新刊紹介:「歴史評論」2023年6月号

特集『歴史科学協議会第56回大会「歴史認識のポリティクス:地域・国家・市場」
 2022年12/3、4に行われた歴史科学協議会第56回大会「歴史認識のポリティクス:地域・国家・市場」の報告です。無能な小生が何とか紹介できる物のみ紹介します。
 なお、「ウクライナ戦争」と「フィリピン・マルコス家の復権」という「今だ過去の歴史になりきってない現在進行形のネタ」が今回は取り上げられています。
◆「歴史」の書かれ方と「記憶」のされ方:人々はなぜ過去をめぐって諍いを起こすのか(橋本伸也*1
(内容紹介)
 勿論「歴史を巡る諍い=歴史認識論争」は

◆日中、日韓間の靖国問題(特にA級戦犯合祀問題)
◆日韓間の徴用工、慰安婦問題
中韓間の「東北工程」問題
◆トルコ、アルメニア間のアルメニア人虐殺問題
→トルコは虐殺の事実自体を否定。なお、アルメニアアゼルバイジャンの軍事紛争「ナゴルノ・カラバフ紛争」ではトルコはアゼルバイジャンを支持しています(アルメニアについてはロシアが支援)。

等いろいろあるわけですが、橋本氏(ロシア研究)は「ロシアとウクライナの諍い」を取り上げます。
 論点は多岐にわたってまとめづらいですが、例えば「ロシアとウクライナの諍い」の例として、「ステパン・バンデラ」評価が取り上げられます。

ステパーン・バンデーラ - Wikipedia参照
 1909~1959年。1929年にポーランドからの独立を唱えるウクライナ民族主義者組織(OUN)に入党。1932年にOUNの西ウクライナ支部副幹事長に選ばれ、1933年に幹事長となった。
 1935年にポーランド警察により、前年6月15日のブロニスワフ・ピエラツキ内務大臣暗殺事件に関与した容疑で逮捕され、1936年に死刑判決を受けたが、後に終身刑減刑された。
 1939年にナチドイツの侵攻でポーランド第二共和国が滅亡すると、ドイツ軍によって解放される。1941年4月にOUNの総裁に選ばれ、当初は「敵(ソ連)の敵は味方」論からドイツを支持。バンデラはウクライナ国家再生宣言を執筆し、宣言は1941年6月30日にドイツ軍に占領されたリヴィウで「バンデラの部下」ヤロスラフ・ステツコによって読み上げられた。しかしドイツはこの宣言を認めず、バンデラは7月5日にドイツ占領当局によって軟禁された後にザクセンハウゼン強制収容所に送られた。その後、連合軍によってウクライナはドイツ支配下からは解放されたが、ソ連に再占領されたためにウクライナへ戻れず、ドイツ南部へ移住し、反ソ連活動(ウクライナソ連からの独立主張)を続けた。
 1959年10月15日に西ドイツのミュンヘンKGB工作員ボグダン・スタシンスキー*2によって暗殺された。彼の墓はミュンヘンにある。
◆評価
 1991年のソ連崩壊前は、「ソ連からのウクライナ独立を主張した反ソの人物」でしかも「一時はナチドイツを支持したこと」で、ソ連は「公式史観」として「ファシスト」「ソ連の敵」として扱い、ソ連の構成国家となっていたウクライナ人民共和国歴史教育でもそう教えていた。
 しかしソ連崩壊、ウクライナ独立後は逆に英雄化が進む。2004年のオレンジ革命ウクライナ大統領に就任した反露派のヴィクトル・ユシチェンコ*3は、2010年、バンデラに「ウクライナ英雄」の称号を授与した。しかし、国内外のユダヤ系の人々からの反発を受け、裁判所も「亡命したため、バンデラはウクライナ市民ではない」という判決理由により、バンデラの英雄称号に関する大統領布告を無効とした。
 マイダン革命と呼ばれる2014年ウクライナ騒乱により親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ*4大統領が失脚し、2014年ウクライナ大統領選挙で反露派のペトロ・ポロシェンコ*5大統領が当選した。ポロシェンコ政権はバンデラ美化を推進。
 2016年、ウクライナの首都であるキエフの「モスクワ通り」は、キエフ市議会の決議により、バンデラを顕彰して「ステパン・バンデラ通り」に改名された。しかしこうした動きは、バンデラを「ナチドイツの手先」とみなすプーチン・ロシアを刺激し、ウクライナ侵攻を助長したとする批判意見もある。

 ということで旧ソ連時代から今のプーチン・ロシアに至るまで、ロシアは「バンデラ」=「ナチドイツの手先」なのに対し、ウクライナでは、ソ連崩壊以降は、「プーチンのクリミア侵攻以前」から旧ソ連への反発から「バンデラの美化」が進むことになります。
 勿論、バンデラを「ナチドイツの手先」で片付けるのも「汪兆銘*6チャンドラ・ボース*7大日本帝国の手先」「ウランフ*8(モンゴル人の中国共産党幹部)、プンツォク・ワンギャル*9チベット人中国共産党幹部)=中国共産党の手先」扱い並みに乱暴でしょう(ましてや、バンデラ美化を理由にウクライナ侵攻など論外です*10)。
 しかし、一方で汚点を無視して「美化するウクライナ」の態度も「それでいいのか」と言う話です。
 なお、橋本論文では「プーチン・ロシアを利するわけにいかない」ため、「あえてあまり批判しない」だけで「ウクライナ政府のバンデラ美化」については、ウクライナ周辺諸国(特にポーランド)は内心では「恐らく相当反発している」という指摘もされます。

【参考:バンデラ】

ユダヤ人が殺された渓谷に博物館建設へ 被害と加害が絡む歴史:東京新聞 TOKYO Web2020.7.27
 ナチス占領期の犠牲を強調するウクライナだが、国外からはナチスに協力した科を問う声も上がり始めている。バビ・ヤールの虐殺などに一部のウクライナ人が関わっていたからだ。
 問題視されるのが第2次大戦前に結成されたウクライナ民族主義者組織(OUN)の指導者ステパン・バンデラ(1909~59年)。ウクライナを支配していたソ連ポーランドからの独立を期し、武力闘争を展開した。ユダヤ人を迫害するナチスにも協力し、欧州では極右勢力と目された。
 ウクライナでは、バンデラを愛国者としてたたえるパレードが10年ほど前から定着。イスラエルポーランドの駐ウクライナ大使はこの1月、「民族浄化を掲げた人間を顕彰するのは許されない」と非難声明を出した。チェコのゼマン*11大統領もウクライナ人のバンデラ崇拝を糾弾している。

米山隆一(2022.3.24)
 外務副大臣鈴木貴子氏が2014年に出した質問主意書です。
「現政権*12は、反ユダヤ主義、更にはナチス・ドイツに協力したウクライナ国粋主義バンデラ主義の信奉者らが暴力により政権を奪った結果発足したものである。現在のウクライナ政府には危険な民族排外主義的傾向がある」
 政府はこのような人物を外務副大臣に任命していることについての見解を、説明すべき義務があると思います。

平河エリ*13
 鈴木貴子副大臣、こんな主意書だしてたのか。
>ヤヌコビッチ政権の後を受け継いだ現政権*14は、アンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)、更にはナチス・ドイツに協力したウクライナ国粋主義、バンデラ主義の信奉者らが暴力により政権を奪った結果発足したものである。
 まさか国会議事録に「バンデラ主義」という単語が乗ってるとは思わなかった。あ、随分前ですよ。(ボーガス注:自民入党前の)H26なので。付記です。

ウクライナ情勢に係る駐ウクライナ日本国特命全権大使の発言に関する質問主意書(鈴木貴子*15、平成二十六年三月十一日提出)から一部引用
 現政権*16もアンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)、さらにはナチス・ドイツに協力したウクライナ国粋主義バンデラ主義(第二次大戦中ナチスドイツに協力したステパン・バンデラの考え)の信奉者らが、武器を持たない警官らに対し火炎瓶を投げ付け治安維持部隊に暴力をふるい銃を乱射し政権を奪っている。現在のウクライナ政府には危険な民族排外主義的傾向があるが、その現政権を日本政府としてどう評価するか。

ウクライナ情勢に係る駐ウクライナ日本国特命全権大使の発言に関する第三回質問主意書(鈴木貴子、平成二十六年四月八日提出)から一部引用

 前回質問主意書でも触れたが、ヤヌコビッチ政権の後を受け継いだ現政権*17は、アンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)、更にはナチス・ドイツに協力したウクライナ国粋主義バンデラ主義の信奉者らが暴力により政権を奪った結果発足したものである。現在のウクライナ政府には危険な民族排外主義的傾向があると思われるが、右につき政府の見解如何。「前回答弁書」では何ら明確な答弁がなされていないところ、再度質問する。

 ウクライナに千五百億の支援を表明しているが、三でふれた様に現ウクライナ政権がウクライナの安定と発展に資するかどうか不透明であるにも関わらず、国民の税金を使う判断は何を根拠にしているか明らかにされたい。

プーチンはなぜウクライナの「非ナチ化」を強硬に主張するのか? その「歴史的な理由」(浜 由樹子) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)2022.3.13
 プーチン大統領は、ウクライナへの侵攻に際して「非ナチ化」という言葉を頻繁に使っている。じつはこの言葉が用いられる背景を知ると、プーチン大統領がどのような歴史的な論理でこの侵攻を正当化しているのかが見えてくる。静岡県立大学の准教授で、著書に『ユーラシア主義とは何か*18』(成文社)、最新の訳書に『ファシズムとロシア*19』(マルレーヌ・ラリュエル*20東京堂出版)がある浜由樹子氏が解説する。
◆浜
 「非ナチ化」についてはほとんど注目されていないようだ。単なる誹謗中傷、あるいは、ユダヤ系であることを明らかにしているゼレンスキー大統領を「ネオナチ」呼ばわりする世迷言と受け止められている。
 しかし、この「非ナチ化」にはいくつもの重要なメッセージが込められている。
 前提として、ロシアにとって第二次世界大戦、とりわけ独ソ戦が持つ意味についておさえる必要がある。
 国民の英雄的な戦いの末にナチ・ドイツを打ち破り、連合国の勝利に貢献し、ファシズムから世界を解放したこと、「反ファシズム」「反ナチズム」国家としてのアイデンティティは、今でもロシア社会を束ねることのできる数少ない要素である。
「バンデラ主義者」とは何か
 「ネオナチ」という言葉と並んで、「バンデラ」「バンデロフツィ(バンデラ主義者たち、バンデラ一派)」という用語が、プーチン*21大統領や政府高官の発言、国営メディアにも、ウクライナを非難する文脈で登場する。
 この用語自体は、「ウクライナナショナリスト」を指す言葉としてソ連時代から使われてきたが、もともとはステパン・バンデラ(1909-1959年)の名前に由来する。バンデラは、戦間期から第二次世界大戦中にかけてポーランドソ連の両方と戦った活動家であり、極右的な準軍事組織を率いた人物である。
 ウクライナの見解では、彼はウクライナの独立のために戦った「自由の闘士」「独立の英雄」ということになっている。しかしながら同時に、彼は1941年と1944年にナチ・ドイツと協力した「ナチ協力者」でもある。彼とその仲間が発表した声明には、反ユダヤ主義が色濃く表れており、ロシア人、ポーランド人、ユダヤ人を「敵対民族」として排斥することが謳われていた。
 また、ナチズムの思想に通じる純血主義も窺われるが、こうした側面はウクライナではあえて触れられない。言及されることがあったとしても、ソ連の支配からウクライナを解放するために、「敵の敵は味方」の論理でドイツと手を結んだに過ぎない*22、ということになる。
 ウクライナソ連の構成国だった時代には、当然ながら、ナチ協力者は裏切り者として断罪されていたが、1991年の独立に伴い、ウクライナでは徐々にバンデラの名誉回復の動きが進んだ。そうした動きは、ロシアに批判的な姿勢を示す政権の下で活性化した。
 例えば、ウクライナでは2004年に、大統領選の結果をめぐる民主化運動で親ロシア政権が倒れる政変(オレンジ革命)が起こった。この「革命」によって、いわゆる親欧米/反ロシア色の強いユシチェンコ政権が誕生したが、同政権は、2009年、バンデラを郵便切手のデザインに採用し、2010年にはバンデラに「ウクライナの英雄」の称号を与えた。しかしこれは、ウクライナ東部や国内外のユダヤ人からの抗議にあって撤回された。
 2013年末にウクライナで始まったユーロ・マイダン革命の結果、EUよりもロシアとの関係改善に前向きなヤヌコーヴィチ政権が倒れ、ポロシェンコ政権が樹立されると、2015年、かつてバンデラが率いた「ウクライナ民族主義者組織」「ウクライナ蜂起軍」の故メンバーたちを「20世紀のウクライナ独立の闘士」とみなすという法案が議会に提出された。
 ポロシェンコ新政権の下、議席を得た極右政党「自由」や、「右派セクター」といった議会グループは、その反ユダヤ主義的志向を隠そうとしなかったため、ロシアはこれらを容易に「ファシズム」に結び付け、プーチン大統領はマイダン革命を「ナショナリストとネオナチ」が起こしたクーデターであると非難した。そして今でも、ドネツクとルガンスクでロシア系住民に「ジェノサイド」が行われていると主張している。
 ロシアが「ネオナチ」「バンデラ主義者」という言葉でウクライナを非難するのは、今回の侵攻を、ここまで見てきたような2000年代初頭から続く一連の「歴史をめぐる戦争」の延長線上に位置づけていることを意味する。
 ソ連を(ロシアから見れば不当にも)ナチ・ドイツと同等の占領者とみなし、一方でナチ協力者たちの名誉回復を進めるウクライナ、これが、プーチン大統領が「反ロシアのウクライナ」と呼ぶものの一側面であり、これを「正す」ことが「非ナチ化」の一つ目の意味である。
ロシア国内社会の団結
 「非ナチ化」メッセージの先に意識されている第二の対象は、ロシア社会である。冒頭で述べた通り、「反ファシズム」戦争であった第二次世界大戦の記憶は、ロシア国民を束ねられる数少ない、というよりもむしろ、唯一の要素である。
 1980年代後半に始まった資本主義への転換によって生じた社会経済的分断も、都市と地方の格差も、ソ連時代を経験した世代とソ連を知らない世代の間のギャップも、民族や宗教の違いさえ、乗り越えることができる。
 プーチン政権はこれまでも、様々なかたちで、ロシア社会にとっての第二次世界大戦の特別な意味を強調してきた。5月9日の戦勝記念日のパレードやコンサートに莫大な投資をし、独ソ戦物の映画やテレビの特番を後援し、各種記念団体の設立に携わり、戦争に関わった家族の写真を持ち寄って行進する追悼行事「不滅の連隊」(当初は草の根レベルで自然発生的に始まったものであったが)を制度化した。
 ウクライナの権力中枢に入り込んだ(ボーガス注:「バンデラ主義者」)「ネオナチ」を倒し、ドンバスのロシア系住民を「ジェノサイド」から守り、新たに出現した「ファシズム」を打ち破ることが目的だと語りかけることで、プーチン政権は、この戦争を「大祖国戦争」(ロシアでは第二次世界大戦*23はこう呼ばれる)の時のように団結して戦い抜き、経済制裁によってもたらされるであろう生活苦に耐えることを、ロシア国民に求めている。

プーチンの世界:「ナチストからの解放」訴え なぜウクライナは共感しないのか | 毎日新聞2022.7.19
 ウクライナとナチズム。外国人には唐突に思える組み合わせだが、ロシアの保守派にとってはおなじみの結びつきだ。第二次大戦中、ウクライナ民族主義勢力がソ連からの独立を目指し、共通の敵と戦うナチス・ドイツに一時協力したためだ。
 その指導者の一人、ステパン・バンデラは戦後、当時の西ドイツでソ連国家保安委員会(KGB)の工作員に暗殺された。その死後も、ソ連当局は、ウクライナ民族主義者を批判する際に「バンデラ主義者」と呼び、ファシストの代名詞としてきた。
 後継国となったロシアでも近年、このプロパガンダが吹き荒れている。

プーチン大統領 スターリングラード(ボルゴグラード)での演説全文 | NHK2023.2.17
 スターリングラード攻防戦*24は、大祖国戦争の決定的な転換点として、十分な根拠をもって歴史に刻まれている。
 ドイツ国防軍と衛星国軍の主力の敗北と同時に、ヒトラー連合全体、すなわちヨーロッパのナチス・ドイツの配下と(ボーガス注:バンデラなど)協力者たちの意志が打ち砕かれた。
 われわれは今、ナチズムのイデオロギーが、現代的な形を装い、再びわが国の安全保障に対して直接的な脅威をもたらすのを目の当たりにし、われわれはまたしても、「西側集団」の侵略を撃退することを強いられている。
 信じられないが、本当だ。
 われわれは再び十字架を載せたドイツのレオパルト戦車に脅かされている。ヒトラーの後継者*25の手で、バンデラ主義者*26の手で、ウクライナの土地で再びロシアと戦おうという動きだ。
 ここに出席している皆さんと、今日の祖国防衛者、すべてのロシア国民、海外の同胞たちに、スターリングラード攻防戦勝利から80周年に際して心からお祝いを申し上げる。

ウクライナ政府がポーランド人の虐殺に関与した民族主義者の誕生日を祝福、西側の反発招く - 2023年1月3日, Sputnik 日本2023.1.3
 ウクライナでは1月1日、第二次世界大戦中にナチス・ドイツに協力し、ユダヤポーランド人の虐殺に関与したとされるウクライナ民族主義者、ステパン・バンデラの誕生日が広く祝われた。これを受け、ポーランドのマテウシュ・モラヴェツキ*27首相はウクライナのデニス・シュミハリ*28首相に対し、厳重抗議した。
 モラヴェツキ首相は記者会見の中で次のように発言した。
「ヴォルィーニャで発生した犯罪に責任のある人物を賛美、またはそうした人物に敬意を表するあらゆる行為に対する怒りはいくら表現しても表現しつくせない。当時、ウクライナ人の手により10万から20万のポーランド人が虐殺された。これはジェノサイドだった。我々はこのことを決して忘れない。これらの犯罪を肯定することに、私はいかなる同意も表明しない」
 ポーランド政府はバンデーラを1943年に始まったジェノサイドの指導者とみなしている。ドイツ占領下のポーランドでは1943年7月11日、150近くの農村が一斉に襲撃され、ウクライナ民族主義者らによって10万から13万のポーランド人が虐殺されたとされている。2016年夏にポーランド下院はジェノサイドが発生した7月11日を「ジェノサイド犠牲者追悼の日」に指定した。
 一方、(中略)ウクライナ最高会議はポーランド議会のジェノサイド認定を非難する決議を採択しており、一部の国会議員はポーランド側によるジェノサイド認定について、両国の政治的外交的関係を危機にさらすものだと非難している。

プーチン氏、戦車に「対抗手段」=独ソ激戦地でウクライナ支援非難 | 時事通信ニュース2023.2.3
 プーチン氏は大戦中の独ソの「スターリングラード攻防戦終結80年に合わせて演説。この中で、ナチス・ドイツと西側諸国を重ね合わせて「ナチズムの思想は現代的な形でわが国の安全保障に直接脅威をもたらしている」と主張した。
 ウクライナについては「ヒトラーの信奉者」で「ソ連と敵対したウクライナ民族派指導者バンデラ」を信奉する「バンデラ主義者」と批判。

ウクライナには「ネオナチ」という象がいる~プーチンの「非ナチ化」プロパガンダのなかの実像【下】 - 清義明|論座 - 朝日新聞社の言論サイト2022.3.22
 2010年に当時のユシチェンコ大統領は、バンデラを国家英雄として認定した。これにイスラエルや、かつてウクライナ民族主義者で編成されたナチス武装親衛隊やバンデラ主義者に自国のパルチザンや民衆蜂起を弾圧されたポーランドチェコも反発。ついには欧州議会までもが、この顕彰の再考を求めた。欧州議会は、バンデラを国家英雄とみなすのは欧州の価値観にあわないと判断したのである。
 ユーロマイダンが終わると、民族主義と反ロの風潮が高揚し、ソ連時代の残滓をのぞくという名の下に、次々とロシアを連想させる名前の広場や道路や施設が、バンデラの名前を冠して改名されはじめた。バンデラの銅像も次々とつくられた。
 米のユダヤ系メディアのフォーワードはこの光景を「ウクライナは、驚異的なペースでナチスの協力者とホロコーストの加害者*29の記念碑を建て、ほぼ毎週、新しい記念プレートがつくられ、道路の名前が変更されている」と伝えている。そして、ナチス協力者の民族主義*30を国をあげて崇拝し、それを制度化していると厳しく批判している。サイモンウィーゼンタールセンターや世界ユダヤ人会議のような団体もこのウクライナの「歴史修正主義」を批判した。
 ナチス協力者*31を崇拝すれば「ネオナチ」扱いされるのは、是非はともかくとして不思議な話ではない。ウクライナはそれを無自覚に行い、それをウクライナ民主化運動支持者は大目に見ていた。

【参考:東北工程】

古代史・キムチ・韓服…中国の露骨な「文化工程」(上)-Chosun online 朝鮮日報2022.2.7
 中国は2002年から2007年にかけて公式に進めた「東北工程」を通じ、古朝鮮、夫余(扶余)、高句麗など韓国の古代史に登場する国家を「中国の地方政権」として歪曲する作業を進めた。2007年にはある研究書に「百済新羅も中国史の一部」と記述された事実も明るみに出た。

「歴史歪曲だ」…韓国側の抗議に中国側は高句麗・渤海抜きの年表を撤去-Chosun online 朝鮮日報2022.9.16
 2000年代の初めごろ、中国が高句麗史を歪曲した「東北工程」で韓中間の外交対立が激化すると、2004年に中国の温家宝*32首相は韓国の盧武鉉大統領に対し「必要な措置を取る」と約束した。続いて韓中の外交当局は「中国は教科書や政府レベルで高句麗史の歪曲を試みない」という口頭了解案に合意した。中国国家博物館が高句麗渤海を年表から削除した遺物展を開いたのは両国の合意に違反するもの、という批判が出ている。

【コラム】「東北工程は学術問題」という中国のうそ-Chosun online 朝鮮日報2022.9.22
 最近、中国・北京の国家博物館における韓中日青銅器遺物展で、韓国の歴史年表から中国側が勝手に「高句麗」と「渤海」を削除し、物議を醸した。

【参考:アルメニア人虐殺】

トルコ大統領「事実に反する」 ジェノサイド認定の米を非難 - 産経ニュース2021.4.27
 トルコのエルドアン*33大統領は26日に演説し、バイデン米大統領オスマン帝国末期の第一次大戦時に起きたアルメニア人迫害を「ジェノサイド」(民族大量虐殺)と認定したことについて、「根拠がなく不公平で、事実に反する」と強く非難した。
 エルドアン氏は17世紀以降、西欧から北米への移住者らが先住民と対立を繰り広げた歴史を持ち出し、「(ジェノサイド認定の前に)自らの姿を鏡で見るべきだ」と非難した。
 また、オスマン帝国末期の1915年以降、150万人が犠牲になったとするアルメニアの主張は「誇張だ」として、米政権に認定の撤回を要求。
 アルメニア人迫害はエルドアン氏の支持基盤のイスラム保守層だけでなく、多くのトルコ人の機微に触れる問題で、同国内の野党も米政権の判断に反発しているもよう。

トルコはなぜナゴルノ・カラバフ紛争に関与するのか(今井 宏平) - アジア経済研究所2020.10月
 旧ソ連の領域で「裏庭」に当たるアゼルバイジャンアルメニアにロシアが積極的に介入するのは合点がいくが、一方、トルコはどのような思惑で今回の衝突に介入しているのだろうか。
 トルコ人アゼルバイジャン人は人種・民族的に近いテュルク系であり、アゼルバイジャン語はトルコ語とは言語的に近い。
 トルコのカディルハス大学が毎年トルコ人1,000人を対象に行なっている外交に関する世論調査のなかの「あなたはどの国がトルコにとって友好国だと考えますか」という質問において、毎年最も高い割合となるのがアゼルバイジャンである。
 加えてトルコとアルメニアの間には全国民レベルで第一次世界大戦期のいわゆる「アルメニア虐殺」をめぐり、反トルコ感情と反アルメニア感情が強い 。トルコ側はアルメニアが主張する数は誇張であり、トルコ側も犠牲を伴い、さらには冷戦期にトルコの外交官がアルメニアのテロ組織に殺害される事件が起きたことを持ち出し、反論している。
 いずれにせよ、トルコがナゴルノ・カラバフ紛争に関与する理由のひとつが国民レベルで共有されたアゼルバイジャンとの絆およびアルメニアへの敵対心であることは間違いない。
◆「旗の下への結集」効果
 大手世論調査会社のメトロポール(Metropoll)によると、(中略)エルドアン大統領の支持率が急激に伸びた時がある。2019年10月の北シリアへの越境攻撃、そして2020年9月の東地中海への対応で緊張が高まった時である。選挙に際して戦争や対テロ戦争などの手段に訴え、国民を一致団結させようと仕向ける手法は珍しいものではなく、政治学では「旗の下への結集効果」と呼ばれている 。もし戦争に参加することで支持率を伸ばそうというのがエルドアン政権の目論見であるなら、ナゴルノ・カラバフ紛争への関与は必然であった。


ポスト・トゥルース*34時代の歴史認識:米国「歴史戦争」から1619年プロジェクト論争へ(中野耕太郎*35
(内容紹介)
 いわゆる「1619年プロジェクト論争」をめぐる米国の保守とリベラルの論争について論じていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考

なぜトランプは根強く支持されるのか──歴史観と人種問題に見るバイデンとの対立|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
 1619年とは、奴隷になった最初のアフリカ人が、英国植民地時代のバージニア州ジェームズタウンに到着した年のことである。
 彼らは「ホワイト・ライオン(白いライオン)」号に乗って連れられてきた。8月のことだった。
 「1619年プロジェクト」とは、この400周年を記念して、2019年に『ニューヨーク・タイムズ』紙が立ち上げた、特別な取り組みである。
 同紙はいう。
「このプロジェクトは、奴隷制度の結果と、黒人のアメリカ人たちの貢献を、私たちの国の物語の中心に置くことによって、歴史の枠組みをつくりなおすことを目的としています」
 発起人は、同紙のジャーナリストであるニコール・ハンナ=ジョーンズ氏である。
 1619年プロジェクトの中で語られ、最大の猛反発をかったのは「アメリカへの(白人)入植者が、英国からの独立を宣言した主な理由の一つは、奴隷制度を守りたかったからだ」という主張である。
 つまり、アメリカ独立革命は、奴隷制度を維持するために起こった。奴隷制度は国家のDNAに組み込まれていたため、真の建国は1619年であった──という主張である。
 1619年プロジェクトは(ボーガス注:右派、保守派から)「キャンセル文化」「批判的人種論」「歴史修正主義」と批判され、議論はほとんど「戦争」となった。
 トランプ大統領(当時)と共和党は、「1619年プロジェクト」に対抗する案を考えた。
 トランプ大統領は、アメリカの子供たちに 「偽物の歴史ではなく、本当の歴史を教える」ためのものだと説明した。
アメリカの歴史の奇跡を子供たちに教え、(2026年には、独立宣言の1776年から数えて)建国250周年を記念する計画を立てるように、教育者に奨励する。若者に『アメリカを愛すること』を教えることになるだろう」と述べた。
 さらに「左派はアメリカの物語を歪め、汚してきた。私たちは、息子や娘たちに、自分たちが世界の歴史の中で最も例外的な国の市民であることを知ってもらいたい」と付け加えた。
 トランプ政権があと2日で任期が終わるという、最後の最後である1月18日、トランプの「1776年委員会」はレポートを発表した。政権が民主党にうつることで、解散させられるのを予期していたのだろう。
 内容はとりわけ、1960年代以降の進歩的な知識人によってつくられた「歪められた歴史」と呼ばれるものを糾弾している。
「人道的で自由な教育は、(60年代以降の)新しい教育によって、多くの場所で取って代わられてしまった。アメリカ人は、自分たちの本質、自分たちのアイデンティティ、自分たちの場所と時間から遠ざけられてしまった」と主張している。

ニコル・ハンナ=ジョーンズが語る「1619プロジェクト」 批判的人種理論の教育 裁かれる白人至上主義 | Democracy Now!

 中野氏も指摘していますが何も米国での保守派とリベラル・左派の「歴史認識」を巡る対立点は「1619年プロジェクト」だけではありません。
 「原爆投下(いわゆるエノラ・ゲイ展論争*36 )」「公民権運動」「ベトナム戦争」等、歴史認識を巡る対立点は多々あります。


◆一八九〇年代における「地方史学会」の組織と活動(廣木尚)
(内容紹介)
 『一八九〇年代における「地方史学会」の組織と活動』について奥羽史談会(仙台)、北陸史談会(金沢)、九州史談会(熊本)を題材に論じていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
 なお、筆者はこれら史談会の拠点となった「仙台、金沢、熊本」が

◆第二高等学校*37(仙台)、第四高等学校*38(金沢)、第五高等学校*39(熊本)
◆陸軍第2師団*40(仙台)、第6師団*41(熊本)、第9師団(金沢)

と戦前において「地域の拠点都市だったこと」は偶然ではなく「やはり必然だったろう(地域の拠点都市だからこそ地方史学会が成立しやすい)」と見ています。
 「『戦前の郷土史家を再評価する』が紹介する石川県史研究の日置謙」ら「著名な地方史(郷土史)研究家」と「奥羽史談会(仙台)、北陸史談会(金沢)、九州史談会(熊本)」の関係性については「今後の研究課題」とされています。

【参考:戦前の地方史研究】

『戦前の郷土史家を再評価する』由谷裕哉*42(北國総合研究所研究員、小松短大助教*43)2004.12.27
 郷土史郷土史家というと、現在では否定的な評価しかないかもしれない。いわく、「お国自慢」だとか「社会経済史的な視点の欠如」だとか。しかし、一般論的に非難して顧みないのは、あまり生産的でないように思える。
 私が近年、個別の郷土史研究の成果として注目しているのは、石川県の文化に関する戦前の郷土史家の貢献、とくに日置謙*44(1873―1946)や和田文次郎(1865―1930)といった碩学の編著書である。すなわち、日置の『羽咋郡誌』(1917)に始まり『江沼郡*45誌』(1925)まで計6つの郡誌や、『石川県史』全5巻(1927―33)、和田が中心的な編著者だった『稿本金沢市史』(1916―42)などのテキスト群である。
 これらは、敗戦後に県内の新しい地方自治体が編纂した市町村史と比べてさえ優れた内容だと思うが、むしろ私は、19世紀以前の郷土史研究、例えば森田平次*46(1823―1903)のような先人の著作と比べた方が、その傑出した点に光を当てることができるのではないかと考えている。
 それをここでは、次の2点に絞って概観したい。第1に民俗事象(フォークロア)を対象として見いだした点、第2に郷土の文化に観光資源を見いだした点である。
 第1の点については、もちろん柳田國男らによる『郷土研究』誌の刊行(1913―17)のような全国的動向の影響も多少あったとは思うが、例えば日置による郡誌では1920年刊の『河北郡誌』以降、「迷信」「慣習」などの項目が設定されてゆく。また、日置の郡誌・県史以外の編著書でも、『石川県之研究 神社編』(1918)が後半の第2章「祭礼」の項目で、現在から考えるとフォークロアに相当するおびただしいデータを収録している。
 この点から私は、1918―20年頃に出された日置のこれら編著書をもって、石川県における民俗(フォークロア)研究が誕生したと位置づけるべきではないかと考えている。
 第2の点についてかつて私は、小松お旅まつり*47の対外イメージにおいて、『石川県史』第5編(1933)の写真頁における日置のコメントの果たした影響が、少なからぬものではなかったかと考察したことがあった(拙稿「小松お旅まつりの社会史」、『小松短期大学論集』第15号、2003年)。もちろん、お旅まつりについてはそれより早く1910年代から、この頃刊行され始める観光案内的な書籍の一つ『能美郡案内』(石川県能美郡農会、1918)が観光資源として位置づけようとしており、日置の言説はそれからやや遅れてそうした評価を固めたことになろう。
 また、和田が1915年に発足させた郷土史の研究組織である加越能*48 史談会では、真っ先に兼六園*49保勝会の組織化を行っている。それから2年後、同史談会は金沢を中心に県内で史蹟標榜設置運動を始めてもいる。県内の郷土史家が名勝や史蹟の顕彰に取り組んだのは、和田や同史談会だけではなかった。日置の六郡誌の後を受けて『鹿島郡誌』(1928)を編んだほか、前田利常*50や改作法*51に関する著作でも知られる小田吉之丈(1874―1951)も、郡誌執筆と相前後して七尾城址の保存運動に奔走していた。
 戦前の史蹟顕彰運動については近年マルクス主義の立場の歴史家が注目*52しており、個々にはボランティア的だったりしたそのような動きも、結局は1930年代後半の国家総動員体制に向かう権力や支配の編成過程を補強するに留まった、と否定的に位置づけられることが多い。ここでは紙幅の制約もあって充分な代案を打ち出せないが、私は県内の郷土史家によっておよそ1910年代に始まる上述のような史蹟名勝や祭礼への関心と、そのうちあるものへの観光資源としての注目に関しては、異なる評価も可能ではないかと考えている。
 というのも、こうした郷土史家の新たな探求と同時代的に、彼らに言及される側の神社神職や祭礼を担う町内(まちうち)が、20世紀に入るに伴い以前とは異なる言説を展開し始めるからである。日露戦後のお旅まつりが典型的にそうであったし(前掲拙稿)、他にも全国の府県郷社の由緒をまとめた『明治神社誌料』(1912)の県内分で、19世紀までに森田平次らがまとめた各神社の由緒とは明らかに異なる主張が見られるようになる。
 ちなみに、この新しい神社縁起集の実質的な編者と考えられるのが、石川県出身の内務官僚で日露戦後の地方改良運動を推進した井上友一*53(1871―1919)であることも興味深い。今後、和田や日置、小田らによる県内郷土史と、彼らと同郷にして同時代人でもあった井上の地方自治を巡る言説(『救済制度要義』など)とを比較しながら、どう評価しうるかも課題となるだろう。

石川県の郷土の泰斗!とても地味ですいません!石川県や金沢の歴史を詳しく知るにはまずこのおっちゃん達のことを覚えておこう! - 金沢マニアックマガジン ビューティーホクリク
 現代でも利用される「石川県史」5巻、「加賀藩史料」16巻、「加能郷土辞彙」、その他数多くの郡史などを過去の史料の集大成として完成させたのがこの日置謙なのです。


◆歴史の眼「エドサ後の歴史とマルコス家の復権:フィリピン同時代史についての一考察」(岡田泰平*54
(内容紹介)
 エドサとはマルコス政権を打倒した1986年のいわゆるエドゥサ革命 - Wikipediaのことです。
 「マルコス家の復権」とは「1986年に打倒されたマルコス」の「息子」がフィリピン大統領に当選したことです。
 「マルコス家の復権」について筆者は1)エドサ革命後のフィリピン政治に対する失望(特に経済の停滞や格差の拡大)とそれによる改革願望(既存政治勢力は信用できない、改革さえしてくれれば誰でもいい)、2)マルコス独裁に対する「記憶の風化」、3)前任のドゥテルテ大統領*55が強権政治家であることによる「強権政治への慣れ」があるとしています。
 つまりは「ロシアで近年高まるスターリン人気(経済成長への郷愁)」「韓国保守派の朴正熙人気(高度経済成長への郷愁)→不正で失脚したとは言え、その結果としての朴槿恵の大統領就任」「日本での高度経済成長期(池田、佐藤政権)やバブル期(中曽根、竹下政権)への郷愁」のようなものです。「泉立民に対する失望」が維新を利してるような物と言ってもいいかもしれない(話が脱線しますが一日も早い泉の代表辞任を熱望しています)。
 なお、筆者も指摘するように、民主主義体制下において「フィリピンのドゥテルテ*56やマルコス子」のような「強権政治」を「決断する政治」として持てはやす傾向は

◆米国のトランプ大統領
◆大阪の維新
◆ロシアのプーチン大統領
◆ブラジルのボルソナロ大統領
◆トルコのエルドアン大統領

等にも見られ、フィリピン限定ではないこと(世界的現象)に注意する必要があります。
 但し、これらの強権政治家の中には、米国のトランプ、ブラジルのボルソナロのように失脚(下野)した人間も勿論います。
 また拙記事執筆現在、「地震被害が酷くなったのは、欠陥建築を野放しにしたエルドアンのせい」等の批判でトルコのエルドアンが大統領選(5月14日に投票)で窮地に立たされており、選挙結果が注目されます(例えばトルコ大統領選挙 エルドアン大統領に逆風?いったいなぜ? | NHK(2023.5.12)参照)。
 なお、トルコは「1位であれば当選」ではなく「過半数確保」が必要で、接戦が予想されるため、第1回投票では決まらず、1位と2位(どちらが1位かはともかく現職エルドアン野党共闘候補クルチダルオール*57)の決選投票が予想されています。

参考

支持率トップは”独裁者の息子” なぜ? フィリピン大統領選挙 | NHK | WEB特集2022.5.3
 繰り返し強調しているのは、父親の故・マルコス元大統領の政権初期の実績です。
 建設された高速道路や公共施設などを紹介し、息子である自分も、大統領に当選すれば、インフラ建設を通じて、コロナ禍で疲弊したフィリピン経済の復興を進めると訴えています。
 動画では美しい映像と音楽で夢のような明るい未来を宣伝する一方で、独裁政権の負の側面は、まるでなかったことのように、触れられていません。
 マルコス氏から聞かれるのは、あたかも父親は政治闘争に敗れた結果、ぬれぎぬを着せられたと主張するような発言です。
 実際には、不正蓄財も人権侵害も、政府による調査や裁判で、明確に証拠が示されていて、事実とは異なります。
 マルコス候補を支持する人々は、どう考えているのでしょうか。集会に参加した人たちに話を聞きました。
23歳・女性
「マルコス元大統領の時代に汚職なんてなかった。そう信じている。」
 なぜ、こうした情報を鵜呑みにしてしまうのか。フィリピン国民の平均年齢はおよそ25歳、人口の7割が40歳未満です。マルコス政権の独裁体制を経験していない世代が増えています。当時の記憶が風化しているのです。
 しかし、選挙でマルコス氏を支持するのは、若者だけではありません。さらに上の世代にも、支持が広がっています。
 独裁政権が倒れた後、多くの人は経済発展から取り残されたと感じているからです。
 フィリピンの経済は高成長を続けていますが、貧富の格差は際立っています。高層ビルのすぐ脇にスラム街が広がる光景も珍しくありません。
 格差が是正されず、置き去りにされたと感じる人たちは、民主主義や既存の政治に対する不信感を抱えています。
 かつてのマルコス政権時代を知る世代の間でも、「社会全体が貧しくても、ともに発展を目指していたあのころは、今よりはよかった」と懐古主義が広がっているのです。

プーチン氏強権の陰で高まるスターリン再評価の気運… ロシアの国民性反映?(1/2ページ) - 産経ニュース2016.4.6
 ロシアの独立系世論調査機関「レバダ・センター」によると、1937~38年だけで70万人が銃殺されたスターリン期の大粛清について、「正当化される」とした回答は、2007年の9%から今年3月の26%に増加。反対の回答は72%から45%へと減少した。18~24歳の若年層では、大弾圧について「何も知らない」「評価できない」とした人が45%にのぼった。
 2007年と昨年12月の調査を比べても、「過ちにかかわらず、第二次大戦を勝利に導いたことが最重要だ」との回答が28%から34%に増加。「ソ連を強国にした賢明な指導者だ」という人も14%から20%に増えた。

プーチン氏は「手ぬるい」 ロシアで高まる独裁者スターリン人気「民主主義ではなく『皇帝』が必要」:東京新聞 TOKYO Web2022.5.25
 ナチス・ドイツに対する戦勝記念日の5月9日。モスクワでは退役軍人や戦没者をしのぶパレード「不滅の連隊」が行われた。
 起業家アレクサンドルさん(47)は「ロシアは広大な領土を持つ多民族国家。タフな指導者でないと務まらない」と言い、スターリンの旗を掲げた。弟ミハイルさん(44)も「ナチスを率いたヒトラーは暴君だが、スターリンは優れた専制君主だ」と相づちを打った。
 スターリンへの評価はソ連崩壊後のロシアで高まり続け、2019年の独立系世論調査機関レバダ・センターの調査では、7割がスターリンを「ロシア史において肯定的な役割を果たした」と回答した。
 スターリン人気について、レバダ・センターのグトコフ副所長は米政府系メディア「ラジオ自由」を通じて次のように説明している。
 スターリンは何百万人もの罪のない人を強制労働や銃殺で死に追いやったが、次第に粛清の恐怖が風化した。プーチン氏が2000年に大統領に就任、対独戦の意義を強調し始めたことで、戦時指導者スターリンの役割に光が当たるようになったという。
 グトコフ氏は「ロシアの再スターリン化はプーチンの権力掌握とともに進んだ」と結論づけた。
 「不滅の連隊」でスターリン肖像画を掲げた年金生活者セルゲイさん(60)は「スターリンは、革命でボロボロになったロシアをよみがえらせた。今は似た指導者プーチンがいる。彼は米国の言いなりになったウクライナを取り戻し、ソ連の版図を回復させられる」と期待した。
 レバダ・センターの4月の調査ではウクライナでの死者や街の破壊に関し「米国やNATOのせい」とする回答が57%を占め、「ロシアのせい」とするのは7%どまり。軍事作戦の支持率は74%で、前月と比べて微減したが依然多い。

*1:関西学院大学教授。著書『エカテリーナの夢・ソフィアの旅:帝制期ロシア女子教育の社会史』(2004年、ミネルヴァ書房)、『帝国・身分・学校:帝制期ロシアにおける教育の社会文化史』(2010年、名古屋大学出版会)

*2:1931年生まれ。1961年に西ドイツに亡命。その際にスタシンスキーがバンデラ暗殺を告白したことで犯行が明らかになった。1962年、2件の殺人(バンデラを含むウクライナ独立活動家暗殺)で禁固8年を言い渡された。1966年、スタシンスキーは予定より早く仮釈放され、CIAに引き渡されたとされる。米国の保護を受けたとみられるが、その後の消息は不明(ボグダン・スタシンスキー - Wikipedia参照)

*3:首相を経て大統領

*4:首相を経て大統領

*5:外相、経済発展・貿易相などを経て大統領

*6:1883~1944年。中国国民党副総裁(総裁は蒋介石)を務めるが、蒋介石から離れ、南京国民政府主席(日本の傀儡政権)に就任

*7:1897~1945年。自由インド仮政府国家主、インド国民軍最高司令官

*8:1906~1988年。新中国建国後、内モンゴル自治区党委員会第一書記、自治区人民委員会主席、内モンゴル軍区司令官、内モンゴル自治区政治協商会議主席等の要職を歴任。文化大革命では内モンゴル人民革命党粛清事件に巻き込まれ失脚するが文革終了後、復権全国人民代表大会常務副委員長、全国政治協商会議第一副主席、中国共産党統一戦線工作部長、国家副主席等を歴任

*9:中央民族委員会副主任、全国人民代表大会常務委員等を歴任。評伝として阿部治平『もうひとつのチベット現代史:プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』(2006年、明石書店)がある。

*10:と断っておかないとまたkojitakenが「ボーガスがプーチンの『ウクライナはバンデラ主義でネオナチ』と言う主張を擁護した」と曲解しかねませんので

*11:下院議長、首相、大統領を歴任

*12:いわゆる2014年マイダン革命で成立したポロシェンコ政権(2014~2019年)のこと

*13:お断りしておきますが俺は「立民・泉を未だに擁護する平河」は何一つ評価してないし、大嫌いです。「泉批判派(例:三春充希氏)を見習え」と言いたい。

*14:いわゆる2014年マイダン革命で成立したポロシェンコ政権(2014~2019年)のこと

*15:第四次安倍内閣防衛大臣政務官、岸田内閣外務副大臣等を歴任。鈴木宗男は父

*16:いわゆる2014年マイダン革命で成立したポロシェンコ政権(2014~2019年)のこと

*17:いわゆる2014年マイダン革命で成立したポロシェンコ政権(2014~2019年)のこと

*18:2010年刊行

*19:2022年刊行

*20:米国ジョージ・ワシントン大学ヨーロッパ・ロシア・ユーラシア研究所所長

*21:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、副首相、首相を経て大統領

*22:ダライ・ラマと日本ウヨの野合(Mukkeなど一部のダライ支持者は明らかに公然と容認)」もそうですが「そんなんでええんか?」「バンデラ生前は仕方ないと考えるにしても今現在、バンデラ万歳するだけでええんか?。ナチと野合したことはそんなに軽いことなんか?」と言う話です。勿論「ダライと日本ウヨの野合」を批判することが「中国擁護でない」のと同様、「ウクライナでのバンデラ美化への批判」は「プーチンの侵攻容認」を意味しません(そういう区別ができないらしいMukkeやkojitakenなどは小生を中国擁護、ロシア擁護呼ばわりしますが)。

*23:というよりは独ソ戦(あるいはナチドイツによるソ連侵攻以降の第二次世界大戦)だと思いますが

*24:ソ連が勝利し、独ソ戦の趨勢を決し、第二次世界大戦の全局面における決定的な転換点のひとつとなった。米国の軍史家イヴァン・ミュージカントはこの戦争を「(ドイツ、イタリア軍が英国軍に敗戦した)エル・アラメインの戦い」「(連合艦隊が米海軍に敗北した)ミッドウェイ海戦、第三次ソロモン海戦」と同じく第二次世界大戦の転換点であると位置づけている(スターリングラード攻防戦 - Wikipedia参照)。

*25:勿論ドイツ政府のこと

*26:勿論ウクライナ政府のこと

*27:副首相兼開発相、財務相等を経て首相

*28:イヴァーノ=フランキーウシク州知事、副首相兼地方自治体発展相を経て首相

*29:勿論バンデラのこと

*30:勿論バンデラのこと

*31:勿論バンデラのこと

*32:中国共産党中央弁公庁主任、副首相、首相(党中央政治局常務委員兼務)等を歴任

*33:イスタンブル市長、首相等を経て大統領

*34:客観的な事実より感情へのアピールが重視される政治文化のこと。2020年アメリカ大統領選挙でのトランプ派のバイデン不正選挙主張(バイデンの不正選挙を主張し、一部のトランプ支持者は上院襲撃まで実行)がその典型例とされる(ポスト真実の政治 - Wikipedia参照)。

*35:東京大学教授。著書『戦争のるつぼ:第一次世界大戦アメリカニズム』(2013年、人文書院)、『20世紀アメリカ国民秩序の形成』(2015年、名古屋大学出版会)、シリーズアメリカ合衆国史3『20世紀アメリカの夢:世紀転換期から1970年代』(2019年、岩波新書)など

*36:これについては、フィリップ・ノビーレ他『葬られた原爆展:スミソニアンの抵抗と挫折』(1995年、五月書房)、マーティン・ハーウィット『拒絶された原爆展:歴史のなかの「エノラ・ゲイ」』(1997年、みすず書房)、トム・エンゲルハート他『戦争と正義:エノラ・ゲイ展論争から』(1998年、朝日選書)、藤田怜史『アメリカにおけるヒロシマナガサキ観:エノラ・ゲイ論争と歴史教育』(2019年、彩流社)といった著書がある。

*37:東北大の前身

*38:金沢大の前身

*39:熊本大の前身

*40:前身は仙台鎮台

*41:前身は熊本鎮台

*42:著書『白山・石動修験の宗教民俗学的研究』(1994年、岩田書院)、『白山・立山の宗教文化』(2008年、岩田書院)、『近世修験の宗教民俗学的研究』(2018年、岩田書院

*43:役職は当時。現在は小松短大名誉教授

*44:石川県立金沢第一中学校教諭として勤務の傍らで石川県の郷土史を研究し、1921年に『石川県史』編纂員に就任。教員退職後の1928年、前田侯爵家編輯員として、『加賀藩史料』全18巻の編集、刊行を務めた。また、『加能郷土辞彙』、『加能古文書』の編纂、『羽咋郡誌』等の郡誌の監修、編纂なども担当した(日置謙 - Wikipedia参照)

*45:石川県にあった郡。平成17年に江沼郡山中町が加賀市と合併したことで消滅(江沼郡 - Wikipedia参照)

*46:1869年に前田家の「家録編集係」となり、さらに1871年には前田家の蔵書調査係に任じられる。また、白山頂と周囲の8村の帰属が足羽県(現在の福井県)との間で紛糾した際には、「白山論争記」(1872年)を執筆し、石川県に帰属する上で大きな役割を果たしたとされる(森田柿園 - Wikipedia参照)

*47:石川県小松市で毎年5月の第2金曜日から日曜日の3日間にわたり行なわれる、菟橋神社(お諏訪さん)と本折日吉神社(山王さん)の春季祭礼(お旅まつり - Wikipedia参照)

*48:加賀国越中国能登国の略称で、石川県・富山県のこと

*49:長く加賀藩主の私庭として非公開だったが、1874年5月から正式に一般公開され、1876年には兼六園観光案内組合が組織され、積極的な観光利用の歴史が始まった。1922年に名勝に、1985年に特別名勝に指定された(兼六園 - Wikipedia参照)。

*50:加賀藩第2代藩主

*51:慶安4年(1651年)から明暦2年(1656年)に加賀藩5代藩主前田綱紀の後見をしていた前田利常(第3代藩主、綱紀の祖父)が実施した農政改革改作法 - Wikipedia参照)

*52:マルクス主義歴史家かどうかはともかく近年のそうした研究としては例えば羽賀祥二『史蹟論:19世紀日本の地域社会と歴史意識』(1998年、名古屋大学出版会)、齋藤智志『近代日本の史蹟保存事業とアカデミズム』(2015年、法政大学出版局)等がある。

*53:内務省県治局市町村課長、府県課長、神社局長、東京府知事等を歴任

*54:東大教授。著書『「恩恵の論理」と植民地:アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制』(2014年、法政大学出版局

*55:ドゥテルテ人気についても筆者は「1)エドサ革命後のフィリピン政治に対する失望(特に経済の停滞)とそれによる改革願望(既存政治勢力は信用できない、改革さえしてくれれば誰でもいい)」があるとみている。

*56:ダバオ市長、大統領を歴任。サラ・ドゥテルテ副大統領の父親

*57:最大野党・共和人民党の党首