◆首相時代にも祝電を打っていた安倍
このツイートは「安倍暗殺後のあるワイドショー」での「元信者の発言」のようです。
勿論、暗殺は「悪」です。
しかし安倍を暗殺したことにより、こうして安倍と「統一教会との癒着」が明白になりました。俺個人は山上を批判する気にはあまりなりません(英雄視する気もないですが)。山上は「俺が殺したから安倍の『統一教会との癒着』をマスコミも報じるようになった。俺が殺さなければ報道はなかったろう。俺の行為の何が悪い」と思ってるかもしれない。「実際その通りなのだから」それに言い返す事は俺にはできません。
なお、一方の極端に「山上徹也の英雄視」があり、他方の極端に「故安倍晋三と統一教会との癒着をうやむやにしようとする大きな流れ」がある。弊ブログはこの両極に対して「言葉での戦い」の宣戦布告を行う - kojitakenの日記のいう「山上の英雄視」はほとんどどこにもないでしょう。「山上に対する贖罪感(日本社会が統一教会や安倍をキチンと断罪してれば今回の犯行はなかった)や同情」ならまだしも。id:kojitakenも良くデタラメが言えたもんです。kojitakenによくある「極論を批判し、中道を行く俺はかっこいい」というくだらない自己アピールでしょうが。「批判」ではなく「宣戦布告」と無駄に大げさなところが「権威主義者」kojitakenらしくて滑稽です。それについて「やたら大げさで権威主義でダサい」などとは批判しないid:suterakuso、無識者(風来坊)ら「kojitakenのいつもの取り巻き、太鼓持ち、喜び組連中」にも呆れます。
中国の古典『管仲*1論』に「一国は一人を以(もっ)て興り、一人を以て滅ぶ」という言葉がある。国は一人の力により栄えもするし、衰亡*2もする。この訓戒が脳裏に浮かぶほど、凶弾に倒れた安倍晋三元首相は、日本の政界で大きな存在だった。いや、国際政治で、と言い換えるべきか。
吹き出しました。「安倍がそれほどの政治家かよ」ですね。
「東方政策のブラント・西ドイツ首相」「ペレストロイカのゴルバチョフ・ソ連書記長」「太陽政策の金大中・韓国大統領」(いずれもノーベル平和賞受賞者)などならまだしも。
「そのうちそちらに参りますので、その時はこれまで以上に冗談を言い合いながら、楽しく語り合えるのを楽しみにしています」。
12日の安倍氏の葬儀で(ボーガス注:第一次安倍内閣外相、第二~四次安倍内閣副総理・財務相を務めた)盟友、麻生太郎元首相はこんな弔辞を読んだ。
官房長官として安倍政権を支えた菅義偉前首相は13日のBSフジ番組で、安倍氏搬送先の奈良県立医大病院に駆け付けた思いを語った。
「寂しがり屋でもあったので。そばにいてやりたいという感じで、とにかく行ってみようと」。
勿論、これらを本心と見なすのはナイーブすぎる。そもそも安倍と彼らが本当にそんなに親密な関係だったのかも疑問です。
「安倍との交遊アピールが自らの政治力拡大につながる」と思ってそうしてるだけでしょう。むしろこういうアピールをしない人間の方が信用できるのではないか。
ところが安倍氏の死後も、業績や人柄をおとしめ、罵声を浴びせる者がいる。彼らに次の言葉を贈る。
「或(あ)る人間の高さを見ようと欲しない者は、それだけますます鋭くその人間のもつ下劣な点や前面に現れている点に眼(め)を向ける。―そして、そうすることによって自分自身を暴露する」(ニーチェ)。
「モリカケ桜」「レイプもみ消し」「河井の公選法違反」「今回の暗殺を招いた統一教会との癒着」など「安倍の不祥事」への批判は正当なものであり何ら誹謗ではない。そもそも産経が「おとしめ」と書きながら「モリカケは無罪だ」「統一教会と交遊して何が悪い」など、具体的な反論ができない辺り「語るに落ちています」。
そもそも産経が常に故人を追悼してきたかと言えばそんなことはなく(例は何でもいいのですが)「宮本顕治氏」など対立する立場の故人に平気で悪口してきたので「良く言うぜ」です。
むしろ「ニーチェの言葉」が該当するのは産経の方であり、全く面の皮が厚い。
「国葬」と「暴力との戦い」「民主主義擁護」と何の関係があるのか。そういう口実で国葬を発表しながらも実際に画策してるのは「安倍美化」でしょう。
そもそも「河井の公選法違反(民主主義破壊)」「統一教会との癒着(信者に対する「寄付強要」など暴力的行為への加担)」がわかりやすいですが「民主主義の破壊者、暴力への加担者=安倍」ではないのか。