演劇批評「こまつ座「夢の泪」/東京芸術座「医者の玉子」」(寺田忠生)(「前衛」2024年7月号収録)

新刊紹介:「前衛」2024年7月号 - bogus-simotukareのブログに最初は書いていたのですが長くなったので別記事にします。
文化の話題
◆演劇「忘れてはいけないこと:こまつ座*1「夢の泪」/東京芸術座*2「医者の玉子」」(寺田忠生)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。
【夢の泪】

こまつ座「夢の泪」の稽古に奮闘中! 20年以上も前の作品なのに、今の日本への警鐘としか思えない井上ひさし作品|日刊ゲンダイDIGITALラサール石井)2024.3.28
 4月6日から始まるお芝居、こまつ座「夢の泪」(井上ひさし作、栗山民也演出)の稽古に奮闘中である。
 井上先生には学生時代から憧れていた。劇団テアトル・エコーの養成所*3に入ったのも、井上さんがいたからだったのだが、私が入ったら辞められた後だった。現在鎌倉に住んでいるのも、先生が暮らした街だという理由が大きい。だからその作品に出演できるのは、この上なくうれしいことなのだ。
 この「夢の泪」は20年以上前に初演された「東京裁判三部作*4」のうちの2番目の作品で、そう言えば硬い話に感じるが、どれも市井の庶民の家族を描き、わかりやすく面白い喜劇である。
 しかも主にクルト・ワイルの曲を使った音楽劇であることも特徴である。
 舞台の設定は終戦から1年後の昭和21年。
 演じてみて驚くのは、そのセリフが現在の状況に驚くほどリンクしていることだ。
「いい加減な法律って、どこで誰が作っているのかしら」
「困ったことに、ぼくらの選んだ議員たちが、議会で作ってしまうんですよ」
「議員になったとたん、ほとんどが別人格になってしまうらしい」
「8月15日の1週間前、8月7日に、すべての役所に、すべての文書を焼くよう、命令が出ていたんです」
「役所の文書には、ハンコや署名がついているでしょう。どの政策にはだれが責任を持つべきか、ハッキリしてしまう。証拠隠滅ね」
「雨もりでグチョグチョの防空壕住まいがまだゴマンといる。食料の配給はひと月もふた月も遅れ、でも政府はなにもしない」
 これなどまんま能登半島地震の被災地のことではないか。戦後間もない話、しかも20年前に書かれたのに、まるで現在、ただ今を書いているようである。
 これは井上先生の予言なのか、それとも日本が何十年も全く変わっていないのか。おそらくその両方であろう。
 現在はモノにあふれ、一見は幸せそうに見える日本だが、政治の世界は膿だらけ、多くの国民は貧困に喘いでいる。実は日本はあの瓦礫だらけの戦後すぐの世界と同じなのではないか。
 井上さんの芝居は全く古くならず、今も警鐘を鳴らし続けている。

演劇 こまつ座「夢の泪」 「現在地」照らす井上の眼=評・濱田元子 | 毎日新聞2024.4.18
 「東京裁判3部作」の2作目として2003年に新国立劇場に書き下ろされた。井上の「生誕90年*5」と銘打った今回は、こまつ座での初演となる。
 1945年にポツダム宣言を受諾した日本は、戦争責任を極東国際軍事裁判、すなわち東京裁判で問われた。訴追されたのは日米開戦時の首相である東条英機*6ら28人。物語は、外相だった松岡洋右*7の補佐弁護人となった伊藤菊治(ラサール石井)と秋子(秋山菜津子)の弁護士夫婦と、娘永子(瀬戸さおり)を軸に、何が裁かれ、何が裁かれなかったのか*8をあぶり出す。

ラサール石井と演出・栗山民也が語る、終戦直後を描いているのに見事なほどに“今”と重なる舞台『夢の泪』への想い | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
◆インタビュアー
 石井さんは、こまつ座には2017年の『円生と志ん生』以来のご出演となりますが、栗山さんの演出作品への出演は初めてですね。今回のオファーを聞いた時の、率直なお気持ちは。
◆石井
 嬉しかったです。もう僕、井上作品には呼んでいただけないのかもと諦めかけていたので。
◆インタビュアー
 お声がかかったのがこの『夢の泪』だったことについては、どう思われましたか。
◆石井
 この作品に呼んでいただけるというのは、ちょっと意外でした。だけど考えてみると、自分が前に出演した『円生と志ん生』でも角野卓造さんがおやりになった役*9を演じたんですが、今回演じる菊治もやっぱり角野さんがやられていた役で。でも、角野さんとはしょっちゅうお会いしてはいるのに、まだ一度も一緒に飲んだことがないんですよ。一度お話をじっくり聞いてみたいなと思いつつ。
(中略)
 それにしても、ひとりで台本を読んでいた時にはわからなかったのに、いざ稽古をしてみるとわかってくることがいっぱいあるんです。だから、ただこういう出来事がありました、こういうことがありましたと単に羅列したお芝居にはせずに、どう見せていくかがなかなか難しい。そうやって稽古でようやくわかったことを、お客様にはその日の一度の観劇でわかっていただかなければならない。それこそが我々役者と、そして演出の仕事だなと思っています。最後も、なんだか一瞬ハッピーエンドのように終わるんですよ。ほんわかとして、みんな喜んでいて。だけどそれは本当のハッピーエンドというわけでもないんです。これは、栗山先生に言われてわかったことでもあるんですけどね。つまり、日本人ってすぐ忘れてしまうんです。(ボーガス注:1945年の敗戦から)10年経ったら、こんな風にわーわー楽しそうにしている、その日本人の馬鹿さ加減というか、ま、仕方ないねえというか。それは今、現在の日本人もまったく同じで、(ボーガス注:自民党汚職事件とか、福島の原発事故とか)ホントすぐ忘れちゃう。それでいいんですか?みたいなこともテーマになっていることは、戯曲を読んでいただけではわからなかったことでした。お客様にそれがちゃんと伝わるかどうかは、やはり我々のお芝居次第。そういう意味では、僕が演じるこの伊藤菊治という役は典型的な日本人なんですね。特に、目先のことばかり考えている人。でも当時は目先のことというか、生き抜くことしか考えられなかったんです。戦後1年目でしたし。
 明日、飢え死にするかもしれないというギリギリのところで、みんな生きていた頃だから。それで当然、目先のことばかりになっていたんですけど、でもそこから日本は高度経済成長していくんですね。僕自身は、ちょうどこの最後の場面の1956年の時、実は1歳だったんです。だからまさに、そこからの高度経済成長時代を生きてきたわけで。確かにあの頃は何も不安がなくてみんな喜んでいましたけど、でもそこから歪みがいっぱい生まれて現在に至っているわけでもあって。それは日本人が、やっぱり戦後のあの時代のことから何から、みんなすぐ忘れてしまったせいなんだなということですよね。忘れさせられたともいえますけど。
 政府の国民に対する対応とか、上に立つ人間がまったく変わっていない。プラス、国民の側も(ボーガス注:上に対する批判意識が弱いという点が?)変わっていないんだなとも思います。これが井上先生の予言なのか、とも思うけれど、でもやっぱり実は戦後すぐの時代も、井上先生がこの作品を書かれた20年前も、そして今も何も変わっていないんですよ。
(中略)
 実は昔からの知り合いも今回のカンパニーには多いんです。ツッチー(土屋佑壱)とか、酎さん(久保酎吉)とか。ツッチーとは*pnish*(パニッシュ)の公演で共演させてもらったり、酎さんはMODE*10の時代から知っていましたし。同い年なんです、俺よりちょっと上なのかなと思っていたんですが(笑)。
(中略)
 この『夢の泪』は、井上作品の中でもあまり回数を重ねて上演されているわけではなく、おそらく戯曲を読むなんていうこともまずされないでしょうから、おそらく初めてご覧になる方が多いのではないかと思います。「あ、こういう作品があったんだ」ということを知っていただきたいですし、きっと「え、これを本当に20年前に書いたの? まるで今の話じゃん?」って思えるでしょうし。「時代に合わせて、何か書き足したんじゃないか?」と思うくらい、今の心にグッと来るお芝居になっています。そして、もう本当に覚えるのがとても大変なんですが(笑)、クルト・ヴァイルの名曲、あと宇野誠一郎さん*11の名曲も含めて、とても素敵な音楽が散りばめられていますので、そこも楽しみにしていただきたいですね。

 それにしてもラサール石井コント赤信号出身)ももはや「お笑い芸人」というよりは俳優ですね(これは同じ赤信号出身の小宮孝泰もそうですが)。
 まあ、

てんぷくトリオ伊東四朗三波伸介(例えば三波伸介も、やはりシリアスな方向へもシフトしようという意思があったのだと思う(ご存命なら今月90歳) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)
ドリフターズいかりや長介
片岡鶴太郎
シティボーイズ大竹まこと、きたろう、斉木しげる

等、「お笑いから俳優」ケースは珍しくないですし、ラサールの場合、むしろ「俳優志望だが一時的にお笑い」のような気がしますが。
 また上記のラサールの言動からは昨今「右翼的言動をする芸能人」が多々おり、うんざりしますが、彼は「左翼ではない」にせよ、そうした右翼的言動に批判的なことが窺えます。

裁き、裁かれるべきものは? 井上ひさし「夢の泪」 - 善福寺公園めぐり
 この作品で作者がいいたかったこと、それは登場人物たちのセリフの中にある。
 菊治たちは、弁護を引き受けたはいいが被告からも国からも一銭の弁護料も出ないことを知り、街頭で市民たちから募金を募り始める。これに対して連合国総司令部の法務官・ビル小笠原から「国民が裁判に関心を持つと困る」との理由で街頭募金を禁止される。
 ビルはいうのだ。
 「国民が裁判に関心を持つと、天皇の戦争責任に国民の目が向いてしまう。天皇は裁かない。そう結論が出ているのですからね」
 結局、弁護料はアメリカが払うことになり、秋子は検察側から弁護料をもらっての弁護に、茶番のにおいを感じ取るのだった。
 菊治と秋子の娘、永子のセリフ。
「連合国に、というか人さまに裁いてもらっても仕方がないんじゃないかしら。日本人のことは、日本人が考えて、始末をつけるべきなのに、今は、捨てられたはずの私たちが、(ボーガス注:昭和天皇など)私たちを捨てた偉い人たちと一緒になって逃げているような気がする。(ボーガス注:東条元首相など)東京裁判の被告席に座る人たちに、何もかも覆いかぶせて」
 20年前に、井上ひさしが私たちに投げかけた言葉が今も重く響く。
 本作は、井上ひさしならではの音楽劇でもある。
 井上ひさしブレヒトの影響を受けているのがわかるのは、歌われる歌はすべて既存の楽曲に別の歌詞をつけているのだが、全15曲の劇中歌の中で、ブレヒトの音楽劇「三文オペラ」の作曲で知られるクルト・ヴァイルの曲が、「三文オペラ」など音楽劇で使われた3曲、ミュージカル作品から2曲、その他歌曲1曲で、全部で6曲も使われている。作詞はもちろん井上ひさしだ。
 ほかには、井上ひさしNHKのテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」で一緒だった宇野誠一郎の曲も多く使われていて、中でも、うっとりとして聞いたのが宇野作曲の「丘の上の桜の木あるいは丘の桜」。
 原曲は「ひょっこりひょうたん島」で使われた曲というのだが、そういえば子どものころ、聞いたことがあるような・・・?

こまつ座『夢の泪』、見ました。 | 倉倉のくらくら
 『東京裁判』とは、なんであったか?
 その問いかけは、『なんであったか』という過去形ではなく、現在においても、その問いかけを続けていかなくてはならない、あるいは、現在だからこそ、問わなくてはならないもの。
 この作品を見終えて、あらためて、強く感じました。
 井上ひさしの、その問いかけに対する答えは、
「不都合なものはすべて被告人に押しつけて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式」。
 現在の、政治家をはじめとして、『責任』を取らない社会が、そこから生み出されて、今に至り。
 A級戦犯として起訴されたのは、28人。
 そのうち、松岡洋右が、途中で死亡。
 死亡したことにより、菊治と秋子は、補佐弁護人から外されることに。
 松岡には、判決が出ていません*12
 それにしても、日本人は、あの戦争から、一体、何を学んだのでしょうか。

こまつ座『夢の泪』 | 新・法水堂
 2003年初演。井上ひさしさんが足掛け6年をかけて書き上げた東京裁判三部作の第二部。
 今月放送が始まった『虎に翼』ではヒロインが女性初の弁護士を目指して奮闘中だが、本作では女性弁護士が東京裁判松岡洋右の補佐弁護人を務めるというのだから、わずか13年で時代も変わったものよのうと思ってしまう(史実として女性がいたのかは確認ができなかったけど)。
 井上ひさしさんのライフワークとも言える本作、東京裁判における天皇をめぐっての扱いや日本人が日本人を裁く必要性があったことなど、随所に井上ひさしさんらしい視点が入り込むものの、全体的にはやや物足りなさを感じた。
 特に主演*13の方がなぁ。嫌いではないけど、主演を張れるだけの演技力があるとは到底思えず、率直に言ってキツかった。

こまつ座 第149回公演『夢の泪』 @ 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA - 月夜のドライブ
 気はいいけれどふがいのない弁護士・伊藤菊治役をラサール石井さんが、その妻の切れ者の女性弁護士・秋子役を秋山菜津子さんが、菊治にとっては継子にあたる秋子の娘・永子役を瀬戸さおりさんが演じ、この3人を中心に物語は進んでいく。
 女性にめっぽう弱くてお酒好きな菊治役のラサール石井さんが、これ以上ないはまり役でとてもよかったなあ。ソロで歌う場面もたくさんあったけど素晴らしい歌いっぷりで、「アナタ、ソンナコトモデキタノー」と思ってしまった!(私が知らなかっただけですね~、失礼)。歌に芝居にお笑いにと、まさにエンターテイナーど真ん中の方なんだなあとあらためて敬服。

【医者の玉子】

東京芸術座『医者の玉子』を、見ました。 | 倉倉のくらくら
 西山悠人(関根学)は、大学の医学部受験に3度失敗。
 その4回目の挑戦を前に、『自分探しの旅』と称して、クロスバイクで日本一周の旅に出発。
 しかし、その出発の日が、豪雨。
 奈良の月ヶ瀬。あえなく転倒して、軽い怪我を。
 悠人は、たまたま通りかかったおっちゃん・五味清(簗瀬龍洋)に助けられて、彼のアパートへ。
 そこには、彼の妻のふみ(吹田真実)がいて、かいがいしく、世話をやいてくれて。
 ふたりは、夫婦ではあるものの、生活を共にしているわけではなく、同じアパート内で、別居のかたち。
 しかし、離婚する気持ちは、お互いにまったくなく。
 娘のカナ(比留間由佳)は、また、別の部屋に。
 そして、その部屋での引きこもり生活。
 家族でありながら、『家族』という形をなしていない。
 この五味家には、もうひとり、豪太という、カナの兄がいるのですが。
 その豪太の『不在』。
 家族にとって、その豪太という大切な『ピース』がひとつなくなってしまったために、各ピースは、居場所を失い。
 西山悠人は、西山総合病院の跡取り息子。
 父親が、院長。
 母親が、副院長。
 生まれた時から、男の子として、『医者』になることを義務づけられた悠人。
 悠人は、期待を一身に集め。
 その期待に応えよう、こたえなくてはならないと、その重圧のもと、医学部受験に落ち続けて。
 優秀な姉の存在も重しとなり。
 で、4回目の受験を前に、家を飛び出て。
 『自分探し』のためと理由をつけて、自転車で日本一周の旅に。
 五味家の人びとと、西山家の人びと。
 それぞれが、それぞれの『重たい』ものを背負い。
 この作品は、その背負った『重たい』ものをおろし、自分が自分として、生きていくことを見つけていく物語。
 それにしても、五味家の人びとは、なぜ、悠人の存在にこだわるのか。
 旅立とうとする悠人を、とどめるのか。
 そこに、五味家の家族、豪太の不在が、大きく関わっているのですが、そこが、さらに掘り下げられると『こってり味』となるのですが。
 そこに、物足りなさを感じるのですが。
 ただ、そうなると、作品としての『軽み』が失せてしまい。

*1:1983年結成。井上ひさしの戯曲のみを上演する演劇制作集団。現在は井上麻矢(井上ひさしの三女)が代表

*2:1959年に村山知義の新協劇団(第二次)と薄田研二の劇団中芸を合同して結成

*3:石井が参加した「コント赤信号」のメンバーである渡辺正行小宮孝泰テアトル・エコー養成所出身。なお、テアトル・エコー - Wikipediaによれば「ダチョウ倶楽部上島竜兵と寺門ジモン」ももともとは俳優志望でテアトル・エコー養成所出身

*4:他の作品は『夢の裂け目』、『夢の痂』

*5:井上は1934年生まれ(2010年に死去、享年75歳)

*6:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相等を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*7:南満州鉄道総裁、第二次近衛内閣外相等を歴任。裁判中に病死。後に靖国に合祀

*8:アメリカの政治戦略から裁かれなかった人間の例としては「昭和天皇」「731部隊の石井四郎」等がいます。

*9:五代目古今亭志ん生のこと

*10:1989年、文学座松本修を中心に結成。2016年3月の『あなたに会ったことがある・4』の公演をもって、活動休止(MODE - Wikipedia参照)

*11:1927~2011年。放送作家だった井上ひさしと知り合い、NHKラジオドラマ『モグッチョチビッチョこんにちは』(1962年)、NHKテレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964~1969年)、『ネコジャラ市の11人』(1970~1973年)、劇団テアトル・エコーの公演作品など、井上が脚本を手がけた作品で音楽を担当。井上ひさし主宰の劇団「こまつ座」では初回公演から音楽を担当しており、『決定版・十一ぴきのネコ』(1989年)で紀伊國屋演劇賞の個人賞を受賞(宇野誠一郎 - Wikipedia参照)。なお、NHKテレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964~1969年)、『ネコジャラ市の11人』(1970~1973年)にはテアトルエコー代表を務めた熊倉一雄が出演しており、そのときの縁でしょうが、こまつ座「夢の泪」の稽古に奮闘中! 20年以上も前の作品なのに、今の日本への警鐘としか思えない井上ひさし作品|日刊ゲンダイDIGITALが指摘するように、一時、井上はテアトルエコーに在籍しました。

*12:存命ならば無罪となることは無く何らかの刑罰が下ったとみられてはいますが

*13:伊藤弁護士を演じたラサール石井のこと