珍右翼・高世仁にコメントする(2024年5/20日分)(追記あり)

【追記】
 米国をほめるわけでもないが、日本よりはましだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの記事を紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】
中村哲医師とティリチ・ミール登山 - 高世仁のジャーナルな日々

 今朝の『朝日新聞』はトップが「核搭載米艦、寄港容認の密約経緯 60年安保改定時、米公文書に明記:朝日新聞デジタル」。

 1960年の日米安全保障条約改定をめぐる交渉で、核兵器を積んだ米軍艦の日本寄港を事前協議なく認める密約を両政府が交わしていたことを示す米公文書が見つかった。
 信夫隆司(しのぶ・たかし)日本大学名誉教授(日米外交史)が、米国の国立公文書館NPOの国家安全保障公文書館NSA)で2004年以降に入手し、精査した。
 岸信介*1首相は1958年2月、領海を含め日本に核兵器を持ち込ませないと国会で答弁したが、米政府は核搭載艦が自由に寄港できる環境を維持しようとした。
 一連の米公文書によると米国務省は58年9月、マッカーサー*2駐日大使に、条約改定で新たに設ける事前協議制度について訓令を出した。核兵器の日本領土への配置は事前協議の対象とする一方で、「核搭載艦の日本の領海、港への立ち入りは過去同様に続き、事前協議の対象にならないとの確認を求める*3」よう指示する内容だった。

 発見者の信夫氏には『若泉敬*4と日米密約』(2012年、日本評論社)、『日米安保条約事前協議制度』(2014年、弘文堂)、『米軍基地権と日米密約』(2019年、岩波書店)、『米兵はなぜ裁かれないのか*5』(2021年、みすず書房)等の著書があります。これらのうち、一部の本については米兵を起訴するのは、法相が指揮をすることらしい(それじゃ、検察だって、起訴なんかしたいわけがない) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でも紹介されています。
 この結果、安保闘争での「事前協議制度など信用できるのか」という批判が「全く正しかったこと」が証明されました。
 それにしても「密約を全て隠し続ける日本」と「一部に留まるとは言え、後に公開する米国」、後者の方が「いくらかマシ」ですね。
 また日本政府は「米国公開公文書」なのに「知らぬ存ぜぬ」なのでしょうが。
 なお、以前から以下の通り「日米密約」については色々と指摘があります。

共産党が明らかにした日米核密約/歴代外務次官の証言で裏付け/根拠なく否定の日本政府2009.6.22
「1960年1月6日、マッカーサー駐日大使が米国務長官あてに送った電報」に、同大使と日本の藤山愛一郎*6外相が、同日、三つの秘密取り決めに署名したことが記されています。そのうちの一つが、「核密約」の全ぼうを記した「相互協力及び安全保障条約 討論記録」(1959年6月)です。(全文別項)
 これを見ると、核兵器の日本への「持ち込み」(イントロダクション)は、「事前協議」の対象になる「装備における重要な変更」にあたるが(2A)、航空機の「飛来」および艦船の「立ち入り」(エントリー)については、「現行の手続き」に影響を与えないとしています(2C)。
 つまり、米艦船・航空機の日本への立ち寄りについては、核兵器を積んで自由に出入りできる「現行の手続き」どおり、自由にできるというのです。
 「1963年4月4日、ライシャワー大使からラスク*7国務長官にあてた電報」では、同大使が大平正芳*8外相とその内容を確認したことを記しています。

沖縄核密約「今も有効」/米政府元高官・ハルペリン氏、本紙に証言2014.9.22
 1966年から1969年にかけて沖縄返還交渉の米側担当官を務めたモートン・ハルペリン氏が都内で本紙の取材に応じ、「有事」の際に沖縄への核兵器の持ち込みを認めた日米密約について、「確かに存在しており、今も有効だ」と語りました。
 沖縄核密約(日米共同声明に関する合意議事録)は、1969年11月21日に当時の佐藤栄作*9首相とニクソン米大統領が交わしたもの。メースBなど、沖縄に配備されていた核兵器を本土返還までにすべて撤去する一方、「重大な緊急事態」の際には再び核を持ち込む権利を米側に認めました。
 日本政府は当時、沖縄返還は「核抜き・本土並み」だと説明していました。しかし、佐藤氏の密使だった若泉敬氏(故人)が1994年に刊行した著書で「合意議事録」の存在を告白。同書によれば、若泉、ハルペリン両氏が密約作成を主導していました。2009年には佐藤氏の自宅からも合意議事録の原文が発見されています。

 朝日歌壇に上田結香さんの歌が出ていた。
◆理由なく辞めたわけじゃない、あの時代、パワハラという語がなかっただけだ

 「タイトルと関係ないことを記事に混ぜるな」と思いますが、重要な指摘ですね。「セクハラ」「パワハラ」と言う言葉が生まれ、社会に普及、定着することによってそうした物が注目されるようになった。
 これは何も「セクハラ」「パワハラ」に限りません。
 「DV」「児童虐待」等もそうでしょう。
 あるいは、以前も別記事『ライプツィヒの夏』記事について色々感想 - bogus-simotukareのブログで書きましたが「横山やすし」は明らかに「何らかの発達障害」だと思います。
 しかし、やすしの活躍した時代にはそうした認識がやすしにも、周囲にも恐らく無かった。
 発達障害についてかなり知られるようになった現在にやすしがいたならば、周囲の支援で「あそこまで悲惨な末路(数々の不祥事による吉本解雇(1989年)、アルコール依存症による肝不全での死去(1996年、享年56歳)など)」にはならなかったのではないか、という気がします。
 中村氏については今回特にコメントしません。
【追記】
 nordhausen氏のコメントに応答します。
 「昔は良かったとは必ずしも言えない」例としては例えば何をいまさらだが、昔は煙草を吸うということが大人の男性のたしなみだった(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)がありますね。非喫煙者にとっては今の方がいい時代でしょう。
 「性同一性障害」については昨今は「トランスジェンダー」「性別違和」といった「そもそも障害ではない」という価値観の呼び方も出ていますね(素人なのでこれ以上は特に論じませんが)。

*1:戦前、商工次官、東条内閣商工相等を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相等を経て首相

*2:GHQ司令官として知られるダグラス・マッカーサーの甥。日本大使、ベルギー大使、オーストリア大使、イラン大使等を歴任

*3:恐らく佐藤栄作首相もこの密約を引き継いだでしょうから、佐藤の「非核三原則」のうち「持ち込ませず」は最初から嘘だったわけです。

*4:京都産業大学教授。沖縄返還交渉において、佐藤首相の密使として重要な役割を果たした。1994年、著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文芸春秋)で沖縄返還に関わる密約(有事の際の核持ち込み密約など)の内容を暴露し、2年後に死去。当初は病死と発表されたが後に青酸カリによる自殺と判明。若泉の自殺について大田昌秀琉球大学名誉教授、元沖縄県知事)は「有事の際の核持ち込み密約を結んだことは評価できないが、若泉さんは交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪した。人間としては信頼できます」とコメントしている(若泉敬 - Wikipedia参照)

*5:いわゆる不起訴密約のことでしょう。

*6:岸内閣外相、自民党総務会長(池田総裁時代)、池田、佐藤内閣経企庁長官等を歴任

*7:ケネディ、ジョンソン政権で国務長官

*8:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)等を経て首相

*9:吉田内閣郵政相、建設相、自民党総務会長(岸総裁時代)、岸内閣蔵相、池田内閣通産相、科技庁長官等を経て首相