世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/24版)(追記あり)

 世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/20版) - bogus-simotukareのブログの続きであるとともに
情報(来年1月1日から7日まで、都内の早稲田松竹で、田中絹代の監督作品5本が上映される)(ほかにも、女優監督の話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)へのコメントでもあります。
 コメントが長くなるので情報(来年1月1日から7日まで、都内の早稲田松竹で、田中絹代の監督作品5本が上映される)(ほかにも、女優監督の話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)コメント欄ではなくこちらに書いてみます。

情報(来年1月1日から7日まで、都内の早稲田松竹で、田中絹代の監督作品5本が上映される)(ほかにも、女優監督の話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 津田さん以前に、監督としての田中絹代の作品を本格的に研究する人がいなかったというのは、けっきょくそれは、田中絹代監督の映画というものが、「田中絹代が監督した」という以上の評価をされなかったということなのでしょうね。「いや、今日からすればそんな扱いではすまない」ということなのかもですが、ともかく同時代、そしてそれからも長きにわたって、忌憚なくいえば「大女優の道楽」「映画界が全面的にバックアップしただけ」「助監督のおかげ」という評価を覆すだけのものがなかったのでしょう。実は私も、流転の王妃』を観て、「これ田中絹代の演出というより、助監督のおかげだよなあ」と思ったシーンがありました。ラスト近くの逃避行のあたりで、あれはちょっと田中の演出力では無理なシーンだったと思います。
(中略)
 田中作品は、その前作の『女ばかりの夜』の撮影を黒沢映画でおなじみの中井朝一が担当したりと、スタッフにも恵まれてはいます。

 俺も「見てないのにこんなことを言うのはよろしくない」のですがたぶんそうなのでしょう。
 おそらく河瀨直美 - Wikipedia西川美和 - Wikipediaなど、近年増えてきた「女性映画監督(田中と違いそれなりに高評価)」などとは比べようがない。
 で世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/20版) - bogus-simotukareのブログでも紹介しましたが、そうした評価を裏付ける証言を見つけました。ちょっと長い引用になります。

田村正和さん「家に帰りたい、学校に行けない」忙しすぎた “泣き虫俳優” 時代|ニフティニュース(2021年06月25日)から、田中映画「お吟さま」関係部分のみ引用
 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、4月3日に心不全で逝去した故・田村正和さんとの若かりしころの思い出を綴る。
 初めて共演したのは、1962年に公開した、大女優の田中絹代さんが監督をされた『お吟さま』という映画だった。原作は今東光さん。千利休の娘・お吟とキリシタン大名高山右近の悲恋を描き、お吟さまは大美人の有馬稲子さん、右近を仲代達矢さんが演じた。
 千利休を(二代目)中村鴈治郎さん、奥方を高峰三枝子さん、豊臣秀吉滝沢修さん……錚々(そうそう)たる役者が集う中、私はお吟さまの女中役・宇乃。正和ちゃんはお吟さまの弟役として出演。新人若手はふたりだけ。
 お吟さまの女中だから、ずっと出番がある。長時間、現場にいる。その間、弟役である正和ちゃんと時間を過ごすことが多かった。彼は、前年の『永遠の人』で本格デビューを果たしたものの、芸歴はまだ浅く、当時は東京・世田谷の成城学園高校に在学する高校3年生だった。
 撮影場所は京都太秦。彼は、「家に帰りたい。学校に行けない。日数が足りないと受験ができない」と不安がつのり、いつもシクシク泣いていて。私は話し相手になって「大丈夫よ!」なんてなぐさめていた。撮影は半年もかかった。
 (ボーガス注:田中絹代など関係者の多くが故人となった)今だから話せるけど、実は『お吟さま』は製作の裏側がドタバタだった。正和ちゃんが、「家に帰りたい」と嘆いていた気持ち、それもわかるのよね(笑)。
 まず、監督である田中絹代さんに申し訳ないけれど、監督としての才能に疑問符。もともと田中さんは、小津安二郎さん、溝口健二さん、成瀬巳喜男さんなど名だたる監督に重用された本当の大女優。だからといって、監督としての才覚があるかどうかは別問題。『お吟さま』は、田中さんの6作目にあたるわけだけど、撮影が全然進まない。
 私たちへの演技指導も不確かで自信がなく、振り付けで伝える。「ここで何歩か歩いて、振り返る」という具合に、踊りのようにディレクションなさるんだけど、よくわからないから私も正和ちゃんも困っちゃって。
 なのに我を通そうとなさるから、新人ふたりはうさの捨てどころ。田中さんはベレー帽をかぶってブルゾンを着て、格好は超一流監督だったけど、(ボーガス注:千利休役の)中村鴈治郎さんや(ボーガス注:豊臣秀吉役の)滝沢修さんを前にすると何もおっしゃらない。脚本やセリフの直しが多く、あまりに撮影が進行しないので、(『人間の條件』などを担当した)撮影監督の宮島義勇さんが「うーん、困った」とよく愚痴をこぼしていらした。
 おまけに、主役の有馬稲子さんは、(ボーガス注:後に離婚するが)萬屋錦之介さんと結婚したばかり。撮影には気分が乗らず、早くお家に帰りたいお気持ち。脚本もお気に召さず*1、有馬さんの気持ちも十分わかるけれど、撮影もままならなくて、正和ちゃんじゃなくても泣きたくなったわよ。
 やっと撮影がアップすると、みんなで京都駅まで正和ちゃんを見送りに。ホームで「受験がんばってねー!」って大声を上げながら手を振ったことを覚えている。

 さてところが 世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/20版) - bogus-simotukareのブログでも紹介しましたが、一方で「かなりの田中高評価」もあります。これも、ちょっと長い引用になります。

女性監督の先駆、田中絹代再評価 意志強いヒロイン: 日本経済新聞編集委員 古賀重樹*2)2021年10月30日
 監督・田中絹代が再評価されている。
 「確固たる自由の感覚と挑発的なタッチで映画の中心に女性を置いた」
 フランスのリヨンで17日まで開かれた第13回リュミエール映画祭は、日本の女性監督の先駆者として田中絹代をそう紹介した。古典映画に光を当てる同映画祭は今回、絹代が監督した全6作品を上映。ルモンド紙は「彼女が一流の映画作家であることを明らかにしている」と大きく報じた。
 7月のカンヌ国際映画祭が「月は上りぬ」(1955年)4Kデジタル復元版を上映したのに続く再評価の波だ。リヨンの上映にあわせて残る5作品も4Kデジタル復元された。このうち「月は上りぬ」「乳房よ永遠なれ」(55年)、「流転の王妃」(60年)、「お吟さま」(62年)の4作はきょう開幕する東京国際映画祭でも上映される。
 再評価の機運は高まっていた。日活版権営業部の加藤拓氏によると、きっかけは2018年にベネチア国際映画祭が上映した古今東西の女性監督の作品を紹介する14時間のドキュメンタリー「ウイメン・メイク・フィルム」(マーク・カズンズ監督、英国)。これを見た欧米の映画祭や映画配給会社から絹代作品への問い合わせが相次いだ。
 同作が紹介するのは世界初の女性監督アリス・ギイ*3からキャスリン・ビグロー*4セリーヌ・シアマら現役監督まで183人。作品の一部を引用し「発見」「死」など形式主義の視点で分析する。
 その中で唯一取り上げられた日本人監督が田中絹代だ。引用回数は10回。2桁の引用はアニエス・ヴァルダ*5キラ・ムラートワら6人しかいない。「恋文」(1953年)が1954年のカンヌに出品されたとはいえ、忘れられた監督だっただけに、注目された。
 背景にあるのは2017年からのMe Too運動*6の盛り上がり。映画界のジェンダーギャップ*7が問い直され、映画祭では出品監督や審査員の女性の比率が問題となった。映画史上の女性監督の再発見もその流れの中にある。
 研究者も注目する。2018年に英国のエジンバラ大学出版局が論文集「田中絹代:国家、スター性、女性の主体性」を刊行。寄稿者の一人である明治学院大の斉藤綾子*8教授は「乳房よ永遠なれ」の脚本家・田中澄江田中絹代の対照的な生い立ち*9を比べつつ、絹代の監督としての独創性を指摘した。
 斉藤氏が例にとるのは絹代が撮影時に使った台本。セリフを削る一方で、自身が細かくカット割りした絵コンテを書き込み、新たな表現を加えた。夫の不貞に気づいた歌人・ふみ子が、部屋に残された女の足袋を投げるショットもその一つだ。
 「脚本をそのまま撮るのでなく、監督の解釈を出している。映画作家として見るべきだ」と斉藤氏。脚本にない絹代独自の解釈に基づくカット割りは「恋文」のラストなど他の作品にもある。
 「映画をよく知っている」と斉藤氏は指摘する。例えば乳房を失ったふみ子が、親友・きぬ子が焚く風呂に入るシーン。かつてその風呂にはふみ子が横恋慕したきぬ子の亡夫が入っていた。同じ状況の反復と2人の女の視線の交錯が微妙な心理の綾を表現する。まるでヒッチコックのように。

仏リュミエール映画祭 監督・田中絹代に脚光 他の邦画にない女性の視点:北海道新聞 どうしん電子版
◆全6作品を上映
 田中絹代(1909~77年)は溝口健二小津安二郎成瀬巳喜男ら巨匠が信頼を寄せた名優だが、実は6本の監督作品を残した、日本の女性映画監督の先駆けの一人である。このたびフランスの映画関係者の情熱が日本の映画会社を動かし、修復プロジェクトが実現。そのお披露目に、監督第2作「月は上りぬ」(1955年)が7月のカンヌ国際映画祭で先行上映された。
 リュミエール映画祭は、4Kデジタル修復で美しくよみがえった全6作品が、初めて一挙上映される貴重な機会となった。映画祭はコロナ禍でも全座席の85%以上が埋まる盛況ぶりだったが、田中の映画はとりわけ人気が高く、前売り券が完売した後もキャンセル待ちの人の列が長く伸びた。
 期間中には「田中の場合」と題されたラウンドテーブル(公開の専門家会議)も開催され、上映の経緯や作品の魅力が語られた。
 ドキュメンタリー映画監督で日本映画専門家のパスカルアレックス・バンサンは「当時の他の邦画では感じられない女性の視線がある」と指摘。帯広出身の歌人中城ふみ子の評伝を映画化した監督第3作「乳房よ永遠なれ」(1955年)に感銘を受け、回顧上映を提案した元ロカルノ国際映画祭ディレクターのリリ・アンスタンは「なぜこれほどの才能が紹介されずにきたかは検証されるべきだ」と問題提議した。田中の堂に入った演出ぶりを、フランスの巨匠マルセル・カルネジャン・ルノワールと重ねる声もあった。
 今回の回顧上映は昨今の映画界における女性差別撤廃の流れとも連動しているだろう。「#MeToo」運動をきっかけに、映画界における女性の地位の見直しが世界的に進んでいる。新世代の女性監督の活躍も目覚ましく、この1年をみても米アカデミー賞カンヌ映画祭ベネチア映画祭の最高賞を女性の作品が占めたほど*10
 長らく陰に置かれてきた田中監督の作品群だが、まっさらな目で評価を受ける時代がようやく訪れたのかもしれない。
 30日(土)に開幕する東京国際映画祭でも修復作4本が上映される予定だという。「映画監督・田中絹代」の評価は、今始まったばかりだ。

 以上の高評価、特に

ルモンド紙は「彼女が一流の映画作家であることを明らかにしている」と大きく報じた。
ロカルノ国際映画祭ディレクターのリリ・アンスタンは「なぜこれほどの才能が紹介されずにきたかは検証されるべきだ」と問題提議した。田中の堂に入った演出ぶりを、フランスの巨匠マルセル・カルネジャン・ルノワールと重ねる声もあった。

は田中には失礼ながら、「ホンマかいな」ですが、もしかしたら

情報(来年1月1日から7日まで、都内の早稲田松竹で、田中絹代の監督作品5本が上映される)(ほかにも、女優監督の話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
流転の王妃』を観て、「これ田中絹代の演出というより、助監督のおかげだよなあ」と思ったシーンがありました。ラスト近くの逃避行のあたりで、あれはちょっと田中の演出力では無理なシーンだったと思います。
(中略)
 田中作品は、その前作の『女ばかりの夜』の撮影を黒沢映画でおなじみの中井朝一が担当したりと、スタッフにも恵まれてはいます。

という部分が「日本の事情に詳しくないであろう外国*11」では「田中の力量」として評価されてるのかもしれません。いや、勿論、この記事だけではその辺の事情はわかりませんけれども。
 それはともかく「海外での田中再評価」について

背景にあるのは2017年からのMe Too運動
今回の回顧上映は昨今の映画界における女性差別撤廃の流れとも連動しているだろう。「#MeToo」運動をきっかけに、映画界における女性の地位の見直しが世界的に進んでいる。

ということで「映画界でのmetoo運動の影響がある」つうのは「事実かどうか知りません」が「へえ」と思いました。確かに「時期がかぶってること」は確かなようですが。

情報(来年1月1日から7日まで、都内の早稲田松竹で、田中絹代の監督作品5本が上映される)(ほかにも、女優監督の話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 以下余談ですが、女優監督としての第2号が、左幸子です。

【2022年1月2日追記】
 なお、小生もうっかり見落としていましたが望月優子が『海を渡る友情』(1960年)、『おなじ太陽の下で』(1962年)を監督していますので、左は「第二号」ではありません。なお、情報(来年1月1日から7日まで、都内の早稲田松竹で、田中絹代の監督作品5本が上映される)(ほかにも、女優監督の話) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の記事も後で修正されるとのことです。
【追記終わり】
 ちなみに田中と左には「映画監督」という以外に共通点があってそれが「数少ないベネチア国際映画祭銀熊賞 (女優賞) - Wikipediaの日本人受賞者」ということです。
 過去には日本人受賞者は

銀熊賞 (女優賞) - Wikipedia
◆1964年
 左幸子今村昌平監督『にっぽん昆虫記』)
◆1975年
 田中絹代熊井啓監督『サンダカン八番娼館 望郷』)
◆2010年
 寺島しのぶ若松孝二監督『キャタピラー』)
◆2014年
 黒木華山田洋次監督『小さいおうち』)

の4人しかいません。
 ちなみに単なる偶然に過ぎないのでしょうが、熊井啓田中絹代には『サンダカン八番娼館』つながり(熊井監督、田中出演(ただし主演は栗原小巻))以外にも『お吟さま』(1962年に田中が、1978年に熊井が監督として映画化)つながりもあります。

 ちなみに女優(歌手のほうではない)の高橋洋子は、自分の原作小説(『雨が好き』)を自分で監督・脚色・主演しちゃったのですから、すごい人はいるものです。

 世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/20版) - bogus-simotukareのブログで紹介済みですが高橋の映画監督については

伝説の女優・高橋洋子が自身の監督作で再始動 朝ドラのヒロイン共演、渥美清さんの素顔も(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース
 1970年代に時代の先端を走った伝説の女優・高橋洋子が監督、脚本、プロデューサー、主演を務めた30分の新作短編映画「キッド哀ラック」を完成させ、過去に出演した代表作と共に10月に初公開される。
 高校を卒業した72年に斎藤耕一監督の映画「旅の重さ」の主役オーディションに合格して映画デビュー。名監督の作品に出演し、三國連太郎田中絹代原田芳雄文学座付属演劇研究所の同期だった松田優作らと共演。テレビドラマでは73年のNHK連続テレビ小説北の家族」のヒロインに抜てきされ、最高視聴率が50%を超えた同作で国民的な知名度を獲得した。清純派から一転、殺人犯役でゲスト出演した日本テレビ系「傷だらけの天使」では萩原健一、「大都会 闘いの日々」では石原裕次郎や渡哲也を相手にインパクトを残した。
 81年に小説「雨が好き」で中央公論新人賞を受賞。女優、歌手、小説家としてマルチに活躍する中、同作を原作とした映画で83年に監督デビュー。今回は38年ぶりの監督作となり、女優としては2016年公開の映画「八重子のハミング」(佐々部清監督)以来の再始動となる。音楽は夫の三井誠が担当。「僕にまかせてください」などのヒット曲を持つバンド「クラフト」の元メンバーで、稲垣潤一の大ヒット曲「クリスマスキャロルの頃には」を手掛けた作曲家だ。
 テーマは「自分の居場所はどこだ」。それぞれの人生を経て、故郷の町で再会する姉妹の話だ。高橋は妹役で、姉役は77年のNHK連続テレビ小説「風見鶏」のヒロインを務めた新井晴み。「北の家族」以来の共演となる新井とは同い年で、私生活でも交流がある。
 「人間の『喜怒哀楽』を描きました。新井さんが演じる姉は地元にいて、子どもが巣立ち、夫を亡くして認知症の母を介護している。私が演じた妹は夢を持って東京で自由に暮らしていたが、繁盛していた店など全てを失い、帰郷して母の家に転がり込む。そこから物語が展開されます」
 特集上映は2週間にわたって開催される。10月9日に東京・東中野のイベントスペース「ポレポレ坐」で行われる「前夜祭」では新作短編、高橋と新井のトークライブに加え、渥美清主演の「田舎刑事 時間(とき)よ、とまれ」を上映。77年にテレビ朝日系で放映され、ソフト化されていない伝説のドラマだ。

「北の家族」ヒロイン、伝説の女優が38年ぶりメガホン「本当は映画をやりたかったです」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュースから一部引用
 「キッド哀ラック」は東京で夢に破れたヒロイン(高橋)が故郷で姉(新井晴み)と再会し、前に進んでいこうとする姿を描く約30分の短編だ。
 映画では認知症になった母との確執も描かれる。「モデルは94歳になる母です。認知症ではありませんが、今は入院しています。私は長いこと親子関係に苦しんできた。若い時は、『撮影所に行くのに、ジーンズで行くのか』とかよく言われたものです。母娘には抗いたくとも抗えない愛情を抱えている。親のエゴでどこまで子どもを縛っていいのか、というのはずっと考えてきたテーマでした。娘はある時期に母親がイヤになるもの。老いては子に従ってほしいですよ」と苦笑いする。
 映画「サンダカン八番娼館 望郷」(74年)では、アジアに渡った娼婦「からゆきさん」だったヒロインの若い時代を演じ、名女優・田中絹代がその晩年を演じた。
「絹代さんは何本も商業ベースの映画を監督されたすごい先輩ですが、監督業について聞かれると『若気の至りでした』とおっしゃっていました」

を紹介しておきます。

*1:脚本は溝口健二の遺作となった映画『赤線地帯』(1956年)の脚本を担当した 成沢昌茂 - Wikipediaと言う人物なのでそんなに酷い脚本とも思えません。「田中監督への不満」で脚本にも不満が出た、つう事ではないか。

*2:日経新聞大津支局長、文化部次長、京都支局長などを経て、文化部編集委員。著書『1秒24コマの美:黒澤明小津安二郎溝口健二』(2010年、日本経済新聞出版社

*3:アリス・ギイについては、アリス・ギイ『私は銀幕のアリス:映画草創期の女性監督アリス・ギイの自伝』(2001年、パンドラ)と言う著書があるようですが、日本版ウィキペディアには項目がありません。

*4:2009年の『ハート・ロッカー』でアカデミー監督賞受賞。これは史上初の女性によるアカデミー監督賞受賞である(キャスリン・ビグロー - Wikipedia参照)。

*5:1928~2019年。1965年の『幸福』でベルリン国際映画祭銀熊賞、1985年の『冬の旅』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。2017年の第90回アカデミー賞で、長年の功績を称え名誉賞が授与された(アニエス・ヴァルダ - Wikipedia参照)

*6:2017年10月5日にニューヨーク・タイムズが、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる数十年に及ぶセクハラを告発する記事を発表。10月10日には、女優のアシュレイ・ジャッドら数十名が実名で彼のセクハラを告発、雑誌ザ・ニューヨーカーも10ヶ月に及ぶ被害者への取材記事をウェブ版で発表した。これによって、彼が経営するワインスタイン・カンパニーは経営が悪化、2018年3月19日に連邦破産法の適用申請手続きが行われた。被害者によって申し立てられていた性的暴行の件で、2018年5月25日にニューヨーク市警によって公式に逮捕され、訴追された。2020年3月11日に禁固23年の刑が言い渡され、その後、刑務所に収監された。この事件は「俳優ケビン・スペイシー」「メトロポリタン・オペラ名誉監督(なお、告発によって名誉監督を解雇)ジェームズ・レヴァイン」「民主党上院議員ミネソタ州選出)(なお、告発によって議員辞職)のアル・フランケン」など「ワインスタイン以外のセクハラ行為者への告発」も生み出し「ワインスタイン効果」、MeToo運動と呼ばれる社会現象を引き起こした。(MeToo - Wikipediaハーヴェイ・ワインスタイン - Wikipedia参照)

*7:「映画界のジェンダーギャップ」についてはググってヒットしたハラスメント、長時間労働…映画界、深刻なジェンダーギャップ | 毎日新聞(2021.6.30)、少ない女性監督、大作では3% 映画界の環境改善へ団体:朝日新聞デジタル(2021.7.2)、 映画製作現場のジェンダーギャップなど調査する団体が発足 | エンタメ | NHKニュース(2021.7.2)、赤旗大作映画 女性監督3.1%/ジェンダーギャップ調査 「日本の業界改善を」(2021.7.7)を紹介しておきます。

*8:著書『映画女優若尾文子』(共著、2003年、みすず書房)など

*9:田中絹代は小学校卒なのに対し、田中澄江は東京女子高等師範学校(今のお茶の水女子大学)卒

*10:なお、2021年の米アカデミー賞カンヌ映画祭ベネチア映画祭の最高賞受賞作はそれぞれ『ノマドランド』(クロエ・ジャオ監督:なお、この作品は第77回ヴェネツィア国際映画祭(2020年)金獅子賞も受賞)、『チタン』(ジュリア・デュクルノー監督)、『L’Événement』(オードレイ・ディヴァン監督)で確かにすべて女性監督です(第93回アカデミー賞 - Wikipedia第74回カンヌ国際映画祭 - Wikipedia第78回ヴェネツィア国際映画祭 - Wikipedia参照)。

*11:まあ日本人でもかなり高評価してる人は一応いますが。