常岡浩介がリツイート
とみ
・北方領土、あと「ダレス*1の恫喝」とか「米国が返還を妨害した」とか信じている人が少なからずいるいるようだけど何?。反米正義の出汁にもならないんだけど。そもそもロシアは還す気が一片もないわけだし
「アホか?」ですね。
「信じるも何も」、二島返還で片を付けてもいいかな?という動きを見せた鳩山一郎*2政権に対し、ダレス国務長官から「そんなことをしたら沖縄を返さない」と恫喝が入って「四島返還方向」になったのは有名な話なんですけどね。
そこで「でもソ連(ロシア)にはそもそも島を一つも返す気が無いから」なんてのはダレスの恫喝を正当化する理由には全くなりません。
どんだけこいつらは米国に甘いのか。こいつらのロシア批判が人権でもなんでもなく単に「米国ポチだから」と言うことがよく分かる話です。
参考
ジョン・フォスター・ダレス - Wikipedia
ダレスは日本の重光葵*3外相とロンドンで会談を行い、重光に対して北方領土の択捉島、国後島の領有権をソ連に対し主張するよう強く要求し、「もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とする」と指摘して日本側の対ソ和平工作に圧力を加えたとされる(松本俊一・佐藤優『日ソ外交回復秘録』(2012年、朝日新聞出版)。
北方領土問題 - Wikipedia
1956年7月、重光葵外相を主席全権、松本俊一(元外務次官)を全権として、モスクワで、日ソ平和条約交渉が再開された。当初、重光は四島返還を主張したが、ソ連の態度が硬いと見るや、8月12日、歯舞・色丹二島返還で交渉を妥結することを決心し、本国へ打診。しかし、8月19日に重光はロンドンで行ったアメリカのダレス国務長官との会談の席上、ダレスに択捉島、国後島の領有権をソ連に対し主張するよう強く要求される(松本俊一・佐藤優『日ソ外交回復秘録』(2012年、朝日新聞出版)。なお、この会談の記録は外務省に保管されており、鈴木宗男*4衆院議員が2006年2月に、松本の書籍の内容が事実であるかどうかを政府に質問したが、政府は今後の交渉に支障を来たす恐れがあるとして、明確な回答を一切避けた。