珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/4日分)その2(副題:2010年に「警察官僚」米村敏朗氏が言っていたことを今頃言い出す高世に呆れる)

◆高世の肩書きに吹き出す
このブログについて - 高世仁のジャーナルな日々

 東南アジアに通信社(日本電波ニュース社)特派員としておよそ10年駐在。1994~98年、同社報道部長。98年~2020年テレビ番組制作会社「ジン・ネット」代表。

 ジンネットが倒産した事に触れない辺りが実にみっともない。また高世が「日本電波ニュースを退社して独立しジンネットを設立」とはっきり書かないのでこの書きぶりでは読み手に「ジンネット=日本電波ニュースの関連会社」という誤解を生みかねません。まあ、会社が潰れた今、高世は「退社して独立」と書きたくないのでしょう。
 但し高世は別の場所では

takase22さんのプロフィール - はてな
 98年に「ジン・ネット」を設立。2020年廃業。

と書いています。

 ジャーナリストおよびコスモロジストとして、日々考えることをつづっていきます。 「サングラハ教育・心理研究所*1認定コスモロジー心理学インストラクター。

 ジンネットが潰れたことでこんなこと(コスモロジスト云々)まで肩書きで書くのかと吹き出しました。


なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(8) - 高世仁のジャーナルな日々
 拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/4日分)その1(副題:『即時一括全員帰国路線が二人を見捨てた』という高世の救う会、家族会批判に驚く) - bogus-simotukareのブログで批判した高世記事なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(7) - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。

副題:2010年に「警察官僚」米村敏朗氏が言っていたことを今頃言い出す高世に呆れる

については最後まで読めば意味が分かります。

 例えばの話、もし、首相が、4島返還などより拉致被害者救済がはるかに大事で喫緊の国益とみなし、自らの政治生命をかけると決意するならば、である。今のようなアメリカへの依存・追随*2はやめ、「悪いけど核・ミサイルは置いといて、日本は拉致優先でやらせてもらいます」と、制裁一辺倒路線から転換して平壌詣でをする・・・なんていうことも選択肢としてありうると思う。となれば、金正恩の誕生日*3に祝福の電話をかけて、世界の顰蹙をかったり、それこそ泥まみれになる覚悟で。大前提として本人の「胆力」、先を見据えた「戦略」、知恵ある「側近」、綿密な「準備」が必要で、今の日本のリーダーにはすべてが欠けているから成功の見込みはないが。
 安倍氏の対ロ外交が失敗*4したように。

 それをやろうとしたのが例えば小泉訪朝ではないのか。他にも金丸訪朝とか例はいろいろあるでしょうが。それなのにこの言い草は何なのか。「胆力も戦略もねえのは、手前だろ、ふざけんな、高世」であり、それこそそういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でしょう。
 「今日もしつこくkojitakenを批判しますが」よくもまあid:kojitakenのバカも

中公新書から中北浩爾『日本共産党』、黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い』が発売された - kojitakenの日記
 最後に蛇足だが、本記事からリンクを張った高世仁氏は、某人によって「珍右翼」なるレッテルを貼られて以前から攻撃され続けている。某は最近では弊ブログの攻撃にも熱心だが、私の見るところ「珍右翼」とのレッテルは某自身にこそふさわしい。なぜなら某は極端なまでの権威主義者であって、下手なネトウヨなんかよりもよっぽど右翼的と思われるからだ。私はこの人士を稀に見る醜悪な心性の持ち主であるとして心底から軽蔑している。このことは以前にも書いたが、高世氏のブログにリンクを張ったことをきっかけとして改めて申し述べておく。

などとほざいて高世を擁護できたもんです。俺に言わせれば高世の方がよほど「稀に見る醜悪な心性の持ち主」ですが。多分kojitakenのバカは深い考えもなく「敵(ボーガス)の敵は味方」で高世を持ち上げたのでしょうが。
 それにしても、高世のここでの主張(経済支援とのバーター取引での拉致解決)は「ずっと前から例えば俺(ボーガス)*5が言っていたこと」なので「北朝鮮素人、外交素人の俺ですら思いつくことを今頃言ってどや顔かよ、くたばれよ、カス野郎」「よくそれで長年、北朝鮮ウオッチャー面できたな、黙れ、バカ野郎」としか言い様がない。
 そういう「バーター取引」主張を家族会や救う会と一緒に、やれ「北朝鮮の手先」だの「軟弱、負け犬根性」だの侮辱してきたのが「家族会や救う会幇間太鼓持ちだった高世」ではないのか。高世はどこまで恥知らずなカスなのか。

 クーデターもどきの暗闘で、あらたな「救う会」会長に就いたのは、佐藤勝巳氏*6に「現代コリア」時代から付き従っていた西岡力*7だ。(ボーガス注:本能寺の変などのように?)子飼いの腹心に裏切られるというドラマのような展開である。

 佐藤勝巳 - Wikipediaによれば佐藤が会長を辞め、西岡が後任会長になったのは「14年前の2008年」であり、つい最近のことでは全くないので「今更かよ」と高世には心底呆れます。

 佐藤勝巳氏は晩年、精神が錯乱したのかと思われる、全く根拠のない誹謗だらけの回想記を出版。これにはさすがに温厚な横田滋さんが怒って書面で抗議している。
http://news.onekoreanews.net/wys2/file_attach/2014/07/15/1405423018-42.pdf

 正直、横田滋って温厚と言うよりは「トラブルを嫌う小心者、臆病者」にすぎないでしょう。 http://news.onekoreanews.net/wys2/file_attach/2014/07/15/1405423018-42.pdfの抗議にしても横田の意思と言うより「西岡など救う会の意思」ではないか。
 というのも高世のいう全く根拠のない誹謗とは「救う会の金を俺は横領なんかしていない。むしろ横領していたのは西岡ら俺を追い出した今の救う会幹部連中で、横田滋もそのことを知っていて、西岡ら幹部連から横領のおこぼれをもらっていた」などという話だからです。
 「俺(西岡)は横領なんかしてない」と自分が前面に出たくないが、佐藤に反撃はしたい西岡が「使い勝手が良い傀儡」として「横田滋」を前面に出しただけではないか?
 なお、全く根拠のない誹謗といえば、荒木和博(特定失踪者問題調査会代表)が『山本美保さん失踪事件の謎を追う』(2012年、草思社)というデマ本まで書いた「山梨県警DNA鑑定捏造疑惑」なんかその典型でしょうが、そうしたデマを黙認し続けたくせに高世も良くこんなことが言えたもんです。

 晩節を汚すとはこういうことをいうのだな、と感慨深い。

 「救う会幇間太鼓持ちなんかしなければ、高世も晩節を汚さずに済んだのにな。その卑劣漢のお前がよくこんなことが言えるな」と高世の恥知らずぶりが感慨深い。

 「救う会」のHPを見ていくと、「外交不要論」など世間の常識からは理解しがたい主張、発言が出てくるが、その一つが横田滋さん、早紀江さん夫妻のウンギョンさんとの面会への反対あるいは無視、冷たい態度である。
(中略)
 2014年3月、モンゴルでついにウンギョンさん一家との面会がかなったことはご承知のとおりだ。
 (ボーガス注:2002年9月の小泉訪朝で)孫と判明してから11年もの長きにわたって面会をストップさせておいたことへの反省もない*8夫妻がウンギョンさんと会えずに亡くなることがあっても構わないと思っていたのか*9
 さて、面会から2年以上がたった16年6月、ある事件が起きた。
 参院議員の有田芳生さんが、横田夫妻のウンギョンさんとの面会時の写真を『週刊文春』に掲載し、夫妻から聞いた面会のエピソードを書いた。
 有田さんと夫妻が綿密に打ち合わせての記事と写真の掲載だった。これが「救う会」には内緒だったことが「救う会」の逆鱗に触れた。
 横田夫妻は「抗議声明」を発表した。いや、発表させられた。写真掲載は有田さんが勝手にやったことですと事実と異なることを言わされている*10

 「今更かよ(呆)、高世、手前、この野郎、なめてんのか(怒)」ですね。  
 人間考えることはそんなに異ならないらしい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2010.10.18)時点(今から約11年前、この記事当時は菅直人内閣)で

【魚拓】【物来順応】前警視総監・米村敏朗 「レオニー」に思う拉致事件 - MSN産経ニュース2010.10.17
 一連の拉致問題についていつも思うことだが、どうしてこれほどまでに複雑に扱われなければならないのか。人として、親としてもう一度わが子を、わが肉親*11を抱きしめたい。ただそれだけのことではないか。北朝鮮を相手に「お前はなんと甘いことか」という向きもあろう。目下進行中の権力世襲についてアレコレ言うつもりもない。しかし何事にしても既成概念が優先し、またそれがあらゆる意味で桎梏(しっこく)となっているように思う。その前に人として当たり前のこと*12が当たり前に行われることである。

として救う会、家族会を批判していた(ただしストレートではなく、大分オブラートにくるんでいますが)のが米村敏朗氏です。
 もちろん

米村敏朗 - Wikipedia
 1974年に警察庁入庁。主に警備・公安畑を歩み、警備・公安企画課長、警視庁機動隊長、警視庁副総監などを歴任。
 2003年に警察庁長官官房審議官(警備局担当)に就任し拉致問題を担当。2004年に小泉純一郎首相の2度目の訪朝に同行した。2006年に警察庁警備局長に就任し、拉致問題の捜査統括指揮を担当した。2008年に前任の矢代隆義*13警視総監に代わって第87代警視総監に就任し、2010年1月18日付で退職した。その後、2011年12月27日に前任の伊藤哲朗*14内閣危機管理監に代わって第17代内閣危機管理監に就任した。2014年2月28日、内閣危機管理監を退任し、第2次安倍内閣内閣官房参与に就任した。 2014年3月、内閣官房参与を退任。

という「警察官僚」米村氏が北朝鮮シンパの訳もない。そして2010年時点で米村氏が気づいたことに高世が気づかなかったとはとても思えない。明らかに高世は「米村氏とは違い」救う会、家族会批判から逃げたわけです。
 実はこの人間考えることはそんなに異ならないらしい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2010.10.18)という記事は、俺の書いた
今日のMSN産経ニュース(10/16分)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ(米村氏の主張について紹介)に

 前警視総監という立場の人が、産経新聞という媒体でよくここまで書いたと思います。前警視総監氏に敬意を表します。それにしても警視総監なんていう日本の公安関係の最高レベルの責任者にまで巣食う会とか家族会は「どうしたものか」と考えられているというのは非常に興味深いですね。最後に、情報を提供してくださったbogus-simotukareさんにお礼を申し上げます。

という「大変嬉しいお褒めの言葉」を頂いた忘れられない「思い出深い記事」です。正直、これ以前に「ここまでありがたいお褒めの言葉」なんか拙記事に頂いたことは(id:Bill_McCrearyさんも含めて)恐らく一度もありませんのでね。
 後、この記事で米村氏が前振りに使ってる「レオニー・ギルモア」という女性*15もこの時初めて知った*16のでそういう意味でも記憶に残っている。
 ちなみに米村氏が見たという映画「レオニー」はドウス昌代*17イサム・ノグチ:宿命の越境者*18』(2000年、講談社→2003年、講談社文庫)が原作でレオニーは「イサム・ノグチ*19の母親」です。
 id:Bill_McCrearyさんが大ファンだ*20という原田美枝子*21がこの映画に「津田梅子役(1864~1929年、津田塾大学創設者)」で出ているほかに、テレビにもよく出る「比較的有名な俳優」では

レオニー (映画) - Wikipedia参照
◆野口米次郎(中村獅童
 1875~1947年。イサム・ノグチの父親。詩人、評論家。
◆岩野泡鳴(温水洋一
 1873~1920年。小説家。
◆小泉セツ(竹下景子
 1868~1932年。小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の妻。

といった配役です。
 それはともかく、「話を元に戻しますが」俺も「おだてられると木に登る豚(豚もおだてりゃ木に登る - Wikipedia参照)」なので最後に、情報を提供してくださったbogus-simotukareさんにお礼を申し上げます。などという「こんなお褒めの言葉を頂いたのでは、また救う会、家族会批判を書いてみよう」と思って今日のこのブログ記事(救う会批判がかなり多い)がある。こちらこそ過分なお褒めの言葉を頂いたid:Bill_McCrearyさんにお礼を申し上げます。ですね。

【参考:松井久子(米村氏が見た映画『レオニー』の監督)】

松井久子 - Wikipedia
 1998年、吉目木晴彦*22芥川賞受賞作(1993年)『寂寥郊野』を原作に、新藤兼人が脚本を担当した、戦争花嫁として国際結婚をして米国ルイジアナ州バトンルージュ*23に在住、アルツハイマー症を発症した日本人女性(演:倍賞美津子*24)を描いた「ユキエ」で監督デビューし、同年の最優秀新人監督賞(後の新藤兼人*25)を受賞した。中年女性のアルツハイマー症を女性監督の目で撮ったということで、注目を集めた。
 第二作「折り梅」(2001年)も、アルツハイマー症の女性高齢者(演:吉行和子)とそれを介護する嫁(演:原田美枝子)の実話*26、小菅もと子の手記『忘れても、しあわせ:認知症の義母と暮らして』 (1998年、日本評論社→2005年、角川文庫) を基に製作。
【著書】
◆『ターニングポイント :「『折り梅」100万人をつむいだ出会い』(2004年、講談社
◆『教える力:私はなぜ中国チームのコーチになったのか』(井村雅代との共著、2013年、新潮社→後に『シンクロの鬼と呼ばれて*27』と改題して、2015年、新潮文庫
 高世仁のインタビュー本『「イスラム国とは何か』(常岡浩介との共著、2015年、旬報社)、『自由に生きていいんだよ:お金にしばられずに生きる「奇跡の村」へようこそ』(森本喜久男*28との共著、2017年、旬報社)みたいなもんです。
 まあ高世には「『日本シンクロの母』井村のインタビュー本をメジャー出版社の新潮社から出します。ついてはあなたにインタビュアーをお願いしたい」なんて美味しい話は勿論来ないわけですが(苦笑)。「高世インタビュー本」の「常岡、森本」は世間的は無名だし、旬報社も大手とは言えませんからね。
 なお私はなぜ中国チームのコーチになったのかとあるように、

井村雅代 - Wikipedia参照
 1984年ロス五輪の日本代表コーチとしてソロ、デュエットで日本初の銅メダル獲得に貢献。1992年バルセロナ五輪でも指導する奥野史子がソロ、デュエット(奥野・高山ペア)で銅メダルを獲得。
 2004年アテネ五輪終了後、日本代表コーチを退任した。アテネ五輪後、2008年北京五輪に向けアーティスティックスイミング中国代表チームの監督に就任(ボーガス注:やはり日本水連幹部との確執で辞めたのでしょう。その後、日本水連は井村に復帰を要請し、恥をさらすことになりますが)。長年に渡って日本代表のコーチを務め、日本チームを知り尽くしている井村がライバルである他国代表チームの監督に就いたことについて、日本国内には批判的な意見もあったが、2008年北京五輪では中国代表がチーム種目で銅メダルを獲得。中国においても「中国シンクロチームの母」として知られた。北京五輪後の2008年9月、契約終了にともない中国代表チームの監督を退任。2010年9月、中国代表のヘッドコーチに復帰し、2012年8月のロンドン五輪で中国のデュエット銅メダル・チーム銀メダルに導いた。2013年5月、イギリス代表のコーチに就任し、2ヶ月半の指導で世界水泳選手権デュエットのテクニカルルーティンとソロのフリールーティンを8位入賞に導いた。
 2014年2月、日本代表のコーチに復帰した。2015年1月には、2016年リオ五輪のヘッドコーチに井村を起用することが日本水連で正式に承認された。2016年8月、リオ五輪において、井村の指導を受けた日本代表は、デュエットとチームで復活を告げる銅メダルを獲得した。デュエットは北京五輪以来2大会振り、チームはアテネ五輪以来3大会振りのメダル獲得となった。
 しかし、2021年8月、集大成となる東京五輪では、デュエット、チーム共にウクライナに敗れ4位。自身が携わった五輪では10大会目にして初めてメダルなしに終わった。井村は「次の舞台は若いコーチに譲るべき。このスリルとドキドキ感を味わっていただきたい。オリンピックはコーチ冥利に尽きるが、独り占めしたらあかん」と勇退を明言した。

ということで一時、井村は中国代表チーム監督(2008年北京五輪)、ヘッドコーチ(2012年ロンドン五輪)でした。
◆『疼くひと』(2021年、中央公論新社

映画監督・松井久子が語る、“高齢者の性愛”を小説で描いた理由 「幾つになっても自分らしく生きたほうがいい」|Real Sound|リアルサウンド ブック(2021.03.04)から一部引用
 70代を迎えた女性が、50代半ばの男性に身も心も惹かれていく……。
 成熟した男女の性愛表現に挑んだ『疼くひと』は、『折り梅』『レオニー』『何を怖れる』など映画を通して老いや介護、女性問題を見つめてきた松井久子がはじめて書いた小説である。
インタビュアー
 高齢の女性と年下の男性の恋を描いた作品というと、映画には『ハロルドとモード/少年は虹を渡る*29』(1971年)のようなファンタジックな作品がありますが、小説『疼くひと』は高齢者の性愛に真正面から向き合っています。
松井
 古くは谷崎潤一郎(ボーガス注:鍵 (谷崎潤一郎) - Wikipedia瘋癲老人日記 - Wikipedia)や、近年では渡辺淳一さん(ボーガス注:失楽園 (渡辺淳一の小説) - Wikipedia)など、男性視点からの高齢者の性愛をテーマにした小説は昔からたくさんありますが、女性が書いた、70代という高齢女性を主人公にしたものはおそらくないのではないでしょうか。
インタビュアー
 50代の女性が映画を撮り、70代で小説を書くということは稀で、松井さんの場合、(中略)年齢という枠組みからの解放もされていると思います。
松井
 一生懸命生きていたら、自分の中に伝えたいものが貯まっていたという感じで、表現手段は何でもよかったの。映画監督や小説家が憧れの職業だったわけでもなく、ましてやそうした肩書きを得たいと思ったことはありません。テレビドラマの下請制作会社のプロデューサーとして年間4本、10年間で40本の2時間ドラマを作り続けていた*30ら、50歳になったとき、男性主導で描かれる女性像に大きな疑問を感じて、そのうち我慢ならなくなって、自分で(ボーガス注:1998年(当時52歳)にデビュー映画『ユキエ』を)撮ってみたい!と思ってしまった。でも、それができたのはとても幸運だったとは思います。また、私にわかることは自分世代のことだけなので、作品は同時代を生きてきた60~70代の女性たちに向けたものをと思ってきました。同世代の女性たちは必ず共感してくれると信じていたし、そこに普遍性を見つけたいと。50になった私が、「映画を作りたい」と思えたように、70代になってふと「小説も書いてみたい」と思ったけど、いきなり(ボーガス注:中央公論新社から単行本で*31)出版して貰えるとは思いもしませんでした。とてもラッキーなことであり、厚かましいことですよね(笑)。
インタビュアー
 ある意味、忍耐の果てに爆発するタイプなのでしょうか。
松井
 忍耐してきた気はないけれど(笑)。『レオニー』という日米合作映画を10年前に作ったとき、企画を思い立ってから、13億円の制作費を調達してクランクインにこぎつけるまで6年半かかりました。あの頃、皆さんから「ほんとに忍耐強いですね」「どうして諦めないでそこまでできたのですか」とよく言われましたが、「私は実現するまでそのことしか考えないから、途中で諦める選択肢なんてなかっただけよ」と答えていた。そういう性格なんだと思います。ひとつのことしかできないんですよ。ひとつ、これをやろうと思ったら、実現するまで、その目的に向かい続けているだけで。ただ、思いついたテーマを誰よりも先にやりたいというのは、いつもありましたね。『ユキエ』や『折り梅』など、認知症や介護の映画を作ったときは、これからはこういう題材が社会問題になるに違いないと思っていたし、今回トライした性の問題も、いずれ当たり前に語られるようになると思います。

*1:仏教哲学者を名乗る岡野守也 - Wikipediaが主宰する組織。高世曰く「私には岡野守也さんという人生の師がいる」(諸悪莫作の世界 - 高世仁のジャーナルな日々(2008.1.1))、「岡野守也『トランスパーソナル入門』を買い、読んだことから、岡野さんに師事するようになった」(金井重さんを偲んで - 高世仁のジャーナルな日々(2021.12.23))

*2:そもそも制裁は米国の要請ではなく、救う会、家族会の要請なのに高世は何をバカなことを言ってるのか。安保理制裁(国連加盟国ならやる義務がある)ならともかく「日本の独自制裁(日本が自分の意思でやってるだけなのでいつでも辞められる)」など続けようが辞めようが米国は何の関心もないでしょう。拉致問題で日本政府が辞めるべきは「救う会、家族会への依存・追随」です。

*3:金正恩 - Wikipediaによれば「1983年1月8日」。ちなみに単なる偶然ですが、小泉訪朝の小泉元首相が「1942年1月8日生まれ」です。

*4:小泉訪朝は「5人帰国」という成果を上げてるので安倍の対ロシア外交と同一視など失礼な話です。

*5:まあ、俺の主張は和田春樹氏などの受け売りですが。

*6:1929~2013年。現代コリア研究所所長、救う会会長を歴任。著書『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』(2002年、草思社)、『拉致家族「金正日との戦い」全軌跡』(2002年、小学館文庫)、『北朝鮮による拉致を考える : 中学生・高校生に知ってほしいこと』(2004年、明成社)、『「秘話」で綴る私と朝鮮』(2014年、晩聲社)など(佐藤勝巳 - Wikipedia参照)

*7:現代コリア研究所主任研究員などを経て、現在、モラロジー道徳教育財団歴史研究室長、麗澤大学客員教授(麗澤大はモラロジー系列)、救う会会長。著書『日韓「歴史問題」の真実:「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か』(2005年、PHP研究所)、『北朝鮮の「核」「拉致」は解決できる』(2006年、PHP研究所)、『よくわかる慰安婦問題(増補新版)』(2012年、草思社文庫)、『朝日新聞「日本人への大罪」:「慰安婦捏造報道」徹底追及』(2014年、悟空出版)、『横田めぐみさんたちを取り戻すのは今しかない』(2015年、PHP研究所)、『ゆすり、たかりの国家』(2017年、ワック文庫)、『歴史を捏造する反日国家・韓国』(2019年、ワック文庫)、『でっちあげの徴用工問題』(2019年、草思社)、『日韓「歴史認識問題」の40年:誰が元凶か、どう解決するか』(2021年、草思社)など(西岡力 - Wikipedia参照)

*8:「そういうお前はそうした家族会、救う会の『面会反対』の態度に同調し続けたことをいつ反省したんだ」ですね。どこまで高世も恥知らずなのか。

*9:2014年3月当時、こんなことは高世は何一つ言ってないにもかかわらずよくも恥知らずにもこんなことが言えたもんです。勿論救う会、家族会は夫妻がウンギョンさんと会えずに亡くなることがあっても構わないと思っていたでしょうね。

*10:横田夫婦が、蓮池透氏のように、家族会と救う会を離れる決意をすれば、こんなことは拒否できる話です。救う会や家族会の下劣さを批判した上での話ですが、腰砕けになる横田夫婦の「腑抜けぶり」にも非常に問題です。大体、事情がどうあれ夫妻は「有田氏への不当な個人攻撃の共犯」であり「夫妻は救う会、家族会の被害者」とかばえるような話ではない。なお、有田氏は『北朝鮮拉致問題:極秘文書から見える真実』(2022年6月刊行予定、集英社新書)を出版するようですが【1】この救う会とのトラブルが書かれるのかどうか、【2】書かれるとしたらどう書かれるのか、気になるところです。もしかしたら今回高世が「救う会批判」に転じたのも「有田著書の刊行」が影響してるのかもしれない。

*11:前後の文脈から見て、勿論「我が肉親」=「横田夫妻の孫であるウンギョンさんのこと」でありオブラートに包んだ婉曲表現だが、明らかに救う会、家族会の「面会反対論」を米村氏は批判している。「米村氏の誠実さ」に比べ、高世の「卑劣さ、下劣さ」を痛感する。

*12:前後の文脈から見て、勿論「人として当たり前のこと」=「横田夫妻とウンギョンさんの面会」でありオブラートに包んだ婉曲表現だが、明らかに救う会、家族会の「面会反対論」を米村氏は批判している。

*13:山口県警本部長、大阪府警警務部長、埼玉県警本部長、警察庁長官官房審議官(交通局担当)、警察庁交通局長などを経て警視総監。現在は「パチンコ、パチスロ(警察が所管)」を事業の一つとするコナミホールディングスの特別顧問。(矢代隆義 - Wikipedia参照)

*14:石川県警本部長、警察庁長官官房会計課長、警視庁警備部長、千葉県警本部長、皇宮警察本部長、警察庁生活安全局長、警視総監、内閣危機管理監内閣官房参与など歴任(伊藤哲朗 - Wikipedia参照)

*15:まあ「外国人女性が異国の地で産んだ子ども」という意味では「イサム・ノグチ(米国人女性レオニーが日本で産んだ)」と「ウンギョンさん(日本人女性・横田めぐみ北朝鮮で生んだ)」には一応共通点があります。米村さんが前振りにしたのもそういう意味合いでしょう。「映画に描かれたレオニー母子の苦労を見て、めぐみ、ウンギョン母子の苦労に思いをはせた」ということでしょう。

*16:無知なのでイサム・ノグチもこの時知りました。

*17:1977年に『東京ローズ』(1977年、サイマル出版会→1982年、文春文庫)でデビューし、講談社出版文化賞ノンフィクション部門を受賞。その後も、1982年に『ブリエアの解放者たち』(1983年、文藝春秋→1986年、文春文庫)で文藝春秋読者賞を、1992年に『日本の陰謀:ハワイオアフ島ストライキの光と影』(1991年、文藝春秋→1994年、文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮学芸賞を、2000年に『イサム・ノグチ:宿命の越境者』(2000年、講談社→2003年、講談社文庫)で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書『私が帰る二つの国』(1985年、文春文庫)、『敗者の贈物:特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面』(1995年、講談社文庫)、『水爆搭載機水没事件:トップ・ガンの死』(1997年、講談社文庫)など(ドウス昌代 - Wikipedia参照)。

*18:講談社ノンフィクション賞 - Wikipediaによれば2000年の講談社ノンフィクション賞受賞作

*19:1904~1988年。彫刻家、造園家、インテリアデザイナー舞台芸術家(イサム・ノグチ - Wikipedia参照)

*20:これについては例えばカミュの『誤解』を、原田美枝子主演でやっている(~21日まで) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2018.10.11)、祝! 原田美枝子のデビュー作『恋は緑の風の中』が、公開45年を経て、ついにソフト化される! - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2019.1.11)参照

*21:1986年に 『火宅の人』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞報知映画賞最優秀助演女優賞を、1996年に 『絵の中のぼくの村』でキネマ旬報賞主演女優賞、ブルーリボン賞最優秀主演女優賞を、1998年に『愛を乞うひと』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、報知映画賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報賞主演女優賞、報知映画賞最優秀主演女優賞を、2001年に『雨あがる』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞した日本を代表する名優の一人(原田美枝子 - Wikipedia参照)

*22:1988年に『ルイジアナ杭打ち』(現在は講談社文庫)で野間文芸新人賞を、1991年に『誇り高き人々』で平林たい子文学賞を、1993年に『寂寥郊野』(現在は講談社文庫)で芥川賞を受賞(吉目木晴彦 - Wikipedia参照)

*23:ルイジアナ州の州都。日本では日本人留学生射殺事件 - Wikipedia(1992年)の発生場所として知られる。

*24:1979年に『復讐するは我にあり』でブルーリボン助演女優賞を、1985年に『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『恋文』で、キネマ旬報賞主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞を受賞した日本を代表する名優の一人(倍賞美津子 - Wikipedia参照)

*25:1996年に「最優秀新人監督賞」として始まり、2000年より新藤兼人の名前を冠して現在の名称となった(新藤兼人賞 - Wikipedia参照)

*26:映画公開当時(2001年)、吉行は1935年生まれなので66歳、原田は1958年生まれなので43歳です。吉行(今年で87歳)ももう女優業は事実上引退なのかと思ったのですが、吉行和子 - Wikipediaによれば 世の中にたえて桜のなかりせば - Wikipedia(2022年公開)で主演・宝田明(1934~2022年)の妻役を演じていますね。ちなみに『世の中にたえて桜のなかりせば』は宝田明の遺作です。

*27:文庫化された2015年と言えば「単行本が出た2013年当時」と違い、既に井村は中国チームのコーチを退任して、日本チームのコーチに復帰していますので当然、単行本のままの題名ではまずいでしょう。まあ赤字部分だけ取って「教える力」でもいいんですがそれだとインパクトが弱い。

*28:著書『カンボジア絹絣の世界』(2008年、NHKブックス)、『カンボジアに村をつくった日本人:世界から注目される自然環境再生プロジェクト』(2015年、白水社

*29:この映画については ハロルドとモード 少年は虹を渡る - Wikipedia「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」がDVD化される - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2012.2.17)を紹介しておきます。ちなみにググってヒットした『ハロルドとモード』公式ホームページ | 2021年9月~10月 東京・大阪 | 出演キャスト、日程・チケット情報など黒柳徹子と藤井流星共演『ハロルドとモード』60歳年下の“恋人”に「初めてお顔を見てハンサムなんでビックリ」:中日スポーツ・東京中日スポーツ(2021.9.30)によれば2021年に黒柳徹子主演(黒柳は1933年生まれなので2021年当時、実年齢では88歳)で舞台化されています。

*30:経歴的には高世と似ていますが、会社を潰した高世と違い有能な方なのでしょう。

*31:高世『「イスラム国とは何か』(常岡浩介との共著、2015年、旬報社)、『自由に生きていいんだよ:お金にしばられずに生きる「奇跡の村」へようこそ』(森本喜久男との共著、2017年、旬報社)ということで、最終的には「長い付き合いのある旬報社(高世『スーパーKを追え』(1997年、旬報社)、『娘をかえせ息子をかえせ:北朝鮮拉致事件の真相』(1999年、旬報社))」からしか本が出せなくなり、その旬報社からも今では見捨てられたらしい高世仁とは偉い違いです(これについては例えば家族会と巣食う会の見解と違う報道ができずに高世仁の北朝鮮報道は自滅した(関川夏央もたぶん同じ) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。「繰り返しますが」高世と違い有能な方なのでしょう。高世にとってこうした「似た経歴(テレビ番組下請け会社プロデューサー)だが、ジンネットを潰した高世と違い成功した有能な人間」は「妬ましい限り」でしょう。「身も蓋もない話」ですが結局は「松井氏などとは違い」高世には「才能か、やる気(あるいは両方)がなかった」わけです。