「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年12/2日分:荒木和博&しんぶん赤旗ニュース)

しんぶん赤旗拉致特での質疑要求/野党メンバー会見 笠井議員が出席

 同委員会は衆参ともに2019年5月以来質疑が行われていません。野党は一貫して委員会の開催と質疑を求めてきましたが、与党は所管閣僚の日程調整が難しいことなどを理由に質疑を拒否。今国会でも所信聴取を行ったのみで質疑には応じていません。
 立憲民主党渡辺周*1理事は「菅政権は拉致問題を最重要課題*2だといいながら、委員会は来年の通常国会まで開こうとしない」と述べ、「このまま行けば2年間も質疑されないことになる*3」と告発。同党の松原仁*4理事も「北朝鮮に対して日本の国会は何もしていないという間違ったメッセージを送ることになる*5」と批判しました。
 笠井氏*6は「何のために国会ごとに委員会を設置してきたのか」と指摘。「政府が言いたいことだけ言って終わるようなことが繰り返されてはならない。拉致被害者家族、関係者の思い*7はいかばかりか。政府・与党の責任で日程を確保すべきだ」と主張しました。

 「与党のやる気のなさ」を考えるに、開いたところで何か成果があるとも思えないのでこうした主張には賛同できませんね。
 「外交交渉に支障を来すため答弁は差し控える」が政府、与党から連発されるだけでしょう。それに対して野党が「与党は無責任だ」と非難する「だけ」ではほとんど何の意味も無い。
 野党が拉致特別委員会で「制裁解除で交渉を進めるべきだ」「バーター取引すべきだ」といえるのならともかく「共産党も含めて」救う会や家族会が怖くて言えないのでしょうからね。単に家族会や救う会リップサービスしかしないのならそんな無駄な委員会はしない方がましです。
 それにしても笠井氏はともかく、渡辺も松原も「南京事件否定論河野談話否定論」の札付きの右翼ですからねえ。こういうウヨがでかい面してるから拉致は解決しないわけです。
 それにしても「国民民主からの途中入党組」とはいえ、松原や渡辺のようなごろつきウヨを入党させてる時点で「何がまっとうな政治なのか、何が立憲主義なのか。立民はふざけるな」と言う話です。そして笠井氏もこんな奴らと共同会見していいのか?。「こんな奴らと共同会見なんかして恥ずかしくないのか?」と詰問したくなります。


永田町と霞ヶ関【調査会NEWS3366】(R02.12.2) : 荒木和博BLOG

 私は四半世紀拉致問題に関わってきて、永田町と霞ヶ関がいかに拉致被害者の救出に役に立たないか、逆に阻害要因になっているかを痛感してきた。

 荒木ら巣くう会こそが「いかに拉致被害者の救出に役に立たないか、逆に阻害要因になっているか」ですね。そもそも荒木ら巣くう会には明らかに拉致を解決する意思はありませんが。意思があったら「田中均氏への個人攻撃」「蓮池透家族会除名」なんかするわけがない。まあ百歩譲って巣くう会に「解決の意思」があったとしても*8「俺たち巣くう会は悪くない、全て永田町と霞ヶ関が悪い」と「全て他人に責任転嫁」してる時点で論外の存在ですね。そんなんだったら巣くう会なんか迷惑な存在でしかないからとっとと解散しろと言いたい。

 抽象的なことを言うつもりはなく、個別具体的な要請をしていく。

 結局の所は「荒木ら巣くう会」&「巣くう会言いなりの家族会」の言いなりに動けと言うだけの話ですが、「特定失踪者を北朝鮮拉致と認めろ」「拉致被害者救出のために自衛隊北朝鮮に突っ込め」だの、安倍や菅ですらつきあいきれないアホな主張をしてるのが荒木ら巣くう会の訳です。だから安倍も菅も荒木ら巣くう会の言うことなどには従わない。そもそも荒木ら巣くう会の言うことに従わなくても政権支持率が下がるわけでもないし。逆に従っても政権支持率が上がるわけでもない。

 例えば特定失踪者家族に総理が面会してくれること

 国内で40人も発見されてる特定失踪者など北朝鮮拉致ではあり得ないのだから会わないのは当然です。というか百歩譲って特定失踪者が北朝鮮拉致だとしても会って何がどうなるのか。

 衆参の拉致特を開いてまともな審議をすること

 荒木のいう「まともな審議」とは何なのかということですね。当然ながら「審議すればいい」と言う話ではない。審議がされないのは単に「審議しても成果がないから」ですね。政府が拉致問題で成果を上げる見込みがないのに審議しても何の意味も無い。
 だから与党も野党も審議したがらない。
 まあ、荒木の場合、「意味のある審議をして欲しい」のではなく「審議をすること」で話題作りをして拉致の風化を防ぎ、ひいては巣くう会の政治力を維持したいだけの話ですが。ただ、仮に審議したところで「意味の無い審議」では拉致の風化は防げないでしょうね。

 自衛隊拉致被害者救出に関わる任務付与をすること

 拉致の解決は小泉訪朝のような外交交渉以外に解決方法はありません。自衛隊云々なんて馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。


北朝鮮工作員の失敗(12月2日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG

 令和2年12月2日水曜日のショートメッセージ(Vol.244)。工作員と言ってもスーパーマンではありません。様々な失敗をするので「正しく恐れる」ことが大事です、という話。

 8分程度の動画です。「はあ?」ですね。荒木に言われずとも「工作員が失敗することもある」なんてことは皆分かっています。
 拉致未遂事件があることは既に周知の話です。
 そもそもそんなことと拉致の解決と何の関係があるのか。
 さて先日は「ブルーリボンを買って下さい、巣くう会の収入源です」の荒木でしたが今回は「ブルーリボン以外にもボールペン、名刺入れなど、いろいろあります」だそうです。
 全く「結局、巣くう会の目的は利権あさりかよ」「お前ら拉致を解決する気はかけらも無いだろ?」ですね。まあ、とはいえ、利権として「うまみが少なくなっている」ことは間違いないでしょうが。だからこそこうした売り込みをするわけですが、まあ大して売れないでしょうね。拉致はもはや風化しています。もちろん拉致の風化は「糞の役にも立たない」荒木ら巣くう会言いなりの「馬鹿の集団・家族会」の自業自得です。前も書きましたが俺は家族会のような「馬鹿でくず」には何一つ同情しません。むしろ軽蔑や憎悪、憤怒といった負の感情しかない。横田滋が死のうが、有本嘉代子が死のうが同情の気持ちは何一つわいてきませんでしたね。むしろ「自業自得」「無様で滑稽」という気持ちしかわかなかった。今後も横田早紀江が死のうが、有本明弘が死のうが何一つ同情できないと思います。


拉致はいつから始まったのか(12月1日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG

 令和2年12月1日のショートメッセージ(Vol.243)。拉致はいつから始まったのかということなんですが、実はそんなにきっちり割り切ることはできないというお話しです。

 6分30秒程度の動画です。
 一般には朴正熙暗殺を狙った青瓦台襲撃未遂事件 - Wikipedia(1968年(昭和43年)1月21日、当時は佐藤内閣)や文世光事件 - Wikipedia(1974年(昭和49年)8月15日、当時は田中内閣)によって韓国のガードが堅くなったことを「日本人拉致によって日本人になりすますこと」で北朝鮮が解決しようとしたのが日本人拉致で、1970年代後半(時期的には福田赳夫内閣)から始まったと考えられています。政府認定拉致も全て福田内閣以降のものです。
 例えば

政府認定の拉致被害者|外務省
横田めぐみさん(1977年11月15日拉致、当時は福田赳夫内閣)
◆地村保志、富貴惠夫妻(1978年7月7日拉致、当時は福田赳夫内閣)
蓮池薫、祐木子夫妻(1978年7月31日拉致、当時は福田赳夫内閣)
曽我ひとみ、ミヨシ母子(1978年8月12日拉致、当時は福田赳夫内閣)
◆原敕晁(ただあき)さん(1980年6月中旬拉致、当時は大平*9内閣)
有本恵子さん(1983年7月頃拉致、当時は中曽根*10内閣)

などですね。
 ところが荒木は「北朝鮮建国(1948年(昭和23年)9月9日)の直後から拉致があったかもしれない」「もしかしたら建国以前にも拉致があったかもしれない、建国以前にも金日成は活動していたから」と言い出すわけです。

失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会
◆平本和丸(昭和23(1948)年7月失踪(北朝鮮建国が1948年9月なのでなんと建国前。ただしさすがに荒木ですら建国前の特定失踪者認定はこれのみ。この頃は芦田内閣)、
◆平本敏昭(平本和丸氏の弟。昭和25(1950)年9月21日失踪、この頃は吉田内閣)
(以下略)

ということで特定失踪者にもそう言う方が居る(もちろん根拠レス)。
 まあ、「平本和丸氏の特定失踪者認定」はどうも
1)「平本敏昭氏(時期的にあり得ないが失踪時期は1950年9月で一応、北朝鮮建国後)の特定失踪者認定」
2)ご家族から「敏昭の兄である和丸の失踪も北朝鮮拉致では?」との指摘
3)荒木らが「家族も特定失踪者認定望んでるんだし、『建国のたった2ヶ月前なら北朝鮮拉致*11の可能性はあります』で強弁できる」というふざけた話のようですが。
 ちなみに1948年の北朝鮮の建国時は日本は芦田内閣です。
 「芦田*12→吉田*13(再登板)→鳩山*14(この時に保守合同自民党結党)→岸*15→池田*16→佐藤*17→田中*18→三木*19福田赳夫*20横田めぐみ拉致などがこの時期で一般にはこの頃から拉致が始まったとみる)(以下は省略)」の「芦田」です。「お前、どんだけ無理矢理遡ってるんだよ」て話です。
 そもそも「北朝鮮建国当時(平本和丸さんが失踪した)の1948年」あるいは「平本敏昭さんが失踪した1950年」なんて言ったら、終戦から対して時間が経ってない。日本も本当に貧乏です。

寿産院事件 - Wikipedia
・1944年(昭和19年)4月から1948年(昭和23年)1月にかけて東京都新宿区で起こった嬰児の大量殺人事件。
第二次世界大戦後のベビーブームのおり、大勢の嬰児が寿産院に預けられていたが、同院では嬰児に対する虐待が常態となっており、また、凍死、餓死、窒息死などさまざまな死因で亡くなっていた。寿産院を経営する石川猛・ミユキ夫婦は乳幼児を貰い受けるなどとした新聞広告などによって200人以上の乳幼児を集め、親から1人につき4,000円から5,000円の養育費と東京都からの補助金と配給品を受けとりながら配給品を闇市横流しするなどして食事をろくに与えずに100人以上を死亡させた。夫婦と助手の3人は起訴され、診断書を偽装していた医師の中山四郎もまた起訴された。東京地方裁判所は、殺人罪については証拠不十分として無罪とした上で、ミユキに懲役8年、猛に懲役4年、助手は無罪、中山には禁固4年の判決を言い渡した。1952年(昭和27年)4月、東京高等裁判所はミユキに懲役4年、猛には懲役2年の判決を下した。

なんてことが起こっていた時代が「北朝鮮建国当時(平本和丸さんが失踪した)の1948年」「平本敏昭さんが失踪した1950年」の頃です。その時期の失踪なんて「自発的失踪であれ、事故や犯罪に巻き込まれたのでアレ、そう言う時期に失踪者が出たとしてもおかしくないよな」つう時代です。この時期の失踪を根拠もなく北朝鮮拉致と言い出すのは正気では無い。
 それどころか、「小泉*21訪朝後(2002年(平成14年)9月17日)も拉致があるかもしれない」「今後(2021年以降)も拉致があるかもしれない」と言い出す。

失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会(全て失踪時は小泉内閣
◆角田麻衣(平成14(2002)年11月13日失踪)
◆沖田徳喜(平成15(2003)年2月1日失踪)
◆水嶋弥寿志(平成15(2003)年9月8日失踪)
◆高見到(平成15(2003)年10月5日失踪

ということで「小泉訪朝後の失踪」まで特定失踪者認定するのでつきあいきれませんがそれはさておき。
 荒木は「できる限り拉致をでっち上げて、日朝国交正常化を妨害しよう」と思うからこういうバカを言い出すわけですが、まともな人間はこういうことはしません。
 問題の立て方は「いつから拉致があったのか?」ではない。
 「これは北朝鮮がやった拉致だろう!、日本に返せ」と北朝鮮に日朝交渉で提起できるだけの「まともな証拠がある北朝鮮拉致の疑いが濃厚な失踪者」は誰かと言うことです。まずはそうした失踪者(いわゆる政府認定拉致被害者)をきちんと確定する。その上で「結果として」この時期から拉致が開始されたんじゃないかと言えるだけの話です。

 一般には朴正熙暗殺を狙った青瓦台襲撃未遂事件 - Wikipedia(1968年(昭和43年)1月21日、当時は佐藤内閣)や文世光事件 - Wikipedia(1974年(昭和49年)8月15日、当時は田中内閣)によって韓国のガードが堅くなったことを「日本人拉致によって日本人になりすますこと」で北朝鮮が解決しようとしたのが日本人拉致

と上に書きましたが、これは
1)日本政府として「間違いなく北朝鮮拉致だろう」といえるものが1970年代後半以降しかない、と言う事実を前提に
2)北朝鮮工作員の自白などを元に合理的推測で生み出した仮説に過ぎません。最初から「いつ拉致は始まったのか?」という問題設定でこういう仮説が出たわけではない。とはいえこの仮説が「恐らく正しい」「今後も変更はない」でしょうし、荒木の「北朝鮮建国直後から拉致ガー」なんてばかばかしいにもほどがありますが。
 さて他にも荒木動画にコメントしておきましょう。
 荒木曰く「ブルーリボンバッジは救う会(荒木の調査会含む)の収益になってるので購入お願いします」。 
 結局、荒木らの行為は「拉致をネタにした利権あさり」でしかないわけです。だから荒木ら救う会には拉致を解決する気なんか無い。
 だから「特定失踪者は北朝鮮拉致」なんてデマも飛ばすし、そのデマを批判した蓮池透氏を「家族会に働きかけて」除名させる。
 それにしても「結局、救う会の金儲けか?」と言われるのを嫌ってか、以前はこういうことはなるべく控えていた荒木も、「言わざるを得ないほど」経済的に追い込まれてるわけです。まあ言っても大して購入も増えないでしょうが。

*1:鳩山、菅内閣総務副大臣、野田内閣防衛副大臣希望の党外交・安全保障調査会長、国民民主党副代表などを経て立憲民主党幹事長代行

*2:まあ、舌先三寸ですからね。デジタル庁や「不妊治療の保険適用拡大」のほうが余程拉致より重要視されてるでしょう。

*3:「それで何か支障があったのか」と言う話です。何もないのだから開く必要は無いでしょう。

*4:野田内閣国家公安委員長(拉致担当相兼務)、民主党国対委員長(海江田代表時代)、希望の党両院議員総会長兼代議士会長など歴任

*5:開会したところで何の成果があるのか?。『この委員会で過去に成果があったというのならどんな成果かいってみろ』と詰問したくなります。どうせ何の成果もないでしょうが。こんな無駄で無意味な委員会などそもそも北朝鮮は最初から相手にしてないでしょう。いっそ廃止したらどうか。

*6:衆院議員。日本共産党政策委員長などを経て、現在、党国際委員会副責任者(党常任幹部会委員兼務)

*7:「全員一括即時帰国」「特定失踪者も北朝鮮拉致」など、馬鹿なことしか言わない家族会や関係者(救う会)の思いなんかはっきり言ってどうでもいいんですが。こんなことを共産党も言うのかと思うと支持者としてがっかりですね。

*8:もちろんどう見てもありませんが。

*9:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*10:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*11:まあ北朝鮮という国がないので厳密には「金日成一味の拉致」ですが。

*12:幣原内閣厚生相、日本自由党政調会長民主党総裁、片山内閣副総理・外相、首相など歴任

*13:戦前、天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐伊大使、駐英大使など歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*14:戦前、田中内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相など歴任。戦後、日本自由党総裁、日本民主党総裁、自民党総裁、首相など歴任

*15:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相などを経て首相

*16:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*17:運輸次官から政界入り。自由党幹事長、吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*18:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*19:国民協同党書記長、委員長、片山内閣逓信相、改進党幹事長(重光総裁時代)、鳩山内閣運輸相、自民党幹事長(石橋総裁時代)、政調会長(岸総裁時代)、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣経済企画庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官などを経て首相

*20:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*21:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相などを経て首相