偶然にしては出来過ぎな気がするので「蒼井優の命名者=蒼井雄ファンかも?」つう気がします(アマチュア作家の上に寡作のため、蒼井雄はあまり有名ではありませんが)。
あと、これまた萩原遼 - Wikipediaも萩原遼 (映画監督) - Wikipediaから「萩原監督ファン」坂本孝夫(萩原遼 - Wikipediaの本名)が命名したのかなあ、つう気がします。ウィキペディア見ても命名の由来はわかりませんが。
【参考:蒼井優と蒼井雄】
蒼井優 - Wikipedia参照
1985年生まれ。
1999年にミュージカル『アニー』のポリー役でデビュー。
2000年から2002年まで新潮社の雑誌『ニコラ』でレギュラーモデルを務める。2002年に「三井のリハウス」の10代目リハウスガールに選ばれ、2003年にTBS『高校教師』で初めて連続ドラマにレギュラー出演した。
2006年は映画『フラガール』などの演技が認められ、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞をはじめ多くの映画賞を授賞した。
2008年、日本テレビ『おせん』で連続ドラマ初主演を果たす。
2017年に公開された主演映画『 彼女がその名を知らない鳥たち』で日本アカデミー賞やキネマ旬報賞など主演女優賞を多く授賞した。
2020年、主演映画『スパイの妻』がヴェネツィア国際映画祭に正式出品され、黒沢清監督が銀獅子賞(監督賞)を受賞した。
蒼井雄 - Wikipedia、蒼井雄 作品参照
◆概要
1909~1975年。本名は藤田優三。電力会社の技術者を本業とする寡作なアマチュア作家ながら、日本において初めて鉄道ダイヤを題材とした長編探偵小説『船富家の惨劇』(1935年)を著したことで、日本の推理小説史に名を残している。戦後に鉄道ダイヤを用いた推理小説を書いた鮎川哲也や松本清張(『点と線』)も、この作品に影響を受けたという。
◆経歴
大阪市立都島工業学校 (現・大阪市立都島工業高等学校)電気科を1925年卒業。大手電力会社の宇治川電気(後の関西電力)に技術者として入社。1964年の定年*1まで関西電力に勤務し、その後も1971年まで電気関連会社に勤めた。
蒼井雄名義での処女作は、「ぷろふいる*2」1934年9月号に掲載された短編『狂燥曲殺人事件』である。
1935年10月、春秋社の書き下ろし長編探偵小説懸賞募集を知り、『殺人魔』を執筆し翌年1月に応募(自筆随筆「盲腸と探偵小説」『ぷろふいる』1936年10月号による)。本作は江戸川乱歩の激賞を受けて懸賞の第一席を獲得し、1936年3月に『船富家の惨劇』と改題されて刊行された。元検事の中年私立探偵である南波喜市郎(なんば・きいちろう)を主人公としたこの作品は、地道なアリバイ崩しを主題とした内容で、それ以前の日本探偵小説における、通俗性や扇情主義からは距離を置いた作品であった。クロフツの『樽』、フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』の影響が強い。
他に長編としてはやはり南波喜市郎を探偵役とした『瀬戸内海の惨劇』(1936年に 『ぷろふいる』連載)があるが、内容的には構想倒れの感が強く、『船富家』に及ぶ作品ではなかった。
1936~37年にかけ、『瀬戸内海の惨劇』や幾つかの短編を探偵小説雑誌、同人誌に掲載したが、地味な作風もあって十分な評価を受けないままに終わった。戦後、探偵小説雑誌が再び刊行されるようになると、短編の代表作とされる『黒潮殺人事件』(1947年)など若干の短編を発表したものの、本業の多忙から1948年を最後に創作の発表を止め、1956年の「船富家の惨劇」再刊に際して若干の加筆を行うに留まった。
1975年死去。没後の1978年に、遺稿となった長編『灰色の花粉』(1960年代前期の執筆と推定)が雑誌「幻影城*3」に掲載された。
【著作:アンソロジー】
◆『日本探偵小説全集12:名作集2』(1989年、創元推理文庫)
蒼井作品として「霧しぶく山」、「船富家の惨劇」を収録。
◆『「ぷろふいる」傑作選:幻の探偵雑誌1』(2000年、光文社文庫)
蒼井作品として「狂燥曲殺人事件」を収録。
◆『「探偵春秋」傑作選:幻の探偵雑誌4』(2001年、光文社文庫)
蒼井作品として「霧しぶく山」を収録。
◆『「探偵」傑作選:幻の探偵雑誌9』(2002年、光文社文庫)
蒼井作品として「執念」を収録。
【著作:蒼井の単著】
◆『瀬戸内海の惨劇』(1992年、国書刊行会)
蒼井作品として表題作「瀬戸内海の惨劇」や「黒潮殺人事件」を収録。
◆『蒼井雄探偵小説選』(2012年、論創社)
蒼井雄『蒼井雄探偵小説選』(論創ミステリ叢書) - 探偵小説三昧によれば、「狂燥曲殺人事件」、「執念」、「最後の審判」、「蛆虫」、「霧しぶく山」、「黒潮殺人事件」、「第三者の殺人」、「三つめの棺」、「犯罪者の心理」、「感情の動き」、「ソル・グルクハイマー殺人事件」(京都探偵倶楽部(大井正/馬場重次/大畠健三郎/渡部八郎/斗南有吉/波多野狂夢/蒼井雄/左頭弦馬)による連作)収録。
【参考:萩原遼】
萩原遼 - Wikipedia参照
1937~2017年。本名は坂本孝夫。元赤旗記者。日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、党規違反行為を理由に除籍された(赤旗萩原遼氏を除籍(2005年6月23日)参照)。
【著書】
◆『淫教のメシア・文鮮明伝』(編著、1980年、晩聲社)
◆『民主主義よ君のもとに 韓国全斗煥体制下の民衆』(1986年、新日本出版社)、
◆『ソウルと平壌』(1989年、大月書店→1998年、文春文庫)
◆『朝鮮戦争』(1993年、文藝春秋→1997年、文春文庫)
◆『「朝鮮戦争」取材ノート』(1995年、かもがわ出版→『朝鮮と私:旅のノート』と改題して2000年、文春文庫)
◆『北朝鮮に消えた友と私の物語』(2001年、文春文庫)
◆『拉致と核と餓死の国北朝鮮』(2003年、文春新書)
◆『金正日 隠された戦争』(2006年、文春文庫)
◆『北朝鮮 金王朝の真実』(2012年、祥伝社新書)
萩原遼 (映画監督) - Wikipedia参照
1910~1976年。本名は萩原陣蔵。映画監督、脚本家の萩原章 - Wikipedia(1913年生まれ*4)の兄。
1935年(昭和10年)、山中貞雄*5監督の『丹下左膳余話 百萬両の壺』(大河内傳次郎主演(丹下左膳役))のチーフ助監督を務める。
1936年(昭和11年)、『お茶づけ侍』で監督としてデビュー。すぐに片岡千恵蔵に注目され、日活と配給提携をしていた片岡千恵蔵プロダクションで『荒木又右衛門』(片岡主演)を監督。1938年(昭和13年)には大河内伝次郎主演の『清水の次郎長』を監督した。
戦後はTBS『高杉晋作』(1963~1964年)、フジテレビ『里見八犬伝』(1964~1965年)などテレビドラマも監督している。1970年(昭和45年)、安藤昇主演『やくざ非情史 血の決着』を監督、日活系で配給されたが、これが遺作となった。
なお、片岡も大河内も戦前の人気時代劇スターであり、萩原監督が「それなりの評価」をされていたことがうかがえます。
ちなみに小生にとっては片岡と言えば
大岡越前 (テレビドラマ) - Wikipediaでの大岡忠高(加藤剛演じる江戸南町奉行・大岡忠相の父親)
ですね。
ただし、大岡忠高 - Wikipediaによれば
大岡忠相の父ということで、忠相を主人公とした小説やテレビドラマで、江戸南町奉行となった忠相と一緒に江戸で暮らしている姿が登場することがあるが、実際に忠相が江戸南町奉行となったのは、忠高死去の16年後のことであり、あくまでフィクションである。
だそうですが。
*1:蒼井は1909年生まれですので1964年には55歳ですね。今日の産経ニュース(2019年5月17日分)(松本清張「駅路」「一年半待て」のネタばらしがあります)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも触れましたが、この時代は今(60歳定年が主流)と違い、55歳定年が主流です。
*2:1933~1937年に発行された推理小説雑誌(ぷろふいる - Wikipedia参照)
*3:1975~1979年に発行された推理小説雑誌(幻影城 (雑誌) - Wikipedia参照)
*4:さすがに2021年現在、「108歳で存命」ではないと思いますが、ウィキペディアには没年が書いてありません。消息不明なのでしょう。なお、1913年 - Wikipediaによれば1913年生まれの人間としては、家永三郎(歴史学者、東京教育大学名誉教授、2002年死去、89歳)、奥野誠亮(田中内閣文相、鈴木内閣法相、竹下内閣国土庁長官を歴任、2016年死去、106歳)、団藤重光(刑法・刑訴法学者、東大名誉教授、2012年死去、98歳)、森繁久彌(俳優、2009年死去、96歳)などがいます。
*5:1909~1938年。1932~1937年の「わずか5年間」の監督キャリアで26本の時代劇映画(共同監督作品を含む)を発表したが、今日までフィルムがまとまった形で現存する作品は『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935年)、『河内山宗俊』(1936年)、『人情紙風船』(1937年、山中の遺作)の3本しかない(山中貞雄 - Wikipedia参照)。