常岡浩介と黒井文太郎に突っ込む(2022年3月3日分)

黒井文太郎がリツイート
 99年当時からプーチンの危険性を指摘してた日本の論者は自分の知る限り常岡浩介氏くらい。
◆常岡浩介
 NATOの東方拡大に問題があったという人たちは、プーチンが実権を握った99年当時*1から今と同じことを繰り返していたことを知らないのだと想像する。チェチェンの大虐殺を目の当たりにした周辺国は、当然、NATOの集団的安全保障がなければ、遅かれ早かれ同じ目に遭うだろうと悟る。事実そうなっている

 「事実上ジャーナリスト廃業の常岡」なんか今、礼賛して、黒井に何の利益があるんでしょうか?
 それにしても、常岡も「常岡を褒める黒井」も「プーチンの危険性を早い段階で批判していた数少ない論者は常岡!」と「昔の功績*2」でしか評価できず「今の常岡の業績」を語れないのがあまりにも滑稽です。

常岡浩介がリツイート
JSFリツイート
 全然違いますよ。ロシアはNATOが介入して来ないと確信したからこそウクライナに攻め込んだんです。これが大前提です。だから「NATO核兵器は侵攻を抑止しませんでした」というよりは、むしろロシアの核兵器NATO介入*3を抑止したと言えます
◆川崎哲*4
 今回侵攻したロシアは、西側の核軍事同盟であるNATOと長らく対峙してきましたが、ウクライナに攻め入ればNATOと対決する形になることは分かっていました。それでもロシアは、無謀にも軍事侵攻を始めたのです。核兵器は、この侵攻を抑止しませんでした。

 常岡と類友の詭弁が酷くて吹き出しました。「NATO核兵器」がロシアの侵攻抑止にならなかったことは「否定できない事実」でしょうに。
 勿論「米軍タカ派が核使用を主張してもベトナム戦争で、非核国ベトナム相手に核が使用されなかったこと」「さすがにタリバン相手に核が使用されなかったこと」でわかるように「ロシアの核兵器ガー」という話ではないでしょう(そもそも「ロシアの核兵器ガー」が「米国の核兵器擁護」の言い訳になるという理解も意味不明ですが。そもそもこの発言では論理的には「中国が台湾侵攻しても中国が核保有してるから、米国に核での軍事対応はできない(常岡や類友の認識)」つうことになるんですが、そういう理解でいいのか。しかしそれでは核は「非核国にしか使えない」ことになり「非核国の多くは軍事小国」なので「核の脅しなど必要なのか?」という話になります)。「世界の反核世論」を前に、プーチンも「核兵器」云々と放言しても使う気はないでしょうし、そんなことはNATO側もわかってる。
 それだけ反核世論というのは大きい。「被爆地」長崎出身でありながら常岡もよくもまあ「核兵器の擁護」ができるもんです。だからこそ高世仁も常岡を見捨てたのでしょうが。
 「アンチロシア(例:黒井文太郎)」に「米軍核兵器・擁護のウヨ」が多いことがこうした常岡の暴挙の理由でしょう。とはいえ勿論「反ロシアなら米軍核擁護」というわけではない(例:日本共産党)ので常岡の行為は無茶苦茶ですが。

常岡浩介がリツイート
◆真野森作*5/ 毎日新聞カイロ特派員・元モスクワ特派員 / 新著『ポスト・プーチン論序説:「チェチェン化」するロシア*6
 3/3夜(日本時間)のオンライン講演、鋭意準備中です。
 主たるテーマはロシアのチェチェン共和国、そこで起きている性的少数者の弾圧について。

 ジャーナリストを自称しながら事実上廃業状態で、「にもかかわらず」同業者*7の業務報告に躊躇なくリツイートする常岡って「プライドはない」んでしょうか?
 俺なら「ジャーナリスト廃業を正式に宣言した上で、ロシアに興味を持つ一個人として紹介」ならともかく常岡のような無様なまねは恥ずかしくてできませんね。

*1:プーチンが大統領に就任したのは2000年ですが「エリツィンの後継大統領前提での首相就任(1999年)=実権掌握」という認識のようです。

*2:そうした常岡評価の是非はひとまずおきます。

*3:「ロシアの核兵器ガー」は勿論デマです。核兵器を持たないアフガン・タリバン相手に米軍が撤退したことでわかるように「米国民は対外軍事介入に乗り気でないから(米兵の戦死に精神的に耐えられないから)」、介入しなかったに過ぎません。その代わりに「武器供与や軍事情報提供」といったウクライナへの軍事支援をしていますが

*4:ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)国際運営委員。著書『核拡散』(2003年、岩波新書)、『核兵器はなくせる』(2018年、岩波ジュニア新書)、『新版・核兵器を禁止する』(2018年、岩波ブックレット)、『核兵器・禁止から廃絶へ』(2021年、岩波ブックレット)など

*5:著書『ルポ・プーチンの戦争』(2018年、筑摩選書)

*6:2021年、東洋書店新社

*7:それも「常岡と同じフリー」ではなく「会社(毎日新聞)所属のジャーナリスト」ですからね。「常岡が長崎放送を退社して独立しなくても、才能があれば毎日記者・真野氏のように成果があった」ことがモロバレになるという屈辱感はないのか?