テレビ番組の放送案内です。取材、編集でほんの少しお手伝いしただけですが、2年ぶりの番組制作でちょっと新鮮な感覚を味わいました。
【NHK BS1】3月6日(日) 午後10:00∼10:49
ザ・ヒューマン 「立ち止まらない外科医」
本格的に関わったのならもっと宣伝してるでしょうから本当に「お手伝い」にすぎないんでしょうね。しかもその程度ですら「2年ぶり」(苦笑)。
もう一つのお知らせ。【高世仁のニュース・パンフォーカス】「沖縄の基地を、あなたの町に引き取りませんか?」 | つなぎ | 新聞新発見メディアを公開しました。
「引き取らねえよ、バカ」で終わる話です。高世は以前からこの与太を飛ばしており、俺も
高世仁に突っ込む(2020年8/9日分) - bogus-simotukareのブログ
沖縄の基地を本土が引き取る―賛成?反対? - 高世仁の「諸悪莫作」日記
「過去の高世のブログ記事」
米軍基地を「引き取る」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
沖縄人は日本人ですか?と石川真生さん - 高世仁の「諸悪莫作」日記
基地負担本土89%から沖縄74%へ - 高世仁の「諸悪莫作」日記
米軍基地を「引き取る」2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
米軍基地を「引き取る」3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
沖縄だけでなく本土でも住民投票を - 高世仁の「諸悪莫作」日記
から、タイトルだけで「内容の予想」がつき「お前、米軍基地本土引き取り論なんて、まだそんな馬鹿なこと言ってるのかよ、高世(呆)」(中略)ですね。
既に高世の愚論「本土引き取り論」については
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(1/19分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(12/11分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
で批判してるので「改めて詳しくは書きません」。
簡単に批判しておけば*1まず第一に「沖縄で要らない物は本土でも要らない」。
第二に「本土のどこが引き受けるのか、現実性が無い」。そもそも「砂川闘争の砂川基地」「内灘闘争の内灘基地」とか「本土の基地反対闘争」で本土におけなくなった基地を沖縄に持って行ったと言う面があるわけです。
「本土引き受け論」が「ハワイやグアムなど米国領土で引き受け論(共産党など)」「『米軍基地無き安保』論(昔の旧民社)」「日米安保そもそも廃止論(共産党など)」など他の案に比べて可能性が高いなどという事実はどこにもありません。
もちろん「他の案に比べて政治的、道義的に正しい」とは「もっと言えない」でしょう。
結局「他の案に比べて本土引き取り論が、実現可能性が高いわけでも無ければ、政治的、道義的に正しいわけでもない」という価値観(ほとんどの政治党派はそうですし、俺もその立場ですが)にたてばそんなもんは支持するに値しません。そこで「本土が沖縄に冷たい」とかほざいても意味が無い。
第三に「本土にも青森の三沢基地、東京の横田基地、山口の岩国基地など米軍基地があるし、当然反対運動もある」。その点、高世はどう考えてるのかと言うことですね。
第四に「本土引き取り論」は「日米地位協定改定」などといった「本土で引き取らなくても解決できる問題(本土で引き取っても解決しない問題)から眼を背けること」につながります。
第五にこの高世の物言いなら何も米軍基地に限らずたとえば「原発」についても「冗談や皮肉か、本気かはともかく」「東京に原発を!」「東京原発」になるでしょうがそんなことは高世は言わず「脱原発」と言うわけですがそれとの整合性はどうなってるのか?
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(12/11分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
沖縄だけでなく本土でも住民投票を - 高世仁の「諸悪莫作」日記
そんな住民投票をやったところで「引き取ります」なんて住民が多数を占める自治体なんて本土にありはしない、という意味でも、そもそも「そんな住民投票をやろう」という動きが本土にほとんど存在しない(そうした動きは超少数派としてのみ存在する)という意味でも馬鹿馬鹿しい。かつこうした物言いは「横田基地」「岩国基地」など、本土にも米軍基地問題があることを無視してる点でも間違ってる。
「沖縄の米軍基地」を「基地被害があるから基地を減らすべきだ」と思う人間が「ウチの自治体で引き取ろう」と思ったらその方がおかしい。
そのまま引き取ったら、単に「基地被害を別の人間が受けるだけ」にすぎないからです。
「沖縄県民は被害を受けたらかわいそうだが、本土の人間なら受けていい」なんてそんな変な話はない。
「俺は君の友人だから借金を肩代わりしてやる」というのとは訳が違う。
「お隣の奥さんが夫にDVされててかわいそう」「お隣の子どもが親に虐待されててかわいそう」「私が代わりに殴られてあげます。そうすれば奥さんや子どもが殴られる回数が減る」位おかしい。
大体この「引き取り運動」の理屈なら米軍基地以外のたとえば「原発」も引き取るべきなのか。
「原発はいらない」と主張してる脱原発派は「原発推進派と共犯関係にある」「まず東京や大阪で佐賀の玄海原発や北海道の泊原発などを引き取るべき」なのか。さすがに「米軍基地・本土引き取り派」もそんなことは言わないでしょうが、ならばなぜ米軍基地だけは「引き取り」なのか。
彼ら「引き取り運動派」はいつまでたっても「実現可能性が高いとは思えないのに、なぜ引き取りでないと駄目なのか」「なぜ国外移設や、『駐留なき安保』、日米安保の廃止論など他のやり方では駄目なのか」説明できないし、おそらく説明する気すらないわけです。
で批判しましたが。こうした俺のような批判としては澤藤統一郎の憲法日記 » 米軍基地を本土に「引き取る運動」についてを紹介しておきます。
それにしても高世によれば
【高世仁のニュース・パンフォーカス】「沖縄の基地を、あなたの町に引き取りませんか?」 | つなぎ | 新聞新発見メディア
以下の資料を参考にしました。
樫田秀樹「米軍基地を引き取ろう」(『望星』2018年5月・6月号)
高橋哲哉*2「なぜ『県外移設』=基地引き取りを主張するのか」(『日本と沖縄 常識をこえて公正な社会を創るために』)
だそうです。樫田氏や高橋氏には
樫田秀樹
◆『自爆営業』(2014年、ポプラ新書)
◆『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(2017年、岩波ブックレット)
高橋哲哉 - Wikipedia
◆『教育と国家』(2004年、講談社現代新書)
◆『戦後責任論』(2005年、講談社学術文庫)
◆『靖国問題』(2005年、ちくま新書)
◆『デリダ:脱構築と正義』(2015年、講談社学術文庫)
といった「まともな業績もある」ので、彼らのすべてを否定はしませんが、これについては「アホか?」ですね。
ロシアの独立系科学サイト「TrVナウカ」は24日、ロシアの侵攻に反対するロシアの科学者や科学ジャーナリストによる公開書簡を掲載した。すべての軍事作戦をすぐに止めるよう求めている。
「そういえば昔、ソ連、ロシア関係の出版社でナウカ社てなかったっけ?」と思いググったら
ナウカ・ジャパン - Wikipedia
1931年(昭和6年)、東京日日新聞(現在の毎日新聞)記者であった大竹博吉*3により創業(「ナウカ」は「科学」「学術」を意味するロシア語)。ソ連からの洋書輸入や、ソ連の社会主義建設を紹介する本、ロシア・ソ連関係の広い範囲の書籍を輸入し、日本におけるロシア研究、ロシア語学習に大きな役割を果たした。
しかしソ連崩壊によるロシアへの関心の低下とインターネット個人取引の拡大に伴い書籍の売り上げが低迷し、さらに「国立大学法人化→大学予算削減」によって研究機関からの書籍の発注が減少したことで経営が行き詰まり、2006年(平成18年)7月6日に東京地裁に破産手続開始を申請、9月半ばで閉店した。季刊誌『窓』は、133号(2005年10月)を最終号として休刊。2006年11月17日、ナウカ・ジャパン合同会社を設立。2007年(平成19年)2月、小売店舗も開店(再開)した。
がヒットしたので紹介しておきます。
勇気づけられるロシア国内の反戦運動 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
「戦争はいけないが、ロシアにも言い分がある」という議論が見受けられる
「どこにそんな議論があるんだ?」ですね。「事実上廃業状態」とはいえ、高世も「自称ジャーナリスト」なら「誰がいつ、どこでそう主張したのか」具体例を出したらどうか(追記:鈴木宗男がそうしたロシア擁護をして、駐日ウクライナ大使から非難されたようですが、日本においてメジャーな主張とは言いがたいでしょう。しかし「所属議員」鈴木の発言を黙認しながら、ウクライナ問題で日本共産党に因縁をつける松井・維新代表(大阪市長)も呆れたバカです)。
今回勇気づけられたことは、世界中で政治的立場を超えて、ロシア糾弾の動きが広がっていることだ。
一方、西岡力(巣くう会会長)、島田洋一(巣くう会副会長)、荒木和博(特定失踪者問題調査会代表、予備役ブルーリボンの会代表、元「巣くう会事務局長」)らウヨと野合し「政治的立場が極右に偏向したこと」で衰退の一途をたどっているのが「拉致被害者家族会の運動」です。
高世も今や事実上「拉致被害者家族会を完全に見捨てています」。
*1:と言っても結局「結構、文章が長くなりました」が
*2:高橋氏には他にも同様の主張を行う『沖縄の米軍基地:「県外移設」を考える』(2015年、集英社新書)、『日米安保と沖縄基地論争』(2021年、朝日新聞出版)という著書がある。
*3:1890~1958年。大竹はプロレタリア文学とも関係が深く、徳永直や本庄陸男の作品集を出版し、プロレタリア作家の拠点となっていた。しかし、1936年(昭和11年)、小林多喜二全集を出版したところ、治安維持法違反として会社解散を余儀なくされた。戦後は、会社を再建するとともに、ソビエト研究者協会幹事、日ソ協会理事など歴任。ミチューリン農法(ヤロビ農法)を日本に紹介し、1954年の日本ミチューリン会発足に重要な役割を果たした(大竹博吉 - Wikipedia参照)。