8月に日本人の戦争観を考える - 高世仁のジャーナルな日々
林博史*1『戦後平和主義を問い直す』(2008年、かもがわ出版)、吉田裕*2『日本人の戦争観』(2005年、岩波現代文庫)、『日本人の歴史認識と東京裁判』(2019年、岩波ブックレット)等が指摘する点ですが日本人の戦争認識の問題点としては
1)東京裁判の影響で「陸軍悪玉、海軍善玉論(東条英機*3元首相、荒木貞夫*4、板垣征四郎*5、畑俊六*6、南次郎*7元陸軍大臣、木村兵太郎*8元陸軍次官、武藤章*9元陸軍省軍務局長等、東京裁判で裁かれた戦犯の多くは陸軍幹部で、海軍幹部はあまり裁かれなかった)」の傾向がある
2)「原爆投下」「シベリア抑留」「東京大空襲」等「被害の歴史」ばかりが注目され「慰安婦」「九州大学医学部生体解剖事件」「731部隊」「南京事件」「バターン死の行進」等といった「加害(戦争犯罪)」の認識が弱い
3)「原爆投下」「東京大空襲」のような「戦争被害を二度と受けたくない」という「厭戦意識」は強いが「米国の戦争(例:ベトナム戦争)に加担しない」という反戦意識は弱い、自分に被害が及ぶことは嫌だが、及ばなければ無関心という自己中心主義が強い
と言ったことが指摘されます。但し、今回の高世の指摘はそういうものとは少しずれています(後で若干触れますが)。
国労のいわゆる「順法闘争」は批判する人間が多かったのであり、「ご時世」どころかかなり昔からそうだと思いますが。
順法闘争に反発した一部の国鉄乗客が起こしたのが上尾事件 - Wikipedia(今から約50年前の1973年)等の首都圏国電暴動 - Wikipediaです。
さすがにこんな事件を何度も起こされてはたまったモノではないので国労も順法闘争を諦めざるを得なくなります。
「長いものには巻かれろ」で卑屈に奴隷根性で生きているのが我々日本人なのではないか。
今回のストライキを機に、立ち止まって考えたい。
「家族会、救う会」の奴隷として「長いもの(家族会、救う会)には巻かれろ」で卑屈に奴隷根性で生きている「幇間、太鼓持ち」が高世ではないのか。「奴隷根性の自分」を棚上げしてよくも偉そうな事が抜かせたもんです。
関東軍で(ボーガス注:作戦主任参謀として)柳条湖事件や満洲事変*10を起こした陸軍中将、石原莞爾*11が『朝日新聞』の社長に「戦争反対」を主張せよと働きかけたことがあったという。
東条英樹と対立し日米開戦前に予備役に左遷されていた石原が、1943年2月に、朝日新聞出版局編集部員の所武雄に託した村山社長への言伝が8月22日朝刊(戦艦大和の母港・呉を訪ねて:17)「朝日は戦争反対やらんか」 社長へ石原莞爾からの伝言:朝日新聞デジタルに紹介されている。ミッドウェー海戦で日本軍が大敗を喫して8カ月後、ガダルカナル島からも撤退したが、まだ東京への大規模な空襲は始まっていないころだった。
「東京はやがて焼野原になるぞ、一木一草なくなるね」
「この戦争はだね、このまま行ったら必ず負ける。止めるならまず今のうちだよ。どうだね。朝日新聞は(紙面)全面を埋めて戦争反対をやらんかね。(中略)全面をつぶして戦争反対をやってみろ。歴史上の村山(長挙*12(ながたか)=当時の朝日社長)になるよ。そう俺が言ったと伝えてくれよ」
所が「そんなことをしたら、(ボーガス注:政府の圧力で)朝日新聞は潰されてしまいますよ」と言うと、石原は
「なあに、そら潰されるさ、潰されたって、戦争が終わってみろ。いずれ負け戦さ。朝日新聞は復活するよ。作業員は帰って来る。堂々とした朝日新聞になる。どうだ。そう伝えてほしいな」と言った。
所は重役に伝えたが、「口をつぐんだきり何も言わなかった」という。このエピソードは所武雄『狂った時代』(1955年刊)に記されている。
ここまでの露骨なやりとりがあったとは驚きだが、もはや後戻りはできなかった。軍幹部らは早くから敗戦を信じながらも戦争を続け、新聞もそれを知りながら国民を破局に駆り立てていったのだ。
敗戦後、朝日新聞は「自らを罪するの弁」を掲載、社内で幹部の責任が追及され、45年10月、役員、編集幹部が総辞職した。
この「満州事変(満州国建国)の黒幕でありながら、早期終戦を唱える石原」の言動には「家族会幹部として田中均氏への個人攻撃に当初は加担しながら、最終的には救う会、家族会批判に転じた蓮池透氏」を連想しました。
そして「拉致問題はだね、このまま行ったら必ず負ける(解決しなくなる)。(家族会、救う会の展望のない路線を)止めるならまず今のうちだよ。」という蓮池氏の家族会、救う会批判を無視して「そんなことをしたら、(家族会、救う会の攻撃で)ジンネットは潰されてしまいますよ」で家族会、救う会に媚び続けたのが高世ではないのか。
まあ「そんなことをしなくても」高世の経営能力の無さから
北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.4.28
けっきょく「横田めぐみ拉致問題における安明進証言」などというものにのっかったのが、高世仁が会社をこかした淵源(の少なくとも1つ)ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.5.25
高世仁の経営する会社(ジン・ネット)が倒産したのは、高世の経営手腕の低さと制作した番組の評価が低いということに尽きるだろうに - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2022.6.20
となった無様な高世です(苦笑)。
いずれにせよ、そんな自分の低劣さを棚上げして良くも偉そうなことが抜かせたもんです。
それにしても拉致問題では小泉訪朝後、今に至るまで「救う会、家族会の無法」でまさに狂った時代ですね。
拉致問題では、家族会はもはや後戻りはできなかった。家族会幹部らは早くから拉致敗戦を感じながらも展望のない対北朝鮮経済制裁を主張し続け、マスコミもそれを知りながら拉致問題を破局に駆り立てていったのだ。ではないのか。そしてそうしたマスコミの「恥ずべき一員」が高世ではないのか。
そして敗戦後、朝日新聞は「自らを罪するの弁」を掲載、社内で幹部の責任が追及され、45年10月、役員、編集幹部が総辞職した。という「それなりの反省を示した」朝日と違い未だ「拉致敗戦」について反省の弁を口にしない「恥知らずの高世」です。
全くもってそういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)です。
こんな「クズの高世」を「高世を批判する俺」への「当てこすり、嫌み」なのでしょうが
「映画『ミスター・ランズベルギス』を観て」、「嘘の上に立つ偽りの帝国(ランズベルギス)」(「高世仁のジャーナルな日々」) - kojitakenの日記2022.12.30
不信のなか処理水の海洋放出はじまる(高世仁のジャーナルな日々) - kojitakenの日記2023.8.28
として高世礼賛する「アホのid:kojitaken」には呆れます。
なお「過大評価は禁物」ですが潰されたって、戦争が終わってみろ。いずれ負け戦さ。朝日新聞は復活するよ。作業員は帰って来る。堂々とした朝日新聞になる。が見事に該当したのが「日本共産党」でしょう(戦争批判派は共産だけではないですが)。
(ボーガス注:「九条の会」呼びかけ人の一人で護憲派の)井上ひさしが、これまで「9条を守れ」と声をあげ「戦争をしない、交戦権は使わない」という否定路線では、それを100%守っても現状維持で先に進まない。そこで「守れ」から「する」に転換したいと、一つ具体的に挙げたのが、ジュネーブ諸条約に基づく「無防備地域宣言」の条例制定運動。
(中略)
私自身は、今のところ、「沖縄の基地引き受け」運動の方にシンパシーを感じるが。
井上の「無防備地域宣言」については無知なので、特にコメントしません。未だに「沖縄の基地を本土で引き受け」を主張する「高世のバカさ」に「呆れて二の句が継げません」ね。以前も別記事で批判しましたが、政治的是非以前に「本土の何処が引き受ける」のか?。現実性は皆無でしょう。
「以前も指摘しましたが」そもそも沖縄に基地が集中したのは
山梨にあった米軍基地を知っていますか? 足元にあった忘れたい記憶 [沖縄・本土復帰50年]:朝日新聞デジタル2022.5.18
「Fujiと沖縄 本土復帰50年」。山梨日日新聞の創刊150年記念の大型企画だ。
富士山のふもとにはかつて米軍基地が広がっていた。しかし、撤退し、一部は沖縄へ。
4歳で米軍トラックにはねられ車いす生活となった男性、米兵に殴り殺された青年と、補償はなく泣き寝入りするしかなかった遺族。第1部では米軍がいた11年間で起きた事件被害や、基地のまちの変容を11回にわたって伝えた。
沖縄に基地が集中する「本当の理由」とは?なぜ議論は隘路に陥るのか – SAKISIRU(サキシル)2023.3.13
【記者】
川名さんの新刊『基地はなぜ沖縄でなければいけないのか*13』(筑摩選書)を拝読しました。沖縄は「地政学的要所」だからこそ基地が集中するのだと思っていましたが、そうではないのですね。
【川名晋史*14】
新著は、主に1960年後半から70年代前半にかけて行われた在日米軍基地の大規模再編の経緯を扱っています。
当時はむしろ沖縄より本土の米軍の基地の方が多く、戦後すぐから鬱積していた反米感情が高まり、本土でも現在の沖縄以上の「反米運動」「反基地運動」が展開されていました。そうした背景の下、本土の米軍基地が再編されることになります。
【記者】
1968年に公明党が行った意識調査で、全国の米軍施設周辺に住む住民のうち、実に87%が「米軍基地に反対」と回答していた事実には驚きました。今の沖縄より反対が強い。
【川名】
反発を収めることは米軍だけでなく、日本政府にとっても大きな課題だったのです。最終的には本土の基地は整理・縮小され、その一部が沖縄に移転していきました。要するに本土での米軍基地が減った分、沖縄に増えてしまい、さらにその割合もこの50年間変わらなかった。これが基地問題の「沖縄化」であり「固定化」です。
<書評>『Fujiと沖縄』 確かな視点、広がる視野 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト2023.7.9
タイトルの「Fuji」とは、富士山のことである。本書は、その山梨県側の麓に広がる北富士演習場をめぐる動きを追った地元紙、山梨日日新聞の企画連載「Fujiと沖縄」全6部をまとめている。
狙いと視点は明確だ。占領下を中心として本土各地にあった米軍基地が米統治下の沖縄に集約された。北富士演習場にも戦後、米軍が常駐していたが、1956年、大部分が沖縄に移駐した。第1部の「米軍がいた11年」。交通違反は日常の米兵による傍若無人な犯罪、不発弾による人身事故。「米軍が居座り続ける」沖縄では進行中の現実であり、おそらく、しばらく変わることのない近未来の姿であることを浮き彫りにする。
【書評】野添文彬著『沖縄返還後の日米安保 ― 米軍基地をめぐる相克』(吉川弘文館、2016年) | 研究プログラム | 東京財団政策研究所*15
沖縄に移駐した在日米軍の代表格が、岐阜や山梨などに駐屯していた海兵隊であった。昨今の沖縄で反発を引き起こす米軍による事件事故は、戦後のある時期まで本土でも日常茶飯事であり、東京・立川飛行場の拡張計画をめぐる砂川闘争のような激しい反対も生じた。
このような状態を放置することは、日米安保を危機に陥れかねないと懸念されたのであり、1970年代には「関東計画」と呼ばれた首都圏における大規模な米軍基地縮小が実現した。返還された飛行場や米軍住宅地の跡地には大学*16や公園*17などが建設された。
(ボーガス注:佐藤*18内閣)外相に就任した福田赳夫*19は繰り返し米側に(ボーガス注:沖縄の基地負担軽減の)要請を行ったが、その背景には佐藤後継の首相の座をねらって、自らの政治的立場を強化したいという思惑もあった。
しかしその福田も米側が、(ボーガス注:本気で本土に移設したいのか、沖縄の現状を福田に呑ませるためのブラフかはともかく)那覇空港返還に伴って米軍機を玉突きの形で岩国(山口)、三沢(青森)など本土の米軍基地に(ボーガス注:沖縄の米軍基地の一部を)移駐させる計画を提示すると、地元の強い反対を理由に「沖縄の中での移転は可能だろうか」と問う。特に佐藤首相の選挙区である岩国への移転は回避する必要があった。
<社説>移設 本土が拒む 犠牲の構図は受け入れない - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト2015.8.2
本土にとって「迷惑」になりそうなら沖縄を犠牲にするという構図は、とうてい受け入れられない。民主主義の国にあるまじき行為だ。
那覇空港の米軍P3B哨戒機をめぐり、米側が当初、岩国(山口)や三沢(青森)への県外移設を検討したのに対し、当時の福田赳夫外相が県外移設を拒み、「沖縄にとどめてほしい」と求めたことがある。岩国は佐藤栄作首相(当時)の地元だ。結局、沖縄の負担は減らず嘉手納基地移設で決着した。
でわかるように「本土にあった米軍基地」が「反対運動で沖縄に移ったから」です。それにしても予想の範囲内ですが佐藤首相の選挙区である岩国への移転は回避する必要があったねえ。コメント欄でのご指摘(岸元首相、安倍元首相の山口県ですら沖縄基地の移設など受け入れるわけがない)がもろに「ジャストミート」ですね。
実際、岩国では過去に「沖縄海兵隊」移転案が政府から示されたところ
asahi.com(朝日新聞社):岩国への米海兵隊移転案を否定 外相と防衛相、知事らに - 普天間移設の行方2012.2.13
岩国基地(山口県岩国市)に米海兵隊の一部を移転する案を13日、(ボーガス注:野田内閣の)玄葉光一郎*20外相と田中直紀防衛相が否定した。2人に面会した二井関成*21・山口県知事と福田良彦*22・岩国市長は「両大臣の決意としては理解した」「ある程度の疑念は払拭できた」としつつ「実際にその方向になるのか、しっかり見なければならない」と慎重な姿勢を崩さなかった。
今回の移転案は、地元にとって「寝耳に水の話」(福田市長)だったことから、これまで国の外交や防衛政策に協力的だった県や市も、態度を硬化させている。福田市長は「今後、国との信頼関係を損なわないように、政府には地元に対して真摯な誠意ある対応を求めていきたい」と話した。
だったわけで「沖縄から移転ウエルカム」なんて言ってない。当時「民主党政権」で「知事、市長が自民系」だから反対したのだ、「自民党政権」なら賛成したという話でもないでしょう。
それはともかく、昔は本土でも
ジラード事件 - Wikipedia
1957年(昭和32年)1月30日、群馬県群馬郡相馬村(現・榛東村)で在日米軍兵士ウィリアム・S・ジラードが日本人主婦を射殺した事件。
金属屑として換金することを目的に、薬莢を拾いに米軍相馬が原演習地(現・陸上自衛隊相馬が原駐屯地)内へ立ち入った日本人主婦(当時46歳)に対して、ジラード三等特技兵が発砲し、主婦が即死する事件が発生した。目撃者の証言から、ジラードが主婦に「ママサン、ダイジョウビ、タクサン、ブラス(薬莢)、ステイ」と声をかけて、薬莢を安全に拾わせるかのように騙して近寄らせてから、殺害目的で故意に発砲した可能性があることがわかると、アメリカへの批判の声が高まり社会現象となった。結局、ジラードは日本で傷害致死罪で起訴され、前橋地裁で懲役3年、執行猶予4年の有罪判決が確定した。
被害者の遺族(夫と6人の子供)には補償金が支払われたが殺人でありながら軽い罪だったことから日本人の多くが否定的に捉え、被害者の夫も「感謝しない」と述べた。
なお、ジラードへの処罰を最大限軽く(殺人罪でなく傷害致死罪で処断)することを条件に、身柄を日本へ移すという内容の密約が日米間で結ばれていたことが1991年にアメリカ政府の秘密文書公開で判明した。
特権を問う:日米関係を揺るがしたジラード事件 「密約」が阻んだ捜査 63年前の父の悔しさ | 毎日新聞*232020.3.7
事件は1957年1月30日、榛名山麓の相馬ケ原米軍演習地(現・陸上自衛隊相馬原駐屯地)で起きた。ウイリアム・S・ジラード3等特技兵(当時21歳)が、近くに住む坂井なかさん(同46歳)を小銃で撃って死亡させた。
朝鮮特需で金属が貴重だった当時、演習地の周辺住民は空薬きょうなどの鉄くずを拾って換金し、生活の足しにしていた。鉄くずを拾っていた坂井さんはジラード元被告から「ママサン、ダイジョウビ。タクサン、ブラス(薬きょう)、ステイ」と拙い日本語で手招きされたという。近寄ると逆に威嚇され、逃げたところを背中から撃たれた。
坂井さんには夫と6人の子どもがおり、事件が報道されると国内世論は反米一色に染まった。捜査の陣頭指揮を執ったのは群馬県警刑事部長だった岡田三千左右(みちぞう)さん。当時48歳の若さだった。事件発生から2日後、米軍熊谷基地(埼玉県:現・航空自衛隊熊谷基地)に出向き、元被告と初めて対面した。終始うつむく元被告と目が合った瞬間、緊張と不安が入り交じる表情から「犯人」だと直感したという。その後の取り調べでは「知らない」の一点張りだった。
ロングプリー事件 - Wikipedia
1958年(昭和33年)9月7日に、埼玉県入間郡武蔵町(現・入間市)で、西武池袋線下り電車が、在日米軍ジョンソン基地(現・航空自衛隊入間基地)内を通過する区間を走行中に、米兵ロングプリー3等航空兵が銃を発射し、乗車していた武蔵野音楽大学生が死亡した事件。「第2のジラード事件」と呼ばれる。
等の「米兵の無法な殺人」が起こっていた。そしてこれらの本土基地(米軍相馬ケ原演習地、熊谷基地、入間基地)は「基地反対運動」でその多くで米軍が撤退したわけです(自衛隊の基地として存続し続けてるにせよ)。とはいえ未だに本土でも横田基地、厚木基地などがあり、そこでは今も
特権を問う:「妻は日米同盟のために殺されたんじゃない」 米兵が強盗殺人、両政府の責任問う遺族 | 毎日新聞2020.5.31
2006年、米兵に妻を殺された男性が神奈川県横須賀市にいる。出勤中だった妻は金を奪おうとした米兵に殴られ、踏みつけられ、人生を絶たれた。
特権を問う:地位協定60年 山口・岩国の66歳、軍属の車にはねられ死亡 米側処分は免停4カ月 日本人の命、軽視され | 毎日新聞2020.5.31
山口県岩国市で2010年、米軍岩国基地の増強に伴う米軍住宅の建設に反対していた当時66歳の男性が、米軍属の運転する車にはねられて亡くなった。軍属は公務中だったことを理由に日米地位協定に基づいて不起訴になり、4カ月の免許停止という軽い処分に終わった。事故の真相を知りたいと遺族が起こした民事裁判にも帰国して出廷しなかった。遺族や反対運動をしていた仲間は10年たった今も「日本人の命が軽視されている」と憤る。
などの米軍被害がありますが。何も「米軍被害(米兵犯罪、騒音、戦闘機の墜落事故)が本土にない」「沖縄にしかない」わけでは全くない。高世ら「本土受け入れ派」は「本土基地の米軍被害」をどう思ってるのか?
なお、ジョンソン基地は今は米軍が撤退し、一部が
ジョンソン・タウン - Wikipedia
2006年(平成18年)公開の映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』のロケ地として使われ、その後もテレビドラマ等の撮影にたびたび使用されている。
として観光地化しています。
高世は「本土の基地反対運動」を「沖縄の基地負担を増やしただけで無意味だった」「例えば昔のように北富士(山梨)や入間、熊谷(埼玉)で米軍を受け入れるべきだ。受け入れないのは沖縄差別で地域エゴだ」とでも言って非難するのか?。山梨県民や埼玉県民がそんな要求を受け入れると本気で思ってるのか?
そして
赤旗三沢基地問題 米軍言いなりおかしい/日本・青森平和委 外務省などに対応要請/いわぶち・高橋氏参加2022.2.19
三沢基地から10キロ余の場所に住む、上十三平和委員会事務局長の苫米地宣廣さんは、F16の墜落や模擬弾落下が後を絶たない状況を報告し、「地元に住む人は、米軍基地があることで二重三重に被害を受けている」と訴えました。
赤旗米軍機 またタンク投棄/青森・三沢 共産党地区委が抗議2023.2.18
青森県の米軍三沢基地所属のF16戦闘機が15日に、太平洋沖に燃料タンクを投棄していたことが明らかになりました。この問題を受け、日本共産党上十三地区委員会と三沢市委員会は17日、米軍司令官あてに同機の撤退を求める抗議文を三沢市にある東北防衛局三沢防衛事務所に提出しました。
等でわかるように、今も本土に存在する「三沢基地(米国空軍三沢飛行場:青森)」「横田基地(米国空軍横田飛行場:東京)」「厚木基地(米国海軍厚木飛行場:神奈川)」「岩国基地(米軍海兵隊岩国航空基地:山口)」等と言った米軍基地(あるいはそうした地域での共産党等の基地反対運動)を高世はどう理解するのか。「基地を引き受けていて、沖縄の負担を減らして偉い」と評価し、「今後も米軍受入れを続けてくれ」「できれば沖縄の基地機能の一部移転も受け入れてくれ」「共産等は本土で基地反対運動をするな」とでも主張するのか?
というか、林博史『戦後平和主義を問い直す』(2008年、かもがわ出版)も指摘していますが「既に米軍基地がある青森・三沢、東京・横田、神奈川・厚木、山口・岩国等」への「沖縄からの移転」だって決して容易*24ではないでしょう。「今既に米軍基地があるから多少負担が増えても構わない。沖縄からの基地機能移転を一部受け入れます」と言うとはとても思えない。実際「北富士演習場」等の本土基地移転の大部分は「本土内移転(青森・三沢、東京・横田、神奈川・厚木、広島・岩国)」ではなく「沖縄移転」だったわけです。
そして高世はそもそも川名主張(本土の基地反対運動で撤退した米軍基地が沖縄に移された)についてどう思うのか?。知らないなら無知だし、「本土引き受け論に都合が悪い」から故意に無視してるのなら卑怯です。
また
沖縄に基地が集中する「本当の理由」とは?なぜ議論は隘路に陥るのか – SAKISIRU(サキシル)2023.3.13
【川名】
基地反対運動には大きく分けて二つあります。一つは、(ボーガス注:騒音、戦闘機の墜落事故、米兵犯罪など)生活圏に施設があることで受ける不利益に対して声を上げるもの。もう一つは、いわば「戦争反対」や「(ボーガス注:米国の)帝国的植民地主義に反対」というような、政治意識に基づくもの。本土の反基地運動は、実際に本土の米軍基地が減ったことで前者に当たる人たちが減少しました。
しかし沖縄では、基地があることによって生じる生活上の不利益が現在も生じていますから、前者の人たちも声を上げ続けており、ここには解決しなければならない問題を多く含んでいます。一方、後者に当たる人たちは、自分の生活圏から基地がなくなったからと言って、それでよしとはなりません。後者はともかく、前者の「生活圏からの反対運動」に関しては、確かに生活上の不利益は解消した方がいいし、(ボーガス注:基地の存在を認めた上でも)さまざまな方法があり得ます。現在、私が取り組んでいるのが、「基地問題を科学技術で解決する」という手法です。例えば米軍基地周辺の河川や地下水で検出されているPFOS(フッ素化合物)の問題。泡消火剤などに含まれている有害物質ですから、確かに問題です。環境汚染問題の一環なので、アメリカ側も妥協しやすい領域なのです。基地の外には米軍の家族も住んで水を飲んでいますから、彼らとしても解決した方がいい。厚木も横須賀も、年末に立ち入り調査をしていますし、2015年には環境補足協定もできるなど前進があったのですが、メディアはあまり報じませんでした。しかしこうした協定ができても万全ではないので、容易には立ち入れない米軍基地の内側ではなく、外側で対処できることを考える必要があります。そこで、私たちはPFOSを含む水が川や地下水に流れる前に、フィルターや浄水器のようなもので除去することができないか、研究しています。あるいは騒音問題にしても、地面に吸音材のようなものを敷設することで、地面からの反射音をカットしてはどうか。騒音は完全には消えませんが、かなり軽減されます。私がいま所属しているのが東工大なので、なかなか文系的側面からは思いつかない、そうした技術的解決も模索しているところです。
と川名氏(彼個人は「親米右派として積極的容認」か「日本人多数派が基地を容認している以上、長期はともかく短期のスパンでは撤退は難しいという消極的容認」かはともかく「米軍基地を容認した上で基地被害をできる限り軽減する」という立場のようですが*25)が指摘するように「PFOS規制」「騒音規制」など「基地があっても、基地被害軽減のためにできることがあること」を「高世らの本土引き受け論」は完全に無視しています。
また「PFOS被害」等は
赤旗
PFAS漏出認める/防衛省 横田基地 10~12年3件/泡消火剤「来秋までに交換」/共産党が聴取2023.6.30
基準値18倍 PFAS/神奈川 米軍厚木基地で検出2023.7.12
が報じるように沖縄だけでなく「本土の米軍基地(横田、厚木基地)」でも起こっていますが、それを「高世らの本土引き受け論」はどう理解、評価するのか。
パックンは「反戦」の定義が日米で違うことを指摘した。
「不正な戦争に反対するのはアメリカの一般常識なんです。日本では「戦争はダメ」と言って加害者、被害者、どっちが悪いかを置いといて、とりあえず戦いをやめなさいという。」
「正義の戦争がある」と言う考えは極めてリスキーな考えだと思います。
過去において、そして現在もほとんどの戦争は「たとえ嘘」でも正義を掲げるからです。プーチンですら「ウクライナの非ナチ化」「ウクライナ領に住むロシア国民の安全確保」「ウクライナやNATOのロシア侵攻計画に対する予防攻撃(予防戦争)」等の「正義」を掲げている。戦前日本も「暴支膺懲(無法な蒋介石政権を懲らしめる)」「東亜新秩序」「大東亜共栄圏(東南アジアの解放)」等の「正義」を掲げて太平洋戦争を始めた。そして「戦前日本」「プーチンロシア」のように「政府とメディアが癒着(反政府的なメディアは弾圧)」して、「政府に都合のいい情報」以外の入手が困難な場合だと「そうした正義」が「嘘である」ことを認識することは極めて困難です。
というか「民主国」米国ですら「トンキン湾事件」という「嘘の正義」でベトナム戦争が始まった。
だからこそ「憲法九条」は「専守防衛以外は認めないこと(『正義の戦争』という考えを専守防衛以外には認めないことにした)」にした。
とはいえ、一方で林博史『戦後平和主義を問い直す*26』(2008年、かもがわ出版)や本多勝一『「戦争」か侵略か』(貧困なる精神26集:2015年、金曜日)が指摘するように「戦争はダメ」には日本から戦争を仕掛けたにもかかわらず「戦争自体がダメなのであって、日中戦争、日米戦争でどっちが悪いか、日本の侵略戦争かどうか考えるのは止めよう、日本と中国、日本と米国、お互いに問題があったのだ」として「どっちもどっち論」になりかねないリスクもある。
「正義の戦争」と言う考えが「正義の捏造」によって「不正義の戦争」をもたらすリスクと同時に、「戦争はダメ」という考えが「どっちもどっち論」に堕落するリスクと両方考える必要があるでしょう。
但し、それは俺的には「正義の戦争を認める」と言う話ではないし、ましてや「憲法九条が悪い」と言う話でもない。林氏や本多氏もそんな話をしているわけではない。
*1:関東学院大学教授。著書『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『戦犯裁判の研究』(2009年、勉誠出版)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『帝国主義国の軍隊と性:売春規制と軍用性的施設』(2021年、吉川弘文館)、『朝鮮戦争無差別爆撃の出撃基地・日本』(2023年、高文研)等。個人サイトWelcome to Hayashi Hirofumi'
*2:一橋大学名誉教授。東京大空襲・戦災資料センター館長。著書『天皇の軍隊と南京事件』(1985年、青木書店)、『昭和天皇の終戦史』(1992年、岩波新書)、『現代歴史学と戦争責任』(1997年、青木書店)、『日本の軍隊:兵士たちの近代史』(2002年、岩波新書)、『現代歴史学と軍事史研究』(2012年、校倉書房)、『兵士たちの戦後史』(2020年、岩波現代文庫)など
*3:太平洋戦争開戦当時の首相。第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀
*4:犬養、斎藤内閣陸軍大臣、第1次近衛、平沼内閣文相等を歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放
*5:満州事変当時、関東軍高級参謀。その後、関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣、朝鮮軍司令官、第7方面軍司令官(シンガポール)等を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀
*6:中支那派遣軍司令官、阿部、米内内閣陸軍大臣、支那派遣軍総司令官等を歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放
*7:満州事変当時の陸軍大臣(第二次若槻内閣)。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放
*8:太平洋戦争開戦当時の陸軍次官。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀
*9:太平洋戦争開戦当時の陸軍省軍務局長。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀
*11:関東軍作戦主任参謀、関東軍作戦課長、参謀本部作戦課長、戦争指導課長、参謀本部第1部長、関東軍参謀副長、舞鶴要塞司令官、第16師団長(京都)等を歴任
*12:朝日新聞社初代社主の村山龍平の長女・藤子と結婚し、村山家の婿養子となった。大阪朝日新聞印刷局長、朝日ビルディング初代社長を経て朝日新聞社長、社主(2代目)に就任。長女は朝日新聞社社主(3代目)村山美知子(美知子死後の2020年に朝日は社主制度を廃止。また村山家は朝日新聞の筆頭株主だったが、保有株式の一部をテレビ朝日や朝日新聞社社員持株会に売却したことで現在は第三位の株主(筆頭株主は朝日新聞社従業員持株会))。(村山長挙 - Wikipedia、村山美知子 - Wikipedia参照)
*13:2022年刊行
*14:東京工業大学准教授。著書『基地の政治学:戦後米国の海外基地拡大政策の起源』(2012年、白桃書房)、『沖縄と海兵隊:駐留の歴史的展開』(共著、2016年、旬報社)、『基地の消長1968-1973:日本本土の米軍基地「撤退」政策』(2020年、勁草書房)、『基地問題の国際比較』(編著、2021年、明石書店)『世界の基地問題と沖縄』(編著、2022年、明石書店)等
*15:野添氏は沖縄国際大准教授。著書『沖縄米軍基地全史』(2020年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄県知事』(2022年、新潮選書:沖縄返還後の知事のみ言及)等
*16:例えば米軍柏通信所跡地に建設された東大柏キャンパス
*17:例えば米軍ジョンソン基地跡地に建設された彩の森入間公園
*18:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、自民党総務会長(岸総裁時代)、岸内閣蔵相、池田内閣通産相、科技庁長官等を経て首相
*19:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経企庁長官を経て首相
*20:菅内閣少子化等担当相(民主党政調会長兼務)、野田内閣外相、民主党選対委員長(岡田代表時代)等を歴任
*21:元自治官僚。山口県出納長を経て県知事(1996~2012年まで4期16年)
*22:山口県議を経て岩国市長(2008年に初当選し、現在4期16年の途中)
*23:有料記事なのでほとんど読めませんが「父の無念」の「父」とは政治的圧力で、殺人での送検を断念させられた「岡田三千左右・群馬県警刑事部長(当時)」のことで「娘さんへのインタビュー記事」でしょう。
*24:とはいえ、米軍基地が全くない場所に移転できるとは思えず、「本土受け入れが可能」だとしたら「今、本土にある米軍基地への移転」しかないでしょう。高世らは「青森・三沢市、神奈川・厚木市、山口・岩国市」等「既に米軍基地がある地域」の住民に、市内の街頭演説で「今既に米軍基地があるのだから、多少負担が増えてもいいではないか、沖縄の負担を受け入れよ」「山口県民は日米安保強化の立場に立つ岸元首相、安倍元首相、岸元防衛相(岸元首相の孫、安倍元首相の弟)の地元として岩国で沖縄の負担を受け入れよ」「神奈川県民は日米安保強化の立場に立つ菅前首相の地元として厚木で(以下略)」と訴えたらどうか。多分「安保反対派の県民」は勿論「菅や安倍の支持層(自民支持層)」ですら激怒するでしょうが。なお安倍への「皮肉」「嫌み」であって本気でないでしょうが普天間基地は首相の地元、米軍岩国基地に移転すべきだ | 上久保誠人のクリティカル・アナリティクス | ダイヤモンド・オンライン(2016.2.2)なんて記事がありますね。
*25:「基地県外移転派」や「日米安保廃止派」にとっては、こうした主張には不満はあるものの、基地被害軽減を主張する以上、自民党政権よりはずっとマシです。
*26:小生はこの本を持っているので改めて今回読み直しましたが