今日の中国ニュース(2020年8月30日分)

日本ドラマに再び注目、中国で80年代懐古ブーム【洞察☆中国】:時事ドットコム(2020年8月26日)

 現在50歳以上の(ボーガス注:中国)人であれば、知らない人がいないほど有名な日本のテレビドラマが、TBS系列の「赤い疑惑」(中国名「血疑」)と、テレビ朝日系列の「燃えろアタック」(中国名「排球女将」)である。
 「赤い疑惑」の山口百恵三浦友和は当時、(ボーガス注:映画『君よ憤怒の河を渉れ』の)高倉健と並び、中国で一番有名な日本人となり、今でも伝説のように語り継がれる存在である。
 そして、「燃えろアタック」は、バレーボールに情熱を傾けた少女たちが、どんな困難な状況であっても、一致団結して頑張って、必ず勝つという感動物語である。
 日本では、それほど知られていないようだが、中国では当時、80%以上の視聴率を獲得し、放送時は街角から人影が消えると言われた。
 故に、ヒロイン「小鹿ジュン」(中国名・小鹿純子)を演じた荒木由美子さんは、40年近くたった今でも、役の「小鹿純子」がご本人の名前代わりとなって、高い知名度がある。
 世界で有名な中国電子商取引大手、阿里巴巴(アリババ)集団の創業者、馬雲(ジャック・マー)氏はかつて来日した際、「荒木由美子さんにお会いしたい!。なぜなら、我々は『燃えろアタック』の負けない精神に激励され、歯を食いしばって頑張ってきたからだ」と語った。
 また、今年1月に荒木さんが上海に招かれ訪れた際、大勢のファンが駆け付けて、その人気ぶりに衰えはなかったという。

 面白ニュースとして紹介しておきます。

【参考:「赤い疑惑」「燃えろアタック」「姿三四郎」と中国】
 日本でも大人気で「山口百恵の代表作」となった「赤い疑惑」はともかく「燃えろアタック」「姿三四郎竹脇無我が主演した1970年・日本テレビ版)」、あるいは「燃えろアタック主演の荒木由美子」は失礼ながら、日本において知名度が高いとは言いがたいでしょう。なかなか面白い現象かと思います。

第48回 中国人に深い印象を残した日本のテレビドラマ_中国国際放送局(2018年5月8日)
 1970年代末頃に、中国の改革開放が始まるにつれて、日本のテレビドラマが初めて中国のテレビ局で放送されるようになりました。「赤い疑惑」、「姿三四郎」、「燃えろアタック」などのドラマは大ヒットし、その世代の人々の共通した思い出として深く印象に残りました。
 山口百恵三浦友和主演の「赤い疑惑」は、白血病の17歳の幸子が闘病生活を送りながら、互いにひかれあった光夫との本当の関係が明らかになっていく物語です。美しくも悲しい恋物語は、当時の中国人視聴者の心を打ちました。そのテーマ曲「ありがとう あなた」は中国全土で大流行し、日本語ができない人も、日本語の歌詞を覚えて歌えるほどです。
 「赤い疑惑」に続き、中国で大ヒットしたもう一つの日本のテレビドラマに「燃えろアタック」があります。これは若い女性が主役のドラマで、荒木由美子さんが演じる小鹿ジュンを中心として、バレーボールに情熱を傾けた少女たちの物語です。中国で放映されたのは1980年代の半ばごろ。ちょうど改革開放が始まって、自らの長所を生かすチャンスに恵まれるようになってきた時期です。負けず嫌いで、どんな時でも自信満々で困難に立ち向かうヒロインは、当時の中国人の精神にぴったりと合っていたことから、中国では日本以上にヒットした作品となりました。視聴率は80%以上にもなり、主演の荒木さんは多くの中国人ファンを引き付けました。
 そのファンの中の一人に、電子商取引で中国一の規模を誇るアリババグループのジャック・マー会長がいます。普通の教師から、今日の億万長者になるまで多くの難題を乗り越えてきました。困難を恐れず、最後までやりぬく精神は、ドラマ「燃えろ、アタック」からも学んだと言われています。
 また、2004年に「燃えろアタック」が中国放映20年を迎えるにあたって、中国中央テレビは、荒木由美子さんをゲストに招いて、芸能界のスターを紹介する番組「芸術人生」を放送しました。

「赤い疑惑」の宇津井健死去 中国でも高い人気--人民網日本語版--人民日報(2014年3月18日)
 中日国交正常化に伴い、日本のドラマやアニメが中国で放送されるようになった頃、山口百恵主演の日本ドラマ「赤い疑惑」(中国名:血疑)が、多くの中国の人々を感動させた。中国の無数の人々がヒロイン幸子の病状を気に掛ける一方、宇津井健演じるクールな外見に反する慈愛に満ちた「良き父親」のイメージが視聴者から高い人気を博した。中国人にとってなじみ深いこの父親・大島茂役を演じた日本のベテラン俳優、宇津井健がこのほど病気のため亡くなった。享年83歳。
 宇津井健山口百恵三浦友和が共演したドラマ「赤い疑惑」(1975年)は、日中平和友好条約が締結された後、中国で放送されて一躍大ブームを引き起こし、当時中国人の間で最も人気のドラマとなった。80年代に中国で放送された日本の映画・ドラマの中で、中国の人々が最もかっこいいと評した2大中年俳優が、映画「君よ憤怒の河を渉れ」(中国名:追捕/1976)の高倉健宇津井健だった。
 1984年に「赤い疑惑」が中国で放送されるやいなや、たちまち大人気となった宇津井健は、その後中国に招かれ、当時の中国指導部と接見したり、中国中央テレビ局(CCTV)の番組に出演したりして大きな話題を呼んだ。
 1985年には、宇津井健は「赤い疑惑」で中国のエミー賞と称される第3回「金鷹電視芸術賞」の最優秀外国人男優賞に選ばれた。これ以降、同部門は金鷹賞から姿を消したため、宇津井健は、今でも金鷹賞における唯一の最優秀外国人男優賞受賞者となっている。

中国人はなぜ高倉健さんを尊敬するのか?|日経BizGate
 1978年10月、「日中平和友好条約」の発効を祝うイベントとして、中国の主要大都市で「日本映画週」が開催され、高倉健さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」(中国語訳名:追捕)など3本の日本映画が史上初めて上映された。当時中学生でチケットを手に入れることができなかった筆者がはっきり覚えているのは、一番乗りで映画鑑賞から帰ってきた近所のガキ大将がみんなの前で自慢話を披露していた、あの興奮ぶりだ。
 一方、筆者の人生の進路に決定的と言っても過言ではない影響を与えたのは、「遥かなる山の呼び声」だった。高校時代、大学受験を前に、学生たちは理系クラスか文系クラスかの選択を迫られる。筆者も先生のアドバイスに従い、文科クラスを選択してから猛烈な受験勉強が始まった。ある日、気晴らしに映画館に行き、そこで見た映画が、高倉健倍賞千恵子主演の「遥かなる山の呼び声」だった。
 中国語吹き替え版の名声優の魅力的な声も手伝って、筆者はとにかく完全にこの映画のとりこになってしまった。北海道の美しい大自然はもちろん、民子(倍賞千恵子)を助けたり、民子の息子である武志(吉岡秀隆)に馬乗りを教えたりする田島(高倉健)の格好よさに痺れるほど感動した。そこには、これまで抱いていたイメージとは全く違う日本や日本人の姿があり、その日から筆者にとって高倉健さんは夢や憧れを与えてくれる存在となった。
 後日、担任の先生の部屋へ行って、受験希望を文系から外国語専攻に変更したいと相談したら、もともと名門外国語大学卒の先生は「君の意見を尊重する」と笑顔で賛同してくれた。しかし、「先生、大学に入ったら、英語ではなく日本語を勉強したい」と言った瞬間、先生の表情が曇り始め、「ずっと英語を勉強してきたのに、大学から日本語をゼロから勉強しなければならないのは大変だ。それに卒業後、英語に比べたら就職のチャンスもかなり少なくなるよ」と親身になって心配してくれた。
 それまでは日本と縁もゆかりもなかった高校生がなぜこのような決断をしたのか、そしてその後なぜ人生の大半を日本で過ごすようになったのか。振り返ってみれば、あの映画に背中を押されたといえるかもしれない。
 1984年9月に、胡耀邦共産党総書記(当時)の招きで、日本から3000人の代表団が中国を訪れ、「赤いシリーズ」で中国においても国民的な人気を博していた俳優の宇津井健さんも参加した。その際に開かれた中国側の歓迎宴会で、共青団総書記だった(ボーガス注:後の国家主席、党総書記である)胡錦濤氏がにこやかに宇津井健さんらと談笑する貴重な写真をどこかで見かけたことがある。
 当時、政治や外交の場面では経済の近代化を実現するため、資金や技術を有する日本からの協力が欠かせないといった中国側の期待があったに違いないが、一般市民にとっては、映画、テレビドラマから家電製品、車まで、日本はとにかく輝かしい憧れの存在だった。

燃えろアタック - Wikipedia
 1979年1月5日から1980年7月11日にテレビ朝日系列で放送された。当時、テレビ朝日では1980年のモスクワ五輪を民放独占中継することを決めていたこともあり、そのプロモーションという意味合いを込めて、主人公・小鹿ジュン(荒木由美子)を中心としたバレーボールに情熱を傾けた少女たちの物語として展開された。しかし、放送中に日本がモスクワ五輪をボイコットする事が決まり、ドラマの結末(主人公ジュンがモスクワ五輪・日本代表選手に選ばれる)と現実の状況(日本選手がモスクワ五輪に出場できない)とが大きく異なる。

「燃えろアタック」(1)「70後」、感動再び_China.org.cn(2008年6月27日)
 日本初期のアイドルドラマ「燃えろアタック」(中国名:「排球女将」)は多くの人にとって今もなお記憶に新しい。
 80年代、女子バレーボールの選手が主役のドラマ「燃えろアタック」が中国で初めて放映された。その頃、中国の女子バレーはちょうど最盛期に入り、バレー人気が中国を席巻。そして、多くの視聴者が「燃えろアタック」から目が離せなかった。ドラマの中で、小鹿ジュンを代表とする活気溢れるバレー部の乙女たちは視聴者に青春と活力を感じさせた。
 張丹さんは当時、熱烈な「燃えろアタック」のファンだった。「『ひぐま落とし』や『UFOサーブ』など必殺技の名前なんて全部覚えていたわ。あと、彼女たちの動作を真似て、うちでバレーボールの練習もしてた。当時はほとんどの女の子が小鹿ジュンの髪型を真似て、『ひぐま落とし~』なんて叫んだものよ。このドラマをまた見て、当時の青春時代を思い出したわ」と懐かしそうに話す。

『燃えろアタック』主演女優に中日友好貢献賞=東京_中国国際放送局(2018年12月25日)
 中国のマイクロブログサイト『微博(ウェイボー)』が毎年開催している「時の人、時の事件」を選出するイベントがこのほど東京で開催され、『燃えろアタック』主演の荒木由美子さんに「中日友好貢献賞」が授与されました。『燃えろアタック』は、中国の女子バレーが世界をリードしていた1980年代に中国でも放映され、主人公の小鹿純子の不屈の精神が多くの中国の若者世代を魅了しました。
 『ウェイボー・ナイト」と呼ばれるこのイベントは、2003年から始まった中国のインターネット界の晴雨表とも呼ばれるイベントで、海外で開催されるのは今回が初めてだということです。

都内で中国建国70周年記念コンサート、「小鹿ジュン」が熱唱 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News(2019年10月4日)
 東京・中野区の「なかのZERO」で9月27日に開催された「中華人民共和国建国70周年記念コンサート」に、歌手で女優の荒木由美子さんが出演し、熱唱した。
 荒木さんが主演を務めた日本で1979年に放送されたスポーツ根性ドラマ『燃えろアタック』は、テレビが普及し始めた中国でも放送され、旋風を巻き起こした。荒木さん演じる「小鹿ジュン」の髪形をまねたり、ドラマのバレーボール技を練習したりする少女がたくさんいたほか、不屈の精神が多くの中国の若者世代を魅了した。

荒木由美子が上海で自身のブランド発表、往年の名曲も披露--人民網日本語版--人民日報(2020年1月8日)
 40年前、「燃えろアタック」(中国語タイトルは「排球女将」または「青春的火焔」)という青春スポーツ根性ドラマがアジアで一世を風靡し、荒木由美子はこのドラマのヒロイン「小鹿純子」を演じたことで、多くの中国人視聴者に愛される日本人女優となった。
 1月6日夜、上海で「2020・世紀の歌声・音楽の架け橋」新年コンサートが行われ、中日の芸能界から数多くの実力豊かな有名歌手らが出演した。荒木由美子も出演し、観客を前に歌を3曲披露した。舞台の後ろにあるスクリーンには、「燃えろアタック」の劇中写真と荒木由美子の幼少期から現在までの写真が次々と映し出され、会場の観客に、中国での放映当時誰もが夢中になって「燃えろアタック」を見た往年の日々を思い起こさせていた。

「小鹿純子」が再び中国に 変わらぬ歌声を披露 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News(2020年1月8日)
 中国では「小鹿純子」の愛称で知られる日本の歌手で女優の荒木由美子さんが6、7両日、上海市の中国大戯院でコンサート「世紀唱響・音楽橋梁」に出演した。ドラマ「燃えろアタック」の主題歌などを歌い、中国ツアーのスタートを切った。
 1979年、当時19歳の荒木さんが出演したテレビドラマ「燃えろアタック」は、80年代初めに中国で放送されると大人気ドラマシリーズとなり、荒木さんが演じる「小鹿ジュン」は、当時の中国の視聴者にとって忘れられない記憶となった。
 今回のコンサートはツアーの1カ所目で、荒木さんは引き続き浙江省寧波市など各都市を訪れ、さらに多くのファンと触れ合う予定。

30年前、みんな竹脇さんの「姿三四郎」が好きだった―中国 (2011年8月23日) - エキサイトニュース(2011年8月23日)
 俳優の竹脇無我さんが21日、67歳で亡くなった。中国では1981年に主演ドラマ「姿三四郎」が上海テレビで放送されたことから、中年者以上の世代に名前が知られている。
 中国語版プロデューサーの蘇秀氏は自著『私のアテレコ人生』の中で、当時の盛況ぶりを振り返った。
 ドラマを見るために帰宅する人が続出して街から人が消えた、というエピソードのほかに、「娘たちは三四郎に嫁ぎたいと騒ぎ、小中学生も友を愛す一方でつらい修行に励み優れた技を身に付けた三四郎をお手本にした。小学生たちは教室の椅子を壊して、先生を悩ませた。吹き替えの声優は一躍スターになったし、病院に行くと医者や看護師がこぞって物語の結末を聞いてきた」など、当時の熱狂ぶりを明かした。
 上海での人気ぶりをうけて北京でも放送された際、当時夜間停電を実施していた地域でもドラマのために1時間だけ電気を提供する措置がとられたことも紹介。「まさに空前の盛況だった」と振り返った。

中国の元祖アイドル「姿三四郎」、竹脇無我さんが永眠―中国紙|レコードチャイナ
 2011年8月25日、俳優・竹脇無我さんの訃報に中国でも悲しみの声が上がっている。竹脇さんの主演ドラマ「姿三四郎」は30年前に中国でも放送され、「ドラマが始まると街中から泥棒さえもいなくなる」ほどの人気を誇った。東方早報が伝えた。
 1981年、中国の一般家庭に白黒テレビさえまだ十分に普及していなかった頃、竹脇さん主演のドラマ「姿三四郎」の放送が始まった。夜7時、力強い演歌調の主題歌が聞こえ始めると、みな一斉にテレビの前に。中国にまだ「アイドル」という言葉がなかった時代。端正な甘いマスクの竹脇さんはまさにその元祖ともいえる存在だった。
 当時、竹脇さんの「声」を担当した晨光(チェン・グアン)さんもまた、一夜にして大スターとなった。
 なぜ、当時の中国で「姿三四郎」があれほどヒットしたのか。「若者が自分の生きる道を模索する。そこに多くの人が共感したのではないか」と晨さん。当時の中国は文化大革命が終わったばかり。特に三四郎が和尚に言われ続けた「悟りは常に脚下にあるぞ」というセリフが多くの若者の心に響いた。
 だが、それより何より竹脇さん目当てで見る人が圧倒的だった。文革が終わり、新たな価値観を見い出そうとしていた当時の中国の若者に、「人生は自分の努力によって切り開くもの」と教えたのが竹脇さんだった、と記事は伝えた。

【参考終わり】


チェコ代表団が台湾に到着 「卑劣な行為」と中国反発 (写真=ロイター) :日本経済新聞
 なお注意しないといけないのはマスコミ報道に寄れば
1)チェコは中国と国交がある
2)台湾訪問したこの上院議長らは野党議員
3)チェコの政権与党は中国と「台湾問題で対立すること」を「中国ビジネスを理由に」嫌っており、この台湾訪問についても否定的、ということですね。それにしても日経のこの記事がそうしたことに触れず「チェコ与野党共に台湾よりである」かのように誤読させる気満々なことについては心底呆れます。


【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】周庭さんへ 「怖い」という感情を大切に - 産経ニュース

・近年の中国共産党の増長ぶりは目に余る。
・同党の増長ぶりは、ヒトラーの要求を入れてチェコスロバキアズデーテン地方のドイツへの割譲を決めた1938年のミュンヘン会談後のナチスの増長ぶりを想起させる。

 言ってることがまるきり意味不明ですね。是非はともかく香港問題にせよ、チベット問題にせよ、ウイグル問題にせよ、国内問題にすぎず、ナチスの対外侵略とは全然性格が違います。
 もちろん「一帯一路やAIIBのような対外経済進出」も「南シナ海でのフィリピン、ベトナムとの領土紛争」もナチスの対外侵略とは全然性格が違います。単に反共反中国の産経がくだらない因縁を付けてるだけの話でしか無い。