kojitakenに今日も悪口する(2023年4/9日記載)

党内左派とか右派とか話が出ているが、小西洋之は党内左派っぽく見えるが、花斉会(野田G)なので一筋縄ではいかない部分がある。(ツイッター政治おじいちゃんお化け氏)/私は小西が左派っぽいとは全く思わない。権力を振りかざしたがる強権的な右派政治家にしか見えない - kojitakenの日記
 俺個人は「小西擁護」はしませんが
1)「野党議員」にすぎない小西を批判するのなら「同様の暴言」をした「現職大臣」高市はもっと批判されるべき
2)「自民や維新、国民民主」が非難する小西を処分することで泉はさらに「自民や維新、国民民主」にすり寄るのではないか、小西批判を安易にすると「泉による立民右傾化→リベラル層の離反による党勢衰退」を助長しないか
という「小西擁護派(例えば、泉の右傾化路線に批判的な道産子ナオ氏、三春充希氏がこの立場とみられる)」から述べられる「危惧」には同感します(だからといって小西擁護はしませんが)。そうした危惧の念がないのか、kojitakenは高市批判もろくにしなければ、「小西処分を、泉は維新、国民民主へのすり寄りにつなげるな(その保障がなければとても小西処分に賛成できない)」という泉批判もしないから呆れます。

 共産党の除名騒動についても言えることだが、野党議員といえども小西洋之だとか共産党志位和夫小池晃のように権威主義を剥き出しにする政治家たちに対して私は強い不信感を抱く。もちろんああいう権威主義的な政治家たちは全く支持しない。

 松竹や鈴木について言えば「除名されて当然の反党分子」であり、志位氏、小池氏は強権主義でも何でもない。
 なお、kojitakenが「松竹の右翼的な安保主張」について全く言及しないことが興味深いですね。
 拙記事今日も「反党裏切り分子」松竹伸幸に悪口する(2023年4/4日分) - bogus-simotukareのブログ今日も「反党裏切り分子」松竹伸幸に悪口する(2023年4/5日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが、松竹は「敵基地攻撃論」を「条件付き」とはいえ、容認する気のようです。
 つまり『敵基地攻撃能力の保有、条件付きで容認 立民が見解 政府方針には「賛同できない」:東京新聞 TOKYO Webという泉立民』と同じ立場が松竹です。「主張の是非(勿論俺的には非)」はともかく主張が「完全に党方針(敵基地攻撃論反対)から逸脱」している。こんな松竹が除名されるのは当然の話でしょう。むしろ何で松竹は、共産を離党し安保施策において「松竹と主張の近い泉立民」などに入党しないのか。
 自称「社民党支持」kojitakenは
 1)松竹の安保主張を支持できない(社民党も敵基地攻撃論反対)が
 2)アンチ志位執行部なので松竹批判したくないのでしょう。kojitakenも全く呆れたバカです。

 小西についていえば、メディアに対する恫喝的な発言こそ最大の問題であって、それと比較すればサル発言などどうでも良い話だ。弊ブログもさる権威主義共産党信者ないし共産趣味者を犬呼ばわりしている。

 「サル」云々も勿論「問題発言」ですし、kojitakenの俺に対する「犬」呼ばわりも勿論「問題発言」です。
 そもそも批判するにおいてその種の罵倒は何ら意味がない。批判相手との人間関係が「必要以上」に悪化し、また良識派からは「下品な人間」と眉をひそめられるだけです。
 大体、このkojitakenの物言いなら「共産党関係者(党員や後援会員)」が「除名された」松竹や鈴木を「あんな反党分子は犬やサルも同然」云々と「犬やサル」呼ばわりしても、kojitaken的には何ら問題ないわけですが本気でそんな主張をする気なのか(呆)。
 それにしても「さる権威主義共産党信者ないし共産趣味者」と書いて、俺のハンドルネームを書かないのが興味深い。
 俺に反撃されるのが嫌なのか、俺の文章とkojitakenの文章を読み比べた人間に「kojitakenの主張の方が間違い」と思われる可能性が嫌なのか。
 正直「名前を出して批判しない(できない?)」時点でkojitakenは「強がってはいるが、相手に対して逃げ腰だ」「内心では相手の方が正しい主張もあると思ってる」と疑われても文句は言えないでしょう。

 そもそも記事タイトルに「小西」と書いても、「共産」と書かない辺りも「俺の反撃(?)」に逃げ腰な態度の「一例」なのかもしれない。
 それにしても「権威主義共産党信者ないし共産趣味者」ねえ。
1)kojitakenにとって信者と趣味者の違いは何なのか?
2)俺の何処が信者なのか
→俺個人は党員でも後援会員でもない「ソフトな支持者」にすぎません。
 支持理由も「右翼政党である自民、維新、国民民主は支持できない」「昨今、維新や国民民主へすり寄り、右傾化する泉立民も支持できない」「社民やれいわは、共産に比べ党勢が弱すぎる」等の消極的理由にすぎない。
 「社会党が最大野党だった時代」なら社会党支持していたかもしれない程度の人間です。まあ「1970年代生まれの団塊ジュニア」の俺が「20歳で選挙権を得た頃(1996年頃)」には

◆自社さ連立政権(1994~1996年:村山内閣や、社民党出身の久保亘氏が副総理・蔵相で入閣した橋本内閣)への社民党支持者の反発
◆1996年に赤松広隆(元社会党書記長)など社民党を離党した議員が、新党さきがけを離党した鳩山由紀夫(さきがけ代表幹事)、菅直人(さきがけ政調会長)らと結成した民主党社民党支持者を減らした
→なお、社民党やさきがけからのイメージチェンジを図る鳩山らは「村山首相(社民党党首)」「武村さきがけ代表」を含む「社民党、さきがけメンバー全員」の入党は認めず、鳩山らから入党拒否されたメンバーは社民党やさきがけに残ることになりました

ということで社民党は遅くとも「1996年頃」から衰退過程にありました。
 一方、共産党社民党が衰退する時期、「自社さに失望した社民党支持層」「小沢新進党や鳩山民主党に失望した層」の「共産支持への鞍替え」が大きかったのでしょうが

◆1996年の足立区長選(吉田万三)、狛江市長選(矢野裕、現在、全国革新懇代表世話人)での共産擁立候補の当選
◆1996年衆院戦での躍進(改選前15→改選後26)
◆1997年の都議選で共産党が26議席を獲得、自民党(54議席)に次ぐ第二党(都議会最大野党)に躍進し「都議選・共産ショック」と呼ばれた(1997年東京都議会議員選挙 - Wikipedia参照)
◆1998年の東大阪市長選での共産擁立候補(長尾淳三)の当選
◆1999年の不破哲三井上ひさし『新共産党宣言』(光文社)刊行

等で「戦後第3の躍進(終戦直後が第1、1960~1970年代が第2)」にありました。
 そうした時期を知ってる俺としては最近の選挙での苦戦は辛いものがあります。今日の「統一地方選前半」、2週間後「後半」も楽な選挙ではなく「不安感」が強いのですが、どんな結果であれ諦めずに戦おうと今から自分を叱咤激励しておきます。
 そうした時代状況(選挙権を得た20歳の頃(1996年頃)、社民党は明らかに衰退過程にあり、一方、共産はそれなりに躍進していた)で俺は「共産支持」になったにすぎません。
 話を戻しますが「共産支持者なので糞味噌な志位執行部への罵倒」はしませんし、志位執行部の主張の大半は「概ね支持」しています。
 ただし、「社民やれいわが拉致被害者について『段階的帰国も可』としたのに、共産は自民、立民等と共に全員帰国支持を表明」など一部については批判もします。俺は『段階的帰国も可(勿論、全員帰国が容易に可能ならそうすればいいわけで、容易でないという理解による段階的帰国容認ですが)』の立場であり、いかに共産支持者とは言え、その考えを変更できません。
 そういう俺の何処が信者なのか。松竹、鈴木除名にしても「連中の主張が間違ってる」と思うから除名支持にすぎません。
3)俺の何処が権威主義なのか
→多分「志位執行部支持→権威主義」と言う決めつけ(他に権威主義呼ばわりの根拠はない)でしょうが、俺個人は別に「志位執行部に盲従」しているわけではない。
 勿論俺も「凡人」なので無意識的であれ、意識的であれ「権威に影響されること(例:マスコミで話題になった料理店に行ってみるなど)」はあるでしょうが、kojitakenにここまで悪口されるほどの権威主義だとは自分で思っていません。「人並みの権威主義」にすぎないと思ってる。
 むしろ俺は「マスコミで拉致被害者家族会や救う会が全く批判されずタブー化してること(特定失踪者などという明らかなデマすら、特定失踪者が国内で発見されたという警察発表はさすがに報じても、それ以上はろくに批判しない)」などに不快感を覚えてる点では「反権威主義」的な点もあるとは思っています。

 さる有名ブログの常連コメンテーターの中に私を「駄犬」呼ばわりする人間がいるが、自分も同じことをやっているのだから「勝手にしやがれ」としか思わない*1

 これまた「さる有名ブログの常連コメンテーター」と書いて、そのコメンテーターのハンドルネームを書かないのが興味深い。(有名ブログについて名前を書かないのも興味深い)
 反撃されるのが嫌なのか、その人物の文章とkojitakenの文章を読み比べた人間に「kojitakenの主張の方が間違い」と思われる可能性が嫌なのか。
 正直「名前を出して批判しない(できない?)」時点でkojitakenは「強がってはいるが、相手に対して逃げ腰だ」「内心では相手の方が正しい主張もあると思ってる」と疑われても文句は言えないでしょう。

 それにしても青字部分には「犬呼ばわりを辞めようとは思わないのか」と心底呆れます。

*1:わざわざこんなことを書く辺り、本当は不愉快なのでしょうが、ここで「俺も犬呼ばわりを辞めるから、あんたも俺に対する犬呼ばわりを辞めろ」とならない辺りが実にくだらない。