今日の産経ニュースほか(2021年1月17日分)

朝敵として討伐された人物を祭神として祀る神社にて | ちきゅう座
 タイトルから「西南戦争西郷隆盛?(南洲神社)」と思ったのですが、「平将門神田明神)」だそうです(「朝廷に反逆して偉い!」ではなく「怨霊鎮魂(将門)」「反逆者でも功績は全否定できない(西郷)」などという意味での祭神ではありますが)。
 なお、一方では「朝敵を排除する神社(靖国には朝敵扱いされた西郷や土方歳三などは戦没者でも靖国合祀されない一方で、戦没者で無くても吉田松陰坂本龍馬東条英機などが靖国合祀されている)」もある辺り、神社の歴史も単純ではありません。


「中国共産党は欺瞞」英亡命のピアニスト、コロナで非業の死 - 産経ニュース
 「反共、反中国」の産経らしいですが、「海外に政治亡命した中国政府・中国共産党批判派」とはいえ「政治活動家ではなくピアニストの死去」で前面に出てくるのが「ピアニストとしての功績」ではなく「反共、反中国の活動」という辺りは

◆作曲家・黛敏郎の訃報記事で「作曲活動では無く」『元号法制化運動』『(宮沢内閣での)天皇訪中・反対運動』など右翼的政治活動がが前面に来る
◆ミステリ作家・松本清張の訃報記事で「ミステリ作家としての活動では無く」『ベ平連への賛同』『創共協定への関わり』など左派的政治活動が前面に来る

みたいなもんで「何だかなあ(呆)」と思います。まあ、高齢(80歳代)なので、ピアニストとしては「既に過去の人(引退してかなり時間が経ってる)」かもしれませんが。
 あるいは「失礼な発言」になりますが「ピアニストの才能」としてはたいしたことの無い御仁なのか?


【書評】『妻がマルチ商法にハマって家庭崩壊した僕の話。』ズュータン著 - 産経ニュース

 民生委員の女性に誘われマルチ商法にのめり込んだ著者の妻

 「民生委員」云々が事実なら「唖然」ですね。というのもご存じの方も居るでしょうが、民生委員は「公務員の一種」だからです(保護司なんかも確かそうですが)。つまりは採用するに当たって、一応「自治体がチェックする建前」だし、少額とは言え、自治体から経費支給もされます。
 それでこんな不祥事が起こるようではまずすぎでしょう。


【本郷和人の日本史ナナメ読み】再考「鎖国はなかった」論(上) 島国ゆえに成立した独自性(1/3ページ) - 産経ニュース
 1/7産経記事なので少し古いですが、コメントしてなかったことに気づいたのでコメントしておきます。
 今日の産経ニュース(2020年10月8日分)(副題:菅の学術会議議員任命拒否など) - bogus-simotukareのブログで批判的、否定的に取り上げた【本郷和人の日本史ナナメ読み】歴史説明に必要な簡潔性(下)(1/3ページ) - 産経ニュースの続きです。

 年初の改めての感想としてぼくがつくづくと思うのは、日本はやはり他国とはだいぶ異なる、独特な文化をもつ国だなあ、ということです。日常生活でいや応なく使わねばならぬ今日的な技術と、千年を優に超える伝統文化のはざまにたゆたいながら、ああやはり、この国に生まれてよかったと、心から思っています。

 産経文化人らしい国粋主義発言でうんざりします。もちろん俺も「日本文化」は好きですし、そう言う意味で「日本に生まれて良かった」とは思うのですが、一方でそれは「単に子どもの頃から日本文化に慣れ親しんでいるから」であって「英仏独伊」「中国や韓国」などに生まれ育てば恐らく「英国に生まれて良かった(英国生まれの場合)」と思うであろう事はさすがに自覚しています。余程不幸な人間でない限り「生まれ育った土地」には愛着がある。

独特な文化をもつ

つうのも「それ、大なり小なりどこの国もそうだろ」ですね。

 それはつまるところ、日本が「島国であったこと」に由来するとぼくは思います。
 島国であることが歴史の形成に大きな影響を与えた。だからこそ、外交を考えることがとりわけ重要になります。ぼくが「江戸時代の日本は鎖国していなかった」とする最近の近世史の解釈に執拗(しつよう)に疑いをもち、批判せざるを得ない理由がそこにあるのです。

 島国云々が「日本社会にどのような影響をどれだけ与えたか」はまあ評価が難しい問題でしょうねえ。島国は世界には他にも「アイルランド」「英国」「キューバ」「スリランカ」「ニュージーランド」「フィリピン」「マダガスカル」などいろいろあるわけですが。
 いずれにせよ今日の産経ニュース(2020年10月8日分)(副題:菅の学術会議議員任命拒否など) - bogus-simotukareのブログでも指摘しましたが、いわゆる「鎖国否定論」は「江戸幕府が自由な海外渡航や交易を否定し、制限貿易、渡航制限をしていたこと」を否定しているわけではありません。
 制限貿易の事実を認めた上で「貿易それ自体がなかったかのようなイメージを与える」鎖国という表現に否定的なのに過ぎません。
 鎖国否定論者は「海禁」と表現するようですね。

【参考:鎖国概念】

鎖国について

 鎖国完成時期に日本の経済が外国との結びつきがなくとも、成り立った理由について、これは慶安の触書や、田畑勝手作りの禁令等による、農民支配や、それ以外にも、藩との結びつきなどによる経済力があったからということからなのでしょうか?補足等お願いします。
回答
 君は「鎖国完成時期に日本の経済が外国との結びつきがなくとも,成り立った」と書いているけれども-そして山川の教科書にそう書いてあるんだけれども-,いわゆる鎖国が完成したあと,日本は外国と貿易を全くやっていないんでしたっけ?。よく考えてみてください。教科書もたまに間違ったことが書かれていますよ。
 外国との窓口は長崎だけじゃなくあと3つ*1開いていましたが,それはともかくにしても,長崎へはオランダ船や中国船が来航してますよね?。彼等は何をしに来ているんでしょうか?。遊びに!?。まさかね。当然,貿易でしょ。オランダ船や中国船が日本に何をもたらしたかについては,きちんと教科書に書いてあります(補注)。
 つまり,いわゆる鎖国が完成したあとも,日本の経済は外国と結びついていたんです。
[2002.12.05]

(補注)
「日本の経済が外国との結びつきがなくとも,成り立った」と書いている山川の『詳説日本史B』ですが,ところが鎖国の説明のところで「長崎貿易」という項目をたて,その脚注のなかで次のように説明している。
「オランダ船は,中国産の生糸や絹織物・毛織物・綿織物などの織物類と,薬品・砂糖・書籍などをもたらした。」
「清船は,清国産の生糸・絹織物・書籍のほか,ヨーロッパからの綿織物・毛織物,南洋産の砂糖・蘇木・香木・獣皮・獣角などをもたらした。日本の輸出品は銀・銅・海産物などがおもであった。」

鎖国
 江戸時代の日本が鎖国していたというのは,誰もが知っている常識でしょう。しかし,外国との門戸を閉ざしていたというのは真っ赤なウソです。それだけではありません。鎖国が完成したとされる3代将軍徳川家光のころ,「鎖国」という言葉はまだ存在していませんでした。
 1801年に志筑忠雄が『鎖国論』を著わして初めて,「鎖国」という言葉が生まれたのです。
 志筑忠雄は,長崎在住のオランダ通詞(通訳)で,病気を理由に務めを辞めた後,蘭書の研究に没頭し,『万国管窺』では日本で初めてコーヒーを紹介しています。そして,元禄年間に日本に滞在したドイツ人ケンペルの著作『日本誌』の中の付録の一章を訳出し,それに『鎖国論』というタイトルをつけました。ただ,ケンペルは「自国民の出国及び外国人の入国・交易を禁じている」などと表現しているにすぎず,「鎖国」は志筑忠雄の造語なのです。
 さて,『鎖国論』は出版されず,写本の形で流布しましたが,「鎖国」の言葉と概念がすぐに定着したわけではありません。
 たとえば,国学者平田篤胤がその著書のなかで『鎖国論』に言及していますが,西洋人が日本の優秀さを説いた書物として取り上げられているにすぎません。なにしろ,ケンペルは,日本が四方を海で囲まれていること,物産が豊富であること,日本人が勇猛であると同時に調和を重んじる資質をもっていることなどの理由から,「鎖国」を是認する議論を展開していたのです。
 また,幕府や大名など政策決定者のあいだで『鎖国論』が読まれ,政策決定の参考資料とされた形跡は,今のところないようです。結局のところ,ペリー来航以降,アメリカとの交渉という局面において,すなわち「開国」に対比される言葉として「鎖国」が用いられるようになっていくのです。
[2008.12.05登録]

*1:「3つ」とは、李氏朝鮮との窓口である「対馬藩」、ロシアやアイヌとの窓口である「松前藩」、清国との窓口である「琉球王国」のこと。