今日の朝鮮・韓国ニュース(2021年12月23日分)

中曽根元首相の “交渉術” 外交文書で明らかに | NHKニュース

 湾岸戦争直前の1990年にイラクで人質にされた日本人の解放をめぐる、当時の中曽根元総理大臣とフセイン大統領の会談内容が、公開された外交文書で明らかになりました。
 クウェート侵攻で起きた湾岸危機の際、イラクは、軍事行動の構えを見せるアメリカなど各国に対し、外国人を人質にとって対抗し、攻撃目標になり得る石油施設などに拘束したことから“人間の盾”とも呼ばれ、日本人も213人が人質になりました。
 公開された外交文書では、クウェート侵攻から3か月後の11月に人質の解放交渉のためにイラクを訪問した中曽根元総理大臣の代表団と、フセイン大統領らによる会談内容が記されています。
 会談の2日後、イラク側から一部の日本人を解放する方針が伝えられ、イラクラマダ*1第1副首相が「解放するのは中曽根との交渉を評価してのことだ」と語ったことも記されています。
 この時は74人の人質が解放され、日本に帰国しました。
 日米外交に詳しい兵庫県立大学五百旗頭真理事長は、「(前略)和平の努力を行うことなども伝え、日本を味方に置いておいた方が国益になるかもしれないと思わせたことが、フセインを動かした理由だと思う」と話しています。

 これは俺の「完全な願望」であり根拠は全くないですが、「この外交文書公開」が「人質解放は交渉しかない、1990年のイラクがそうだった→北朝鮮拉致も同じだ」「その場合はフセイン・中曽根*2会談(日本人人質解放)や小泉・金正日会談(5人の拉致被害者帰国)同様、最後は岸田・金正恩会談だ」と暗に「政府、外務省が言いたい」のであり、「今後、拉致交渉が水面下で進展していく」と「思いたいところ」です。
 当たり前ですがフセイン相手に「違法行為は辞めろ、無条件で人質を解放しろ」といってもどうしようもない。フセインが応じるわけがない。
 そしてそのレベルのあほなこと「違法行為は辞めろ、無条件で解放しろ」を北朝鮮相手に拉致問題で言ってるのが家族会と救う会です。
 それで解放してくれるのなら誰も苦労しない。
 まあ、「イラク人質事件の中曽根」に限らず、「よど号事件の佐藤(よど号グループの北朝鮮行きを容認)」「クアラルンプール事件の三木、ダッカ事件福田赳夫(三木、福田ともに身代金支払いと赤軍派解放を実行)」もそうですが「人質解放のために妥協せざるを得ないから妥協した」のであって何で拉致だけ「絶対に妥協できない」という「家族会、救う会のバカな主張がまかり通る」のか。


国交正常化交渉へ「政策転換」 90年金丸訪朝時、北朝鮮側が言及:朝日新聞デジタル

 自民・社会両党による訪朝団(団長は金丸信・元副総理)。外務省による当時の報告書が、22日公開の外交文書に含まれていた。訪朝団に対し、北朝鮮が国交正常化交渉を提案したことが当時驚きをもって受け止められたが、報告書には北朝鮮側の「政策転換」への言及が記されていた。
 この報告書は「極秘 無期限」の印がある「金丸元副総理の訪朝(概要)」2枚で、1990年9月28日付。訪朝団と朝鮮労働党が「できるだけ早い時期に国交関係を樹立すべき」という共同宣言を発した日に、朝鮮半島を担当する外務省北東アジア課で作られた。

 金丸訪朝でのいわゆる三党宣言(自民党社会党朝鮮労働党)には「国交正常化を進める」事が書かれてるので、この報告書は「予想の範囲内」ではありますが紹介しておきます(有料記事なので途中までしか読めません)。


北朝鮮拉致問題で連携 日モンゴル外相がテレビ会談 - 産経ニュース
 呆れて二の句が継げません。北朝鮮に影響力を持ってるのは「一に中国、二にロシア」であってモンゴルではないでしょうに。

*1:第一副首相、副大統領など歴任。フセイン政権崩壊後に死刑判決(ターハー・ヤースィーン・ラマダーン - Wikipedia参照)

*2:ただし当時の首相は海部であり、中曽根は元首相