参院選で大敗したのは自民党だけではなく、共産党も同じく大敗した。共産党の閉鎖的・権威主義的体質も国民から拒否された (広原盛明氏) /三重県知事選(9/7)の出口調査で共産支持層が共産系候補に投票した比率は約3割に過ぎなかった (驚) - kojitakenの日記
もちろん、そういう話(閉鎖主義的、権威主義的体質*1)ではなく、「今の日本が右傾化してる」「左翼の力が衰退してる」という話です。
後は「立民、共産、社民」が「古い既成政党」扱いされ、国民民主、参政が「新しい政党」扱いされ、「1990年代の日本新党、新党さきがけ、新生党」「しばらく前までの維新」のように支持されたと言うことか?
「左翼の力が衰退してる、日本が右傾化してる」と言う事実から目をそらし、共産に悪口のみするid:kojitakenや広原(自己認識は左派のはず)には心底呆れます。そんなに「自分(kojitakenや広原)を含む左翼が右翼に敗北してる」と言う事実を直視したくないのか?
共産に悪口するよりも「左翼の力が衰退してる、日本が右傾化してる」と言う事実を直視し、それにどう立ち向かうかを考えたらどうなのか?
kojitakenの記事タイトル『参院選で大敗したのは自民党だけではなく、共産党も同じく大敗した。共産党の閉鎖的・権威主義的体質も国民から拒否された (広原盛明氏)』(広原主張の引用)には「議席を伸ばした参政党や国民民主党ってそんなに自由な党風なんだ?。そんなわけねえだろ?(特に参政党は)。
石橋学 (ジャーナリスト) - Wikipedia
2025年7月22日、参政党が国会内で開いた記者会見において、石橋が取材を拒否された。
ということで記者会見から神奈川新聞の石橋学記者を排除したり、TBS報道特集を恫喝したのが参政党だぞ(例えば、他にも拙記事
新刊紹介:「前衛」2025年10月号 - bogus-simotukareのブログで紹介した◆メディア時評・テレビ「参政党とマスメディア」(沢木啓三)参照)」「そんなもん(閉鎖主義的体質云々)を重視する国民なら参政党が議席増なんかねえよ」と聞きたくなりますね(呆)。
それともまさかとは思いますが、id:kojitakenや広原は「石橋記者の排除は何ら問題なかった。悪いのは石橋と神奈川新聞だ」「TBS報道特集への参政党の非難も正当だった」「参政党は閉鎖主義的でも権威主義的でもない」と参政党を擁護するのか?
さすがにそうではないでしょうが、その時点で「閉鎖主義、権威主義」云々という共産への批判には何の説得力も無い。
参院選で自民や共産よりさらに深刻な負け方*2をした政党があり、それは立憲民主党(立民)であって、立民凋落のもっとも良い指標は政党支持率だと私は考えているが、それについてはこの記事ではこれ以上書かない。
立民シンパとしてあまり立民批判したくないと言うことですね、分かります。
立民シンパなんだから自民や共産に悪口するよりも「立民の巻き返し」でも真剣に論じたらどうなんですかね。まあ、今日、書かないだけではなく今後も書かないでしょうね。
志位は委員長職こそ退いたものの議長として今なお党の全権を掌握している
前も書きましたが「全権って何?」ですね。
委員長(党首)こそが「全権」ではないのか。
それともkojitakenの理解では「議長=全権」なのか。
これは「志位議長(田村委員長)だけでなく、宮本議長(不破委員長)、不破議長(志位委員長)も全権」だったのかはたまた志位議長だけが「全権」なのか?。kojitakenの駄文を読んでも、【1】故意に曖昧にしてるのか、【2】バカで文章力が無いからか、はともかく、その辺りは全く分かりません。類友連中(例:宮武嶺)もよくこんなバカをチヤホヤできるもんです。
とはいえこんなバカをチヤホヤする人間はもちろん多くはなく、id:kojitakenの共用ブログは「寄稿者もほとんどいない開店休業状態」ですが(特に「鍋パーティー」云々が)。
最近は共産党から離れた人が増えたり、党を批判する支持者が増えるなどしている
「増えてると見なす、根拠は何?」ですね。
まあ、何の根拠もない決めつけでしょうが。
なお「離党」はともかく「党批判」それ自体は「報復としての除名等がない」限り「党風の自由さ」を示すものではないのか?
「非の打ち所のない100点満点の組織」なんてないわけですから。
なお、「紙屋や松竹の除名」は「反党行為(党方針「日米安保廃止」を否定し、安保容認を要求)に対する除名」であって「党批判に対する報復」ではないでしょう。
今なお党執行部に忠誠を誓う支持者の中には、そういう人たちを「反党分子」などと攻撃する向きもあるが、それなら今なお執行部に忠誠を誓う人たちはご立派な人たちばかりなのだろうか。
具体例も挙げずに「(紙屋や松竹の?)党批判は正当。批判に賛同しない奴は党盲従分子(党に忠誠を誓ってる)」と決めつけるkojitakenには呆れますね。
問題は「誰(紙屋や松竹?)がどんな批判をして、それを党支持者がどう反論したのか」であってそれなしで、「党批判は正当。批判に賛同しない奴は党盲従分子」と決めつけることなどできはしません。
少なくとも党支持層の多く(特に【1】俺のような党外のソフト支持者、【2】党員、後援会員、サポーターというコア支持者だが、党中央委員、国会議員などの要職に就いてるわけでもなく、党に対し大してしがらみもない)は「主観的には忠誠など誓っておらず、松竹や紙屋が間違ってると思うから批判してるだけ」でしょう。
というか、「お前(一部の党批判派)は間違ってる。お前よりも党の方が正しい(党支持者)」と言う指摘は「俺は立派な人間だ」と言う意味ではないし、その屁理屈なら「野田立民党代表、志位共産委員長、山本れいわ代表」と「その支持層(党員、サポーターなど)」に悪口するkojitakenはさぞや自分のことを「俺は立派な人間だ」とふんぞり返ってるのでしょう(嫌みのつもりですが、実際そういう思い上がったバカがkojitakenかもしれない)。
むしろkojitakenが持ち上げる「紙屋や松竹」の方が「俺は立派な人間だ」とふんぞり返ってるが、彼らが批判する共産党執行部と比べても世間に評価されず、相手にされてないように見えますが。
上記Xに貼られた画像を見る限り、共産系候補に投票した共産支持者は3割ほどしかおらず、最多は右派ポピュリズム系(約4割)に流れ、残りは自公立相乗り候補に流れた。
これが党員や支持者への締めつけを強めたあと、現在も残っている共産支持層の実像だ。
これからいえることは、いかに党が締めつけを強めたところで、良質な議員や支持者ばかりが残るわけではないという、考えてみたら当たり前の話だ。
締め付け云々は全く関係ないでしょうね。
そもそもここでの「共産支持」には「党外のソフト支持」も含まれ「現職(三重県知事)の一見*3(再選)」「伊藤」に投票した共産支持層の多くは「党外のソフト支持層(共産以外に投票することもありうる)」であり、kojitakenが「党盲従」と侮辱する「コア支持者(党員、後援会員、サポーター)の多く」は共産候補に投票したとみるべきでしょう。
「党外のソフト支持層」なんだから当然、彼らには「締め付け」の影響などないでしょう。党外の人間を締め付けようがない(そもそもkojitakenの言う「党の締め付け」などないと思いますが)。
新自由主義云々というkojitakenですが、そういうことではなく「自公、立民相乗り(なお、一見の初当選時は国民民主も相乗りしたが、今回は自主投票)」という「オール与党体制の現職・一見」が嫌われたが、残念ながら「一見批判派」は必ずしも左派ではなく、右派が多く、そうした右派が「伊藤」に投票したとみるべきでしょう。
なお、今回、共産が支持した石川候補ですが「建設会社社長(党役員や党所属地方議員ではない?)」だそうで、どこまで共産色の強い候補だったのかも議論の余地があるのではないか。