新刊紹介:「前衛」10月号

 「前衛」10月号について「興味のある内容」のうち「俺なりに何とか紹介できそうな内容」だけ簡単に触れます。「赤旗記事の紹介」でお茶を濁してる部分が多いです。
http://www.jcp.or.jp/web_book/cat458/cat/
◆シリーズ座談会・党国会議員団の役割と値打ち①「コロナ禍で、国民の命と暮らしを守る」
(内容紹介)
 シリーズですのでしばらくの間、続くのでしょう。で、今回はコロナ問題です。コロナ関係での共産党の主張、運動については新型コロナウイルス - キーワード(赤旗)を紹介しておきます。で、これらの多くはもちろん「共産党だけが主張していたわけでは無い(他の野党や市民団体なども主張していた)」ので「共産党だけの手柄では無いこと」をお断りしておきますが、コロナ関係での共産党の「手柄」を思いつくままに書けば
1)10万円給付の実現
2)様々なコロナ支援策での風俗業関係者差別の是正
3)gotoトラベルからの東京除外(現在、「コロナがピークを脱した」と言う口実で東京を入れようと画策しているようですが)、などがありますね(他にもあるでしょうが)。


◆女性の権利を国際基準に:女性差別撤廃条約選択議定書の批准を(井上哲士*1
(内容紹介)
 まあ、副題の『女性差別撤廃条約選択議定書の批准を』がこの論文の「最も言いたいこと」ですね。赤旗の記事紹介で代替します。
赤旗
女子差別撤廃条約の選択議定書とは?

女性差別撤廃 選択議定書批准早く/政府に仁比氏が迫る2018年6月17日
日本共産党の仁比聡平*2議員は14日の参院法務委員会で、女性差別撤廃条約選択議定書を速やかに批准せよと迫りました。
・「なぜ批准しないのか」との仁比氏の質問に、上川陽子法相は「大変注目している」「真剣に検討する」というだけで、問題点を具体的に示せませんでした。
 仁比氏は、同様の答弁は26年前から繰り返されており、「何年注目していれば気がすむのか」「人権大国どころか人権鎖国だ」と厳しく批判しました。
・さらに仁比氏が、自民党内で続出した「国連に助けを求めるほどの女性差別はない」(「朝日」2009年4月21日付)などの反対意見は「条約の実施という同議定書の意義を誤解するものだ」とただしたのに対し、上川法相は答弁に立てず、山下貴司法務政務官も「外務省に尋ねてほしい」と答弁を拒否しました。

 「日本には国連に助けを求めるほどの女性差別など無いから、国連の条約(女性差別撤廃条約選択議定書)など批准しなくていいby自民」。イヤー「自民なら予想の範囲内」ですが「悪い意味でスゴイ」ですね。さすがに上川法相(当時)も「日本には国連に助けを求めるほどの女性差別など無いから批准しなくていい」とはいえず、一方で党内ウヨが怖くて「そう言う見解は間違ってると思う」ともいえずに事実上の答弁拒否になるわけです。

選択議定書批准へ集会 差別撤廃条約実現アクション/あらゆる分野の女性差別なくす2019年3月6日
女性差別撤廃条約を補完する国際文書である選択議定書の批准をめざして運動を進めようと39団体*3が参加する「女性差別撤廃条約実現アクション」が5日、活動開始を宣言する「キックオフ集会」を衆院第2議員会館で開きました。
日本共産党の本村伸子*4、畑野君枝*5の両衆院議員、紙智子*6、吉良よし子*7倉林明子*8、田村智子*9、山添拓*10の各参院議員、公明党立憲民主党、国民民主党社民党、無所属の国会議員が参加。

 「やっぱり自民と維新(事実上の自民・二軍)はこういう集会にはこういう集会には参加しねえのか、おい(呆)」「アレか、慰安婦(クマラスワミ報告など)、『女性天皇夫婦別姓の導入を求める国連勧告(もちろん女性差別撤廃条約違反の疑いが理由)』とかで国連に変な反感持ってるのか?」「公明は一応参加したのにな」感が半端ない。

女性差別撤廃へ 批准早く/穀田・井上氏 NGOと懇談
議定書批准「早期に」/参院委 女性差別撤廃で井上氏
議定書批准 障害なし/女性差別撤廃条約 井上氏迫る
女性差別撤廃条約/選択議定書 批准早く/実現アクション 署名提出集会
女性差別撤廃条約実現を/アクション 選択議定書批准へ集会/オンラインで各党と交流


◆「世帯主」廃止の今日的意義:家制度の残滓・性差別の根を断つ(髙橋万里)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。もちろん「10万円給付の対象が世帯主でいいのか」と言う問題はありますが「世帯主制度の廃止」はそれとイコールではないわけで、現時点では俺の意見は留保したいと思います。ただし「世帯主制度」を残す場合でも「世帯主」と言う「主と子分」的なイメージを持つ言葉は現在の価値観では問題がありすぎるでしょうから「世帯の(対外的)代表者」「世帯の(世論調査などの)回答者、交渉者」など「用語」は改めるべきかと思います。

参考

https://twitter.com/shiikazuo/status/1284310526768504838
志位和夫
・根拠法である「住民基本台帳法」には「世帯主」について何の規定もない。「世帯主」の定義は(ボーガス注:法よりも下位の規則である)「住民基本台帳事務処理要綱」のなかで次のようにある。
「その世帯を主宰する者」
 「主宰」って何?。「世帯を主宰」って意味不明です。この規定は廃止すべきです。
・国連女性会議文書は、すでに1985年、行政文書からの「世帯主」という用語の廃止を提案しており、各国で用語が廃止されてきました。残っているのは、日本、韓国、台湾などとされています。
 憲法の規定に反し、法律の裏付けもなく、世界の流れに反する、「世帯主」規定は廃止すべきです。

日本共産党創立98周年記念講演会/コロナ危機をのりこえ、新しい日本と世界を――改定綱領を指針に/志位和夫委員長の講演から「世帯主問題」の部分のみ引用
 第七は、ジェンダー平等社会をつくるということです。
 政治の対応の深刻な問題点となったのは、一律10万円給付の受取人を「世帯主」としたことです。戦前の封建的な「家制度」の「戸主」を引き継ぎ、法律の裏付けもなく、日本国憲法の理念にも反する「世帯主」規定を廃止することを、日本共産党は、この機会に強く求めるものであります。

日本共産党創立98周年記念講演会/志位委員長講演党内外から反響から「世帯主問題」の部分のみ引用
◆「当たり前」がきちんとできている党:思春期アドバイザー「あかた・ちかこ」さん
 まずはこの党創立記念講演という大きな場で、「ジェンダー平等」が世帯主規定の廃止とともにきちんと語られたことを、口では「当たり前だろ」と言いながら、内心とてもうれしく思います。わたしたちのこの国では、その「当たり前」が、ずっと蔑(ないがし)ろにされ続けてきたからです。
◆歴史の流れを知って胸が躍りました:性的搾取・性暴力被害の相談支援員「後藤稚菜」さん
 一律10万円の特別給付金で「受給権者」を「世帯主」にしたことが憲法に反すると知り、改めて怒りがこみ上げました。住民票を実家に残す私は、10万円を得るのに「世帯主の父親にお願いしなければいけない」状況でした。個人の権利を、なぜちゅうちょしなければいけないのか。「世帯主」規定の廃止を堂々と言える党に誇りを覚えます。

新型コロナ危機―どうとらえ、どうたたかうか/明るい希望 共有が大事 志位委員長が「Cゼミ」/千葉・船橋から「世帯主問題」の部分のみ引用
 日本共産党志位和夫委員長を講師に迎え、青年・学生の関心で多彩なテーマを学ぶ講座「船橋社会科学ゼミナール」(略称・Cゼミ)が18日夜、千葉県船橋市で開かれました。第2回は「『ポストコロナ』――日本と世界のあり方を考える」。
 一律10万円給付の受け取り人とされた「世帯主」の規定について、記念講演で廃止を主張したことを紹介し、「日本国憲法の理念に反するだけでなく、根拠法となる住民基本台帳法に『世帯主』の定義がありません。事務処理要綱に『世帯を主宰する者』と書かれている。『世帯を主宰』とは意味不明ですね。これは廃止するしかないのではないでしょうか」と話すと、拍手が起きました。

日本共産党の躍進で、「安倍政治」を名実ともに終わらせ、新しい日本を/東京・新宿駅前 志位委員長の訴えから「世帯主問題」の部分のみ引用
 日本共産党志位和夫委員長が8日、東京・新宿駅西口で行った街頭演説は、次の通りです。
ジェンダー平等の社会を:その大切さがコロナ危機でいよいよ浮き彫りに
 最後に第七は、ジェンダー平等の社会をつくろうということです。
 一律10万円の給付、受取人が「世帯主」とされました。そうしますとDV(ドメスティックバイオレンス)で逃げておられる方には、なかなかお金がいきません。私たちは、「世帯主」などという古い「家制度」の名残のような制度は廃止すべきだと思います。

“世帯主に給付金”に噛みつく朝日新聞 日本の「家」制度への嫌悪が滲み出て…(デイリー新潮) - Yahoo!ニュースから「週刊新潮による朝日新聞へのげすな悪口雑言は除いて」紹介
時代に合わぬ「世帯主主義」
 こう題された、「社説余滴」なるコラムが掲載されたのは5月31日付の朝日新聞の朝刊だった。書き手は同紙の司法社説を担当する女性論説委員。コロナ禍を受け、一律10万円の給付金は世帯主の口座に振り込まれるが、それがどうしても気に入らない様子で、同コラム曰く、
〈世帯主が家族の分も使ってしまうかもしれないし、「なぜ夫や親が差配するのか」と引っかかりを感じる人もいる〉
〈家制度は戦後、廃止され、(中略)男女は平等で、家族の中に「主(ぬし)」の存在は想定されていない〉

10万円給付、「世帯主の口座に」で見えたもの:朝日新聞デジタル
 特別定額給付金の10万円は、原則として世帯主の口座に家族全員分が振り込まれます。
 この給付方法が決まると、直後からツイッターでは「世帯主ではなく個人に給付して」と声が上がりました。
 DV(家庭内暴力)や性暴力の被害者を支援するNPO「ハーティ仙台」の代表理事、八幡悦子さんのもとには「夫が独り占めした。子どもの分も合わせると、離婚のための別居資金にできたのに悔しい」といった訴えがあるそうです。
(中略)
 「世帯主ではなく、個人宛てにすれば混乱せずに済んだのにと思います」
 内閣府が開設し、電話やSNSでも相談を受ける「DV相談+(プラス)」にも、世帯主である配偶者や親から暴力を受けていて給付金を受け取れるか不安だ、といった相談が寄せられているそうです。
家族法に詳しい榊原富士子弁護士の話
 米国では70年代から「世帯主」の用語を廃止する動きが起きました。
 そもそも日本のように戸籍制度をもち、住民を「世帯単位」で把握するやり方は、世界でみれば例外的です。児童手当の支給など世帯単位で把握する意味はあると思いますが、今回のような一律給付は、個人が受け取れるやり方にするべきです。


憲法審査会レポート④『200臨時国会~201通常国会:安倍改憲を押し返した国民の声と野党の結束』(佐々木森夢)
(内容紹介)
 安倍がついに明文改憲できなかったことは、「大きな成果」ですが、「次期総裁(菅が有力視される)が改憲問題でどう動くかが読めない」「安倍が敵基地攻撃論で首相の談話(閣議決定では無い)を出すなど最後まで悪あがきしている」現状ではいささかも油断ができないこともまた事実です。
 なお、安倍自民改憲論について言えば、佐々木氏が指摘する通り「9条という本丸」の攻略の難しさから「96条先行改憲論」「コロナを口実とした緊急事態条項改憲論」という「変化球」も出てきた物の「改憲しづらいからルールを変えるなんて邪道」「改憲しないとコロナ対応できないなんて詭弁だ」という批判の前に挫折したわけです。

参考
主張/「安倍退陣」と改憲/9条破壊策動に終止符打とう

敵基地攻撃能力は「必要」 安倍首相が談話「安保政策、年内結論を」:東京新聞 TOKYO Web
 安倍晋三首相は11日、ミサイル防衛に関する新たな安全保障政策の談話を発表した。敵国のミサイル攻撃を防ぐため「迎撃能力」を上回る対策を検討し、与党と協議して年内に結論をまとめると明記した。専守防衛の安保政策を転換し、ミサイルが発射される前に相手国の基地をたたく「敵基地攻撃能力」の保有検討を、事実上促す内容だ。首相は既に米国にもこうした考えを伝えている。退陣する首相が次期政権の安保政策を縛りかねない懸念がある。
 自民党内には「辞めていく首相が方針を決めるのはおかしい」(防衛相経験者)などの異論がある。


新自由主義がもたらした災厄としての新型コロナ危機(二宮元*11
(内容紹介)
 ここでいう「新自由主義」とは歴代自民党政権の「医療軽視(医療予算の削減)」といいかえてもいいでしょう。
 米国の深刻なコロナ蔓延もその背景には「医療の軽視」があるとされるわけで今こそ「目先の利益にとらわれない社会構築」が求められるわけです。


◆「黒人が殺される国」アメリカの深層(矢部武*12
(内容紹介)
・前衛に寄れば

2020年06月: Daily JCJ
◆黒人が殺される国アメリカの深層
   7月4日(土)午後2時から4時
   講師:ジャーナリスト・矢部武さん
  参加費:500円
 5月に米国で起きた警察官による黒人暴行死事件。警官は手をポケットに入れたまま、黒人男性の首を膝で圧迫した。黒人男性は「息ができない」と訴えつづけたが、9分近く首を圧迫されたまま絶命した。
 全米で抗議デモが起きた。「黒人の命は大事だ」と訴える。警備に当たった警察官の中にはデモに共感し、膝を屈して黒人差別に反対する人も現れた。
 この事件の背後にある米国の病理とは。そして日本に存在する民族差別との共通点とは。
【ビデオ会議システムZoomを使っての講演会です。参加ご希望の方は下記をパソコンで入力し、参加費支払いのお手続きしてください】

というJCJ日本ジャーナリスト会議)主催の矢部氏講演会をもとに矢部氏が論文化した物だそうです。
 【オンライン講演】 黒人暴行死で矢部氏が講演 少数派になる白人に不安 米の暗部 KKK時代から=須貝道雄: Daily JCJJCJによる矢部講演会の報告が掲載されています。
・Q&A方式(架空問答)で内容紹介を書いてみます。架空問答なので必ずしもAは本当の矢部氏の発言では無いことをお断りしておきます。
 「矢部氏の論文の趣旨」をオレ流に料理しているところが多々あります(イージーライダー、キクとイサム、人間の証明などは矢部論文に出てくる話では無いです)。当然、【オンライン講演】 黒人暴行死で矢部氏が講演 少数派になる白人に不安 米の暗部 KKK時代から=須貝道雄: Daily JCJと以下の架空問答は内容が「大筋では合致していても」細部までは一致していません。
Q(ボーガス)
「なぜこれほど、黒人差別批判運動(BLM運動)が盛り上がったのでしょうか?」     
A(矢部)
「まず第一にジョージ・フロイド (白人警官に殺された黒人男性) - Wikipediaさん殺害時の動画が衝撃的だったと思います。今はスマホで簡単に動画が撮れるし、撮った動画も簡単にネットにアップできる。
 米国に住む私の知人は「キング牧師*13マルコムX*14が活動していた1960年代だったらあんな動画はアップできなかった。だから水掛け論になってうやむやになってしまう危険性があったろう」と言っていました。
 その動画を見た人々が、イージー・ライダー - Wikipedia(1969年公開)のエンディング(主人公が無法にも射殺される)と何が違うのか?、フロイド氏の死亡は明らかに無法な差別殺人*15では無いか、米国は何も変わっていなかったのか、と衝撃を受けたことが大きかった。第二に今の大統領がトランプであることですね。石橋首相が病気辞任しなければ安保闘争はあれほど激化しなかった、戦犯容疑者でタカ派の岸だからあれほどの闘争になったと良く言われますが、果たしてヒラリー・クリントン大統領だったらあれほど盛り上がったか。白人差別主義者を支持層とするトランプはBLM運動をいたずらに敵視することで運動を更に助長しました。」
Q(ボーガス)
「この一件は大統領選挙にどう影響するでしょうか?」
A(矢部)
「もちろん共和党支持層でも穏健派は『コロナ失政』もあって、更に『トランプ離れ』をしていますが、狂信的トランプ支持者は逆に支持を強めているとも言われなんとも評価は困難です。今危惧されてるのは第一に『何でもあり』のトランプが敗戦を恐れて『コロナを口実に選挙を延期する事(国家安全維持法施行後に、香港議会選挙で中国がやったことですが)』ですね。第二が郵便投票の妨害(可能ならば否定)です。郵便投票によって『投票所に行くのは経済的負担が大きい貧困者』の投票が増えることが予測されています。当然ながらそうした貧困者は黒人やヒスパニックが多く、トランプには否定的です。また、コロナ感染を恐れる人の多くは郵便投票に切り替えるがトランプ支持層の多くは「コロナなど怖くない」と放言する人々の集まりで「コロナ感染予防のための郵便投票」という考えには否定的です。つまり郵便投票はトランプにとって不利なことが予想されます。
 第三に郵便投票を実施し、それでトランプが負けた場合、『郵便投票での選挙不正があったから結果は無効だ』と強弁し最高裁まで裁判闘争を行い、『判決結果が出るまでは俺が大統領だ』と居座ること(そして、場合によっては今は保守派が多い最高裁によってトランプの強弁が認められること)すら危惧されています。今やトランプ批判派とはそこまでトランプという男を全く信頼していないのです」 
「もちろん『トランプはいざとなれば選挙延期すら仕掛けようとするだろう』とまで、トランプ批判が見なしてることで分かるように、もはやトランプ批判は批判派にとって政策の是非ではありません。もはや『ニクソンウォーターゲート』『安倍モリカケ』などと同じような話になっている。不正を認めるのかただすのか、米国民主主義を守るのか、死なせるのかという話です」 
「いずれにせよ、トランプ再選を阻止できなければ、白人差別主義者の支持を受けるトランプによって『民族の分断』がさらに進むことが危惧されます。今、米国の民主主義は岐路に立っていると言っていいでしょう。私個人は願望込みで『僅差でアレ、トランプ再選は阻止できる』とは思っていますが」
Q(ボーガス)
「なお、『米国におけるBLM運動をどう評価するか』という話から脱線しますが、我々日本人は、BLM運動から何を受け取るべきでしょうか?。お考えをお聞かせ下さい。」
A(矢部)
「『米国の出来事(警官による黒人差別への抗議運動)』を『他人事』のように見なす日本人には私は疑問を感じます。在特会のような極右排外主義運動がある日本にも米国黒人差別のような外国人差別はある。フジテレビ『ワイドナショー』での『スリーパーセル』云々も悪質な在日差別発言ですし、小池都知事の「関東大震災での朝鮮人虐殺」に対する態度も許しがたい代物です。
 そもそも「在日朝鮮・韓国人差別問題を無視」したとしても、日本社会には『米国のような黒人差別はない』などとはとても言えないでしょう。それは映画『キクとイサム』『人間の証明』でも明白でしょう(『キクとイサム』『人間の証明』については、新刊紹介:「歴史評論」3月号(その2:今井正『キクとイサム』、森村誠一『人間の証明』について、ほか:ネタバレあり) - bogus-simotukareのブログ参照)。あるいはアフリカ系日本人のプロスポーツ選手の先駆け(の1人)だった - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)も指摘していますが、プロ野球選手の衣笠祥雄について『彼の父親が黒人であること』についてあまり言及されないこと(もちろん言及する必要は必ずしも無いですが)も「日本での黒人差別」の一例では無いのか。そして我々はそうした黒人差別を今どれほど払拭してきたのか?
 今回問題になった『警官の殺人』ほど酷いケースは無いにせよ、日本の警察がまともとは言いがたいことは、『安倍首相に野次を飛ばした人物が警察に身柄拘束されたこと』や『安倍友とされる山口某氏のレイプもみ消し疑惑(たとえば高校生、大学生、警察庁に入庁したばかりの中村格が現在の自分を見たら、ああいうクズにだけはなりたくないと思ったろう - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)』『過去に北海道警が暴露した警察裏金疑惑』などでも明白でしょう。『米国の問題』について『日本はどうなのか?。米国のような問題は無いのか?』と振り返る謙虚な態度を心がけたいものです。
 特に安倍政権の『入管法改定(外国人労働力導入が目的)』や『外国人観光客誘致策』によって日本社会は今後、いっそう、外国人が社会に増えていくことが予想されますから、『米国の黒人差別は日本とは関係ない』なんてとても言えなくなってくるでしょう。安倍政権のそうした施策の是非はともかく、『安倍政権のそうした施策によって否応なく日本社会に外国人が増えるであろう事』について日本社会でまともな議論がされているように見えないのは残念です」

参考

【オンライン講演】 黒人暴行死で矢部氏が講演 少数派になる白人に不安 米の暗部 KKK時代から=須貝道雄: Daily JCJ須貝道雄(JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年7月25日号)
 米国ミネソタ州ミネアポリスで5月に起きた白人警察官による黒人暴行死事件。その背景には何があるのか。
 JCJは7月4日、米国事情に詳しいジャーナリスト、矢部武さんを講師に「黒人が殺される国アメリカの深層」と題してオンライン講演会を開いた。
◆標的は大きな体
 矢部さんによれば、(中略)国勢調査のデータでは2015年からの5年間、全米で毎年千人から千数百人が警官の暴力で死亡し、うち黒人は約26%を占めた。黒人の人口比は約13%だから、その2倍の数値だ。
 今回の事件では10代の通行人が撮ったとされる衝撃的な動画が世論を喚起した。遺族は「殺意は明白。公開処刑だ」と世に訴えた。だがもし、この映像が無かったら「フロイドさんの死も、単なる数字の一つとして片付けられ、何もわからなかっただろう」と矢部さんは話した。
 警官の行動の背後には白人至上主義がある。トランプ大統領は「白人の国を取り戻してくれ」という声に乗って選挙に勝った。米国勢調査局によれば、白人の人口比は現在60%だが、2045年には49%台にまで減る。いわば少数派に転じるわけで、その不安が白人至上主義への同調につながっているという。
◆延期か中止狙う
 こうした中で、今年の大統領選挙はどうなるかに話が進んだ。トランプ大統領新型コロナウイルスの感染拡大に、あまり心配する様子を見せていない。矢部さんは「彼は混乱が大好きだから。どんどん感染が広がり、死者も2~3倍になれば、11月選挙どころではなくなる。延期か中止をもくろんでいるのではないか」と推測した。
 米国の友人とも話したという。ただ延期や中止を決める権限は議会にある。もし、トランプ大統領が選挙をせずに、2021年もその座にとどまろうとしたら、おそらく(ボーガス注:民主党の)ペロシ下院議長が暫定大統領となり、ホワイトハウスに軍を送って、大統領は引きずり出されるだろうという議論になったとか。予断を許さない情勢だ。   

 ペロシ暫定大統領なんてのは「明らかに異常」ですが、矢部氏を信じれば、トランプ批判派は「最悪そこまでありうる」と覚悟しているわけで、トランプがいかに異常かという話です。
 なお、俺が触れた「郵便投票の話」「日本の外国人差別、警察の無法の話(米国の事件は決して日本でも他人事では無い)」と言う話が【オンライン講演】 黒人暴行死で矢部氏が講演 少数派になる白人に不安 米の暗部 KKK時代から=須貝道雄: Daily JCJに出てこないのは
1)JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年7月25日号の、紙面の制約があって須貝氏が書かなかったのか(そう言う発言自体は矢部講演であった)
2)そもそも矢部講演ではその話は出てこず、論文化の際に追記されたのか
が少し気になるところです。


◆鼎談『七月豪雨災害 コロナ禍 被災者の生活と生業、地域経済の復興へかつてない支援を:安心、希望のもてる復興こそ』(田村貴昭*16真島省三*17山本伸*18
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
7月豪雨災害にかんする申し入れ/日本共産党国会議員団
豪雨災害で田村貴昭・武田議員/具体的要望と政府答弁(要旨)/災害特委
島根・江の川、再び氾濫で整備局に/大平氏「堤防整備早く」
旅館・ホテル 休業余儀なく/豪雨被災、田村貴昭氏が調査/大分・天ケ瀬温泉
日本共産党に託された豪雨災害救援募金/6300万円を被災地に


◆シリーズ・沖縄新基地をめぐる25年をふり返る④『SACO合意から辺野古新基地反対へ 「オール沖縄」はどう形成されたのか』(赤嶺政賢*19
◆《証言編》分断を乗り越える県民の思いの根底にあるもの(稲嶺進*20
(内容紹介)
 赤嶺論文、稲嶺インタビュー記事をセットで考えると『SACO合意(辺野古移設)で基地負担軽減という分断攻撃を乗り越えて「オール沖縄」が形成された背景』には「そうした主張は沖縄に基地負担を呑ませるための嘘では無いのか」という本土自民党への「保革を越えた沖縄県民の怒りがあった」「その結果が例えば翁長前知事だった」と言う話です。
 特にわかりやすいのが「翁長氏に自民党への怒りを生じさせ、知事選出馬の一因となった」とされる「第一次安倍内閣での教科書検定(集団自決の軍強制記述の削除)」でしょう。「どこまで沖縄を馬鹿にすれば気が済むのか」という話です。


◆対談『戦争孤児の過酷な戦後体験が問うもの:『戦争孤児たちの戦後史』でともに考えたいこと』(浅井春夫*21、川満彰*22
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。戦争孤児と言えば小生がまず連想するのは『火垂るの墓』『あしたのジョー』、あと『海老名香葉子 - Wikipedia(初代林家三平の妻、7代目林家正蔵、2代目林家三平兄妹の母)』ですね。ただ火垂るの墓 - Wikipedia以外ではああした問題を「忘却する方向」にばかり動いてきたのが戦後日本でしょうし、だからこそ小生は『火垂るの墓』をつくった高畑という人間を「すごい」と尊敬するわけです。もちろん色々作品としての問題はあるでしょうが、そう言う問題意識を持った上で興行的にも一定の成功を得るというのはやはり「すごい」でしょう。
 『あしたのジョー』は別に戦災孤児の問題が主なテーマでは無い。ただし、矢吹ジョーも、「矢吹と少年院で出会う西寛一(マンモス西のリングネームでプロデビューするが挫折し、アルバイト先の雑貨店の娘・林紀子と結婚し、店を引き継ぐ)」も確か戦争孤児という設定です。

【参考:『戦争孤児たちの戦後史』&著者・浅井春夫氏】

WEB特集 戦後75年 母と信じた人は別人だった | NHKニュース
 主人公は、北海道江別市に暮らす谷平仄子(ほのこ)さん(75)。幼い頃、戦争孤児を保護する埼玉県の施設で過ごし、5歳で里親に引き取られて北海道で育った。実の親の記憶は、ない。戸籍の父母の欄も、空欄のままだ。
「私はどこの誰なのか。わからないままでは死ねない」
 70歳をすぎてからその思いにとらわれるようになり、2018年11月から親の手がかりを探し始めた。
(中略)
◆今こそ孤児の救済を
 もう1人の支援者も手をさしのべた。孤児の戦後史に詳しい立教大学名誉教授の浅井春夫さんだ。
 戦争で親を失ったり、生き別れになったりした戦争孤児は12万人にのぼり、今、人生の晩年を迎えている。「体験者の生の声を聞き取ることができるぎりぎりの時期になっている」として、戦争孤児だった人の調査や支援に力を注いできた浅井さんは、仄子さんが国会議員に窮状を訴える機会を設けた。
 相手は、民間の戦災被害者の救済を目指す超党派議員連盟の会長、河村建夫*23さん。この議員連盟は2017年、空襲で身体障害が残った人たちに一時金として50万円を支給することを柱とする法律の素案をまとめている。この中では、空襲で保護者を失った人たちの被害などについての実態調査を国に求めることも盛り込んでいる。
 2019年11月に仄子さんは、河村さんと地元の和田義明*24議員に面会し、これまでの経緯や思いを訴えた。
(中略)
 戦争孤児の調査や支援を続けてきた立教大学の浅井名誉教授は、次のように指摘する。
「人生はじめの時期が空白のままでは、人生史は完結しない。戦争が人生の空白をつくったのであるから、空白を埋める責任は国にある。現在、資料的にルーツを探ることができるのであれば、ぎりぎりの努力をすることが戦争に対する責任の取り方ではないか」
 そして、この記事もその一助となることを願ってやまない。

 「浅井春夫、戦争孤児」でググったらヒットした記事です。まあ「過大評価はしませんが」、河村氏は「今の自民党においては」比較的にまともな議員ではあるのでしょう。浅井氏は前衛記事において谷平仄子(ほのこ)氏への面会をした河村氏へ「官房長官経験者という大物議員で、恐らく多忙であるにもかかわらず快く面会して下さって感謝している(俺の要約)」との感謝の念を表明しています。これは共感できる。
 M谷N子・明治大准教授の「ウイグル云々」や横田早紀江の拉致での「安倍への感謝の言葉」はまるきり理解できません。

社説:語り始めた戦争孤児 悲惨な体験記録し後世へ - 毎日新聞
 戦時中の空襲などで保護者を亡くした戦争孤児はどんな生活を強いられたのか。戦後74年を迎える今、浅井春夫・立教大名誉教授ら全国の研究者約30人が「戦争孤児たちの戦後史研究会」をつくり、聞き取り調査を進めている。
 戦争孤児は12万人以上いるといわれ、空襲のほか広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦でも大勢の子供が孤児となった。中国や南洋など海外から引き揚げる際に身寄りをなくした子供も多かった。
 終戦後、東京・上野の地下道など各地に「浮浪児」といわれた子供たちがあふれ、餓死したり、凍死したりしたことも少なくなかった。
 生きるために盗みや恐喝、売春をする者もいた。行政は「狩り込み」と呼ぶ強制的な収容をした。トラックに乗せられ、遠い山中に置き去りにされたこともあったという。
 戦争は弱い立場の人に最も悲惨な被害をもたらす。だが、国は孤児の救済に力を入れず、孤児のための施設も少なかった。親戚や里親に引き取られる子供は多かったが、学校に通えず、働かされることもあった。
 差別や偏見にさらされ、苦しんだ体験を大人になっても話さない人は多い。国も調査をしてこなかったため、他の戦争被害と比べて実態がよく分かっていない。
 こうした中、当時子供だった人が高齢になった近年、このままでは孤児の体験が歴史に埋もれてしまうと、研究者の聞き取りなどに、つらい過去を語ることも増えてきた。ようやく発した言葉は重い。
 星野光世さんは東京大空襲で両親と兄妹を亡くし、親戚の家で苦労を重ねた。星野さんは自分を含めて孤児11人の体験を文と絵で表した本「もしも魔法が使えたら」(2017年)に書いている。
 <誰が好き好んで孤児になったというのでしょう。蔑(さげす)まれるべきは残された子どもではなく、親を奪った「あの戦争」ではないでしょうか>
 民間の空襲被害者らの救済を目指している超党派議員連盟は17年、孤児らの被害の実態調査を国に課すことを含めた法律の骨子素案をまとめている。
 体験を記録に残すことは、悲惨な戦争被害を後世にしっかり伝えることにつながる。

そこが聞きたい:戦争孤児の実態調査=立教大名誉教授・浅井春夫氏 - 毎日新聞【聞き手・栗原俊雄*25
敗戦から75年。戦争に関する研究や史資料は膨大にあるものの、保護者を奪われた「戦争孤児」を取り扱ったものは非常に少ない。そうした状況の下、「戦争孤児たちの戦後史」(全3巻、吉川弘文館)の刊行が始まった。大規模かつ学際的な調査・研究が結実した、戦後史研究の画期として期待される。刊行の狙いや今後の課題について、編者の浅井春夫・立教大名誉教授に聞いた。
◆栗原記者
 戦争孤児の研究を始めたきっかけを教えてください。
◆浅井
 関心はあったのですが、本格的に始めたのは2011年度です。当時勤めていた立教大の制度を利用し、沖縄国際大で1年間研究しました。沖縄戦は研究の蓄積がありますが、戦争孤児問題はエアポケットであることを知りました。そこで、同大の膨大な資料を活用し孤児の聞き取りも進めました。
(この記事は有料記事です。)

京都・読書之森:戦争孤児たちの戦後史1 総論編 /京都 - 毎日新聞
 「二〇二〇年を『戦争孤児問題』研究元年に」。8月1日に出版された本著は、巻頭で力強く表明している。
 けおされて読み進めば、「戦災孤児」ではなく「戦争孤児」なのだともくぎを刺す。「戦災」は「戦争の人為性をあいまいにしている」言葉であり、「戦争孤児」と呼ぶことに「頑固にこだわっておきたい」(編者の浅井春夫・立教大名誉教授)と宣言する。
 執筆陣の並々ならぬ熱意はなにゆえか?。その理由が、ページを繰るごとに明らかになっていく。戦争孤児は、国家が始めた戦争が招いた「必然的な結果」だった。にもかかわらず、敗戦から75年たった現在も補償もされず、放置されたままになっている。しかし国家の「不作為」という単純な話ではない。正確には戦争末期、孤児政策が“検討”されたことがあるという。
(この記事は有料記事です。)

【参考:その他の『戦争孤児』に関する著書など】

「駅の子」 生きるために闘い続けた戦争孤児 | NスペPlus
※この記事は、2018年8月12日に放送した 「NHKスペシャル “駅の子”の闘い ~語り始めた戦争孤児~」 を基に制作しています。
 駅の子たちは、全国各地で飢えや病気と闘っていた。
 なぜ国は、有効な対策をとることができなかったのか。当時の厚生省の幹部は、子どもたちの保護を後回しにせざるをえない状況だったと告白している。
「あのどさくさに会社は全部閉鎖してしまう。そこから吐き出す失業者は非常に多い。外地からは引揚者が600万も帰ってくる。そんなことで全くてんやわんやの状態。もうほとんど子どものことなどというものは問題にもならなかった。」(昭和27年刊『児童』“児童行政の回顧と展望”より)
◆復興する社会で「駅の子」に向けられる冷たい目
 終戦後の混乱のなか、放置された駅の子たち。
 その状況に、大きな変化が起こったのが昭和21年の春だった。GHQ公衆衛生局のネフ課長は、厚生省の幹部らを呼び出し、浮浪児を東京から一掃するよう指示。さらに、子どもを保護する専門の施設を設置するよう求めた。
 この後、各地で本格化したのが、自治体による子どもたちの一斉収容「狩り込み」だった。
 しかし、収容先の施設は数が限られ、食糧も不足。体罰を行う施設、子どもを檻に入れる施設もあった。駅で暮らす方がましだと、子どもたちは、脱走を繰り返すようになった。
 この頃、世の中は復興へと進み始め、社会は豊かさを取り戻していく。しかし、「駅の子」たちは、垢にまみれたまま、その日暮らしを続けていた。
 子どもたちは、どのように生き延びていたのだろうか。
 当時の調査によると、物乞いが50%以上、窃盗の常習犯は8%を超えていた。
 社会は、「駅の子」たちを、治安を乱す存在とみなすようになる。「駅の子」に対する社会の目が、無関心から嫌悪へと変わっていったのだ。

本当にほしかったのは「ぬくもり」だった! 『「駅の子」の闘い』 | J-CAST BOOKウォッチ
 本書は、京都の立命館宇治中学・高校で「現代社会」を教えている本庄豊*26先生の話から始まる。授業で「戦争孤児」のことを取り上げたら、生徒たちが熱心に聞くようになった。今の子どもたちは戦争のことを全く知らないが、自分たちと同じ年ごろの子どもたちの話に引き寄せると、興味を持つ、というわけだ。
 国内はもちろん、世界各国からの観光客でにぎわう京都駅。70年余り前、そこは戦争で親を失い、親戚からも見放された寄る辺のない子どもたち、いわゆる戦争孤児、戦災孤児のたまり場だった。
 本書の著者、中村光博さんは1984年生まれ。東京大学公共政策大学院修了後、NHKに入局。大阪放送局で報道番組のディレクターをしていた2015年、現代史についての勉強会で本庄先生の話を聞いた。この写真を見せられて、「70年前の子どもたち」の取材を始めることになる。
◆12万人以上の戦争孤児
 一体どれくらいの戦争孤児がいたのか。1948(昭和23)年2月に国が沖縄県を除く全国で行った調査によると、12万3511人。終戦から2年半もたってからの調査なので、終戦直後の実数はもっと多かったといわれている。東京、兵庫、広島などは5000人台、京都でも4000人台。東京や神戸の空襲、広島原爆が影響している。京都は空襲を受けなかったので、暮らしやすいのではないかということで近隣から流入した。
 中村さんは苦労して、駅をねぐらにしていた当時の子どもたちを探し出す。「駅の子」だ。15年以降、NHKのニュースやNHKスペシャル"駅の子"の闘い:語り始めた戦争孤児」(2018年度ギャラクシー賞・選奨受賞)などで報じてきた。取材はかなり難しかったという。
 神戸市の内藤博一さん(85歳)は三宮駅を根城に、待合室で半年暮らした。
戦災孤児であったということを世間一般に知られたくないんです・・・ほとんどの人は隠して生きているから」。
◆2700人の土葬者名簿
 上野駅で暮らした金子さんは語っている。
 「何人見たか分かりませんよ、子どもの死体を」。
 飢えて衰弱した子どもを誰も助けることができない。

 ちなみに神戸・三宮駅で餓死したのが『火垂るの墓』の主人公です。まさに「朕(ちん)はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」ですね(プラカード事件 - Wikipedia参照)。前天皇や現天皇はともかく、俺は「対米戦争という愚かな政治判断で多数の国民を死なせながら、退位すらしなかった昭和天皇という人間」「そうした昭和天皇の保身を許した当時の日本社会」への怒りと軽蔑を禁じ得ません。

戦争は人の心も変えた…語られなかった「戦争孤児」の過酷な人生(栗原 俊雄) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)【栗原俊雄】
 孤児たちの多くが戦後長く沈黙を守る中、自らの体験のみならず他の孤児たちの証言を集め、発信している人がいる。金田茉莉さん(85)。近著『かくされてきた戦災孤児』(講談社)は、今も実態の見えにくい戦後史の闇に光を当てた労作だ。同書と、これまで私が金田さんにしてきたインタビューから、戦争孤児の戦後史を振り返ってみたい。
 母と姉の遺体が隅田川で見つかったのは6月だった。妹は行方不明のままだった。
 金田さんのように、家族の身元が分かって遺体が収容され、お墓に収められるのは極めて異例なのだ。このことを踏まえ、金田さんは「孤児の中では恵まれていたかもしれません」と話す。
 ただ、「母たちと一緒に死んだ方がよかった」という体験をすることにもなった。
 親戚の間を転々とした。最後は兵庫県の父方の伯父に預けられた。夫婦と子ども7人の大家族だった。金田さんはしかし、「家族」としては迎えられなかった。
 早朝に起き、大家族の食事の支度をした。全員の布団の片付け、食事の後始末をすませてから登校。学校から帰ると夕飯や風呂の準備などに追われた。さらには年上のいとこから「お前は親戚中からすてられた野良犬だ」とののしられた。末っ子は「早く出て行け」と言った。叩かれることもあった。使用人以下の扱いだった。
 金田さんが集めた孤児の証言や資料によると、引き取られた親戚に親のお金や土地などの財産を取られた、というケースがままある。金田さん自身がそうだった。母親が残してくれた貯金などを、伯父の事業に使われたのだ。『かくされてきた戦災孤児』には、そのことも書いた。
 「こういうことを書いて、差し障りはないのですか」。
 私がそう問うと、金田さんは瞬時に言った。
 「ええ。本当のことですから。戦争は人の心も変えてしまったんです」
 「男だったら浮浪児になっていたでしょう」。
 金田さんはそう振り返る。浮浪児とは、現代で言うストリートチルドレンだ。
 金田さんのように戦争で保護者を失った子どもたちが地下道などをねぐらにする。生きるために盗みや売春などをするケースも多々あった。
 親戚や保護施設に収容されても逃げ出してその生活を選ぶ子どもも珍しくなかった。
 「『わがままだから』『自分勝手だから』などと思われがちですが、実際はひどい虐待や差別に苦しみ、そうせざるを得なかった」のが実情だ。
 「生きている方がつらい。死にたい」。
 金田さんは何度もそう思った。思いとどまったのは、「自殺すると天国にいるお母さんに会えなくなるんだよ」という祖母の言葉があったからだ。それでも「病気で死んだらお母さんのところに行ける」と、病死を願っていた。
 多くの孤児たちは戦後、ゼロどころかマイナスから人生を再設計していった。私は戦災孤児の取材を10年以上続けている。孤児たちの口は重かった。みじめな体験を他人に知られたくない。忘れてしまいたい。引き取った親戚の悪口を言うことになる。
 そんな気持ちからだ。
 金田さんも長く、沈黙を守っていた。転機は50歳を目前にして、命に関わる病気をしたことだ。「命のあるうちに、自分たち体験者が戦争孤児の記録を残さなければ」と思った。
 戦争は大日本帝国の為政者による国策である。官製「国難」の被害者に、国が補償するのは当然のことだ。ところが、帝国の後継である日本政府は戦後、元軍人・軍属や遺族への補償や援護を行ってきた。その総額は約60兆円に及ぶ。他方、「国と雇用関係になった」という理由で、民間人戦争被害者への補償を拒んだ。
 補償の前提となる被害の実態調査も限定的で、しかも極めてずさんだった。たとえば金田さんら戦災孤児に関するそれである。
 敗戦から1年後の1946年8月23日、第90回帝国議会衆議院・建議委員会で、政府は議員から戦災孤児の問題を追及され、答弁した。
 「現在全国にどれぐらいの孤児があるかと申しますと、是は概算でございますが、取調べた結果は大体3000名前後と推算を致して居る」
 けたがいくつか違ってるのでは? と思わざるを得ないほどの少人数である。
 この後、連合国軍総司令部GHQ)は日本政府に孤児の状況を調査するよう求めた。GHQは人道上の理由だけでなく、治安維持の観点からも孤児問題を重視していた。実数や状況を把握しなければ適切な対策がうてないため、日本政府に調査を求めたのだ。
 厚生省が行った全国の孤児の一斉調査によると、48年2月1日時点で孤児は12万3511人だった。
 だが、これも信ぴょう性の薄い調査だった。たとえば住所不定の「浮浪児」や餓死や凍死などですでにいなくなってしまった孤児は含まれていない。養子になった子どももそうだ。また沖縄では調査自体がされていない。実際は12万人どころか、はるかに上回る戦争孤児がいた可能性が極めて高い。
 金田さんは、長年の業績が評価されて2019年、第53回吉川英治文化賞に選ばれた。時代小説の国民的作家の名を冠した同賞は「日本文化の向上につくし、讃えられるべき業績をあげながらも、報われることの少ない、団体」に贈られるものだ。
 選考委員を務める作家の阿川佐和子さんは「めげることなき根性と緻密な調査能力には『ははああ』とひれ伏したくなる気持」「戦争孤児には国からの支援がまったくなかったことに驚愕し、金田さんの資料を目にして涙が出た」などと評した。
 孤児たち戦後については政府がまともな調査をせず、公文書を残さなかったことから、アカデミズムにおける体系的な研究は少ない。ようやく当事者が口を開き始めたのは近年のことだ。しかしこの先、数十人にまとまった形で聞き取りすることは不可能だろう。金田さんが先駆的に掘り起こし、歴史に記録してきた孤児たちの体験と記録は、今後も現代史の一次資料として残っていくはずだ。

 金田氏が受賞した吉川英治文化賞 - Wikipediaですが

◆第1回(昭和42年)
 相沢忠洋氏(岩宿遺跡発見者)など
◆第7回(昭和48年)
 宮城まり子氏(肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」創設者)など
◆第20回(昭和61年)
 北島忠治氏(明治大学ラグビー部監督)など
◆第23回(平成元年)
  萱野茂氏(「二風谷アイヌ文化資料館」創設者)など
◆第34回(平成12年)
牟田悌三*27と世田谷ボランティア協会』など
◆第38回(平成16年)
 「沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会」など
◆第45回(平成23年
 宇梶静江 - Wikipedia氏(アイヌ民族活動家)など
◆第50回(平成28年
 玉井義臣氏(あしなが育英会創設者)など
吉川英治文化賞 : 講談社吉川英治文化賞 - Wikipediaなど参照)

ということで「吉川英治」の名がついているものの、必ずしも小説分野には限定されていません(その点では文春の「菊池寛賞」に似ている)。

<書評>かくされてきた戦争孤児:北海道新聞 どうしん電子版
 あの戦争により、日本でも多くの子どもたちが戦争孤児となった。1948年の厚生省(当時)の調査によると、戦争により孤児となった子どもたちは12万人。だが、その事実が知られるようになったのは、97年。なぜ戦争孤児の存在は「かくされて」きたのか。これは戦争孤児だった著者が、戦争孤児そのものの歴史を世に残すべく奮闘した調査の記録である。
 45年3月の東京大空襲で9歳の著者は両親を失い、孤児となった。自身は宮城県学童疎開していたため助かったが、引き取られた親戚の家でひどい仕打ちを受けた。高校卒業後、その家を出て、たった一人、戦後の日本を生き抜いた。
 差別を恐れ、戦争孤児であることを隠して40年。大病をきっかけに50歳で戦争孤児の調査を始めた。その過程で著者は自分と同じ学童疎開で孤児になった人が多くいたことに気づく。国策で進められた学童疎開。だが戦争孤児たちには、過去も今も国からの援助は一切ない。
 著者は戦争孤児本人たちへの取材も重ねた。つらい記憶を思い出したくないと口をつぐむ孤児も多かったという。それでも孤児の痛みを知る著者のもとに22人から返事が届く。親戚の家をたらい回しにされた、学校へも行けず働かされていた。
 語られる戦争孤児たちの残酷な境遇は、中国残留孤児たちとも重なる。だが、彼らは日本にいた。戦後の日本で苦しみ続けた。
 戦後75年。体験者の多くが鬼籍に入り、戦争の記憶が失われつつある今、資料を掘り起こし、当事者たちから取材を重ね、自らの力で戦争孤児に光を当てた。いったい、どれほどの労力だったろう。自らのつらい体験を思い出す痛みもあったろう。幼少時の栄養不足が原因で右目の視力を失っていたため、口述で長男が書き留めたという著者の、何としても書き残したいと執念に触れたとき、激しく心を揺さぶられた。この記録をしっかりと次につなげなければならない。それが記憶を受け取った者の責任だと強く感じた。

【参考:海老名香葉子

海老名香葉子 - Wikipedia
 1933年生まれ。太平洋戦争中、静岡県沼津市の叔母宅に疎開。当時は国民学校の5年生だったが、その最中に起きた東京大空襲で、父である釣り竿屋「竿忠」の3代目・音吉のほか、母、祖母、長兄、次兄、弟の家族6人を亡くす(三兄で「竿忠」4代目を継いだ中根喜三郎のみ生き延びる)。身寄りを亡くしたため、戦後は親戚をたらい回しにされるが、父の知人で釣り好きで知られた3代目三遊亭金馬に引き取られる。金馬家に七代目林家正蔵の妻が出入りしていた関係から、1952年その実子であった初代三平と結婚し、以後三平の芸能生活を陰からサポートした。

「戦災孤児の半数は餓死 証明書ないと食べ物ももらえず」 海老名香葉子さんが語る「戦後ゼロ年」 - 毎日新聞
 15日は終戦記念日。でも、戦争で親を亡くし、頼るものがなにもない戦災孤児にとっては、そこから先も、生きるための闘いが続いた。海老名香葉子さん(85)は、1945(昭和20)年3月の東京大空襲で、父・母・祖母・長兄・次兄・弟の家族6人を亡くした。「うしろの正面だあれ」などの著書や講演会などで、自分の思いを伝え続ける「おかみさん」に、今月初め、東京・根岸(台東区)の自宅で近況をうかがった。【油井雅和】
(この記事は有料記事です。)

【参考:火垂るの墓

火垂るの墓とおんなじや…公務員になった戦争孤児「語ることが恩返し」 神戸(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
 神戸空襲で孤児となった兄妹を描いた作家、野坂昭如の小説「火垂(ほた)るの墓」とよく似た体験をした男性がいる。神戸市西区の元市職員、内藤博一さん(87)は、1945年6月の神戸空襲後に母と妹を失って孤児となり、もう一人の妹と約半年間、神戸・三宮の地下道で暮らした。その体験を地元の小学校などで約20年前から語り続けており、記憶の衰えを感じながらも「語り継ぐのは自分の役目」との思いを一層強くしている。
 「火垂るの墓」は神戸空襲で母を失った14歳の清太と4歳の妹節子の物語。飢えをしのぐため時には盗みをしながら2人だけで生きる兄妹だが、終戦後まもなく衰弱した節子が亡くなり、路上生活を続けた清太も三ノ宮駅構内で栄養失調で命を落とす。
 一方、母子家庭で育った内藤さんは12歳の時、神戸の街を焼き尽くす大空襲に遭った。自宅は全焼し、母に背負われて一緒に逃げた2歳の妹は空襲では無事だったが、栄養失調で衰弱して亡くなった。母は毎日駆けずり回って食べ物を手に入れたが、次第に痩せ衰え、45年8月15日の終戦から間もなく三ノ宮駅の待合室で倒れて亡くなった。疎開していたもう一人の妹(当時8歳)を「頼む」というのが最後の言葉だった。
◆三宮地下道で路上生活
 「生きるために何でもやりました」。
 一人で三宮の地下道をねぐらにし、一帯の闇市に並ぶ食料や現金を盗んだ。秋に疎開から帰ってきた妹を学校に迎えに行って再会し、地下道で一緒に暮らし始めた。2人分の食べ物を手に入れるため、妹にも盗みを手伝わせた。野宿仲間の男性にすりの手ほどきを受けたこともあった。
 そんな時、路上生活する孤児を教会に保護するクリスチャンの篤志家の男性に何度も熱心に誘われ、妹とついて行った。神戸市内の教会に保護され、半年間の路上暮らしが終わった。
 教会の保護施設から小学校に通ったが、孤児は給食費を免除されたため、同級生から「ただ食い」「戦災こじき」といじめられた。つらい時、心の支えとなったのが野球だった。プロ野球阪神タイガースの名投手、若林忠志さんらが施設を慰問し夢中になった。俊足好打を買われ、高校2年でアマチュア野球チームにスカウトされ、中退して上京したが、2年目に故障して退団。行くあてもなく神戸の施設に戻った。
 施設の手伝いをしながらトラック運転手を続けるうち、自分を大きくしてくれた神戸市民に恩返しするため市職員になろうと決意。だが、2年続けて採用試験に落ちた。当時、「戦争孤児は身元がはっきりしないため、公務員になれない」といううわさがあった。実際になった人も周囲におらず、市幹部に抗議の手紙を書いた。3度目の受験で合格。28歳で交通局に配属され、市バスの運転手を定年まで務めた。
段ボール箱いっぱいの「宝物」
 戦争孤児だったことは家族以外に話さなかった。65歳の時、施設を通じて地元紙から取材依頼が来た。偏見を持たれるのではと迷ったが、「自分の体験が世の中の役に立てば」と決意し、引き受けた。記事が掲載されて以来、講演を頼まれるようになり、地元の春日台小(神戸市西区)では毎年10月ごろ、広島への修学旅行前の6年生などに話してきた。段ボール箱いっぱいにたまった子どもたちからの感想文は「宝物」だ。
 内藤さんの体験は「火垂るの墓」と重なる部分が多く、講演先で子どもたちからよく「(火垂るの墓のアニメ映画と)おんなじやなあ」と言われる。小説を読んでみて、自身も「そっくりだ」と感じた。だが小説の清太と節子と違い、自分たち兄妹は幸いにも戦後75年を生き抜いた。
 今年も秋に講演会が計画されており、「孤児だった私が高校に進学し、公務員になれたのも神戸で多くの方々に支援をいただいたから。今は感謝しかない。つらい体験を語るのは社会への恩返しです」と語る。

【参考:あしたのジョー

明日のために その○○:『あしたのジョー』、それは漢(おとこ)のバイブル
 熱き漢の戦いベスト3!(俺の独断と偏見による)
第3位『東洋バンタム級タイトルマッチ VS金竜飛
 この戦いは熱い。金竜飛朝鮮戦争戦災孤児で、極限の飢えから食べ物を得るために父親を殺したというエピソードを持つ。試合は東洋チャンピオン金の強さ、またこのエピソードを聞いたことによって植えつけられた劣等感から、ジョーは圧倒されてしまう。しかしなんどフィニッシュパンチを決められてもジョーは立ち上がる。金の必殺ラッシュ、舞々(チョムチョム)をくらってもジョーは立ち上がる。そして、なぜ倒れないのか?金は怯えはじめる。そこでファイナルラウンド、ここで1ラウンド中に吐けるとは思えないジョーの長いセリフが熱い!

 力石と同じ道か…。そうだ、力石も飢えていたんだ…。(金、ラッシュ)
 力石も飢えていたんだよ…。俺はこの金竜飛が…、(バキッ!)飢えのために父親を石でたたき殺したという話をレストランで聞かされて以来…。それ以来…。(バキッ!ジョーダウン)
 そ…そのくぐってきた地獄のでかさにあぜんとし…、こっぴどく劣等感を植え付けられちまった…。減量の下手くそな満腹ボクサーが…、あの偉大なる金竜飛に勝てるわけがねえ…、と、そうすっかり思い込んでしまったんだ…。しかしなにか…、なにか1つこの金には屈服しきれないものがあった。そ…その何か…とは…。(ジョー立ち上がる)
 あの死んだ力石徹も飢え、乾いていたという事実だっ…!
 ひとにぎりの食料のために親を殺した金はまだしも水だけはガブ飲みできたろうが…、力石は「水さえ」も飲めなかった…!しかも金は「食えなかった」んだが、力石の場合は自分の意志で「飲まなかった」「食わなかった」…!
 飲まず食わず、それゆえの死と引き換えに…、力石徹は男の戦いをまっとうし、俺との奇妙な友情に殉じたっ!(ここからジョーのラッシュ)
 なんのことはねえ…、死の寸前の飢えがなにも絶対じゃねえ。
 自らすすんで地獄を克服した男がいたんだ!同じ条件で!人間の尊厳を!男の紋章ってヤツを!貫き通して死んでいった男を、俺は身近に知っていたんじゃねえかっ!!(ジョーのラッシュが続き、金ダウン)
金竜飛よ…、お前は力石に劣るんだ…。
お前は…自分だけが大変な地獄をくぐってきたかのようにタテにとり…、しかもそいつを自分の非常な強さとやらのよりどころにしているようでは…なあ、はっきり力石に劣るぜ!
(ここで金、カウント7で立つ)
 いままでは…、いままではついついご大層なものみてえに錯覚しちまっていたが…、この際力石以下のおめぇさんに負けたとあっちゃ、彼に対してなんとも、申し訳がたたねえんだよおお~~っ!!(ここでジョーの熱いストレート)

 話が完全に「戦争孤児」から脱線しますが、赤字強調(赤字強調は俺がしました)の部分をオレ流にパロれば

 横田早紀江(1936年生まれ)よ、お前は戦災孤児(年齢的には早紀江と同じ)の方々に劣るんだ。お前は…(娘を拉致された)自分だけが大変な地獄をくぐってきたかのようにタテにとり…、しかもそいつを自分の権力(?)とやらのよりどころにしているようでは…なあ、はっきり戦災孤児の皆さんに劣るぜ!

ですね。俺はどうも「悲劇のヒロイン」ぶってる「思い上がった」あの奥さんにはかけらも好感が持てません。憎悪、軽蔑、憤りという負の感情しか持てない。あの人に同情できる人間の気が知れません。高世仁とか。
 まあ、何というか日本社会の「思いやり」つうのは本当にインチキですよねえ。「横田奥さんの悲劇(?)」「地下鉄サリン」とか「北朝鮮が悪い!」「オウム麻原が悪い!」など特定の個人、団体を「自分とは関係の無い悪者」としてたたける場合は「大いに同情する」のに、戦災孤児の場合のように「彼らを見すててきた日本社会は重大な過ちを犯した」つうことで「特定の個人、団体」を「自分とは関係の無い悪者」としてたたけない場合は「一億総懺悔的なこと(戦争でつらかったのは戦争孤児だけじゃ無い、など)」を言い出して「大して同情しない」わけですから。

私だけの東京・2020に語り継ぐ:漫画家・ちばてつやさん 戦後の街が作品の原点 - 毎日新聞
 生まれたのは東京・築地です。2歳のときに父の仕事で満州(現中国東北部)に移住し、終戦の翌年に父母と兄弟4人の一家6人で命からがら帰国しました。
 引き揚げ船が着いた博多港から電車を乗り継ぎ、東京駅で降りると一面の焼け野原。所々に建物のコンクリート壁が残っていて、それが墓石に見えました。上野駅では僕と同年代の戦災孤児があふれ、靴磨きをしたりたばこを吸ったりしていました。都電の駅や街角にはアコーディオンを弾いて、通行人から施しを求める傷痍(しょうい)軍人もいてね。みんな生きるために必死だった。

不戦憲法への思いを語る/漫画家ちばてつやさんが講演 - 連合通信社
あしたのジョー」の作者、漫画家のちばてつやさんが6月14日、都内で講演した。
 引き揚げ船に乗って千葉県にある父の実家へ移ったのが1946年。到着した夜に感じた、「びくびくせず、いつまででも寝てていいんだ」といううれしさは忘れられないという。
 一方で「引き揚げ者」に対する差別も経験した。
「当時は食糧難で、人口が増えてほしくないという気持ちが人々にあった。満州にいた者は『戦中はぜいたくしていたんだろう』とも思われていた」
 こうした体験を踏まえ「戦争が終わって、すぐ『戦後』が来るわけじゃない」と語ったちばさん。
「『あしたのジョー』の舞台を日雇い労働者が多く集まる東京・山谷地区にしたのは、戦争孤児が多くいた街だから。東京大空襲で親を亡くした子どもや若者を描いてみたいと思っていた」

9月22日は「孤児院の日」 『タイガーマスク』を読もう! 【きょうのマンガ】  |  このマンガがすごい!WEB
 “孤児院”が作中にたびたび登場する作品といえば、梶原一騎の作品群だ。
 彼が原作を手がけた『タイガーマスク』や『あしたのジョー』(高森朝雄名義)では、孤児や孤児院が描かれる。
 『タイガーマスク』の場合、主人公タイガーマスクの正体である伊達直人は孤児院「ちびっこハウス」の出身である。
 梶原作品にはよく孤児院が出てくるが、そもそも終戦直後の日本には、空襲で焼けだされた戦災孤児が非常に多かった。9歳で終戦を迎えた梶原にとって、救済を必要とする孤児があふれているのが、日本の日常的な風景だったのだろう。

あしたのジョー、の時代展 練馬区立美術館 | 魔女菅原オフィシャルブログ「魔女菅原のブログWith Witch」Powered by Ameba
 図録をいま読んで感じたのは、ジョーは1945年から22年しか経っていない時代に連載が始まったということ。
 「あしたのジョー」の中でジョーがスランプから立ち直りつつある時期にぶちあった、金龍飛の凄惨な過去の話は、ちばてつやさんが戦時中満州にいたときに見聞きした体験が重ねられているし、丹下段平は初めの方で売血によって得たお金で酒を飲んでいる。それらは実際にあったことで、そんなに遠い昔ではない。
 ジョーは孤児院を何度も脱走した孤児の設定だけれど、戦災孤児を実際に見たことのある作家がこのマンガを描いていたんだと。


首里城再建と第三二軍司令部壕の公開:戦跡考古学の立場から(當眞嗣一*28
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

首里城地下の壕を平和拠点に 火災から半年、識者「公開を」|【西日本新聞ニュース】
 昨年10月に焼失した首里城那覇市)の地下にある旧日本陸軍第32軍司令部壕(ごう)の公開を求める声が高まっている。75年前の沖縄戦の軍事拠点は、かつて公開の方針が打ち出されたが、崩落の危険性があり実現していない。首里城火災から半年。壕の調査に携わった専門家は「沖縄戦の悲劇は司令部壕の存在なしには語れない。首里城に関心が集まる今こそ、平和の拠点として公開すべきだ」と語る。
「司令部壕は近現代史における『関ケ原』。沖縄戦の実相を理解するためには欠かせない」。
 名桜大名誉学長の瀬名波栄喜さん(91)=那覇市=は力説する。96年に壕の公開を決めた県の検討委員会で委員長を務め、壕内の調査も行った。
 玉城デニー知事は首里城復興の基本方針を発表した4月24日の記者会見で、壕について「苛烈を極めた沖縄戦の司令部が置かれていたという歴史的事実をしっかりと後生に継承する」と強調。VR(仮想現実)などの技術で壕内を再現し、平和学習に活用すると表明した。一方で、崩落の危険性と整備費用が多額であることを理由に「公開は不可能」との立場を変えない。
 瀬名波さんは首里城火災を機に「保存・公開を求める会」を立ち上げた。旧日本陸軍大本営地下壕を国が修復したことを引き合いに「第32軍司令部壕も本来は国の責任で整備すべきで、公開は平和を考えるきっかけになるはず」と訴えた。

WEB特集 首里城 地下に眠る戦跡 旧日本軍 第32軍司令部壕 | NHKニュース
 いま沖縄では司令部壕の歴史的価値に注目が集まっている。住民被害が広がるきっかけとなった沖縄戦を象徴する重要な戦跡だとして詳細な調査を行ったうえで保存、公開しようという機運が高まっているのだ。
 きっかけは、去年*29起きた首里城の火災だった。琉球王国の象徴で県内屈指の観光地でもある首里城の再建計画が進められる中で、その足元に眠っている“負の遺産“である司令部壕が再び脚光を浴びるようになったのだ。
 沖縄戦の体験者などはことし3月、公開を求める市民グループを結成し、SNSなどを通じて保存の重要性を訴えることにしている。
 沖縄県の玉城知事も6月、専門家などからなる検討委員会を設置して保存や公開の在り方を検討していく考えを示した。
市民グループ 高山朝光副会長
「沖縄の象徴である首里城の再建とともに負の歴史である司令部壕を整備して公開したい。そのことで首里城を訪れた人が沖縄の歴史をより深く学ぶことができるはずだ」
◆学徒隊として司令部壕に 大田昌秀元知事の思い
 第32軍司令部壕は過去に一度、公開に向けた本格的な議論が交わされたことがある。25年前の平成7年、当時の大田昌秀知事が戦後50年の事業として保存・公開事業を打ち出したのだ。
 大田氏は公開に向け有識者などからなる検討委員会を発足、さらに教育・観光の場として整備していくための基本計画までまとめた。ところが3年後の平成10年、大田氏が県知事選挙で敗れ、以後計画は凍結されてしまった。
 大田氏が公開にこだわったのは戦時中の体験にあった。大田氏は沖縄戦当時、沖縄師範学校の生徒で軍に動員された学徒隊の一員だった。情報宣伝部隊である「千早隊」に所属し32軍の方針などを住民などに伝える役割を担っていた。実際に司令部壕に出入りして軍の動向をつぶさに見ていたのだ。
 11年前の平成21年、まだ駆け出しの記者だった私はこの司令部壕について聞こうとすでに政界を引退していた大田氏のもとを訪ねた。テレビカメラによるインタビュー取材はやんわりと断られたが、代わりに同僚と3人でホテルのバーで話を聞かせてくれることになった。その時、アルコール度数の高いカクテルをあおりながら語った彼のことばを今も鮮明に覚えている。
◆大田元知事
「僕は本当に生っ粋の軍国少年だった。兵隊や戦車が大好きで憧れていた。しかし、それは間違いだった」
 司令部壕にいた将校に憧れ一緒に働くことを誇りに思っていたこと。しかし、その後次々と目の当たりにした南部での住民の悲劇。激しい後悔がバーのカウンターに座した彼の背中からあふれ出ていた。
 当時すでに83歳、知事時代にはアメリカ軍基地の整理縮小を訴え政府と激しく対立した大田氏の原点を見た気がした。
◆進む風化 公開への課題
 一方、今回の撮影では老朽化が進み、司令部壕の公開が一筋縄ではいきそうにない現状も見えてきた。
(中略)
 戦跡に詳しい沖縄国際大学元教授の吉浜忍さん*30は、次のように述べ公開に向けた動きを加速させる必要性を訴えている。
◆吉浜元教授
沖縄戦の悲劇は南部に撤退したあとの1か月に集中して起きている。沖縄戦を知る戦跡としては最も価値のある場所で、地上には首里城、地下には司令部壕という両面を見ないと正しい歴史の理解にはつながらない」


◆論点『広島原爆「黒い雨」被爆地域拡大求める運動と広島地裁判決』(牧野一見)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
「黒い雨」訴訟、国は控訴するな/志位委員長が被爆者と懇談
「黒い雨」訴訟控訴断念示さず/田村氏 広島での首相会見批判
「黒い雨」訴訟 控訴断念を/小池書記局長が表明
主張/「黒い雨」の控訴/被爆者の声にどこまで逆らう


◆暮らしの焦点『事前の説明のない一方的な学童保育指定管理者制度への移行 東京・清瀬市の事例から』(内田宏明)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

日本共産党清瀬市議員団 2020年度予算に反対
・今回、政治判断として科学的根拠もなく実施された小中学校の臨時休校を受けて混乱が続いていますが、清瀬市が、学童クラブや学校での一部の子どもたちの受入れ体制を迅速に取ることができたのは、間違いなく市直営の職員体制があったからです。
学童クラブや児童センターが既に指定管理者の運営になっていたら、同じ対応が可能だったのか、しっかり検証する必要があります。
・以上の点から、学童クラブと児童センターへの指定管理者制度の導入は容認できません。
 職員の配置基準、資格要件、勤務時間などが現状より後退することになれば、そのまま保育の質の低下につながります。
 民間のノウハウを生かすと言いますが、一番大切な子どもの権利を尊重し、その成長発達を保障する役割が果たせるのかは疑問です。
 深刻な人材不足は民間においても同様であり、むしろより深刻です。
 すべての学童指導員や、退職不補充によって一年契約の嘱託職員を増やし、市が自ら雇用の不安定化を招いておきながら、今度は民間に人員確保を期待するなど、あまりに安易です。
 指定管理者の導入の検討とその是非については、働く職員、利用する子どもや保護者など関係者の意見を丁寧に把握し、直接の参加の機会も保障して反映するべきです。


メディア時評
◆テレビ:戦後75年の8月15日(沢木啓三)
(内容紹介)
 取り上げられた番組は以下の通りです。
1)F研究をネタにしたNHKドラマ『太陽の子 (2020年のテレビドラマ) - Wikipedia
 F研究については以前、別の拙記事新刊紹介:「歴史評論」8月号 - bogus-simotukareのブログで取り上げました。荒勝教授役は國村隼だそうです。なお、「ドラマの本質とは全く関係ない」ですが、このドラマは先日、自殺した若手俳優三浦春馬 - Wikipediaの遺作と言うことで「皮肉な注目」をされています。
2)NHKドキュメンタリー忘れられた戦後補償 - NHKスペシャル - NHK

忘れられた戦後補償 - NHKスペシャル - NHK
 国家総動員体制で遂行された日本の戦争。310万の日本人が命を落としたが、そのうち80万は様々な形で戦争への協力を求められた民間人だった。しかし、これまで国は民間被害者への補償を避け続けてきた。一方、戦前、軍事同盟を結んでいたドイツやイタリアは、軍人と民間人を区別することなく補償の対象とする政策を選択してきた。国家が遂行した戦争の責任とは何なのか。膨大な資料と当事者の証言から検証する。

 なお、沢木氏は

政府は意図的に民間人補償をネグってきたのだから、タイトルは「忘れられた」ではなく「消された」「否定された」などの方が良かったのでは無いか

としています。
3)TBS『8月15日『終戦75年スペシャル』関口宏・綾瀬はるかが伝える「戦争」の真実|TBSテレビ
4)テレビ東京池上彰の戦争を考えるSP 終戦75周年特別企画~感染症の悲劇~(テレビ東京、2020/8/15 12:30 OA)の番組情報ページ | テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)

池上彰の戦争を考えるSP 終戦75周年特別企画~感染症の悲劇~(テレビ東京、2020/8/15 12:30 OA)の番組情報ページ | テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)
<「戦争マラリア沖縄県八重山の悲劇>
 太平洋戦争末期の昭和20年、沖縄県八重山諸島で住民がマラリアに感染し、3647人が亡くなった。池上彰はこの7月、八重山諸島のジャングルを奥深く入り、マラリア感染の悲劇の現場を見て回った。そこで当時の「戦争マラリア」の被害者から悲痛な経験を聞いた。池上は悲劇の背景に陸軍中野学校(陸軍のスパイ養成学校)の工作員がいたことを知る。

 「感染症の悲劇=八重山の戦争マラリア」ですね。まあ、それなりにまともなスタッフだとこういうまともな番組になるわけですが、「フジテレビ辺りの嫌韓国スタッフ」だと池上の番組は酷い嫌韓国になるわけです。池上は8月15日『終戦75年スペシャル』関口宏・綾瀬はるかが伝える「戦争」の真実|TBSテレビでの関口宏綾瀬はるかと大して変わらないでしょう。いや「俺の知る限り」関口や綾瀬は「ゲスの池上」と違い「ゲスい嫌韓国番組」に出演してないので関口らの方がましでしょう。池上出演番組は全て、司会が池上で無くても良く「関口や綾瀬などに代替が聞く代物」でしかない。


文化の話題
◆音楽『無音作品によるリサイタル』(小村公次*31
(内容紹介)
 無音作品のリサイタル無音0)川島素晴 plays... vol.2 “無音” を8/1に開催致します | 川島素晴 -Action Music-が紹介されています。

参考

作曲家川島素晴リサイタルシリーズ第2弾「無音」8月1日旧東京音楽学校奏楽堂 : 平井洋の音楽現場通信
 作曲家川島素晴さんのリサイタルシリーズの第2弾として「無音」が来る8月1日に開かれます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
川島素晴 plays … vol.2 “無音”
2020年8月1日(土)午後4時4分33秒開演(午後3時開場)午後6時終演予定
東京音楽学校奏楽堂(台東区上野公園8-43 JR上野駅公園口より徒歩10分)
入場料 一般2000円 学生1000円
<第1部「4’33” まで」>
アルフォンス・アレー(1854-1905)/
 偉大な聴覚障害者の葬儀のための葬送行進曲(1897)
エルヴィン・シュールホフ(1894-1942)/
 《5つのピトレスク》より第3曲「未来にて」(1919)
イヴ・クライン(1928-1962)/交響曲「単音−沈黙」(1949)
ジョン・ケージ(1912-1992)/4’33”(1952)
<第2部「4’33” 以後」>
ラ・モンテ・ヤング(1935- )/Composition 1960 #6
リゲティ・ジェルジ(1923-2006)/ デヴィッド・チュードアのための3つのバガテル(1961)
ジョン・ケージ(1912-1992)/Song Books(1970)より
・杉山隼一/視覚音楽 I (2015)
・松平敬/心の中で歌う(2020/舞台初演)
・ささきしおり/ユビキタス "S"(2020/委嘱作品初演)
川島素晴/Exhibition 2020(2020/初演)

 無音1)アレーによる史上初の「無音」作品と、その後の系譜 | 川島素晴 -Action Music-によれば、アルフォンス・アレーは、作曲家では無く小説家の上に、発表時期がエイプリルフールであるため、「冗談」のようです。
 エルヴィン・シュールホフですが

無音2)シュールホフ《5つのピトレスク》と、その後の無音作品 | 川島素晴 -Action Music-
 戦後長らく忘れられた存在だったのですが、1990年代からようやく再評価が進んでいるところです。

エルヴィン・シュルホフ - Wikipedia
・シュルホフの死後、彼の作品は半世紀にわたって日の目をみることはなかったが、テレージエンシュタットなどで迫害された他のチェコの作曲家(クライン、ウルマン、ハースなど)と同様に、再評価が進みつつある。
・死後、長い間シュルホフの作品は顧みられることがなかったが、1992年頃からギドン・クレーメルが演奏会でシュルホフの作品を取り上げたことがひとつのきっかけとなり、徐々に再評価が進んでいる。

だそうです。
 ジョン・ケージの「4分33秒」は

ジョン・ケージ - Wikipedia
 ケージの作品で最も有名なもののひとつである『4分33秒』は、曲の演奏時間である4分33秒の間、演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通すものである。

4分33秒 - Wikipedia
・1950年代初頭にケージが創始した「偶然性の音楽」、「不確定性の音楽」の最も極端な例である。偶然性の音楽には鈴木大拙の禅など、東洋思想の影響があり「音を音自身として解放する」「結果をあるがままに受け入れる」という姿勢がある。
 1940年代末のある日にハーバード大学の無響室を訪れ、「無音」を聴こうとして無響室に入ったが「二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと彼は、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音だと言った」とのちに語った。無音を体験しようとして入った場所でなお、音を聴いたことに強い印象を受けて「無音の不可能性」をみたという認識が、後の『4分33秒』へ彼を導いた。
・無音を音楽として見なす例は厳密には『4分33秒』が最初ではなく他にいくつかの先例があり、ダダイスム運動が盛んになった1920年代に書かれている。エルヴィン・シュルホフの『五つのピトレスケ』の第三曲は、全く意味をなさない顔文字と休符だけで全曲が構成された最初の音楽作品である。また1897年に発表されたアルフォンス・アレーの『耳の不自由なある偉人の葬儀のために作曲された葬送行進曲』は、いくつかの空白の小節のみが書かれた作品である。これらは楽譜を眺めることによってそこに込められた風刺的、ダダイスト的な意図を読み取ることが目的で、実際に無音の空白を聞き取るというケージの意図とは必ずしも一致していない。

ということで無音音楽(?)としては非常に有名な「作品(?)」と言っていいでしょう。
 リゲティ・ジェルジですが

リゲティ・ジェルジュ - Wikipedia
 クラシック音楽で実験的な作品を多く残したほか、スタンリー・キューブリック監督作「2001年宇宙の旅」や「シャイニング」などに音楽が使用されたことでも知られる。

だそうです。

【参考:4分33秒

【9月7日付編集日記】白露:編集日記:福島民友新聞社 みんゆうNet
 現代音楽の作曲家ジョン・ケージはある時、大学の無響室というものに入れてもらった。文字通り音のない部屋のはずなのに彼は二つの音を聞いた。一つは、彼の神経などが働いている音で、もう一つは心臓などの音だと教えられた。
▼この経験は「4分33秒」という曲となった。ピアニストがステージに登場すると、演奏開始のところで鍵盤の蓋(ふた)を閉めてしまう。時間を計って、4分半ばを過ぎたところで終わり。何も演奏しない、沈黙の音楽だ。
 ▼米ニューヨークの初演の会場には外の雨や、風で木が揺れる音が聞こえていたという。人が音のない状態をつくっても、実はいろいろな音が響いている。そこに耳を傾けるというのが曲の狙いだった(白石美雪著「すべての音に祝福を:ジョン・ケージ 50の言葉」)

ジョン・ケージはなぜ《4分33秒》を創ったのか——クラシックのバックグラウンドからの変遷をたどる|音楽っていいなぁ、を毎日に。| Webマガジン「ONTOMO」
 ジョン・ケージの作品、《4分33秒》は非常に有名な作品です。
 実はこの曲の楽譜には、様々なバージョンがあります。基本的に3楽章ありますが、この演奏者たちがそれを意識しているのかは、疑問が残ります。ただ、解釈の正しさはともかくとして、現代音楽の作品でこれほど親しまれている作品は他にないのも事実なのです。
 まず指摘しておきたいのですが、《4分33秒》は1発もののギャグではありません。1912年生まれのケージが、1952年に作った作品、つまり40歳頃の作品です。現代音楽のみならず、美術や宗教、建築、映像、文学など、幅広い関心を持ちながら作曲し、一定の評価を得ていた中で、《4分33秒》を生み出し、さらにその後も創作を深めていった作曲家の作品です。
◆「エリーゼのために」を好む少年から、シェーンベルクの弟子へ
 ケージは意外とちゃんとしたクラシック音楽のバックグラウンドをもっていたことは強調しておかねばなりません。幼少期のケージは、一般の子どもと同じように、ピアノを習っていました。例えば、ベートーヴェンの《エリーゼのために》、さらには、最近再評価されているヴィクター・ハーバートの作品などを好んで弾いていたようです。
 徐々に近代音楽に興味を持つようになり、アメリカ帰国後には出会いに恵まれました。アメリ実験音楽において重要な存在であるヘンリー・カウエルや、12音楽の創始者として知られ、クラシック音楽の古典の厳格な指導者でもあったアルノルト・シェーンベルクに師事するようになります。

休符のみの楽曲『4分33秒』、それってどこが「音楽」なの?
 こちらは『4分33秒』という、アメリカの作曲家ジョン・ケージが1952年に作曲した作品です。
 この曲は3楽章構成で、全ての楽章に休符(正確には長い休みを意味する“Tacet”)のみが書いてあります。つまり、音を出して演奏すること自体が間違いになってしまうのです。
◆何も演奏しない曲のどこが音楽なの?
 「演奏しないということは曲と呼べないのでは?」と思う方もいるかもしれません。では、ここでひとつ考えてみていただきたいのですが、「何も演奏しない」ことは「何も聞こえない」ことなのでしょうか。
 答えはNOです。何も演奏しない間も、客席の話し声や咳払いが聞こえるでしょう。会場によってはクーラーの音、場外の鳥の声なんかも聞こえるかもしれません。実はこの『4分33秒』は、そういった休符の間に起こる全ての音をその場で偶発的に起こった音楽として捉えているのです。
◆どんな編成でもできる
 『4分33秒』はピアノで演奏される(正確には演奏しないのですが)ことが多いのでピアノ曲と思われがちですが、楽器は指定されていないのでどんな楽器をいくつ舞台上に持ち込んでも構いません。つまり、オーケストラでもできるのです!
 また、題名の「4分33秒」はこの曲が初めて披露されたときにかかった時間であるだけなので、タイマーで4分33秒間を計る人もいますが、本来は4分33秒でなくても良いとされています。
音楽史から見た『4分33秒
 この『4分33秒』は、様々な点から新しい音楽の創造を試みたジョン・ケージが生み出した、作曲法や音楽の聴き方の面で大変革新的な作品のひとつと言えます。
 西洋音楽界では、20世紀までの200年ほど「細部まで指定された楽譜通りに楽音を演奏することが良い」とされる風潮がありました。しかし、20世紀に入ると「今までの概念を壊す」という大きな動きが出てきます。
 ケージも、今までの概念を壊して新しい音楽を作ろうとしていた作曲家のひとりでした。言い換えると、20世紀以降の作曲家たちは「音楽」として捉えるものの範囲を広げて、今まで音楽として扱われなかったものも音楽として聴いていこうとしたのです。その実験のひとつとして、ケージは「楽譜で曲中に鳴る音を指定せず、観客や施設の物音も音楽と捉えてみたらどうかな?」という曲を作りました。それが、この『4分33秒』なのです。

ジョン・ケージ 4分33秒が評価される理由 - 現代音楽について | 現代音楽入門 Shoichi's Lab
 楽譜に書かれているのは“休み”のみですので、結局、「4分33秒」の間、全く演奏する事無く曲は終了し、指揮者と演奏者は聴衆に対して一礼し、聴衆は「4分33秒」の無音の音楽に対して拍手を送ります。
 これだけ見たら、もう「お笑いのコント」のような楽曲なのですが、この「4分33秒」は世界的に見ても非常に高い評価を受けている楽曲の1つと言えます。
 それはどうしてでしょう? 実は、その理由は大きく分けて2つあります。
◆第1の理由「音楽に関する新しい概念の創造」
◆複雑な世界へと向かうクラシック音楽
 先ほども少し触れましたが、そもそもクラシック音楽の歴史は、基本的に“新しい曲(現在に近い曲)”になればなるほど、“複雑になる”といった特徴が有ります。
 当然と言えば当然ですが、「複雑」の反対は「単純」です。
 凄く複雑な音楽を作る流れが主流になると、全く反対の考えが生まれ始め、そして、その考えを提唱する作曲家達が登場してくるようになります。
 その“反対の流れ”の頂点にくるのが、ジョン・ケージの「4分33秒」です。
 現代音楽の持っている特性の1つに「新しい概念の創造」と言うものがあるのですが、例えば、「これまで価値が無いと考えられていたものに対して価値がある事」を証明できたり、「既に有る価値観に対して大きな変化」を与える事が、それに当たります。
 つまり、ジョン・ケージが提唱した「4分33秒」の世界は、“最も複雑な音楽”とは対の存在となる“最も単純な音楽”を証明し、その価値を世に伝えたのです。
◆第2の理由「音楽の圧倒的な決定力」
 次に、ジョン・ケージの「4分33秒」が評価される理由として、「音楽の圧倒的な決定力」が挙げられます。
 通常、どのスタイルの音楽もそうですが、1つのスタイルが生まれたならば、その曲の後を追うようにして何曲も作曲され、そして、それをまた受け継ぐようにして作曲家生まれてきます。
 しかし、「4分33秒」は、この曲に続くような曲を作曲する事は不可能で(“4分33秒”の第2番「0分00秒」は発表されている)、たった1曲で1つのスタイルを頂点にまで持っていき、そして終焉させてしまいました。
 このような決定力の強い楽曲は他には無く、もしかすると、この先の将来、数百年、数千年経ったとしても、これほどの作品は世に出てこないのかも知れません。
 これこそが、「4分33秒」が評価される大きな理由の1つです。
ジョン・ケージと現代音楽の世界
 私が作っている「現代音楽」と呼ばれる音楽には、「4分33秒」のように「説明や解説無しでは全く理解できない音楽」があります。
 そのため、「良い音楽に対して説明をする必要なんて無い」と言う“現代音楽の形”に対して否定的な意見も数多く有り、私はその考えについて、現代音楽作曲家ではありますが、その考えも「正しい」と思っています。
 しかし、例えばスポーツが、「ルールを知っていなければ楽しめない」のと同じように、現代音楽の世界でも「楽曲のルール(聴き方)」を知って楽しめるものが有っても良いようにも思っています。

【参考:リゲティ・ジェルジ】

リゲティの時代がきた! メジャーへ躍り出た孤高の作曲家|アート&レビュー|NIKKEI STYLE
「私は音楽を書く。それが人々に何を語りかけるかは、気にしない。ただ、消費され、最後は無に帰すたぐいの作品ではないとの自負はある」
 ユダヤハンガリー人の作曲家、ジェルジュ・リゲティ(1923―2006年)は死の5年前、東京でこう語った。2010年代に入って、リゲティ作品の演奏頻度は急カーブで上昇する。今から100年ほど前、マーラーは「やがて私の時代がくる」と信じて作曲を続けた。リゲティマーラーやベルク、ストラビンスキー、ショスタコービチ、バルトークらに続いてクラシック音楽の定番(メジャー)入りを果たし、広く聴かれる時代が訪れた。
 東京フィルのリゲティ定期はソロ・コンサートマスター、荒井英治の強い希望で実現した。
 最終的には「わかりやすさ」も考慮に入れ、冒頭には民謡研究の延長線上で作曲した初期の管弦楽曲ルーマニア協奏曲」(1951年)を置いた。あと3曲も、そろってスタンリー・キューブリック監督の名画「2001年宇宙の旅」(1968年)のサウンドトラックで有名になった無伴奏合唱曲「永遠の光」(1966年)、管弦楽曲「アトモスフェール」(1961年)、ソプラノとメゾソプラノの独唱、合唱、管弦楽のための「レクイエム」(1965年)と、壮年期に当たる1960年代の代表作を並べた。


◆演劇『2020年上半期から:俳優座の二本に注目』(鈴木太郎)
(内容紹介)
 俳優座雉はじめて鳴く | 過去の公演 | 劇団俳優座マクベスの悲劇 | 過去の公演 | 劇団俳優座の紹介。

参考

(評・舞台)俳優座「雉はじめて鳴く」 学校の人間模様、社会の縮図:朝日新聞デジタル
 期待の若手・横山拓也俳優座に書き下ろした「雉(きじ)はじめて鳴く」(眞鍋卓嗣演出)が、ある県立高校をめぐるさまざまな問題を多面的に描いて、見ごたえのある舞台に仕上がっている。

演劇:俳優座「雉はじめて鳴く」 緻密な会話で葛藤紡ぐ=評・濱田元子 - 毎日新聞
 家庭に悩みを抱える高校2年の舞原健(深堀啓太朗)と、個別に相談に乗っている担任の浦川麻由(若井なおみ)を軸に物語は展開する。

俳優座「マクベス」41年ぶり上演へ 新型コロナ対策を徹底(1/2ページ) - 産経ニュース
 俳優座マクベスが上演されるのは、加藤剛主演による公演以来、41年ぶり。今回は近藤弘幸・東京学芸大教授による新訳で、同劇団の斉藤淳(44)がマクベスを、佐藤あかり(45)がマクベス夫人を演じる。
 冒頭の場面で、3人の魔女が語る有名なせりふ「きれいは汚い、汚いはきれい」も、新訳では「いいは悪い、悪いはいい」となっている。
 斉藤は「この言葉に象徴されるように、マクベスがやったことは悪いが、どこか人間の共感を呼ぶ部分がある」とした上で、「矛盾を抱えた人間というものが、この作品でよく書かれている。悪いことをしても、そこには自分なりの正義がある。それは今を生きている私たちにも通じる」と話す。
 1940年代を想定した衣装を身に着け、戦禍に傷ついた廃虚の教会をイメージした舞台中央には水槽が設置される。劇中、水が天井から滴り落ちる演出も。企画・演出を手掛ける森一(はじめ)(64)は「よりリアリティーを持たせるため、水を使うことを考えた」という。

水!手洗い!~『マクベスの悲劇』 - Commentarius Saevus
 新しい台本を使い、あまりカットなしでやるというものである。完全ノーカットというわけではなく(付け足しと考えられているヘカテの場面などはない)、また最初にマクベス夫妻の強い愛情を示すべく、台本にはないマクベス夫妻の結婚式の場面が付け加えられているのだが、かなりカットが少ない。途中でイングランド王は手を触れることで瘰癧の患者を治せる奇跡の力を持っているとかいう台詞があり、私はこの部分をカットしないでやっている『マクベス』はあんまり見たことがないのだが(皆無ではないと思う)、このプロダクションではそこもやっていた。
 特徴は舞台の真ん中にある水である。四角く切り抜いたところに水が入っており、最初はふたがしてあってふつうの床のように見えるのだが、どんどん水の開口部が大きくなって、演出上水が重要になってくる。コロナウイルス流行ということもあり、水はかなり塩素臭のするプールっぽい水なのだが、これがマクベス夫妻の血にまみれた手の洗浄というこの芝居の有名な箇所にからめて、要所要所で使用されている。手洗いの奨励ということでは大変時事にそった演出だ。水による清めというようなことが演出の視覚的な中心にあるのだが、ちょっとこれを強調しすぎてくどいかな…というところもあったものの、だいたいはうまくいっていたように思う。強調しすぎと思ったのはマクダフ(小田伸泰)がマルカム王子(辻井亮人)を押さえつけて水をぶっかけながらスコットランドの惨状を嘆くところで、あそこでマルカム王子があまり抵抗しないのは、いくら水による清めが大事な演出とはいえ人間の動作としてちょっと不自然だろうと思った。


◆美術『コロナ禍で浮かび上がる美術展の課題』(朽木一)
(内容紹介)
 朽木氏の言う課題とは「商業主義(大衆主義)」と「芸術性」のバランスという話です。
 コロナ禍において「集客できるイベントを!」という圧力が高まっている。そうした要望を全く無視することも適切では無いでしょう。
 ただし美術展とは少なくとも建前上は「金儲けとイコールではない」わけです。もっと「高尚な話」が「目的のはず」である。
 実現は困難であるし、朽木氏も解決策があるわけではないものの、そうした建前を「無視してはいけない」と言う話です。
 勿論「朽木氏の主張と完全にイコールでは無い」ですが、後で紹介する『美術展の不都合な真実』(古賀太著、新潮新書)も問題意識は「朽木氏に近いところがある」かと思います。

参考

コロナ禍は美術館に何をもたらすか? 『ラディカル・ミュゼオロジー』『美術展の不都合な真実』を手がかりに|美術手帖
 新型コロナウイルスが美術館に対しても大きな影響を与えている2020年。美術館のあり方は、様々な角度から問われ始めている。そのようななかにおいて刊行された2冊の書籍、『ラディカル・ミュゼオロジー』(クレア・ビショップ著、村田大輔訳、月曜社)日本語版と、『美術展の不都合な真実』(古賀太著、新潮新書)を軸に、小田原のどかが美術館のこれからを眼差す。
・本稿を書いている6月初旬現在、COVID-19に有効なワクチンはいまだ存在していない。そんななか、日本では緊急事態宣言は解かれ、人々は日常を取り戻そうとしている。そして一時閉鎖されていた美術館の条件付き再開が始まっている。これを喜ばしいと思ういっぽうで、今回の経験が美術館にとってどのような意味を持つのかを考えることが必要ではないだろうか。
・日本の美術館と展覧会のあり方は、他国にはない独特の進化を遂げた。『美術展の不都合な真実』ではこれを「企画展中心主義」として焦点化している。
 本書の著者、古賀太は、国際交流基金で日本美術を海外へ紹介する業務に従事し、朝日新聞社文化事業部で海外有名美術館からの借用をもとにした企画展づくりを担当したのち、同紙で美術記者を経験した人物である。
 本書で古賀は、日本固有の現象であるマスメディアと大型美術展の切っても切れない関係に光を当てる。企画展中心主義が日本の美術に何をもたらしたかが論じられるが、古賀はいわゆるブロックバスター展覧会の現状を次のように捉えている。

・「文化事業」とは名ばかりで、新聞やテレビの大手マスコミが自社メディア宣伝を駆使して、世界的にもトップ10にはいるほどの混雑の中で作品を見せられているのが、日本の展覧会の悲しい現状だ。有名作品の前で「立ち止まらずに歩きながら見てください」と叫ぶ係員の声を聞きながら見る展覧会のどこが「文化」だろうか。
・日本の国立館が世界基準になるためには、企画展だのみの動員という考えを根本的に改める必要がある。日本画などの「紙もの」は作品保存が難しく展示期間の問題はあるが、せめて運慶の彫刻などは目立つ場所に常設展示して「目玉」にして欲しい。

大型展覧会は変わるべき? 『美術展の不都合な真実』著者・古賀太に聞く|美術手帖
 日本の美術館で行われるメディア主催の大規模な展覧会(企画展)。その裏側を描いた『美術展の不都合な真実』が新潮新書より刊行された。この本を執筆した背景について、著者の日本大学芸術学部教授・古賀太に話を聞いた。
 新型コロナウイルスによって数ヶ月もの長い臨時休館を強いられてきた美術館が、6月に入り次々と再開した。多くの美術ファンにとって喜ばしいニュースだが、美術館は事前予約制など、これまでにない対応を迫られている。このコロナ禍を機に美術館のあり方を見直すべきだという声は、美術関係者からも聞かれる。そんななか、メディア共催展(マスコミが主催に入る展覧会)をはじめとする美術館展覧会の隠れた部分を顕にした書籍『美術展の不都合な真実』(新潮新書)が刊行された。
◆インタビュアー
 古賀さんは現在日本大学芸術学部教授ですが、かつては展覧会を主催する側にいらっしゃったということですね。
◆古賀
 九州大学卒業後、1年間の大学院在籍を経て、国際交流基金に就職しました。私は映画が専門なので、日本映画を海外に広める仕事ができるかなと。でも結局は海外で展覧会を行うためのコーディネーターのような仕事がメインでしたね。「ユーロパリア・ジャパン」(ベルギー、1989)や「ジャパン・フェスティバル」(イギリス、1991)などに携わり、その後朝日新聞社に転職しました。朝日新聞社では展覧会事業が中心の文化事業部で、主に海外美術館から作品を借りて展覧会を企画する担当でした。その後に朝日新聞の文化部の美術担当記者も1年半ほど担当し、2009年から現職です。ですから、合計20年ほどは展覧会の現場にいたことになりますね。​
◆インタビュアー
 そのご経験がある古賀さんが、いまなぜこのような本を書こうと思ったのでしょうか?
◆古賀
 朝日新聞社で美術展をやっていた頃から、自分や新聞社がやっていることに疑問を抱いてきました。業界構造自体が間違っているんじゃないかと。その思いは記者になってより強くなり、この十年ほど、観客として美術展を見ていると確信に変わりました。だからこの本は、自分がやってきたことへのある種の「罪滅ぼし」として書いたのです
 例えば、メディア共催展にはいくつかパターンがあり──少し変わりつつあるようですが──国立の美術館・博物館は基本的にマスコミがすべての費用を負担するんです。受付や監視員の人件費から作品の輸送費まですべてです。
 国立館の共催展のチケットは「常設展もご覧いただけます」と案内されますよね。この仕組は、チケットひとり分につき、常設展分の料金が美術館に配分されるということです。つまり、共催展チケットが1700円でもともとの常設展が500円であれば、1700円のチケット収入のうち500円分が美術館の、残りがメディアの取り分です。極端に言えば、企画展をやることで国立館は支出ゼロで労なくして利益を得ることができる。
 驚きですよね。外から見れば美術館の仕事だと思われていることも、じつはメディアがやっている。これは本来おかしなことなのです。
◆インタビュアー
 そうした業界構造は、一般にはほとんど知られていないと思います。メディア共催展の歴史は長いですよね。
◆古賀
 例えば朝日新聞社は、1964年に約172万を動員した「ミロのビーナス特別公開」(国立西洋美術館京都市美術館)を、翌65年には約295万人を動員した「ツタンカーメン展」(東京国立博物館京都市美術館、福岡県文化会館)を開催しています。
 かつては、こうした「話題づくり」が新聞社にとっては欠かせない事業でした。つまり、報道するものを自分たちがつくりだす「メディア・イベント」です。春や夏の高校野球がその典型ですね。(いまもありますが)新聞社は自社主催の展覧会について、紙面で1ページの特集記事を出しますよね。本当は内部の記者たちも疑問を持っていますが、仕事だからやらざるをえない。そうではなく、ジャーナリズムの原点に戻るべきです。
◆インタビュアー
 話題づくり、という意味では「美術手帖」でもブロックバスターの内覧会は必ず取材するので、成功していると言えます。いっぽうで、事業を続けていくには話題性だけでなく収益性が高いことも必須条件ですよね。 
◆古賀
 潮目が変わったのは1994年ですね。国立西洋美術館で開催された「バーンズ・コレクション展」が107万人を集めたのです。この展覧会には、読売新聞社が5億円とも言われた借用料を支払いましたが、それでも黒字になった。これを機に、広告収入が減少傾向にあったテレビ局や新聞社が、収益事業として展覧会に参入してきたのです。つまり、展覧会事業が「話題づくり」から収益事業へと変わった。
◆インタビュアー
 減少傾向にあるとはいえ、数十万人を動員する展覧会は毎年いくつも開催されます。いっぽうで、このコロナ禍においては「3密」を避けるための事前予約制などが導入されはじめ、膨大な入場者数を前提としたブロックバスターも変わらざるをえない、という声も業界内からは聞こえてきます。
◆古賀
 そうですね。だからこれはチャンスだと思いますよ。これまでの歪んだ構造を正す機会なのです。「3密」を避けるためにも、もはや1日平均で3000人〜4000人、あるいは週末に1万人も動員するような展覧会はできない。
 でもそうなってようやく、そもそも「美術館とは何か」ということをみんなが考え出すのではないでしょうか。大きな美術館も小さな美術館も博物館も、マスコミもお客さんもです。「押すな、押すな」ではない状況を半年でも経験したら、考えが変わる。あれはおかしかったなと。この本で、それに気づいてほしいという思いもあります。
◆インタビュアー
 例えば、森美術館の片岡館長は美術手帖に寄せた論考のなかで、「展覧会あるいは美術館全体の運営について新しいモデルが求められることは間違いない」「メディア系事業部による展覧会モデルにも新たな挑戦を強いることになる」と語っています。また横浜美術館の蔵屋館長も美術手帖のインタビューに対し、「世界的にブロックバスターが見直される時期なのかもしれません」と話しています。当然我々メディアもブロックバスター、あるいは美術館について再考すべきときだと思いますが、古賀さんは美術館のとくにどの部分が見直されるべきだとお考えですか?
◆古賀
  「美術館とは何か」を考えるうえで必要不可欠なのは、「常設展」を見直すことではないでしょうか。例えば、東博*32はあれだけ充実したコレクションを持ちながら、それを展示する本館や東洋館や法隆寺宝物館はいつも人がまばらな状況ですよね。特別展を行う左奥の平成館ばかりに行列ができる。
 でも美術館というのは本来、常設展つまりコレクションこそが根幹のはず。時間はかかるでしょうが、美術館=企画展(催しもの)ではなく、美術館=コレクションという意識の変革も必要だと思います。
◆インタビュアー
 いっぽうで、メディア共催展にも利はありますよね。予算が少ない美術館単独では不可能な規模の展覧会が実現できている、というのもまた現実です。
◆古賀
 だから美術館の予算配分を含め、構造を変えるべきタイミングなのです。これまでは収益を高めたいメディアと、全国につくってしまった建物(ハコ)を維持したい美術館や行政が、疑問を持ちながらも互いにもたれかかってきた。でもこのコロナをきっかけに、行政も含めて認識を変えなければいけない。私はそう思います。この本を書いた時点では正直無理かなと思っていましたが、コロナ時代のいまは、それができる千載一遇のチャンスが訪れたと考えています。

 共催だと批判できない、それでええんか、という古賀氏の批判が最も「ジャストミート」してるのに、改善されてるとはとても思えない、それが読者の側にも丸わかり、つうのは、まあ、美術展よりも「スポーツ共催」、特に高校野球ですよね。
 朝日が共催だし、共催じゃ無い新聞社(読売、毎日、産経など)も「高校球児の皆さん、感動をありがとう」的な形で商売に利用してるが故に「夏の暑い中、野球なんかやっていいのか。健康的にまずいんじゃ無いか?」なんて批判は新聞にはできないわけです。
 あるいは五輪なんかも

夏の甲子園が中止になったのなら、来年夏のオリンピックも開催できるかどうかを議論すべきだ(たぶん議論からは逃げるだろうが、現状では開催できない) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 米国なんぞは、NBCがオリンピック独占放送していますから、それ以外の放送局、あるいは新聞はオリンピックにけっこう辛辣な意見を述べたりしますが、日本ではそれこそ朝日新聞から産経新聞まで、オリンピック翼賛報道です。放送局にいたっては議論するのも野暮です。

ということでろくに批判できません。

 (いまもありますが)新聞社は自社主催の展覧会について、紙面で1ページの特集記事を出しますよね。本当は内部の記者たちも疑問を持っていますが、仕事だからやらざるをえない。そうではなく、ジャーナリズムの原点に戻るべきです。

という古賀氏の言葉をもじれば

 (いまもありますが)新聞社は高校野球について、特集記事を出しますよね。本当は内部の記者たちも疑問を持っていますが、仕事(?)だからやらざるをえない。そうではなく、ジャーナリズムの原点に戻るべきです。

でしょう。

SUNDAY LIBRARY:著者インタビュー 古賀太『美術展の不都合な真実』 - 毎日新聞
 新型コロナウイルスの感染拡大防止により、2カ月を超す休館を経て再開した美術館は入場者数を制限せざるをえなくなった。ところが、古賀太さんは「美術展が陥った現状を変革し、原点に戻ることのできるチャンスです」と語る。
 「最近では入場者が何十万人にものぼる美術展が増え、会場は混雑しています。チケットは高額になり、映画よりも高い場合がある。一方、その美術館のコレクションを見せる常設展はいつもガラガラです」
 古賀さんは国際交流基金で日本美術を海外に紹介する仕事に携わったあと、朝日新聞社の文化事業部で美術展を企画する仕事をしていた。本書はその経験をもとに、美術展の「カラクリ」を明らかにするものだ。
(この記事は有料記事です。)

美術展が抱えた大問題、暗礁に乗り上げた大型企画展の事業モデル | コロナで崩壊寸前!どうなる!?エンタメ | ダイヤモンド・オンライン(ダイヤモンド編集部論説委員 小栗正嗣)
 日本人は美術展覧会が大好きだ。けん引役は、新聞社やテレビ局が主導するブロックバスター展といわれる大型企画展。主立った美術館もその恩恵にあずかってきた。しかし、新型コロナによってその事業モデルが大きく揺らいでいる。特集『コロナで崩壊寸前!どうなる!?エンタメ』(全17回)の#9では、大量集客を前提とした大型企画展ビジネスを解剖し、その行方を占う。
・首都圏のある公立美術館の館長が打ち明ける。1000館を超える大小の美術館の半分以上は公立である。
 「私たちは事業収支を厳しく問われるわけではない。与えられた予算の中でやっているので、コロナによって資金的に切羽詰まっているわけではない」
 では、美術館はコロナ禍をものともしないのか。もちろん、そんなことはない。ここ数十年にわたる日本の美術人気の“けん引役”がコロナでピンチになっているのである。
 そのけん引役とは、「ブロックバスター展」と呼ばれる大型企画展だ。
 下表の「2019年世界の美術展 入場者数ランキング」を見ていただきたい(ボーガス注:表は省略)。
 有料展覧会では日本勢が軒並み上位を占める。東京都美術館で開催された「ムンク展」(入場総数67万人)、同じく「クリムト展」(58万人)、そして東京国立博物館の「特別展 国宝 東寺」(46万人)といった具合だ。
 高度成長期の1964年には「ミロのビーナス特別公開」が東京、京都で172万人を集め、74年には東京国立博物館の「モナ・リザ展」に150万人が足を運んだ。
 こうした誰もが知る作品の展覧会だけではない。西洋のオールドマスター(18世紀以前の巨匠)の展覧会もコンスタントに数十万人の観客を呼び寄せる。日本人は絵を見るのが大好きなのである。
 ところが、下表の「2019年世界の美術館 入場者数ランキング」を見ると、そこに疑問符が付く(ボーガス注:表は省略)。
 ルーヴル美術館を筆頭とした、美術館そのものの観客動員トップ10に日本の美術館が食い込むことはない。上位に来ても20位くらいがせいぜいだ。
 例えば、ルーヴル美術館にも企画展のスペースはあるが、総展示面積6万m2に対して1800m2ほどにすぎない。観客のお目当ては、所蔵コレクション38万点の中からより抜かれた、3万8000点の常設展示作品だ。
 それに対して日本の観客のお目当ては、(ボーガス注:常設展では無く)企画展の方なのである。
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◆スポーツ最前線『人種差別を許さないスポーツ界の大きな変化』(和泉民郎)
(内容紹介)
 タイトルだけで予想がつくでしょうが「大坂なおみなどスポーツ選手のBLM運動への連帯表明」がとりあげられています。そういえば大阪は今年の全米オープン女子シングルスで優勝しましたね。なお、大阪は全米オープン女子シングルスでも「BLM運動への連帯を示す意味合い」で「黒人の名前がかかれたマスク」を毎回着用していたようです。

【参考:大坂なおみ

澤藤統一郎の憲法日記 » 大坂なおみが示した「日本人離れ」の、さわやかな個性
 この人の意見や発言が、また「日本人離れ」して、すこぶる明快なのだ。

https://twitter.com/naomiosaka/status/1298785716487548928
 こんにちは。多くの皆さんもご存じのように、私は明日(8月27日)の準決勝に出場する予定でした。しかし、私はアスリートである前に、一人の黒人女性です。黒人女性として、私のテニスを見てもらうよりも、今は注目しなければいけない大切な問題があると感じています。
 私がプレーしないことで劇的に何かが起きるとは考えていませんが、白人が多い競技で議論を始めることができれば、正しい道へのステップになると思います。相次いで起きている警官による黒人の虐殺を見ていて、正直、腹の底から怒りが湧いています。数日おきに(被害を受けた人の名前の)新しいハッシュタグをつけ(SNSに投稿し)続ける状況に苦しみ、疲れています。
 そして、同じ会話を何度も何度も繰り返すことにとても疲れてもいます。いったい、いつになったら終わるのでしょうか?

 この人は、自分を「アスリートである前に一人の黒人女性(a black woman)である」と躊躇なく言い切っている。
 私は、テニスという競技にはほとんど何の興味も知識もなく、「ウエスタン・アンド・サザン・オープン」の準決勝棄権というものの重みを実感できない。が、プロの選手が国際試合をボイコットしようというのだ。ウィスコンシン州で起きた黒人銃撃問題に抗議の意を示し問題提起のためとする、彼女の準決勝棄権の決意のほどは伝わってくる。立派なものだ。
 その後、大会主催者は大坂の問題提起を受けとめた。8月27日に予定されていた全試合を28日に順延すると発表した。また、全米テニス協会も日程の順延について「テニスは、アメリカで再び起きた人種差別と社会の不公平に対し、結束して反対する」という声明を出したという。これも立派なものだ。おそらくは、大坂の問題提起を受けとめねばならないという空気が全米に満ちているのだろう。
 さらには、Twitterでは「#大坂なおみさんを支持します」というハッシュタグが作られ日本のトレンドに入ったという。紹介されているものでは、「アスリートの鏡だと思う」「自身の影響力を社会のために使っている素晴らしい例」など大坂選手への応援の言葉が大半を占めたという。もちろん、右翼諸君の批判や疑問も多数にのぼるものだったともいう。
 この大坂なおみ、『スポーツと政治を混同してはいけない』『アスリートの政治的発言はいかがなものか』という定番の批判にたじろぐところがない。今年(2020年)6月5日には、「スポーツと政治を混同させるな」の声に反論して、次のように発信している。

「アスリートは政治的に関わるな、ただ楽しませればよいという意見が大嫌い。第一にこれは人間の権利に関わる問題だから。そしてなぜあなたの意見の方が私より良いの? もしIKEAで働いていたら、IKEAのソファーの話しかしちゃいけないの?」

 そのとおりだ。誰もがいかなる政治的テーマにも関わってよい。アスリートはその技倆で観衆を楽しませていればよく、その分を越えるべきではないというのは、アスリート蔑視であり不当な差別である。ましてや、重大な人権問題については、すべての人が関心をもち、発言しなければならない。それは、民主主義社会に生きるすべての人々の責務と言ってよい。
 「政治に関わるな」「政治的発言は控えろ」「分を弁えておとなしくしておけ」という、社会の圧力に唯々諾々としたがっていたのでは、いつまでも社会から不合理がなくならない。民主主義とは、すべての人の発言を保障する社会のありかたである。

大坂なおみ、BLMのTシャツで準決勝のコートに登場 - 産経ニュース
 米ウィスコンシン州での警官による黒人男性銃撃事件など一連の人種差別に抗議するため、テニスのウエスタン・アンド・サザン・オープンの女子シングルスで4強入り後に棄権を表明し、その後に撤回した大坂なおみ日清食品)が28日、エリーズ・メルテンス(ベルギー)との準決勝に臨んだ。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大事だ)」と人種差別に対する抗議運動のスローガンが記され、握った拳が描かれたTシャツを着てコートに登場した。
「より抗議運動への注目を集めることができる」とプレーすることを決めて臨んだ準決勝。試合前の練習ではサーブを打つ姿に硬さは感じられなかった。

大坂なおみがマスクに遺した7人の犠牲者。勝ち続けることで貫いたもの【全米OP・画像】 | ハフポスト
 テニスの大坂なおみ選手は、2020年の全米オープンに特別な思いを持って臨んでいた。
 直前のウエスタン・アンド・サザン・オープンでは、黒人男性が背後から警察官に撃たれた事件に対する抗議として、準決勝のボイコットを一時表明した。
 プレーしながら世に訴えかけていく。勝つことで自分の意志を貫く。
 全米オープンは、それを体現する場となった。
 用意した7枚のマスク。その一つ一つに、黒人に対する人種差別や警察による暴力の犠牲者の名前を遺した。
 「7枚のマスクでは、多くの犠牲者の名前をつづるのに足りないのを残念に思う。決勝に行って、全てのマスクを見せたい」
 決勝を含めて全7試合。大坂選手は、1回戦の勝利インタビュー語った言葉通り決勝まで進み、7枚全てのマスクを披露した。
 大坂選手が身につけたマスクに記された犠牲者や、事件について振り返る。
◆1枚目(1回戦):ブレオナ・テイラー
 テイラーさんが事件に巻き込まれたのは3月13日深夜。麻薬事件の捜索で自宅に押し入ってきた警察官に射殺された。麻薬事件の捜査対象は、テイラーさんではなくその場にいなかった別の容疑者だった。
 令状を持った警察官がドアを壊して中に押し入ると、不審者と思った恋人が1発発砲。警官が応じて銃を繰り返し撃ち、テイラーさんに5発命中した。
 その場にいた警察官の一人は、部屋の中めがけて、やみくもに10発放ったという。
 自宅から麻薬は見つからなかった。
 やみくもに銃を放った警察官は免職となった。他の2人は配置換えされただけで、誰もテイラーさん射殺の刑事責任を問われていない。
 警察側は、アパートに押し入る前に身分を明かしたと主張しているが、この事件をきっかけに、ノックをせず予告なしに家宅捜査をすることを禁じる法律が成立した。
 警察官による黒人の人たちへの暴力やこの事件に抗議する声が上がっている。
◆2枚目(2回戦):エライジャ・マクレー
 事件に巻き込まれたのは2019年8月24日夜。コロラド州オーロラで、コンビニからの帰宅中に3人の警察官に呼び止められた。
 緊急通報ダイアル911番で、顔の部分だけが出ているスキー帽をしている不審な人物がいるという通報があったからだという。
 マクレーンさんは違法行為をしていなかった。帰宅したいと伝えても、警官は応じなかった。抵抗したとみなされ、警官から銃を奪おうとしたという理由で地面に押し付けられた。
 マクレーンさんはけい動脈のあたりを押さえつけられ意識を失ったが、離すと再びもがいたという。15分後、到着した医療救急隊が鎮静剤ケタミンを投与。病院搬送中に心肺停止となり、数日後に死亡した。
 3人の警察官は当初休職処分となったが、検察が起訴せず、再び職務復帰した。
 この事件は、5月に起きたジョージ・フロイドさん事件を機に再燃した。全米規模でBLM運動が叫ばれる中で、デンバーのデモ参加者はマクレーンさんや家族が求めた正義や公正さを強く訴えた。
 マクレーンさん事件の新たな捜査を求める署名には、500万人以上が署名した。
◆3枚目(3回戦):アマッド・アーバリー
 事件に巻き込まれたのは、2月23日午後1時ごろ。近所をジョギングしている最中に、白人の親子によって銃殺された。
 事件から2カ月もの間、容疑者は逮捕されなかった。5月に事件を撮影した動画が投稿され、話題となったことでようやく、白人の親子が殺人と加重暴行の疑いで逮捕された。その後、動画を撮影していた男も、重罪謀殺と不法監禁未遂で逮捕された。
 逮捕された親子はアーバリーさんを撃った理由を「強盗だと思った」と主張しているが、アーバリーさんの家族の弁護士は「これは白昼に起きた現代のリンチ」と訴えている。
 この動画が明るみに出た後、アーバリーさん殺害や2カ月も逮捕されなかったことに対して、大勢の市民が激しい抗議をしている。
 なぜ逮捕が遅れたのか。
 逮捕された父親は、2019年に引退した元警察官。アーバリーさん事件を最初に担当した検察で仕事をしたことがあった。検察当局側は、(中略)逮捕しないように指示したことはないと否定している。
◆4枚目(4回戦):トレイボン・マーティン
 事件が起きたのは、これまでの3人よりも少し遡る。マーティンさんの死や事件が、Black Lives Matter運動として社会的な広がりを見せるきっかけになっている。
 マーティンさんは2012年2月26日、(中略)コンビニで買い物をした帰り道、ヒスパニック系の白人の男性と遭遇した。口論となった末、胸を銃で撃たれて死亡した。
 男性は、マーティンさんに襲われ地面に押し倒されたとして、発砲について「正当防衛」を主張。男性は事件から1カ月以上も逮捕されず、警察の対応に抗議活動が起きた。
 司法省とFBIは3月19日、マーティンさんの死について捜査を開始したことを発表。マーティンさんの両親が始めた逮捕を求める署名は、130万人を超えた。
 男性は逮捕され、第2級殺人の罪に問われたが、その後の展開が更なる波紋を呼ぶことになる。
 2013年7月、無罪評決が言い渡されたからだ。黒人に対する人種差別として、全米で抗議活動が広がった。
 Black Lives Matter運動は、この時に生まれた。
◆5枚目(準々決勝):ジョージ・フロイド
 事件が起きたのは5月25日。フロイドさんは、偽造した20ドル札を使った容疑で拘束された際、警察官に膝で首を抑え付けられてその後に死亡した。
 「息ができない」。
 そう何度も助けを求めるフロイドさんの声は無視され、警察官は8分40秒に渡って膝で首を抑え続けた。
 その様子を撮影した動画がSNSで拡散し、多くの人が、警察による暴力に対する怒りを表明した。黒人への暴力に抗議するBLM運動が再燃し、全米や世界、そして日本にまで広がった。
 フロイドさんの死は、国中や世界を巻き込んで、数え切れないほど抗議運動に発展。このBLM運動の盛り上がりは、警察らによる暴力で黒人の人たちが犠牲になった過去の事件に改めて光を当てた。
◆6枚目(準決勝):フィランド・カスティー
 事件に巻き込まれたのは2016年7月7日。
 ミネソタ州ファルコンハイツ、セントポール郊外で、車を運転していたところ警察官に止められた。
 運転席の窓越しにライトがついていないと伝えられ、免許証と保険の提示を求められた。それに対して、カスティールさんは銃を所持していることを告げた。
 警察官は「(銃を)手に取らないように」と告げた後、「取り出すな!」と声を荒げた。そして、車内に向けて7発発砲し、うち5発がカスティールさんに命中した。
 このやり取りの中で、カスティールさんや同乗していた恋人は警官に対して「取り出していない」と答えていた。車には4歳の子供も乗っていた。
 警察官は、カスティールさんがポケットから銃を取り出そうとしたと思い、命の危険を感じたと主張した。
 第2級故殺の罪に問われたが、陪審員による裁判で無罪評決が下された。この判断は波紋を呼び、多くの人が抗議活動で怒りを表明した。
 カスティールさんが射殺される前日にも、別の黒人男性アルトン・スターリングさんが地元警察に射殺されたばかり。悲劇が繰り返された。
◆7枚目(決勝戦):タミル・ライス
 タミル・ライスさんは、オハイオ州クリーブランドに住む12歳の少年だった。
 事件に巻き込まれたのは、2014年11月22日。
 ライスさんは、市内の公園で模造銃を手に遊んでいたところ、通報で駆けつけた白人警官に銃で撃たれて死亡した。
 警察側は、ライスさんに手を上げるように指示したが従わず、腰に手を伸ばしたために発砲したという。
 事件の様子を捉えた監視カメラの映像が公開されると、世界中の関心を集め、ライスさんはBLM運動の象徴的な存在となった。
 12歳の少年に対する警察の暴力に対して、激しい抗議活動が展開。タミルさんを撃った警察官に対する起訴が見送られ、さらなる怒りが広がった。
◆「7枚では足りない」
 大坂選手が「7枚では足りない」と話していたように、黒人に対する人種差別や警察の暴力で命を落としたのは、7人よりもはるかに多い。

意志貫く大坂選手、同世代が称賛 マスクで抗議「きっかけくれた」:東京新聞 TOKYO Web
 テニスの大坂なおみ選手は人種差別撤廃を訴え、黒人被害者の名前入りのマスクを着けて全米オープンに臨んだ。大坂選手と同じ世代からは祝福とともに抗議の意志を貫いた姿勢に称賛の声が上がった。
 「確固たる信念を行動に移した姿に感動した」と話すのは日本で人種差別への抗議デモを主催した市民団体「BLACK LIVES MATTER TOKYO」の須永茉奈美さん(28)。
 「『人種や考え方が違っても同じ人間だから差別は駄目』というメッセージが若い世代に浸透する良いきっかけを作ってくれた。政治的なことに声を上げてもいいという文化がスポーツ界にも生まれてほしい」と期待した。

大坂選手全米優勝 根室も喜び |NHK 北海道のニュース
大坂なおみ選手の祖父で、根室市の大坂鉄夫さん(75)は根室市内の自宅前で報道陣の取材に応じました。
大坂なおみ選手が着けていた人種差別に抗議するためのマスクについては、「彼女は彼女なりに、差別のことを考えてのことだと思うので、勇気があるなと誇らしく思います」と話していました。

大坂なおみの人種差別抗議に国内外で温度差 スポンサーの微妙な事情 - 毎日新聞
 テニスの全米オープン女子シングルスで、人種差別への抗議を続ける大坂なおみ(22)=日清食品=の行動が、大きな反響を呼んでいる。1回戦から黒人差別による被害者の名前が書かれた黒いマスクをつけてコートに入場し、差別撤廃へのメッセージを発信しているが、大坂を支援する国内外のスポンサー企業では受け止め方に温度差がある。その事情とは?【浅妻博之】
 「上まで勝ち上がっている時にやらなくてもね。できればテニスのプレーでもっと目立ってほしいんですけど……」。
 そう話すのは大坂を支援する日本企業の関係者だ。「黒人代表としてリーダーシップをとって、人間的にも素晴らしい行為だとは思うが、それで企業のブランド価値が上がるかといえば別問題。特に影響があるわけではないが、手放しでは喜べない」と複雑な心境を打ち明けた。また別のスポンサー企業関係者からは「人種差別の問題と本業のテニスを一緒にするのは違うのでは」との声も聞こえてきた。
 一方でスポンサーの一つである米国系企業の反応は違う。
(この記事は有料記事です。)

大坂なおみ「あなたがどう受け止めたかに興味ある」7つのマスク問われ。全米オープン2度目のVインタビュー | ハフポスト
大坂なおみは、2020年全米オープンテニスの女子シングルスに優勝し、(ボーガス注:2018年全米オープン女子シングルス優勝、2019年全豪オープン女子シングルス優勝に続く)自身3回目のグランドスラムを制覇した。
・ブラック・ライブズ・マター運動をめぐり、決勝まで用意していた7通りのマスクについて聞かれると、大坂は「あなたが受け取ったメッセージは何でしたか?。メッセージをあなた方がどのように受け取ったかに興味があります。話し合いが起きれば良いと。USオープン会場の外で起きていることについては詳しくないですが、より多くの人がこのことを語る(きっかけになる)といいと思います」と語った。

*1:参院議員。日本共産党幹部会委員、参院幹事長(参院国対委員長兼務)

*2:中央委員会の機構と人事(第28回党大会)|党紹介│日本共産党中央委員会によれば日本共産党中央委員

*3:39団体がどこかについてはアクションについて – 女性差別撤廃条約実現アクションで確認ができます。

*4:日本共産党幹部会委員

*5:日本共産党スポーツ委員長(党中央委員兼務)

*6:日本共産党農林・漁民局長、先住民(アイヌ)の権利委員長(党常任幹部会委員兼務)

*7:日本共産党青年・学生委員長(党常任幹部会委員兼務)

*8:日本共産党副委員長、人権委員長、ジェンダー平等委員長(党常任幹部会委員兼務)

*9:現在、日本共産党副委員長、政策委員長(党常任幹部会委員兼務)

*10:現在、日本共産党政策副委員長、ジェンダー平等副委員長(党常任幹部会委員兼務)

*11:琉球大学准教授。著書『福祉国家新自由主義:イギリス現代国家の構造とその再編』(2014年、旬報社

*12:著書『ひとりで死んでも孤独じゃない:「自立死」先進国アメリカ』(2012年、新潮新書)、『日本より幸せなアメリカの下流老人』(2016年、朝日新書)、『大統領を裁く国アメリカ:トランプと米国民主主義の闘い』(2018年、集英社新書)、『アメリカ白人が少数派になる日』(2020年、かもがわ出版

*13:1964年ノーベル平和賞受賞者。1968年に白人右翼によって暗殺された

*14:1965年に対立する黒人過激派組織によって暗殺された。

*15:法的には殺人で無く傷害致死かもしれませんが

*16:衆院議員。日本共産党中央委員

*17:衆院議員。日本共産党中央委員

*18:熊本県議(日本共産党

*19:衆院議員。日本共産党幹部会委員(党沖縄県委員長兼務)

*20:元名護市長

*21:立教大学名誉教授。著書『子ども虐待と性教育』(1995年、大修館書店)、『社会福祉基礎構造改革でどうなる日本の福祉』(1999年、日本評論社)、『新自由主義と非福祉国家への道:社会福祉基礎構造改革のねらいとゆくえ』(2000年、あけび書房)、『市場原理と弱肉強食の福祉への道:「構造改革」は日本の福祉をどこに導くか』(2002年、あけび書房)、『子ども虐待の福祉学』(2002年、小学館)、『子どもの権利と「保育の質」』(2003年、かもがわ出版)、『「次世代育成支援」で変わる、変える子どもの未来』(2004年、山吹書店)、『子どもを大切にする国・しない国』(2006年、新日本出版社)、『社会保障と保育は「子どもの貧困」にどう応えるか』(2009年、自治体研究社)、『脱「子ども貧困」への処方箋』(2010年、新日本出版社)、『沖縄戦と孤児院』(2016年、吉川弘文館)、『「子どもの貧困」解決への道』(2017年、自治体研究社)、『戦争孤児たちの戦後史』(編著、2020年、吉川弘文館)、『包括的性教育』(2020年10月刊行予定、大月書店)など

*22:著書『陸軍中野学校沖縄戦:知られざる少年兵「護郷隊」』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『戦争孤児たちの戦後史』(編著、2020年、吉川弘文館

*23:小泉内閣文科相麻生内閣官房長官自民党選対委員長(第二次安倍総裁時代)を歴任。現在、日韓議連幹事長

*24:小泉、第一次安倍内閣外相、福田内閣官房長官などを歴任した町村信孝の女婿。町村の地盤を引き継ぎ衆院議員(北海道選出)。

*25:毎日新聞記者。著書『戦艦大和:生還者たちの証言から』(2007年、岩波新書)、『シベリア抑留:未完の悲劇』(2009年、岩波新書)、『遺骨:戦没者三一〇万人の戦後史』(2015年、岩波新書)、『「昭和天皇実録」と戦争』(2015年、山川出版社)、『特攻:戦争と日本人』(2015年、中公新書)、『戦後補償裁判:民間人たちの終わらない「戦争」』(2016年、NHK出版新書)、『シベリア抑留 最後の帰還者:家族をつないだ52通のハガキ』(2018年、角川新書)など

*26:著書『戦争孤児を知っていますか?』(2015年、日本機関紙出版センター)、『戦争孤児:「駅の子」たちの思い』(2016年、新日本出版社)など

*27:この「牟田さん」は 牟田悌三 - Wikipediaと同一人物であり、同姓同名の別人ではありません。俳優が本業ではありますが、晩年はボランティア活動に積極的に関わっていたわけです。

*28:著書『琉球王国の象徴 首里城』(2020年、新泉社)

*29:2019年のこと

*30:著書『沖縄の戦争遺跡』(2017年、吉川弘文館

*31:著書『徹底検証・日本の軍歌』(2011年、学習の友社)

*32:東京国立博物館のこと