「倫理観の神髄」を見ながら民衆に分け入った中村医師 - 高世仁のジャーナルな日々
外国NGOを歓迎するタリバン - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。
私はきょう、ペシャワール会の現地事業体PMSのプロジェクトを回ったが、あらかじめ女性には近づかないように、カメラを向けないようにと何度も念押しされた。ここでは女性は家の中にいるのが基本で、家人以外の男性に姿を見せることさえ禁忌なのだ。
建設現場にもパイロットファームの畑にも女性の働く姿はない。PMSに聞くと、女性スタッフは診療所の女医だけだという。
(中略)
中村さん*1は「農村部の後進性」のなかに「倫理観の神髄」を見たのである。
中村さんは(中略)近代が「人権」を叫ぶかたわらで弱者を切り捨てると喝破している。
まあこの辺りは難しいですね。現実を無視して上からの「近代化」「人権改善」をやっても「草の根の支持がない」ので失敗することはあり得るでしょう。
しかし「草の根の支持」を必要以上に重視したらいつまで経っても人権改善や近代化ができない。それで良くはないでしょう。
高世が書いている「アフガン女性の社会進出」の問題で言えば「アフガン」はいつまでもこれではダメでしょう。勿論「女性の自己実現」という人権的な問題もあります*2が、それ以前にこれでは社会が近代化できない(いつまで経っても貧乏国家)でしょう。実利的な意味で問題がありすぎる。
あるいは「例は何でもいい」のですが、日本で「欧米に比べて女性の社会進出が進まない(あるいはLGBTや外国人への差別意識*3が未だに高い)」「死刑が廃止されない」のも全て「国民の人権意識が弱いから」でしょう。しかし、それを「草の根」云々で正当化したらいつまで経っても人権は改善しません。
「草の根の国民感情に配慮しながら、どうそれを変えて、近代化、民主化していくか」と言う問題意識が重要でしょう。
戦後日本は「上(GHQ)からの改革」であり、「不十分な面(昭和天皇、井野碩哉*4、賀屋興宣*5、岸信介*6、重光葵*7、鳩山一郎*8、吉野信次*9など戦前派(多くは戦前美化の右派)も、戦後になっても健在で、政治に無視できない影響を与えた→安倍首相の靖国参拝はその一例)」があったとはいえ「天皇象徴化、及びそれに関連して大逆罪や不敬罪の廃止」「政教分離(国家神道の廃止)」「農地改革」「財閥解体」「労組や共産党の合法化(労働組合法の制定や治安維持法の廃止)」「女性の参政権」等という「一定の近代化、民主化」に成功しました。
高世とて日本の「戦後改革」を「押しつけ憲法」「伝統無視」などと産経らウヨのように全否定はしないでしょう。
問題は「近代化、民主化の手法」であって「近代化、民主化それ自体」ではない。
勿論そうした問題意識が「アフガンでは外国人である中村氏」に弱かったとしてもそれは仕方がないことです。
中村氏にとって最大の問題意識は「アフガン人の貧困脱出」です。それは少なくとも短期のスパンでは「民主化、近代化」とイコールではないでしょう。
また、「中村氏のような外国人」が「民主化、近代化」を上から振りかざしても恐らく、「よそ者が何様だ」という反感を買うだけで上手くはいかないでしょう。「民主化、近代化」でせいぜい「中村氏のような外国人」にできることがあるとするならば「アフガン人が自発的に始めてる民主化、近代化の動き」を応援するくらいのことです。
だからといって高世のこの記事のように「伝統万歳」ではあまりにも問題がありすぎます。
以前から高世は
【ブータンガー】
◆ブータンの幸せ - 高世仁のジャーナルな日々2011.11.18
◆さわやかな映画「ブータン 山の教室」 - 高世仁のジャーナルな日々2021.4.7
→拙記事高世仁に突っ込む(2021年4/8日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでは、高世記事さわやかな映画「ブータン 山の教室」 - 高世仁のジャーナルな日々のブータン美化を批判し、id:Bill_McCrearyさんやnordhausenさんにも概ね賛同頂くコメントを頂きました。
【江戸時代ガー】
◆かつて日本は子どもの楽園だった - 高世仁のジャーナルな日々2019.2.28
◆かつて日本は子どもの楽園だった(2) - 高世仁のジャーナルな日々2019.3.7
◆かつて日本は子どもの楽園だった(3) - 高世仁のジャーナルな日々2019.3.31
◆かつて日本は子どもの楽園だった(4) - 高世仁のジャーナルな日々2019.4.22
→「間引きがあった」江戸時代がそんな「単純に美化できる世界ではないこと」を指摘し拙記事
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/1分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/8分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/1分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/23分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログで高世を批判しました。
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/1分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/23分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ
ではid:Bill_McCrearyさんにも概ね賛同頂くコメントを頂きました。
【宮本常一*10ガー】
◆宮本常一が見た昔の日本人1 - 高世仁のジャーナルな日々2017.8.8
◆宮本常一が見た昔の日本人2 - 高世仁のジャーナルな日々2017.8.10
等を書いてやたら「伝統万歳、美化(どう見ても明らかに事実に反する)」の傾向がありますが。ブータンだって「近代化、民主化」は当然必要でしょう。江戸時代や「宮本常一が描いた昔の日本」だって、高世のように単純に「古き良き世界」と美化できる代物ではないでしょう。
最後に「高世の中村氏美化」に対する批判として死人に口なしとはこのことだ(こんなことに黒澤明や中村哲を持ち出すな(呆れ)) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)を紹介しておきます。
外国NGOを歓迎するタリバン - 高世仁のジャーナルな日々
アフガンリポートとやらが書かれていますが「高世フェイスブックの転載」だそうです。
NGOを管轄するのが経済省というのに違和感をもつが、タリバンはNGOを外国からお金をもってくるパイプと位置付けているのではないか。
であるにすぎないのであれば、「NGOが政府批判」の場合、歓迎どころか「抑圧、弾圧」に動く危険があるわけで、当面は様子見ではないか。
「中村医師はアフガニスタン人のために命を投げ出して献身されました、日本の皆さんに心からの感謝を申し上げます」と神妙にあいさつ。
全くの嘘とは言いませんが高世が日本人である以上、当然、社交辞令の要素はあるでしょう。
所長、「あなた方には特別に護衛を2人つけてあげます」と言う。
「護衛的要素がゼロ」とは言いませんが、高世が悪口雑言する北朝鮮の「監視員」と同じでしょう。あれも建前は護衛兼案内人にすぎません。
中村哲さん殺害3年 今も活きる業績とアフガン情勢 - 高世仁のジャーナルな日々
北朝鮮の「核」と「収容所」のおぞましい関係 - 高世仁のジャーナルな日々(2022.11.9)発表後、24日ぶりの登場ですが、高世が関わったという
【中村哲さん殺害3年 今も活きる業績とアフガン情勢】
12月5日(月)21:00〜21:54
BS11イレブン「報道ライブ・インサイドOUT」
の番宣しかやってない中身の薄い記事です。高世ももはやブログ記事を書く意欲を失ってるのか。
*1:1946~2019年。ペシャワール会現地代表。著書『アフガニスタンの診療所から』(1993年、ちくまプリマーブックス→2005年、ちくま文庫)、『アフガニスタンで考える:国際貢献と憲法九条』(2006年、岩波ブックレット) 、『天、共に在り:アフガニスタン三十年の闘い』(2013年、NHK出版)、『アフガン・緑の大地計画:伝統に学ぶ潅漑工法と甦る農業』(2017年、 石風社)、『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」:中村哲が本当に伝えたかったこと』(2021年、NHK出版)など
*2:赤字部分(高世ではなく俺が赤字にしました)をもじればそれこそ「多数派が『伝統』を叫ぶかたわらで弱者(社会進出したい女性)を切り捨てる」ではないのか。全てのアフガン女性が社会進出したがってるとみるのは勿論間違いでしょうが、こうした状況を全てのアフガン女性が積極的に受け入れてると見るのも間違いでしょう。「青鞜社の平塚雷鳥」のような存在もアフガンにいるとみて当然です。
*4:戦前、第二次、第三次近衛、東条内閣農林相。戦後、岸内閣法相
*5:戦前、第一次近衛、東条内閣蔵相。戦後、戦犯として終身刑となるが後に仮釈放。公職追放も解除され政界に復帰。池田内閣法相、自民党政調会長(池田総裁時代)など歴任
*6:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相などを経て首相
*7:戦前、東条、小磯内閣で外相。戦後、戦犯として禁固7年。服役後、公職追放が解除されて政界に復帰。改進党総裁、日本民主党副総裁(鳩山総裁)、鳩山内閣外相など歴任
*8:戦前、田中内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相を歴任。戦後、日本自由党総裁、日本民主党総裁、首相、自民党総裁を歴任
*10:1907~1981年。武蔵野美術大学名誉教授。著書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(1981年、中公新書)、『家郷の訓』、『忘れられた日本人』(以上、1984年、岩波文庫)、『塩の道』、『民間暦』(以上、1985年、講談社学術文庫)、『ふるさとの生活』(1986年、講談社学術文庫)、『庶民の発見』(1987年、講談社学術文庫)、『民俗学の旅』(1993年、講談社学術文庫)、『日本の村・海をひらいた人びと』(1995年、ちくま文庫)、『空からの民俗学』、『女の民俗誌』、『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』(以上、2001年、岩波現代文庫)、『イザベラ・バードの日本奥地紀行』(2002年、平凡社ライブラリー→その後、『イザベラ・バードの旅:「日本奥地紀行」を読む』と改題し、2014年、講談社学術文庫)、『日本文化の形成』(2005年、講談社学術文庫)、『山に生きる人びと』(2011年、河出文庫)、『生きていく民俗』、『民俗のふるさと』(以上、2012年、河出文庫)、『日本人のくらしと文化』(2013年、河出文庫)、『海に生きる人びと』(2015年、河出文庫)、『辺境を歩いた人々』(2018年、河出文庫)など