「反党裏切り分子」松竹伸幸に今日も悪口する(2023年12/24日分)

29回党大会の意義と「変革の力」論・2 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 「反党裏切り分子」松竹伸幸に今日も悪口する(2023年12/23日分) - bogus-simotukareのブログで批判した29回党大会の意義と「変革の力」論・1 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaの続きです。
 「反党裏切り分子」松竹伸幸に今日も悪口する(2023年12/23日分) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが「党内外にまるで支持者がいない松竹(共産と比較しても松竹の方が支持者が少ない)」が偉そうに共産党に「党勢がなかなか回復しないのは問題だ」などと抜かすのは、

1)「日ハム監督の新庄(2年連続最下位)」が「中日監督の立浪(2年連続最下位)」を批判する
2)産経新聞が朝日、読売、毎日など「産経より売れている同業他社」の部数減少をあげつらう

くらい馬鹿げていますがそれはさておき。

 社会党との政権共闘の可能性が失われる前後から、共産党は「革新の陣地」を広げる戦略を採用する。いわゆる「革新懇」が結成される。

 いわゆる「社公民路線=社共共闘の消滅」に対応した措置という面は無論あるでしょうが、革新懇をそれだけで評価するのは明らかに一面的です。
 1980年代前半から「いわゆる無党派層」の増加が明白になり、それに対応した措置という面も指摘する必要があります。
 勿論「バブル景気(1986~1991年)による国民意識の保守化→自民支持」「ライバル社会党土井たか子ブーム(1986~1991年)」「ソ連のアフガン侵攻(1979年)、北朝鮮の大韓機爆破(1987年)、中国の天安門事件、『ベルリンの壁崩壊→東西ドイツ統一』等東欧共産党体制の崩壊(1989年)等による共産主義へのネガティブイメージ」等、他にもありますが1980年代以降、共産の党勢が伸び悩んだ理由の一つは「無党派層の増加」にもあり、であるからこそ、これは共産だけでなく他党にとっても重大な問題でした。
 これに対し「無党派層が増えても自民が勝てる有利な選挙制度」として自民が1993年に導入したのが衆院小選挙区制です。
 また土井たか子社会党委員長時代、あるいは社民党党首時代に「辻元清美(現参院議員(立民党))」「福島瑞穂(現参院議員、社民党党首)」「保坂展人(現世田谷区長)」といった「市民運動関係者」を重用した理由の一つは「無党派層の増加」でした(従来の支持層である労組とは違った支持層を構築するという目的もありましたが)。

 「政策の正しさ」に重点を置いた戦略だった。「正しいことはやがて多数になる」という戦略である。

 「革新懇」は単に「党員、後援会員ほどコアな支持ではないが、ソフトな共産支持を広げる」と言う話にすぎず「政策の正しさ」に重点を置いた戦略という話では全くないでしょう。
 また単純に「革新懇野党共闘」と言う話ではないですが、「党外の自民批判派との連携」と言う意味では「革新懇野党共闘」には共通性があります。「革新懇の経験」が野党共闘に役立った面は明らかにあるでしょう。

 この40年間、多少の浮き沈みはあっても、少しは前進しているはずである。けれども現実は後退を続けていたため、その路線からの脱却が急務となっていく。
 そこで打ち出されたのが、不破氏の「日本共産党の政権論」と題する「赤旗」のインタビュー記事だった。1998年8月25日付の「赤旗」であり、いまでもホームページで見ることができる。

 不破氏の1998年インタビューをどう評価するにせよそれを「後退からの脱却」と見なす松竹の主張は明らかに事実に反します。   
 というのはこの時期の共産は
1)1996年の衆院選で「15→26」と議席増加。一方で社民党は「30→15(議席半減)」と大打撃
2)1996年に足立区長選挙で吉田万三氏が、狛江市長選で矢野裕氏(共産党の狛江市議)が当選。吉田氏は残念ながらその後、自公の「区長不信任決議可決→区長失職」による1999年の区長選挙で敗北(1期目の途中で退任)したが、矢野氏はその後2012年まで「4期16年」務めた(但し、その後、狛江市長には自公の支持を得た候補が当選している)。
3)1997年の都議選で「13→26」と議席が倍増。24議席の公明(第3党)を上回り、第1党自民(54議席)に次ぐ第2党に躍進し「都議会・共産党ショック」と呼ばれた。
4)1998年の参院選で「14→23」と議席増加
等、むしろ「ささやかな躍進」とはいえ、「戦後第三の躍進(第一が終戦直後、第二が1960~1970年代)」の時期に当たるからです。
 不破インタビューはこうした「躍進の風」をさらに大きくするために行われたことは明白です。
 というか不破インタビューにも

日本共産党の政権論について
不破
 一昨年の総選挙でわが党が躍進し、昨年の都議選では首都東京で自民党につぐ第二党になりました。そしてこんどの参院選ではまた大きな躍進をして、ここで得た得票数、議席数では、自民、民主につぐ第三党の地位を得ました。

として俺が指摘したこと「戦後第三の躍進」ははっきり書いてあります。松竹はこの部分を何故引用しないのか?。
 「見落とした」とでも言う気なのか。
 いやそもそも何故、松竹記事において、「不破インタビューへのリンク」を張らないのか?
 勿論引用したり、リンクを張ったりすると「後退から脱却するために不破インタビューがされた」というデマがモロバレになるからでしょうが、呆れたバカです。そんな姑息なことをしても「不破インタビュー」をネット検索で見つければ「松竹のデマ」はすぐにこのようにモロバレになります。
 「明らかに事実に反するデマ」を放言する時点で松竹に政治を語る資格は何一つありません。
 というか、「戦後第三の躍進」は「共産党員、後援会員、サポーター等、共産支持者」には割と有名な話であり、この松竹のデマには「松竹は何、バカを言ってんだ。不破インタビューは躍進の時期だろ」「除名されたとはいえ元党員の松竹がそれを知らないはずはない。明らかなデマ中傷だ」と思った方は多いでしょう。俺もその一人ですし。
 「共産支持者」相手にモロバレのデマを放言するとは、松竹は何を考えてるのか。この時点で多くの共産党支持者は「松竹はふざけんな」「党をデマで誹謗するあいつのどこに愛党精神があるのか」と怒り、奴を支持しないこと、むしろ反党裏切り分子として「鈴木元」「紙屋研究所*1」ら「類友」共々、撲滅し打倒することを堅く心に誓ったでしょう(俺もその一人ですが)。正直、「いつも松竹には呆れています」が今回は「ここまで酷いデマを流すのか」と松竹に心底呆れました。
 もはや松竹記事の「想定読者」はこうしたデマを
1)鵜呑みにする「共産党について全く無知な人間」
2)鵜呑みにしたふりをする「悪質な反共分子」なのか。
 そんな人間を相手にして、仮に支持された*2として松竹にとって何の意味があるのか。もはや「自らの政治主張の正当性」を訴えるのではなく単に党をデマ中傷したいだけのクズが松竹なのか。
 以上は「土方歳三」名義で松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか載せない」くせに「自由な言論」とほざく松竹の虚言癖には心底呆れます。よくもこんなクズが「党首選に出たい」と抜かせたもんです。 

*1:紙屋には「松竹を評価するようなバカ(紙屋のこと)はとっとと離党しろ、お前みたいな不良党員はいらんわ、本を出したぐらいで図に乗るな」と言いたいですね。

*2:まあ松竹はその種の人間からも支持されてないんですが。