今日の産経ニュース(2019年5月17日分)(松本清張「駅路」「一年半待て」のネタばらしがあります)(追記あり)

自民、丸山議員への辞職勧告で対応苦慮(1/2ページ) - 産経ニュース
 自民議員じゃないので苦慮するのはおかしいのですが
1)「ナチス発言の麻生」など同類の暴言議員(自民所属)に辞職勧告が出たら困る
2)「安倍改憲」に好意的な維新と仲良くやっていきたい(そもそも維新がこんな奴を未だにかばうこと自体おかしいですが)
から賛成したくないが、ここまで酷い代物では、さすがに公然とかばえない、「頼むから自分からやめてほしい」という「自民党らしい酷い話」です。


習主席の初来日を調整 安倍首相と中国外交トップが面会、首脳の相互訪問定着目指す - 産経ニュース

「習氏*1の訪日を契機に、正常軌道に戻った日中関係をさらに発展させたい」
 安倍首相がこう述べると、楊氏*2も「これからも(日中関係が)健全かつ安定的に発展していくと確信している」と応じた。
 昨年は5月に中国の李克強*3首相が中国首相として8年ぶりに来日し、10月には安倍首相が日本の首相として7年ぶりに訪中した。
 日本側はこの流れを生かし、首脳間の頻繁な相互往来を定着させ、日中関係の発展の土台を安定させたい考えだ。
 また、日中韓3カ国の首脳による日中韓サミットは中国が次回会合で議長国を務める順番だ。年内に開催される場合、安倍首相が昨年に続いて訪中する形となる。政府は習氏を国賓待遇で日本に招くことを検討しており、国際会議の開催日程などを見極めながら、中国側と交渉を重ねている。

 ということでウヨ連中の言う「反中国路線」など安倍がとる気はないことが改めて明らかになりました。それでも安倍批判しないのだから、にもかかわらず、「 玉城沖縄県知事の中国おもねり外交 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイトなどと玉城知事に言いがかりをつけるのだから、櫻井よしこらウヨ連中も全くデタラメです。


台湾で同性婚容認法案が可決 アジア初、24日施行 - 産経ニュース
 人権面では既に台湾は日本を抜いてるんじゃないか、そんな気すらします。
 なお「台湾との友好」を叫ぶ日本ウヨもこの件では「台湾を見習って日本も同性婚を認めよう」とはならないのでしょう。


【主張】70歳雇用の推進 働く意欲を高める制度に - 産経ニュース
 もちろん「生涯現役」ということは悪いことではない。しかし問題はネット上で既に批判があるように「年金給付が厳しくなってきたこと」を理由に「事実上70歳定年を押しつける方向」という疑いが濃厚ということでしょう。
 「老人が働くこと」は義務であるべきではないでしょう。60歳定年ならともかく70歳定年が「国民のコモンセンス(共通理解)」があるとはとてもいえないでしょう。
 「話が脱線しますが」ちなみに大昔(?)は「55歳定年」でした。「年金問題(55歳定年だと年金財政がきつい)」「平均寿命の延び(55歳を老人扱いすることが適切でない)」などなどで「60歳にのびた」わけです(まあ織田信長の時代だと「人間50年」、孔子だと「五十にして天命を知る」ですしね)。
 ただ定年の延長も「55→60」はいいとして「60→65」だの「60→70(あるいは65→70)」だのは果たして適切なのか。
 まあ、それはともかく、「昔は55歳定年」がよくわかるのがNHKドラマ「松本清張シリーズ 最後の自画像」(1977年)(原作は松本清張『駅路』、脚本は向田邦子*4)です。これを俺はNHKアーカイブスの再放送で見ましたが、いいですね。一度見ることを是非お薦めしたい。「松本清張って本当にいいな」と感動しますね。
 「呼野刑事(内藤武敏)」
 「呼野の後輩・北尾刑事(目黒祐樹)」
 「定年後失踪*5するサラリーマン小塚(山内明)の妻(加藤治子*6
 「小塚の愛人*7いしだあゆみ)」
 「愛人のいとこ。小塚と愛人の間の伝令役を務めていたが、失踪時に小塚が持ち出したカネを奪うために、ヒモと一緒に小塚を殺害*8する女性(吉行和子)」が全ていい味を出している。

・「失踪した小塚の気持ちが分かる気がする」という「定年前の刑事」呼野(内藤武敏
・「小塚の気持ちが全然分からない」という若い北尾(目黒祐樹
・夫・小塚の裏切りを知らされて怒りをぶちまける妻(加藤治子*9
・「小塚の失踪に結局つきあわず、そのことに罪悪感を感じ、小塚の捜索に乗り出す」「いとこ(吉行和子)が小塚を金目当てにヒモと一緒に殺したんじゃないかと疑いながら、呼野に指摘されるまではその事実から目を背けていた」愛人(いしだあゆみ
・「生活のためには小塚を殺すしかなかった」とうそぶきながらも、小塚の愛人(いしだあゆみ)を口封じのために殺すことがどうしてもできなかったいとこ(吉行和子

が全ていい味を出しています。「1977年のドラマ」なので目黒祐樹(1947年生まれ)もいしだあゆみ(1948年生まれ)もまだ全然若いです。
 ググっても「最後の自画像」についてのいい記事が見つからないんですが、俺の記憶だと最後に内藤武敏演じる呼野刑事が以下のようなことをいうわけです。うろ覚えなんで正確じゃないですが。

 呼野
「俺もこの年になると、定年になったら、小塚さんのように家族を捨てて放浪の旅にでも出たくなるよ」
(内藤は1926年生まれです(2012年に死去)。ドラマ放送時の1977年には51歳なので「定年前の刑事」という設定と実年齢でも近い年齢です)
 北尾
「呼野さんみたいな、まじめな人でもそう思うんですか?」
(北尾を演じる目黒は1947年生まれなのでこのドラマ放送時の1977年では30歳です)
 呼野
「独身の君にはまだ分からないだろうが、妻や子どもは勝手なことを言うし、家庭なんてもんは楽しいことばかりじゃないからね。ゴーギャンは55歳で家族を捨ててタヒチに移住し、まもなく死んだ。ゴーギャンには家族の代わりに絵とタヒチがあった。ゴーギャンと同い年の55歳で定年退職した小塚さんは愛人とカメラの趣味があった。でも平凡な俺には愛人もタヒチも趣味らしい趣味も何もないんだな。まあ、定年になっても家族と一緒に平凡な人生を歩んでいくんだろうな。まあ、それも人生だよ」

 で、俺がこれを見たときに一番印象に残ったのは、「そうか、1977年(今から約42年前)ってまだ55歳定年だったんだ」「ゴーギャンって55歳で死んだんだ」と。話の本筋じゃない、どうでもいいことが記憶に残ったりします。
 正直、この件に限らず昔のミステリ小説、ドラマってのは最近の若者が見ると俺みたいな「え、そうなんだ?」が多いでしょうね。
 例えば昔は殺人の時効は15年のわけです。
 で「ミステリドラマ、小説で良くあるパターン」が「時効成立前に絶対に逮捕する!」つう設定です。十津川警部シリーズでも確かそういう設定がありましたが、これ今では成り立たない。殺人は時効がないですから。
 あるいは「顔のない殺人トリック」も成立しないですよね。DNA鑑定で誰だか簡単にわかりますから。

【追記その1】
 上で「いい記事が見つからない」と書いたのですが改めてググったらいくつか見つかりました。

生誕100年 ~ 清張再読
 銀行を定年退職した小塚貞一は、都内の自宅を出たまま失踪する。行く先も告げずに一人でカメラを抱えて出かけることは常なので、妻は気にもとめなかったが、戻る気配はない。家出人捜索願で動いた呼野刑事は、小塚の旅行先が(ボーガス注:福井県東尋坊、(ボーガス注:岐阜県下呂温泉、(ボーガス注:長野県)木曽福島、京都、奈良、(ボーガス注:愛知県)蒲郡、(ボーガス注:和歌山県)串本と、小塚の前々任地広島との中間に位置することから、前任地名古屋を素通りして広島に向かう。そこで、過去の出勤簿の休暇の記録から、愛人福村慶子の存在を突き止めるが、彼女は小塚の失踪の一月前に病死していた。そして、両人の連絡役だった従姉の福村よし子が情夫と共謀し、慶子の死を小塚に知らせず、従妹の財産を横領したうえ、慶子との待ち合わせ場所に着いた小塚を殺害という犯罪が露見する。
 この短編ではゴーギャンの絵が重要なモチーフになっている。小塚宅の玄関に飾られた複製画、呼野刑事はゴーギャンの人生に捜査のヒントを得るとともに、小塚や自身の人生を重ね合わせる。事件が解決したとき、相棒の若手刑事への述懐がこれ。
 「ゴーギャンが言ったじゃないか。人間は絶えず子供の犠牲になる。それを繰り返してゆく、とね。それでどこに新しい芸術が出来、どこに創造があるかと彼は云うのだが、芸術の世界は別として、普通の人間にも平凡な永い人生を歩き、或る駅路に到着したとき、今まで堪え忍んだ人生を、ここらで解放してもらいたい、気儘な旅に出直したいということにならないかね。まあ、いちがいには云えないが、家庭というものは、男にとって忍耐のしどおしの場所だからね。小塚氏の気持ちはぼくなんかにはよく分かるよ*10
 これは、男の見方である。では、女なら…。向田邦子の脚本は小説のディテールは忠実に活かしながら、アッという翻案が加わっている。いかにも、彼女らしい。
 福村慶子の名前は皮肉、恋人との再出発を前に病死するという薄幸さ、清張版では目立たない脇の人物の扱いに近いが、向田版では彼女を中心に据えた趣きすらある。もちろん病死もせず生き残る。小塚と約束した待ち合わせ場所に姿を見せなかったのは、いよいよ違う人生に踏み出すときになっての逡巡、それが幸か不幸か、彼女は従姉と情夫による殺害から免れることになる。「あんたは、運が強いよ」と、逮捕された従姉がつぶやくのだから。小塚の失踪も知らず、約束をすっぽかしたものの焦燥やみがたく上京、小塚夫人に近づき動静を探るという行動力は清張版の慶子には全く見られないものだ。か弱いどころか、もはや自立した女、脚本家自身の投影があるような気もする。時代の違いか。脚本の時代設定は原作より20年ほど進めている。
 そんな違いがあるので、テレビドラマには女同士の会話の場面が多く出てくる。小説には全くない。松本清張は女の心の襞に分け入る文章の書ける人だが、さすが、女性が書くとこうなるのかというのは向田邦子の面目躍如というところ。
 阿刀田高*11が巻末の「編者エッセイ」で書いているように、「駅路」は「この長さで書いてはいけないアイデアじゃないでしょうか」と。
 私も思う。きっと依頼の枚数に収めるために、(書けたはずなのに)刈り込まれたディテールが惜しい。まあ、それだからこそ、向田脚本(この人の唯一の松本清張作品)の存在価値もあるのだけど…

駅路/最後の自画像: お山のおねえさん
 「駅路」は昭和三十五年に書かれた45枚程度の短編で、何度もテレビドラマ化されている。確か昨年の松本清張生誕100年で各局で名作がドラマ化された時にもフジテレビで石坂浩二深津絵里役所広司のキャスティングで最新の「駅路」が描かれた。
 まじめに停年まで勤め上げた銀行員が停年した翌日に蒸発し、その行方を探ると銀行員の知られざる素顔に辿り着くというストーリー。ベテラン刑事と若い刑事が残された旅行の記録やアルバムを手がかりに、銀行員が地方の支店で知り合った女性行員と密かに愛を育んできたことをつきとめる。会社や家族への奉仕を終えた55歳の男が、停年後、これまた男の噂ひとつもない地味なハイミスと新たなスタートを切るはずだった。ところが5年あまりの交際期間中、ずっと二人の連絡係だったいとこ夫婦に最後にハメられ、二人は遂に夢を果たすことなく命を絶たれるという切ない物語である。
 今の時代にあてはめても少しも古くささも感じられないテーマである。話に奥行きを持たせるのがゴーギャンの絵。ゴーギャン自身も人生半ばで妻子を捨て、自由を求めて楽園タヒチへ移り住んだ画家である。
 私は原作を読んだ後、しばらく考えてみた。自分だったらどんな脚本にするだろうか、と。しかし読み進めていくと、自分のお粗末な創造力を思い知らされてしまう。向田邦子は原作を脚色することを嫌う脚本家だったそうだが、この「駅路」に関しては例外だ。原作では銀行員と愛人両方が殺される*12のだが、愛人だけを生き残らせるという大胆な発想。タイトルも「駅路→最後の自画像」と変えてしまうし、銀行員の奥さんと愛人が対峙するというハラハラドキドキする場面までも作ってしまうのだ。
 私が印象的だったのは、原作では銀行員も愛人も、二人の付き合いの痕跡をまるで残さないのだが、向田邦子の脚本では女の方にこれを残す。カメラと旅行が趣味だった銀行員の家には旅先の風景だけを映したアルバムがある一方、愛人宅にはセミヌードのような大胆なカットも含めて、その女性を撮った写真がたくさん残されている。それらの写真は二人の生々しい関係を映し出すとともに、向田邦子自身の恋を蘇らせた。
 若かりし頃の彼女の写真は、女優でもないのにどう見てもプロが撮ったとしか思えないようなものが随分残されている。そして被写体の彼女はとても美しく艶っぽい。向田邦子自身の妻子あるカメラマン男性との悲恋は今ではよく知られているが、その彼が撮影したものだろうと思われる。写真からはそういう色気が漂っている。
 原作では淡い大人の恋愛という感触しか残らないが、脚本ではこれがある種の熱を持って伝わってくる。松本清張作品を読んでいる限り、おそらくご自身がそうそう恋愛や男女の機微にたけていた人とは思えないが、向田邦子の手にかかってそういう男女の機微や女の心の裡がプラスされて、鮮明に男と女の感触を残すリアルな物語になっている。
 この本の帯には「清張がニヤリと笑った、自作「駅路」の大胆な脚色。人生の岐路に立っていた向田自身のドラマ」とある。岐路に立ったというのは、この脚本を書く前に向田邦子乳がんの手術をし、輸血がもとで肝炎になったりと、若い頃から疾走してきた人生で初めて死に直面し、自らの人生を振り返ることをしたという。そういう時期だっただけに、蒸発する銀行員、寸前で駆け落ちを留まる愛人、夫の裏切りを知る夫人、事件を追うべてらん刑事などなど、登場人物のそれぞれに彼女の魂が注がれているような気がする。
 ある意味、名コンビではないかと思われるこの二人。もっともっと競演を見たかったものだが、残念なことにお二人とももうこの世にはいない。
 松本清張はたくさんの作品を残してくれたのでまだしも、20歳も上の清張より早く逝った向田邦子の死はやはり悔やまれてならない。今はただ残された作品を何度も何度も辿るしかない。それでも何度読んでも飽きない、感嘆させられる向田作品。生きていたら今頃、一体どんな作品が読めたのだろうか。あ〜、悔しい。

駅路/最後の自画像(松本清張・向田邦子) - 若 駒太郎のブログ
 「駅路」についてのあらすじは、
「平凡な永い人生を歩き、終点に近い駅路に到着した時、耐え忍んだ人生からこの辺で解放してもらいたいと願い、停年後の人生を愛人と過ごそうとして失踪した男の悲しい結末を描く」
 というものです。
 これを向田邦子はどのように脚色していったのか。
 ひとつは、題名を「最後の自画像」としたように、失踪する主人公が憧れていた画家、ゴーギャンの絵を随所に見せ、それを使って場面場面での登場人物の心理を暗示しているということです。原作では3枚しか絵を使っていません。
 ゴーギャンは第二の人生を求めてタヒチに移り住んだ画家ですが、そのことと主人公の失踪とを重ね合わせてもいます。
 失踪した主人公を捜索している刑事に「人間誰しも(ボーガス注:人生の)終点に近い駅路に来た時初めて自分だけの自由を取り戻したくなるんじゃないか」と、語らせたように、物語の核心のようなものを絵をとおして描いています。
 しかも「人間は絶えず子どもの犠牲になる、それを繰り返してゆく。それでどこに新しい芸術が出来、どこに創造性があるか」というゴーギャンの言葉をヒントに、ゴーギャンは絵画をで新しい創造を試み、男は恋人との生活でそれを満たしている、という男の持っている悩みの芯をそのままドラマの主題として真ん中に据えています。そう考えると「最後の自画像」という題名は、腑に落ちます。
 ふたつめは、原作では亡くなっている主人公の恋人を生き返らせて、妻のところに訪問させながら、女同士が火花を散らすシーンを作っていることです。
 松本清張が 脚本全体について、「これは深いところを突いているね」と呟いた、というエピソードからもわかるように、向田邦子は非凡な才能の持ち主でした。つくづく(ボーガス注:飛行機墜落事故での)早い死が悔やまれます。

読書75「駅路/最後の自画像」(松本清張・向田邦子)新潮社 - おやじのつぶやき
 見逃してしまったドラマ「駅路」。フジテレビで、昨年放映された作品です。もともと、昭和50年にNHKの土曜ドラマシリーズ、向田邦子の脚本・「最後の自画像」として放映され、そのリメーク版だったそうです。
 この書は、その松本清張の原作「駅路」と向田さんの脚本「最後の自画像」を掲載したもので、先に清張の原作・小説を読み、次の向田の脚本を読み解くという形式になっています。原作は、400字詰め原稿用紙で45枚ほどの短編、それを放映時間70分のドラマにする。400字詰めで約80枚ほどになりますか。
 原作のテーマをいかに深化させていくか、さらに脚本として自立した作品としてしたてあげていくか、など素人には分からない創作者(この場合は、向田さんの)実像に迫った解説が加えられています。
 特に大きな違いは、不倫相手の女性を死なせず、男性の妻のもとを訪問し、対話させたこと。(原作では病死したことを隠し、関係者が主人公の男性を殺害し金を奪う)また、原作では(ボーガス注:呼野刑事の説明でしか)ほとんど登場しない女性陣を多く登場させたこと、など。

向田邦子 × 松本清張(2)・『最後の自画像』『駅路』 - 私の中の見えない炎(旧館) - Yahoo!ブログ
 刑事の前に、ひとりの女性(いしだあゆみ)が姿を現す。原作小説ではこの女性キャラは死んでいるのだが、『最後の自画像』ではラストまで生きのびる。そして、不倫していた彼女の孤独な人物像がより深化している。
「女に生まれたのなら、子どもを産んで抱いてみたい。夫と子どもと三人で、遊園地で遊びたい。(ボーガス注:55歳の退職したじいさんとの生活で)お雛さまやPTAや誕生日や親戚づきあいや、そういうものを全部あきらめて生きていけるのか。
 5年前に不安でなかったことが、いまは違うんです…」(ボーガス注:呼野(内藤武敏)の「なぜ小塚(山内明)を裏切って失踪に同行しなかったのか」という質問への愛人(いしだあゆみ)の返答です)
 その他にも銀行マンの妻(加藤治子)、事件の鍵を握る女性(吉行和子)が、事件をめぐって怒りと嫉妬の炎を燃やしていた。
 清張の原作で描かれた初老男性の哀感に加えて、『最後の自画像』では女の敵は女とでも言わんばかりに、女性たちのどろりとした感情や怨念も描き込まれている。その重厚な群像劇を見ていると、これはほとんど向田邦子のオリジナルではないかという気さえするのだった。
 事件を象徴するアイテムとして登場する、ゴーギャンの不気味な絵画『死者は見ている』。裸婦の後ろで黒い死神が見守っている構図だが、物語にこれほどあてはまる絵画も、原作には影も形もないのである。
 荒涼とした後味は、向田作品の『阿修羅のごとく』(1979)などにも通じる。
 さて今回の(ボーガス注:フジテレビの)リメイク版『駅路』(2009)だが、出演者に(ボーガス注:内藤武敏の演じた呼野刑事役に)役所広司や(ボーガス注:いしだあゆみの演じた愛人役に)深津絵里など*13の芸達者を配し、時代背景を1980年代に変えてお色直ししているけれど、力不足は否めない(原作者の松本清張がわずかに出演するシーンは、リメイク版では唐十郎が演じていた。オリジナル版を知らない人は、何だ?と思っただろう)。
 『最後の自画像』の力作ぶりを見るにつけ、どうしても点は辛くなってしまう。昭和天皇死去やら何やらの付け足されたシーンがことごとく蛇足にしか見えないことや、オリジナル版の過酷な味わいがなく妙にしみじみとしてしまっているのも残念であった*14
 生前の向田は、自作のシナリオに無粋な改変が施されるのにかなり敏感だったらしいが、もし彼女がこの『駅路』を目にしたらどう思っただろうか。

お気に入りその1695~駅路/最後の自画像 - 鬼平や竹鶴~私のお気に入り~
松本清張向田邦子著「駅路/最後の自画像*15」を読みました。
 AMAZONの内容紹介を引用します。
=====
 なに不自由のない男が家庭を捨て、失踪した。
 追う者と残された女たち…。
 昭和52年、NHKで放送され、平成21年、フジテレビでリメーク*16された名作ドラマ。
 不世出の二人の才気と真髄が刻まれた、空前絶後の共著。
=====
 本書は、前回ブログで書いた「夜中の薔薇」を読んでいる最中に、偶然見つけて購入したものです。
 上気の内容紹介では判りにくいですが、清張の「駅路」をTVドラマ化するにあたり向田が題名を「最後の自画像」に変えて脚本を書きました。
 本書はふたつの作品を一冊にまとめた上、番組制作の経緯について番組プロデューサーの証言を加えたものです。
・向田の脚本「最後の自画像」。
 いくら松本清張から「自由にやりなさい」とお墨付きをもらったにしても、この脚本は自由過ぎ。
 題名を変える、主要人物の生死を変える、松本清張にボケ老人の役をやらせるなど。
 なかなかそこまでできないでしょうに、彼女は実に堂々とやってのけます。
 さすがは向田邦子
・そして特別出演・松本清張
 清張は、自分の小説がドラマ化されるときには作品に出演したがったことを初めて知りました。
 まるでヒッチコックみたいです*17
 ちなみに清張は原作にない登場人物・いしだあゆみの下宿の大家役で出演しています。
 それも妻に恍惚の人呼ばわりされながらも、刑事に事件解明の鍵になる情報を与える、という重要かつ難しい役です。
 巻末の解説によると、ドラマを観た人があまりの名演に清張だと気づかなかったそうです。
 本人もさぞ、やりがいがあったことでしょう。
・脚本の前半は原作に忠実に展開しますが、後半は一転して男の妻と愛人、そして男と愛人の仲介をしていた女という3人の女の心情が中心になり、向田ワールド全開です。
 特に物語における愛人の役割が原作とは天と地ほどに大きく違います。
 散々ネタバレをしましたが、これ以上詳しくは書きません。
 ぜひ清張と向田という大御所の作品を愛人を中心に読み比べていただき、読書の楽しみを堪能していただければと思います。

NHKアーカイブス(番組)|これまでの放送
松本清張ドラマシリーズ》
 “戦後日本の黒い霧”に迫る一方、日常の生活に潜む人間の業や社会問題を一貫して描き続けた作家・松本清張*18
 その松本さんが亡くなって10年を迎えるのを機に、1976年から1978年にかけて放送された「土曜ドラマ」の松本清張シリーズ13本の中から和田勉演出の「天城越え」、「火の記憶」、「最後の自画像」の3本をお送りします。
 松本清張さんを心の師と慕う推理作家の森村誠一さん*19松本清張さんについて様々な角度から熱く語ります。
【一口メモ】
土曜ドラマ松本清張シリーズには毎回、劇中に松本清張さん自身が必ず出演していました。
土曜ドラマ 松本清張シリーズ「天城越え
 85分/1978年(昭和53年)
 大正時代、天城峠でおきた殺人事件。ベテラン刑事と若い刑事の二人が捜査をするが、事件は迷宮入り。
 時は現代、事件当時若かった刑事の回想シーンでドラマは始まる。
 家出をした少年(鶴見辰吾)が天城峠で出会ったのはやさしい娼婦(大谷直子)と自分の過去を閉ざした土工(佐藤慶)。3人で旅をするうちに、やがて少年の一途で純粋な心が…。
 ドラマは、現代と当時を振り返りながら真相を明らかにしていく。
 1978年(昭和53年)芸術祭大賞受賞。
土曜ドラマ 松本清張シリーズ「火の記憶」
 70分/1978年(昭和53年)
 自分の過去を閉ざす一人の青年(高岡健二)。母(秋吉久美子)の17回忌で見つけた1通の手紙から、恋人(秋吉久美子)とともに母の故郷へ、自分と母の過去を捜す旅に出る。ドラマでは、幼い頃見た炎の記憶をたどり、母の意外な事実を知り、過去と葛藤しながら青年の心が開かれていく様が描かれていく。原作も同名、森村誠一さんおすすめの1本。
土曜ドラマ 松本清張シリーズ「最後の自画像」
 70分/1977年(昭和52年)
 ある一人の銀行マン(山内明)が、定年退職した翌日に蒸発*20した。ドラマは、会社人間だった男が、「会社」という居場所を離れるところからはじまる。男はなぜ姿を消したのか…、男の足取りを追ううち、会社一筋で生きながら、ゴーギャンの絵を愛した男の<自画像>が浮かび上がってくる。そして、ドラマは意外な展開をみせる。

 天城越えはむしろ映画(娼婦役が田中裕子)の方が有名ですけどね。
 ちなみにウィキペディアに寄れば土曜ドラマ・清張シリーズは

【1975年】
 「遠い接近」
 「中央流沙」
 「愛の断層」(原作のタイトルは「寒流」)
 「事故」
【1977年】
 「棲息分布」
 「最後の自画像」(原作のタイトルは「駅路」)
 「依頼人
 「たずね人」
【1978年】
 「天城越え
 「虚飾の花園」(原作のタイトルは「獄衣のない女囚」)
 「一年半待て」
 「火の記憶」
【1980年】
 「天才画の女」
【1982年】
 「けものみち
【1983年】
 「波の塔」

でその後も「土曜ドラマ枠」で

【1995年】
 「ゼロの焦点

だそうです。なお、ネタバレになりますが「一年半待て」の元ネタは明らかにアガサ・クリスティ検察側の証人」ですね。いわゆる一事不再理がネタになっています。


【追記その2:向田邦子について】

向田邦子はすごかった: 日本共産党 福島かずえ オフィシャルブログ
 今年(引用者注:2009年)はさまざまな節目の年です。一つが1981年に航空機事故で亡くなった脚本家・向田邦子さんの生誕80年。人柄がしのばれる記事を昔の「赤旗」で見つけました
▼さて、連載記事の最終回。“闘士”であった向田さんは、自分が長い「赤旗」読者だと明かします。「自民党のために書いているわけではない」「せめて『赤旗』にはほめていただきたい」。お会いしたかった人です。
 「しんぶん赤旗」2009年10月6日「潮流」

向田邦子と赤旗 - 福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!
 向田邦子赤旗に書いていた、となにかで読んだことはあったが、その文章をはじめて読んだ。
 昭和51年4月11日から9月19日まで、「赤旗日曜版」に7回エッセイを書いている。これで全てかどうかは知らない。
 題は、「灰皿評論家」「テレビの利用法」「イチスジ」「七不思議」「放送作家」「忘れ得ぬ顔」「あいさつ」。

*1:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席を経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席

*2:駐米大使、外相、国務委員(外交担当)などを経て中国共産党中央外事工領導弁公室主任(中国共産党の外交部門トップ)

*3:共産主義青年団中央書記処第一書記、河南省長・党委員会書記、遼寧省党委員会書記、第一副首相を経て首相(党中央政治局常務委員兼務)

*4:代表作としてNHKドラマ「阿修羅のごとく」、「蛇蝎のごとく」、日本テレビドラマ「パパと呼ばないで」、TBSドラマ「時間ですよ」、「七人の孫」、「寺内貫太郎一家」、NET(現在のテレビ朝日)ドラマ「だいこんの花」など。著書『向田邦子シナリオ集』全6巻(2009年、岩波現代文庫)など

*5:失踪は愛人(いしだあゆみ)との同棲を目的にしていたことが後に分かります。

*6:山内は1921年生まれ、加藤は1922年生まれですので実年齢でもドラマの設定「55歳」と大体同年齢です。

*7:清張原作では愛人は小塚の失踪以前から病死してる(ただし愛人のいとこにだまされて小塚はそれを知らない設定)のですが、ドラマでは「生きている」という設定に改変したことは良かったと思います(当然、いしだの台詞は全てドラマオリジナルです)。「砂の器」も「犯人の父親」は原作では犯行当時既に病死してるのですが、映画では「存命とした」のは良かったと思います(当然、父親・加藤嘉と刑事・丹波哲郎の応答は全て映画オリジナルです)。こうしてみると清張という人は「内容が良くなりさえすれば」原作改変もかまわない人なのだと分かります。

*8:ドラマにおいて「いしだあゆみ吉行和子の存在」が出てきた時点で「小塚失踪後、吉行がヒモと一緒にバーを開店した」という描写も出てくるので、見ているこちらは「吉行が金目当てにヒモと一緒に小塚を殺したのだろう(バーの開店資金は小塚から奪った金)」ということがすぐ想像がつきます。このドラマでは「真面目な堅物人間と思われてた小塚に愛人がいた」というのが最大のサプライズで小塚殺しの犯人捜しはある意味どうでもいい話です。その点は「犯人捜しがある意味どうでも良くなってる」映画「砂の器」と似ています。

*9:加藤はこのNHKドラマ以前からTBS「七人の孫」、「寺内貫太郎一家」、NET(現在のテレビ朝日)「だいこんの花」といった向田ドラマの常連です。

*10:上で俺が書いたうろ覚えの台詞とは大分違いますが、上の記述はそのまんま残しておきます。

*11:著書『松本清張を推理する』(朝日新書)、『短編小説を読もう』(岩波ジュニア新書)、『ことば遊びの楽しみ』(岩波新書)、『消えた男』、『黒い自画像』、『恋する「小倉百人一首」』、『楽しい古事記』、『日本語を書く作法・読む作法』、『やさしいダンテ<神曲>』(以上、角川文庫)、『妖しいクレヨン箱』、『奇妙な昼さがり』、『霧のレクイエム』、『コーヒー党奇談』、『獅子王アレクサンドロス』、『新トロイア物語』、『食べられた男』、『時のカフェテラス』、『ナポレオン狂』、『猫を数えて』、『猫の事件』、『マッチ箱の人生』、『迷い道』、『真夜中の料理人』(以上、講談社文庫)、『松本清張あらかると』(光文社知恵の森文庫)、『愛の墓標』、『いびつな贈り物』(以上、光文社文庫)、『海外短編のテクニック』(集英社新書)、『魚の小骨』、『私のギリシャ神話』(以上、集英社文庫)、『あなたの知らないガリバー旅行記』、『あやかしの声』、『アラビアンナイトを楽しむために』、『イソップを知っていますか』、『おとこ坂おんな坂』、『旧約聖書を知っていますか』、『恐怖同盟』、『ギリシア神話を知っていますか』、『黒い箱』、『源氏物語を知っていますか』、『コーランを知っていますか』、『シェイクスピアを楽しむために』、『新約聖書を知っていますか』、『日曜日の読書』、『花あらし』、『早過ぎた預言者』、『左巻きの時計』、『ホメロスを楽しむために』、『街のアラベスク』(以上、新潮文庫)、『東京ホテル物語』、『不安な録音器』、『夢の宴:私の蕗谷虹児伝』(中公文庫)、『海の挽歌』、『過去を運ぶ足』、『ことばの博物館』、『知らない劇場』、『街の観覧車』、『夜の旅人』(以上、文春文庫)など

*12:これはこのブログ筆者の勘違いで、原作では愛人は病死です。

*13:ちなみに「山内明が演じた小塚=石坂浩二」、「加藤治子が演じた小塚の妻=十朱幸代」、「吉行和子が演じた愛人のいとこ=木村多江」です。

*14:俺もこの感想にほぼ同感ですね。つうか「リメイクがオリジナルを超えること」は滅多にありません。

*15:2009年、新潮社

*16:フジのリメイクは放送時に一寸だけ見ましたがすぐにチャンネルを変えました。呼野を演じた「内藤武敏のイメージ」はいかにも「定年前のオヤジ」なんですが「二枚目イメージの役所広司」じゃねえ(苦笑、演じたときの年齢的には内藤も役所も同じくらいの年齢ですが)。もう少し「おっさんイメージの役者」にしてほしかった。

*17:ヒッチコックカメオ出演は、もともと初期の頃、予算不足のためエキストラを満足に雇えず、やむなく出演していたという単純な理由だった。しかし、ファンが探すようになってしまい、いつの間にか恒例になったものだという。しかし後年はこの「お遊び」があまりに有名になってしまったため、観客が映画に集中できるよう、ヒッチコックはなるべく映画の冒頭に近いところで顔を見せるように心がけていたという(ウィキペディアアルフレッド・ヒッチコック」参照)。

*18:著書『天保図録』(朝日文芸文庫)、『数の風景』、『聞かなかった場所』、『軍師の境遇』、『死の発送』、『小説帝銀事件』、『真贋の森』、『信玄戦旗』、『潜在光景』、『地の指』、『落差』、『乱灯 江戸影絵』(以上、角川文庫)、『熱い絹』、『ガラスの城』、『黄色い風土』、『草の陰刻』、『黒い樹海』(以上、講談社文庫)、『青のある断層』、『生けるパスカル』、『鴎外の婢』、『溺れ谷』、『影の車』、『花実(かじつ)のない森』、『風の視線』、『鬼畜』、『告訴せず』、『混声の森』、『殺人行おくのほそ道』、『雑草群落』、『青春の彷徨』、『象の白い脚』、『分離の時間』、『弱気の蟲』(以上、光文社文庫)、『蒼い描点』、『蒼ざめた礼服』、『隠花の飾り』、『岸田劉生晩景』、『共犯者』、『巨人の磯』、『黒革の手帖』、『状況曲線』、『砂の器』、『憎悪の依頼』、『Dの複合』、『名札のない荷物』、『半生の記』、『迷走地図』、『眼の壁』、『夜光の階段』、『わるいやつら』(以上、新潮文庫)、『砂の審廷:小説東京裁判』(ちくま文庫)、『五十四万石の嘘』、『古代史疑』、『中央流沙』、『ミステリーの系譜』、『野盗伝奇』(以上、中公文庫)、『彩り河』、『かげろう絵図』、『神々の乱心』、『危険な斜面』、『球形の荒野』、『虚線の下絵』、『霧の会議』、『暗い血の旋舞』、『黒の回廊』、『絢爛たる流離』、『昭和史発掘』、『聖獣配列』、『棲息分布』、『高台の家』、『波の塔』、『日本の黒い霧』、『火と汐』、『不安な演奏』、『無宿人別帳』(以上、文春文庫)など

*19:著書『悪魔の飽食』、『悪夢の設計者』、『偽造の太陽』、『青春の証明』、『捜査線上のアリア』、『超高層ホテル殺人事件』、『人間の証明』、『腐蝕の構造』、『むごく静かに殺せ』、『野性の証明』、『歪んだ空白』、『夢の虐殺』(以上、角川文庫)、『ガラスの密室』、『魔少年』(以上、講談社文庫)、『日本アルプス殺人事件』(光文社文庫)、『腐蝕花壇』(新潮文庫)、『殺人の債権』(中公文庫)など

*20:最近は失踪のことをあまり「蒸発」といわない気がします。