◆黒坂のツイート
黒坂真がリツイート
志位さんは、党大会代議員が党組織から選ばれると記しています。党大会代議員は(ボーガス注:党員の直接選挙ではなく)党組織つまり県委員会、地区委員会から指名された方が所属支部で承認されてなる。党組織から指名されない方は代議員には事実上なれない。志位さんを批判する方は代議員になれない*1。勿論、中央委員にもなれない。
◆志位和夫
僕が「選挙もなしに委員長をやってる」というのは事実と違います。
党大会で、全国の党組織から選ばれた約800名の代議員による選挙によって中央委員会が選出され、最初の中央委員会総会で委員長が選出されています。
吹き出しました。その黒坂の理屈だと「決選投票が国会議員選挙だった自民や立民の党首選挙」はどうなるのか。
自民、立民の国会議員候補(当選すれば国会議員)は『党員直接選挙』で決めてるわけではありません。そういう意味では、「共産党の代議員≒自民や立民の国会議員」のわけです。「代議員は党員直接選挙ではなく、党県委員会から選出されるから党執行部(志位委員長ら)に逆らう人間は選出されづらい」つうなら「自民や立民の国会議員」とて「党員直接選挙で決まるわけではなく、党本部から公認されてるから逆らいにくい(逆らったら公認を取り消されるかもしれない)」となり「自民や立民は党首を党員投票だけで決めるべきだ(党員投票で一番多い候補にすべきだ)。つまり、国会議員による決選投票は必要ない」あるいは「手間と費用はかかるが、日を改めて党員投票による決選投票をすべきだ」と黒坂は言うべきでしょう。
勿論、黒坂はそうは言いませんが。
実際、「立民代表選挙(選挙敗北で枝野が辞任に追い込まれた上、連合が泉支援を公言していたため「連合支持の泉」と「枝野(前代表)グループの逢坂」で混戦状態だった)」はともかく、菅、岸田は党主流派閥(麻生派、二階派、細田派)が支援したことで「選挙前から菅、岸田の当選が確実視されていた」わけです(党員投票で菅、岸田以外が過半数を取得すれば話は別だがその可能性は低かった)。
またこの黒坂の理屈ならば「現行の議院内閣制は自民党主流派閥の談合で、『派閥ボスの最有力者*2』に事実上首相が決まるから、首相公選制にすべきだ」というべきでしょう。勿論、これまた、黒坂はそうは言いませんが。
黒坂の場合「とにかく共産に因縁がつけられればいい」なので論理的整合性ゼロで全く呆れます。
いずれにせよ「共産の党首選挙が形骸化している」つうならともかく選挙自体はやってるわけで「ない」というのは完全に嘘です。
「形骸化している=ない」なら「安倍や菅が総裁に選ばれた選挙」も「選挙前から主流派閥の談合で選挙が形骸化していた」ので、「選挙なしに選ばれた」といっていいことになる。
黒坂真
中村正男さん。歴史にもしもですが、沖縄復帰の頃に民主連合政府ができ日米安保廃棄が実現していたら毛沢東が人民解放軍に日本攻撃指令を出した可能性大。
「はあ?」ですね。
まず第一に、「沖縄復帰=日中国交正常化=1972年」なのに何でそういう理解になるのか?
「日中国交正常化」と「中国の侵攻」が矛盾するとは思わないのか?
そもそも「国交正常化」以前ですら、中国に「日本の常駐事務所」が存在し、日本が中国と貿易をしていたことを黒坂は知らないのか?
「日中間の貿易(国交正常化以前)」と「中国の侵攻」が矛盾するとは思わないのか?
第二に、野党にとっては残念なことですが、「沖縄復帰」の頃に「民主連合政府」ができる可能性はなかったでしょう。
「高度経済成長の終了」もあって田中内閣以降、野党が躍進し、歴代自民党内閣が「短命に終わり」危機に直面したからこそ「民主連合政府」が提唱されたのであって、佐藤内閣当時においてはまだそうした状況にはないでしょう。
第三に戦後の「中国の戦争」は「本格的な対外戦争」といっていい「朝鮮戦争参戦」「中越戦争」を除けば「祖国統一戦争(台湾侵攻:ただし失敗)」「領土紛争(中ソ国境紛争、中印国境紛争)」です。
日本は台湾と違って「中国の一部」ではないし、尖閣紛争レベルで「尖閣での小競り合い(それだってないでしょうが)」ならともかく、日本本土への軍事侵攻があるわけがない。
朝鮮戦争参戦は「ソ連や北朝鮮の要請」、中越戦争は「文革の影響」という特殊事情があり、一般化できる話ではない。
しかも中越戦争では「ベトナム戦争での戦闘経験があるベトナム」が中国に勝利したという理解が一般的です。当時の中国は文革の混乱もあって失礼ながらそんなに強くはない。黒坂もさすがに本気ではないでしょうがよくデマが放言できるもんです。