黒井文太郎&常岡浩介に悪口する(2022年9月8日分)

黒井文太郎
 「昭和」はもちろん戦後のほうがずーっと長いのですけど、戦前・戦中からの人脈が水面下で大きな影響力を持っていたのですよね。その意味で、昭和20年8月で断絶してません。詳しくは「謀略の昭和裏面史」にて!

 そんなことは何も黒井の本を読まずとも

【政治家:あいうえお順(経歴はウィキペディア参照)】
賀屋興宣(1889~1977年)
 戦前、第一次近衛、東条内閣蔵相。戦後終身刑判決を受けるが、後に仮釈放を受けた上、公職追放も解除。政界に復帰し、池田内閣法相、自民党政調会長(池田総裁時代)を歴任
岸信介(1896~1987年)
 戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相。安倍晋太郎・元自民党幹事長は女婿。安倍晋三元首相は孫
椎名悦三郎(1898~1979年)
 戦前、岸商工相の下で商工次官。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官、池田、佐藤内閣外相、通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中、三木総裁時代)など歴任
重光葵(1887~1957年)
 戦前、東条、小磯内閣外相。戦後、禁固7年で服役。出所後も公職追放されるが後に追放解除で政界復帰。改進党総裁、日本民主党副総裁(鳩山総裁時代)、鳩山内閣外相など歴任
高碕達之助(1885~1964年)
 戦前、満州重工業総裁。戦後、鳩山内閣経済企画庁長官、岸内閣通産相科学技術庁長官など歴任。LT貿易に関わったことで知られる親中派
鳩山一郎(1883~1959年)
 戦前、田中内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相。戦後、日本自由党総裁、日本民主党総裁、首相、自民党総裁を歴任。鳩山由紀夫(元首相)、鳩山邦夫*1兄弟の祖父。岸田内閣総務大臣政務官を務めた鳩山二郎(邦夫の息子)の曾祖父。
【右翼フィクサー:あいうえお順(経歴はウィキペディア参照)】
児玉誉士夫(1911~1984年)
 戦争中、海軍航空本部のために物資調達を行い、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売りさばいて莫大な利益を得た。この豊富な資金の一部を日本自由党総裁、日本民主党*2総裁の鳩山一郎に「日本自由党日本民主党」の政治資金として提供*3したことから自民党への影響力を持つようになる。
 三木武吉*4は病の床で「児玉をよろしく」との言葉を残したと言われる。
 岸信介首相は、1960年安保闘争の際に、デモ隊に対抗するため、自民党の木村篤太郎*5らにヤクザ、右翼を動員させたが、児玉はその世話役を務めた。なお、この時、自民党からは6億円前後の活動資金が児玉に提供されたが、使途不明となった。児玉は横領の嫌疑をかけられ真相究明会まで設けられたが、いつしか沙汰やみになった。
 岸首相の第1次FX疑惑を社会党(当時)の今澄勇*6が追及した時には等々力の児玉の私邸へ二度も呼び、追及を止めるように圧力をかけた。今澄がこれを拒むと、今澄の政治資金の提供元と金額、使っている料理屋、付き合っている女が全て書かれた身上調書を今澄に渡して「追及を辞めなければ全てを明かす」と恫喝して追及を止めさせている。
 ロッキード事件の発覚により、児玉がロッキード社の秘密代理人として政界工作をしていたことが明らかになった。
◆佐郷屋留雄(1908~1972年)
 1930年、浜口雄幸首相を狙撃(濱口はこの時の傷が元で1931年に首相を辞任、その後、死去)。1933年に死刑判決を受ける*7が、1934年恩赦で無期懲役減刑。1940年に仮出所。戦後、護国団団長、全日本愛国者団体会議(全愛会議)議長を歴任
笹川良一(1899~1995年)
 戦前、国粋大衆党総裁。戦後、日本船舶振興会(現在の日本財団)会長、全日本愛国者団体会議(全愛会議)顧問、国際勝共連合名誉会長を歴任。自民党総務会長(麻生総裁時代)を務めた笹川堯は息子。菅内閣環境副大臣を務めた笹川博義(堯の息子)は孫。
◆矢次一夫(1899~1983年)
 1933年(昭和8年)、陸軍省池田純久少佐の依頼で国策研究同志会(1938年(昭和13年)に国策研究会に改称)を組織。また、企画院委員、大政翼賛会参与、翼賛政治会理事などを歴任。
 戦後は公職追放されたが、1951年(昭和26年)、追放解除。1957年(昭和32年)に、矢次の仲介で金東祚*8岸信介首相と会談。1958年(昭和33年)5月に岸首相の特使として韓国を訪問して李承晩韓国大統領と会談。日韓国交正常化後の1970年(昭和45年)10月には朴正煕韓国大統領によって一等樹交勲章を受章した。金大中事件で日韓関係がこじれた際にも1973年(昭和48年)9月に岸と共に訪韓し、事件処理と経済関係を切り離すことで朴大統領と合意を取りつけた。
 その一方で1972年(昭和47年)には矢次は金炳植*9朝鮮総連副議長と会談。日朝経済関係の促進に乗り出し、自ら日朝貿易を取りまとめる協和物産を設立している。1980年(昭和55年)5月には岸の特使として訪中し、中国の最高指導者・鄧小平*10と会談。中台統一に向けた台湾の蔣経国総統との仲介役を鄧から要請を受けた。大宅壮一は矢次を「昭和最大の怪物*11」と評した。

反共同盟への思いと韓国への謝罪で臨んだ李承晩との交渉 | 若宮啓文 | テンミニッツTV
 岸さんは、総理大臣になって数ヶ月後の1958年5月、満州時代以来大変親密な仲だった矢次一夫さんを、自らの特使として韓国に派遣します。
 矢次一夫さんという人は、民間の人ですが、政治・外交の裏方としていろいろなパイプを使って動いていた人で、台湾や韓国とのパイプも持っていました。この人に、政府の正式な特使ではなく、岸さんの個人的な特使という形で李承晩大統領と会ってもらうわけです。
 そして李承晩に岸さんの親書を渡しながら、次のようなことを伝えたと言われています。それは、(中略)自分*12は長州・山口県の出身で、明治維新で活躍した伊藤博文の後輩にあたるけれども、郷土の先輩である伊藤博文元首相が犯した(ボーガス注:韓国植民地化という)過ちを謝りたいということでした。岸さんは、植民地化していく過程で、自分の郷土の先輩が間違いを犯したことを謝りたいと、非公式な形ではあるけれども、矢次さんに託して伝えたわけです。
 岸さんはそれを公には認めていないのですが、矢次さんは、韓国・ソウルでの記者会見でそういう趣旨のことを話していますし、帰ってきてから日本で書き残したものにも、そういうことが書かれています。
 また当時の韓国の外交官で金東祚(キムドンジョ)という人がいて、日韓関係の立役者でもあった人ですが、そのときに同席していて、そのことを書き残していますし、私も、ずいぶん前に、その方からその話を取材で聞いたこともあります。
 岸さんは、そういうことまで言いながら、なんとか日韓関係を打開しようとしたのです。

などある程度政治知識があれば「常識の範疇の話」です(黒井の本は著者名からして児玉など右翼フィクサーについて触れてるのでしょうが)。こうした戦前人脈には「親中派の高崎」のような人間もいれば、「右翼政治家」の岸、岸ら右翼政治家の支援を受けてフィクサーとして動く「児玉や矢次*13のような極右活動家」もいました。
 いずれにせよ黒井の本は、ご本人は大言壮語してますが、恐らく「オリジナリティも新発見も大してない」のでしょうね。

常岡浩介
 FSBはマンガみたいな奇想天外な陰謀を大雑把に巡らして派手に実行するのは大好きだが、地道に冷静に現実的な分析をやってきたことはこれまでもなかった。だから、前身のKGBソ連崩壊を招いた

 常岡のバカさに吹き出しました。ソ連崩壊の最大の理由は「経済の崩壊」であり、それは勿論KGBとは全く関係がない。
 それはともかく「地道に冷静に現実的な分析をやってきたことはこれまでもなかった」というのはむしろ「常岡に該当する」ことではないか。
 「派手に注目を集めること」を狙って「チェチェンが話題になれば」、常岡『ロシア 語られない戦争:チェチェンゲリラ従軍記』(2011年、アスキー新書)を書き、「ISが話題になれば」、常岡『イスラム国とは何か』(2015年、旬報社)を書くなどと言う「場当たりなこと」をしているから常岡の今の惨状「事実上無職」なのでしょう。勿論常岡の能力の低さから「書いた本がろくに売れなかった→出版社から見捨てられる」と言う面もあるでしょうが。

常岡浩介がリツイート
◆黒井文太郎
 明日発売の新刊拙著『謀略の昭和裏面史』
 新書サイズに限界まで目一杯の文字を詰め込んで、なんとP368で900円+税。
 これはコスパ的にかなりのお買い得!

 常岡も「自称ライター」なら「他人の宣伝」をする前に自分の宣伝をしたらどうなのか。「事実上無職」で宣伝する業績がないのだから常岡には心底呆れます。

黒井文太郎
 そういえば安倍元首相の対露空転外交の起源は森喜朗氏のプーチン推し

 「安倍の親分である森氏(元清和会会長)」の影響はあるかもしれませんが、安倍は仮にも「首相」です。また同じく「森氏を親分とする小泉、福田首相」は安倍のような対ロシア外交ではなかった。
 そこまでして黒井は安倍をかばいたいのかと心底呆れます。

*1:宮沢内閣文相、羽田内閣労働相、第一次安倍、福田内閣法相、麻生内閣総務相など歴任

*2:総裁・吉田茂と対立した鳩山が日本自由党を離党して1954年に結党。1955年に自由党と合同して自民党が成立

*3:これについては例えば赤旗上海・児玉機関のダイヤが自由党結党資金?(2005.2.12)参照

*4:1884~1956年。鳩山一郎の側近の一人。日本自由党日本民主党総務会長、自民党総裁代行委員など歴任

*5:吉田内閣法相、防衛庁長官など歴任

*6:1960年の民社党結党に参加。民社党で政策審議会長

*7:【1】戦前とはいえこうした前例があること、【2】2007年の長崎市長暗殺事件で死刑求刑されたこと(一審は求刑通りの死刑だが最終的には無期刑)から「安倍暗殺で山上に死刑の恐れ」が指摘され、一部では「山上の不幸な境遇」「安倍と統一教会の癒着」を理由に「減刑主張」がされるわけです。

*8:1918~2004年。1965~1967年まで駐日大使、1973~1975年まで韓国外相。

*9:1919~1999年。その後、北朝鮮に帰国し、朝鮮社会民主党朝鮮労働党衛星政党)委員長、国家副主席を歴任

*10:中国共産党副主席、第一副首相、党中央軍事委員会副主席、中国人民解放軍総参謀長、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席、党中央顧問委員会主任など歴任

*11:「昭和最大かどうかはともかく」、確かにウィキペディアの記述を読むだけでも「岸のバックアップがある」とはいえ「怪物ぶり」が窺えます。

*12:岸のこと

*13:ウィキペディアを見るだけでも岸の「児玉や矢次と言った右翼とのズブズブぶり」にげんなりします。他にも文鮮明ともズブズブですしねえ。さすが「安倍の祖父」らしい「倫理観の無さ」と言うべきか