拉致はなぜ放置されてきたのか2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
高世仁に突っ込む(2020年11/18日分)(ボーガス注:松本清張『砂の器』『ゼロの焦点』、鮎川哲也『黒い白鳥』の一部ネタバレがあります) - bogus-simotukareのブログで取り上げた拉致はなぜ放置されてきたのか - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。
まあ、延々、「横田めぐみ拉致」以前の「北朝鮮と思われる不審船事件」を書き「拉致は防げなかったのか」「もっと早く『謎の失踪』が北朝鮮拉致と認識できなかったのか」と悲憤慷慨する高世ですが今更そんなこと言って何になるのか(ちなみにまだ「つづく」です)。
高世仁に突っ込む(2020年11/18日分)(ボーガス注:松本清張『砂の器』『ゼロの焦点』、鮎川哲也『黒い白鳥』の一部ネタバレがあります) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが今すべき話はそんなことじゃない。
「何故、2002年の小泉訪朝後、18年経っても拉致が解決しないのか」「これからどうすれば解決できるのか」という話です。そう言う話をしたがらない辺りが高世は全くどうしようもないバカです。
きのう紹介した不審船事件だが、海上保安庁はこれまで確認した「過去の不審船・工作船事例」として以下の21例(21隻)をHPに載せている。
https://www.kaiho.mlit.go.jp/info/books/report2003/special01/01_02.html
(中略)
21(ボーガス注:隻)の沈没した北朝鮮工作船は引き揚げられて海上保安庁の横浜の資料館に展示されてある。世界で唯一、北朝鮮工作船の全貌が見られる貴重な場所なのだが、ほとんど知られていないようで、いつ行ってもガラガラ。「独り占め」できますよ。機会があればぜひどうぞ。
「行かねえよ、バカ!。行って何の意味があるんだ!」ですねえ。まあ、「知られてない」つうより「知っても行かない」でしょうね。
横浜に行くならそんなところではなく中華街とか有名観光地ですよねえ。
しかし高世もとんちんかんですね。「ガラガラ」なのに「混んでる」と嘘も書けないでしょうが、わざわざ「ガラガラ」と書かなくてもいいでしょうに。大抵の人間は「そんなガラガラなところへ行ってもつまらない」となってかえって行かないでしょうよ。
一日に3本映画を観た。こんな体験は初めてだ。
「ジンネットが倒産して暇になったからですね。高世さんの第二の新しい人生が始まって良かった、良かった。ジンネット倒産おめでとうございます!」といったらやはり高世はマジギレするんでしょうね(苦笑)。まあ、俺はそう言う「性格の悪い人間」ですので。高世のような「人間として何一つ評価してないクズ」にはためらいなく皮肉や嫌みが書ける。
スターリンの『国葬』という映画を渋谷でやっているというので、監督の名前も知らずに観に行った。近年発見されたソ連の記録フィルムを編集した映画である。
葬儀の一日のさまざまな情景が次から次へと流れる。
棺に眠るスターリン、空港に着く弔問の外国共産党幹部の出迎え、幹部らに担がれていく棺、広場に集まった群衆とソ連共産党リーダーたちの演説、ソ連全土で一斉に響く号砲や汽笛に直立して哀悼する人民。
最後にスターリン時代、2700万人が粛清されて処刑、投獄、拷問、収容所送りなどに処せられ、1500万人が餓死したとのテロップが出る。
観終わると不思議な「すごみ」を感じた。
似た作りで「昭和天皇の国葬」と言う映画も出来そうですね。
昭和天皇の国葬で弔問に訪れる各国首脳。自民党政治家の演説。皇居前で直立して哀悼する国民。
最後に「昭和天皇の起こした日中戦争、太平洋戦争によってホニャララ人の人間が死亡した」「また小林多喜二虐殺、横浜事件などの権力の弾圧もあった」とのテロップが流れる。そう言う映画を見たときに高世が
観終わると不思議な「すごみ」を感じた。
と言うかは謎ですが。
まあ、そういう「日本に引きつけて考える」ということが全然出来ず「旧ソ連って本当に酷かったと思いました、終わり」つう感想しかない辺りは高世は全くどうしようもないバカです。
「昭和天皇大喪の礼」に参列した国及び国際機関の代表から各国の首相、大統領、国王、閣僚の一部を紹介
◆アルジェリア
ビタット国民議会議長及び夫人
◆アンゴラ
ヴァン・ドゥーネン外務大臣
◆アルゼンティン
マルティネス副大統領
◆オーストラリア
ヘイドン総督及び夫人
ダフィー貿易交渉大臣
◆オーストリア
モック副首相兼外務大臣
◆バングラデシュ
エルシャド大統領
◆ベルギー
ボードワン国王及び王妃
ティンデマンス外務大臣
◆ベナン
ゲゾ国家革命議会議長
ハズメ外務・協力大臣
◆ブータン
ワンチュク国王
ツェリン外務大臣
◆ボリヴィア
ガレット副大統領
◆ボツワナ
チエペ外務大臣
◆ブラジル
サルネイ大統領及び夫人
ソドレー外務大臣
◆ブルネイ
ハサナル・ボルキア国王
◆ブルガリア
タンチェフ国家評議会第一副議長
◆ブルキナ・ファソ
パルム対外関係大臣
◆ビルマ
ウー・ペー・テイン保健・教育大臣
◆ブルンディ
ブヨヤ大統領
◆カメルーン
シァン国民議会議長
◆カナダ
ソヴェー総督及び夫君
クロスビー国際貿易大臣及び夫人
◆カーボ・ヴェルデ
ダ・ルス外務大臣
◆中央アフリカ
ベゼラ・ブリア外務大臣
◆チリ
エラスリス外務大臣及び夫人
◆コモロ
カフェ外務・協力・貿易大臣
◆コンゴー
ンデンガ・オバ外務・協力大臣
◆コスタ・リカ
マドリガル外務大臣
ナランホ大蔵大臣
◆キューバ
フェルナンデス閣僚会議副議長兼教育大臣
◆サイプラス*1
ヴァシリウ大統領
ネメツァス商工大臣
◆チェッコスロヴァキア
フリヴナーク第一副首相
◆イエメン民主人民共和国
モサンナー通信・運輸大臣
◆デンマーク
シモンセン大蔵大臣
◆ジブティ
グーラッド首相
◆ドミニカ共和国
モラレス副大統領及び夫人
◆エジプト
ムバラク大統領
ブトロス・ガーリ外務担当国務大臣
◆エル・サルヴァドル
アセベド外務大臣
◆エティオピア
フィクレ・セラシエ首相
◆フィジー
ガニラウ大統領及び夫人
◆フィンランド
コイヴィスト大統領及び夫人
◆フランス
ミッテラン大統領
デュマ外務大臣
◆ガボン
ラウィリ第一副首相及び夫人
◆ガンビア
ジャワラ大統領
セイ外務大臣
◆ドイツ民主共和国*2
ゲアラハ国家評議会副議長
◆ドイツ連邦共和国*3
ヴァイツゼッカー大統領
ゲンシャー副首相兼外務大臣
◆ガーナ
ローリングス暫定国家防衛評議会議長(国家元首)
◆ギリシャ
サルゼタキス大統領及び夫人
◆ギニア
トラオレ外務大臣
◆ギニア・ビサオ
ヴィエイラ国家評議会議長及び夫人
ドス・サントス貿易・観光大臣
◆ガイアナ
グリーン第一副大統領兼首相
◆ハイティ
サン・ピエール情報・調整大臣及び夫人
◆ホンデュラス
アスコナ大統領及び夫人
ロペス外務大臣
◆ハンガリー
シュトラウブ幹部会議長
◆アイスランド
フィンボガドッティル大統領
◆インド
ヴェンカタラマン大統領及び夫人
ラオ外務大臣
◆インドネシア
スハルト大統領及び夫人
◆イラン
ミールサリーム副大統領
◆イラク
マアルーフ副大統領
◆アイルランド
ヒラリー大統領
カリアリー外務担当国務大臣
◆イスラエル
へルツォグ大統領
◆イタリア
コッシーガ大統領
◆ジョルダン*4
フセイン国王
◆ケニア
モイ大統領
オウコ外務大臣
◆キリバス
テアンナキ副大統領兼大蔵・経済計画大臣及び夫人
◆大韓民国
姜英勲(カン・ヨンフン)国務総理
◆クウェイト
オサイミ外務担当国務大臣
◆ラオス
プーン閣僚評議会副議長兼外務大臣及び夫人
◆レソト
国王モシェシェ二世
◆リベリア
モニバ副大統領
ジョンソン外務大臣
◆リヒテンシュタイン
ハンス・アダム皇太子及び皇太子妃
◆ルクセンブルグ
ジャン大公及び大公妃
ゲベルス外務担当国務大臣
◆マダガスカル
ベマナンザラ外務大臣及び夫人
◆マレイシア
アズラン・シャー副国王及び副国王妃
アブ・ハッサン外務大臣及び夫人
◆モルディヴ
ガユーム大統領
ジャミール外務大臣
◆マリ
バー法務大臣
◆マルタ
タボーネ外務大臣
◆マーシャル諸島
キジナー外務大臣及び夫人
◆モーリタニア
シディヤ外務・協力大臣
◆モーリシァス
ダルー農業・漁業・天然資源大臣
◆ミクロネシア連邦
ハグレルガム大統領及び夫人
◆モナコ
アルベール皇太子
◆モンゴル
リンチン人民大会議議長
◆モロッコ
シディ・モハメッド皇太子
フィラリ外務・協力大臣
◆ナウル
デロバート大統領
◆オランダ
ファン・デン・ブルック外務大臣
◆ニュー・ジーランド
リーヴス総督及び夫人
マーシャル外務大臣兼太平洋島嶼国問題大臣
◆ニカラグァ
ヒュッペル大蔵大臣
◆ニジェール
ウマル首相
◆ナイジェリア
ババンギダ大統領
ヌワチュクウ外務大臣
◆ノールウェー
ハラルド皇太子
ストルテンベルグ外務大臣
◆パキスタン
ブットー首相及び夫君
ヤクブ・カーン外務大臣
◆パナマ
ソリス大統領代行
リッテル外務大臣
◆パラグァイ
アルガニャ外務大臣及び夫人
◆フィリピン
アキノ大統領
マングラプス外務長官
◆ポーランド
バルチコフスキ国家評議会副議長
◆ポルトガル
ソアレス大統領
デ・メロ副首相兼国防大臣
◆ルーマニア
マネスク国家評議会副議長
◆ルワンダ
ムゲマナ内務・地方開発大臣
◆セント・ヴィンセント
クリックシャンク通信・公共事業大臣及び夫人
◆西サモア
タヌマフィリ二世国家元首
パトゥ教育大臣
◆セネガル
ファル外務大臣及び夫人
◆セイシェル
オドゥル国家計画大臣
◆シエラ・レオーネ
コロマ外務大臣
◆シンガポール
リー・クァン・ユー首相及び夫人
スン外務及び国家開発担当国務大臣
◆スペイン
ホアン・カルロス一世国王及び王妃
◆スーダン
エル・バンナ主権評議会副議長
◆スワジランド
ザミニ首相及び夫人
ザザ司法大臣
◆スウェーデン
グスタフ国王及び王妃
フェルト大蔵大臣
◆シリア
ヤシン経済担当副首相
◆タイ
ワチラロンコーン皇太子
チャチャイ首相
◆トーゴー
エヤデマ大統領
バルケ計画・鉱山大臣
◆トンガ
トゥポウ四世国王及び王妃
ヴァエア労働・商業・産業大臣兼国王補佐大臣
◆テュニジア
バクーシュ首相及び夫人
◆トルコ
オザール首相及び夫人
◆ウガンダ
キセカ首相及び夫人
カブウェジェレ外務担当国務大臣
◆ソヴィエト連邦
ルキャノフ最高会議幹部会第一副議長及び夫人
◆アラブ首長国連邦
ラーシド外務担当国務大臣
◆連合王国*5
ハウ外務大臣
◆タンザニア
ワリオバ首相兼第一副大統領
ルブバ法務大臣
◆アメリカ合衆国
ブッシュ大統領及び夫人
ベーカー国務長官
◆ウルグァイ
バリオス・タサーノ外務大臣
◆ヴァヌアツ
ティマカタ大統領及び夫人
◆ヴェネズエラ
テヘラ・パリス外務大臣及び夫人
◆ヴィエトナム
ダオ国家評議会副議長兼国会議長
◆ユーゴースラヴィア
ドランツ連邦幹部会副議長
◆ザイール
モブツ大統領及び夫人
ングーサ外務大臣及び夫人
◆ザンビア
カウンダ大統領
◆ジンバブエ
ムゼンダ副大統領及び夫人
「大喪の礼」7年前に極秘準備 昭和天皇逝去、弔問外交を想定―外務省記録:時事ドットコム2019年12月29日
1989年2月24日に行われた昭和天皇の「大喪の礼」をめぐり、外務省がその7年前の82年、天皇逝去に向けた準備を始め、宮内庁と極秘に協議していたことが分かった。ケネディ米大統領(国葬1963年11月)、チトー・ユーゴスラビア大統領(国葬1980年5月)らのケースを参考とすることにし、これらの葬儀を調査。「弔問外交」の展開を想定していた。外務省外交史料館がこのほど秘密指定を解除した「昭和天皇大喪の礼」に関する記録で明らかになった。
外務省儀典官室は1983年2月15日の極秘文書で「陛下(昭和天皇)の崩御うんぬんは、事柄の性質上軽々に口にしたり、とり上げたりすべき問題ではないが、陛下は既に82歳に近いご年齢であるし、万一かかる事態が発生しても当省としてスムーズに対処できるように所要の準備を進めておくことは事務的には必要」と記した。
同文書によると、西田誠哉*6儀典長の指示で、1982年秋ごろからごく少数の間で作業を開始。外務省出身の安倍勲式部官長らとともに、同年12月初めに勝山亮宮内庁審議官と協議を行った。
勝山氏はその際、「まだ具体的なことはほとんど決まっていない」とした上で、「前例を参考とした私見」と前置きし、陛下逝去の際には皇室典範の規定に基づき「大喪の礼」を行うとし、国葬になるとの見通しを示した。「大正天皇の時の例にならう」とも述べた。
1982年6月、宮内庁は外務省に対し、在英、西ドイツ、フランス、ユーゴの各公館長宛てに、当該国元首の葬儀の内容について調査を依頼。外務省儀典官室では、英国のジョージ6世、スウェーデン国王、現職大統領で死去したケネディ、チトーの国葬を調査するとともに、吉田茂*7、池田勇人*8、佐藤栄作*9、大平正芳*10といった歴代首相の葬儀も参考にすることにした。
「天皇陛下崩御の際の体制」と題した儀典官室作成(1983年4月12日)の文書では、1980年7月にカーター*11米大統領や華国鋒*12中国首相らが参列した大平氏の内閣・自民党合同葬儀を参考に、外国要人の送迎、宿舎、警備など受け入れ体制を具体的に定めた。
なお、現在、上皇・明仁(1933年12月生まれ)は86歳。昭和天皇(1901年4月~1989年1月、88歳)が亡くなった年齢に近づいています。
彼が退位を決意したのもそういうことがあるでしょう。そして宮内庁と外務省も「現在、秘密裏(?)に明仁死去時の対応(弔問外交など)を検討」しており、そのことを「それとなく世間に伝える(?)ため」の文書公開でしょうねえ。
【参考終わり】
ロズニツァ監督の3本立て上映と知り、あとの2本も観ることにした。
スターリン時代にでっちあげられた反革命事件の裁判をアーカイブ映像で描く『粛清裁判』とドイツのナチ強制収容所を訪れる観光客を観察する『アウステルリッツ』だ。
『粛清裁判』では、民衆が「革命を裏切るものは銃殺せよ」とデモを繰り広げ、「銃殺」と判決が下されると、法廷に傍聴に詰めかけた、たぶん千人を超す人びとが一斉に歓喜の声をあげる。「群衆」に恐怖をおぼえる。
まあ、日本でも「意味が違う」とはいえ「凶悪犯罪者」に「死刑の判決」が出ると喜ぶ人間がいますからねえ。で、それをマスコミが垂れ流す。
あるいは『田中均や蓮池透を許さない』という趣旨の暴言を家族会が吐いてそれが垂れ流される。あげく「田中氏の退官」「蓮池氏の家族会除名」が起こる。まったく旧ソ連を笑えやしません。
それにしても
「群衆」に恐怖をおぼえる。
と言う高世には
・巣くう会や家族会に個人攻撃されることを恐れたから巣くう会や家族会にへいこらし続けたし、これからもへいこらし続けるんですね!
と聞きたくなります。
高世はこの映画を見て
『歓喜の声を上げた群衆』は巣くう会、家族会にへつらい続けた俺の醜い姿と一緒だ!
と思ったんでしょうか、どうでしょうか?
たぶんそう言う反省はなかったんでしょうねえ。
こういう映画を見ながら「そうした反省心がかけらもない」高世にこそ俺は「人間どうすればここまでクズでバカになれるのか」とある種の恐怖を感じます。もちろん、高世に軽蔑や憤怒を感じるのは言うまでもありません。
激しい口調で被告らを糾弾し、奴らを絶滅しなければならないと死刑を求刑した検事は、1938年、ファシスト組織のメンバーとして銃殺に処せられ、判決を言い渡した裁判長ヴィシンスキーはのちに検事総長から外務大臣へと出世するが最後は自殺する。
そしてみんないなくなった・・・である。恐ろしさに鳥肌が立つが、全体主義のもとで現実に起きたことだ。
高世はヴィシンスキーの死を自殺と決めつけますが、
アンドレイ・ヴィシンスキー - Wikipediaにはそんなことは書いてないし、「ヴィシンスキー、自殺」でググってヒットした記事に寄れば
クルイレンコ・ヴィシンスキー論争 : 週間「歴史新聞」 時々 「労働者の新世界」
ヴィシンスキーはソ連の検察長官。大粛清は乗り切ったが1954年スターリン批判の中で1930年代の“大テロル”の再調査が行われると聞き、恐怖のあまり、心筋梗塞で死亡。自殺説もあるが残念ながらヴィシンスキーは自殺するような人間ではない。
だそうです。「ヴィシンスキー」でググっても残念ながら「死因について触れた記事」がこれ以外にヒットしないのですが、高世の言う「自殺」は何が根拠でしょうか?
さて、
・激しい口調で北朝鮮を糾弾していた「元家族会事務局長」蓮池透氏はその後、「北朝鮮は憎いが罵倒するだけでは問題は解決しない」と対話路線に転換し、ついには家族会を除名された。
・そして「批判派はみんな家族会から居なくなった」である。そして「拉致問題」もどんどん風化していった。
・恐ろしさに鳥肌が立つが、「全体主義的組織」家族会のもとで現実に起きたことだ。
と言う俺の感想に「家族会の太鼓持ち、幇間」高世はなんと言うんでしょうか?。何も「全体主義の恐怖」とは「国家限定」ではありません。
企業でアレ、政党であれ、労組でアレ、市民団体でアレ、「趣味のサークル」であれ、何でアレ、全体主義的組織なら「全体主義的事件」はどこでも起こりうる話です(国家以外の場合は『粛清』する場合でも、『蓮池透の家族会除名』のような『組織からの排除』が関の山で、さすがに死刑なんてことはありませんが)。
『アウステルリッツ』は、収容所施設の詳細や展示物などはいっさい登場せず、カメラはひたすらツーリストの姿を映し出す。サングラス、短パンのごく普通の欧州の若者たちが大挙して押し寄せる。はりつけのかっこうでふざけて写真を撮る人。首を垂れて思いに沈む人。「労働すれば自由になる」という収容所の標語に群がり、嬉々として記念撮影する人々。
よく「日本人の集団自決」があった沖縄、サイパン(いずれも戦地観光とは『別の意味での観光地』でもありますが)などの戦地観光の場所で「非常識にはしゃいで」『常識が無い!』『これだから最近の日本人の若者は!』などという批判が出ることがありますが「海外でもそう言う人がいるんやなあ」というのが俺の最初の感想です。
*3:西ドイツのこと
*4:一般にはヨルダンという。
*5:イギリスのこと
*6:外務省儀典長、国連大使、駐スイス大使、駐イタリア大使、外務省参与等を歴任(西田誠哉 - Wikipedia参照)
*7:戦前、天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐伊大使、駐英大使など歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相
*8:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相
*9:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相、科学技術庁長官などを経て首相
*10:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相
*12:1976年1月の周恩来首相の死後、毛沢東により首相(党第一副主席兼務)に就任。1976年8月の毛沢東の死後、江青と四人組を逮捕し文革を終結させる。その後、1976年10月に党主席に就任するが、「広い意味での文革派(文革を契機に出世)」だったため文革批判派の鄧小平副首相らとの政治闘争に敗れ、1981年6月に党主席を辞任した(華国鋒 - Wikipedia参照)。