高世仁に突っ込む(2020年11/18日分)(ボーガス注:松本清張『砂の器』『ゼロの焦点』、鮎川哲也『黒い白鳥』の一部ネタバレがあります)

拉致はなぜ放置されてきたのか - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 15日は横田めぐみさんが43年前に拉致された日だ。

 「えー、まだ、拉致関係でくだらない寝言書くの?。ジンネットが倒産したのに?。横田滋が死んだのに?」ですね。15日の記事では何も書かなかったので「もう拉致については書かないのか?」と思っていたのですが。

早紀江さん(84)が14日に会見して「すぐ隣の国なのに、どうしてこんなに長く解決できないのか。子どもたちを返してください」と訴えた。

 「すぐ隣の国」ならすぐ解決するのなら「竹島問題」「北方領土問題」「中国残留日本人孤児問題」などなかったでしょう。
 そして早紀江には「近くて遠い国、て言葉を知ってる?」と聞きたくなります。ちなみに最近ではあまり使われなくなった気もしますが、これは「歴史認識問題を抱える日韓関係(距離は近いが深い友好関係があると言えるかは微妙)」を指す言葉です。
 何でこう早紀江はバカなのか。

 この現状を「異常な状態が起きている」とし、「主人があれだけ一生懸命頑張っても、一目も見ることができなかった。むなしいですよね」。

 早紀江ら家族会が、田中均氏に因縁付けて外務省退職に追い込んだり、蓮池透氏を家族会除名したりしたことは確かに「異常な事態」で「空しい」と思いますね。
 早紀江の場合そう言う意味で「異常な事態」「空しい」と言ってるわけでは勿論無いですが。そして「田中氏や蓮池氏に対して家族会がやった異常な行為」を考えれば現在、拉致が解決しないことは何ら異常ではありません。拉致解決のために奮闘している田中氏や蓮池氏に対してあんな無礼なことをやりながら早紀江も良くもふざけたことが言えるもんです。早紀江のようなバカには「軽蔑」「殺意」「憎悪」「憤怒」などといった「負の感情」しか俺はないですね。平たく言えば「くたばれ、早紀江のくず野郎」ですね。

 「異常な状態」という表現を使っているが、私も以前から、なぜ拉致という重大な犯罪が見過ごされてきたのかという基本的なことがずっと疑問のままだ。
 というのは、北朝鮮工作船を使って工作員を日本に送り込んでいたことはめぐみさん拉致のずっと前から分かっていたことだった

 やれやれですね。情報スパイとして工作員を送り込むのと、拉致のために工作員を送り込むのと全然違うでしょうに。
 「情報スパイとしての工作員密入国」は認識していたが、「拉致のための密入国」は当初認識できなかったということで十分理解可能な話です。別にそれは「見過ごされた」と言う話ではない。
 人間考えることはそんなに異ならないらしい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の紹介する元警視総監・米村敏朗氏の言葉

 1995年8月、警察庁外事課長となった私は、北朝鮮による拉致事件の捜査に直接かかわることとなった。その第一歩が横田めぐみさんの事件であった。ジャーナリストの石高健次氏の拉致事件に関する著書も繰り返し読んだ。そして一連の捜査結果を踏まえて、ある時上司にこう申し上げた。
「めぐみさんは北朝鮮によって拉致された可能性が高い。警察としてそう言うべきです」。
 いわゆる拉致認定である。また、拉致認定に依然として疑問を感じていた部下の一人にはこう言った。
「仮に間違っておれば腹を切る(辞める)しかない。しかし自分としては、拉致しか考えられない。親としてはなんとしても子供を見つけ出したい。いま、その道は拉致認定しかないのだ」

の通りでしょう。
 つうか今更「もっと早く北朝鮮拉致を認識できなかったか」「小泉訪朝よりももっと早く拉致被害者帰国が出来なかったか」などといって何か意味があるのか。それが今、拉致被害者帰国に何か役立つのか。
 そんなことよりもいますべき事は「どうやって拉致被害者を日朝交渉で取り戻すか」でしょう。
 そうした今すべき話をせずに

福田赳夫*1内閣(横田めぐみさん拉致が起こったときの内閣)は拉致を阻止できなかったのだろうか?。拉致を認識できなかったのだろうか?
福田赳夫内閣以降の内閣(大平*2内閣、鈴木*3内閣など)はもっと早く拉致を認識できなかったか?(政府の公式発言として拉致疑惑が認められたのは竹下*4内閣の宇野*5外相、梶山国家公安委員長答弁)
◆金丸*6訪朝の時に拉致被害者を帰国させることができなかったのか?
◆拉致疑惑を認めた梶山国家公安委員長(竹下内閣)はその後も宇野内閣通産相、海部*7内閣法相、自民党幹事長(宮沢*8総裁時代)、橋本*9内閣官房長官と言った要職を歴任した。それなのに梶山氏は拉致解決について何か出来なかったのか?
◆なぜ、小泉*10内閣まで拉致被害者が帰国できなかったのか

なんて話をして何の意味があるのか?。 しかしその「意味のない話」をするのが高世ですから心底呆れます。
 で、この「どうでもいいくだらない高世の与太話」は「つづく」そうです。「つづく」にも今後突っ込む予定です。
 ちなみに「話が脱線しますが」「放置してきた」つうなら、たとえば「ハンセン病差別」なんかの方が「拉致」なんかより、よほどそれに該当しますよねえ(例はハンセン病差別でなくてもいいですが)。
 「ハンセン病差別」を話の中に入れた映画『砂の器』(1974年、当時は田中角栄*11内閣)の公開後も、国が差別について正式に謝罪したのは「公開直後」ではなかったわけです。我々日本国民はずっとハンセン病差別を容認し続けてきた。
 単なる偶然ですが「ハンセン病差別への国の公式謝罪」も「拉致被害者帰国」もどちらも小泉政権の時代でしたね。

【参考:小泉首相の公式謝罪&砂の器

<『砂の器』 その10> : のすたる爺の書斎から
 映画化が遅れたのは、原作がハンセン病への偏見を助長するものであるという声が高かったからであるようだが、映画ではラストシーンに、こういう字幕が出る。

 ハンセン氏病は、医学の進歩で特効薬もあって、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。
 それを拒むものはまだ根強く残っている。非科学的な偏見と差別のみで、戦前に発病した本浦千代吉のような患者は、もうどこにもいない。
 しかし、
 たとえどのように旅の形は変わっても、親と子の宿命だけは永遠のものである。

 昭和18年、アメリカでハンセン病の治療薬「プロミン」の効果が発表されたが、当時の日本はアメリカと交戦中で情報が入らず、戦後の昭和21(1946)年に、日本でも「プロミン」の製造に成功して、ハンセン病が不治の病でなくなった。
 それにもかかわらず、日本では世界と逆行する形で、昭和28年に「らい予防法(新法)」を制定し、戦後も長く隔離政策を継続した。
 「らい予防法」が廃止され、隔離政策が法的に消滅したのは、平成8(1996)年のことである。
 映画の終わり近く。
 華やかな新進作曲家の偽りの人生、そうせざるを得なかった宿命を主題に作曲された曲「宿命」。ピアノを演奏する和賀英良の、顔のいたるところを汗、いや、汗だけではない、涙が一緒に頬を流れている。
 逮捕のために会場に来た今西刑事も、演奏を聴きながら、らせん階段の途中で動かない。ギュッと奥歯をかみしめて顔がこわばっている。

君は『砂の器』で泣けるか|TEKIKAKUのノート|note
・私の下宿には松本清張の『砂の器』が置いてある。新潮社の上下巻で、私の記憶違いでなければ母が学生の頃に買ったものだ。
・家庭でこの本が話題に挙がると、元の持ち主である母は必ず「『砂の器』は悲しい話だよ」と呟く。しかし私はこれに、まったく共感できない。
◆『砂の器』のあらすじ(えげつないネタバレあり)
・『砂の器』は、国鉄蒲田操車場内で男の殺害死体が発見されるところからはじまる。被害者は事件当夜、蒲田駅近くのトリスバーで連れの客と東北弁訛りで話しているのを目撃されていた。しきりに「カメダ」という言葉が話題に出ていたことから、刑事は「カメダ」という人名や地名を探して捜査を続けていくことになる。捜査が行き詰った頃、岡山県から来た養子の申し出により、被害者が「三木謙一」であることが判明。さらに、「中国地方で駐在をしていた養父が東北弁を話す筈がない」との証言も得る。刑事は困惑するが、島根県出雲地方が東北訛りに似た方言を話すことを発見し、さらに島根に「亀嵩」という駅があることを知る。刑事は亀嵩近辺で三木謙一の過去を探るが、被害者が他人から恨まれるはずのない好人物という評判を得るだけであった。
・地道な捜査の結果、ついに刑事は犯人を特定。それは、(中略)音楽家・和賀英良(本名・本浦秀夫)だった。
 英良こと秀夫は幼い頃、ハンセン病患者である父・本浦千代吉とお遍路姿で放浪を続けていた。彼が7歳になったころ、親子は亀嵩に到達。当時そこで駐在をしていた三木謙一に保護され、父は療養所へ、自分は三木の手元に置かれることになる。しかし、秀夫はすぐに亀嵩を失踪。誰かの元で奉公をして育った後、大阪空襲による混乱に乗じて戸籍を詐称。和賀英良として生きていく。
・殺人は、三木謙一の登場により「ハンセン病患者の息子」という暗い過去が暴かれるのを恐れた秀夫が起こした「同情すべき」ものだった。
◆なぜ、私は(ボーガス注:原作版)『砂の器』で泣けないのか
・私は決して感動しにくい女ではない。むしろかなり涙もろい方で、同じく松本清張の『ゼロの焦点』を新幹線で読んだときは、(ボーガス注:売春婦(パンパン)だった過去を隠蔽しようとして殺人に走る犯人に対して)号泣するあまり隣りの席の人に心配された。
・こんな涙腺激ヨワな私がなぜ『砂の器』で泣けないかというと、作品の中核である「ハンセン病患者とその家族の苦しみ」を全く知らないからだ。知らないから、(ボーガス注:映画と違い)「悲劇の回想シーン」や「気の毒な犯人の心情」が詳しく描かれていない(ボーガス注:原作バージョンの)この作品を読んでも、(ボーガス注:和賀英良こと本浦)秀夫の心を想像できない。刑事の口を借りた松本清張が「その動機は同情に値する」と言っても、「ハァ?、殺人はあかんやろ」としか思えないのだ。​
 私は1997年生まれで、新潟県中越地方で教育を受けた。「道徳」や「総合」で人権教育を受けた記憶はあるが、学習内容は同和問題と呼ばれるもの*12に絞られていた気がする。ハンセン病のことは小学校から高校に至るまで、まったく触れなかった。人権教育は地域によって特色の違うカリキュラムなので一概には言えないが、多くの同世代の人達も同じなのではないかと思う。
 現在、患者の高齢化によってハンセン病差別は風化の危機に晒されている。風化はなかったことになるだけであって、差別がなくなったことにはならない。いつか風化が進み切り、社会派ミステリとしての『砂の器』が完全に無力になる日が来るのかと思うと、たいへん無念である。

映画「砂の器」が理解されない時代を喜ぶ - ちぎれ雲
・年をくってしまってから映画を見ると、映画の中の人間関係が薄っぺらく見えたり、展開がちゃちに見えたり、ああ若いうちに見たかったなとか、つまらなく思うことが多いのですが、「砂の器」は久しぶりに満足しました。確かにこれは日本を代表する名作でしょう。
・ところで、「どこが感動的なのかわからなかった」という若い人の感想を読んで、なるほどなーと感心(?)しました。というのは、その若い人には、どうして病気の親子がここまで迫害され虐められて放浪しなければならないのか、さっぱりわからないからでした。確かに、過酷な状況で互いを思う親子の姿は、涙を誘うことに間違いはないでしょう。でも、どうしてそんな状況に置かれるのか、また、それがどうして殺人事件にまで発展するのか、ハンセン病の予備知識がなければ理解できないのです。
・映画の中盤、(ボーガス注:丹波哲郎演じる刑事が)刑事が(ボーガス注:父子が故郷を捨てて放浪の旅に出たあげく、和賀が殺人を犯してまで隠したかった)父の病について「それは癩病だったのです!」と明かすシーンがあります。
 このシーンは本当は、観客からどよめきが起こるような、もしくは観客がガビーン!と動揺するショッキングなシーンだったのではないかと思います。
 でも、私も含めて今の観客は、「癩病だったのです!」と告白されても「ふーん」といまいち淡白でしょう。この「わからなさ」というか「とりたてて動揺しない具合」というのは、私は実は喜ばしいことだと思うのです。なぜなら、「そうなのね、だから何?」と思う現代人には、せいぜい「見た目が、(ボーガス注:映画『エレファントマン』のエレファントマンみたいに)近付きたくなくなるくらい酷いことになるらしいよね。不治の病だったらしいね」という感覚しかなくて、「業病」という感覚がないからです。
 なので「砂の器」はテレビドラマでリメイクされる度に、ハンセン病の設定がなくなって、「殺人者の息子」の設定になったりしたそうですね。
 これは単にハンセン病患者さんに配慮してというよりも、「親の因果が、逃れられない宿命となって子にふりかかる、その宿命の中でもがきながら生きる子、でもやっぱり逃れられない」という映画のテーマを表現するためには、ハンセン病がもう「通用しない設定」だったからだと私は思います。現代は「親が殺人者」というくらいしか、「世間からもヒソヒソされて、子供が重く背負ってもがく設定」ってないじゃないですか。
 それでも!。今現代では、たとえ殺人者の子供であっても「親は親、子は子」という考え方が浸透してきているのでして、せいぜい「変な親に育てられたら子供も変かも?」という偏見はあっても、「親の業が子の宿命に」という文脈で子供を見る考え方は、一昔前に比べて格段に弱まっているのではないかと思うのです。(それでも偏見はあって、深く苦しんでいる子供の方々は多いと思いますが。それでも)
 そう思うと、「殺人者の息子」という設定を持ち出してもなお、もう「砂の器」を表現することは不可能なわけです。
 ハンセン病に対する誤ったイメージや考え方を心の底に持っていないとこの映画の真の感動に辿り着けないように、また、現代ではどんな設定でもってもこの映画をリメイクすることができないように、現代の「砂の器」の"理解できなさ"は、私は実に喜ぶべきことだと思います。おそらくこの映画はもう「過去の映画」なのでしょう。
 「砂の器」はあくまで過去の時代を映し出した映画で(映画の中で描かれた時代ということではなく、製作・公開された昭和40年代の時代を)、過去のものであることを素直に喜びたいと思うのです。

好きっちゃ9:「砂の器」の背景 差別と偏見 門司 /福岡 - 毎日新聞2018年2月3日
 門司区田野浦市民センターで後期人権市民講座があり、「清張の会」事務局長の上田喜久雄さん(75)が、松本清張推理小説砂の器」の背景になったハンセン病患者への差別と偏見について語った。
 上田さんは、「父はハンセン病患者だった*13」の著書がある林力さんの言葉を借りて、根深い偏見が小説の悲劇を生んだと解説
(この記事は有料記事です。)

ハンセン病:歴史、正しく理解を 「砂の器」題材に人権講座、「清張の会」事務局長が講師 小倉南 /福岡 - 毎日新聞2019年7月11日
 松本清張の代表作でハンセン病問題を取り上げた推理小説砂の器」を題材にした人権講座が10日、小倉南区の若園市民センターで開かれた。清張作品の愛好家でつくる「清張の会」事務局長、上田喜久雄さん(76)が講師を務め、「ハンセン病の歴史を正しく理解することが差別、偏見をなくすことにつながる」と訴えた。
 「砂の器」は、ある事件の捜査の過程で、ハンセン病にかかった父と子の過去がひもとかれていく物語。国の誤った隔離政策と患者や家族に向けられた社会の視線も描かれた。
(この記事は有料記事です。)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/439597/2018/8/8
 映画やテレビドラマの原作になる小説を数多く残した松本清張に、「原作を超える」と言わせた映画が3本*14ある。筆頭は「砂の器」(1974年)。
▼映画「砂の器」を見た人は、ハンセン病の父親と幼い息子が故郷を追われ放浪する回想シーンに心を揺さぶられる。
▼放浪するシーンは原作にはない。野村芳太郎監督から脚本を任された橋本忍さん(先月19日死去)が、原作では「故郷福井を出た後、どうやって島根にたどり着いたかはこの親子しか知らない」とされる部分に映画としてのメッセージを紡いだ
▼脚本を手伝った山田洋次さんと一緒に創出した。ただ、費用がかかり過ぎるというのでお蔵入りになり、橋本さんが独立プロダクションを設立するまで日の目を見なかった。「脚本家・橋本忍の世界*15」(村井淳志*16著、集英社新書)に詳しい
小泉純一郎元首相は首相になるずっと前にこの映画を見たそうだ。長い放浪生活の果てに息子から引き離され隔離された父親を、後年、(ボーガス注:丹波哲郎演じる)刑事が療養所に訪ねる場面にひどく感動したという。その場面も原作にはない*17
▼隔離政策に対するハンセン病国家賠償請求訴訟で、一審敗訴の国は控訴せずに謝罪した。当時の小泉首相が最終決断した。自然な気持ち*18だったようだ。

「砂の器」劇場で鑑賞しました! | 弁護士法人 小樽法律事務所のニュース | まいぷれ[小樽市]2019/09/19
 映画「砂の器」(1974年)を札幌シネマフロンティアのスクリーンで鑑賞しました。
 原作のある映画は,なるべく原作→映画 の順で鑑賞するようにしており,たいてい「原作のレベルに届いていない・・・。」とガッカリするのですが,本作は(観た方にはお分かりのとおり)音楽や映像がとても効果的で,これぞ映画!!と唸らされました。
 未見のかたは,是非いちどご鑑賞ください。
 ところで,本作は(いわゆる)ハンセン病患者に対する厳しい差別を背景としています。
 今世紀初頭,小泉純一郎政権のときに,ずっと昔にハンセン病の治療法が確立していたにもかかわらず隔離政策を続けてきたことについて,行政府・立法府が謝罪をし,その後(大分遅れて)司法府も謝罪をしました。
 「砂の器」の原作(松本清張)は,これに40年(!)も先立つ1960年代初めに書かれており,いかに先進的であったか痛感されます。
 さて、令和を迎えた現代,(ハンセン病に限らず)「いわれない差別はなくなった」と言えるでしょうか?

【参考終わり】

【参考:ゼロの焦点

<「ゼロの焦点」 その8> : のすたる爺の書斎から
 自分の過去の犯罪がバレないように、殺人を犯す*19男の物語(「顔」「声」「共犯者」)をいくつか、松本清張は書いている。水上勉飢餓海峡』も、それにあたるが、『ゼロの焦点』や、同じ作者による『砂の器』は、犯罪というわけでもないが、人に知られたくない、自分の「忌まわしい過去」を知っている人物を殺す物語で、どちらの小説も、殺される人物が、加害者に対して、悪意を持たない人であるだけに、やりきれない。

yuブログ 鮎川哲也「黒い白鳥」
 なんと犯人の犯行動機が松本清張の「ゼロの焦点」と同じ。
 どっちが先に書かれたものだろうと思ったが、本書に収録されている「創作ノート」を読んだところ、なんとこの2作品、同時期に同じ雑誌「宝石」に連載されていたとか。こんな偶然もあるんですね。

鮎川哲也の名作「黒い白鳥」を久々に読む | フリーライター坂本紀男ブログ
 犯人の動機は同時期の松本清張ゼロの焦点」に類似するが、それだけ当時は身近な関心事だったということである。

<「ゼロの焦点」 その9> : のすたる爺の書斎から
 松本清張が『ゼロの焦点』を、雑誌「宝石」に連載中の昭和34年7月、同じ雑誌に、鮎川哲也の『黒い白鳥』の連載(7月号から12月号)が始まった。
 『黒い白鳥』の連載が進むや、この作品の殺人事件の真相が、過去に恥ずべき経歴(大阪飛田の遊郭に身を置いていた)を持ち、今では結婚して、幸せな生活を送っている女性が、前歴を知られたくないために人を殺す…ということが明らかになり、この偶然に、松本清張鮎川哲也は、ともに驚いたというが、戦後の混乱から、そう遠くない時代であり、それほど特異な設定ではない。
 『黒い白鳥』は、昭和34年12月に、『ゼロの焦点』は、翌35年1月に連載を終了。鮎川哲也は、この作品(『黒い白鳥』)と、同じ年の11月に刊行した『憎悪の化石』の2冊で、第13回探偵作家クラブ賞を受賞し、(ボーガス注:人気)推理小説作家の仲間入りをする。

【参考終わり】

 きのう紹介した新座市の平林寺

ということで「平林寺」話を続ける高世です。

おや、あの人がここに眠っているのか、と興味をひかれたのは松永安左エ門の墓だ。

 松永については松永安左エ門 - Wikipedia人|人と武蔵野と文化と|野火止 平林寺 公式サイト | 臨済宗 妙心寺派を紹介しておきます。

数年前、日本の電力事業の歴史を番組にしようと調べたことがあった。企画はぽしゃったのだが、そのとき、「電力王」、「電力の鬼」と呼ばれた松永の存在を知った。

 「会社が潰れたのに未だにジャーナリスト面かよ、バカか、手前(苦笑)」ですね。

*1:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*2:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*3:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(佐藤、田中、大平総裁時代)などを経て首相

*4:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)などを経て首相

*5:田中内閣防衛庁長官自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田内閣科学技術庁長官、大平内閣行政管理庁長官、中曽根内閣通産相、竹下内閣外相などを経て首相

*6:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣副総理、自民党副総裁(宮沢総裁時代)など歴任

*7:自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田、中曽根内閣文相などを経て首相

*8:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*9:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、海部内閣蔵相、自民党幹事長(宇野総裁時代)、政調会長(河野総裁時代)、村山内閣通産相などを経て首相

*10:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相などを経て首相

*11:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相などを経て首相

*12:つまり被差別部落問題

*13:2016年、解放出版社

*14:残りの2本が何かは俺がググった限りではよく分かりません。

*15:2005年刊行

*16:著書『歴史認識と授業改革』(1997年、教育史料出版会)、『「いのち」を食べる私たち:ニワトリを殺して食べる授業』(2001年、教育史料出版会)、『勘定奉行・荻原重秀の生涯』(2007年、集英社新書)など

*17:そもそも原作では和賀の犯行時点では父親は既に病死しています。

*18:まあ、さすがにそこまできれいごとではないでしょう。

*19:「顔」の場合は「犯そうとする男」であって犯しては居ません(これについては拙記事倍賞千恵子が主演した松本清張原作のテレビドラマ『顔』は、だいぶ原作とテイストが違った(ボーガス注:松本清張『顔』のネタばらしがあります)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ参照)。