021年、22世紀アート)など(武藤一羊 - Wikipedia参照)

*28:1931年生まれ。著書『生きる場の哲学』(1981年、岩波新書)、『解放の哲学をめざして』(1986年、有斐閣新書)、『静かな大地:松浦武四郎アイヌ民族』(1993年、岩波同時代ライブラリー→2008年、岩波現代文庫)、『増補・アイデンティティと共生の哲学』(2001年、平凡社ライブラリー)、『ピープルの思想を紡ぐ』(2006年、七つ森書館)、『田中正造と民衆思想の継承』(2010年、七つ森書館)など(花崎皋平 - Wikipedia参照)

*29:1930~2003年。著書『「声なき声」をきけ:反戦市民運動の原点』(2003年、同時代社)など(小林トミ - Wikipedia参照)

*30:1922~2015年。元同志社大学教授。著書『北米体験再考』(1971年、岩波新書)、『アメリカ哲学』(1986年、講談社学術文庫)、『柳宗悦』(1994年、平凡社ライブラリー)、『老いの生きかた』(1997年、ちくま文庫)、『アメノウズメ伝』(1997年、平凡社ライブラリー)、『限界芸術論』(1999年、ちくま学芸文庫)、『太夫才蔵伝:漫才をつらぬくもの』(2000年、平凡社ライブラリー)、『戦時期日本の精神史:1931‐1945年』、『戦後日本の大衆文化史:1945‐1980年』(以上、2001年、岩波現代文庫)、『夢野久作・迷宮の住人』(2004年、双葉文庫)、『回想の人びと』(2006年、ちくま文庫)、『期待と回想』(2008年、朝日文庫)、『教育再定義への試み』、『竹内好』(以上、2010年、岩波現代文庫)、『思い出袋』(2010年、岩波新書)、『文章心得帖』(2013年、ちくま学芸文庫)、『埴谷雄高』(2016年、講談社文芸文庫)など(鶴見俊輔 - Wikipedia参照)

*31:1933~2004年。立教大学名誉教授。著書『政治の発見』(1997年、岩波同時代ライブラリー)、『地方の王国』(1997年、岩波同時代ライブラリー→2013年、講談社学術文庫)、『市民政治再考』(2004年、岩波ブックレット)、『政治学への道案内』(2012年、講談社学術文庫) など。(高畠通敏 - Wikipedia参照)

*32:1914~1974年。1961年に日本共産党を除名され、社会主義革新運動を結成し、事務局長に就任。1967年に共産主義労働者党を結党し議長に就任。1969年労働運動研究所を組織し理事に就任。1974年心筋梗塞のため死去(内藤知周 - Wikipedia参照)

*33:東京工業大学准教授。著書『基地の政治学:戦後米国の海外基地拡大政策の起源』(2012年、白桃書房)、『沖縄と海兵隊:駐留の歴史的展開』(共著、2016年、旬報社)、『基地問題の国際比較:「沖縄」の相対化』(編著、2021年、明石書店

*34:東京大学名誉教授

*35:2020年、有志舎

*36:東北大学教授。著書『スターリンと新疆 : 1931~1949年 』(2015年、社会評論社)、『スターリンとモンゴル:1931~1946』(2017年、みすず書房)、『スターリンの極東政策』(編著、2020年、古今書院

*37:なお、第2部の「塩川・冷戦終焉論」をその後発展させたものが、塩川『国家の解体:ペレストロイカソ連の最期』(2021年、東京大学出版会)であるというのが、寺山書評の評価。

*38:著書『ゴルバチョフ』(2019年、白水社)(ウィリアム・トーブマン - Wikipedia参照)

*39:著書『レーニン』(2002年、岩波書店)、『ロシア革命 1900-1927』(2005年、岩波書店)、『情報戦のロシア革命』 (2012年、白水社)、『トロツキー』(2013年、白水社)など(ロバート・サーヴィス - Wikipedia参照)

*40:サーヴィスの『冷戦終焉論』とはロバート・サーヴィス - Wikipediaが紹介する『The End of the Cold War 1985-1991』(2015年)と思われるが現時点で未邦訳。

*41:1892~1982年。著書『ボリシェヴィキ革命:ソヴェト・ロシア史 1917~1923』(全3巻、1967年、みすず書房)、『ロシア革命の考察』(1969年、みすず書房)、『独ソ関係史』(1972年、サイマル出版会)、『一国社会主義:ソヴェト・ロシア史 1924~1926』(全2巻、1974年、みすず書房)、『ロシア革命レーニンからスターリンへ 1917~1929年』(1979年、岩波書店→2000年、岩波現代文庫)、『コミンテルンとスペイン内戦』(1985年、岩波書店)、『コミンテルンの黄昏:1930~1935年』(1986年、岩波書店)など(E・H・カー - Wikipedia参照)

*42:「記念の主体」が1)国としては「全世界」「旧ソ連(ロシア)」「日本」のどれなのか、2)記念行事としては「旧ソ連の国家行事限定」なのか、「(旧ソ連以外の世界各国の)民間団体の行事も含むのか」、民間を含む場合、「ロシア革命に肯定的な左派」だけでなく、ロシア革命を否定的に評価する「反共右派も含むのか」によって話は大きく変わってきますが、寺山書評はそのあたりが明確でないのが残念です。

*43:葛飾区産業観光部観光課主査学芸員谷口榮 - Wikipedia参照)

*44:下町ハイボールとはいわゆる「焼酎ハイボール(酎ハイ)」のこと。もちろん元々のハイボールは「ウイスキーハイボール」です。

*45:いわゆる読売新聞の『黄色い血』キャンペーンなどもあり売血は今ではなくなりますが

*46:著書『つげ忠男コレクション』(2021年11月刊行予定、ちくま文庫)など

*47:著書『新版・つげ義春とぼく』(1992年、新潮文庫)、『新版・貧困旅行記』(1995年、新潮文庫)、『無能の人・日の戯れ』、『義男の青春・別離』(以上、1998年、新潮文庫)、『蟻地獄・枯野の宿』(1999年、新潮文庫)、『つげ義春コレクション(全9冊)』(2009年、ちくま文庫)、『つげ義春の温泉』(2012年、ちくま文庫)、『つげ義春日記』(2020年、講談社文芸文庫)など

*48:泪橋といえば「あしたのジョー」の矢吹丈丹下段平と出会うのが泪橋ですね。

*49:著書『利通暗殺:紀尾井町事件の基礎的研究』(1986年、行人社)